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Fair Trade

スティグリッツ教授の最新刊、フェアトレードの邦訳が出版された。もともとのタイトルは、Fair Trade for All( すべての者に対する公正な貿易)である。世界貿易機関、WTOの最初の多角的貿易交渉である、ドーハラウンド派2006年七月に中断されたままになっている。ドーハラウンドが中座した中で、各国は、自由貿易協定を結ぶようになっているが、世界貿易が分断される恐れがあると、本書は指摘しているが、自由貿易が、却って、世界の経済格差を強化したように見えるのは皮肉な現象である。強い国はますます強くなり、弱い経済や小国の開発途上国は、一方的な押し付けが先進国側からあり、貿易の条件としてそれを飲まされる。却って不安定化した世界の中で新しい枠組みを提案しようとする。
スティグリッツ教授は、市場は完全ではなく、特に情報については非対称性があり、つまり、ある人は知っていてもその他の人は知らないとか、開示された情報といえども完全ではなく隠された情報がある場合には、最適な経済的な判断や決定が行われない。従って
絶えず、政府の介入が必要であるとするものである。いわゆる市場原理主義の欠点を
補完して、世界的に頓挫した、公正な貿易の最高を図るべきだと主張する啓蒙書である。
自由化が進んだ国ほど、あるいは貿易量の多い国ほど、成長率が高くなるなどとは、全く証明がされていない仮設であると談じる。中南米の失われた十年の原因が貿易政策ではなく、開放的な資本市場政策であったのではないかとも示唆する。東アジアでは資本の流入を制限したが、中南米では、外国資本と直接投資に依存したために、却って脆弱になっていたとも言う。第十章では、アジェンダに載せるべきではないものと、興味深いあるいは皮肉な小見出しをつけて、知的財産権、競争政策、投資協定、為替操作、などをあげている。
 さて、日本は、わが国はどのような対処を行ってきたのであろうか。スティグリッツの本のような、グローバリゼーションのマイナス点についても見当を行ったうえで、世界に冠たる貿易国家としての責任ある主張を行ってきただろうか。あるいは、タダ、タダ、アメリカに追従して国富を消化し、あるいは、開発途上国に対して押し付けを行っている面があるのではないか。さて、資本の自由化が本当に日本でも成長を引き上げたかと言うとそうでもなく、今では、ハゲタカの自由な活動と同義語にしかなっていない。政府の介入は、規制緩和の大合唱の中で、地方切捨てや、弱者の切捨てとなって、日本の国内に、開発途上国のような、内なる格差が生じてしまった。競争、競争と喧伝されているが、実は本書によれば、競争政策も不完全であれば、逆の結果を招きかねない。例えば、郵政民営化なども、成功するのは競争的な環境がある場合に限られるが、日本の場合には、大銀行などがとても競争的な環境になるとは言い難いところから、失敗する可能性が高いのではないかと推量できる。国内の中小企業などに優遇処置を与えることも、多国籍企業が差別されるとしても正当化されるべきであるとも述べている。ネオコンや、新自由主義の経済学に、淡々と実証的に批判を進める。世界のグローバリズムの欠陥を指摘して、公正な世界を目指そうとする、西欧文明の良心の部分としての良書である。市場原理主義といわゆるグローバリズムは世界の半分以上の世界では、機能しないで行き詰っているのである。貿易国家として世界の登場した日本は、このような大戦略を掲げて行政を行ったわけであるが、その影響力は急速に低下しつつあるが、むしろ唯一のアジアの独立を維持した国として、共生の考え方に転換するために必読書となることが期待される。日本は、一部のたいこくのように、世界を窮乏化させる、不公正な世界にする側に加担してはならない。

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