構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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Shock Doctrine 7

The Schock Doctrine には、The Rise of Disaster Capitalismという副題がついている。

Naomi Klein というカナダ人の女性のジャーナリストである。No Logo:Taking aim at the Brand Bulliesという著作が28ヶ国語に翻訳され、Nation, Guardian紙にコラムを掲載している。2004年には、イラクのバグダッドを取材して、ハーパーズ紙に寄稿した。アルゼンチンの工場をテーマにした映画、The Takeを夫君のAvi Lewis氏と製作している。London School of EconomicsMilband Fellowをつとめ、カナダの大学から、名誉法学博士号を授与されている。

ホームページを開設しており、そのアドレスは、www.naomiklein.orgである。

注釈、索引を入れると、701ページに及ぶ大作である。2007年に、単行本として刊行されているが、

以下の解説(概要にとどまるが)は、2008年7月にニューヨークのピカドール社から出版された、ペーパーバック版に依拠している。

序文は、Blank is beautiful: Three Decades of Eraseing and Remakingとなっている。空白が美しい、世界を消去して書き換えをした30年である。

2005年9月に、ルイジアナ州のバトンルージュの赤十字が開設した避難所の状況描写である。

ハリケーンで大被害を被ったニューオリンズの黒人の避難所の描写である。一方では、fresh starts とか、clean sheetsと呼んで、大災害をむしろ黒人住宅街が破壊されたことで、ビジネスの機会と捉える政治家の話を紹介する。

大災害を機会、チャンスとする政治家は、目が見えないのか、いや目が見えないのではなく、心が腐っているだけで、よく見えているのだ。

ミルトン・フリードマンが、大災害の三ヵ月後に、ウォールストリートに寄稿した記事に触れる。93歳、健康は悪化している。ニューオリンズの学校が破壊され、それは悲劇であるが、教育制度をラジカルに改革する機会だと説く。公共の学校の復興ではなく、バウチャーを家族に配り、私立の教育機関(チャータースクール)を作るというものである。フリードマンの提案を受けてブッシュ政権は、学校を私立機関にするための資金を数千万ドルにわたって投入する。チャータースクールがアメリカを二極化している。公民権運動の成果は無にされている。

フリードマンの考えでは、政府は警察と兵士を供給すれば十分で、無料の教育を提供することは、市場に対する政府の過剰な介入であるという考えである。123の公立学校は、4になり、私立学校は7が31となった。4700人の教師が解雇された。ニューオリンズは、私立教育機関設置の実験場となった。公共の制度を消して、私の制度で置き換える。著者は、こうした大災害などの危機に際して、市場の機械と捉えて、公共のものを私物に置き換えていく手法を、Disaster Capitalism 災害資本主義と名づけている。

フリードマンは、2006年11月16日に死去しているから、最後の政策提言であった。

フリードマン一派の手法は、大きな危機が訪れると、多くの市民が放心状態にあるときに、間髪をいれずに、公共の財産を民間の資本化に売り渡して、制度の後戻りを出来ないように高級化してしまうやり方である。

フリードマンは、「危機のみが真の変化をもたらす、危機が起これば、現在ある政策の肩代りを提案して、政治的に不可能であったことを、政治的に不可避なことにしてしまう」と言い、災害に備えて、缶詰や水を備蓄しておくように、自由市場の政策を溜め込んでおくとする。マキアベリのように、一挙に機会を捉えて動くことが重要で、逡巡すれば、目的は達成できないとしている。

フリードマンが、こうした危機を利用する方法を習得したのは、70年代の中頃に、チリの独裁者ピノチェット政権の顧問をしたことである。ピノチェットの政権には、シカゴ大学の経済学部出身が大量に登用され、シカゴスクールの革命と呼ばれた。減税、自由貿易、民営化、社会政策予算の削減、そして一連の規制緩和である。

スピード、突然、そして大きな変化をさせることが重要として、ショック療法とも読んだ。一度にすべてを変えてしまうやり方である。経済的なショック療法と、拷問とが、一体化した。チリの暴力が、三十年後にイラクではるかに大規模な作戦として実施された。「敵の意思、考え方、あるいは理解力を制御して、敵を文字通りに、行動あるいは対応する能力を失わせること」というドクトリンである。イラク人が抵抗したが、投獄され、拷問を受けた。市場原理主義が、ショックを与えることに依拠していることに気づいて調査を始めたのが4年前のことであった。バグダッドを訪問した後に、大津波後のスリランカを取材したが、そこでも、被災者をパニック状態に落とし込んで、海岸線をリゾート化する構想が進められていた。ニューオリンズの時も、住民が住んでいる土地を修復することはなく、更地にすることだけがすすめられた。Reconsturuction 再建の実態は、公共性を消し去って、共同体を奪って、被害者が、自らを組織して主張を始める前に、私物化してしまうやり方がとられた。恐怖と無秩序が、会社の躍進の原動力となった。

民営化、規制緩和、公共政策予算の削減、という三大要求が、強行された。軍事的に強制された。

フリードマンの考え方である、原理主義的な資本主義の考え方を実行するには、はじめから、大災害を必要とした。

このショックドクトリンの見方を通して世界を見ると、違うことが見えてきた。人権侵害が、「改革」を導入するために行われていたのだ。アルゼンチンで、三万人の人口が、消えたのは、シカゴスクールの政策提言を実施するためであったのだ。1989年の天安門事件の大虐殺しかりで、93年のエリツィン政権のロシアでも、国会に放火して、投売りの民営化と、超資本家を生み出したのも、同様なやり方である。

1982年のフォークランド戦争も、サッチャーが利用して、炭鉱労働者のストライキを破壊して、西洋社会での再所の民営化を強行した。99年のNATO軍のベオグラード空爆も同様に、旧ユーゴでの民営化の条件作りであった。80年代のラテンアメリカや、アフリカでは、インフレに苦しみ、また外国からの借款の返済に苦しみ、IMFのご託宣である、民営化あるいは死かという選択しかなかった。アジアでは、通貨危機が仕掛けられ、国民の意思ではなく一部の経済専門家の手に国の政策が支配されるという状況が現出した。市場原理主義が、民主主義の元で選択された例もある。レーガンと、最近の例では、フランスのサルコジである。

フリードマンの原理主義は、民主主義の下では、部分的なものにとどまることがあるが、全体を実行しようとすれば、独裁的な状況が必要である。トラウマを作り出す必要がある。

フリードマンの原理主義は、70年代から世界各地を占領したが、アメリカでは、95年に、ネオコンが、ショック療法型の経済改革を主張し始めてからである。9.11があり、大統領府は、フリードマンの弟子で埋め尽くされた。ラムズフェルドは、フリードマンの親友である。危機が到来して、迅速に動いた。すでに、中南米や、東ヨーロッパで、

新自由主義に関わった者が多数いた。War on Terror 恐怖をあおった。アイゼンハワーが懸念した産軍複合体の比でえはなく、公共の金を使って、結局は、政府を民営化する、私物化することである。外注化した。アウトソーシングである。2003年には、3512件の治安維持がらみの民間外注が、2006年の8月には、11万5000件となる。アメリカ軍を維持することが世界最大のサービス産業となった。

戦争の経済的な役割が全く違ったものになった。戦争で門戸開放をして、その後の平和な時代に経済的なブームをつくっていくことであったが、今では、戦争自体が民営化され市場化されている。しかも、必ず儲かる。ハリバートン社は、200億ドルの売り上げである。アメリカの会社が圧倒的であるが、イギリスの会社もカナダの会社も参加している。カナダの会社は、プレハブを戦場に売っている。保険会社の売り上げの急増、石油会社の利益の巨大化、いずれも災害資本主義の象徴である。

ネオコンは、アメリカ企業と軍隊の制度とが複合的になって初めて成立した世界観である。

ロシアでは、オリガーキ、中国では太子党、チリでは、ピランハス、アメリカでは、ブッシュの遊説の時のパイオニアズ、と一部の人々の利益独占を名づけている。

拷問。自由市場十字軍の静かなパートナーが、拷問である。CIAの用語では、拷問を、強制的な尋問という。90年代後半に情報公開となった、マニュアルがある。

フリードマンとニューディールと福祉国家を作り上げたケインズの違い。ハイエクは、フリードマンの師である。1969年のタイム誌は、フリードマンを非難しているが、サッチャーと、レーガンが、フリードマンを採用。

現代の市場は、会社主義の極致で、ショックの中から生まれたものである。危険な思想である。市場は、原理主義である必要はない。公共の学校があってもいいではないのか、国営の石油会社があってもいいのではないのか。経済的な不平等を解消するために税を徴収して再分配してもいいのではないのか。人間が完全を求めて、神になってしまい、自説のみを正しいとする純粋さは危険である。民主主主義には、妥協とチェックアンドバランスが不可欠である。(つづく)

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