構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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Market Fundamentalism

神戸新聞10月11日朝刊の記事。新聞週間の特集ページに掲載されている。

改革の功罪見つめ

「格差社会」どう解消

基調講演 地方の実態、声伝えよ

市場原理主義の検証を

 市場原理主義が、日本にまん延した。民営化論や規制緩和論が構造「改革」として呪文(じゅもん)のように唱えられた。構造改革は、富の偏在、東京と地方の格差を拡大し、限界集落を続出させ、この国の文化と伝統の破壊を進行させた。

 一九八〇年代のアルゼンチンでも市場原理主義がまん延した。民営化の夢物語が雄弁に語られたが、タンゴの都が没落するのにそれほどの時間はかからなかった。アルゼンチン債は暴落した。

 ニュージーランドでも、外資コンサルタント会社の手引きで国を挙げて民営化を推進した。日本でも成功談として、褒めそやされた。だが航空会社や電話会社は外資にのっとられ、郵便局は閉鎖の憂き目にあった。その後、政権交代があり、市場原理主義を捨てて穏健な福祉国家に戻し、郵便貯金を復活させ、失敗した民営郵便会社のポストの残骸(ざんがい)を撤去した。日本の新聞は、この国での市場原理主義の失敗は報道しようともしない。

 市場原理主義者は「一時的に格差を生み出しても、一部の社会層を豊かにして経済を離陸させれば、いつかは社会全体が豊かになる」と言う。が、現実にはそういうことは起こらない。官から民へ、中央から地方へ、大きな政府から小さな政府へ-のスローガンは根拠のない政治宣伝にすぎず、現実にもたらされたのは富の偏在、格差の拡大である。

 特にアメリカ型の市場モデルを礼賛して、社外重役、内部統制、三角合併、混合医療などの制度が日米構造協議の後押しを得て広範に導入され、幼児から英語を教えるべしとの論調まで現れた。悠久の伝統を軽々に議論する「有識者」会議すらつくられる不始末であった。

 しかも、富の分配は民主主義であれば、議会政治の下で行われることが正道であるが、民間「議員」たちが、財政政策などを主導するという、議会を空洞化させる動きがばっこした。郵政民営化などは、サービスダウンで格差を拡大することがニュージーランドの例で明らかになっているにもかかわらず強行された。国民資産の徴用、金融の「わな」と解説する向きすらある。

 今、失われた十五年にしてようやく、市場は完全ではないという事実に気がつき、熱狂は去った。さて地方紙は、市場原理主義にどんな反応をしただろうか。よもや「あすなろ村の民営化物語」を信じたわけではあるまい。今こそ市場原理主義がもたらした格差の実態と地域社会の国民の声を、事実で検証して、政策の誤りを修正するためにも、積極的な報道を続けてほしい。

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