構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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Flag and Pride

長野の聖火リレーでは、五星紅旗が林立していた。その昔の長崎国旗事件のことを思い出さないわけにはいかないし、外国国旗や国章に敬意を払うことは当然である。ただ、車の窓から旗ざおを出して公道を走り回るとなると、振りかざしているご当人が自国の旗を大事にしているのかどうかは疑わしい。ましてや、この春に靖国神社の境内で、横浜から参拝に訪れたご老人の持つ小さな日章旗を奪って踏みつけた外国人の事件があったぐらいで、他国の県都に動員された中での熱狂であるから、片手に日の丸をかざすなどして、リレーの開催されている国に敬意を払う余裕は中国人留学生には見られなかった。偏狭なナショナリズムである。日本の刑法92条には、外国国章損壊罪があり、外国に対して侮辱を加える目的で、国旗や国章を損壊したり、除去したり、汚損したりすることは犯罪であり、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができないともあり、親告罪である。国旗のことで更に思い出すのは、米軍統治下にあった沖縄の漁船の事件である。昭和37年4月に、インドネシア近海の公海を航行中の沖縄漁船が国旗を掲げていなかったために、インドネシア軍の攻撃を受け、乗組員が死亡、重軽傷を受けた事件である。沖縄の軍当局は、国際信号旗のDの文字を示す旗の端を三角に切り落とした旗を、琉球船舶旗として義務付けたが、ほとんど意味のないことで、事件発生後の五年後にようやく、沖縄船舶が日章旗を掲げることを、白地に赤字で、琉球・RYUKYUSと書いた三角旗を一緒に掲揚するという条件付で認めたことがある。国旗を掲げず逃走する不審船を、巡視船が銃撃して、沈没後に海底から引き上げて、遺留品などで、国籍を断定したこともある。国旗のことでもう一つ思い出すのは、多少私事にわたるが、鹿児島の母校(高校)の創立の式典における日章旗の掲揚のことである。サンフランシスコ講和条約が結ばれる一年以上前の頃、開校式で、日の丸の旗を掲げ、君が代を斉唱したとの記録である。初代の校長はカナダ人で、まったく当たり前のこととして国旗を掲げて国歌を斉唱したという。敗戦後の日本で、しかも東京裁判で日本人の精神状況が骨抜きにされて間もない頃のことである。修道会の本部はローマにあり、各国で弾圧や迫害を受けて殉教した修道士の偉業を今なお展示しているが、戦前の日本の軍関係者からの辛酸も舐めているにもかかわらず、マルセル初代校長の開校に当たっての訓辞は、「諸君、よき日本人たれ」だったという。旧サイゴンで日本船舶の艫に掲げられた日章旗を見て、涙を流した高名の作家もいたが、迎合的な敗戦後の教育界の風景のなかでは、際立った開校式となっている。旗の思い出は、ある国際会議での経験であるが、自国の旗が他の国の旗と比べて、少し下がって掲げられたことを不満として、退場した代表団があった。アメリカの学校では、胸に手を当てて、星条旗に忠誠を誓わせる。海外進出した日本企業の日本人児童も、例えば日系企業の自動車工場のあるテネシー州あたりの小学校では。日章旗ならぬ星条旗に、敬礼をしているが、忠誠と敬意とを分別しているのであろうか。沖縄サミットのときの国旗の掲揚の順番は、左から、日本、米国、フランス、ロシア、イギリス、カナダ、ドイツ、イタリア、EUの公式儀礼であった。公式儀礼は、船舶に掲げる国旗と同様に、国際秩序を守る上での手順、プロトコルであり、調整の上の決定であればなおのこと、尊重されるべきものであるが、沖縄の自治体のなかには、自分の村に宿泊する代表団の国旗を優先する動きもあった。サミットは民主主義国の会合であるからオブザーバーでも参加しないと言い切った江沢民の政府のプロトコルはなお明快であった。日本では、他の国の国旗を並べて掲揚するときには、敬意を表して、日の丸の左側に掲げている。沖縄サミットの場合には、開催国の日本に対する敬意が合意されたようだ。さて、郵政民営化があって、第75回の郵政記念日の式典が、都内のホテルで4月21日(4月20日の逓信記念日が日曜日に当たるために平日に開催したものか)に、開催された。民営化以前の式典では、左に日章旗、右側に、明治20年に制定された、〒のデザインの逓信旗(昭和24年から、縦横の比率が定められ、郵政旗と呼ばれるようになった)が、掲揚されていた。今年の式典では、左側に、JPの横文字をデザインした、日本郵政株式会社の社章が掲げられ、右側に、郵政旗が掲げられている。文化と伝統とを考えれば、左側に敬意を表する旗があるべきところであるが、奇妙なことに、日章旗のあった場所に民営会社の旗があり、その次の順番の所に、郵政旗が掲げられている。意図的に行われたかどうかは確かめたわけではないが、民営化がすべてに優先することを誇示するような旗の掲揚である。郵便局のオービーの招待もなく、地方の功労団体などの参加もなく、ましてや、あれだけ郵政民営化で騒がれ、いまもなお意見分裂の政治状況にあるのに、郵政関係の国会議員の招待者もなかったという。場所も長年式典を継続してきた帝国ホテルから変えている。市場原理主義、新自由主義の真実が、式典の旗の順番の詳細に宿っているかのようである。日章旗を正面に置き、少し小ぶりの郵政旗が左で、それに新設の郵政会社の旗が右側であれば、「諸君、よき日本郵政の職員たれ」と誇りある訓示ができたのにと悔やまれる。世界の中には、自国の国旗のみを優先する国もいくつか残っているようであるが、そうした独善が尊敬されるとは到底思えないし、国際連合の旗でも国家の旗に優越することはできないのが、国家間の実定法も慣習法も含めての厳然たる法の支配である。

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