構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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Market Fundamentalism 3

 今日の朝日新聞のオピニオン欄(耕論)は、旧態依然の市場原理主義者に、しかも外国人で、日本の経済・政治を時の権力者と結託して、都合のいいように採点しながら、しかも財政諮問会議に分科会などに参加して、先に書いたシンガポールでの元首相の根拠のない構造改革説を振り付けした原理主義者に大きな紙面を与えている。その隣には、田中直毅氏というこれまた、市場原理偏重の学者?に紙面を与えている。それにはさまれるように、堤未果氏の貧困生んだ社会直視をという記事をのせている。明らかに退潮に向かった市場原理主義を今なお後生大事にしており、サブプライム危機と世界という題で全体をまとめている。

モルガン・スタンレーのフェルドマン氏の記事の見出しは、日本政治のまひ浮き彫りとなっている。サブプライム問題が深刻化して、日本の株価は大きく下がり、海外からの資産の逃避地を探していたが、日本がその受け皿とはならなかった。国内政治が不安定で、サブプライム問題は、日本の政治のマヒ状態を浮かび上がらせたと書く。全く反省のない主張である。外資が、日本のホテルや不動産を買いあさっていたから、なるほど資産の逃避地として考えていたなということは読み取れるが、根本のサブプライム問題の本質を演じてきた市場原理主義の責任はいささかも感じていないようである。いずれの大国の住人も、自己責任といいつつ問題が発生すると、人のせいにする、謝る言葉を出してはいけないといわれるが、そんな類である。政治は、麻痺していない。最近の日銀総裁の人事案の否決のように、全く政治は機能しているのである。経済政策が進まなくなったのは、構造改革が改悪であってそれを日本国民が支持していないからである。当ブログでは、国内の株式の売買の80パーセントが外国人になっている現実をどこかで指摘したが、そこでの鞘稼ぎに、実は国民は飽き飽きしているのである。実体経済で汗水たらさずに、コンピュータをいじる日本人の代理人を使って荒稼ぎをさせる買弁資本主義に飽き飽きしたのである。株価が下がって、大損をしたからといって、日本の政治を批判されてはかなわない。サブプライムローンという社会的な弱者あるいは、貧困層を食い物にした、自国の制度の道徳的な欠陥から反省をすべきではないのか。

 米国の投資化の会合に出て、日本の存在は不在どころか文化財と書く。投資対象と見ていないという。日本は経済改革をもうやめtのかと投資家に疑わせるような動きが相次いだからという。大いに結構なことである。はげたかの集会で、日本が意外と堅実で、カネで食い物にする制度に敢然と反抗したから、文化財といって関心がなくなったのは大いに結構である。円安バブルで、国民資産を海外に流出させ、それを活用して巨万の富を得て、日本国民には還元しようとしない連中が、関心を持たなくても結構である。ブルドッグソースの株は下がっても、立派な食品が製造を継続されれば、それでいいのである。

 ご託宣であるが、郵政民営化に反対した議員が復党したことにも不満のようで、改革が必要な分野は沢山あるのになかなか進まないと書く。現状維持の雰囲気が漂うという。現状維持ではない。国民は、根拠のない、一部の市場原理主義者のみを利益する構造改革が単純な改悪であることに気がついているのだ。TOTOの温水洗浄の便器を例に挙げて、海外に行くと目にしない意識が内向きだなどといわれるともう言いがかりである。TOTOが海外においそれと行かなかったのは、それなりに理由があって、すぐ言いがかりの訴訟を吹っかけられるとか、ちゃんとしたアフターサービスができないとかという、極めて良心的な理由である。欧米に行って、いちゃもんをつけられて、法外な法廷外の和解金を支払うのでは、怖くて、海外になかなか出かけていけなかったのが実態であろう。ナシやリンゴも中国や中東で売れるのに、生かしていない企業や産業があるとのたまう、まことしやかな話であるが、そんなに高いナシやリンゴが誰が買うのだろうか。食糧自給率をご託宣で落として、毒入り餃子を食べるようになったのがむしろ問題である。少なくとも日本は民主主義の国であり、人口の数パーセントにもならない金持ちのために農業をしているのではない。だいいち、日本からのナシやリンゴを買おうともしない国がどの国かをはっきりしてほしいものである。株価はその国の将来性を写すと書く。本当にそうだろうか、株価だけが指標ではない。立派な会社で、株式を公開していない会社などいくらもあるのだし、株式市場が親分衆で一方的に支配されてしまうからおかしなことになって、日本人は嫌気がさしたのだ。株式の持合はだめだといい、安定株主はいけないといったのは、どこのどなただったのかを忘れた論説である。企業も国家も株主だけのものではない。外国人はしっかり見ているなどと書くと、脅しのようにも聞こえるが、外国人は投資家の外国人ばかりではない。はっきり言うが、日本人は、自国の未来を高く評価しなくなったのは、そうしたはげたかの様な連中に政治や経済が支配されたことに嫌気がさしたのだ。市場も見捨ててはいない。ものづくりもあきらめては全くいない。基本と正道に戻って、日本の国力を回復させようという動きがようやく始まったのである。

日本の金融機関は欧米ほどに多額の損失に苦しんでいないし、一般企業は現金を沢山持っているから、海外に打って出るべきだとまたご託宣であるが、危ない、危ない。中国に怒涛のごとく打って出させられたが、リスクはどんどん高まっている。サブプライムで、傷は浅かったようだが、どうなるのか。外国の国債を買わされて、買い戻すことすら厄介だ。国内では貧富の格差が拡大し、地方が呻吟する中で、海外に打って出るべきとは思わないし、まず持って、国内の需要拡大と、再分配の公平を行うことが大切だと当ブログは考えている。東京の摩天楼の研究所からは、村の鎮守の祭りの音が寂しくなっていることはもちろん聞こえないし、関心もないだろう。

 政治が麻痺した例として、日銀の総裁の空席を挙げているが、それはおかしな話で、空席が言いことではないが、政治が活性化したのであるし、今までは密室でいつの間にか決まるといっているが、日銀の福井総裁あたりが、ファンドのスキャンダルがあったにもかかわらず、市場原理主義者の支持を受けて、5年間も居座り続けた怒りがのこっといることもご存じないのだろうかと思う。デフレ政策で利益を受けたのは、キャリートレードをやった方々であるから、そんなことで、世界をリードしなくてもよい。現状維持ではなく、変化に向き合う覚悟が国民も問われていると思うと結論付けているが、方向は逆であっても同感である。しかし、停滞したのは、市場原理主義者と新自由主義のイデオロギーに取り付かれた、政界と経済界の一部であって、脱市場原理主義と、脱ネオコンで、意外に早く日本の国力は回復できると多くの日本国民は感じている。どこかの国のように、持てるものもてざるものとの対立はまだまだ少ないのである。

 しかし、それにしても、朝日新聞はこうした、外国投資家の指南役の論説を麗々しく載せるのかと思う。どこかの総理が、エルビスプレスリーの真似をして媚を売ったようなものかもしれない。

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