構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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岩切章太郎「無尽灯」、(鉱脈社、1997年)を友人から頂戴した。無尽灯というのは、仏教の説話のことである。「ひとりから二人と蝋燭の火を移していけば、たとえ一本の蝋燭は小さくとも、千本、万本と一生に燃え上がっていけば、その日は、一村を明るくし一国を明るくすることができる」。岩切氏が経営していたバス会社の社内報の題号としていたところから、そこに執筆していたものを昭和37年に、一冊の本にまとめたという。最初の版は講談社から出版されているが、この本には、私の履歴書に掲載された文章が追加されて合本されており、それに、解説が加えられている。

岩切章太郎氏は、宮崎観光の父と呼ばれるだけではなく、ふるさと、あるいは地方開発のために一生をささげた人として、ある種の岩切イズムのような主張のある人物である。昭和62年、享年92.

一読して興味深い点を、とりあえず羅列してみたい。

地方で働くことに徹する、旗を振る人ではなく旗を見て実際に仕事をする人、新しいことか人のやらないことをやる、が、三つの方針である。

フェニックス(かなりー椰子ともいう)を、昭和11年から植え始めている。

自然の美、自然の美しさを引き立てる人口の美、人情の美が、「岩切イズム」である。

利益三分主義。「企業であるからには、利益は上げなければならないが、問題は利益の配分である、まず、株主に配当しなければならない。その次は、働く従業員の給料を上げることである。しかし、一番大事なのは、お客様への配分である。まず、バスの運賃を安くしなければならない。その他にもやるべきことが山ほどある。」(利益三分主義は、最近の株主資本主義とは異なる考え方である。)

修養会を毎月開く。(分かりやすく話すことが特徴で、楽しみにしている社員も多かったようだ)

まず、にっこり。笑顔の中心はまず眼である。眼が笑わぬうちは、まだ本当のにっこりにはならない。

ただ、社会のために働くといっても、言葉だけではどうにもならない。どうしても、どこか社会のために働く「場所と仕事」をもたねばならない。その働く場所と仕事とが、私どもの会社である。

(29年2月号には、紀元節と題して一編を寄せている) 一国の誕生日が結わえないkとはなんと言ってもさびしいことである。今、日本に一番欠けており、氏も一番必要なものは、日本民族復興のたくましい民族意識と信念であると説いている。

(八紘一宇の塔は、平和の塔となっているが、その内部には、8枚の石膏のレリーフがある由であるが、先日訪れた際には正面の扉には鍵がかけられ見ることができなかった、公開すべきであろう)平和の塔の内部に日名子先生が心血を注いで作られた八枚の拙稿の浮き彫りがあるが、ちょうど入り口から数えて三枚目が神武天皇即位の場面である。しかし、即位式の場面といっても円形にそれらしい式場が現れているだけで、大部分は前提に並ぶ馬上姿の若々しい青年たちの姿である。日名子先生は、この若人たちの姿に、二千六百年の昔、日本の建国に従った、あの日向の若人たちの喜びと感激とをひょうげんしておられる。

六相円融

花いっぱい運動

明慧上人の残した六字の意味、あるべきよう。

三人の天使。老、病、死。

(航空機に着目して)今日は、航空の時代である、スピードの時代である。この新しい時代にとって、定期航空路の開設が如何に重大な意義狩り、また市として空港を持つことが如何に大事なことかは当然明白である。にもかかわらず、鉄道の敷設や停車場の設置ほど血眼にはならない。それはまだみんなに空港や航空路の意義が十分解らないからであろうが、もう2、三年すると空港や航空路が、各絵kんかくしの血みどろの争奪戦になることは明らかである。

民主政治は非常にいい良薬であるが、もちろん薬毒がある。したがって民主政治の薬毒を知らず、飲み続けると恐ろしい薬毒に犯されることは当然である。従って、民主政治の運用に当たっては、良くその長所と短所とを心得て、運用の妙を発揮しなければならない。

ひな祭りの美しさを思うにつけても新しい日本を作るために、外国の優れた文化を取り入れることも、もちろん必要であるが、日本自身のうちにある美しいと音鋳物に目をつけて、その美しいものと音鋳物を引き出し育て上げることは、さらにいっそう大事などとではなかろうかと思うのである。

(二宮尊徳の夜話の話を引用しているから、読んでいたことかもしれない)

出世街道はただ一筋ではない。いわんや、本当に世のために働こうとするものにとっては、出世とか不出世とかそのこと自体が既に問題ではないのである。

終戦のとき、日本人はこの物差しの失われた混乱を体験した。(最近の小泉改革?は、物差しの変更を強制する感がある)

結局、日本で一番足りないものは、土地の広さではないか。どうにもならないとすれば、土地の不足を何で補うか。これこそ日本が根本的に考えるべき命題のひとつであるかもしれない。

南国日向はこれでいいか。世界的な観光地を回りながら、--一体南国日向とは何か、南国日向の将来はどうか、私の心は、ともすると、尚早の感に駆られるのを禁じえなかったのである。

日の丸、洗い清められた日の丸は美しい、正常そのままの姿で、日本の正常さと美しさとを表現している。私どもはその新しく洗い清められた日の丸を、新しい私どもの心で今一度見直してみようではないか。

バスの中の一輪の花。

日本の形式や趣味には、世界を風靡しつつあるモダニズム、すなわち近代趣味と一致して、その根本の動機となったものがたくさんあるにもかかわらず、日本人はその本質を気づかずにいる。

個人の権威と責任を自覚したものでなければ、世の中がファッショ化した時代には、ファッショ的な群集となり、世の中が左に傾けば左翼的な群集となり、要するに風の吹くままになびく浮き草的存在でしかありえず、政治的船頭の餌食となって燃え上がるに過ぎない。

高い賃金と安い生産費(最近の経営者で、賃金を低めて利益を最大化する連中とは考え方が、まったく違うようである。)

郵便山配達寺。

デモクラシーは、各人が自己の信念に従って自由に自分の意見を述べる。少数意見初荷に明白にしておく。無理に全会一致を装ったり、少数意見をヤミに葬っ足り、自由な発言を差し控えさせる酔うなあ朴か、威圧が加えられたりしては、本当のデモクラシーとはいえない。デモクラシーの名で行われる独裁や強権が、今日如何に多く行われているか。

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