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2007年4月

Principles of Japan Meij

原田泰著「日本国の原則」の本の紹介を続ける。第一章は明治の成功について語る。課官僚的統制が日本の発展をもたらしたことはないと著者は言い切る。「明治の日本は自由主義国家であり、戦後もそうである。戦争遂行の手目に採用された戦時統制経済は、民間の生産消費を混乱させただけでなく、軍事生産ですら、うまく増強できなかった」としんらつである。マルクス主義による労農派も、講座派も、果ては、ノーマンから安部グレンまで、国の関与があって日本は経済発展に成功したと言う見方を神話としている。スローガンを政府が言っていただけで、富岡製糸工場の例を出して、民間払い下げがあっ手から工業化が進展したと言う。江戸時代の特徴を描いて、それが明治の発展につながったとも言う。江戸時代の封建制度の特徴を西欧と比べて、領主の土地との結びつきが弱かったことをあげている。徳川時代に、無能なエリートが生まれて、下々の事情を知らずに税率を低下させてしまったことで、庶民が平和を教授したとの分析も見せる。上杉鷹山公の改革についても、概観する。説教では人間は動かないと言うリアリズムを実践したとする。職業選択の自由と、土地所有権制度、そして開国と貿易の自由化が、明治政府の行ったこととまとめる。鉱山ではなく絹が貿易の対象であったことが幸運であったとする見方は、面白い。養蚕は労働によって始めて可能になるが、石油屋鉱山であれば、永続的な富にはならないから、暴力と結びつく、その地帯を奪えば富を自分のものにできると言う発想がうまれるとしている。資源のない日本は、独立を果たしたアフリカ諸国のように、資源争奪戦争に巻き込まれなかったのは幸運であったとする。

第二章は、戦前、戦中の統制経済の失敗について述べている。(続く)

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Principles of Japan Introduction

序章を、自由と民主主義の生成とタイトルをつけている。日本の成功について、政府の介入があったから成功したと言う説を俗説で根拠がないとしている。そうではなく、日本には、もともと自由の国であり、自由があるから成功したと言う。官主導の国家でもなかったと言う。軍と言う官の主導は、日本を誤らせ、貧しくしたのみならず、産業育成にも失敗したと断じる。第一次世界大戦とその復興期に一儲けした日本が、20年代末から、行き詰ったとして、その回答に誤り、本来の日本を作ろうとした運動が国家を征服して、誤った道に進めてしまったとする。

田口卯吉の言の引用は面白い。「中国との付き合いが京を華美にする風潮を生んだ。まだであった。朝廷を唐風に飾り立てた。八省を置き、13階の官位を定めても、不似合いな政府をつくっただけで、これが、武士による鎌倉幕府の勃興を招いた。

「明治維新の指導者は経済発展の要諦は、人民の自主の精神と実用の学問の不急だと認識している。」

「自由とは、決められていないことをすること。自ら運命を開拓する。政府は自由を求める人々によって運営されることと、政府が自由の権利、すなわち生命と財産の所有権を侵してはならないと言う二つの条件が必要となる。」

「吉野作造は、政治はなぜ国民の仕事になったのかと言う問いに答えて、国民の政治参加は天下の大同と言う感覚を、明治政府は持っていて、政道を解放した。封建主義とは、特定の人のものであり、庶民は政治に関与しないと言う考え方である。吉野は、「万機公論に決す」を明治の精神としている。日本の伝統が、西欧から輸入した代議制の制度を、わずかな距離で達成した。権威と富の分権体制が明治大正には大切にされたが、昭和になり、国民総動員のほうが力を得て、過ちをもたらした。」

「日本は、第一次大戦を本格的に戦わなかったが、日露戦争で、総力戦であることを認識した。」「デモクラシーも国民動員の手段として認識された。」

「日露戦争の勝利の後で、日本が期待した中国の分裂は合理的に期待されることではなく、36年の国共合作の成立後は、恨みが深くなればなるほど、中国は団結した。1937年までには、中国の武器も改善されたと言う。無限の野心に突き動かされる民主政治は敗れる。」

「日清戦争は、利得をもたらし、日露戦争ではもう、弾薬兵も尽きていた。民衆は弱腰だと怒ったが、とるもののない状況で講和をせざるを得なかった。」

「昭和恐慌からの脱出は、満州事変のおかげだと誤認された。」

「第一次大戦で日本の産業が漁夫の利を得たように、第二次大戦でもヨーロッパの対戦で漁夫の利を占めて、対米戦争をしないと言う選択肢もあったのだ」「満州の利権を列強と分け合う策もあった」北一輝の日米合同大使財団の定義を紹介している。それではなぜ、そうならなかったのか、軍人の得るものが無かったからとして、軍人のインセンティブの仕組みについて解説する。

「明治初期の公卿華族は142家、大名華族は285家であるから、105の軍功華族は、かなりの数の軍人が華族になった」

「生きて帰れば男爵夫人、死ねば浮気な後家となれ」「当時の戦争指導者が、周囲に流されてやむなく戦争に突入したと言い張るには無理がある」「軍の一部が議会指導者を殺害したことを通じて権力を掌握したのである」

「満州の利益とは何だったのだろうか。必要とする石油も、米もほとんど取れなかった。石原莞爾も、満蒙は我が人口問題解決地に適せず、資源まただいにほんのてみには充分ならざると認めている」

「戦後、日本の外交利権と言われているものが、日本側の援助に伴う利権であり、相手国から得た利権ではない。中央政府の役人が地方に補助金を配ることで、地方における自らのポストを維持しているのと似ている。」

「昭和恐慌からの脱却も高橋是清の金本位制からの離脱と、金融緩和の政策によるものであるが、民衆は、満州事変が好況をもたらしたと誤解した」

「井上準之助の政策は、金本位制というデフレ政策で、コスト高の企業は生産され、経済全体が効率化され、一時は不況になるにしてもやがて景気は回復すると言うものであるが、その政策が戦争こそが人生を成功させると言う感覚をもたらした。満州事変がもたらした好況は、日本人の税金を満州で使ったがゆえに好況になると言うものである。」何か小泉竹中路線を思い出させる。

「日本は、ポリスを危機に追いやっても己の栄誉を求める野心家と、それに喝采する民衆の国となった」

「日本はそこに人間の文化がうまれ、幸福をもたらすという社会を平安初期からつくりはじめ江戸時代には封建農業社会としてそれなりの成果を挙げた。明治以降は自由と民主主義を拡大する道を成功裏にたどっていたのではないか。それをなんとしてでも守るというほうが、日本の伝統を守ると言うことではないか。」

序章では、ギリシアのアテネや、スパルタの話、あるいは、オスマントルコの例を出して、明治大正昭和を語る。「」の部分の引用は完全な形ではなく要約しているので、本書をニュウして読破されることを勧める。

第一章では、明治の成功物語である。

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Principles of Japan

原田泰氏が、日本国の原則ー自由と民主主義を問い直すと言う単行本を、出版した。原田氏は、この国日本の気鋭のエコノミストである。従来から、デフレ脱却論を展開して、政策的には顧みられることが無かったが、実証的なデータに基づいた、経済学の理屈を展開してきた。日本の失われた十年と言うタイトルの単行本を平成11年に出版しているが、タイトルは一人歩きして一世を風靡したが、肝心のデフレ克服論は、マスコミにも政策にも反映されなかった。その後は、構造改革論とか、何かわけのわからない理論が逆立ちして日本を覆いつくした。筆者は絶えず根拠を求める。いわゆる通説や俗論は信用しない。

論点を、批判的に、あるいは、と言うより、原田氏の論拠に引き込まれていくのであるが、興味深い論点を見て、コメントを加えたいと思う。

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Echo-chamber Message

お風呂の中で歌を歌うと、声が壁に反響して、調子に乗る。自分の声の質が変わって、上手に聞こえる。そんなことで、反響のある部屋が、エコーチャンバーだから、エコーチャンバー・メッセージと言えば、政治宣伝業界の専門用語で、目的を強調するときに繰り返し繰り返し使う言葉である。最近の日本で言えば根拠がないにもかかわらず使われた、構造改革などと言う言葉である。日本の政治家にも、巧みな人が出てきている。特に内容がないときに、繰り返し繰り返し、ある特定のプラスイメージの言葉を使うと、内容があるように聞こえるから、政党の会合などで、頻発するのが得意な政治家が増えたという。大平総理の時代のように、言葉が出ないで、アーウーと煙幕を張った時代が懐かしまれる。まだ、良心的であった。英語になるともっともらしいが、風呂場の鼻歌のことでもある。

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Sound of Silence

閑話休題。東京の電車の中では、外国人が日本人と、日本語だけではなく会話をしている光景は、珍しくない。最近も、見目麗しい女性と、外国人男性が、楽しそうに会話をしていた。よく聞き取れない言葉であったが、だんだんとフランス語であることが分かった。話が、だんだんと西洋礼賛、自虐史観見たような話になったので、電車老人が、ちゃちゃをいれた。男女の会話であれば、日本語で話したり、フランス語で話したり、いろいろきゃっちぼーるの様な話をすればもっと楽しめるのにと、話しかけてみた。そのフランス人と思しく若い男性は、その意味合いをすぐ受け止めて、すみませんと言って、電車を降りた。アメリカ兵あたりだったら、殴り倒されていたかもしれないが。

英語の世界で他の言語がどうなっているかは知らないが、腹式呼吸の言語である。日本語の場合は、腹式までには行かずに、口のまわりか、せいぜいのど仏のあたりの筋肉を使って発声している。声がどちらかと言うと小さい。電車の中で、怒鳴りあいのような大声で話をしているのは、西洋人である。隣の人が、やかましいなどと感じていると思っても見ない。発声法が違うようである。ハーバード大学の日本語の教科書には、川端康成の{山の音」が使われていた。(余談だが先日の北陸の地震の時には、山の音が聞こえたようである。ついでに思い出したが、ヘルマンヘッセのペルーの地震と言う短編があるが、世の中の変化のときにも、音が聞こえるようである。)秋の虫の音などは、聞こえないようで、雑音になると言う。日本人は、rとLとの区別が聞こえず、米(こめ)を、しらみと、英語の場合、発音したりするが悪気は無く、長い時間の中で耳が聞き分けられないのであるから、発声もできないだけだ。肉食の民族は大腸が短くなっているのと一緒の話であろう。 一説によれば、狩猟民族の場合は、ヨーデルのように、遠くまで声を届けなければならないので、腹式呼吸が発達したとの説もある。証明はないが。呼吸法で、言語を分析した本があれば、読んでみたいものである。もちろん、津軽の民謡と沖縄の民謡とがどう違うのか、方言の細かいさなども、呼吸法からどう違うか知りたいものである。羊の発声方法などと言うと、牛がどうだ、馬はどうだとの話できりがないので、現代日本人の発声方法の変化(もしあれば、)興味深いところである。歯ごたえのない食べ物が多くなったので、あごが弱くなり、細面の顔が多くなったとする説もある。だから、どすの効いた声なども少なくなっているかもしれない。2代目、三代目の政治家の顔相を分析すれば、演説の声とあわせて分析ができるかもしれない。

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Showa 3

軽井沢には東京から、新幹線であっという間の距離になっている。まだ碓氷峠をアプト式の列車で越えて、峠の釜飯を食っての時代で、堀辰雄のロマンチックな小説のカラマツの林を風が吹き抜けていた時代に聞いた話だ。浅間山の山麓に大日向と言うところがあり、もうそのころには高原野菜の大産地になっていたが、満蒙開拓団の引き上げで入植したところだ。戦後は、土地に穴を掘って、寒さをしのいだと言う。満蒙開拓団の話なども、昭和の日に取り上げるべき話だろう。大慶油田と言う油田が、旧満州で戦後見つかっている。日本は南進をして、英米と戦う羽目になったが、この大慶油田は、満州国の時代には、発見されていない。もしかしたら、石油の存在を予想していた向きもあるかもしれないが、技術が無かったのだろう。アメリカの掘削技術を使ってでも、掘り当てれば、パレンバンの降下作戦も不必要になっていたかもしれない。満州国は、バチカンや、バルト三国が承認している。第一次大戦後に、独立したバルトの国々(また、第二次大戦で、独立を失い、ソ連崩壊後にまたよみがえっているが)雅、なぜ、承認したのかなどを、よく考える必要がある。人間の条件の本や、満鉄のことなど、また当時の軍部の統治のことなどをよく分析評価しておかなければ、同じ失敗を二度繰り返す羽目になりかねない。まあ、そもそも、日本は海洋民族が多いから、大陸に出てうまくいった歴史がないというのが本当のところかもしれない。これは、昭和の日の夢物語になると思うが、もしかしたら、北海道や、本州南岸や、新潟のあたりに、石油や天然ガスの大地層がないものだろうか。掘削する技術がないのであれば世界に投資を求める。大慶油田の二の舞になってはいけないからである。しかし、沖縄は後で帰ってきたが、戦争に負けて、いわゆる外地からも日本人は故地に帰った。貧しい日本人が外国に渡ったのである。柳田國男は、遠野物語のはじめに、外国にある人々のためにと、書いてある。柳田の場合には、外国にいる俊秀の者に対して、日本のどうしようもない貧しさをといたのかもしれないが、それでも、日本の貧しさが克服されたのは、東京オリンピックの後のことである。

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Be prepared

沖縄の参議院補欠選挙があった。どちらの候補の方を持つわけでもないから、そのコメントは避けるにしても、投票率が47パーセントであるのは、沖縄のアパシー状態を物語るのに十分であった。政治に関心のもてない国民には、独裁者の出現が容易になることは、もう、十分歴史が証明している。与野党の差は、大体3万票のようだ