構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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2007年4月

Principles of Japan Meij

原田泰著「日本国の原則」の本の紹介を続ける。第一章は明治の成功について語る。課官僚的統制が日本の発展をもたらしたことはないと著者は言い切る。「明治の日本は自由主義国家であり、戦後もそうである。戦争遂行の手目に採用された戦時統制経済は、民間の生産消費を混乱させただけでなく、軍事生産ですら、うまく増強できなかった」としんらつである。マルクス主義による労農派も、講座派も、果ては、ノーマンから安部グレンまで、国の関与があって日本は経済発展に成功したと言う見方を神話としている。スローガンを政府が言っていただけで、富岡製糸工場の例を出して、民間払い下げがあっ手から工業化が進展したと言う。江戸時代の特徴を描いて、それが明治の発展につながったとも言う。江戸時代の封建制度の特徴を西欧と比べて、領主の土地との結びつきが弱かったことをあげている。徳川時代に、無能なエリートが生まれて、下々の事情を知らずに税率を低下させてしまったことで、庶民が平和を教授したとの分析も見せる。上杉鷹山公の改革についても、概観する。説教では人間は動かないと言うリアリズムを実践したとする。職業選択の自由と、土地所有権制度、そして開国と貿易の自由化が、明治政府の行ったこととまとめる。鉱山ではなく絹が貿易の対象であったことが幸運であったとする見方は、面白い。養蚕は労働によって始めて可能になるが、石油屋鉱山であれば、永続的な富にはならないから、暴力と結びつく、その地帯を奪えば富を自分のものにできると言う発想がうまれるとしている。資源のない日本は、独立を果たしたアフリカ諸国のように、資源争奪戦争に巻き込まれなかったのは幸運であったとする。

第二章は、戦前、戦中の統制経済の失敗について述べている。(続く)

Principles of Japan Introduction

序章を、自由と民主主義の生成とタイトルをつけている。日本の成功について、政府の介入があったから成功したと言う説を俗説で根拠がないとしている。そうではなく、日本には、もともと自由の国であり、自由があるから成功したと言う。官主導の国家でもなかったと言う。軍と言う官の主導は、日本を誤らせ、貧しくしたのみならず、産業育成にも失敗したと断じる。第一次世界大戦とその復興期に一儲けした日本が、20年代末から、行き詰ったとして、その回答に誤り、本来の日本を作ろうとした運動が国家を征服して、誤った道に進めてしまったとする。

田口卯吉の言の引用は面白い。「中国との付き合いが京を華美にする風潮を生んだ。まだであった。朝廷を唐風に飾り立てた。八省を置き、13階の官位を定めても、不似合いな政府をつくっただけで、これが、武士による鎌倉幕府の勃興を招いた。

「明治維新の指導者は経済発展の要諦は、人民の自主の精神と実用の学問の不急だと認識している。」

「自由とは、決められていないことをすること。自ら運命を開拓する。政府は自由を求める人々によって運営されることと、政府が自由の権利、すなわち生命と財産の所有権を侵してはならないと言う二つの条件が必要となる。」

「吉野作造は、政治はなぜ国民の仕事になったのかと言う問いに答えて、国民の政治参加は天下の大同と言う感覚を、明治政府は持っていて、政道を解放した。封建主義とは、特定の人のものであり、庶民は政治に関与しないと言う考え方である。吉野は、「万機公論に決す」を明治の精神としている。日本の伝統が、西欧から輸入した代議制の制度を、わずかな距離で達成した。権威と富の分権体制が明治大正には大切にされたが、昭和になり、国民総動員のほうが力を得て、過ちをもたらした。」

「日本は、第一次大戦を本格的に戦わなかったが、日露戦争で、総力戦であることを認識した。」「デモクラシーも国民動員の手段として認識された。」

「日露戦争の勝利の後で、日本が期待した中国の分裂は合理的に期待されることではなく、36年の国共合作の成立後は、恨みが深くなればなるほど、中国は団結した。1937年までには、中国の武器も改善されたと言う。無限の野心に突き動かされる民主政治は敗れる。」

「日清戦争は、利得をもたらし、日露戦争ではもう、弾薬兵も尽きていた。民衆は弱腰だと怒ったが、とるもののない状況で講和をせざるを得なかった。」

「昭和恐慌からの脱出は、満州事変のおかげだと誤認された。」

「第一次大戦で日本の産業が漁夫の利を得たように、第二次大戦でもヨーロッパの対戦で漁夫の利を占めて、対米戦争をしないと言う選択肢もあったのだ」「満州の利権を列強と分け合う策もあった」北一輝の日米合同大使財団の定義を紹介している。それではなぜ、そうならなかったのか、軍人の得るものが無かったからとして、軍人のインセンティブの仕組みについて解説する。

「明治初期の公卿華族は142家、大名華族は285家であるから、105の軍功華族は、かなりの数の軍人が華族になった」

「生きて帰れば男爵夫人、死ねば浮気な後家となれ」「当時の戦争指導者が、周囲に流されてやむなく戦争に突入したと言い張るには無理がある」「軍の一部が議会指導者を殺害したことを通じて権力を掌握したのである」

「満州の利益とは何だったのだろうか。必要とする石油も、米もほとんど取れなかった。石原莞爾も、満蒙は我が人口問題解決地に適せず、資源まただいにほんのてみには充分ならざると認めている」

「戦後、日本の外交利権と言われているものが、日本側の援助に伴う利権であり、相手国から得た利権ではない。中央政府の役人が地方に補助金を配ることで、地方における自らのポストを維持しているのと似ている。」

「昭和恐慌からの脱却も高橋是清の金本位制からの離脱と、金融緩和の政策によるものであるが、民衆は、満州事変が好況をもたらしたと誤解した」

「井上準之助の政策は、金本位制というデフレ政策で、コスト高の企業は生産され、経済全体が効率化され、一時は不況になるにしてもやがて景気は回復すると言うものであるが、その政策が戦争こそが人生を成功させると言う感覚をもたらした。満州事変がもたらした好況は、日本人の税金を満州で使ったがゆえに好況になると言うものである。」何か小泉竹中路線を思い出させる。

「日本は、ポリスを危機に追いやっても己の栄誉を求める野心家と、それに喝采する民衆の国となった」

「日本はそこに人間の文化がうまれ、幸福をもたらすという社会を平安初期からつくりはじめ江戸時代には封建農業社会としてそれなりの成果を挙げた。明治以降は自由と民主主義を拡大する道を成功裏にたどっていたのではないか。それをなんとしてでも守るというほうが、日本の伝統を守ると言うことではないか。」

序章では、ギリシアのアテネや、スパルタの話、あるいは、オスマントルコの例を出して、明治大正昭和を語る。「」の部分の引用は完全な形ではなく要約しているので、本書をニュウして読破されることを勧める。

第一章では、明治の成功物語である。

Principles of Japan

原田泰氏が、日本国の原則ー自由と民主主義を問い直すと言う単行本を、出版した。原田氏は、この国日本の気鋭のエコノミストである。従来から、デフレ脱却論を展開して、政策的には顧みられることが無かったが、実証的なデータに基づいた、経済学の理屈を展開してきた。日本の失われた十年と言うタイトルの単行本を平成11年に出版しているが、タイトルは一人歩きして一世を風靡したが、肝心のデフレ克服論は、マスコミにも政策にも反映されなかった。その後は、構造改革論とか、何かわけのわからない理論が逆立ちして日本を覆いつくした。筆者は絶えず根拠を求める。いわゆる通説や俗論は信用しない。

論点を、批判的に、あるいは、と言うより、原田氏の論拠に引き込まれていくのであるが、興味深い論点を見て、コメントを加えたいと思う。

Echo-chamber Message

お風呂の中で歌を歌うと、声が壁に反響して、調子に乗る。自分の声の質が変わって、上手に聞こえる。そんなことで、反響のある部屋が、エコーチャンバーだから、エコーチャンバー・メッセージと言えば、政治宣伝業界の専門用語で、目的を強調するときに繰り返し繰り返し使う言葉である。最近の日本で言えば根拠がないにもかかわらず使われた、構造改革などと言う言葉である。日本の政治家にも、巧みな人が出てきている。特に内容がないときに、繰り返し繰り返し、ある特定のプラスイメージの言葉を使うと、内容があるように聞こえるから、政党の会合などで、頻発するのが得意な政治家が増えたという。大平総理の時代のように、言葉が出ないで、アーウーと煙幕を張った時代が懐かしまれる。まだ、良心的であった。英語になるともっともらしいが、風呂場の鼻歌のことでもある。

Sound of Silence

閑話休題。東京の電車の中では、外国人が日本人と、日本語だけではなく会話をしている光景は、珍しくない。最近も、見目麗しい女性と、外国人男性が、楽しそうに会話をしていた。よく聞き取れない言葉であったが、だんだんとフランス語であることが分かった。話が、だんだんと西洋礼賛、自虐史観見たような話になったので、電車老人が、ちゃちゃをいれた。男女の会話であれば、日本語で話したり、フランス語で話したり、いろいろきゃっちぼーるの様な話をすればもっと楽しめるのにと、話しかけてみた。そのフランス人と思しく若い男性は、その意味合いをすぐ受け止めて、すみませんと言って、電車を降りた。アメリカ兵あたりだったら、殴り倒されていたかもしれないが。

英語の世界で他の言語がどうなっているかは知らないが、腹式呼吸の言語である。日本語の場合は、腹式までには行かずに、口のまわりか、せいぜいのど仏のあたりの筋肉を使って発声している。声がどちらかと言うと小さい。電車の中で、怒鳴りあいのような大声で話をしているのは、西洋人である。隣の人が、やかましいなどと感じていると思っても見ない。発声法が違うようである。ハーバード大学の日本語の教科書には、川端康成の{山の音」が使われていた。(余談だが先日の北陸の地震の時には、山の音が聞こえたようである。ついでに思い出したが、ヘルマンヘッセのペルーの地震と言う短編があるが、世の中の変化のときにも、音が聞こえるようである。)秋の虫の音などは、聞こえないようで、雑音になると言う。日本人は、rとLとの区別が聞こえず、米(こめ)を、しらみと、英語の場合、発音したりするが悪気は無く、長い時間の中で耳が聞き分けられないのであるから、発声もできないだけだ。肉食の民族は大腸が短くなっているのと一緒の話であろう。 一説によれば、狩猟民族の場合は、ヨーデルのように、遠くまで声を届けなければならないので、腹式呼吸が発達したとの説もある。証明はないが。呼吸法で、言語を分析した本があれば、読んでみたいものである。もちろん、津軽の民謡と沖縄の民謡とがどう違うのか、方言の細かいさなども、呼吸法からどう違うか知りたいものである。羊の発声方法などと言うと、牛がどうだ、馬はどうだとの話できりがないので、現代日本人の発声方法の変化(もしあれば、)興味深いところである。歯ごたえのない食べ物が多くなったので、あごが弱くなり、細面の顔が多くなったとする説もある。だから、どすの効いた声なども少なくなっているかもしれない。2代目、三代目の政治家の顔相を分析すれば、演説の声とあわせて分析ができるかもしれない。

Showa 3

軽井沢には東京から、新幹線であっという間の距離になっている。まだ碓氷峠をアプト式の列車で越えて、峠の釜飯を食っての時代で、堀辰雄のロマンチックな小説のカラマツの林を風が吹き抜けていた時代に聞いた話だ。浅間山の山麓に大日向と言うところがあり、もうそのころには高原野菜の大産地になっていたが、満蒙開拓団の引き上げで入植したところだ。戦後は、土地に穴を掘って、寒さをしのいだと言う。満蒙開拓団の話なども、昭和の日に取り上げるべき話だろう。大慶油田と言う油田が、旧満州で戦後見つかっている。日本は南進をして、英米と戦う羽目になったが、この大慶油田は、満州国の時代には、発見されていない。もしかしたら、石油の存在を予想していた向きもあるかもしれないが、技術が無かったのだろう。アメリカの掘削技術を使ってでも、掘り当てれば、パレンバンの降下作戦も不必要になっていたかもしれない。満州国は、バチカンや、バルト三国が承認している。第一次大戦後に、独立したバルトの国々(また、第二次大戦で、独立を失い、ソ連崩壊後にまたよみがえっているが)雅、なぜ、承認したのかなどを、よく考える必要がある。人間の条件の本や、満鉄のことなど、また当時の軍部の統治のことなどをよく分析評価しておかなければ、同じ失敗を二度繰り返す羽目になりかねない。まあ、そもそも、日本は海洋民族が多いから、大陸に出てうまくいった歴史がないというのが本当のところかもしれない。これは、昭和の日の夢物語になると思うが、もしかしたら、北海道や、本州南岸や、新潟のあたりに、石油や天然ガスの大地層がないものだろうか。掘削する技術がないのであれば世界に投資を求める。大慶油田の二の舞になってはいけないからである。しかし、沖縄は後で帰ってきたが、戦争に負けて、いわゆる外地からも日本人は故地に帰った。貧しい日本人が外国に渡ったのである。柳田國男は、遠野物語のはじめに、外国にある人々のためにと、書いてある。柳田の場合には、外国にいる俊秀の者に対して、日本のどうしようもない貧しさをといたのかもしれないが、それでも、日本の貧しさが克服されたのは、東京オリンピックの後のことである。

Be prepared

沖縄の参議院補欠選挙があった。どちらの候補の方を持つわけでもないから、そのコメントは避けるにしても、投票率が47パーセントであるのは、沖縄のアパシー状態を物語るのに十分であった。政治に関心のもてない国民には、独裁者の出現が容易になることは、もう、十分歴史が証明している。与野党の差は、大体3万票のようだ。イチャリバ・チョーデーで、琉球人でなくても沖縄が国会議員に選出したのは、面白い。小さな島などの票の分析も必要かもしれない。対抗馬は、宮古島の土地の名前が正になっている人とお見受けした。

連休である。総理の外遊に始まり、連休中は多くの国会議員が海外視察に出かける。慰安婦の問題についてのワシントン出張は、取りやめたようだが、そういうときにこそ、出かけて、首都のプレスクラブあたりで、大演説をぶてる政治家がいないのは本当にまずい。椎名素夫先生が、先月他界されたが、本当に議員外交をやっている人が見当たらない。やっていると言っても、相手の言いなりとか、代理人みたいなやり方は、外交にはならない。日本の国民の意見を外国で代弁できる国会議員のことである。農林大臣がスイスに行くという。耳を疑ったが、農産物問題であればいいが。

さて、連休の間に、国内を駆け巡っている政治家は、よい政治家である。地方選挙は、参議院選挙の前哨戦であったが、参議院での野党勢力の伸張が、勝利する見通しが強まったいる。るる説明しないが、民主党の15議席は大きい。それから、国民新党の動きも注目されている。三人程度の当選があれば、キャスティングボートを、握る可能性がある。綿貫党首は、衆議院議長を務めており、郵政解散と、刺客選挙を、批判しており、亀井静香氏は、ついこの前まで自民党の総裁候補であったのだから、党員数も、20万を超え手、なお伸張している。その背景には、中央と地方との対立の問題である。知事選挙は東京都知事選挙にスポットライトが当たったが、議員の選挙は、野党が大きく伸びている。それから、全国的な分析はしていないが、無投票の当選区が多かったことである。参議院選挙であるから、政権の交代はない。しかし、政界再編の引き金を引く要素もある。統一的に動けない民主党、市場原理主義に大きく舵を切った自民党と、一長一短の情勢が大きく動く可能性が、参議院選挙である。関心のある国会議員は、もう外国視察に出る余裕がないから、全国を飛び回っている。いい傾向である。

そろそろ、政権綱領案でも、出したほうがいいのかもしれない。連立政権構想でもよい。野党は今までは政権をとる気が無かったから、あるいはその逆かもしれないが、政権綱領もなかったが、そろそろ、本格的に、政策を議論すべきときであろう。さすがのマスコミも今回は、衆議院選挙のときのように、広告会社漬けにはならないだろうし、本家のアメリカでももう流れは代わったと見るべきだからである。日本を夜郎自大から取り戻す策を準備する時期に入ったと思う。

Comedian

宮崎の東国原知事の話を聞いたことがあるが、なんとも政治家としては太鼓判を押したくなった応答振りであった。例えば、慰安婦の問題にしても、言葉を慎重に選び、挙句は、個人的な意見だと県民や日本国民に迷惑をかけないという遠慮深さを示しながら、事実を究明すべきだと述べた。今回、安部総理が、ただ謝っただけの話ではなかった。宮崎の観光について聞かれたときも、歴史や伝統に思いをはせる観光産業にしたいとも言った。宮崎県庁の職員から花束を贈られるときの週刊誌写真の色目使いは相当のものであるが、コメディアンであるだけに、人の悲しい部分に対する理解は深いのかもしれない。その県知事が都知事を批判したことで話題になっている。都鄙雅俗を鮮明にして、誰が本当は粗野であるのか、議論を展開してほしいものだ。そのまんま東氏は、圧倒的な支持を県民から受けているようであるが、やはり、そのしがらみの無さ、自由さを県民は支持しているのではなかろうか。宮崎は、シーガイアと言う、グローバリゼーションが、破壊をもたらしたことを知っている県民でもある。

Showa 2

民主主義は、一人一人の国民の力を解放することができれば、大きな力を発揮する。経済発展にも力を出すし、しかし、昭和の時代に見られたように、戦争にも使われる。昭和の恐慌があり、満州事変後の日本は、坂道を転げ落ちた。大陸に野望をもち、経済的にも成功しなかった。軍人が闊歩する社会で、新聞はそれを喝采した。劇場型の政治といわれるが、それは、大正デモクラシーの後に、徐徐に現出していた。夜郎自大の風潮であった。敗戦は、また日本を変えた。国民は、また経済的成功に精を出すようになった。戦争に直接参加する機会もあったが、国民はこれを回避した。アメリカが自由の国として、登場していたこともあり、その同盟関係は、冷戦の中で、効果を発揮した。事実、理想の共産主義国は、まったくの独裁不平等の国々と化していたのが実態で、それに組み込まれなかったのは、僥倖であった。さて、また時代は変わりつつある。戦争がカネになる、あるいは、資源争奪となるとの風潮で、日本の美しい伝統や文化を破壊してでも、効率的な国にするなどとの構造改革論が礼賛されている。自由の国も、表現の自由のランキングでは13位に低下している。アメリカはもう理想主義の国でもない。民主主義の政府は、国民の権利と自由とを守ることで、特定の教条を煽り立てることではないが、選挙でもまた、翼賛会のようでチルドレンを、(ユーゲントと言うのと同じだが)排出する政治となりつつある。昭和の日は、温故知新、過去を振り返り、未来に処する日である。未来を今生きるなどというと、美しい表現になる。民営化の掛け声や、規制緩和の大合唱、構造改革の名の下に、実は、統制経済、一部官僚の支配が復活したのが、この数年の現象ではなかろうか。マスコミの政府批判も聞かれない。投票率も下がっている。しかし、それでも、自らを問い直すことで、日本の文化と伝統とを探って、国民社会の安寧の根拠を見出す以外にない。日本の文化と伝統は、自ら威張ることはないが、結構いいものである。世界に貢献できる要素を持っている。江戸の文化などは、たいしたもので、日本人の好奇心、進取の気風などは、類を見ない。大陸の周辺にありながら、儒教の影響は皮相にとどまっている。中国共産党のかんぶの演説が最近あったが、あのような居丈高の国柄ではない。親が子供を心配する社会だ。本題に戻る。みどりの日ならぬ、昭和の日。劣化するグローバリゼーション、激変を見せる時代の中で、国民国家日本の行く末を考え、安寧を記念する日である。本当の旗日である。昭和の成功と失敗について考える日である。

Delicate change of course

四月10日に、アメリカの外交が微妙に変化していることを書いた。国家安全保障会議の強硬派で、対北朝鮮政策を主導した、韓国系アメリカ人の部長が辞めた。ボルトン国連大使、ジョゼフ国務次官も辞めた。ボルトン大使の後任は、早々に、国連分担金の全額支払を表明している。9.11の後に、もう国連などいらない超大国になったとの、フォーリンアフェアズ誌の記事などがあったが、身代わりの早さである。北朝鮮との問題解決は、早い時期に外交交渉で当たることを、国務省関係筋は言っていたし、それに加えて、イラクのこう着状態の中で、2正面の作戦を打つことは、超大国と言えでもできない相談だろう。イラン攻撃も、実際のところは、ムリで、イランとも交渉するのであればテーブルについてもいいとのシグナルであったとは、4月10日に書いたとおりである。領海侵犯事件の、イラン・英間の早期解決も、あった。そもそも、フランスは、大統領選挙待ちであるが、ヨーロッパとアメリカとの亀裂は、まだ完全には修復されていない。ロシアは、ヨーロッパではないが、エリツィン氏の葬礼に見られるごとく、ロシア正教の大国として、主張を始めている。中国とアメリカとは、経済的には、グローバリゼーションの中で同盟関係にもあるといわれるが、インドや、東南アジアとの関係でも、安定的な関係ではない。おとといに、議会の下院は、三月までの戦闘部隊の撤退を条件に2兆1400億円と言う巨額の戦費の拠出を決議している。アメリカの赤字は、アメリカの企業の黒字であったが、いつまでそうした状況が持つのだろうか。中国もアメリカの赤字を背負ってアメリカの工場をいつまで続けられるだろうか。しかし、それにしても、ワシントンにおける日本の影響力は、本当に低下している。椎名素夫先生が、逝去されたが、国会でも本格的なパイプ役をできる人物、あるいはもっと言えば、アメリカの見えない「奥の院」に影響力を伝えることのできる政治や外交が枯渇しているように見える。アメリカは外交のシステム自体の改変にも着手している。情報通信技術の発達する中で、新しい拠点作りも着手しているし、人材育成の方法なども、変えてきている。知識は力であることは、その昔も今も勿論代わるところはないが。今月8日には、民主党のニューメキシコ州知事などが、ピョンヤンに訪問する中で、アメリカ外交は、新しい政権のために準備を始めたようにも見える。ニクソンの電撃訪中のときに、中距離弾道弾を沖縄から撤去しながら、ちゃんとお金は日本から移転費用を取りながら、あるいは繊維交渉で代償を求めて獲得しておきながら、交渉相手にちゃんと与えるものは与えると言う、アメリカの手法を思い出す必要がある。モンゴルの航空基地の噂も無視できないし、日本防衛のためだけのの在日米軍ではないことは、大きな変革である。昔の密約型の外交交渉をすれば、将来に禍根を残すことになるかもしれない時代である。

Comrades

米中の経済同盟ができたのではないかと言われている。ちょっと考えてみたい。中国が世界の工場となったことで、人件費と不動産コストが大いに下がったと言われる。米国企業が中国に移転して、いわば、相互依存の関係にある。米国の対中赤字といっても、米国企業がい社内での仕事を移転してできる赤字であるから、赤字が増えれば増えるほど、米国企業が儲けていることにもなる。米国に対する輸出が増えると、儲けるのは中国の下請企業はさることながら、米国企業が儲かるのである。その昔の、日本の企業の輸出の場合は、輸出すればするほど儲かったのは、日本の企業である。為替のレートも、日本に対しては、円高政策と強行したときもあったが、人民元は実に半分まで、安くなっている。アメリカ側の強い圧力もない。国内の工場がどんどんなくなるわけであるから、米国内の労働条件にとっては悪いのだから、時々はリップサービスで人民元の安さを問題にする向きもあるが、米国企業にとってはその方が儲かるのである。さて、それではどうなったか。両国では、社会格差が広がった。中国国内の格差はすさまじいものになった。アメリカでもそうで、社会的な不満は高まっている。エネルギー消費の効率も両国とも悪い。いつまでも人民元が安いままであるわけがない。そうすれば、アメリカの繁栄、すなわち中国に支えられた反映も徐々に後退するだろう。日本は、アメリカにくっついて中国市場に進出するのは、もはや限界かも知れない。ジャパンマネーが、アメリカを介してなだれ込んでも改修できる見通しのリスクは段々と高くなる。日米同盟は、経済的な米中同盟の成立とともに形骸化している。アメリカの国民もこの点に気がついているだろうか。日本は工場をアメリカに移して雇用を作り、貢献したが、アメリカの金融資本は、そんなことなど鼻にもかけていないように見える。使い走りになってはいけない。中国市場から一歩下がって、インドや、南東アジアや、中南米に目を向け勉強を始めるタイミングである。

Red handkerchief

赤いハンカチの消える日とう、瀬戸内海放送が制作したテレビ番組が話題になっている。

郵政民営化で、町や村の郵便局の異変を伝える番組の由。全国ではなく、テレビ朝日の系列局の一部で放送されているらしい。時間帯もよい時間帯ではないが、反響が大きいらしい。ネットでも流してほしい。

Secret Pact

秘密には形式的な秘密と実質的な秘密がある。形式的な秘密は、例えば、意味のない紙に秘密と言うはんこを押すようなものである。実質的な秘密は、交渉中であるとか、公表すれば差しさわりがあるようなものである。もうひとつあるという。違法な秘密である。だから存在することすら公表をはばかられる。それが沖縄返還交渉をめぐる密約だったと言う。アメリカの公文書館の探索で、大学の研究者の発掘などがあり、密約があったことがアメリカ側では明らかになってきている。両国の財務省関係者の合意議事録なども公開された中で、秘密の指定を受けていた文書がアメリカ側では解禁されている。問題は、日本側で、そうした密約の存在を否定していることである。当時のアメリカ局長であった、吉野文六氏は、高齢に至り、その存在を認めている。最近の社説では、読売新聞が、密約の存在をそろそろ認めてもいいのではないかと、暗に促すような記事を掲載している。

いわゆる外務省公電漏洩事件で、逮捕された毎日新聞記者であった、西山太一氏が、密約の全貌を求めて、訴訟が提出された。沖縄密約で、総額6億ドル(日韓の国交回復の際の無償供与が3億ドル規模であったから、その額はほぼ2倍である。)が支払われたとの推論で、西山氏が指摘した密約も単に氷山の一角でしかなかった由である。情を通じてと言う言葉がはやりになったほうで、西山記者の公電入手方法には、問題があった。しかし、もっと大きな問題が、その公電漏洩事件で隠されてしまったとする。西山氏の主張は近刊の著書で発表すると言う。西山氏は、情報を当時の社会党に渡したことも認めている。その理由は、日本の新聞ジャーナリズムにも限界があり、また、いかなる記事が載ろうとその存在することすら認めようとしない官僚組織があるので、公共に発表することのほうが大切であると言う状況にあったと主張している。ジャーナリズムの立場からは違則ではなかったのかと指摘もあろう。

ソ連の秘密の公文書館の資料は今、ネットで公開されている。人智の秘密は隠しおおせるものではないし、むしろ期限を切って、人の命が限りがある中で、公表して評価をしておくことのほうが大切であるのかも知れない。そのためには、文書を整理しておくことが必要であるが、幸いにして、日本の外交当局は文書整理がちゃんとしているのかもしれない。

さて、アメリカ国民はこうした違法な協定があったとしてもなんとも思わないのだろうか。日本では地震の後にも略奪は起きないが、台風の後や暴動の時にはいつも略奪があるが、そんなことなのかもしれない。奪われる日本であるから、一方で返還があったのだからある程度の犠牲は仕方がないと言う意見もあるが、本当は自国の領土、同胞の住む土地であるからびた一文はらう必要がない、占領したことの原状回復を認めるべきだとの意見もあろう。

激動の日米関係である。沖縄の基地の位置づけは大きく変化している。第一軍団の司令部がワシントン州から、神奈川の座間に来るなどの変化である。そうした中で、ジャーナリズムが沈滞して、どのようなやり取りが日米間で行われているのか公表されなければ、民主主義は危機に瀕することになる。少なくとも、違法な秘密であれば、国民の判断にゆだねるべく、ジャーナリズムは勇気を持って記事にすべきである。

Mr Minoru Morita

政治評論家の森田実氏の新著「アメリカに使い捨てられる日本ー日本の真実を国民に訴える」が日本文芸社から発行された。森田氏は、テレビの政治番組で著名であったが、政治権力のマスコミ支配?の中で画面から姿を消した。郵政民営化をめぐる刺客選挙以降のことであるから、もう一年半がたった。読みやすく、分かりやすくの政治本の体裁である。テレビに出演しなくなった代わりに、ホームページをつくり、そこでの執筆活動が拠点になっているようだ。(ちなみに、英文でのコーナーがあり、海外に主張を伝える試みを実行に移している。)5月29日午後6時から、東京港区白金の都ホテルで出版記念会がある。政治権力は批判にさらされて健全になる。氏の言論活動と政治批判の活動に敬意を表する。

Funeral

故エリツィン・ロシア大統領の逝去を悼む。

しかし、報道によれば、我が日本は、しかるべき弔問の特使も送りきれなかったようだ。まだ確認していないが、各国からは、前大統領とか、ともあれ、世界の運命をしのぎを削って変えようとしかも自国の利益を目指した指導者が、一堂に会する機会が葬列への参加であるが、我が日本は、そうした礼儀も失ったようである。今回だけのことではない。最近の事例を言えば、ローマ法王の葬儀のときにも、日本は、それにふさわしくない(肩書きだけはともかく)人物を特使として送り失笑を買った。同じようなことが起きた。政治が祭りごとではなくなってきているのか。何のために特別機を買ったのか。物見遊山の下僚を従えて、ポトマックの花見にいくことで、満席になっていたのであれば残念な話である。

Friends

Allegiance_4

大変美しい本である。装丁もいい。講談社インターナショナルから、出版されている。後で、ハーパー社からも出たらしい。Friendsと言う題である。著者は、当時のテネシー州の知事をしていた、ラマール・アレグザンダー氏である。ほとんどは、テネシー州と、日本との共通点を探ろうとの美麗な写真が、ロビンフッドと言う、写真家が撮った写真で構成されており、当時の知事が、日米協力をうたった本で、日本からの企業誘致の努力を語る本である。自動車会社やいろいろな日本の企業が進出している話、貿易摩擦の真っ只中で、日本を理解しようと努力しながら、三十の会社が進出して、8000人以上の新規雇用ができた過程を記述する。20年前の本である。その後、同氏は、テネシー大学の学長となり、連邦政府の教育長官をつとめ、上院議員を務める。(現職で、来年には再選を目指すことを今月はじめに発表している)。立派な本である。日米間で貿易摩擦がギクシャクする中で、現職の知事が書いた本としては、興味深いが、さて20年以上の年月が経って、日米構造協議などがあり、日本は、打ちのめされてきている。現在の状況をどう思うだろうか。テネシー州では多くの日本人関係者が今も働いていることと思う。現地の対日感情はどのように変化しているのだろうか。興味深いところである。ナッシュビルは、戦後ベストセラーになった、グエン寺崎(外交官だった、寺崎英成氏の令夫人であり、お嬢さんのマリコさんのことが書いた本は文藝春秋から邦訳されてこれまたベストセラーになった)氏の著書、太平洋にかける橋(原題は、Bridge to the Sun)の故地でもある。最近では、小泉総理が、エルビスプレスリーの歌うまねをした都市でもある。テネシー州民はどう受け止めたのかも興味深いところである。
現地の学校に行った日本人の子供が弁当を食べている写真、その隣には星条旗に忠誠を誓う、アメリカの学校では国旗に敬意を表する行事が必ずあるが,それに参加している写真を載せている。おおらかなアメリカ人の良さであるが、マネー敗戦で、本当に外国に忠誠を誓うようになると問題であり、20年前のおおらかな、関係者の努力によって達成された相互理解が水の泡になっていやしないか心配である。友情は、お互いを知り、理解しようと努力して、分ち合い、お互いを助けて問題解決に当たり、そしてお互いを必要とすることであるが、上下関係になり、支配と支配されるものの間には友情は成立しないからである。
写真が気にかかる。20年が経って、大人になった当時の子供たちが、星条旗に対する忠誠を引き続き要求されるのであればそれは困るとしか、友情を大切にする立場からは、言いようがない。

Ugliness

まあ、アメリカ議会には言われたくないですね。自国の兵士の慰安所のことはすっかり棚に上げて。書きかけだそうですが。英文版のウィキペディアにも英訳して載せてもらいたいものです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%85%B0%E5%AE%89%E6%96%BD%E8%A8%AD%E5%8D%94%E4%BC%9A

The content of the Wikipedia link above is worthy to be translated into English to discredit the arrogance of the demagogues abroad. Only those who are innocent can throw stones. The first priority is to repent one's own sins inherent in our human existence.

Soviet Archives

ソ連が崩壊した直後に、アメリカは、ソ連の文書館から多くの公開された秘密文書の複写を取ったらしい。それが、アメリカの議会図書館で公開された。ただ公開されただけではなく、最新の技術として登場した、インターネットによって公開された。インターネットが最初にはやった?時に、ホワイトハウスの記者会見記録がすぐ読めるようになったと話題になったが、それと同時に、この旧ソ連の秘密文書には圧倒されたものだ。レーニンのサインの入ったもの、チェルノビルの原発事故の文書、ウクライナの飢饉の文書などなどである。http://www.loc.gov/exhibits/archives/intro.html 事実は小説よりも奇なりとはこのことである。

日本でも、対東南アジア政策の文書がインターネットによって、簡単に読めるようになりつつある。慶賀すべきことである。http://www.jacar.go.jp/ 歴史をたどることができるのは大いなる国力である。

Showa

一昨年祝日法が改められ、これまで、みどりの日と呼ばれていた祝日が、今年がはじめて昭和の日となる。勿論、4月29日は、昭和天皇のご誕生日である。昭和の年号に、25を足せば、西暦となると換算できるが、昭和元年(1926年)12月25日から昭和64年(1989年)1月7日までの62年と2週間、昭和天皇のご在位の期間であった。しかも、歴史上もっとも長い期間の年号でもある。動乱と戦争の時代、占領の時代、独立して経済大国になる時代である。明治天皇のご誕生日は、11月3日のことで、今は文化の日と呼ばれているが、明治節と大正時代から、戦後の昭和23年までは呼ばれていた。緑の日とか、わけのわからぬ、名前のつけ方であったが、昭和の日は祝日の意味がはっきりしていている。激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いを致すと言うのが、改正法の趣旨であるが、祝日の中で、休みがひとつ増えたことだけでなく、国の来し方行く末を考える日ができたことは大切である。明治維新があり、日清、日露の戦役、大正デモクラシー、と、坂を駆け上る中で、金融恐慌が起き、大陸に進出、満州事変、支那事変、南進の末、大東亜戦争に突入する。敗戦。占領。独立。朝鮮戦争。日米安保条約。沖縄返還。その他、諸々のことについて、考えることができる祝日である。温故知新を実践する日でもある。今、文化の日となっている祝日も、占領下にないこの国では、いずれかの日に明治の日と、また改めるべきであろう。そうなれば、遡って、アヘン戦争や、幕末の動乱、渡辺崋山や、高野長英はもとより、新井白石などの気分を偲ぶこともできる様になるかもしれない。

Call to End 3

世界銀行の総裁のスキャンダルがにぎやかであるが、世界銀行の総裁ポストは、アメリカ人がなることになっている。不文律のようであるが。IMFの方は、ヨーロッパ人がなると言う紙に書いていないルールのようである。少し調べてみると、米州開発銀行などは、どこかの国民に固定していない。アジア開発銀行は、日本人が創立以来総裁を務めている。世銀は世界銀行といっても、やはり、アメリカの銀行でしかないのかもしれない。大統領がそれと総裁を決めることに実質的にはなる。アジア開発銀行は、大蔵省のオービーが総裁になっているが、もともと透明性などない、実力の世界なのだろう。世界銀行には、随分と日本はお金を負担している割には、使用言語も日本語などどこにもない。東南アジアでの世界銀行の助言が失敗したときにも、特段の反省もない。日本の声を関係者はもう少しは届かせるように努力する必要があるのではないか。どこかで、世界銀行の中でジャパンファンドがあって、日本の関係者のさじ加減で使える金があると読んだ事がある。省益ではなく、国益のためにむしろ活用してもらいたいものであるし、もともとは税金であるから、国会などでもそのうち、明らかにしてもらいたいものである。イギリスの雑誌は、総裁の国籍の固定をやめたらどうだと書いてあった。そして、ウォルフォビッツ氏の後任には、イスラエル銀行の頭取のスタンレー・フィッシャー氏が、いいなどと書いてあった。IMFにも世銀にも両方で勤務した経験があるからとの話である。さてさて、本当にそうなのかどうかは分からない。国籍とのリンクをなくして、都合のいい人を、総裁にすえようと言う大きな陰謀だけなのかもしれないし、にわかに判断できないが、今の総裁が代わらないと、世銀の機能不全が続くことは間違いない。ニュージーランド出身の理事は、総裁の辞任をちゃんといっているようだが、さて、我が方の代表は、態度をはっきりしているのだろうか。国益に沿った対処を願う。

triangular merger

資本による外国の支配の姿が、まもなく実施されようとしている。改正された会社法の三角合併の規定が実施されるのが、この五月からである。実施は、色々問題があるところから、一年間先送りされていたが、いよいよである。三角合併については、図示すればわかりやすいのであるが、分かりやすくいえば、海外のA会社が、日本にある子会社B社を経由して、買収したいC社の株とA社の株とを交換して、(B社の株でないことに注意)B社がC社を吸収する。ところがA社はB社を100パーセント支配しているために、C社を完全にコントロールできる立場になる。よくもこういう制度を国会が認めたものだと思うが、一年先送りしただけで、実施されると言う。しかも、それに反対した議員は、抵抗勢力として、辛酸をなめさせられた。国会で、反対する声はほとんど聞こえない状況である。今までは、B社がC社を吸収合併しても、新たにできるD社の株を,もとのC社の株主にわたさなければいけないから、海外の会社Aは、新会社Dを100パーセントの子会社にすることはできなかった。五月からの三角合併では、日本と比較して時価総額の高い外資企業は、時価総額の低い日本の優良企業を、(A社の株式が、C社の株主にわたされることになるが、)比較的にわずかな株式で、完全にコントロールすることが可能になる。90年代からの構造改革が一体誰のためだったのか、大変怖い話であるがまもなく明らかになるだろう。勿論、日本国民が期待するのは、国会の代表者が立ち上がり、はっきりノーを言い、制度を改正、見直し、あるいは、もとの制度に戻すことである。ビジネスとは、一方だけが有利になることではなく、分かち合いであるが、単に奪われる国家に成り下がったことは否めない。資本が潤沢になる中で、そもそも、日本で、百パーセント外資の会社が本当に必要かどうかも基本的には疑問である。ちなみに経済同友会の前会長の会社は、100パーセント外資の会社であったし、日本の国益がまともに反映されるわけがないが、いわゆる経済界自体が、外国資本のの強い影響下に代理人が中枢を占めてきているようだ。

Tragedy

ヴァージニア工科大学での、銃による殺戮事件は、凄惨であった。アメリカだけではなく世界には、気の狂った人間が時折現れて反社会的な事件を引き起こすことがあるが、やはり銃砲を野放しにしていることが原因ではなかろうか。しかし、アメリカの政治家は、銃の問題についての議論を、避けようとしているのではないだろうか。もちろん、ブルムバーグ・ニューヨーク市長ほか、全米で180人ほどの市長が、銃の規制を行うべきだとの主張をしている由であるが、大勢には至っていないどころか、大統領も、野党の民主党も議論を避けるかのような雰囲気である。大学のセキュリティー問題に摩り替わるような雰囲気である。94年、クリントン大統領の時代に、銃砲規制が若干行われ、半自動のライフル銃など、警察や軍隊が使用するような武器が規制されたが、ブッシュ大統領は、その禁止法案が時限立法であったために、元の木阿弥状態になっていた矢先の事件であった。銃砲を買った情報は、当局との連携が取れないようになり、購買情報は24時間以内に消去されてしまうようなことで、警察が調べられないような状況になっているといわれる。ロスアンジェルス市の警察本部長(依然にニューヨーク市警のトップ)は、銃砲を規制すべきだと明言しており、警察関係者は銃がなければ、殺人事件や暴発事故が大幅に減ることを知っている。、アメリカでは建国以来の、個人の自由が銃で保護されているとの幻想があり、銃砲の産業界が大きな圧力団体としてあるところから、世論調査では銃砲禁止の意見が圧倒的であっても、法律となって反映されない。全米には、2億4千万丁の銃砲があると言う。その三分の一が、小型のいわゆるハンドがんと呼ばれる単発の銃である。(これに弾倉をつけて、連発銃にできるものもあると言う)。銃による殺人事件が年間約一万4千件あり、銃による自殺が一万六千件あると言う。暴発事故が650件、子供を銃で撃つような極悪な事件も年間200件ほどあると言う。統計的には、上述の94年の銃砲規制がある程度効果を持って、90年代から、2004年までは銃砲による犯罪は減少してきたいたが、明らかに、規制緩和を2004年に行って以来、急激に増加している。銃と殺人事件とは明らかに相関関係がある。AK-47と言う自動ライフル銃が、三百八十ドルで、通信販売が行われていると言う。首都ワシントンでは、小型のハンドガンを禁止していたが、最近憲法訴訟が起こされ地方裁段階で禁止の条例は意見であるという判決があり、、最高裁まで行けば、ブッシュ政権よりの判事で構成されるため、いよいよその禁止が取り払われてしまうのではないかと憂慮する向きがある。健康に害があるとして、タバコの禁止などを声高に徹底していくお国柄であるが、銃砲を取り締まらないのは、日本人からするとほとんど理解を超える。建国時のイギリスに銃を取って抵抗したという故事から、憲法第二修正で、銃砲を所有することが権利だと考える向きがあり、それが、全米ライフル協会などの圧力団体と結びついて禁止制限立法を行うことが至難のわざとなっている。まだ18世紀の精神構造であるが、他のヨーロッパなどの文明国で、自動拳銃や、半自動のライフル銃などを、市中でおおぴらに買える国などもうどこにもないのであるが、テキサス州などでは、いまでも、銃砲の規制がなく、全州で銃砲がどのくらいで回っているのか統計する取られていないというお国柄である。66年には、テキサスのオースティン大学で銃の乱射があり、16人が死亡し、91年には、レストランにトラックを突っ込ませた挙句に23人の客を射殺した事件もあった。63年には、ダラスで、ケネディ大統領も銃に倒れた。日本では考えられないことであるが、もし泥棒が入ってくれば、相手が逃げなければ撃ち殺してもいいような免責を与えるような法律もあり、こそ泥をするのは命がけのお国柄である。過剰防衛などの議論などは起きようもない州もある。思い出したが、リスはアメリカでは害獣であるから、ハンドガンで息子と一緒に何匹も庭のリスを撃ち殺した話を、アメリカ人から聞いたことがある。狩人気取りの話であったが、その銃砲が人間に向けられたらたまらない。ソウルで、今回の事件の犯人が韓国人(そうであっても、子供のときからアメリカで生活しており、永住権もあり、犯罪歴もこれまでなかったところから銃を合法的に売っている)であるから、お詫びのデモをしたそうであるが、的外れな話で、銃砲をアメリカも文明国として規制すべきである、94年の規制法案程度の規制は復活すべきである、ブッシュ政権の野放しはおかしいと主張するのが穏当な話である。日本では、刀狩もあり、たそがれ清兵衛の映画ではないが、武器を扱えば扱うほど、武士道として、品性を保った伝統がある。黒いはじきと白い粉は、なんとしてでも水際で食い止めなければならない。この国でも立て続けに銃砲がらみの事件が起きている。アメリカナイズの規制緩和論の本質は、銃砲の野放しにも一脈通じるところがあることが、今回のアメリカでの殺戮事件を通じて、よくわかる。文明世界でまともに議論して通用するような話ではないことが、明らかになったとも言えよう。

Totten san

ビル・トッテン氏の日本は略奪国家アメリカを棄てよ(ビジネス社、1500円)は、今年の一月に発刊された。アメリカ国籍を棄てたアメリカ人の物語である。69年に来日してからの母国アメリカに対する感情の遍歴を書いている。アメリカを思い、浮かんでくるのは失望ばかりとして、ついに、日本に帰化するに至る。この日本が、立派な日本国籍の新しい国民を受け入れることができて日本人として誇りに思う。本の出だしは、自分の名前が、ブラックリストに載っていたというものである。トッテン氏は、著書で、祖国アメリカの政策を批判していたので、ブラックリストに載り、ハワイに行ったときにそれが発覚したと言う。切れた。日米安保条約の解釈についても、日本が米軍基地を提供する代わりに日本を守ってくれるが、そうだろうか、アメリカ憲法は、他国にあるアメリカの軍事施設が攻撃を受ければアメリカに対する攻撃とみなして自衛行動を許すが、他国の防衛に対する規定はどこにもないという。米軍基地維持のための年間5000億の日本の出費は、米軍兵士一人当たり1400万円と試算している。集団的自衛権が、主従的自衛権になってしまうとして、憲法9条の一部改正を提案している。なぜ総理はアーリントン墓地に連れて行かれるのかと問いながら、アメリカの大統領が靖国神社や千鳥が淵戦没者墓苑を参拝するのがス筋ではないかと言う。トッテン氏は、靖国問題について本質を突いている。あの東京裁判を認めるのであれば、政府の要人は靖国を参拝すべきではないが、東京裁判を認めないのであれば話は別だとして、東京裁判がでたらめであれば、戦犯など認めない、逆に堂々と参拝すべきだと主張する。M&Aについても、日本の企業は、外資に買収されやすくなるのに、アメリカの企業は、守られていることも指摘している。アメリカでは企業に道義的精神などないと言い切っている。ケタハズレノアメリカの格差社会を活写する。サブタイトルを見てみよう。ハリケーンで明らかになったキューバとの違い。アメリカの一部より、あの貧しいキューバより貧しい実態が明らかになったのである。国民皆保険のない国家。もうこれはほとんどの日本人が知っていると思う。第三章は、アメリカの血塗られた歴史と書く。先住民にも黒人にも決して謝罪しないとする。第四章は、日本人よ世界を見よと、ヨーロッパや、アジアのブータンなどを例にして、独立自尊の道を勧める。第五章はそう趣向アメリカの現状を元アメリカ人として憂える。第六章は、輝く日本のためにと題して、農業に力を入れるべき、民主主義を、民取主義と言い換えているのは面白い。民衆から搾取する思想考え方である。日本の江戸時代の安定も評価している。米英の植民地ではないのだから英語を必修化する必要はないというのは、説得力がある。正しい日本語も美しい日本語も見についていない若者が増えている中で、そんな暇はないはずだと指摘している。いずれにしても、心強い日本人が新しく生まれた。トッテンさん、いよいよ日本人として発言をどんどんしてくださいよ。英文で主張することが、下手だから、その点もやっていただけるとありがたい。トッテンさん、がんばれ。

Nonfiction

アメリカの日本改造計画、マスコミが書けない「日米論」は、大変優れた本である。これまでの、関岡英之氏が、拒否できない日本で、ただひとりの力で問題点を明らかにしてきたのであるが、今度は、援軍が現れて、色々な分野で解説しているからである。

目次だけでも羅列しておくころにしたい。巻頭では、こばやしよしのり氏、佐藤優氏との対談(個別に)思考停止の「親米論」を疑え、アメリカが押し付けた「東京裁判史観」が封印した、戦前に本の知的遺産とのサブタイトル。続いて佐伯啓思氏による、近代主義の堕落と「魂の復興」と言う武士道の記憶についての論文。第一章では、森田実氏による、日本の独立の気概はどこで失われたのか、副島隆彦氏は、世界覇権国家・アメリカから見透かされる日本、紺谷典子氏は、誰のための構造改革だったのか、東谷暁氏による「日本マスコミ」は信用できるのか、中田康彦氏による、竹中平蔵・宮内義彦の研究と続く。第二章では、小林興起前衆議院議員による、主権在米論、早稲田大学の上村教授による、ホリエモン・村上ファンド事件に見る「自由放任市場の落とし穴。石黒一憲東大教授による、NTT解体という謀略、近藤克則教授によるアメリカ型医療制度のからくりの解説、金融占領と言う題で、金融当局の大罪、すなわち、日本経済を外資の草刈場にしたとする東谷氏の論文。弁護士の鈴木仁氏による、訴訟爆発社会、司法占領の狙いについての論文、第三章は、日本人が美しさを取り戻すための提言として、三浦展氏による若者の心の分析で「ファスト風土論」、和田秀樹医師による教育格差の分析、神田東大教授による、耐震偽装事件のからくり、ジャーナリストの神保哲生氏は、BSE問題、北健一氏は消費者金融問題で、外資系金融機関が政府に圧力をかけている実態、横田一氏が、年次改革要望書がどのようにマスコミに黙殺されたかを書いている。西尾幹二氏が、特別論文を寄稿しており、巻末で、西部(萬にシンニュウ)ススム先生との対談で締めくくっている。

憂国の書である。特段紹介したい。買い占められて書店の店頭から姿を消したとの噂もあったが、いよいよ売れているらしい話を聞いてほっとしているが、再度紹介して、一読を勧めたい。

Dependency

4月19日の日経新聞、20日付の産経新聞、毎日新聞などが、郵政公社が民営化で発足する郵便局会社が使用する、顧客情報システムを導入すると報道している。NTTデータが受託して構築すると言う。ソフトをネット経由で提供するサースという方式を採用する、カリフォルニア州のセールスぉース・ドットコムに委託して、システムを賃借すると言う。日経新聞しか書いていないが、米国内に持つコンピュータセンターをインターネット経由で遠隔利用すると言う。利用料は一年半で2億五千万円、自前なら25億円かかるし、運営費も一年半ごとに5億円程度必要であるから、早く構築するためにも借りたほうが得策との解説である。さてさて、金融の中枢を外国に移転するのは、いかがなものであろうか。国家間の安全保障上の検討はなされたのか。国際関係というのはジャングルの論理が厳然として存在しているし、単なるビジネス上の関係など一夜にして吹き飛ぶ可能性するあるのだ。その昔、給与計算を夜の間のアメリカ、日本と交互にコンピュータを動かしてなどと、アイデアがあったが、分散処理でもうその必要もなくなった。センターを、むしろ国内において、多重に安全をかけて処理をすることが必要ではないか。コンピュータ属国となることを覚悟しているのだろうか。郵便貯金も、簡易保険も景気の好転とともに、巨額の利益を上げているから、むしろ、国内に投資をして、あるいは、地方にセンターを作り、分散して、業務を行うほうが適正ではないのか。民営化を急ぐあまり、何かおかしなシナリオをつくっているのではないだろうか。日本はアメリカよりも危ない国になってしまったのか。シティーバンクなどが、外国で計算書の打ち出し業務などをしていることは、重々承知しているが、それだけのグローバルな経験も無く、また、文化や伝統の異なる国で、本当に信頼と安全が保たれるのであろうか。米社に一括して委託というのも、何か、日ごろは競争入札としているのに、不透明なところがありはしないか。日米構造協議のような一方的な、市場原理にも反するような、経済圧力に屈したのでは困るのである。既に、ハゲタカが狙っていることが喧伝される中で、奇妙な動きが表面化したようにも見える。ちゃんと国会にも報告したのだろうか。確か、20日は、郵政記念日であるが、システムが属国化する記念日になるのでは困るのではないだろうか。そもそも郵政民営化は、民主主義の根幹である適正な手続きを経て法案が成立したわけではない。だから、拙速に走る必要もなく、なお国民的な議論が必要であり、それを見透かすように、あわてて既成事実化する拙速は避けるべきであろう。

Fake Market

全国の映画館で、アメリカ映画の「エンロン」が上映されていたが、そろそろDVDになって、ビデオ屋さんに出回るころかもしれない。エンロンとは、不正会計が発覚して2001年の12月に破綻した全米売上高第7位の大企業としてもてはやされていたエネルギー複合企業のことである。アメリ力における、「錬金術」の幻が明らかになった空前の規模の経済事件を描いた映画だ。
 ノンフィクションに近く、CNNや新聞記事、その他の現実に撮影された映像を構成してつくられている。国家と人間の暗部を抉り出すような二時間の長編映画で、圧倒する資料の集大成である。「時価総額」という上場会社の評価基準を用いて、株価を操作し、巨大な資金調達と、ストックオプションなどで、企業から資金を収奪していくさまが描かれている。
 証券アナリストも、会計事務所も、銀行などの金融界も、誰も異議を唱えず、新たなビジネスが出るとほめそやすばかりで、実態のない空の城が崩壊していくまでの過程を描く。ブッシュ政権との癒着ぶりも現実の大統領の記者会見の映像や、会長ケネス・レイとの写真などを駆使して、隠しようもなく暴いている、令名のグリーン・スパン氏が、エンロン賞という賞の受賞者であって、その式典の模様の記録映画の挿入などは、アメリカという国の中枢にいた人間がかかわっていた実態を示している。
 アーサー・アンダーセンという会計事務所は、そのいかさまを見抜くことをせず、むしろ加担したとして、破綻したことは、もう周知のことである、パイという財務担当重役は、さっさと会社を逃げ出して、いまでは、コロラド州の土地を買って、大地主の生活をしている。〔なんと飛行場つき〕とのすっぱ抜きなども映像となっている。米国議会の聴聞会の追及場面などは、実写の記録を使っているので、圧巻である。
 時価会計で、粉飾の決算を用いて、市場を欺き、天文学的な負債を隠滅する手法などを明らかにする。特別目的事業体、即ち連結決算から外すことのできる空虚な子会社をつくり、資金を流用して、あるいは横領する手口が明らかになる。ブロードバンドを市場化するという名目で、通信回線の帯域幅までを投機の対象とする、あるいは、天候デリバティブというような、投機の派生商品までを生み出す過激さがいかんなく描写される。企業拠出型の年金がまったく食い物にされ、自社株買いで、無価値になった株券を抱える社員の悲惨も描き出される。
 エンロンという悪魔の企業が、牙をむいたことがはっきりしたのは、カリフォルニア州の大停電であったが、停電の真犯人がエンロンであったこととその内幕を、エンロンの取引人の会話記録のテープをもとにして、映像で抉る。なすすべもない州知事と、エンロンに加担する?アメリカ大統領の関係も当時の取材記録の映像で明らかにする。
 日本の関係者も、「本当に危ないところでした。日本でもエンロンの影響下で、青森県や山口県の一部で、発電所をつくって電力の自由化を促進する話まで現実にあったのですから」と語っている。エンロン事件が、明るみに出たのが9.11直後だったが、多くの識者は、9.11よりも衝撃的であったするほどの、資本主義の根幹をも揺るがす大事件だった。アメリカの経済・政治のいかさまと、具体的には、会計制度の欠陥が露呈したわけである。
 ライブドアの事件が、検察の追及を受けるようになったのが、1年前の1月17日だから、この国でも、あわてて日本版の法規制が始まっているが、エンロン事件ひとつを見ても、この事件に加担した日本の関係者は野放しの状況にある。電力の自由化、高速道路の民営化、通信・放送のインフラの切り売りなど、エンロンを真似た動きが、この国でももてはやされたことがつい昨日のことのようだ。
 政府の規制緩和会議の議長の職にあった者の会社が、ニューヨークにエンロンと合弁会社をつくっていたことを忘れてはならない。日本の法律では、不正行為を働いた経営者に対する処罰はきわめて軽いどころか、「利益相反」の経営者が横行している現実がある。 郵便局を目の敵にしていた銀行の頭取が郵政会社の社長になり、監督機関の長官が、郵政金融会社の実施責任者になるなども、おかしなことである。また、不正な手段で取得した利益を完全に没収されることもないようだ。中央銀行の総裁が、そうした連中に加担して、まだ失職もしないという、アメリカ以上の「拝金」の異常な事態がこの国では継続されている。会社法の改正などは、むしろ逆行した、倒錯の改悪だったのではないだろうか。
 残念ながら、この国では、マスコミも、政権が代わったいま、ニュース映像を活用して、映画「エンロン」のような歴史の保存・検証のための番組をつくるようなところは皆無で、見当たらない。
 郵政民営化論の実態は、エンロンのような虚飾に満ち満ちたものである。郵政などの公企業を市場に参加させて、操作して、私物化しようというだけの、ウォールストリートのこわもての連中が参画した陰謀の気味が濃厚だ。この映画を見れば、市場がいかに不完全なものか、悪魔のような経営者連中に、いかにだまされやすいものか、株式会社という制度がいかに脆弱なものであるかがよくわかるし、野放しになった人間の欲がいかにすさまじいかがよくわかる。
 小泉政治の市場原理主義礼賛は、エンロンを礼賛するようなものだった。市場原理主義が採用される郵政民営化の真実と背後関係に関心のある向きに、この映画「エンロン」を観られるよう勧める。
 そして、国民資産の収奪に対抗して、強靭で心やさしい日本をつくる方がよっぽど大切である。
 

Call to End、he is sorry

http://www.youtube.com/watch?v=7UlhLLiQo2Y

The Bank と言う題の、ビデオ。面白おかしくつくってある。世界銀行のウォルフォヴィッツ総裁の辞任を促すビデオであろう。ユーチューブが人気を博するわけだ。日銀の総裁も村上ファンドや、ゴルフの仲間のことなどのスキャンダル話があったが、辞めないでポストにしがみついているから、他国のことはあまり言えないが、(世界銀行には出資しているから、内政干渉にはならないが)。

Call to End 2

http://cornellalumnimagazine.com/Archive/2004Julaug/features/Feature.html#top

世銀総裁のウォルフォビッツ氏は、コーネル大学の出身である。大学新聞が、掲載している学生時代や、家族関係について記述している記事。(但し、英文、参考まで)

愛人関係にあった職員は、未来財団と言う、中東がらみの外交支援のための、財団のカネと関係があるとの報道である。幸いなことに、その財団は、どうにも日本とは関係が無く、まあ、お呼びでないというのが実態だろうが、拠出金は日本からはないようだ。EUなどは百万ユーロを出している。国務省の役人が、その財団の住所を知らなかった話は傑作だ。

Interview

http://www.youtube.com/watch?v=RuqNWG9sbuE&eurl=http%3A%2F%2Fandrewsullivan%2Etheatlantic%2Ecom%2Fthe%5Fdaily%5Fdish%2F2007%2F04%2Fpaxman%5Fvs%5Fbolto%2Ehtml ユーチューブへのリンク。

三月末のインタビュー番組。たじたじのボルトン前国連大使。大量破壊兵器の有無についてのアメリカとイギリスの受けとめが違うとの主張もおもしろい。ほとんど、喜劇の政界に入りつつある。心なしか、インタビュアーの方が力強く、ネオコンのボルトン前大使が線の細い人間に見える。ネオコンとはしかし、もともとそうした強気なだけの、理屈だけの空の城のような存在であったのかも知れない。青き狼は別にいて単に使われただけなのかもしれない。もうひとりのネオコン、世銀総裁のウォルフォビッツ氏も窮地に立っているが、その表情もうかげる映像がそのうち出てくるかもしれない。日本におけるネオコンの追従者の表情も今から記録しておく必要があるかもしれない。ネオコンの終焉は間近い。

Canadian Uighurs

北京発のAPによれば、Huseyincan Cerilというカナダ国籍のウィグル人が中国の裁判所で無期懲役になった、罪状はテロ活動をして国の分裂に加担したとの罪状であると、新華社通信を引用して報道した。この活動家は、2000年にも中国当局に逮捕されたが、ウズベクに逃れ、その後、トルコを経てカナダに亡命して市民権を得た。2006年にウズベキスタンの妻の親戚を訪問中に逮捕され、中国に移送された。カナダ政府は、自国民保護であるから早期の釈放を要求している。新疆省のウルムチでの裁判にはカナダ政府の外交当局は参加していない。国際法上は、自国の外交官の参加を求めることができる。カナダ政府は、カナダの国籍をもつCeril氏を一貫して支持している。新疆省にはウィグル人が居住しており、東トルキスタンの独立運動がある。ウズベキスタンが、中国にカナダ国籍の運動家を移送したことは、ウズベクに対する北京の影響力が高まっていることの裏づけでもあるが、9.11以降、中国周辺部の独立運動に対する米国の影響力はどんどん低下している。日本では、北京を恐れて報道もされていないが、カナダは中国の亡命政府のダライラマを、カナダの名誉国民に推戴しているから、北京がカナダのそうした動きを蛇蝎のように嫌うことは容易に想像できる。米中の議事経済同盟が成立する中で、隣国のカナダの動きは興味深い。今回の事件は、カナダと中国との外交関係が、更に悪化している証拠である。カナダは、香港などから、多くの中国人を移民として受け入れて、ガバナージェネラル、名誉職ではあるが、カナダ総督の地位に中国系のカナダ人が就任したことも最近あった。日本は、拉致問題のように、自国民すら長い間保護できなかった。その点、カナダは、移民した、あるいは亡命のカナダ人すら断固と保護しようとする立派な国民国家として登場している。この国日本は、哀れなことに、拉致された国民についても最近になってようやく保護権を行使している。世界が縮小する中で、外国で投獄される日本人も少なくないが、ちゃんとして、領事関係に基づく自国民保護の原則が貫徹されているだろうか。外国で、自分の国があてにならなければ、自分の国のためになろうなどとしないだろう。日系アメリカ人の中に、反日的な者が結構見受けられるが、日本が、日本人としてちゃんと面倒を見なかった反動が出ているのだろう。世界中の牢獄に、無実の罪で投獄されている日本人はいないか、もう一度点検してほしいものである。

Washingtonnote.com

Tokyonotesというブログの題名は、ワシントンノートという、ワシントンの辛口の政策話のブログがあり、あやかりたい気持ちからである。http://www.thewashingtonnote.com/ である。産経新聞のワシントン駐在の古森記者を巻き込んでの、国際問題研究所の論文事件のことやらも、出てくる。ワシントンの現下の状況を、葦の髄から天井を眺めている嫌いもあるが、全米ではかなりの人気のブログだからである。ネットジャーナリズムで、主催者が実名で、毎回、写真入で書かれている。複数のノーツになっているのは、音符のイメージでハーモニーを奏でることを期待しているからで、単に記録のノートではない思いもある。

From Russia

観世英雄著、「ロシアからの警告:ブルーブラッド 悪魔の愚民化統治」は、一般の書店に並ぶような本ではない。著者は、博覧強記で、現代の南方熊楠の片鱗を見せる。陰謀論の極致のような本であるが、実際には、情報の取り扱い方を考えさせる良書である。東洋の島国の温和な国民性の住民にはとても想像つかないような世界を活写しているが、実際の世界の動向は、少数の参加者で決定されていくことは否めない。

話は飛ぶが、マカオへラスベガスあたりの資本が大規模に移りつつある。どんな現象だろうか。日本の銀行の支店あたりも、ラスベガスで活動して、関西空港からの直通便が飛んだりの盛況であったが、9.11後の落ち込みで、資本が逃避しているのかもしれない。カジノ経済とよく言うが、世界的な格差の拡大で、カジノはむしろ盛況を徹して不夜城の気配かもしれない。中国なども、大方の富は国民生活の向上には回らず、不夜城の賭博場を経由して、観世氏の著書に書かれた青き狼たちの手中で踊らされることになる。日本の金融機関の関係者で、ラスベガスと日本の経済とのかかわりなどを執筆できる人はいないものか。

これは噂の粋を出ないが、今、モンゴルのウランバートルで、日本のカネで飛行場が作られるのではないかとの噂がある。首都郊外の草原を軍用飛行場にしようと言う構想だとのまことしやかな話だ。そういえば、数年前、モンゴルからの偵察を終えた大型飛行機の米軍の偵察機の車輪格納庫にモンゴルの子供が巻き込まれて、そのまま、嘉手納に帰ってきた事件があったが、そうした軍事作戦と関連があるのかもしれない。小泉総理が、モンゴルや、旧中央アジアの諸国を歴訪したが、どんな関与があるのだろうか。アメリカの国務省の高官も相次いでモンゴルを訪問している。飛行機の修理工場の話、観光立国の話やら、雑多なモンゴル関連の話があるが、21世紀の安全保障の観点から、また、こうした細く立ち上った噂の煙を、冷静に真相は何かと注意深くウォッチする必要がある。

Themis

Themisと言う月刊誌がある。掘り下げた報道がめっきり少なくなった新聞と比べて、毎号掘り下げた記事が続く。週刊誌とも違う。正義と公平と感動と言う社是?を掲げているが、良質なジャーナリズムを維持している。噂の真相という挑戦的な雑誌もあったが、停刊になり、いわゆる総合雑誌が、文藝春秋などを除き、特集記事が低迷する中で、テーミスは、気を吐いている。4月号でも、「従軍慰安婦」問題にも毅然と臨めとの主張で、事実を主張すべきであるとしている。
「従軍慰安婦」なる言葉も、千田夏光なる作家による造語であると主張している。米国議会で問題化したことを、チャンスと捉えて、堂々と事実を主張すべきであるとする。河野談話は、宮沢内閣の時代に、これで一件落着のつもりで韓国の抗議に押されてしまって、かえって、
油に火を注いだのではないかとする。官房副長官であった、石原信雄氏も河野談話の不備、拙速を認めていると言う。中国は組織的な政治宣伝活動をしている。今もアメリカには、中国を同盟として、プロパガンダの活動に精を出した人もたくさん残っている。南京の虐殺写真にしても、その実態を知っている人は、まだ存命している。最後のチャンスとして、世界の信頼を勝ち取るために、事実を明らかにすべきと主張する。

Call to End

世界銀行の総裁、ポール・ウォルフォビッツ氏の辞任を求める声が世界的に高まっている。第十代目の総裁として、一昨年の6月に就任したが、愛人関係にあった世銀職員に対する、六万ドルものお手盛り昇給が明らかになっている。皮肉なことに、開発途上国における、政治腐敗(コラプション)を無くそうとの世銀の主張をつくった本人であるから、冗談にもならないが、それよりも、イラクの戦争を開始した責任者の一人として、いわゆるネオコンの代表的な論客であったから、油に火を注いだような状況になった。

世界銀行の職員の内部告発と見られる意見が、インターネットにおいても、公開されている。http://www.wolfowitzresign.com/ である。ロスアンジェルスタイムスも社説で、辞任を勧告したし、ニューヨークタイムスも今週の月曜版では、もはや信頼回復が不能として、辞任を求める意見を掲載している。アメリカの新聞ばかりではなく、中東や、豪州、アフリカ諸国からも怨嗟の声が上がっている。

世界銀行や、IMFの評判は、スティグリッツ教授の批判本に見られるごとく、各国の社会経済を破壊した市場原理主義の肩を持ったとして、批判が見られるが、この総裁のスキャンダルは、状況をさらに悪化させた。

さて、われらの関心は、世銀の最大の供与国のひとつである日本の動向であるが、マスコミは目立った意見も書いていない。財務省は、人員を要所に送り込んでいるはずであるが、辞任の声を上げているのか、あるいは、ブッシュ政権の追従にとどまっているのか興味のあるところだ。ほころびが出た。身内の弁護士を最高裁判事に任命しようとしたり、のネポティズム、お仲間ご都合主義が、市場原理主義やネオコンの本質であることを露呈した事件だ。日本でも、構造改革論とか、民営化とか、根拠のないことで、国富が掠め取られ、教育や医療の根幹が破壊されようとしている。他山の石として観察しながら、Call to End、誤った政策を終わらせなければならない。世銀と言う開発金融の城砦に大穴が開いた。しかも内部にも心ある職員が沈む世界を回復しようとの声が上がっている。

Pueblo

1968年のことだったと思う。アメリカの情報収集艦のプエブロと言う船が北朝鮮に拿捕されたのは。その船はまだ、ピョンヤンかどこかに係留されて、反米教育のために使われているとどこかで読んだ。不審船が、引き上げられてどこかで展示されているのと同じである。その翌年のことである。アメリカ大陸横断のバスの中で、子供が二人いたと思うが、プエブロの乗組員の家族が、どこかへとぼとぼと帰っていくのに乗り合わせた記憶がある。アメリカで銃撃があって、長崎で市長が銃殺されるテロルがあったから、思い出した。軍事的なうらづけがなくてはジャングルの国際社会では、なかなか取り返せない。イランでイギリス海軍の乗組員が領海侵犯で捕縛されたが、時間を待たずに釈放された。プエブロのように人質にはならなかった。今、子供さんも成長されているだろう。アジアの緊張をどう考えるだろうか。外交は、左手に棍棒を持ちながら、猫なで声で近づくことだといった米国の政治家もいた。日本と言う市場で莫大な利益を上げ、今度は猫なで声の総理大臣もやってきた。チベット人はよくわかっていると思うが、はじめは友好友好で優しい顔で、段々と夜叉の顔になってくる。あとは、武力だ。怖い話である。スイスのように、中立であれば、魅力のある考えではあるが、高速道路の脇に戦闘機を止めておき、すべての家庭に核シェルターを装備しなければならない。外国人犯罪のために、密告制度も導入するとかしなければならない。羊のようになった日本、困ったことだ。

Cat or Dog

世界の習慣は時々、自分たちの常識では推し量れないことがある。誰かが、ある東南アジアの国では、猫に首輪がつけられ、紐でつながれていて、犬は放し飼いだという。日本では犬が首輪で鎖につながれ、猫は自由自在に動き回っているが、逆だ。と、書いていた。

鎮守の森というのがある。森がいつから切られてしまったのか。花粉症の本当の原因は?昔は無かったアレルギー反応だ。

分からないことが無限にある。以上、閑話休題。

Ice-melting on which side?

Prime Minister Wen Jiabao of PRC addressed to the Japanese Parliament for forty minutes as a rare appearance on April 12. He at the ouset touched upon the long histry of relations of two countries and cultural ties. Wen said his three day visit to Japan meant to melt the ice between the countries. In his speech, which was broadcast live in both countries, Wen admit the economies are highly 'complementary and have a great potential for cooperation' and admit that the massive Japanese aid over the last two decades supported China's modernization and reform. The fact of Japan's massive goodwill and finanicial support was for long time played down by the Chinese side and Chinese general public was not informed at all that some airports, railroads, and telephone lines and other infrastructre projects was financed by the Japanese aid money. Wen did not directly refer to the Yasukuni shrine issues and avoided recently aroused comfort women issues which was denied and he added that they hope that Japan wilol show in concrete ways their expressed attictudes and promises. His style of speech was as if the Japanese Diet became a People's Hall. His style of demanding clapping hands while stopping or intermission was inserted to wait the positive reactions from the audience.. There was apparently  difference of political style. Japanese lawmakers tried very hard to welcome the guest from Beijing and tried to applaud the speech even if not necessarily perfectly received, and the Chinese side confidentlly and almost one-sidedly spoke their version of interpretations of the relations of the two countries. When Wen cited a lot of Chinese proverbs, many Japanese was reminded that the proverb can exist because the real world does not perceive the good points of the said proverbs. Japanese clapped hands only because they tried to welcome the guest but are well informed about the oppressions in the Tibet and peripheral areas of the expanding Chinese territories and possible crisis surrounding Taiwan. Japanaese does not forget that it was blocked by Beijing for Japan to join the permanet seat of the United Nations. Anti-Japan rallies was intentinally and tacitly assisted by the Chinese propaganda machines in the recent years.  Chinese maritime forces are quicky being expanded and corruption in China and socio-economic gap in the society is a serious country-risk. Many pondered which side kept the refregerated ice in the boxes. Japanes parliament is a Hall of Democracy and there is no equivalent political functions in China yet. He skipped some expressions and phrases which should be read though intentionally or unintentionally is not disclosed, the part which appreciated Japan's effort in the two countries's relations. The Prime Minister went to Kansai or Osaka area after visiting Tokyo, but he did not use the bullet train probably because of the security reasons but there is a speculation that it was avoided to let the people know that the bullet train technology in Japan is in its good standard. There may be many problems to be solved between the two nations, but it is the most important to maintain peaceful and mutually respectable and friendly relations.

 
 

Distribution of Wealth-Tax

税は、勿論、富の分配の機能がある。直接的な、政府の出費は予算として表現されるが間接的な分配についての策が、税である。日本の財政赤字が喧伝され、先の自民党総裁選挙では、消費税導入不可避論まであった。所得税については、累進構造がとられ、高所得者には高い税率で重い負担をかけ、低所得層については税率を低くしたり、あるいは所得控除で、再分配を効果的にする手法である。所得税の最高税率を引き上げることが議論となる可能性があるが、実は、本当の金持ちは所得税ではなく、そこに課税されるような形での所得は残していないのではないかとの議論もある。最高税率の対象となる社会階層も、それほどの大人数ではない。(その点から言えば、いつからか高額の納税者が発表されることもなくなった。たくさん税金を払うことは褒められるべきことではなく、いつの間にか、何か後ろめたい話になっているからかもしれないが。)税制では、やはり、金融所得の税負担を強化することである。現在、配当や株式譲渡の利益に対しては、僅かに10%の課税にとどまっている。株式市場を活性化するという目的で、その率が引き下げられたのであるが、どうも、株式市場の活性化とは余り関係がなかったようだ。優遇措置は、打ち切って、20パーセントに戻すべきである。相続税についても、減免措置がとられてきた。納税義務が生じる志望件数の率を引き上げるとか、あるいは、巨額の遺産に対して、課税率を引き上げる化して、つまり、累進的な算出法を取り入れて、きめ細かく対応すれば、
税収の増加は見込める。そうした、累進的な観点を放置して、財政再建だけを見ると、社会格差はいよいよ広がってくることになる。もちろん、低所得者層には、税制だけでの対応は無理であるから、その他の社会政策、地域政策などが複合的に行われる必要がある。市場原理主義者の言うように、あらゆる規制緩和は、単なる虚無主義者の見方である。
賃金抑制のために、正社員のアルバイト化など、米国の圧力に屈して、国民の消尽くを招いてきた。社会保険料をまともに取るためにも、年金制度をまともに維持するためにも、
補助金代わりの、企業優遇はある程度、削減されなければならない。競争力は、本当のところは、職員社員の長期的な安定雇用にも原因があるのではないだろうか。安月給で働かされて、会社に対する忠誠心も生まれないのではないだろうか。劣化する日本を救うためにも、企業家精神に富むものが、豊かになればなるほど、税負担を名誉として支えていく必要がある。そうすれば、社会に対して色々と発言することも許される。人間社会の基本を何とかコストダウンを、企業さえ生き延びれば、社会が幸せになるはずもない。社会格差が、世界的にも圧縮され、地域格差も余り見られなかった国が、あっという間に、転落した。いまこそ、見直しの時期である。市場原理の税制を見直し、公やけの部門を強化して、進取の気風の企業化を支援して、社会的な弱者に機会を公正に与えるべきときである。中国や、アメリカなどのような、極端な格差の国にしてはならない。同胞の幸せをみなで祈り分ち合う社会にと、再度挑戦を試みる必要がある。再チャレンジは、政府がまず
行うべきことである。

Prejudiced Reform

改革なくして成長なし、と小泉・竹中政治が叫んでいた頃が思い出させる。何の根拠もなかったが、国民は、閉塞する経済情勢が市場原理で打破されるはずだと信じ込み、幻想を抱き、あるいは巧妙な世論操作で、幻想を抱かされ、何もわからずに、改革との絶叫を信じ込んだ。郵政民営化などは、健康な人を急病人に仕立て上げたような話だった。まもなく、混乱が起きてこよう。ロシアでもそうだった。鳴り物入りの民営化は、放出された一部の国営企業を政商や、マフィアが私物化してしまい、なかには、資産を海外に持ち出す経営者までが現れた。経営者といっても、党の幹部であったものが多いのだが。日本の郵政民営かも、ロシアのエリツィン時代の民営化の熱狂に似ている。

徳本栄一郎著の、無法外資は、過去に無知であれば未来にも間違いを犯すとの教訓に従って、温故知新で、この十年にどんなことが、外国資本を巡って起きたかを問い直すために有効な文献である。特に日本のテレビなどは、全く掘り下げた報道を行わなくなった状態の中で、思考を研ぎ澄ますための参考書となりうる。国際ジャーナリストとしての優れた単行本である。

我々は、ハゲタカなどにおびえないで、その手法を冷静に観察し、相手の弱点を突いていかなければならない。ハゲタカ同士を戦わせる方法もある。日本はアジアでタダひとつの独立国であったが、21世紀今も、帝国の植民地に転落する危機に直面している。相手の自壊作用を待つだけではだめだ。無法外資の最終章は、青森県のむつ小川原湖で、発電所を建設しようとした、例のエンロンの日本での背後関係について述べている。オリックスの米国法人が参加して、日本対策を行う会社が設立された当時のエピソードなどが述べられている。エンロン的なやり方をすると、国民の不幸がもたらされることは、アメリカ国民が経験した。対日工作などの一端が書かれているが、その全貌に光が当てられるべきだと書いているが、未だし、である。東芝や、ブリジストンが、弁護士のいい鴨にされて、数百億の規模で、賠償金を取られた顛末なども記述されている。小泉・竹中政治は、ウォールストリートの「宣教師」などと比べれば、小僧であり、単なる軍曹がやらかした芝居であったかもしれないと言う指摘は、核心を突いている。幻想の見直しを開始するための良いガイドブックである。

Fair Trade

スティグリッツ教授の最新刊、フェアトレードの邦訳が出版された。もともとのタイトルは、Fair Trade for All( すべての者に対する公正な貿易)である。世界貿易機関、WTOの最初の多角的貿易交渉である、ドーハラウンド派2006年七月に中断されたままになっている。ドーハラウンドが中座した中で、各国は、自由貿易協定を結ぶようになっているが、世界貿易が分断される恐れがあると、本書は指摘しているが、自由貿易が、却って、世界の経済格差を強化したように見えるのは皮肉な現象である。強い国はますます強くなり、弱い経済や小国の開発途上国は、一方的な押し付けが先進国側からあり、貿易の条件としてそれを飲まされる。却って不安定化した世界の中で新しい枠組みを提案しようとする。
スティグリッツ教授は、市場は完全ではなく、特に情報については非対称性があり、つまり、ある人は知っていてもその他の人は知らないとか、開示された情報といえども完全ではなく隠された情報がある場合には、最適な経済的な判断や決定が行われない。従って
絶えず、政府の介入が必要であるとするものである。いわゆる市場原理主義の欠点を
補完して、世界的に頓挫した、公正な貿易の最高を図るべきだと主張する啓蒙書である。
自由化が進んだ国ほど、あるいは貿易量の多い国ほど、成長率が高くなるなどとは、全く証明がされていない仮設であると談じる。中南米の失われた十年の原因が貿易政策ではなく、開放的な資本市場政策であったのではないかとも示唆する。東アジアでは資本の流入を制限したが、中南米では、外国資本と直接投資に依存したために、却って脆弱になっていたとも言う。第十章では、アジェンダに載せるべきではないものと、興味深いあるいは皮肉な小見出しをつけて、知的財産権、競争政策、投資協定、為替操作、などをあげている。
 さて、日本は、わが国はどのような対処を行ってきたのであろうか。スティグリッツの本のような、グローバリゼーションのマイナス点についても見当を行ったうえで、世界に冠たる貿易国家としての責任ある主張を行ってきただろうか。あるいは、タダ、タダ、アメリカに追従して国富を消化し、あるいは、開発途上国に対して押し付けを行っている面があるのではないか。さて、資本の自由化が本当に日本でも成長を引き上げたかと言うとそうでもなく、今では、ハゲタカの自由な活動と同義語にしかなっていない。政府の介入は、規制緩和の大合唱の中で、地方切捨てや、弱者の切捨てとなって、日本の国内に、開発途上国のような、内なる格差が生じてしまった。競争、競争と喧伝されているが、実は本書によれば、競争政策も不完全であれば、逆の結果を招きかねない。例えば、郵政民営化なども、成功するのは競争的な環境がある場合に限られるが、日本の場合には、大銀行などがとても競争的な環境になるとは言い難いところから、失敗する可能性が高いのではないかと推量できる。国内の中小企業などに優遇処置を与えることも、多国籍企業が差別されるとしても正当化されるべきであるとも述べている。ネオコンや、新自由主義の経済学に、淡々と実証的に批判を進める。世界のグローバリズムの欠陥を指摘して、公正な世界を目指そうとする、西欧文明の良心の部分としての良書である。市場原理主義といわゆるグローバリズムは世界の半分以上の世界では、機能しないで行き詰っているのである。貿易国家として世界の登場した日本は、このような大戦略を掲げて行政を行ったわけであるが、その影響力は急速に低下しつつあるが、むしろ唯一のアジアの独立を維持した国として、共生の考え方に転換するために必読書となることが期待される。日本は、一部のたいこくのように、世界を窮乏化させる、不公正な世界にする側に加担してはならない。

Political Propaganda and dying Democracy

政治プロパガンダの横行は日本だけではなく、アメリカで「思想の自由市場」が瀕死の状況にあると、大統領候補であったアル・ゴア氏が演説している。(2005年10月5日、ニューヨーク、全文はネット上で入手できる。)。ゴア氏は、地球環境問題の著書「不都合な真実」を出版して、邦訳版もベストセラーだ。活字離れが起きてテレビ漬けになったアメリカ人の日常生活は、アメリカの民主主義を破壊して、国是の『思想の自由』が跡形もなく消えてしまったと述べる。国民一人一人の意見を反映することができないテレビが、中央集権化して、少数の企業が支配する実態について解説する。強力で一方通行の媒体を支配する集団が民主主義を損なう可能性があることは驚くにあたらないとして、ニュース部門では、記者が専門的な知識を現場で全く実践できない状況が生じたと述べる。アメリカのプレスは、世界のプレスの自由度のランキングで、27番目の自由度であるとの指摘は、一般的に表現の自由が尊重されていると言う、アメリカ理解からは程遠い話で、アメリカの変質が語られています。社会問題や環境問題がニュースにならず、国民に情報を提供して公益を高めるどころか、視聴率と広告の売り上げを伸ばす手段に堕落したとも述べている。アメリカでも報道が娯楽番組になったとの発言は、日本のテレビで、芸能人が政治・時事解説をしている奇妙さと同列だ。アメリカの国会議員はテレビ広告の30秒枠を買うことに狂奔して、カネのある者だけが議員になってしまい、一般の市民がテレビの反論枠を買おうとしても買えない制度の矛盾を衝いている。広告が欲しくもない商品の需要を生み出すように、欲しくもない思想の需要を生み出していると分析している。ゴア氏は、10年後もテレビが米国の民主主義を支配し続け、思想の自由が瀕死の状態のままかもしれないと絶望的な発言をした上で、新興のインターネットについても、企業が食指を動かしていると警告して、阻止しなければならないと演説を締めくくる。アメリカでは中間選挙で民主党が勝利したから、アル・ゴア氏の考え方はもう負け犬の遠吠えではないが、アメリカで自由が失われ、メディアが市場原理主義者に支配されて国全体が変質した実態を世界に知らしめた名演説だ。

ところで、この国でも郵政民営化法案の審議の過程で、初めて国民を欺くアメリカ型のプロパガンダによる世論操作が実施された。世論操縦の具体的内容について分析する論文が、副島隆彦編著『日本の真実』(成甲書房、1800円)の一章として、中田安彦氏の執筆より発表された。「大衆世論を操縦せよ!」副題は、「郵政洗脳選挙」と「広告プロパガンダ代理店」と言う論文です。郵政民営化選挙は、戦後初めて広告代理店を総動員したプロパガンダ選挙であったと指摘して、拉致問題や、年金問題などをそっちのけにした、プロパガンダの実態を、新聞の首相動静欄から読み解いていく。米大手広告代理店の会長と,国会解散前の重要な日に会談を行う理由の謎解きがある。郵政三事業は、税金を投入することなく独立採算で運営できていたものをわざわざ分社化して、安定した経営を不可能にする奇妙な制度設計の謎解きも解説される。米国保険業界の力や、あれだけ、民営化を主張した在日アメリカ商工会議所の会長が、AIG保険の子会社の社長であると傍証を固める。(日本に圧力を加え続けた米国政府USTRの交渉要員でもあったし、最近では東証の社外重役にも就任している。)日本の民主党のPR戦略が、わざと民主党が負けるように仕組まれたものではないかとの推論は圧巻で、キャッチフレーズが、後ろ向きな「日本をあきらめない」などに変更された事実を明らかにして、岡田代表(当時)のCMの不自然さを分析している。前述のアル・ゴア氏の演説が解説しているような米国の広告代理店の役割や、その理論的な背景について縷々述べた後に、郵政民営化PRに見る大衆蔑視の実態と言う小節では、政府広報が目的のためには手段を選ばないプロパガンダで、黒か白かの、常套手段の対立軸の図式を作り上げ、B層(主婦層アンド子供を中心、シルバー層、具体的なことはわからないが小泉総理のキャラクターを指示する層)をターゲットとして、知能指数の低い層との表現ぶりを明らかにしている。湾岸戦争や、イラク戦争でのアメリカの情報操作の例を紹介した後に、「次なる「日本国民洗脳計画」を見破るために」と言う小節では、阿部首相が教育問題関連のタウンミーティングで「やらせ質問」の問題で三か月分の給料返上に関連して出された報告書の中に、「政府の方針を浸透させるための「世論誘導」ではないかとの疑念を払拭できない」との結論を紹介して、締めくくる。

郵政公社の生田総裁は更迭され、いよいよ元住友銀行頭取の西川社長が、郵政公社の総裁を兼務した。3月19日には、新しい制服やロゴマークの発表会が開催され、巨額の宣伝広告費が民営化の10月までに動く。特筆すべきは郵政職員をテーマにした映画の製作も行われるらしい。企業と成った郵政が、映画による宣伝をするというハリウッドの旧式の国威発揚映画と余り変わらない手法になることを恐れる。郵貯や簡保の宣伝は政治宣伝の要素はこれまでなかったが、前掲論文の民主党のCMの事例のように、利益相反の手下に、まんまと騙されてしまったらしいという事になってはならない。ロゴマークもすっかり横文字になって、外資まがいのデザインとなったが、民営化された郵政会社が出入りの広告会社の多様性を保つかどうかも論点だ。郵政事業の分割は、竹中大臣の主張した「リスク遮断」ではなく、むしろインフラ事業としてのリスクを高め、都市も地方もあまねく共生すると言う日本の文化と伝統を破壊するものであり、いよいよハゲタカの餌食となることを促進する政治プロパガンダが登場することを恐れる。アメリカの広告会社は、企業の利益を守るのであれば、外国で政府や国をも転覆しかねない活動をした実績も、前掲論文に紹介されている。

日本の場合は、テレビでは公共放送としてのNHKや有力な月刊誌や週刊誌、地方新聞社があることが、アメリカと比べて唯一の救いである。NHKに対する色々な圧力の気配が小泉・竹中政治の頃から散見されるが、アメリカ以上に市場原理主義者のプロパガンダ手段と劣化したメディアの偏向に対峙して、最後の砦となって真実のニュースを伝えて欲しい。ブロードバンドはアメリカ以上に発展しているので、劣化したメディアの代替手段として、ゴア氏の主張するように、自由のための情報通信技術として発展して欲しい。

http://www.breitbart.com/article.php?id=D8D2IU703&show_article=1
上記はアルゴア氏の演説本文へのリンクです。

Urban Design

魚住昭著「官僚とメディア」のハイライトは、タウンミーティングの闇もさることながら、耐震偽装事件の本質について記述した部分が最も説得力を持つ。

国土交通省が、作り上げた建築確認システムの空洞化が原因であるのに、姉歯設計士の偽装を見破ることができないシステムにした責任を転嫁したのではないかとの指摘である。空洞化は、98年のアメリカの市場開放要求に従った建築基準法改正が原因とする。アメリカの要求を入れる。民間建築確認制度を導入して、仕様規定から国際スタンダートと称する性能規定への転換の目玉として、限界耐力計算法が採用される。市場原理主義の下に、構造計算のダブルスタンダード化があり、建築確認システムが事実上破綻した。被害者が加害者に仕立て上げられ、本質的な問題の原因となった、日米構造協議や、アメリカの要求についての検証を行わないで罪人を作り出す手法に警鐘を鳴らす。その昔、電電資材調達問題でも、仕様規定の問題が露呈したことがあった。その時には、ITTという名うての交換機メーカーが、仕様規定ではない性能規定で日本側の調達に圧力をかけたが、いかんせん、性能はよくても、馬鹿でかいアメリカ製交換機は小さな日本のビルには入らない仕様だったので、誰も買わなかったという笑い話があったが、国情にも合わない押し付けで、ダブルスタンダード化が、国益に合うのかどうかが問われているのである。外材を買うために、木造の三階建てなどを解禁しているが、地震国の日本にはそぐわないことは、江戸の昔から試されているのではないだろうか。釘打ち機の釘は、湿気の多いこの国で本当に持つのか、データはあるのか、再検証するタイミングかもしれない。

Shinkansen

中国の温家宝総理は、東京の日程を終えて関西へとの報道である。その移動には、飛行機を使っている。警備の問題もあろうが、新幹線に載らない理由もあるのかもしれない。単なる勘繰りに過ぎないが、台湾の新幹線開通、上海のリニア鉄道の不具合、JR東海の中国への新幹線技術を移転することへの反対などを考えて、新幹線を使わなかったかもしれない。中国のテレビに新幹線が映ることは困ったことなのかもしれない。単なる勘繰りの独り言である。オリンピックのことや、日本国内での動きなど、色々と貴重な情報が飛び交う訪問であり、単に口々に友好を叫ぶだけでは友好にもならない外交劇である。おとといの共同声明における表現も日本側の主張は本当におとなしい。中国国内における反日の動きも氷解させてもらいたいものだ。日本国内における非礼なスパイ活動に対する言及もない。

Town Meeting

タウンミーティングの言葉は、直接民主制の匂いのする言葉である。英語であるからアングロサクソンの国々での地方自治体で行われる会合であるが、たしかに、東部十三州あたりの小さな町では、町民全員参加で、長々と議論をして、町の経営をしているところがある。市長は、選挙ではなくそのタウンミーティングで選出した三人くらいの代議員が、セレクトマンと呼んでいるが、代表して、いわば町の経営事務局長と、契約をする。タウンクラーク町の事務訳とでも訳すべきか。出来が悪ければ、そのうち解約になるし、出来がよければ延長になる。町長もいないが、町の財産管理や、学校経営や、そのほか諸々、セレクトマンを通じて、その事務局長がやる。そんな直接民主制の町がところどころにある。

そんなタウンミーティングが、日本で喧伝されたのは、最近のことである。しかも、特定の法律を通したり、制度の定着を図るために、ある種の情報宣伝手段として用いられた。

魚住昭「官僚とメディア」角川書店は、第八章最高裁が手を染めた「27億円の癒着」で、タウンミーティングが、裁判所、地方新聞社、共同通信社、電通が一体となって、情報操作にまい進したタウンミーティングの事例が述べられている。裁判員制度というアメリカ型の制度導入のために、政府の工法予算が使われ、広告と偽装記事とが抱き合わせで契約されている実態などが述べられている。まだ、電通と地方紙連合との政治のかかわりについては分からないことが多いとしているが、その片鱗についても記述している。

教育改革基本法、郵政民営化などでもタウンミーティングの手法は多発された。郵政民営化では、同じような手法で、新聞のみならず、テレビ局も動員された。竹中大臣が出演して、賛成反対の意見が述べられるが、新聞と連動して、結局すばらしい改革として宣伝するやり方である。一部のテレビ局の関係者は、そうした情報操作に抵抗したところも見られたが、表面化したところは無かった。不景気で広告費の減収に悩む地方新聞社や、特に弱小のいわゆるU局は、飛び付いたものと思われる。郵政民営化の政治宣伝は空前の規模で行われたことは間違いないが、今後、漸次その内容が明らかになってくることを期待したい。メディアは誰のものかと問いかける好著である。「マスコミの論調や世論がいつの間にか変わり、一昔前だったら反発を受けたに違いない国策がすんなりと受け入れられる現象が相次いでいるが、その裏には、政府や最高裁とメディアが一体となって仕掛けたプロジェクトがあった」ことが、日本の政治や経済や社会をすっかりゆがめてしまったことを指摘している良書である。

Cheque against the delivery

中国の温家宝総理が来日して国会演説をした。報道によれば、演説原稿を読み飛ばしたとのことであるが、それは、おそらく、意図的に行われた可能性が高い。予定演説原稿を配るにしても、普通であれば、cheque against the delivery とのはんこを押してあることが多い。実際の演説もようと比較対照してみてくださいとの意味だ。事務当局の原稿を、政治家たる演説者にしてみれば、意図的に読み飛ばすことがあるから、演説自体のほうが正文だという主張を、cheque against the delivery と広報担当が言い訳をするわけである。読み落としたのは、日本は戦後平和発展の道を選び、世界の主要な経済大国と重要な影響力を持つ国際社会の一員となりました。中国人民は日本人民が引き続きこの平和発展の道を歩んでいくことを支持します。の段落だという。中国のような厳しい体制の国で読み飛ばすことなどありえない。まったく意図的なものであろう。テレビが、いずれは、中継が入っていたかはどうか知らないが、中国人民に聞かせたくない箇所を端折ったに違いない。あるいは、外務省が、台湾問題をトーンダウンを要求したので、それに呼応してしかるべく対応しただけのことだろう。日本の国会で,何回も拍手したが、演説をはしょったことに気がついた国会議員は何人いただろうか。席を立つ議員も見られなかった。誠に残念なことであり、国会議員の資質が、国策に鈍感になっており、いわゆる外務研修などを行い、微妙な駆け引きに対応するようにしなければならない。温家宝総理が、読み飛ばすことも非礼だとは思うが、それ以上に、その場で、意思表示のできないこの国の劣化した政治を情けなく思う。本当に読み飛ばしたかもしれないが、反応すべきである。本当に読み飛ばしたなら、温家宝総理は、反日抗日の機運の中国政府あるいは、歴史を知らない中国人民には歓迎されることは間違いない。しかし、それでも外交の王道ではない。

Sincerity is the best diplomacy. 手練手管では通用しないのが外交である。外交は至誠のいいにくいことを言うのが真の外交である。本当に間違えて読み飛ばしたのであれば、北京に帰っておそらく問責を受けることになるだろう。日本側にソフトな対応をしなければならないのは、中国側だから。歴史を歪曲して帝国の気分になって、反日の路線を歩んだのは、江沢民の中国側である。日本は自らを犠牲にして、おかしなことに、入れ込んでいることの現実を中国側が知らないはずはない。国会は今回の真偽を確かめるべきである。どうも、役者が相手が一枚上だということになることを恐れる。

Tentara Pembela Tanah Air

In the vicinity of central Jakarta, Indonesia, there is the Kalibata hero's fcemetry. Holy place where heroes for Indonesian independence sleep eternally. Around twenty Japanese who fought the War together are also buried. In 1944 Japanese promised Independence with Sukarno but Japan was defeated before the commitment was executed. Those souls at the cemetry are the Japanese who tried to bring out the promise and fought for the independence together with Indonesians.Those cemetries scatters around all over Indonesia and about two thousand Japanese soldiers at their lofty ideal and sacrifice are also commemorated even if there are not only brighter side but also  some shadowy side of the Japanese occupation days. Those Japanese now
became the foundation stones for the friendly relation of two countries.Peta march, lyrics of the Fatherland Defense Volunteers are still sung among the people for more than sixty years. Indonesia is now a Democracy surpassing the days of Developmental Dictatorship and cooperation amongst the Democracies in Asia is essential for the Peace and Japan can play important role as a friend of Asia and a leader.

Straits and Independence

月刊日本という雑誌がある。硬派の月刊誌で、平成9年四月に創刊されている。日本国の自立と再生が初志であるという。その三月号に、インドネシアの国会議員であるユスロン・イーザ氏の優れた論文が掲載されている。要旨はインドネシアが地政学上日本にとって重要である。独立戦争で血を流した、命を落とした日本人があり、友好関係の礎がある。武器三原則を見直して、マラッカ海峡の海賊対策などのための高速艇等を問題なくインドネシアに供与できるようにした欲しい。三原則そのものが、実質的には余り意味がない。エレクトロニクスの部品など、規制できないのではないか。日・イで共同でエネルギー危機に備えるべきだ。中東に石油利権があるからアメリカは中東に出兵したのだというのは単純な見方だ。アメリカは石油輸入先を西半球、アフリカ西部へと転換しようとしているから日本は自力で、対策を講じることが必要だ。東南アジアでの対中戦略を練る必要がある。中国が今猛烈な勢いで利益を東南アジアで確保しようとしている。日本企業もそれほど評判は芳しくないが、日本人はインドネシアで尊敬されることができる。バイオエネルギーの開発を主導して欲しい。対東南アジア外交をいっそう進めて欲しい。インド、インドネシア、オーストラリア、台湾といった民主主義国の連帯を強めるべきだ。最後に、インドネシアの祖国防衛義勇軍の行進曲の歌詞をを紹介する。数字の上での経済発展が頼りないものであることをアジア通貨危機を例にして述べる。清き東洋に幸あれという言葉を、東南アジアの政治家と、日本の政治家は密に対話を重ねる必要があると主張する。

歌詞は次の通り。アジア、すでに敵に向かい、蜂起せり。己を捨てて全力を尽くす。連合国を粉砕せんと。玉散ることもいとわず。進め進め義勇軍。アジアとインドネシアの義勇軍。清き東洋に幸あれ。古きアジア不幸に苦しむ。烈しき圧制に幾世紀も忍ぶ。大日本雄々しく立照り。アジアを救い我らを守る。進め進め義勇軍。アジアとインドネシアの英雄。清き東洋に幸あれ。

インドネシアでは開発独裁の時代が終わったとの認識である。日本がリーダーシップをとるべきだと強調する。

Japan Colonized

この国のマスコミがほとんど報道しようとしない、年次改革要望書についてわかりやすくまとめておく必要がある。1993年の宮澤総理の時代に、当時のクリントン大統領との合意でその翌年から発表されている。その他に、規制改革競争イニシャティブとか、日米規制緩和対話とかの形でも発表されているが、要するに、日本政府に対するアメリカの要求である。建前としては双方向の形であるが、日本側からの要求に対する回答はないも同然で、実質的には、まったくの一方通行の押し付けの内容である。年次改革要望書の内容に基づいて法律改正が行われている。

1。人材派遣業の自由化。労働者派遣事業法が改正され、派遣労働を原則自由化した。これによって、非正規社員が急増することになり、同一会社の中でも、賃金格差が顕在化することが目立つようになった。96年にアメリカの要求があり、99年に法律改正があり、2004年には製造業に置ける派遣労働も解禁されている。ILOにおける、同一労働、同一賃金の原則を踏みにじるものであり、世界的な方向とは逆行するものであるが、デフレ経済にあるために、むしろコストを下げる要員として、企業側からは歓迎されたこともあり、労働組合の強い反対も押さえ込まれており、今後景気が好転する中で、批判的に見直しが行われる可能性がある。アメリカでは週給の形態がまま見られるが、月給制が定着しているわが国では、まったく異質の労働形態であって、生涯雇用のプラス面を破壊する効果を持った。一方で、派遣労働の業界は急成長して、政治的にも活躍する経営者が見られるようになった。国家公務員の人材バンクの事務の委託を受けた会社などがその典型であるが、米国政府との直接的な関係があるかどうかは定かではない。

2.大規模小売店法の廃止。地方の都市で、シャッターどおりを生み出した元凶の法律改正であり、97年の要求による。3年後の2000年に法律が成立。その後の地方都市の中心街の衰えは急速で、その反面、郊外に立地する大型店舗は、不夜城の景色を呈することとなった。ところが、建物は、ほとんど美的感覚とか、歴史的感覚とか、規制がほとんどないところから、アメリカの西部の町を思わせる立地となり、社会的には、万引きの現象とかも生み出している。むしろ、ヨーロッパ諸国のように、バランスの取れた、商業用地と農業用地とのゾーニングなどをしっかりした上で、しっかりとした都市計画の本に行われる必要がある。アメリカでも、こうした巨大なモール街の建設には批判が起こっており、市街地の再開発、例えばボストンにおける倉庫街の再生などが行われているが、アメリカ資本の進出を容易にする観点のみからの法律改正は、かえってアメリカ資本の店舗にとっても好ましくない結果を生むことになるかもしれない。

3.郵政民営化は、小泉総理の執心として、法律案が強行されたが、実際にはアメリカの差し金によるもので、アメリカ政府との十数回にわたる協議があったことが国会の審議でも確認されているが、具体的な内容については公表されていない。以前から、AIGの保険関係者から簡易保険の廃止が主張されており、これに、財政赤字に苦しむ財政状況から、郵貯簡保資金を、官僚支配の下に置こうとする思惑が重なり、金融と非金融との分離が行われる中で、明治以来の郵便局ネットワークが急速に縮小する危険が発生した。民営化後の会社は、5分社化され、新旧勘定の分離がおこなわれ、現存の郵貯簡保の残高は新しく設立される独立行政法人が監理することとなっている。アメリカの思惑通りに進展しており、郵政会社の内部には、外資コンサルティングなどからの関係者が採用され、着々とかつ式売却の準備が進められている。2004年、9月の日米首脳会談で、ブッシュ大統領は、小泉総理に対して、郵政民営化の進捗はどうなっているかと質問しており、内政干渉であることをまぬかれないが、世界最大の金融資産の私有化であるだけに、世界的な関心を呼んでおり、国内外でこれからも色々な問題として提起されることになる。

4.建築基準法の改正 偽装マンション問題、姉歯事件で、問題の欠陥が露呈した。日本在来の工法が否定され、仕様規定から性能規定に変更した。しかし、これは、釘の問題など日本の自然環境との整合性など、根本的な問題整理が行われたとは言いがたく、建築確認業務を民間委託した問題が直ちに違法建築マンションとして露呈した。アメリカからの建材の輸入を促進するものであるが、地震の対策などとはほとんど関係がない。拒否できない日本の著者関岡英之氏は、この建築基準法の改正が、地震対策として改正されたと思ったが、その背景を調べるうちにアメリカからの圧力が背景にあることがはじめて分かり、ベストセラーとなった同書を執筆する契機になったと述べている。

5.電気通信。電気通信市場は、携帯市場がさかんになる中で、イギリス資本の会社が撤退した。マーガレットサッチャー氏が、アメリカに市場開放するなら、イギリスにもと周波数割り当てを要求して、創った会社が全身であった。撤退といっても、無から巨額の利益を生み出したわけであるから、ものすごい利権であった。外国資本が経営参加したりするなどの制限を廃止しろとの要求であるが、NTTなどの解体をもくろむものであると指摘する見方もある。アメリカ本国では、接続料の制度などがうまくいかず、競争制度が、技術開発につながらず、また新規投資にもつながらなかったので、通信政策そのものを変更しているが、いまだに、日本ではそうした要求を取り下げてはいない。オークションの制度なども、もてはやされたが、世界のいずこの国でも成功せず、特にヨーロッパでは巨額の損失があり、完全に放棄されている。

6 医療制度 医療機器、医薬品。アメリカの保険会社の利益とあいまって、国民皆保険制度を採ってきた、福祉国家型の制度を破壊しようとする目論見があるものと思われる。混合医療などの制度は、慎重に行われなければならないが、金融部門とのかかわりで特に強硬な要求が行われている。詳述しなければならないが、大きな論点である。日本医師会などの内紛もこうしたアメリカの利益を守るのか日本国民の健康を守るために行うのか判断が揺れ動いており、政治的な課題としても目が離せない。

7.法務制度改革。 外国法務弁護士が、日本に参入しやすくする制度を要求している。アメリカ型の争訴社会を日本で作り上げようとするものである。これまで、アメリカに日本企業が進出する過程で、色々な難癖がつけられて、その度ごとに和解金などをせしめてきたところで、こうした弁護士家業が、日本国内でも定着していくことを目指している可能性が高い。法科大学院の急増もこの一環であり、法律家の増員を通じて、商業化して争いごとを高める社会改造を行おうとしている気味がある。

8.商法の基本的な内容が改正されており、三角合併については、実施が遅れたが、いよいよ実施されるところから、問題は顕在化することになる。外資が日本企業を買いやすいようにするという基本的な制度作りであり、2005年の会社法改正をアメリカは評価しているから、意図したとおりの改正で、今後急速に、国内企業の外資かが行われることになろう。会社の考え方についても、株主のものであるとのアメリカの認識が、今後は中小企業などでどう受け止められていく課などが、具体的な問題として浮上してくるだろう。資本による支配は、資本主義の根本ではあるが、裸の資本むき出しで、資本主義が維持されるのかどうかについては根本的な問題を抱えている。アメリカでも利益第一主義で、機関的な製造技術や、人的資源が失われたとした指摘もある。有名なスキャンダルはエンロンであり、アメリカにおける大規模な資産を一夜にして失った事例も発生しているから、粉飾を抑圧するために内部統制などのための立法を行ったが機能しておらず、わずか4年で、見直しを行って軌道修正をしているが、今、日本で、コンプライアンス、内部統制が花盛りとなるという、笑えない、アメリカ型会社への追従がブームとなっている。

本稿については、なお内容の修正、充足を図る必要がある。随時修正、追加を行っていきたい。

Shadowy deregulation

有森隆+グループK著『『小泉規制改革』を利権にした男 宮内義彦』〔講談社刊、1680円〕郵政民営化問題を含め、小泉政治の影の部分を読み取るための貴重な出版である。帯には、『『規制緩和の旗手』と『改革利権の最大の受益者』の一人二役を演じた経済人の『光と影』とある。『宮内は、何を狙って規制緩和を推進したのか、ビジネスチャンスの拡大が、彼の目的であろう。規制を少し動かすだけで、ヒトの流れ、モノの流れ、カネの流れが変わるからだ。規制を撤廃すれば、既得権者に向かっていた流れを断ち、新しい商機を生み出すことができるのである。規制緩和は、既得権者が独占していた利権を奪うことを可能にした。新語辞典風に言えば『改革利権』である』と裏表紙側に、書いてある。著者は、中小企業者との雑談の中で、関心を寄せ始めたと書き出すが、『過疎地の自然死を待つといわんばかりの宮内の発言を読んで、この人はニヒリストではないかと思った』と言う。ホリエモンや村上ファンドのような時代のあだ花ではないかとも言う。執筆の動機は時代の澱を浮かび上がらせるためであり、小泉構造改革の功罪を検証するために、宮内義彦という経営者の奇跡をチェックすることは大きな意味があると言う。序章は、政商とは何かとの議論をしたうえで、その変遷について書く。第一章は『規制緩和を糧として』との題で、高知県で失敗した株式会社病院の実例を挙げて、『混合医療』の問題に迫る。いわゆる宮内委員会での反対意見を黙殺するような強硬さを、会社方式の学校経営に反対する意見を巡って分析する。第二章では、村上ファンドとの関係を詳述する。第三章は、「あおぞら銀行で大儲け、エンロンと組んで電力ビジネスへの参戦」などの小見出しをつけて、日米の会計基準の違いや、粉飾について解説する。第四章は、『生身の宮内義彦』と題する人物評価である。第五章は、プロ野球のオリックスのオーナーとしての言行不一致を解き明かす。話題になったプロ野球界の騒動の解説である。第六章は、『本当は何を変えようとしたのか』との題で、市場化テストの実態や、規制緩和会議の議事模様について指摘した上で、日本取締役協会の設立の内幕について触れる。第七章は圧巻である。城島正光衆議院議員〔当時〕の国会質問を巡って発生したいわゆるザ・アール事件について詳述する。郵政民営化の関連では、奥谷禮子ザ・アール社長の日本郵政株式会社の社外取締役就任について、『日本郵政公社総裁・生田正治との関係が指摘されている。〔中略〕日本取締役協会を立ち上げた同志である。宮内人脈の後押しを受け、奥谷の日本郵政の社外取締役就任が決まったと言っても過言ではない。〔中略〕社外取締役の会社に『接客サービスの研修などを』委託しているのは、透明性にかけるとする声は強い』と記述する。いずれにしても、時宜を得た勇気のいる出版であり、構造改革は地方を直撃しているだけに、一読を勧める。

Analyzing propaganda

最近、小泉政府の内部で活動した政治家や、官僚の思い出話のような記事や本が、続々と出版されています。自慢話の類でもありますし、肝心のことは明らかにしない本が多いのですが、それでも情報は漏れてきます。冷戦のさなかで、ダイジェストオブザソビエトプレスというニュースレターが、発刊されていましたが、それは、旧ソ連の中で発刊される、チラシ、地下出版物の類を集めて、情勢判断をしようという試みでした。秘密になっていた中ソ論争なども、そうした分析作業の中から明らかにされました。
 そうした、『今だから話そう』の類で、表に出たのが、エコノミスト〔英語のほうではない、毎日新聞社発行の経済週刊誌〕12月25日号に掲載された、竹中総務大臣当時の補佐官だった、高橋洋一氏のインタビュー記事である。(実際のインタビューは、去年の八月に行われた由である)。財投改革で、郵便貯金を国庫から出してしまったことが、郵便貯金がそのままほっておけばつぶれる、だから民営化は必然だったと主張している。逆手にとって郵貯資金を資金運用部から切り離したなどとの主張だ。どうにも、大蔵省が郵貯資金の預託を受けて、資金運用部を抱えていたら大変なことになると言うのが本音のようだが、前提としての、この国のバランスシート不況、金利をいじってもどうにもならず、本質的には財政政策で、何とか危機を回避し、バブル崩壊後の急激な信用収縮を乗り切り、財政均衡論という官僚支配の逆噴射を回避すべきであったと言う視点は、どこにも見当たらない。財投改革が、特殊法人の郵便貯金原資を無駄遣いしていて、税金投入が行われていたことなどを認めながら、片方で、資金運用部では
ALMを導入して収益管理を行い、収益を上げたとある種の自慢話をしながら、郵政公社ではそれができないと言うのは、論旨が一貫しない話である。郵政公社は、企業会計を導入して、ALMもやり、民間的な経営手法を導入したのではなかったのか。郵貯は国債しか買えない、もっと金利の高い貸し出しで運用しないと破綻する、などとの主張は、現実の制度論からも乖離した主張である。ゼロ金利でも、資金需要がなくあえいできた日本経済を無視して、あるいは、外国に郵貯資金を流出させて、ハゲタカ連中の投機の資金として活用されることがいいことだとの本音がちらついているような発言振りだ。景気対策としての財政出動の原資として、郵便貯金が使われ、むしろ、セイフティーネットの役割をしたことに対する評価などは微塵もない。第一、国債しか買えないなどとは、事実に反する。むしろ市場が反転して、金利が上昇する局面になれば、国債が売却されるから、政府の資金需要の原資としてのリスクが増大することにもなりかねない。ある高名の政治家が、国債だけを買うとか、国債以外は買わないなどと発言することは慎重にすべきだと、郵政公社発足時に発言していたことを記憶しているが、むしろその方が正論だと思う。もっとも安全な国債で運用して、利ざやが稼げるなんて、変でしょうと発言するが、日本の銀行金利が国債金利より低いと言う死に至る病のデフレ経済をどうするかの視点はない。郵政の4社分割は、金融と非金融を分ける原則を考えた結果だとしているが、小生のニューヨークの友人などは、それが問題だと言っていた。日本の郵便局の利点は三事業と一体で運営して効率的に経営していたことが、日本の郵政政策の優位なところであった。別にしないと、両方とも生き延びられないとの主張であるが、社会政策、地方政策の視点など微塵もない。岩崎弥太郎の創業の銀行が長らく、土佐の高知に支店がなかったとの笑い話などはどう受け止めているのだろうか。民営化の基本方針は少人数の秘密作業でやったと言う。自民党の論議の過程で法案の内容はほとんど変わらなかったという。官僚支配が貫徹したと言わんばかりの発言であるが、国会の先生方で、この記事を読んで、お怒りになる人はいなかったのだろうか。経済財政諮問会議は、民主的統制を受けずに、独裁に手を貸したような話し振りである。運用は、クレジットデリバティブを考えて、下りていってリテールだとも発言している。郵便貯金は、国民の財布代わりの、ローリスク・ローリターンの政策金融であることを正面から否定して、ウォールストリートなどの投機の世界に入れ込もうとする魂胆があったことになる。怖い話である。骨抜きにならないように監視しなければならないとも主張するが、劇場型政治の熱狂の中での危なっかしい、現実離れの誤った理論?で、読めば読むほどに、次の国政選挙では、郵政民営化法を修正して、あるいは凍結するほうが、国益になることを改めて確信させるインタビュー記事である。
 『民間に資金需要がなく、借り手が政府しかいない状況で、民営化を急ぐ理由はなかった。今の日本経済は、政府がカネを借りて使うことで回っているのであり、このような局面で必要なのは、政府ができるだけ低コストで民間の過剰貯蓄を吸い上げることができるようにすることである。そうすることが国民の負担する景気対策のコストを最小限に抑えることになるからだ。そして、その役割を担っていたのが郵貯であった。』〔引用は、新刊の、リチャード・クー『陰と陽の経済学』東洋経済新報社、110ページ〕
 前総理秘書官による『小泉官邸秘録』も同じような類の本である。メディアの『操縦の仕方(まま)』についても一節がさかれているが、参議院否決の夜の記者会見で、真紅のカーテンをバックにしたことが、特筆されており、別のところでは、政党のテレビコマーシャルは『評価の高かった真紅のカーテン』の前での総理の会見をセットとして組み立てたと記述している。真紅のカーテンとはどんなイメージを狙ったのだろうか。邪推であるが、血の色のことではなければといいがと思う。レーニンが獅子吼する場面を模したのでなければとも思う。『改革はとめるな』のポスターは、小泉総理就任時に使った4年前のポスターを基本にその間に変わった髪の色を修正して使うこととしたそうである。全体主義の国では写真を修正することなど朝飯前で、毛沢東の長征の写真がその典型であったが、そんなことがこの国でも起きていたことを知ってびっくりする。広告会社のコンプライアンスなどは配慮されないものらしい。身分証明書の写真などは古くても六ヶ月以内の賞味期限である。プロパガンダの手法である。民主主義は扇動の前では脆弱であることがよく分かる。

 「今だから話そう」の記事や本が、反面教師として、どのようにして誤った政策が形成されてきたか分析するために、有用な例である。

Telecom Development

電気通信開発の20年
~メイトランド卿のミッシング・リンクから20年~
  


次の世紀の初頭まですべての人類が電話を容易に手にすることができないあるいは電話がもたらす利益を享受できないということがあってはならないという理念で、世界的な電気通信開発を求めて、国際電気通信連合のもとに、独立委員会が組織された。イギリスのメイトランド卿を委員長としたために、メイトランド委員会とも呼ばれる。その委員会が提出した資料は、ミッシング・リンクと言う題名で、失われた輪と翻訳されるが、人類の進化の歴史の中での欠落した部分を示唆している。ともあれ、その報告書は、内容が実際に読まれるかどうかは別として、世界的な電気通信開発の文書の中では、おそらく最も頻繁に引用された文書である。1985年に公表されてから、20年の歳月が流れた。10年ひと昔というからその倍の時間が流れたわけである。温故知新。現状を見定めた上で、過去の歴史を紐解くことは大切である。そうした矢先に、2005年の英連邦諸国会議に訴えるために、主にイギリスの関係者が、上記報告書の20周年を機会にして、Maitland+20と言う題のエッセー集がロンドンで発刊された。


 メイトランド報告の中で、全アフリカにある電話台数よりも、東京23区内の電話台数のほうが多いと言う表現がよく人々の口吻にのぼった。(現在では、アフリカには2500万回線を超える固定電話があり、携帯電話は5000万台を超えているから、総量としては大きく状況は改善されている。〕20年前には、約96%の電話が高所得国あるいは、中の上の所得国に存在していて、いわゆる開発途上国には、電話が存在していなかったが、その25年後には、96%の数字は、61%に低下したとされる。例えば、インドと中国は、3%を占めるに過ぎなかったが、いまでは、世界の3分の一の電話台数が、両国で占められている。この20年間に劇的な進展を見せたのが、携帯電話であり、1980年代初頭にサービスを解した無線電話は、10億人のユーザーを獲得するのに20年かかったが、なんと、2002年から2005年のわずかに4年間で、更に10億人のユーザーを拡大するにいたった。固定電話のインフラが整備されてこなかった国々でも競って携帯電話が導入された。現在、二人に一台の固定電話と携帯電話の普及が先進国ではあり、開発途上国では、10人に一台の固定電話と携帯電話の普及が見られると言うのが大まかな見方である。しかし、世界全体の伸びも、地域ごとに見ると大幅な格差が見られ、東アジアの伸びが、50倍だとすれば、南アジアや、サブサハラのアフリカや、南太平洋諸国では、わずかに、5倍内外の数字でしかない。一方では、ラテンアメリカや、中部ヨーロッパのように、いろいろな問題を抱えながらも、普及が着実に伸びた地域もある。スペインの電話事業体である、テレフォニカなどが、スペイン語圏で、大幅な進出を果たしたことも現象的には、特筆すべきであろう。興味深いことに、パソコンとインターネットの普及は、先進国ではいざ知らず、開発途上国での普及は、遅々としたものである。インターネットの普及は、固定電話のネットワークの存在を前提とするものであったことが推測できる結果で、携帯電話の爆発的な普及とは、軌を全く同一にすることはできない。要すれば、電気通信格差の問題は、世界全体としては大きく改善されたが、逆にその偏在の状況あるいは、地域間の格差は増大していると見ることができよう。インターネットなど、固定電話のインフラに依拠する部分が多い場合には、進展は見られず、開発途上国のほとんどの場合、インターネットの接続については、取り残されたままである。


 東欧諸国が、旧ソ連の支配の桎梏から解放された直後に、ワルシャワや、ベオグラード、ブダペストなどに対して、アメリカはすみやかに、携帯電話技術を中心とする技術供与に踏み切ったが、わが国の援助・あるいは開発関係者は、固定電話を中心とするインフラ援助が中心で、携帯電話は収益性が高く援助対象にならないとの議論が主流であった。現在の状況からすれば、むしろ採るべき政策と実態は逆転していたものと考えられる。世界銀行や、特にアメリカの圧力で、固定電話のインフラ整備が、東南アジア諸国あたりを中心として、次々と中止され、この国での具体論としては、途上国援助の円借款の対象から電気通信のインフラ整備がはずされる傾向が生まれ、収益性の高い分野、電気通信であれば携帯電話事業に、市場原理のもとで資源を集中すべきとの議論が喧伝されたことが、特筆される。インフラが拡充しない中で、国営事業体なども民営化され、次々と外国資本を招きながら、大規模な投資が行われ、富の集中を引き起こし、一方では汚職の原因となった事態も見られた。この時代に携帯電話事業を開始した投資家は、利益を急速に回収することに成功したし、開発途上国に進出した特にヨーロッパの事業体は、例の電波権益のオークション制度の導入の失敗があるまでは、劇的な経済成功を収めた。オークション制度については、この国でも、ヨーロッパやアメリカの影響の下で、導入を強く要求する勢力が見られたが、これに抗して、携帯電話からの、技術革新による付加価値を一般的な国の支出に転化させずにユニバーサルサービスを追求しながら、新しいインフラ構築の為に活用するという暗黙の政策方針を維持できたことは僥倖であった。BOTなどの手法が喧伝され、開発途上国の一部でも採用されたが、ほとんど成功例を見ていない。海外からの投資が行われた後に,投機で急速に引き上げられ、安定的な経済運営が瓦解すると言った具合の悪夢のサイクルが、現出しただけのことだったのかもしれない。


 さて、総体としての電気通信格差は、この20年間に大きく改善されたことは、携帯電話の顕著な進歩と著しいコストの低下が、その原動力であることは、もはや明白であるが、世界の国々の経済格差は、実は、グローバリゼーションの進展とともに拡大しているところから、電気通信の格差是正はある程度成功して、むしろ今後は、地域間の格差是正やインターネットなどのインフラ整備をすることが必要だとの結論付けることができる。アジアのある国では、未だに、携帯電話が普及せず、一台2800ドルの高額で流通している国もあるし、島嶼国などでは、規模の経済が働かないために、従来の植民地時代の残照の通信政策の一掃の課題とあいまって、衛星通信の黎明期に見られたような相互扶助の経営主体を模索する必要もあろうし、課題はなお各論では山積している。なんと、国際連合が策定した、いわゆるミレニアム開発目標は、一日一ドル未満の生活を送る人口を2015年までに半減しようと言う国際合意となっている。初等教育、女性の地位向上、乳幼児死亡率、エイズやマラリア、安全な飲料水と言った、基本的な環境問題、スラム居住者の人口を一億人以下に減らすと言った目標が掲げられているなかで、情報通信の政策を全体の困難の中で、優先度をどうとるかと言う深刻な課題も残されている。


 グローバリゼーションは、国家の介入を減らして、富めるものが富んでその後に、貧しきものの引き上げが行われ、世界が平和になり安定すると言う考え方であるが、危機に瀕している。ロンドン・エコノミストの7月29日―8月4日の合併号は、座礁して朽ちかけた船の写真を掲げて、グローバリゼーションの未来を特集している。ドハのラウンドも中断された。カナダでは、グローバリズムの崩壊と言う書籍が、ベストセラーとなり、積み上げられている。「フラット化する社会」と言うニューヨークタイムスの記者の書いた本がベストセラーになったばかりなのに、ITの技術の恩恵も、アウトソーシングも、世界をフラットにさせてはおらず、富の偏在が持続することで、世界の不安程度が増したと言う論説も強化されている。市場原理主義者や、ネオコンの考え方は、アメリカでは中間選挙で敗退しつつあることが明らかになった。いちはやく、世界銀行や、IMFの政策を批判した、ノーベル経済学賞受賞者のジョゼフ・スティグリッツ氏の新著は、日本でも同時出版されるほどである。(「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」、近刊の「世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す」は、いずれも徳間書店から邦訳が刊行されている。)


 それほど注目されていないことであるが、放送機器のコストが、大幅に下がり、開発途上国では、電気通信の代替機能を果たしていることが指摘できる。受信機も大幅に低廉化して、送信設備も、省エネルギー化、昔風に言えばトランジスター化で、大電力ではなく小電力の世界が急速に普及しつつある。日本でも、デジタル地上波のテレビがいよいよ普及を始めた。富の分配は、市場原理ではおそらく果たしえないことで、民主的な合意にもとづく政策介入の成功例であるとも考えられる。ユーゴスラビアの名勝の地の、デゥブロブニクで日本のデジタル技術が国際標準として採用されてから、大国の逡巡,反対で, 電話の世界同様の20年が立とうとしている。ウクライナでのソ連原発の暴発事故があり、各国の代表団が、放射能被害の恐怖におののきながらの審議をしたことも、忘れ去られようとしているが、この国が、ほぼ独自に、着実に目標を追求して、単に市場原理主義に依拠せずに、ユニバーサルサービスを追及しながら、政策方針を追求したことは、もって瞑すべき現象である。市場原理主義の修正に関心を寄せるブラジル、今は中進国となったラテンアメリカの諸国なども、日本方式のデジタルテレビの政策制度そして製造技術に好感を寄せている趣である。
 メイトランド委員会の報告書が公表される丁度一年前の1984年に、
AT&Tの分割があり、長距離通信と端末分野での競争促進政策が採られ、世界を風靡した。96年のアンバンドリング規制による競争促進政策も、ネットワークの一部を切り出して競争相手にリースする政策であるが、古い交換機が需要を増大させる点では画期的なものであったが、技術革新と新たな分野への投資には貢献しなかった。インフラ整備を大切にする世界の、特に交換機を中心とする製造会社は壊滅的な打撃を受けた。アメリカ国務省の高官から、日本が推し進める光ファイバーの大容量の回線投資、ISDNなどは、感心しないとの主張は、日本出のブロードバンド化を遅らせるのでしかなっかた。ヨーロッパの会合で、オークションをなぜ日本は採用しないのかと、欧州委員会の官僚は主張したが、日本が圧力に屈しないで、オークションを採用しなかったことは僥倖であった。2000年の電気通信関連株の高騰と崩壊、会計上のスキャンダル、粉飾決算、やはり、一連の出来事であった。競争を支援しているようで、内実は寡占化、あるいは、新たな独占の形成であってはならない。2003年になって、ようやくアメリカの電気通信行政当局は、見直しに着手している。2005年にはアンバンドリング対象も大きく縮小させた。日本はなぜ、アメリカの政策に追従したのかなどと批判するアメリカの論者が時々見られるが、なにおかいわんやの感である。


電気通信分野の市場原理主義が修正に向かっている現在は、世界の電気通信の開発の現況を再度分析しなおして、国際協力、あるいは、援助、はたまた標準化の政策を、外圧に屈しないでやんわりと受け止めて、この国独自の体験に基づきながら他国に強制せずに、しかも、内外でのユニバーサルサービスを求める、と言う日本の成功例を伝播させることが、安定した諸国の関係と豊かで平和な世界づくりに貢献するし、しかも国益だと確信できる。新たな情報通信政策づくりに邁進すべき転換期にある。


ちなみに、メイトランド委員会には、日本を代表して、日本電気株式会社の取締役会長を勤めておられた小林宏治博士が委員として参加した。新聞に掲載された「私の履歴書」には、若いときには自宅に電話がなかったとのエピソードが伝えられているが、C&C、コンピューターとコミュニケーションズのアトランタの国際会議で発表した標語のもとに、世界を啓蒙した。経済開発を専門とするヨーロッパの学者がアジアは泥沼で、発展の可能性など見つからないと豪語する同時代の経営者であった。世界の電気通信の普及に着目して、メイトランド委員会で、大いに活躍された。氏は、国内の叙勲はもとより、ブラジル、エジプト、ヨルダン、パラグアイ、ペルー、ポーランド、から色々な功労賞を受けた。匹敵する慧眼の経営者は、この国の経済界ではなかなか見当たらないが、世界の情報通信の新秩序と均衡点が議論されようとする現在、デジタルテレビや、携帯電話、インターネット技術などの成功分野から、この国からも、必ずや、真にグローバルな市場で、その安寧と発展のために主張が行える経営者や企業が輩出することになるものと期待している。

Devils' Globalization

すばらしい本が出版されました。それは、内橋克人著「悪夢のサイクル」文藝春秋刊です。10月の15日に初版が出て、11月25日には4刷になっていますので、反響が大きいようです。著者の内橋氏は、90年代の中ごろから、市場原理主義について特に規制緩和論に焦点を当てて著作を発表されていますが、その最新刊は、本当にわかりやすく書かれており、序論では図表も入れて、所得格差の広がり、正社員と派遣社員の所得格差、生活保護世帯の増加、自殺者や犯罪の増加、を端的に説明しています。

また、1980年代に行われた、ラテンアメリカでの市場原理主義の導入が、もたらした惨状を、日本の混乱と二極分化を、世界的な視野の中で、わかりやすく解き明かそうとしています。特に第三章は、市場原理主義の起源と題して、市場原理主義がどこから来たのか、その内容について解説しています。最近逝去した、市場原理主義の旗手であったミルトンフリードマンの人となりについて、詳しくエピソードも交えて説明しています。安部政権が、教育の「クーポン制」を考えているようですが、これもミルトンフリードマン・市場原理主義の実践だと言うことが良くわかります。フリードマンが、投機という反社会的な行動にも賛辞を送り、儲かるときに儲けるのが紳士である、と述べたと言うエピソードを紹介して、狂気の経済学の論理であることを簡潔に証明しています。次の章では、シカゴ学派の連中が、南米で行った経済実験の検証をして、第五章では、日本での、その手先?の学者や財界人について、批判をしています。特に、竹中平蔵氏と宮内義彦氏に、焦点を当てています。第六章では、バブル経済の時代の検証で、バブルの崩壊は、「マネー」が逃げていったとの現象で、それからの失われた16年は、外資の進出、はげたかファンドの横行、日本企業の外資化のための環境整備のために、「規制」をどんどんはずしていった過程だと結論付けています。第七章では、大変恐怖を覚える書きぶりですが、市場原理主義は「小さな政府を標榜しながら、実は、軍事に関しては大きな政府と言う形態をとります。チリ、アルゼンチンの軍事政権が、膨大な軍事費を国家予算で支出しながら自由化政策をとったことを思い出してください。その源流の国アメリカではその動きは加速しています」と言う書き出しです。イラク戦争についても触れて、その本質を、テロとの戦いに名を借りて、イスラムの教えである、「正当な労働の対価以外の報酬を受け取ってはならないと言う」戒律を破壊しようとするものであったと指摘しています。イスラム圏の市場化こそが、戦争の目的だっとの指摘です。社会を二極分化させることが戦争の引き金になる、若者を戦場に送りやすくするとの論点がありますが、この点は、日本のこの国でも、ノイマンの日本の兵士と農民などのくだりを思い出させますし、また、アメリカの海兵隊などのイラクで死んだ多くの若者が、製造業がなくなり、荒廃して仕事もない、アメリカの学歴の低い若者たちだとも指摘しています。「下へと吐き出された若者が、逆転を狙って戦場に志願する日がやがて日本でも来るのでしょうか」。怖い話です。第八章では、市場原理主義の狂信に対抗する世界的な運動も高まってきていることを分析した上で、人間が市場を使いこなす提言をしています。再規制の動き、世界的な規制強化の動き、フィンランドの例などを挙げて、企業はつぶれても人間をつぶさない社会システムをつくることを提案しています。いわば、新しい第三の道を提示しており、市場原理主義の逆張りをどう具体化するかとの提案で、しかも、その実例として、北欧諸国のエネルギー政策などを例に出して議論を進めています。アメリカのブッシュの政策ばかりを追従することのむなしさが良くわかります。最後の節では、児童文学者のケストナーの言葉を引用しています。「愚か者の勇気は野蛮なだけであり、勇気のない賢さは屁にもならない」と。

 本当にわかりやすく、市場原理主義の虚妄について解説し、その手先の演じた、この国日本での惨害をどのように解消していくかを提案する優れた著作です。紹介いたします。

規制緩和論などの、郵政民営化論などの、あらゆる市場原理主義の画策と陰謀を分かりやすく解説した優れた文献です。

Change the policy

米国では、中間選挙で民主党が大勝した。上院は僅差であるが、下院は圧倒的に勝った。

米国の国内総生産は高成長であったし、住宅市場の冷え込みの傾向が見られるにせよ、株式市場も大いに潤っている中で、何が起きたのかいぶかる向きもあるが、マネーゲームを続ける経営者貴族の超大型ボーナスの反面、勤労大衆は賃金横ばいと雇用の喪失に悩まされ、いわゆる中産階級が急減すると言う格差社会の現出が原因であることは明白である。30年代の大恐慌の反省から、累進課税、社会保障、公的教育の拡充など中産階級がアメリカの中核を担ってきたから、よその国人からはうらやましい程の豊かな民主社会を形成してきたが、ブッシュ大統領を頂点とする、ネオコンの政策は、アメリカ社会を分裂させた。税制で言えば、大企業と富裕層優遇の大減税を続けた結果、イラクに見られる軍事費支出で、未曾有の財政赤字をつくりだし、それまでの、社会政策のための支出を削減した。株式や不動産などの値上がり益には無税とし、しかも、相続税も段々と廃止しようとしたから、格差は、広がる一方であった。中間選挙の論点の中で、イラク戦争に対する国民投票として、Noをつきつけたことは別にして、民主党の経済政策で一番受けたのは、最低賃金の上方修正であったという。国内産業は、世界はフラット化した等と言う妄言に乗せられて国内調達をやめて、雇用を外国に流出させ、競争と言いながら実は一部企業が市場の実質的な独占や寡占に励む状態が続いた。粉飾の決算は頻発した。こうして書き進めていると、どうも、小泉政治の中でこの国日本でも起きたことと同じ内容の話である。

自民党総裁選の最中では、消費税増税論議があったが、安部政権になり、法人税の話題へと転化しつつある。法人税減税で企業の国際競争力を高めて、成長経済の推進力とするという主張である。しかし、法人税減税が、誰を助けるのかと言う、中心の目標が明らかにならない限り、国際競争力の向上に繋がると言う保証はどこにもない。上述のアメリカの話のようにいよいよ格差社会を拡大させ、既得権益である重厚長大な産業を温存するだけのことにしかならない。20年前と違って、むしろ、企業部門の一部は貯蓄が過剰で、それこそマネーゲームが盛んではないのか、一方では、フリーターや、ニートなどの現出に見られるように、まともな雇用政策が行われていないので、労働分配率は下がるばかりで、サラ金問題などに見られるように、家計の貯蓄は取り崩しが始まっているのが現実だ。

一例を挙げると、信じられないことだが、メガバンクは、空前の利益をあげながら、過去数年にわたって法人税を納めていない。空前の利益を上げていても、預金者に対する還元があった話も聞かないし、聞くのは銀行の社内預金の利子が上がったとか、役員の退職金が天文学的な学になったとかの話ばかりである。銀行救済の為の公的資金投入などが行われる中で、繰越控除の制度が導入され、単年度の利益が繰り越し損失を下回っていれば、最大7年間は税金を払わずにすむと言う。メガバンクは史上空前の好決算にもかかわらず、

法人税を免除されていることは、悪政であり、もしかしたら、アメリカの政策よりも、悪い結果をもたらしているのかもしれない。メガバンクからは、法人税をとらず、既得権益を温存するために法人税を減免すると言うのでは、筋が通らないし、財政赤字の解消のために増税をと言うのであれば、なおのこと、論旨は一貫しない。本来預金者が得るべきであった金利は、金融業界を助けんが為の低金利政策で、約三百兆円のうべかりし利益を日本国民たる預金者から剥奪し、また一方で、海外への資金流出を促進させたとの見方がある。税負担が重いと企業の経営は悪化すると言うことは、全くの俗説である。法人税率を引き下げても投資を促進することにもならないことは、資金が借り入れの場合には資本コストが上昇するだけであり、全く理屈の通らない話しである。

小泉政策の本質は、ブッシュ政権の経済政策の尻馬に乗って、生産の拠点を海外に移動させ、金融機関を中心とする企業の金利負担を軽減して、一方では、預金者の利子や、勤労大衆の賃金を抑制して消費経済を冷え込ませ、家計の経済を縮小・破壊する流血の痛みを一方的に強いる経済政策であった。今、ようやく米国で、ネオコン主導による市場原理主義の流れ、小泉政治の盟友の政治の流れが止まった。世界的な格差社会の拡大を目論むアメリカ化ならぬグローバリゼーションの政策に歯止めがかかった。

日本でも、法律改正をしてでも、空前の利益を上げながら法人税を支払わない企業からは、繰越控除制度を前倒しで廃止して、税収を上げることのほうが肝心であろう。景気は、一部で回復しているのに過ぎないが、業績が回復した企業からは落ち込んだ法人税収をちゃんと徴収して、この国の安寧を維持するための、公共のための政策の原資として活用するのが本筋である。社会保障政策の原資の削減に歯止めをかけるべきである。財政赤字と喧伝するが、まだまだ、純債務は諸外国と比べて、少ないとの見方もあるから、例えば、利用率の少ない高速道路や空港・港湾などは、完全に無料化に近い低廉化するなど斬新な政策を採用して、無駄を嘆くばかりではなく、無益な資産から有益な資産に転換すべく有効利用を図るべきだろう。

経済が活性化すれば必ず税収は好転する。法人税収が減っていたのは、企業の業績が悪かったのが原因であって、法人税を減らせば企業の業績が上がったり、国際競争力がつくなどとの話は根拠のない迷妄でしかない。その昔、ある電気機器会社の社長さんから聞いた話だが、法人税をまともに払うことがお国のためになることで励みになると。全企業の7割が赤字法人で、法人税を払っていない。法人税を払う体制にすることのほうが先決だ。この国の巨額の設備産業が税金逃れで、法人税の減免要求をしているのであれば、利益が上がっても税金を払っていない悪しき金融業界の前例を踏襲させるだけの話だ。

郵政の民営化政策のように、心臓が悪いのに、健康な手足を手術してなお健康を悪化させるような、倒錯した経済政策の見直しが必要である。手術する患者を取り違えたのではないか。郵政公社は、一定の条件の下で、利益が上がれば法人税率以上の納付金を納入する制度になっているが、民営化すれば税収の観点からはどうなるのだろうか。他のメガバンク並みに法人税を払わないようになるのだろうか。ブッシュ・小泉流の市場原理主義の嵐の中で、国民資産で構成される郵政の財産の「米営・ブッシュ化」はなんとしてでも阻止しなければならない。米国における政治構造の変化を機会に、この国で採用された亜流のブッシュ経済政策の欠陥を点検・摘発して、政治・経済の私物化〔民営化〕の見直しと公益化を目指す、新たな政策展開を追求することこそが国益である。

Post Office Crisis

現在の郵貯・簡保の持つ約350兆円の資産のうち、定期性の貯金約150兆円、簡保の全額110兆円、合計260兆円は、郵貯・簡保管理機構という新しく設立される独立行政法人である国の機関に承継される。資金の流れを変えるために民営化するというが、民営化した会社に国債を買わせ続けるのであれば、民営化と呼べないはずだ。。仮に、郵便局を民営化しても国債の大量発行が今後も続くのであれば、なんのことはない、郵貯・簡保を、財務省などの「官」に縛り付けておくためではないのか。単なる官僚支配の再来なのではないか。郵便局の資産は、まさに民衆の資産であるが、民衆から「官」への資金の流れをつくるだけではないのか。実際、民間の銀行も国債保有の残高を急速に増やしてきており、本当に資金が必要な中小企業や、成長産業にまわされているわけではない。個人の金融資産を本当に国益に合うために投資するためには、国債の発行を抑制していなければならないが、そのためには、景気対策を講じて税収増を図るか、増税をするか、特殊法人などの行政改革により、歳出面を減らしていくのかの選択肢しかない。民営化法案は、国債を買い続けさせる仕組みが組み込まれており、赤字財政改善の具体策を伴わなければ、政策の根本において疑問符がつくところである。

 新しく設立される郵貯銀行、その名前もおかしな名前だが、通常貯金の50兆円分から始めて、新規の預金を増やしていくと言う。郵政公社と運用範囲が同じと言うなら、資金の流れは変わらないのではないか。民営化法案によれば、株式の全部が処分されれば、運用制限がなくなるとするが、郵貯銀行の株式には、当然自由度を求める経営者の判断からしても売り圧力がかかってくる。一方で、株式処分をすれば、郵便局のネットワークの維持は危うくなり、過疎地域や、不採算地域では急速に店舗廃止がすすめられるようになるだろう。もちろん、雇用問題や利便性の問題からのトラブルが生じれば、そうした株式がどこまで処分できるか疑わしい。株を全額処分する以外の選択は、新しく設立される民営化委員会の裁量判断にゆだねられて、経営の自由度はみとめられない仕組みになっているが、裁量行政を新たにやろうとしているだけではなく、全株処分に追い込むやり方は、米国の要求どおりである。

 郵貯銀行の株式を買う人がいるのだろうかと言う意見があるが、資本金が2兆円想定すれば、アメリカの資本家、金融会社にとってはお安い御用だ。アメリカでは、一兆円程度の資金は簡単に調達可能である。米国企業からすれば本気になれば、郵貯銀行や、郵便保険会社を買収するに必要な資金はすぐに集まる。外国資本に買収された場合、この国の中小企業や、地域や、成長産業に資金が流れるとは、到底思えない。日本は米国債を75兆円保有し、郵貯は日本の国債を100兆円あまりを持っているが、民営化された郵政の会社が、外国資本の手中に入れば、日本の国債も外国資本の手に移ることになる。戦費を調達するために独立国の体面を守りながら外国からの資金調達に腐心せざるを得なかった小村寿太郎候の悲哀について思いをはせることもなく、、安易に民営化、株式の完全処分などとする郵政民営化は、弱肉強食の外国資本の支配下に国民の資産を投じてしまう危険を内包しているように思う。

 

Vietnam Independence

Phan Boi Chau, a leader of independence movement in Viet Nam secretly came to Japan in 1905. He was adviced by Liang Qichao, a Chinese journalist, historian who also fled to Japan that young Vietnamese should come to Japan and study very hard for the independence and to seek Japanese support. It was just when Russo-Japan War was won by Japan and the fervence of the winning of the East was still remaining. About 300 young
Vietnamese came to Japan, including Cuong De, a prince of Annan dynasty. Okuma Shigenobu, Miyazaki Toten, and Asaba Sakitaro(a medical doctor in Shizuoka) helped their stay in Japan. Though Japan won the Russo-Japan War, but Japan could not get even a penny of the war reparation from Russia, and its government faced serious budget deficit. Japan asked 3million Franc loan and in return French demanded the hand over of the Vietnamese independence movement leaders and students. Japanese governmet officials helped the hidings of the Vietnamese. Those revolutionaries later returned to their home country and continued the resistance in their homeland.
Recently monument of the Phan Boi Cha was erected at the old capital of Viet Nam Fue
and the fact should be remembered for ever that Japan helped the independence of VietNam.

Timemachine

チャーリー・チャプリンは、暗い時代は笑いとばすに限ると言っている。モダンタイムスや独裁者の映画は、ヨーロッパに全体主義の暗雲が立ち込める中で、笑いをもたらし、またその独裁者に対しては痛烈な一撃を与えた。ロベルト・ベニーニのライフ・イズ・ビューティフルは、アカデミー賞も受賞した作品であるが、イタリアのチャプリンよろしく、極限状況の中で、人生の価値を見出しながら、強制収容所の事実すらゲームと捉えて笑いとばすことで名作となった。ナントカなるさとかの言葉は実は諦めではなく、希望をもたらす場合もある。ナンクルナイサ〔琉球方言〕の沖縄の友人から、おもしろい映画があるからと勧められた。今、全国の映画館で上映されている、『バブルへGo! タイムマシンはドラム式』である。バブル崩壊後の国の借金は800億円、毎日900億円の金利で膨らんでいく赤字。貧富の差は拡大。日本が差し迫ると言う現下の身につまされる設定の中で、財務省の審議官、下川路功(阿部寛)が、90年代のバブルの崩壊を軟着陸すべく、タイムマシーンを開発した電機会社研究所の研究員真理子〔大学時代の同窓生で、一児を設けている〕〔薬師丸ひろ子〕を、バブル時代の東京に送り込む。娘の真弓(広末涼子)を、見失った母親の追跡に送り出す。タイムスリップした、真弓の前には、建設中の東京ベイブリッジや、にぎやかな六本木の街が、タクシーを奪い合う光景とともに、再現される。17年前の下川路は、女たらしの軽薄な役人であるが、将来の娘とは知らずに、計画に協力する。

荒唐無稽なあらすじであるが、妙に臨場感がある。バブル崩壊が、90年三月の不動産融資の総量規制の通達がバブルを崩壊させた、別の言葉で言えば、信用を急激に収縮させた、

と単純な設定であるが、その背後にうごめく外国資本と、癒着する官僚組織などを描いている。失業率が伸び始める。将来への不安と安心が逆転する。倒産件数が増大する。自殺者数が増加に向かう。不動産融資が激減する。貯蓄をしなくなる。バブルを崩壊させることで、巨万の富を上げ、大蔵省の局長を務めて、総量規制を打ち出し、やめてから投資ファンドの経営者となる、芹沢局長(伊武雅刀)の悪役ぶりも楽しめる。外資企業との赤坂での宴会場面は当時の現実ではなかったかと思わせる。チャプリンや、ベニーニの映画には及ばないかもしれないが、バブル崩壊後の失われた17年を考えさせる娯楽作品である。

85年のプラザ合意後の日米経済関係などを考えながら見ると結構深刻な映画になるのかもしれない。一見の価値はある。お勧めしたい。

 

phantom in the sky-Enron in Japan

エンロンについての映画が公開された。ビデオになった頃かもしれない。エンロンとは、不正会計が発覚して2001年の12月に破綻した全米売上高第7位の大企業としてもてはやされていたエネルギー複合企業である。アメリカにおける、「錬金術」の幻が明らかになった空前の規模の経済事件である。ノンフィクションに近い映画で、CNNや新聞記事,その他の現実に撮影された映像を構成してつくられた映画で、国家と人間の暗部を抉り出すような映画で、二時間の長編映画であるが、圧倒する資料の集大成である。「時価総額」という上場会社の評価基準を用いて、株価を操作して、巨大な資金調達と、ストックオプションなどで、企業から資金を収奪していくさまが描かれる。証券アナリストも、会計事務所も、銀行などの金融界も、誰も異議を唱えず、新たなビジネスも出ると誉めそやすばかりで、実態のない空の城が崩壊していくまでの過程を描く。ブッシュ政権との癒着振りも、現実の大統領の記者会見の映像や、会長ケネス・レイとの写真などを駆使して、隠しようもなく暴いている。令名のグリーン・スパン氏が、エンロン賞という賞の受賞者であって、その式典の模様の記録映画の挿入などは、アメリカと言う国の中枢からかかわっていた実態を示している。アーサー・アンダーセンと言う会計事務所は、そのいかさまを見抜くことをせず、むしろ加担したとして、破綻したことは、もう周知のことである。パイと言う財務担当重役は、さっさと会社を逃げ出して、今では、コロラド州の土地を買って、大地主の生活をしている〔なんと飛行場つき〕とのすっぱ抜きなども映像となっている。米国議会の聴聞会の追求場面などは、実写の記録を使っているので、圧巻である。

時価会計で、粉飾の決算を用いて、市場を欺き、天文学的な負債を隠滅する手法などを明らかにする。特別目的事業体、即ち連結決算から外すことのできる空虚な子会社を作り、資金を流用して、あるいは横領する手口が明らかになる。ブロードバンドを市場化するという名目で、通信回線の大域幅までを投機の対象とする、あるいは、天候デリバティブと言うような、投機の派生商品までを生み出す過激さがいかんなく描写される。企業拠出型の年金が全く食い物にされ、自社株買いで、無価値になった社員の悲惨も描き出される。

 エンロンと言う悪魔の企業が、牙をむいたことがはっきりしたのは、カリフォルニア州の大停電であったが、停電の真犯人がエンロンであったこととその内幕を、エンロンの取引人の会話記録のテープを基にして、映像で抉る。なすすべもない州知事と、エンロンに加担する?アメリカ大統領の関係も当時の取材記録の映像で明らかにする。〔本当に危ないところでした。日本でもエンロンの影響下で、青森県や山口県の一部で、発電所を造って電力の自由化を促進する話まで現実にあったのですから〕エンロン事件が、明るみに出たのが、9・11直後でしたが、多くの識者は、9・11よりも衝撃的であったするほどの、資本主義の根幹をも揺るがす大事件でした。アメリカの経済・政治のいかさまと、具体的には、会計制度の欠陥が露呈した。

ライブドアの事件が、検察の追及を受けるようになったのが、一年前の1月17日ですから、この国でも、あわてて、日本版の法規制が始まっていますが、エンロンひとつを見てもこの事件に加担した、日本の関係者は野放しの状況にあります。電力の自由化、高速道路の民営化、通信・放送のインフラの切り売りなど、エンロンを真似た動きが、この国でももてはやされたことがつい昨日のことのようです。政府の規制緩和会議の議長の職にあった者の会社が、ニューヨークにエンロンと合弁会社をつくっていたことなどを忘れてはなりませんが、日本の法律では、不正な経営者に対する処罰は極めて軽いどころか、「利益相反」の経営者が横行している現実があります。〔郵便局を目の敵にしていた銀行の頭取が郵政会社の社長になり、監督機関の長官が、郵政金融会社の実施責任者になるなども、おかしなことです。〕また、不正な手段で取得した利益を完全に没収されることもないようです。ましてや、中央銀行の総裁が、そうした連中に加担して、まだ、失職もしないと言うアメリカ以上の「拝金」の異常な事態がこの国では継続されています。会社法の改正などは、むしろ逆行した,倒錯の改悪だったのではないでしょうか。残念ながら、この国では、マスコミも、ニュース映像を活用して、政権が変わった今、映画「エンロン」のような歴史の保存・検証のための番組を作るようなところは皆無で、見当たりません。

郵政民営化論の実態も、エンロンのような虚飾に満ち満ちたものです。郵政などの公企業を市場に参加させて、操作して、私物化しようというだけの、ウォールストリートのこわもての連中が参画した陰謀の気味が濃厚です。この映画を見れば、市場がいかに不完全なものか、悪魔のような経営者連中に、いかにだまされやすいものか、株式会社と言う制度がいかに脆弱なものであるかが、よく分かりますし、野放しになった人間の欲がすさまじいことが良くわかります。

小泉政治の市場原理主義礼賛は、エンロンを礼賛するようなものでした。市場原理主義が採用される郵政民営化の真実と背後関係に関心のある向きに、この映画「エンロン」を観られるよう薦めます。そして、国民資産の収奪に対抗して、強靭で心やさしい日本を作るために微力を尽くことが大切です。

Delicate steering of course

アメリカが外交政策を微妙に変えてきている。こんな話を聞いたのが、去年の七月の中旬に知人友人で開いた非公式のシンポジウムだった。ヨーロッパ外交史の専門家の感想である。国防総省と国務省との暗闘があって、徐々に外交政策に変化が出ているとの話だ。国務省あたりでは、従来の大使館制度を変えて現場主義に力を入れているとのことで、首都に大使館機能を縮小して、地方都市に小さな出先を置く数を増やしている。花の都だけではなくアフリカの小国あたりの出先も強化しているとの話だ。要すれば、9.11以降の外交、一国主義の失敗があり、急速に対応を修正する動きだ。ヨーロッパとの激しい対立を何とか解消しようとの現実対応の動きとも取れる。ひとつの例が、イランへのシグナルで、核濃縮を中止するなら、交渉に応じるとの声明を出したことである。南部レバノンでの、ヒズボラとイスラエルとの武力の応酬は、混迷を加えているが、それでも、新たなシグナルである。中米で国交回復をした時のシグナルの出し方にも似ているような感じもする。〔この時は、日本は置き去りにされ、沖縄返還の交渉が絡む繊維交渉で、日本は完璧に外交で敗北した〕もうひとつの変化は、アメリカが国連の分担金の出し渋りをやめたことである。もう国連などいらないくらいの主張をやめたことである。〔今、思えば、常任理事国入りの威勢のいい話も策略に乗っただけの話かもしれない〕更にもうひとつの兆候は、地球温暖化に関する京都議定書に参加の可能性をほのめかしたことである。
アメリカの外交政策の変更のを可能性を知人にも確かめたが、やはり、軍事力の行使は、政治的に経済的にも、もうアメリカ一国だけでは負担できない天文学の数字となり、イラクでの武力行使に懲りたからではないかとの意見であった。例の北朝鮮のミサイル試射の時にも、ブッシュは、この問題を外交的に解決すると言い切っている。力の対決を最初から回避しようとしている声明であった。外交の手練手管の応酬がなされている中で、この国では先制攻撃論が出るなど、瀬戸際外交の恫喝と挑発に便乗しかねない怖さがあった。(大見得を切って国際連盟を脱退した松岡洋右外相とイメージがだぶる)
勿論、変化の兆候の解説に対して、自動レースをして観客席まで突っ込んで、大量の観客をひき殺しておきながら今頃になって、元のコースに戻っても、アメリカの信頼回復は非常に困難で、収容所での虐待など、暗澹たる気持ちになると述べた批判的なアメリカ人の知人もいたが。(小泉首相の訪米の日にアメリカ最高裁は、国際法規を遵守すべきとブッシュ政権に判断を下した
もう一昔の前の話であるが、バンコクでつき合いのあったカンボジア人が来日したときの話である。文化大革命の亜流で、自国民を大虐殺した派閥が大統領になり、その副官として、来日したが、フランス留学組で、日本ははじめてだというので、一席設けて、日本のどこが良かったかと聞くと道が清掃されてごみが落ちていないというので、アジアの紛争はみんな代理戦争で、タイと日本だけが独立国で、外国勢力の手先で内乱を起こして殺し合いをするのは馬鹿なことではないかと言うと、突然泣き出した。翌日東京から失踪して、後日海外に亡命したことを知って、びっくりしたことがあった。
超大国アメリカが、ヨーロッパでは世界の平和に対する脅威と揶揄される中で、微妙に外交政策を変えていると見られる中で、この国の指導者の動きは威丈高である。アメリカが外交的解決をと主張する中で、先制攻撃論が出ることがもう不可解だ。代理戦争でもさせられかねない雰囲気だった。プレスリーのグレースランドでの歓待ぶりも異常なほどだ。ヨーロッパに反対され、戦費を大量に貢いでいるのは日本であり、それ以外にはないから、当然のことであるから、うかれる話ではない。〔日銀は戦費調達に貢献する米国債の購入高を発表すべきだ。〕ブッシュに行くなといわれても、靖国にはいったそうだが、今まで、さて何を言われ続けたのだろうか。アメリカの外交は伝統的に、ニコニコしながら、片手に棍棒を持って接することが得意中の得意である。日米構造協議という棍棒で脅され続けて、この国の富を強奪されておきながら、プレスリーの歌に興じるのは、国益を毀損する。アメリカの外交の修正があるとすれば、それは、ヨーロッパの団結の圧力があるからであり、資源強国となったロシアの差配に、対応せざるを得なくなっただけの話である。アメリカ人は本当は、追従する者は尊敬しないのだ。アメリカにちゃんと物申すことがなければ、真の友好国とも、同盟国とも思わないだろう。アメリカは、日中韓の友好をと口では言うが、さてさて、漁夫の利を占めるのは誰だろうか。アジアにも友人が少なくなった。(そのうち、アメリカにも置いてけぼりにされるかもしれないし、政権が変われば一体どういうことになるのか)
〔タイ国王陛下の祝典に天皇・皇后両陛下がバンコックを訪問されたことは文字通りの日タイ友好の証の慶事であった〕

あるアメリカ人の友人の対日専門家は、小泉総理は、日本の政治をも〔私物化の意味合いで〕民営化したと述べた。言いえて妙で、米営化したと言いたげであった。この専門家は、米軍の思いやり予算を発案した策略家であるから注意すべき論点は、日本の自動車業界の批判もしたことだ。何か画策している雰囲気であった。巨額の和解金を取られた、東芝事件や、コンピュータがらみの事件が昔あったが、今、ソニー事件の兆候があり、いずれはトヨタ、ホンダ事件になるのかもしれない怖さを感じた。日本はアメリカの衛星国になってはならない。大国の外交は、自国が戦争を主導しない代わりに、代理戦争をさせる。小国レバノンの総理のように、イスラエル、ヒズボラ、イラン、アメリカ、フランス、ドイツを巻き込み、自国の存亡を掛けて、独立と平和を守り回復させようと、真の外交だろうと思う。戦争直前のヨルダンに行って、国費を使ってペトラの遺跡という観光以外の目的はない名所で興じてらくだに乗り、楽ではないという駄洒落にすぎるのは、品格のない話である。また、マスコミから批判のないことも不思議な話である。

Defects

 

アメリカの民主党の中間選挙における勝利、ブッシュ政権の歴史的な敗北があり、また、つい先日、新古典派経済学のミルトンフリードマンの逝去のニュースなどが伝えられています。市場原理主義の流れは、着実に変わりつつあります。
そうした情勢の中で、グローバリズムの欠陥を厳しく追及するノーベル賞経済学者、ジョセフ・スティグリッツ教授の最新刊「世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す」の邦訳が徳間書店から発刊されました。

日本の読者へと題した、グローバル化と日本の歩むべき道と言う序文は、秀逸です。日本で現出した格差社会に対しては、「格差が国民の結束を蝕み、ひいては社会的な対立を誘発する」、だから、「現実社会では進行する不公正なグローバル化をわれわれは阻止しなければならない」と。

ブッシュ・小泉の犯した過ちという小節を設けて、「日本は、ブッシュが推進している、実はほとんどのアメリカ国民が支持しない政策に手を貸している」と指摘して、イラク戦争についても、大量破壊兵器はみつからず、国連での議論も無視したが、「これは、国際法違反であり、そんなアメリカを支持した日本も同じ過ちを犯した」と述べている。イギリス国民の多くはアメリカの行為を国際法違反と断じて、ブレア政権は弱体化せざるを得なく小泉首相の「郵政民営化」については、それ自体が日本経済に根本的な変化をもたらすものではなく、うがった見方であるが、郵政民営化問題に膨大なエネルギーを費やしてきたこと自体が,真の経済問題を放置している証拠だと断じている。政府は、民間部門ができない行政サービスを提供するなど、実践面を大事にしていくべきで、例えばアメリカの年金制度を民営化しても効率的ではなく、高齢者に対する社会保障が手薄になり、社会不安を増すことになると結論付けている。

日本でゼロ金利政策にピリオドを打つことについても、あまり早い時期に金利を上げるのは危険だとして、97年の消費税アップ、景気の減速の失敗を具体的に示して、過去の失敗の教訓を学ぶべきであり、むしろ日本の問題は、デフレであると指摘している。ゼロ金利政策を捨てることで、回復基調に水をさしてしまうリスクを日本銀行は肝に銘じるべきだと述べている。

本書の帯には、「自由化と民営化を旗頭にしたグローバル化は、すべての国、すべての人に未曾有の恩恵をもたらすはずだった。ところが、今訪れたのは、一握りの富める者のみがますます富んでいく世界規模の格差社会だった、一体これはなぜなのか」「アメリカのエゴにゆがめられたグローバル化のからくりを暴き、すべての人々に利益をもたらす新システムを提言する」とある。

本書の末尾は、「我々は、長すぎる雌伏の時を過ごしてきた。今こそ、〔悪魔との契約のようなグローバル化、伝統的な生活様式や基本的価値観を存亡の危機に立たせるようなグローバル化、わずかな利益と引き換えに莫大なコストの押し付け、を克服するために〕始める時なのだ」と締めくくっている。

この国でも、ようやく絶望を去って、例えば、郵政民営化などという、理念と根拠を欠く改悪を見直す時期が始まった。一部の政治家や、経済人や、官僚、御用学者の横暴を、告発して、公正な社会・経済・政治を取り戻す動きが説得力を持って始まったように思う。アメリカの政治変動に呼応してこの国でも、社会経済政策の変化を目指すことこそが、世界の安定のためにもなるし、勿論日本の国益にもなることが、スティグリッツ教授の最新著で、明らかになった。

 

Gone are the days III

アメリカの通信政策も同じアングロサクソンで、同じようなものだ。接続料だとか、オークションとか、わけのわからぬ制度を各国に押し付けておいて、自分の混乱を棚に上げている。最近、アメリカでも反省の本がたくさん出ていて、それが、左側の本のランに紹介している。日本はなぜ、アメリカの失敗を真似したのかなどと、とぼけた話をする著者もいる。そうじゃないのだ、押し付けられたのだ。オークションなど、日本が頑強に抵抗して採用しなかったから、幸いにして失敗しなかったのだ。ノーベル賞も当てにならない。そのオークションの経済を主張している学者は、ノーベル賞を貰ったという。アメリカでは、電話会社の分割で、通信技術を失った。有名なベル研究所もなくなり、技術革新は進まなかった。製造はもうみんな外国だ。それに、本当の競争も起きなかった。いいとこどりの、新規参入という名で上澄みをすくっただけの話で、インフラの投資はなおざりにされた。最近では、誰も通信がアメリカが最先端の国だと言う人はいない。;ブロードバンドなど、日本や韓国の足元にも及ばない状態だ。勿論軍用ばかりは進んでいるのかもしれないが、格差はどんどん大きくなるばかりだ。インターネットなど知らないアメリカ人も結構いるような気がする。日本の通信政策はアメリカの強い圧力を受けた。国内では通産省の一部にアメリカの政策に追従した連中がいたが、今はどうなっているのだろうか。

話を戻す。水道の民営化は失敗したし、世界で誰も言い出さない。日本の水道は、すばらしものである。蛇口からそのまま水が飲める国は、世界中にほとんどないのであるから。

下水道を普及させるためにも、公共事業は必要であるが、この国では、緊縮財政論など根拠のない主張が横行して、停滞している。水は人間の生活の規範である。

森田実氏の、水の時代を生きるという本は、大変優れた内容である。水道の技術が弱体化するときは国の弱体とともに起きる。日本はどうもその分かれ道にあるようである。

水道関係者の皆様の、いわゆる構造改革論の虚妄に抗して、日本の上下水道を守ろうとする情熱に敬意を表する。おそらく世界に冠たる水道である。

Gone are the days II

日本では、日経新聞と一部の欧米かぶれの学者がオークション制度を導入すべきと主張したが、幸いにして、惨害を免れた。マーガレットサッチャーのときに、日本の市場開放という悪乗りで、もう、電波利権がただでイギリスにとられていたので、それ以上の収奪は許されない状況であった。今度の北陸の地震で、普通になる度合いが高かった携帯電話会社があった由であるが、外資の会社はそのくらいの投資しかしてなかった証拠になるではないだろうか。それを、売って、日本を去った。ただで電波利権を手にして、まともなインフラ投資もしないで、巨万の富を持って去った

Gone are the days

フランスに水道を民営化し世とした者がいた。何でも受けたか知らないが、放送会社を次々と買い、メディア王気取りでいた。その時、フランスで水道を民営化しようとしたが、勿論失敗した。ユニバーサルスタジオを、アメリカで買い、その子会社が、大阪でユニバーサルサールスタジオという大型遊園地を経営している。ビベンディ・インターナショナルという会社で、確か社長の名前は、メシエという名前だった。時代の寵児で、アメリカのAOLのスティーブケイスなどと、GBDeなどという市場原理主義の団体を作り、そこで、アイティーや、国境がなくなるなどとのご託宣で、世界中の関係者を躍らせた。ダボス会議ほど、陰謀めいたところは無かったが、それでも、ヨーロッパなどは、電波権益をオークション、競争入札で免許を与えるべきだと主張して、採用した政府もあった。もう広く知られているように各国の携帯電話会社は大損を喫した。日本でもその尻馬に乗って投資をして、巨額の損失を出した会社もあった。(continued)

Irrational Exuberance

2005年9月11日に行われた衆議院総選挙は、小泉自民党の歴史的な勝利となった。郵政民営化に賛成か反対か、改革を止めるなというスローガンの巧妙さと、マスコミの著しい偏向報道に加えて、野党第一党の稚拙な選挙戦術がその原因であった。国民の間の不満を見事にそらして、不景気、官僚支配、年金・少子化などの基本的な問題に対する不満を与党内の反小泉勢力と野党に向くように仕向けられた。内部に問題があるときに外部に敵を作っていく常套作戦が功を奏した。野党の政策は、初期小泉内閣の政策と近似するものであり、例えば、財政政策は、超緊縮論で過去の失われた15年の教訓を無視するものであったし、郵政の経営形態論についても、小泉自民党の主張と大差のないもので、争点を欠いた。ある選挙区などでは、明らかに、反小泉勢力の力をそぐために野党第一党の民主党が貢献?するような結果のところもあった。小泉自民党の地すべり的な勝利は、しかし、グローバリズムの太陽が沈むときの最後に放った光芒でしかない。郵政民営化論は世界的にも騒がれたことであるが、成功したところはほとんど無い。ニュージーランドの郵政民営化が成功例として騒がれたが、その実は、もう政権交代すら行われ、陰も形もない。ドイツが成功例と喧伝されるが、未だに、独占分野を残したままであり、国際物流企業を買収したことで話題になったが、サービス水準がそれほど高いものとも思えないし、米国からは、クロス補助の問題を指摘され、不公正な競争モデルだとの懸念があるほどである。 

市場原理主義は、冷戦の終焉ともに喧伝され、国境がなくなるとか、世界市場の力によって民主主義が進展するとか、貿易が進展して、貧困が減少するとか、夢物語が語られたが、予想に反して、民族主義が進展し、経済格差は拡大し、人種差別や、テロは頻発することとなった。雇用も思うように伸びないし、疫病の勃発や、環境の破壊は、20世紀末と比較しても悪化している。インドと中国の世界市場への登場と反比例して、この国の存在は、ジャパン・バッシングを通り越して、ジャパン・ナッシングといわれるほどになった。

逆噴射に次ぐ逆噴射のような、金融経済政策の失敗は、一部の国際金融資本家を潤しただけのものにとどまり、地方は、疲弊の度を強めている。戦後の繁栄と人口圧力に悩んだ日本の貧しさが復活したかのようである。グローバリゼーション、市場原理主義といった、実体を欠いたイデオロギーにこの国は支配され、その最後の光芒が、小泉自民党の勝利であったかのように見える。信奉しているのは、アメリカの石油資本の一部と、日本の官僚組織と、御用学者の一部にしか過ぎない。ダボスの会議も、世界銀行やIMFの会議ももう警官隊に守らなければ開催できないのだから、グローバリゼーションや市場原理主義は公式に死亡の烙印を押してもいい。

しかし、この国では! ハンメルの笛吹きのことか、レミングの群れかどうか知らぬが、議会制の民主主義と法の支配を無視して、擬似国民投票に打って出て、天皇制を疑い、年金の廃止を主張するニッチの経営者を刺客とする小泉自民党が出現した。吉と出るか凶と出るかは、増税緊縮の政策と、市場原理主義に傾き、民営化の呪文を唱えるお題目を見れば、簡単に予想できる。地すべり的な勝利は、世界の潮流には、逆行するものでしかないし、偏狭なナショナリズムを生み出し、この国の国際的な孤立を助長するものでしかない。

Scenes of Absolute Poverty

曽野綾子著貧困の光景は、世界の貧しさの実態を知る好著である。しかも、世界中に貧しい人々と人生を共にする日本人がいることを知る本でもある。途上国とは何かを、現実に知るための本である。どうしようもない貧しさとはこんなものだと体感するための本である。古着が配られる。来ていた服を取り上げないと、あげた服は、わずかなお金のために市場で売られてしまうだけだ。シュバイツアー全集が、絶版になっているということもこの本で知った。言葉狩りの問題があって、修正できていないからというのが理由である。しかし、アフリカの実態は、その時代とさしたる変化が無く、むしろ悪化した国々もある。著者はその中でも、飢えに苦しみながらも、わずかなお菓子を、ぼろぼろのパンを分かち合おうとする人間がいることを見る。読後感は、アフリカ旅行を一緒にした気分である。豊かでありながら、貧しさに関心を寄せようともしない日本人の一部の人を哀れむ本でもあるのかもしれない。市場原理主義の混乱は、日本で顕在化しつつあるが、世界の貧困がもっとひどいもので、日本の格差はたいした話ではないと言い、むしろ豊かな社会での精神の貧困を憂えている。しかし、市場原理主義者は日本の公平な社会をぶち壊して、格差社会を作り出し、つまり現在のアフリカの貧困状況を日本に作る出すことを許容する考え方であって、曽野氏は、それを突き放してしまうのは残念だ。背後にある植民地支配の問題も書いてあるのに、現在の新しい植民地主義ー市場原理主義を批判しないのは唯一残念である。格差を助長したいという連中に利用されかねない面もある。

Readings in Prison

佐藤優氏の獄中記は512日間にも及ぶ思索の記録である.国家と民族、あるいは国民そしてここの人間についての省察録でもある。獄中読書リストというリストが巻末にあるが、なかなかの図書のリストである。いちいちコメントすることはできないが、興味深いリストである。もうひとつのリストもある。本文で言及したが、獄中に差し入れられなかった書籍というリストである。ホッジャの、邦訳なしなどという本もリストに加えられている。ハンナアーレントの全体主義の起源や、神皇正統記を掲載しているのは、その後の佐藤氏の本からも理由がうかがえるが、遠藤周作の沈黙などもリストに掲載しているのは興味深い。

堰が切られたように次々と力作を発表しておられる。国家論を考える読者には、優れた書き手が登場したわけである。

Voters ID

今日は都知事選や、県知事選などが全国で行われている。今日の都合が悪いので、昨日期日前投票をした。そこで、気づいたのであるが、いわゆる本人確認の制度が悪用されないかと危惧したことである。投票券を持っていく。これは郵送で選挙管理委員会から送られてきた。期日前選挙をする理由を書き、宣誓書なるものに記入した。本人確認の代わりあるいは誓約書らしい。しかし、例えば、家族の誰かが海外に旅行に行ったとしよう。投票権を持っていって、代わりに名前を書いても本人かどうか確認すべはない。体の動かない爺ちゃん婆ちゃんの投票用紙を持って、男女の区別さえつけば、誓約書を何とか書きさえすれば、本人かどうかの厳格な検査などない。投票券は、個別ではなく、世帯ごとに送られてきているから、代人投票が、実際には行われているのではないかとの危惧を抱いた。情報技術の発達した時代であるから、写真を撮るとか、あるいは、運転免許証の提示を求めるとか、最後は、指紋をとるとか、何とか本人確認が必要だと思うのは筆者だけだろうか。市場原理主義者は、銀行関係ではアイシーカード化とか、本人確認の強化とか、内部統制の強化とか行っているが、こと民主主義の根本である選挙の本人確認には甘さが残る。勿論、醇風美俗を愛する我が国民の中に不届き者は本の一部ではあろうが、住民登録を移して、選挙対策をする者がかなりあるそうであるから、そのくらいのたくらみはわけはないと思う者もあるのではないだろうか。実行していることがあるのかどうかも知らないが、どこかに穴がある制度のように見受けられる。文字のかけない国民の多い国では指紋を取る。そのほうが本人確認らしい。しかし、日本は文明文化の国であるから、そんなことは銀行で徹底したほうがいいのであるが、そろそろ一罰百戒で、そんなことはありやしないか調べてみたほうがいいのかもしれない。選挙応援だけのために住民票を移す事例が多いことはもう広く知れ渡っていることであるから、制度は直すべきだろう。町や、村の共同体で、六ヶ月で運命共同体の一員になれるとは思わない。住民になる気持ちも無く、政党の投票のためだけに住所を移すのは、それこそアンフェアである。そんな抜け穴を許しては民主主義の国に離れない。そのうち、日本をつぶすために国籍を移すやつが出てくるかもしれない(イージス感のスパイ活動のハネートラップではないが)

Betrayed academician

ついこの前のブログで、郵政公社内の調査委員会なるものの座長に松原聡東洋大学教授が就任している旨書いた。たしか、松原教授は、筑波大学を出てから、当時の全逓信労働組合の御用学者をしていたはずだ。全逓と松原氏がどう言う経緯で疎遠になったか、筆者が知るべきことではないが、論説をたがえたことは事実である。西川郵政会社社長よりも、口だけは過激な口ぶりで、竹中教授の再来を思わせる軽薄さである。松原教授を雇った経緯などを全逓は公開してもらいたいものである。ハニーとラップとは言わないが、マーキングで使われたとすると、この松原教授は相当の玉ではある。アメリカに留学して取り込まれた気配はないが、どうだろうか。ころころと主張を変える者が学者と成り、マスコミで特にテレビに出れば、有識者になれる。変わった時代だ。前にも書いたように調査委員会は外資のコンサルの差し金だろうから、もし、その演出で踊りを踊るだけならたいした役者ではないが。JPUと名前を変えたようであるが、全逓に対するあてつけか、嫌がらせかというシナリオであれば、かなり込み入っている。マッキンゼーの関係者は、もぐりこんでスリーパーになった気分だろうが、糸がついているので見失うこともないだろうが、そろそろ表に出てくるのかもしれない。コンサルの君と御用学者一途の君よ、国売りたもうことなかれである。

Honey trap

ハネートラップなどと冷戦のときのようなことが起きている。横須賀の海上自衛隊の事件で、中国人と結婚していた下士官がイージス艦の秘密を盗み出した事件だ。何でも盗み出して、コピーを作ることでしのいできたのかもしれないが、国際法秩序に反する行為だ。何かおどろおどろしいものを感じるし、単に氷山の一角で、この国の中に、情報網が張り巡らされているような感じすらする。その昔、天安門事件のときに、中国人の留学生がデモをしたときに、中国公安関係者が公然と写真を撮ったりして、日本の関係者にたしなめられたことがあったが、いよいよ表面に出てきた感じだ。おそらくは、上海や北京やその他の都市に在住する日本人のビジネスマンでも取り込まれた人が数多く出ている気配である。スリーパーというが、リモコン仕掛けのように、若気の至りの無様な写真あたりを見せられて、協力を強制させる事件が頻発することになる。上海の本邦総領事館の電信官がはめられて自殺した事件がつい数年前にあったばかりだが、自殺は未だ良心がとがめたとしても、何食わぬ顔で、日本人でありながら、売国の助けをさせるしかけが、この国に象嵌細工のように埋められつつあるということだ。温家宝中国首相が来日するというが、きっと居丈高になって白を切るだろうが、ちゃんと、安部政権は抗議できるだろうか。大使の一人や二人退去要求を出してもよいのではないだろうか。それでも、未だ情報戦を戦っている官が残っていることで安心する。武力を伴わない戦争を戦わなければならず、それが中国から仕掛けられている事実に戦慄する。そして、経済的にもから娶られたこの国の経済人の貧困な精神を嘆く。ハネートラップの諜報員を本国に送還してはならない。徹底的に調べて、対日の組織がどのようになっているかを究明しなければならない。対敵情報組織の関係者の努力に敬意を表したい。

Receding future of an Empire

In the end of February, the world stock market fluctuated apparently caused by the stock market trembles in Shanghai. The turmoil took almost a week to be stabilized.War economy in the US in exchange of the astronomical fiscal deficit brought economic extravaganza is also related to the phenomenon. The epicenter of the economic earthquake decribes that foreign economic gunmen are now swayed by the prospectus of the receding future of the Empires. Corruptions in Shanghai is now under the surveillance from the worried political power in Beijing. Economic casinos in China and Japan are also related. Japan money is siphoned through the vultures or gunmen into the continents and we could see the approaching catastrophy of the money games.

Social security system is almost null and water resources together with the natural resources such as oil and gas are reaching its maximum consumption and limits.

Environments are decaying. The sands or particles blow out of the desserts along the Yellow river now flies and even sky in Tokyo are clowded by the possibly poisonous sands particles. The registration system of the nation fastens the people under the yoke of the domicile. Public schools does not receive the sons and daughters of domestic immigrant workers. comfort women in modern days are prosperous in the sprawled cities. Cheap labor economy is now at its apex. Theoretically the degraded factory for the American consumers created unstability and amplified the socio-economic gap in China.

霞ヶ関の官庁向けの雑誌に、時評と言う月刊誌がある。面白い雑誌で、時事評論という巻頭言は、批判精神に富むが、中身は役人人事の予想や、水野清という評論家のよいしょ記事なども時々あるが、俵孝太郎氏の政治リポートは読ませる。今月号でなんと234回の掲載である。今月号では、共産中国が人口減少、水不足と環境汚染、農業の壊滅と食糧不足、そして極限にいたった貧富の格差で、中国のバブルの終わりの始まりが、はじまったと指摘する。「どたばた喜劇のあとに大悲劇が待ちかねないところに共産中国の最大の問題がある」とする。

アメリカの低賃金工場と化した中国は、ガンマンの投機家に縛られてしまった。おそらく、カネは日本から出たもので、出したり入れたりで、ゆすぶられてします。2月末の上海市場の暴落で、大もうけしたのもいるだろう。タイや、マレーシアでの、投機を思い起こさせる。WTOは機能しているのか。企業内貿易で、貿易の数字はうなぎのぼりであるが、本当の民生に寄与する貿易額などたかが知れたものではないだろうか。内部での分配は恐ろしく悪い。社会主義時代よりも勿論悪くなっている。帝国の貴族が住んだ中南海があちらこちらにはできたが、きんきらきんで、まばゆいばかりで、盲流の悲劇には何のプラスの影響にはない。戸籍制度は、「人民」を縛り付けておいているだけである。

日本に来ている中国人留学生の諸君、がんばってほしい。日本もばらばらにされかけて入るが、まだまだ東洋の理想を掲げている人も多い。同窓会も何も日本留学生組みにはなかなか認めてもらえないようだが、魯迅先生もいたのだから、がんばってほしい。変法自強で、中国の変革を求めなければならない。民主化もあるが、まず、経済社会政策を変えることだ。南方講和はひとつのきっかけを作ったが、もうそれに寄りかかることは駄目だ。例えば、チベットや、モンゴルや、ウイグルの独立を認めて、小中国に戻ることも社会を安定させる。雲南省や四川の漢民族以外の諸民族にも自治権を与えてみてはどうだろうか。万里の長城のうちに戻ることだ。台湾などのカガイノ地への進出などの欲望を捨てて、まずは、「人民」の安寧を求めることだ。いつも感じるのであるが、反日はあるが、どうにも支配者であった西洋人には卑屈だが、もうそんな時代ではない。アヘン戦争のことなど思い出して、日本では渡辺崋山や高野長英のことなども勉強して、お国に帰って、活躍してほしい。東京やどこかで、アルバイトばかりしては駄目ですよ。

Dangerous privitization

郵政民営化の危険がいよいよ顕在化している。総務大臣だった竹中大臣の指名で就任した西川郵政社長は、イケイケどんどんの音頭をとっている。郵政がノウハウのない銀行で突っ走ればどのような結末になるのか。地方銀行を圧迫して、自らも内部から崩壊する。それ以前にはげたかは待ち構えている状況の中だ。さて、ハゲタカに身売りしやすくするのではないかとの詮索もあるが、それはさておいて、どんなビジョンなのか、全体構図もなさそうだ。関連法人の調査委員会を、つくったという報道であるが、まったくの的外れである。第一メンバーが振るっている。いつもの、外資系コンサル企業の横文字課長、しかも、女性と決まっているのはおかしなことだが、松原教授という、テレビの人気者教授を座長にしての、委員会だ。公社が会社にのっとられたような構図で、利用者の代表も地方の代表も誰もいない。筋肉質の企業体になることが必須である」というご託宣であるし、筋肉質などなる必要もない。何か、マッチョのアメリカ人好みのセリフである。

未だ、民営化もスタートしていない時点で、総務省がそんな委員会を認めるのもおかしな話だ。公企業としての公社が、効率的に経営するために、しかも子会社が認められない中で、工夫をしてコスト削減のために、関係の財団法人や運送会社を造ってきた歴史は 、まったく省みられるところがない。外注先や、業務委託先の法人は、オービーなどが低賃金で働いているのが実情ではないのか。銀行の子会社と間違えているのではないか。銀行では経営幹部が退職すれば、ウン億円の退職金があり、適正な手続きも無く、関連会社に行っているのが実態ではないのか。公のために一生をささげた人士が、運送会社や、関連会社で、第二の人生を送るようにするのも、またいい方法ではないだろうか。第一、西川社長が銀行の頭取を辞めたときに、退職金はいくらだったのか公表してもらいたいものだ。人選が国会などの公の場で査問されることも無く、まったく独裁的に人事が決まって私物化されていく。委員会自体の設立の考えは、郵政会社内の、外資系のコンサルタント会社の人物が、起案したという噂もあるくらいだ。誰も、スワップや、先物の運用などやってほしくないのだ。いつそんなことが、民営化法案の過程で議論されたのか。国民資産のリスクは却って高まっている。怖いことだ。

Rule of Law and compliance

法令順守が日本を滅ぼすとの主張がある。なるほどである。法令はできた瞬間から陳腐化をはじめる。現実ともともと合致しないこともある。そうしたものを、後生大事に一字一句守ろうと、大変なことになる。また、法律に書いていないこともあるのではないか。紛争の処理は、まず、実定法、そして、慣習、良心、常識の正解もあろうと思う。何を守るのかを忘れ、責任逃れのコンプライアンス運動となっている。それどころか、経営者の責任逃れのため、下部押し付けの構造を作るためのコンプライアンスとなっている。まあ、英語で言っているあたりは、まだまだ定着していないことだろうし、消えてなくなることかもしれない。官とマスコミが弊害を助長するとある。特に、マスコミだ。善玉、悪玉報道で、議論を抑圧してしまう。当局の判断に追従する記者クラブとあるが、勿論そうでもない記者もたくさんいるだろうが、御用提灯化した傾向が著しい。人減らしで、調査報道などをする力量が薄いし、○×教授やらとか、何か、宣伝臭の多いことになった。ただ、この本は、突っ込みに弱い。例えば、独占禁止法が、あたかも、プラスに作用しているかのようであるが、それはそれ、金融の横並びなどには、まったく手が入らないで、財務政策の手先となって機能している実態などについては触れられていない。対日要求という、米国の要求の背後関係についても触れられていない。ただ、コンプライアンスが、組織を駄目にしているという、一点の真実が、この本の特徴である。

Colonialism

There are three elements to be an Empire which dominates other nations.
One is to dominate militarily. Second is to attain the economic infilteration, and the third is brain-washing or ideological indoctrination. That is happenig in Japan.
History of Japan is much longer than the history of governance and eventually it is destined to fail but market fundamentalism is expanding quickly together with its announced unilateralism as a superpower and Japan is now regarded as a satellite as if the East European states were under yoke of the Stalin-led Soviet Union.

ある国を植民地にする方法は三つある。ひとつは、武力で制圧することである。外国軍の司令部は、いつトロイの馬に化けるかもしれない。第二は、経済金融の資本を達成することである。外資を全部導入して、株を買い占めることである。第三は、思想改造である。
日本の音楽などを全部、洋楽にして、学校あたりでもまともに邦楽の好みを教えないようにすることである。東京の放送などは、英語のバイリンガルとやらのわけのわからないDJが、いかにもカッコよさそうに喋り捲っている。コンプレックスを植えつけることであるが、成功しつつある。電車の中でも大手町でも、英語を使って、僕(しもべ?)の日本人社員が、怪しげな英語を使う光景が珍しくなくなった。

Suicide in Japan、a form of Protest

More than 30000 persons commit suicide in Japan. Probably largest number among the OECD countris. Japanese are suffocated and social change is quite abrupt and unnecessary. Japanese community spirit is now under the stron pressure of the American government and seems to be almost being colonized. The frustration brought such high ratio of commiting suicide, a form of protest against the social change.

日本の自殺者の数は、先進国では最大の数で年間三万人を超える。実際には、十万人を超えるとの見方もある。日本の社会がアメリカ化する中で、沈黙の抵抗かもしれない。助け合いも無く、相互扶助もない、アメリカの荒野の決闘見たような生活様式礼賛を、
強いられる中での、無言の抵抗でもある。

Expectations from rest of the world

日本が世界で期待されているのは、小泉・竹中のように、アメリカの属国となることでもなく、エルビス・プレスリーの歌が好きだということでもない。なにか、世界のためにしてほしいという期待感である。日本は、アジアで、独立した存在である。20世紀の末から、帝国主義の
まねをしたことは事実であるが、独立を保つためにしたこともあるが、タイと並んで、列強の狭間で綱渡りで、独立を保った。第一次世界大戦は、ヨーロッパのもので、アジアや太平洋地域では何の関係も無かった。ヨーロッパでは、冷戦であったが、第二次世界大戦後のアジアは、熱戦だった。朝鮮戦争、ベトナム戦争、みんな、代理戦争を戦った。アジアの諸民族は、今となっては、馬鹿だったのかもしれない。幸いにして、八紘一宇で、日本は、アジアの覚醒を促した。インド国防軍、新宿の中村屋で、カレーを食べてほしい。中国は、毛沢東の共産主義で、日本と敵対したが、日本と同様に、西欧の植民地支配から逃れようとした、中国人もたくさんいたことは事実である。中国はその後、帝国となり、清の版図
以上に拡大している。最近は、ウイグルや、モンゴル、チベットの支配もある。日本は
世界の民族独立運動を支援すべきである。台湾の独立、チベットの独立、分裂国家でしかないモンゴルの統一、朝鮮半島の統一と独立を、支援すれば、また、世界史的な趨勢の中で、一台文明と文化を創ることができる。

Japan should support the independence movement worldwide. China is emerged as an 
empire oppressing the Tibet, Ui;gurs, and Mongolians and many otehr ethnic communities.
China is now obsessed with the Sino-centrism and its peripheral area is completely colonaized and matyres for independence were everyday phenomenon.
United States of America also toned down its claim for the human ritghts and it is going back to the traditional woeing to the upper social starata of the Chinese society.
The principles of self-determination and independence is yet to be applied in that part of the world, and thus Japan should play the role of T.E. Lawrence who dedicated himself for the independence of Arabs. Asia is one, Unite!

Postmasters are leaving their offices in dismay

全国の小さな郵便局長がどんどん辞めている。マスコミは報道していない。
その昔、ヒトラーが、ポーランドにガス室をつくり、虐殺を行ったときも、
報道は無かった。知っている人は知っていた。法王庁なども、アメリカも知っていたが、
法王庁は声明を出さず、アメリカは収容所を空爆することもしなかった。だから、まだ、
建物が残ったのである。地方切捨て。切捨てを感受してはならない。希望を失わせてはならない。

As an aftermath of the compelled privitization of postal services in Japan, a lot of postmasters in the localities are leaving their offices in dismay.
The Holy see during the wartime did not exp;licitly protested the massacre happening in Poland. The allies did not air raid the concentratiojn camps even though they were aware of the movement of the atrocities in Poland.

The fake privitization of the postal services compelled by the American business interests are bringing the devasted localities in this beautiful country.

Japan is now well decorated by the blooms of cherry blossoms but in the countryside
there are tears of sorrows imposed by the unfair global economic fundamentalista.

Hot war in Asia not cold

I used misleading wording as Cold War. It has never been cold on this part of Asia
.
Korean War was fought. Vietnam War was also fought. Many many guerilla wars were fought in the jungles and desserts of Asia.

Mongolia is still divided. There is no indep;endenceof Tibet oand Uigurs. Those indep;endent states in the Turkistan seems to be deeply shadowed by the big imperial states.
There shoud yet to prevail the justices and rule of international laws in this part of the world. In Iraq, hot war is going on. No more wars of agents in this p;art of the world, Asia.

冷戦と一言で言うが、アジアでは熱戦であったから、冷戦とは、ヨーロッパだけの話である。冷戦時代と恥ずかしくて口に出せない。独立にしても、ヨーロッパは、独立を民族自決で果たしたが、モンゴルは分断されたまま、チベットは、まったくの隷属、東トルキスタンは、西部開発とやらで、中華帝国の版図となりつつある。代理戦争をしてはならない。

Postal privitization-double standard?

Dear American friends,  I began this blog to tell to the rest of the world about the injustices  and negative factors of Globalizm which is now strongly supprted by the Bush administration in the United States. Please raise your voices against it.
Postal sevices in Japan is privitized by the strong p;ressure of your government even though the USPS is still state -run to maintain the universal services even to the fartherst corner of the country. Isn't is double standard?

アメリカでは郵政は国営で、日本には民営化を要求する。二枚舌ではないのか。
アメリカの心ある友人の皆様に訴える。あなた方の政府は、日本をつぶそうとしているのか。

Postal fake privitization

Mr. Yoshifumi Nishikawa who was the President of the Mitsui-sumitomo Bank, was against the privitization of the Japan's postal services but now apppointed as the first President of the privitized Japan Post. Why? Takenaka Heizo, former Minster of General Affairs in charge of privitization, was helped by Nishikawa to have banking industry's support for Takenaka to p;ut the bankrup supermarket Daiei to send to the Industy Rhabitation Organization from the banking industries. When Nishikawa was at the top post of the said Banking institution, Takenaka shut his eyes  on the proceeding debt cancellation of the Nishikawa bank. Nishikawa was helped by Takenaka, and Takenaka returned the favor posting Nishikawa to the prestigious post of the Japan Post. This is the story the Sentaku (Choiic) magazine reported in its December issue in 2005.

三井住友銀行の頭取だった西川善文は、郵政会社の社長に就任したが、これは、スーパーのダイエーを、産業再生機構送りにしたときに、竹中が世話になったからである。
郵政人事で返した。 雑誌選択05年12月号に書いてある。

幸せを奪われた、「働き蟻国家」日本における、ベンジャミンフルフォード氏の、コメント。

April Fool's day

今日から、ブログをはじめることに致しました。ぼちぼちと表現をすることが大切と
はじめることに致しました。日本は沈黙の国で、表現がなされていませんが、島国で、
気候温和、性格温和、義を唱えずの国でもありましたが、地球が狭くなる中で、本当に
美しい国であることを、世界に伝えるためには、表現が大切です。今日からぼちぼちと始めましょう。

Just this evening on April 1st, the April Fool's day, this writer decided up his mind to start a Blog to express himself. Japanese are usually reluctant to express themselves in daily life and tend to avert debates or arguments even if they do not necessarily agree with the antagonizing ideas. In this turbulent world, it may be of some interests to any readers in the world to notice a feeble voices from Tokyo to seek a balance and justice and prevailing peace on earth.

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