構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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財界のある方から、日本郵政社長の打診を受けたとある。三井住友銀行の頭取を辞めて三ヵ月後という。ある方とは誰だろうか。国の公社、あるいは民営化の会社の社長の人選を財界のある方がしていたのである。公の募集などは、まったくない世界のようだ。ロンドンのエコノミストなどには、公的機関の総裁の募集広告などが出ているが、そういう透明性のある人選ではなかったようだ。

その打診にはすぐは回答せず、家族に話をしたりしたという。郵政解散については、自民党の圧勝棚ということはすぐ分かったという。「小泉総理の選挙戦を見ながら、多くの人の心をつかむには、やはり争点を簡単明瞭にし、分かりやすい言葉で訴えることが重要なのだと、改めて思ったりしてい」たという。選挙戦については、他人事だったという。

結果的に引き受けたのは何故かというと、「八年間も頭取を務め、その銀行をトップに引き揚げようと一生懸命やってきた、最後は不良債権問題でなかなかうまくいかなっ買ったが、恩返しをしたいという気持ちがあった、最後は、お国のために尽くしたいという思いもあったという。お国のために尽くしたいというせりふは、章立てのタイトルにも使われているが、本当にそうか。罪滅ぼしでなければいいのだがというのが率直な感想である。

郵便貯金が肥大化することに批判的だったが、民営化自体は否定してなかったと主張する。民営化という事業は単なる金融業会の話ではなく、日本の国の形を変える国家的な挑戦とも大上段に言う。引き受けた以上はやる、負けるわけには行かないし、絶対に負けたくない。何か、から手か、大相撲の勝負に臨んでいるようなコメントである。何に負ける伊野が怖いのか。「一度は表舞台から退いた私に再びこんな機会を与えていただいたのは大変ありがたいことです」と述べる。表舞台から追われていた私にもう一度スポットライトをあてていただき感謝しているとも聞こえる。

気が短い性格だったことを認めている。よく部下を叱り飛ばしていたというが、きたいできる人こそ叱っていたというが、本当にそうだろうか。文藝春秋の昨年当たりに、西川氏の人となりが掲載されたが、そんな奇麗事ではなかった。2時間半ぐらい部下をたたせたままにしたり、とばっちりを受けた人が、修羅場になるような場面があったと書いてあったが、そんな反省はミジンモナイ。その性格が人生を切り開いたと結局は合理化している。

住友銀行には、たった2回の面接で決まった、住友銀行は、それ程、物事を決めるのが早かったというのですが、そんなことはなく、他の銀行でも、つい2,30年前までは青田買いで立った一介の面接でも内定をしたものです。

1961年に住友銀行に就職して、大阪大正区の支店で現場勤務に励んだようである。新人時代の思い出話で、甘酸っぱい青春の時代の話が伝わってくる。調査部に勤務して、66年の呉羽紡と東洋紡の合併などにも関与している。

1975年の安宅産業の経営危機の問題にもかかわったとしている。安宅産業の事件は、松本清張の「空の城」という小説となっている。阪神タイガースが優勝した1985年から一年間丸の内支店に勤務したが、本部の人という印象があると質問者は言っている。イトマン事件については、さらりと書いている。この短い文章の中に、どこかに難しいことが表現しているのかもしれない。「イトマン問題の時は、問題の原因・性質からして、安宅処理のとkほどの使命感はなく強かったのは、とにかく住友銀行を守らなければならないという切実な思いでした」と書く。

98年には、大和證券と提携したという。日本郵政の従業員持株会の担当する大和證券SMBCと西川社長が深い関係があったことが、書いてある。大口の法人を対象とした証券業務を専門に行う投資銀行である。不良債権処理の関連では、ゴールドマンサックスのポールソン、NY証券取引所のセイン氏が、「西川さんを信じて増資に応じる」と言ったという。

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