Market Fundamentalism is Over

東京都議会選挙があった。大局的に見れば、投票率が上がって、それほどの絶対票を与党側は失ったわけではないが、あがった分だけの票が民主党に投票されたと言う数字である。新聞には、麻生おろしなどの見出しが躍っているが、こうした混乱の時ほど、政治とは何かを考える好機である。

 小泉元首相などは、麻生首相は解散できない、自発的に退陣すべきダなどとオフレコで明かしたと言うが、首相経験者で、しかも今回の自民党凋落の原因をつくった者が、政界辞任を目前にして、こそこそと発言すべきではない。姑息な手段を講じて、負けをいかに少なくするかなどとは政治の大道を歩く話ではない。東京都議会選挙の報道の時には石原都知事の子息がテレビに出て解説をしていたが、そんなことをするから、国民はいよいよ反発するばかりであった‥もともと保守の思想を持つ石原知事ではあったが、いつの間にか市場原理主義の肩を持つようになった。

 テレビが依然として低級のメディアに留まって、朝から井戸端会議のような話で、右往左往しているが、何か人気取りが政治になったかのようである。地方選挙で総理の首をすげ替えること自体が、おかしいのである。しかも、選挙をしないで、総裁を三人まで変えてきて、政権を維持したことがいかなる停滞をもたらしたかについて全く反省がないようである。麻生おろしの動きにも世論は敏感に反応しており、過半数が反対である。

 さすれば、堂々と解散して、負け戦を粛々として受け入れることが大切である。与党敗北の責任は首相ひとりの生ではない。市場原理主義を受け入れ、日本を破壊して、なおその責任を吐露としない、小泉・竹中政治に同調したことである。歴史の審判はアメリカで下っていることに対しても鈍感であったことだ。郵政民営化の問題にしても、更迭すべきは、西川社長であったことはもう明らかな事実だ。首相は、解散を断行して、踏ん張ることが必要だ。そうしないと、自民党の保守勢力自体が雲散霧消することになるだろう‥将来民主党が問題を起こしたときに、その批判勢力となることすらできなくなるだろう。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあるとの格言があるが、市場原理主義が終わったことを認識して、小泉・竹中政治の勢力から、今できなくても、近い将来に奪還して、保守の再構築を図ることの方が、自民党にとっては大事なことであろう。

 勿論、民主党は民主党の方で、政権交代を控えて、政策の具体化を詰めなければならない。市場原理主義の三大虚妄である、民営化、規制緩和、公共政策の縮小の策など、直ちに廃棄することを国民に提案しなければ、大勝はおぼつかないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Clouds over the slope

今年の一月に高橋是清の伝記が出版された。現職の内閣府府統括官による「大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清」である。中央公論新社kらの出版である。命がけで軍部と闘い、財政規律と国を護ろうとした男」という帯がついている。日露戦争の時代と、大東亜戦争の時代の彼我がの経済力の差について、「終わりに」という後書きでコメントしている。要すれば、「しかしながら、日露戦争は日清戦争後に確立した金本位制や日英同盟を背景として欧米金融市場での戦費調達が期待できた戦争であった‥それは、経済的に世界で孤立し、日満華の至言だけで闘わなければならなかった先の戦争とは全く異なるものであった‥日露戦争は経済的に敗戦国となった状況で突っ込んでいったものではなかった‥高橋是清を暗殺した後の軍部には、経済的に見た場合のそのような日露戦争との違いの認識すらなかったのが、先の戦争であった。」と書いている。

もうひとつの日露戦争という、ンスタンチン・サルキソフ山梨学院大学教授によって、ロシア側の新資料を駆使して描いた本が出版された。新発見・バルチック艦隊提督の手紙からとの副題がつけられており、日露両国の関係を全体的に見ながら、日露戦争について論述している。最近ロシアのプーチン首相が来日したこともあり、日露戦争の背景について、日本側ばかりではなくロシア側の実情についても考えることは有益である。ヤルタ体制が崩壊していく中で、日露関係を再構築するためにも、有益な一緒であると考えられる。

小村全権とウィッテ全権との間の交渉についてのロシア側の資料が語られており、小村がウィッテに対し、「賠償金に関する条項はロシア側としては受け入れられないだろう‥そのことを考慮して、日本は、賠償金支払いと言う方式をやめ、サハリン北半分をロシアに譲渡し、その代金としてしかるべき費用ロシアが支払うという方式にしたい」と語り、つまり、樺太を二分して、日本に渡す金銭は、敗戦後の賠償金ではなく、島の北半分を{ロシアが}購入する代金という形」にする提案をしたという。ウィッテは、「サハリン島全部を日本に譲渡し、1ルーブルも払わないですめば、その方がずっと都合がよいのに‥しかし、日本は同調しないだろう。なぜなら、日本としては是非とも資金を必要としているのだ」と判断していたという。

両書を読んで見ることをおすすめする‥当ブログの筆者も、それほどの読み込みはまだ行ってはいないが。財政的な負け戦が、社会不安を醸成して、世界がブロック経済化して新たな世界紛争の原因となると言う歴史の方向が描かれているように思う。日露を闘わせることで誰が利益を得たのかという大命題についても、冷徹に考究することが、自立自尊の日本を目指していくためにも、また、現在の情勢の判断の為にも有益ではないだろうか。

左の欄に、両書のリストを掲示しておいたので、ご参考まで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Political Situation

 当ブログは、大局的に市場原理主義の虚妄についての関心があり、微視的な政局論についての関心はあまりない。国内政治の具体的な動向については、筆者が個人的に私淑する先輩ジャーナリストが毎朝発信している掲示板がおすすめである。当ブログのリンク先の冒頭に掲示してある http://www004.upp.so-net.ne.jp/sugisugisugi/ が、特に毎日執筆されている、浦の苫屋と題する、掲示板に掲げられる、今朝のニュース解説がおすすめである。http://suginoko.progoo.com/bbs/

また氏は、優れた俳人でもあるから、経験の豊かさを感じる名解説であり、文化の香りをかぐことができる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Ugly Media Strategy

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Market Fundamentalism is Over

歴史や公共性を崩壊させる新自由主義

 日本の国力は急激に低下しつつある。我が国経済が全体的に収縮し、国民一人ひとりへの配分自体が減少し、未曾有の格差社会を増殖させている。
 世界情勢においては、偶然は存在しない。特に経済政策は、一見経済理論と現実には隔たりが見えるようでありながらも、必ず因果関係がある。確かに、自然災害など、偶然が経済に干渉することはある。だが、強力な経済理論はそうした偶然さえ必然として絡め取ってしまう。

 ここで念頭に置いているのは、今世界を席巻している新自由主義、あるいは市場原理主義という経済理論だ。新自由主義の三本柱は「規制緩和・民営化・公共予算の削減」である。新自由主義はこの三本柱によって、国家の市場への介入を最小化し、市場に任せておけば経済はうまく回るという、「レッセ・フェール」(市場放任)の立場をとっている。
 しかし、それが現実政治に適用されるとき、アダム・スミス流のレッセ・フェールとは、似ても似つかぬ新自由主義のカルト性が姿を現すのだ。

 ここに一冊の本がある。カナダのジャーナリストであるナオミ・クライン女史が書いた『The shock Doctrine』である。同書は、ニユーヨーク・タイムズのベストセラー欄の上位を長らく独占していた。日本ではまだ翻訳は出ていないが、アメリカ本国でこの衝撃的な「新自由主義の本質」に鋭く迫った本が出版され、しかもベストセラーになっているというのは、一つの時代の転機といえるだろう。

 彼女によれば、新自由主義とは結局、破壊と衝撃を与えることによって歴史性や公共性を崩壊させ、強引に更地(さらち)にして全てを私物化していく手法だ。
 
 フリードマンという教祖 

  この新自由主義の教祖はミルトン・フリードマンである。彼が教鞭を執ったシカゴ大学経済学部の入り口には「経済とは測定だ」と、銅版に記してある。ここからも、このシカゴ学派が工学的発想に基づいた、人為によって社会を構築できるという思想を蔵していることがわかるだろう。
 フリードマンは、1912年生まれのハンガリー系ユダヤ人移民の子供である。彼は、新自由主義こそが完璧なシステムであり、市場を政府の介入から救い、汚染されていない資本主義へ回帰することによって、ユートピアを実現できると考えた。
 彼の提唱した新自由主義とは、政府のあらゆる規制を撤廃し、政府財産を全て売却し、社会政策の予算を大幅に削減し、税率も最小限かつ貧富の格差に関係なく一律とすることである。ここにおいては、全ての価格は賃金も含めて市場が決めるのであり、医療保険、郵便局、教育、年金といった公共の福祉に関するものもすべて民営化すべきだ、と説いた。

 フリードマンによると、政府が持つのは警察と軍隊で十分ということになるのだ。
 では、この理論は現実にどのように適用されたのだろうか。
 一番良い例が、2005年にルイジアナ州を直撃したハリケーン「カトリーナ」の災害復興だ。当時93歳のフリードマンは、いわば人生最後の政策提言として、『ウォールストリート・ジャーナル』に寄稿している。
 それによると、ニュー・オーリンズの学校が破壊されたことは悲劇ではあるが、これは教育制度をラディカルに改革する機会である。公共の学校を復興するのでなく、この災害を奇禍として、バウチャー(引換券)を各家庭に配布し、私立の教育機関(チャータースクール)を設立し、このバウチャーを活用することによって教育の民営化を促すべきだとした。

 このフリードマンの提言を受けて、ブッシュ政権は学校を民営化するための資金を数千万ドルにわたって投入した。
 ところが、現在アメリカにおいてはチャータースクールによって教育が二極分化しており、教育の低下が社会階層の固定化に結びつき、かつて公民権運動で勝ち取られた成果が無に帰しつつある。ニュー・オーリンズではカトリーナ前に123校あった公立学校はわずが4つになり、7つしかながった私立学校が31にまで増えた。こうしてニュー・オーリンズは私立教育機関設置の実験場とされた。「公共」の制度を潰して、「私」の制度に置き換えていったのだ。

 これは日本にとって対岸の火事ではない。
 途中で潰えたものの、安倍政権がやはり教育バウチャー制度を導入しようとしたことを思い出すべきだ。起訴休職外務事務官・佐藤優氏が、保守主義と新自由主義の間で股裂きになったのが安倍政権の自壊という現象だ、と指摘したが、まさに現下の日本の格差社会・貧困社会化には新自由主義の影響がある。こうした事態に対して無自覚であることは、政治家にとっては許されない怠慢である。
 ここで、急激な民営化に「カトリーナ」という災害が巧妙に利用されたことに注目して、クライン女史はこれを“Disaster Capitalism”、すなわち「災害資本主義」と名づけている。
 
 新自由主義は共同体を根こそぎ壊滅させる危険思想 

 フリードマンは「危機のみが真の変化をもたらす。危機が起きれば、現在ある政策の肩代わりを提案して、政治的に不可能であったことを、政治的に不可避なことにしてしまう」と述べている。
 いわば、災害に備えて缶詰や水を備蓄しておくのと同様に、災害に備えて新自由主義政策を一気に進めるべく、政策を準備しておくというのだ。
 このような発案の元には、フリードマン自身の経験が影響していると見られる。

70年代中ごろに彼はチリの独裁者ピノチェト政権の顧問をしていた。ピノチェト政権にはシカゴ大学経済学部の出身者が大量に登用されており、「シカゴ学派の革命」とも呼ばれた。事実、ピノチェト政権においては減税、自由貿易、民営化、社会政策予算の削減、規制緩和が、急激に行われたのである。これらは、スピードが大事であるとして、1度に全てを変えてしまうという方法が採用された。

 ここから、”ショック療法”という概念が、新自由主義に滑り込んできたのである。独裁政権下においては、それは経済的ショックと同時に、拷問という肉体的ショックとも併用されて新自由主義改革が進められた。
 「敵の意思、考え方、あるいは理解力を制御して、敵を文字通りに、行動あるいは対応する能力を失わせる」という”ショック・ドクトリン”が、生まれたのである。

 クライン女史は実証的に、新自由主義がこの”ショック・ドクトリン”によって推進されてきたことを明らかにしている。たとえば、スリランカにおけるスマトラ沖地震による津波被害の復興である。そこでは、被災者をパニック状態に落とし込む一方で、海岸線をリゾート化する計画が進められていた。ニュー・オーリンズでもやはり、住民の土地・家屋を修復することもなく、ただ更地にすることだけが進められたのである。

 新自由主義にとって邪魔なのは、市場原理主義に反するような非資本主義的行動や集団である。そうした非資本主義的集団として、地域共同体や、歴史や伝統に根ざした「共同体」が存在するが、新自由主義はこうした集団を徹底的に除去する。災害復興の名目で公共性、共同体を奪い、被災者が自らを組織して主張を始める前に、一気に私有化を進めるのである。

 これは、日本で行われた新自由主義改革とも一致している。
 郵政民営化は公共財産である郵政事業を民営化するという、典型的な新自由主義政策であった。民営化後、郵便局にはテレビカメラが取り付けられ、『郵政百年史』といったような郵政の歴史と文化を記した本も撤去している。
 ショージ・オーウェルが『1984年』で書いたような、極めて不自然で、歴史性を欠いた組織に一気に改変されている。オーウェルは「我々はあなたを完全に空っぽにし、その体に我々を注入する」と不気味な予言をしている。  
“ショック・ドクトリン”から見えてくる世界 

 衝撃を与え、一気に新自由主義改革を進めるという”ショック・ドクトリン”から世界を見ると、世界は今までとは異なる姿で立ち現れてくる。「改革」のために、平然と人権侵害が行われてきたことに気づくのだ。アルゼンチンでは3万人を抹殺して、シカゴ学派の提唱する政策を実現した。1993年にはエリツィン政権下のロシアで国会放火事件が起き、その後、国有資産は投売りされ、「オリガルヒア」という新興の超資本家が生まれた。
 1982年のフォークランド紛争も、炭鉱労働者のストライキを破壊して、西洋で最初の民営化を強行する結果になった。1999年のNATOによるベオグラード空爆も、結局旧ユーゴでの民営化に結びついたのである。アジアでは1998年にアジア通貨危機が仕掛けられたが、これによってIMFが介入し、民営化するか、さもなくは国家破綻か、が迫られた。

 その結果、国民の意思ではなく、日本の経済財政諮問会議のような1部の「経済専門家」と称する新自由主義者によって、国の政策が支配されることになったのである。
 また、天安門事件の大虐殺も”ショック・ドクトリン”の一環と見ることもできる。事件の前年9月、フリードマンが北京と上海を訪問している。中国が中国流の”ショック・ドクトリン”を利用して、開放路線を発動したと考えられるのだ。今年の四川大地震では、現地は復興特需に経済が活発化しているという話も聞こえてくるのだが、中国版災害資本主義が発動されている可能性は高い。
 かつて、アイゼンハワー時代には、アメリカ国内ではこの”ショック・ドクトリン”は適用されていなかった。おそらく、軍産複合体の行き過ぎを懸念したのである。しかし、レーガノミックスを経た95年ごろから、ネオコンが中心になってショック療法型の経済政策が本格化する。

 そして、「9・11」のとき、大統領府はフリードマンの弟子たちで埋め尽くされる。★ラムズフェルド国防長官(当時)はフリードマンの親友である。「テロとの戦い」が叫ばれ、恐怖が煽られた。そして何が変わったか。軍隊の民営化、戦争の私有化である。戦地を含む治安維持関連の民間外注が2003年には3512件、2006年には11万5000件にまで増えた。
 現代の新自由主義下においては、戦争の経済的役割が全く違ったものになった。かつては、戦争によって門戸を関放し、その後の平和な時代に経済的に干渉するという手法であったが、いまや、戦争自体が民営化され、市場化されているのである。だから、確実に儲かる。

 クライン女史によると、現にイラクではPMC(プライベート・ミリタリー・カンパニー)が米正規軍13万人に対して40万人を派遣しており、ハリバートン社は2007年には200億ドルの売り上げをあげ、アメリカ資本のみならずイギリスやカナダ資本も戦争ビジネスで潤っているという。カナダのある会社は、プレハブを戦場に売ることで儲け、危険な戦場で働く人のために保険会社が莫大な売り上げをあげているとのことである。

 このように見てきたとおり、新自由主義は、その「リベラル」で柔らかいイメージとは裏腹に、政治的自由とは一切関係なく、それどころか、災害がないならば災害を起こせばよい、ショックを与えて一気に改革を進め、共同体も歴史性も破壊し、市場原理主義というのっぺりとした原則だけで動く世界を構築しようという危険な思想である。

 新自由主義者にとっては、そのような共同体も歴史も存在せず、無機質で根無し草的な、ただ市場原理だけで説明ができる世界というのは、ユートピアに見えているのかもしれない。だが、人間はそのように合理性だけで生きている存在ではない。非合理的感情や共同体意識、歴史性があってこそ人間であり、そうした矛盾も非合理も抱え込んだ人間存在の幸福を図るのが「政道」である。 

 新自由主義という名のカルト的危険思想 

 新自由主義が達成する世界観は、脳に電気刺激を与える人体実験の思想に酷似している。1950年代に、CIAがカナダのモントリオールの精神科医とともに人体実験を行ったことが情報開示によって明らかになった。人間の心を人為的に制御することができるかという実験を行っていたのである。1988年には9人の元患者から提訴され、アメリカ政府は75万ドルの賠償金を支払い、カナダ政府は1人10万ドルの賠償を行った。
 1940年代、ヨーロッパと北アメリカでは脳に電気刺激を与えるという療法が流行した。脳の切除を行うロボトミー手術よりも永久的なダメージが少ないとされたが、このショック療法においては記憶喪失が起こり、幼児に戻るような後退現象が見られた。この後退現象にCIAが目をつけ、1953年には2500万ドルの予算で人体実験を行った。

 これこそが新自由主義のアレゴリーである。記憶を抹消し、まっさらなところに新しい記憶を与えること、これこそが新自由主義の本質であり、危険なのである。

新自由主義は支出を削減し、あらゆる部門を民営化し、意図的に景気後退を生み出す。こうしてショックを与え、さらに新自由主義改革を推し進め、共同体、公共圈を破壊する。そして、歴史性も共同体も失われたところに、市場原理主義を植えつけていく。
 こうした新自由主義十字軍ともいうべきカルト的危険思想に、遅まきながらも、世界はようやく気づきだした。ピノチェトですら、政権後期にはシカゴ学派の言うことを聞かなくなった。民営化した鉱山会社はアメリカ資本の傘下に置かれ、国の収入源は民営化しなかった銅山会社だけになってしまい、国民の45%が貧困層になったからである。現代の中南米は明らかに、新自由主義と決別する方向に動いている。
 
 今こそ新自由主義に抵抗する救国勢力の結束を! 

 こうした一連の新自由主義の動きは、ここまで過激ではないにしろ、着実に日本の中でも起きている。確かに、「9・11」や拷問といったような過激な手段は、未だとられてはいない。しかし、新自由主義に反対する政治家が国策捜査によって政治から追放され、刺客選挙が行われ、郵政民営化をはじめとする、小泉・竹中による新自由主義改革によって我が国経済・社会は着実に後退した。幸い、日本は中間層が厚く、一気に貧困社会となることはなかったが、非正規雇用、ニートといった潜在的失業率はかつてないほど高まっている。中産階級は劣化し、地方と東京都の格差は拡大の一途をたどっている。

 もはや限界は明らかだ。「過ちを改めざるを過ち」と言う。信念の人であれば思い改めることも可能であろうが、カルト相手には、決然と戦いを挑まねばならない。新自由主義は将来の発展のために「今は痛みに耐えよ」と言う。だが、その将来とはいつなのか。その間に、我が国の共同体、同胞意識は次々に破壊されていく。このままでは、もはや回復不能なまでに破壊されるだろう。

 新自由主義に反対の声をあげる者は、旧態依然の「抵抗勢力」と呼ばれる。
 だが、市場が原理主義である必然性などない。公共の学校があっても良いではないか。国営の石油会社が存在して、エネルギーを安定供給することは悪いことなのか。郵便局が国営で何か悪いのか。世の中には自らの責任ならずとも不遇の立場に置かれている人もいる。それらをすべて自己責任であると切って捨てるのが政道なのか。経済的な不平等を解消するために税を徴収し、再配分することは許しがたいことなのか。

 我々は今こそ、新自由主義に対して決然と、「否」、を突きつけるべきである。我々は記憶を抹消され、ロボトミー化されて、市場原理主義しか考えられないような存在となることを望まないからである。新自由主義に対する戦いは、人間らしい生存を回復する戦いである。我々は抵抗しなければならない。

 「抵抗勢力と呼ばば呼べ」。我々は人間性を抑圧する市場原理主義にあくまで抵抗するのである。
 来るべき政界再編は、自民党か民主党かなどというレベルのものであってはならない。それは、新自由主義に抵抗する救国勢力の結束による政界再編でなければならないのだ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

Corrupt Postal Privatization 152

粉飾決算と言わなければ、お化粧直しとでも言うべきことである。

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0907/07/news084.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Corrupt Postal Privatization 151

日本郵政の株主総会の翌日の会合についての新聞記事があったと言うが、当ブログは、現物の紙面をみてはいない。色々なブログなどに、その内容が転載、評論されているので、その内容を紹介すべくリンクを貼ってみることとする。

http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/e256aed292852367d26e6d686d445184

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-4b45.html

http://nippon2006.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-ad2a.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Dr Mahathir on the frost of the world

アジアの哲人政治家、八十四歳である。アルジャージーラの映像である。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

Corrupt Postal Privatization 150

イギリスの郵政事業の民営化は、ブラウン首相が、棚上げを表明した。

ガーディアン紙の報道である。http://www.guardian.co.uk/uk/2009/jul/01/royal-mail-mandelson-part-privatisation

棚上げではなく、もう一切がっさい民営化議論を中止せよとの意見も有力である。

http://dundeesnp.org/?p=910

世界的にも、市場原理主義の民営化、規制緩和、公共政策の削減という三大虚妄の政策の失敗が露呈した。日本では、郵政民家化は、日に日に劣化を続けており、私物化と、国民資産の外国移転が進捗しているが、そうした陰謀を奨める勢力は激しい抵抗を試みているが、まもなく失敗することになる。既に、刑事告発も行われており、諸外国からの透明性の保持の論評もある。つまり、市場自体が、郵政民営化を支持していないのである。ドイツは政策を変更して、郵政総裁を逮捕したことは昨年の出来事であり、その他のヨーロッパ各国でももう郵政民営化の議論は影を全く潜めているのが現状である。

イギリス国民は郵政を民営化してほしくないとの題のついたビデオ映像がある。

Public don't want Royal Mail privatisation
Public don't want Royal Mail privatisation

| | コメント (0) | トラックバック (3)

Market Fundamentalism is Over 2

川勝平太氏の興味深い演説の画像。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Market Fundamentalism is Over

 静岡県知事選挙があり、僅差ではあったが、川勝平太氏が、民主、社民、国民新党の三野党の推薦を受けて、与党の推薦する候補を抑えて当選した。川勝平太氏は、富国有徳の主張を以前から掲げており、海洋国家日本を主張している。また、小渕総理の時代には、首相の主催する懇談会などにも参加しており、いわゆる革新系の人脈には繋がらない人と見るべきであろう。英国のオックスフォード大学において研究をしていたらしく、海外との比較の上で、日本の力の源泉を探求しているようである。

 今回の選挙は、来る衆議院総選挙の前哨戦として注目されていたが、民主が分裂選挙となったことも特徴であった。つまり、市場原理主義に賛成する勢力が、野党の分断を図ったが、それは成功しなかったとも言える。民社国が候補者を一本化していれば、川勝氏は難なく当選して板であろうが、一本化は成功せず、第三極から立候補して、川勝候補の得票を減らす効果、つまり、対立候補の援護射撃の意味合いが極めて強いものであった。新自由主義の政策を推進するために、疑似の第三勢力をつくりだす手法であるが、幸いにして成功しなかった。

 4年前のいわゆる郵政民営化をめぐる刺客選挙においても、民主党の中から郵政民営化に賛成するような声や、市場原理主義の小泉・竹中政治に同調するような動きがあり、政権獲得の呼び声がありながら、怪電子メール事件などもあり、自滅したような格好になった。今回は、幸いにして擬似的な第三極の効果は発揮されなかった。そうすると、今回の選挙は地方選挙ながら、市場原理主義が、日本の地方政治においても退潮を決定的に示すものである。うがった見方をすれば、市場原理主義が退潮に向かう中で、仲間割れを起こす現象が起きているのかも知れない。

 さて、川勝氏の経歴をウィキで見てみよう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%8B%9D%E5%B9%B3%E5%A4%AA#.E5.AF.8C.E5.9B.BD.E6.9C.89.E5.BE.B3

文明の海洋史観について解説した、ネットの記事があった。リンクを貼るので、ご参考まで。http://homepage1.nifty.com/gujyo-economic-res/homepage/kawakatu.htm

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0225.html

http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C478131471/E1787810565/index.html

とりあえず。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Kuroshio Culture and Tradition

当ブログの読者の数人からから、Kuroshio 黒潮文明論についてのお褒めの言葉を頂戴した。市場原理主義の批判ばかりではなく、そんな記事も書けるのかと、皮肉も混じってはいたが、筆者としては、くさされるよりは励みになることである。

飛び飛びに、一ヶ月に二回の割合で、定期的に書いてあるので、リンクも飛び飛びになり、検索するのも面倒であるから、一挙にリンクを公開して、読みやすくすることにした。

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/kuroshio-1.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/kuroshio-2.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/kuroshio-3.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/kuroshio-4.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/kuroshio-5.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/kuroshio-6.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/kuroshio-7.html

⑧ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/kuroshio-8.html

⑨ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/kuroshio-9.html

⑩ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/kuroshio-10.html 

続き物であるから、ネタが尽きるまで書かなければならないが、以上10回までをとりあえず、リストを作ってみた。黒潮の流れに着想を得た、ある種の民族文化論である。学者の検証ではないので、黒潮が洗う列島の岸辺の人々の生活について、過去、現在、未来と想像しながら、自由奔放に書くことが大切と心得ている。読者のご叱正なり、あるいは、黒潮文明に関して、こんなことをテーマにしたらという提案や発見などをご教示いただければ幸いである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Kuroshio 10

吉野金峰山寺本堂は蔵王堂と呼ばれ、現在の建物は太閤秀吉が権勢を誇って「吉野の花見」を催す三年前一五九一年の建立である。蔵王堂の建物自体が偉大な国宝だが、その中に色鮮やかな蔵王権現の立像三体が秘仏として立ち並んでいる。本堂の東壁には万治四年(一六六一)一月に大和下市の商人が奉納した縦二八八センチ横四五五センチもある大きな絵馬が掛かっている。題して「廻船入港図額」という。当時の渡海船の周辺での荷役や艀の様子や船の甲板や船室の構図が分かり、後部の甲板だけで二〇人はゆったり座っているから相当大きな船である。船の艫には、大きな丸の印の旗が掲げられており、後醍醐天皇の官軍の旗を思い出させる。

 近畿地方の山村では、初夏の田植えのころ飛魚(とびうお)を食べる習慣があったそうだが、飛魚は黒潮に乗って瀬戸内海に入り、あるいは熊野の沖にも現れて、例えば瀬戸内海の広島の見島の沖で獲られた魚が渡海船で吉野に運び込まれたものと思う。吉野で、紀伊半島の中心部でもう海は見えないし、海と全く関係ないような山岳のお堂の中で、海との深い結縁を絵馬が語りかけている。平安時代の蔵王権現三尊像は鮮やかであるが、絵馬の方は時代が新しいのに、いずれは古来の白木の一木に朽ちていくのではないかとも思うほどに寂びてきているが、しかも神仏習合の脇に絵馬を献額することは本源的な海の伝統を思いださせるかのようである。蔵王堂の石碑の多くには、岩組という寄進元の名が刻まれているが、講の名前か紀伊半島の海を取り仕切って繁栄した廻船問屋の係累であろう。

 ちなみに、『ヤマト 古代祭祀の謎』(小川光三著、学生社、二〇〇九年)によれば、卑弥呼の陵墓に比定される箸墓、三輪山、室生寺のある室生山などを含め、東の伊勢から淡路島にある伊勢の森まで、東西の一直線上に太陽遺跡が点在して「太陽の道」をなしているとしているが、蔵王堂は紀伊半島の陸塊の太陽の道の中心に位置する。吉野は山間部ながら東へは伊勢の大湊へ抜けることができるし、西は金剛山を越えて河内の住吉や和泉の堺の浦へも容易につながるから、吉野から熊野詣でをするには困難な山道をたどるにせよ、三方の海への結節点でもある。反逆を企てた役行者小角(おづぬ)が、伊勢から伊豆の嶋に流されて伊豆山神社を開山してまた吉野に戻った話や、伊勢国司の北畠親房が筑波嶺の麓で神皇正統記を書いたことにも触れてきたが、月山の修験道など東国との海の往来も垣間見ることができる。役行者は最初海の熊野から入り縦走して吉野に入ったとの伝承があるが、山伏の奥駆け修行も、熊野から吉野への行を順峯(じゅんぷ)、吉野から熊野へ向かうのを逆峯(ぎゃくふ)と名付けて、海からの方向を正としている。

 第四〇代天武天皇の諱は大海人(おほしあま)で、凡海(おほしあま)氏の養育を受けたから即位するまで大海人皇子と呼ばれたのである。壬申の乱で吉野から挙兵したのも海人であることを宣明している。天武天皇は天文台を設置しているほどだから、当然海の潮の満ち干と月の引力の関係についても通暁していたに違いない。航海術には北極星の方向を定めることが必須だが、天武帝が天皇という天の支配者である北極星を意味する尊号を創始していることも意味深い。凡海氏は海部一族の統率者(伴造)で、壬申の乱では主力の軍事力となって、大友皇子の近江朝廷軍を撃破している。

 海部氏はその名前の通り漁業や操船航海術で朝廷に仕えた品部の一つで、現在も愛知県と徳島県に海部郡という郡が残り、佐渡島には海府なる地名が残っている。日本全国に「あま」の音に因む地名が残っているが、わが産土の奄美大島などはその典型であろう。海女も尼も「あま」と訓むが、いずれも女である。南島では「あじゃ」が父親で「あま」は母親である。信濃の安曇氏も海部の一つであるが、わが国最初の本格的都城である藤原京を設営するに当たって天武天皇が信濃の地形に強い関心を寄せたとされるのも、海洋民が内陸部に発展していく過程を見るために執心したものと考えられる。先述の「太陽の道」に擬えて見てみると、常陸の鹿嶋神宮と諏訪の大社、そして出雲大社とは東西一線上に並び、その中心に諏訪大社が位置する。

 海部氏の祖神は天火明命(あめのほあかりのみこと)であるが、夜空に燦めき航路の指針となった星々に由来する名前だろう。丹後の海部氏は丹後国司であり、海部一族の尾張氏も尾張の国司であり、熱田神宮は代々尾張氏から大宮司を迎える。住吉大社も、津守すなわち港を守る海部氏が、代々の宮司家である。宗像大社同様に、丹後の籠(この)神社の奥津宮は舞鶴湾の湾口にある冠島であり、今ではクバの木はいざ知らず、常緑樹林が全島を覆い、オオミズナギドリの繁殖地として天然記念物となっている。日向日南のクバの繁茂する島が、ウミスズメの繁殖地として天然記念物の島となっているのと同様である。

 かつて冠島は凡海嶋(おほしあまのしま)と呼ばれたという。壬申の乱は月と星空を愛で海を力の源泉とした人と陸封ゆえに外来の彩色文明に憧れ権力の源と仰いだ者との騒擾対立であったか。(つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Indecent Interval

 佐藤優氏の裁判の最高裁判決があった。国策捜査の名前のごとく、国策が良い国策であれば格別、市場原理主義の悪策が国策となっているときに逮捕されて、咎められた。中南米では、市場原理主義者が、政府を乗っ取り、反対する人を投獄するばかりではなく、暗殺すら行われたから、この国ではそうした極端には及ばなかったことを喜ぶべきかも知れない。チリやアルゼンチンでの暴虐の暗黒が明らかになりつつある。つい、先日は、ホンジュラスで、そうした市場原理主義者の残党によるクーデターが発生したばかりである。日本の外交を弱体化させ、ロシアとの北方領土交渉を無実化させる勢力すら考えられるような、国策捜査である。そして、それを後生大事に判決をくだす。日本は何という国になったのであろうか。まだ、市場原理主義の残党が政治の世界でも跋扈しているようである。

 しかし、希望を捨ててはならない。この国は、権威と権力とを分離する国である。北畠親房が述べたように、神の国である。権力といえども、正統性がない以上、長続きはすまい。裁判所の中にも、検察の中にも、公平と正義を求める声はキッとあると思うが、組織になれば、上位の権力に反抗することもできない事情にあったことは理解できないことはない。しかし、世界的には、市場原理主義の、こうした国策捜査のごとき政治弾圧の手法は、完全に退潮に向かっている。まもなく、変わる。典型的には、アメリカに登場したオバマ新政権で、ブッシュの市場原理主義時代に行われた適正手続きを無視した司法のあり方についての反省があり、修正が加えられ、関与した権力者の訴追も検討されていると言われる。いずれの国においても、司法は、正義と真実によって支配されることが必要であるし、法治国家にふさわしいものである。

 現在、無実を主張しながら、収監されている元参議院議長の村上正邦先生が、吉野熊野の玉置神社を訪ねたおりに読んだ歌がある。玉置宮 山霧深く 神宿る とある。霧は今なお深いが、その霧のなかにも神が宿っていると。まもなく霧は晴れる。

 佐藤優氏は、日本の戦後の有数の思想家として発展する人と思う。今後の活躍を祈り、さらなる精進を期待するばかりである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Corrupt Postal Privatization 149

ジャーナリストの町田徹氏が、郵政関係の専門紙、通信文化新報に掲載した記事である。ミニコミであるから、紹介される範囲が少ないことを勘案して写しを掲載した。pdfのファイルになっているので、ご注意ください。強引さと詭弁の論理であることを明快に論破している。

「090701.pdf」をダウンロード

ご参考まで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«Corrupt Postal Privatization 148