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Passage to India

私たちは、インドの独立の過程について美しい映画で見ることができる。E。M.Fosterの原作で、デイビッド・リーンのインドへの道がすばらしい映画である。植民地のインド人と、宗主国の人との、微妙な心の織り成す世界を垣間見ることができる。

インドは独立したが、理念と現実との懸隔にさい悩まされた。非同盟主義の外交を独立後主張したし、ガンジーの非暴力主義の影響もあり、後継者となったネルーは、第三の道を追求したが、やはり限界があった。世界は、米ソの対立を軸にした冷戦の時代に入っていった。平和五原則の非同盟の象徴する国際関係は、アジアは偉大な文明で、その近代は惨めであったが、アジアを中心にすえようとの主張が鍵となった。ネルーは、きわめて理想主義的であって、周恩来が來印したときには、デリーの首都の両脇に人垣を作って歓迎した。ヒンディ・チニ・バーイバーイ、印中は兄弟であると歌い上げたが、59年にはチベットの反乱があり、対立は、むしろ激化した。中国は革命を輸出したし、ナクサライトと呼ばれる、毛沢東派の革命輸出で、現在のネパールなどの反政府運動にも影響を与えている。中国が、鄧小平のもとで行った、ベトナムの懲罰戦争についても、インド側からは激しい反発があった。

冷戦時代には、インドは、ソ連との関係を重視して、印ソ平和友好条約を結んだ。東パキスタンであったバングラデッシュも独立した。武器のライセンス生産が行われ、ソ連は、石油を極めて低廉な価格で提供した。

朝鮮戦争時にインドは、北の侵略について国連において棄権したし、国連軍の北進についても反対した。極東軍事裁判において、パル判事は、日本無罪論を展開したこともご高承のとおり。

南アジアにおいては、インドとソ連が手を携え、パキスタンと中国そして米国が連携するというねじれ現象が生じた。しかし、ソ連の崩壊後には、社会主義経済が頓挫して、経済開放を余儀なくされた。2000万人といわれる、在外インド人の力が発揮された。

現在、中印関係は経済的には、拡大の一途にあるが、一方ではインド洋への中国の進出をめぐって、微妙な関係にある。インド洋への中国の影はいよいよ色濃くなっている。例えば、ビルマについては、もうほとんど中国の強い影響下にあり、アンダマンニコバル諸島あたりに中国の影響が感じられるようになるかもしれない。中国のインド洋への進出である。ネパールは、ラサへの、鉄道開通とともに、中国の強い影響が感じ始めているし、もともとネパールの共産党はナクサライトの伝播で、毛沢東崇拝である。パキスタンでは、港湾建設などが、中国の指導の下に着々と進んでいる。経済的には、印中関係は、印日関係の規模を大きく上回っている。

最近になって、日本でも中国のカントリーリスクが意識されるようになり、インドの重要性が再び語られるようになったが、その関係は、いわば片思いのような関係である。

外務省の組織も最近になってようやく南部アジア部という組織ができている。

日本は大陸に深入りして成功したためしがない。その点からも、南東アジアや、インドとの関係を重視すべきであるが、ネルーの時代のように、純粋なアジア志向の時に日本はインドに関心を示さずに来たことも事実である。近年スズキ自動車がインドでの自動車生産に成功しているが、インド自体がIT産業の離陸に成功しており、アメリカがインドを支援する状況になっており、インドの日本熱は冷めたような状況にある。中国は懲罰戦争に見られるように共産主義の帝国的な行動を示すが、インドは民主主義の政体である。

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