構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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2008年9月

Fake Privatization 105

国土交通省に観光庁が発足するという。小泉・竹中政治の中で、外国人流入の促進策と見られているからである。小泉元総理は、空港や駅のテレビの中で、ようこそジャパンと絶叫している姿を見た人も多いだろうと思う。

驚いたのは、その観光庁長官に、郵政民営化を小泉政治の中で強力に推進して、郵政公社の理事に加わり、国際物流事業を提案して失敗した、現在観光担当の審議官を務める本保芳明氏が起用されるとの報道である。郵便小包などが、貨物事業と定義され、ユニバーサルサービスが放棄されているが、そうして政策を支持した張本人であるだけに、残念な人事である。

麻生内閣の人事としては、はじめての高級官僚人事であるが、郵政民営化論者で、しかも、国際物流という夢物語を唱えて、完敗した人物を起用しているのは、麻生内閣の人事掌握能力がなく、市場原理主義者の手にゆだねられていることがわかる。

ちなみに、総務省の審議会人事も発表されているが、これまた、小泉・竹中政治の延長線上にある人事である。郵政民営化を主張して、郵便の自由化を唱えていた銀行の頭取が座長に就任している。

ちなみに、観光は低賃金労働を招きやすい産業であり、付加価値率はそれほど高くないが、産業が空洞化している、あるいは雇用が低下している場合の救済産業となる可能性が大きい。

Fake Privatization 104

アメリカの金融不安で、アメリカ政府は、約75兆円にも及ぶ公的資金投入を決定したという報道である。メルトダウンを避けるための国策であるが、竹中・小泉氏が主張していたように、アメリカ経済の救済の為に、郵便貯金を資金を投入しようという動きが今も残存している危険性がある。郵貯は日本国民の大多数が、財布代わりに文字通り貯金をしてきてそれが巨額につみあがり、日本の国の為に活用されることを期待されている国民資産である。それが、市場原理主義者の救済の為に使われることとなり、国民の福祉と安寧の為に使われないことになれば、由々しきことである。一部情報によると、今回の金融危機で危機に瀕したアメリカの会社や法人に対する債権もあるようである。総額を公表してほしいものである。

ゆうちょ銀行なる民営化された部門は、駿河銀行と住宅ローンの提携をしたり、クレジットカードをこれまでの発行提携機関との関係を打ち切って独自のカードを発行したりしたが、目標を大きく下回っている現状にあり、旧契約から新しい契約得の切り替えも思わしくない。毎月一兆円減っている数字が会ったが、都合が悪いのか、好評もいつしかやめてしまった。情報公開も果たせなくなった不振振りである。将来不安はぬぐえない状況となっている。

簡保と郵貯の資金を外資が狙っているとの話は、当然であり、民営化の法律を成立させる過程でも、外国政府や資本の圧力が陰に陽にあったことであるが、その中身は未だに公表されずにいるだけではなく、実際の目標が外国政府の文書にまず掲載され日本国内では不問に付されるというのは、全く遺憾なことである。米国国債をどの程度保有しているのか、米国の住宅再建や、そのほか、例えば、リーマンブラザーズや、その他の保険会社や、その他の外資証券会社にどの程度の債権を保有しているのか、こうした金融危機の元では誠実に公表されてしかるべきである。

Fake Privatization 103

毎年夏に、全国でラジオ体操の大会が開かれている。中央大会が持ち回りで開かれるが、これは、1928年に宮廷心象簡易保険局が昭和天皇の即位の大礼を記念して開かれているものである。子t氏は、7月27日に東京の有明で約6000人が参加して開催されている。首都で開かれた割には、非常に少ない参加人数であるが、奇妙なことに、民営化後初であったから、逆に民営化後で参加者が少なかったのであるが、これ見よがしに、日本生命の社長が、民営化されたかんぽ生命の社長や幹部と並んで参加していたというのである。

日本生命と民営化されたかんぽ生命とは、業務提携を行い、何とか民営化後の商品開発を進めようとしているが、かんぽ生命のほうは、顧客が急速に少なくなってきていて、成績は前年の三割に届くかどうかの状態にあるといわれている。

来年度にも日本生命の協力を受けた新商品の開発などと、かんぽ生命の幹部は主張しているようであるが、もともと簡易保険は、市中の生命保険が機能しない社会政策として発足した敬意があり、全く説得力を持たない。

日本生命の社長は、ラジオ体操に参加して、郵政かんぽとの緊密な関係を誇示するかのようであるが、もともとの関係が基本的に異なる物であり、そうした早朝からの体操会に参加していること自体がこっけいな様相を示している。ラジオ体操が日本放送協会のラジオ・テレビ番組で、特に中央大会は全国中継されるので、参加したことも考えられるが、いよいよ矛盾を露呈するものであった。日本生命は、限度のある簡易な保険に関心を持つのではなく、もともとの生命保険業に徹するべきものであり、しかも歴史を積み重ねた行事にのこのこと出るのは、外資保険の第三市場においての競争に注力するほうが大切ではないだろうか。日生の「おばさん」の努力を無にするような話であり、業界のガリバーとしてのおごりがあるのではないだろうか。猛省すべきではないだろうか。

簡保はそもそも弱肉強食のなかで、社会保障政策を補う補助的な保険制度として発足したものであり、それは、鈴木梅四郎などの名前が残るように、国民皆保険制度を保管するものとして、大正デモクラシーの時代に世界に先駆けて発足した制度であり、日本生命が世界に冠たる制度であった簡保を破壊あるいは侵食する側に回ることは、好ましくないし、むしろ、世界の保険業界の不当な競争に対して挑戦すべきではないだろうか。

Shock Doctrine 10

 ★“ショック・ドクトリン”から見えてくる世界 

 衝撃を与え、一気に新自由主義改革を進めるという”ショック・ドクトリン”から世界を見ると、世界は今までとは異なる姿で立ち現れてくる。「改革」のために、平然と人権侵害が行われてきたことに気づくのだ。アルゼンチンでは3万人を抹殺して、シカゴ学派の提唱する政策を実現した。1993年にはエリツィン政権下のロシアで国会放火事件が起き、その後、国有資産は投売りされ、「オリガルヒア」という新興の超資本家が生まれた。
 1982年のフォークランド紛争も、炭鉱労働者のストライキを破壊して、西洋で最初の民営化を強行する結果になった。1999年のNATOによるベオグラード空爆も、結局旧ユーゴでの民営化に結びついたのである。アジアでは1998年にアジア通貨危機が仕掛けられたが、これによってIMFが介入し、民営化するか、さもなくは国家破綻か、が迫られた。

 その結果、国民の意思ではなく、日本の経済財政諮問会議のような1部の「経済専門家」と称する新自由主義者によって、国の政策が支配されることになったのである。
 また、天安門事件の大虐殺も”ショック・ドクトリン”の一環と見ることもできる。事件の前年9月、フリードマンが北京と上海を訪問している。中国が中国流の”ショック・ドクトリン”を利用して、開放路線を発動したと考えられるのだ。今年の四川大地震では、現地は復興特需に経済が活発化しているという話も聞こえてくるのだが、中国版災害資本主義が発動されている可能性は高い。
 かつて、アイゼンハワー時代には、アメリカ国内ではこの”ショック・ドクトリン”は適用されていなかった。おそらく、軍産複合体の行き過ぎを懸念したのである。しかし、レーガノミックスを経た95年ごろから、ネオコンが中心になってショック療法型の経済政策が本格化する。

 そして、「9・11」のとき、大統領府はフリードマンの弟子たちで埋め尽くされる。★ラムズフェルド国防長官(当時)はフリードマンの親友である。「テロとの戦い」が叫ばれ、恐怖が煽られた。そして何が変わったか。軍隊の民営化、戦争の私有化である。戦地を含む治安維持関連の民間外注が2003年には3512件、2006年には11万5000件にまで増えた。
 現代の新自由主義下においては、戦争の経済的役割が全く違ったものになった。かつては、戦争によって門戸を関放し、その後の平和な時代に経済的に干渉するという手法であったが、いまや、戦争自体が民営化され、市場化されているのである。だから、確実に儲かる。

 クライン女史によると、現にイラクではPMC(プライベート・ミリタリー・カンパニー)が米正規軍13万人に対して40万人を派遣しており、ハリバートン社は2007年には200億ドルの売り上げをあげ、アメリカ資本のみならずイギリスやカナダ資本も戦争ビジネスで潤っているという。カナダのある会社は、プレハブを戦場に売ることで儲け、危険な戦場で働く人のために保険会社が莫大な売り上げをあげているとのことである。

 このように見てきたとおり、新自由主義は、その「リベラル」で柔らかいイメージとは裏腹に、政治的自由とは一切関係なく、それどころか、災害がないならば災害を起こせばよい、ショックを与えて一気に改革を進め、共同体も歴史性も破壊し、市場原理主義というのっぺりとした原則だけで動く世界を構築しようという危険な思想である。

 新自由主義者にとっては、そのような共同体も歴史も存在せず、無機質で根無し草的な、ただ市場原理だけで説明ができる世界というのは、ユートピアに見えているのかもしれない。だが、人間はそのように合理性だけで生きている存在ではない。非合理的感情や共同体意識、歴史性があってこそ人間であり、そうした矛盾も非合理も抱え込んだ人間存在の幸福を図るのが「政道」である。 


 ★新自由主義という名のカルト的危険思想 


 新自由主義が達成する世界観は、脳に電気刺激を与える人体実験の思想に酷似している。1950年代に、CIAがカナダのモントリオールの精神科医とともに人体実験を行ったことが情報開示によって明らかになった。人間の心を人為的に制御することができるかという実験を行っていたのである。1988年には9人の元患者から提訴され、アメリカ政府は75万ドルの賠償金を支払い、カナダ政府は1人10万ドルの賠償を行った。
 1940年代、ヨーロッパと北アメリカでは脳に電気刺激を与えるという療法が流行した。脳の切除を行うロボトミー手術よりも永久的なダメージが少ないとされたが、このショック療法においては記憶喪失が起こり、幼児に戻るような後退現象が見られた。この後退現象にCIAが目をつけ、1953年には2500万ドルの予算で人体実験を行った。

 これこそが新自由主義のアレゴリーである。記憶を抹消し、まっさらなところに新しい記憶を与えること、これこそが新自由主義の本質であり、危険なのである。

新自由主義は支出を削減し、あらゆる部門を民営化し、意図的に景気後退を生み出す。こうしてショックを与え、さらに新自由主義改革を推し進め、共同体、公共圈を破壊する。そして、歴史性も共同体も失われたところに、市場原理主義を植えつけていく。
 こうした新自由主義十字軍ともいうべきカルト的危険思想に、遅まきながらも、世界はようやく気づきだした。ピノチェトですら、政権後期にはシカゴ学派の言うことを聞かなくなった。民営化した鉱山会社はアメリカ資本の傘下に置かれ、国の収入源は民営化しなかった銅山会社だけになってしまい、国民の45%が貧困層になったからである。現代の中南米は明らかに、新自由主義と決別する方向に動いている。
 

 ★今こそ新自由主義に抵抗する救国勢力の結束を! 


 こうした一連の新自由主義の動きは、ここまで過激ではないにしろ、着実に日本の中でも起きている。確かに、「9・11」や拷問といったような過激な手段は、未だとられてはいない。しかし、新自由主義に反対する政治家が国策捜査によって政治から追放され、刺客選挙が行われ、郵政民営化をはじめとする、小泉・竹中による新自由主義改革によって我が国経済・社会は着実に後退した。幸い、日本は中間層が厚く、一気に貧困社会となることはなかったが、非正規雇用、ニートといった潜在的失業率はかつてないほど高まっている。中産階級は劣化し、地方と東京都の格差は拡大の一途をたどっている。

 もはや限界は明らかだ。「過ちを改めざるを過ち」と言う。信念の人であれば思い改めることも可能であろうが、カルト相手には、決然と戦いを挑まねばならない。新自由主義は将来の発展のために「今は痛みに耐えよ」と言う。だが、その将来とはいつなのか。その間に、我が国の共同体、同胞意識は次々に破壊されていく。このままでは、もはや回復不能なまでに破壊されるだろう。

 新自由主義に反対の声をあげる者は、旧態依然の「抵抗勢力」と呼ばれる。
 だが、市場が原理主義である必然性などない。公共の学校があっても良いではないか。国営の石油会社が存在して、エネルギーを安定供給することは悪いことなのか。郵便局が国営で何か悪いのか。世の中には自らの責任ならずとも不遇の立場に置かれている人もいる。それらをすべて自己責任であると切って捨てるのが政道なのか。経済的な不平等を解消するために税を徴収し、再配分することは許しがたいことなのか。

 我々は今こそ、新自由主義に対して決然と、「否」、を突きつけるべきである。我々は記憶を抹消され、ロボトミー化されて、市場原理主義しか考えられないような存在となることを望まないからである。新自由主義に対する戦いは、人間らしい生存を回復する戦いである。我々は抵抗しなければならない。

 「抵抗勢力と呼ばば呼べ」。我々は人間性を抑圧する市場原理主義にあくまで抵抗するのである。
 来るべき政界再編は、自民党か民主党かなどというレベルのものであってはならない。それは、新自由主義に抵抗する救国勢力の結束による政界再編でなければならないのだ

Shock Doctrine 9

★歴史や公共性を崩壊させる新自由主義

 日本の国力は急激に低下しつつある。我が国経済が全体的に収縮し、国民一人ひとりへの配分自体が減少し、未曾有の格差社会を増殖させている。
 世界情勢においては、偶然は存在しない。特に経済政策は、一見経済理論と現実には隔たりが見えるようでありながらも、必ず因果関係がある。確かに、自然災害など、偶然が経済に干渉することはある。だが、強力な経済理論はそうした偶然さえ必然として絡め取ってしまう。

 私がここで念頭に置いているのは、今世界を席巻している新自由主義、あるいは市場原理主義という経済理論だ。新自由主義の三本柱は「規制緩和・民営化・公共予算の削減」である。新自由主義はこの三本柱によって、国家の市場への介入を最小化し、市場に任せておけば経済はうまく回るという、「レッセ・フェール」(市場放任)の立場をとっている。
 しかし、それが現実政治に適用されるとき、アダム・スミス流のレッセ・フェールとは、似ても似つかぬ新自由主義のカルト性が姿を現すのだ。

 ここに一冊の本がある。カナダのジャーナリストであるナオミ・クライン女史が書いた『The shock Doctrine』である。同書は、ニユーヨーク・タイムズのベストセラー欄の上位を長らく独占していた。日本ではまだ翻訳は出ていないが、アメリカ本国でこの衝撃的な「新自由主義の本質」に鋭く迫った本が出版され、しかもベストセラーになっているというのは、一つの時代の転機といえるだろう。

 彼女によれば、新自由主義とは結局、破壊と衝撃を与えることによって歴史性や公共性を崩壊させ、強引に更地(さらち)にして全てを私物化していく手法だ。

 
 ★フリードマンという教祖 


  この新自由主義の教祖はミルトン・フリードマンである。彼が教鞭を執った【シカゴ大学】経済学部の入り口には「経済とは測定だ」と、銅版に記してある。ここからも、このシカゴ学派が工学的発想に基づいた、人為によって社会を構築できるという思想を蔵していることがわかるだろう。
 フリードマンは、1912年生まれのハンガリー系ユダヤ人移民の子供である。彼は、新自由主義こそが完璧なシステムであり、市場を政府の介入から救い、汚染されていない資本主義へ回帰することによって、ユートピアを実現できると考えた。
 彼の提唱した新自由主義とは、政府のあらゆる規制を撤廃し、政府財産を全て売却し、社会政策の予算を大幅に削減し、税率も最小限かつ貧富の格差に関係なく一律とすることである。ここにおいては、全ての価格は賃金も含めて市場が決めるのであり、医療保険、郵便局、教育、年金といった公共の福祉に関するものもすべて民営化すべきだ、と説いた。

 フリードマンによると、政府が持つのは警察と軍隊で十分ということになるのだ。
 では、この理論は現実にどのように適用されたのだろうか。
 一番良い例が、2005年にルイジアナ州を直撃したハリケーン「カトリーナ」の災害復興だ。当時93歳のフリードマンは、いわば人生最後の政策提言として、『ウォールストリート・ジャーナル』に寄稿している。
 それによると、ニュー・オーリンズの学校が破壊されたことは悲劇ではあるが、これは教育制度をラディカルに改革する機会である。公共の学校を復興するのでなく、この災害を奇禍として、バウチャー(引換券)を各家庭に配布し、私立の教育機関(チャータースクール)を設立し、このバウチャーを活用することによって教育の民営化を促すべきだとした。

 このフリードマンの提言を受けて、ブッシュ政権は学校を民営化するための資金を数千万ドルにわたって投入した。
 ところが、現在アメリカにおいてはチャータースクールによって教育が二極分化しており、教育の低下が社会階層の固定化に結びつき、かつて公民権運動で勝ち取られた成果が無に帰しつつある。ニュー・オーリンズではカトリーナ前に123校あった公立学校はわずが4つになり、7つしかながった私立学校が31にまで増えた。こうしてニュー・オーリンズは私立教育機関設置の実験場とされた。「公共」の制度を潰して、「私」の制度に置き換えていったのだ。

 これは日本にとって対岸の火事ではない。
 途中で潰えたものの、昨年の安倍政権がやはり教育バウチャー制度を導入しようとしたことを思い出すべきだ。起訴休職外務事務官・佐藤優氏が、保守主義と新自由主義の間で股裂きになったのが安倍政権の自壊という現象だ、と指摘したが、まさに現下の日本の格差社会・貧困社会化には新自由主義の影響がある。こうした事態に対して無自覚であることは、政治家にとっては許されない怠慢である。
 ここで、急激な民営化に「カトリーナ」という災害が巧妙に利用されたことに注目して、クライン女史はこれを“Disaster Capitarism”、すなわち「災害資本主義」と名づけている。

 
 ★新自由主義は共同体を根こそぎ壊滅させる危険思想 


 フリードマンは「危機のみが真の変化をもたらす。危機が起きれば、現在ある政策の肩代わりを提案して、政治的に不可能であったことを、政治的に不可避なことにしてしまう」と述べている。
 いわば、災害に備えて缶詰や水を備蓄しておくのと同様に、災害に備えて新自由主義政策を一気に進めるべく、政策を準備しておくというのだ。
 このような発案の元には、フリードマン自身の経験が影響していると見られる。

70年代中ごろに彼はチリの独裁者ピノチェト政権の顧問をしていた。ピノチェト政権にはシカゴ大学経済学部の出身者が大量に登用されており、「シカゴ学派の革命」とも呼ばれた。事実、ピノチェト政権においては減税、自由貿易、民営化、社会政策予算の削減、規制緩和が、急激に行われたのである。これらは、スピードが大事であるとして、1度に全てを変えてしまうという方法が採用された。

 ここから、”ショック療法”という概念が、新自由主義に滑り込んできたのである。独裁政権下においては、それは経済的ショックと同時に、拷問という肉体的ショックとも併用されて新自由主義改革が進められた。
 「敵の意思、考え方、あるいは理解力を制御して、敵を文字通りに、行動あるいは対応する能力を失わせる」という”ショック・ドクトリン”が、生まれたのである。

 クライン女史は実証的に、新自由主義がこの”ショック・ドクトリン”によって推進されてきたことを明らかにしている。たとえば、スリランカにおけるスマトラ沖地震による津波被害の復興である。そこでは、被災者をパニック状態に落とし込む一方で、海岸線をリゾート化する計画が進められていた。ニュー・オーリンズでもやはり、住民の土地・家屋を修復することもなく、ただ更地にすることだけが進められたのである。

 新自由主義にとって邪魔なのは、★市場原理主義に反するような非資本主義的行動や集団である。そうした非資本主義的集団として、地域共同体や、歴史や伝統に根ざした「共同体」が存在するが、新自由主義はこうした集団を徹底的に除去する。災害復興の名目で公共性、共同体を奪い、被災者が自らを組織して主張を始める前に、一気に私有化を進めるのである。

 これは、日本で行われた新自由主義改革とも一致している。
 郵政民営化は公共財産である郵政事業を民営化するという、典型的な新自由主義政策であった。民営化後、郵便局にはテレビカメラが取り付けられ、『郵政百年史』といったような郵政の歴史と文化を記した本も撤去している。
 ショージ・オーウェルが『1984年』で書いたような、極めて不自然で、歴史性を欠いた組織に一気に改変されている。オーウェルは「我々はあなたを完全に空っぽにし、その体に我々を注入する」と不気味な予言をしている。 (つづく) 

Requiem 2

当ブログで、ロシアの文豪ソルジェニツィン氏の逝去に関して、アマルリク、正垣親一誌といった反全体主義の思い出を書いた。9月20日付で、すばらしいコメントを頂戴した。

「ソルジェニツインが国外追放になり、その後、奥さんが子供を連れて、シレメチェヴォから、出国したとき、見送りにいきました。
多くの西側報道関係者の中に、アジア人は私一人でした。彼女は「夫とともに、私たちは必ず帰ってくる」とスピーチをしました。啼いている人々もいました。私服と見られる、男たちが四方八方にいて、写真を撮っていました。ソルジェニツイン夫人と子供の出国の様子を写した、写真を見ながら、感慨にふけっています。ソルジェニツインの自宅にも行きました。どういうわけか、朝日毎日読売は一切関心を持たない。不思議な空間でした。」

国外追放になったときに見送りに行った方からです。報道関係者です。ソルジェニツインの自宅は、朝日毎日読売は一切関心持たない、不思議な空間でしたと書いておられるが、その点は今も同じです。国際共産主義や世界市場原理主義という同根の人工のカルトの政治経済にぺこぺこして、人間の希望や、歴史と悠久の伝統などには一切関心を示さないことでは同じです。

ともあれ、コメントを頂戴して感謝しております。

Resignation 2

小泉元首相が政界からの引退を表明した。竹中氏は、もともと政治家ではないが、郵政民営化の過程で、一時期参議院議員として当選したが、小泉内閣が終了すると時を同じくして大学教授に戻った。さて、小泉・竹中政治を引きずっている人事は、道路公団等色々あるが、なかんずく、郵政民営会社の人事は、まもなく一年を迎えることもあり、早急に入れ替えが行われるべきである。

郵政会社の西川善文社長がその第一であり、小泉政治の尖兵となった生田公社総裁時代からの日銀関係者、商社関連の中間管理職や、昨年から民営会社の中枢に入り込んだ、外資コンサル、不動産企業、住友銀行関係者、財政諮問会議関連の自動車会社、コンビニ関係からの出向人事?によって送り込まれた者は、郵政の私物化から手を引くことが重要である。政治状況の変化もあり、辞任をすべきではないか。小泉の後継者を目指した上げ潮派の小池自民党総裁候補は,地方票はゼロであったことも考慮すべきではないのか。政治家が自らの責任を取り、政界をも退任する中で、その走り使いを勤めた民間人や、財務官僚がのうのうと、民営郵政会社に居座るのは異常な状態である。

朝日新聞9月23日号に、西川社長の会見記事が掲載されている。中期経営計画が公表できずに延期することを表明して、株式の上場について準備を進めるとしている。これについても、参議院で既に、株式売却について凍結法案が可決され、衆議院に送られている状況の中での発言であり、全く国会を軽視する発言である。参議院側からの抗議があってもおかしくないような発言ぶりである。

重要なことは、「総選挙を控え、与野党から出ている郵政民営化見直し論には、制度変更をかんがえるのは我々の役目ではない、」としているが、こうしたときばかりにノンポリ振りであるのは、郵政公社の時代に、政治を考えるのは自分の役割ではないと発言し通民営化推進に狂奔した当時の総裁の言辞に似たもので、デジャビュの世界である。

さらに、郵便局長会が民営化見直し論を掲げていることについては、「局長は郵便局会社の幹部社員だ。業務遂行を優先するのが第一義だと思う、と述べ、懸念を示した。」と書いている。何の懸念かは知らぬが、もし郵便局長の政治活動について、制約を加えようとする発言であればことは重大である。これまで、郵便局長は国家公務員とされたために、政治活動は国民の権利として本来は自由であるが、公務員としての中立性と国民全体の奉仕者という立場から制限があったのであるが、民営会社になって、その社長が小泉・竹中指示の中で、国会での査問もなく政治的に任命されてきた経緯の中で、郵便局長の政治活動について、業務遂行を優先するのが第一義をするとの発言は、奇怪であるだけではなく、不当なものである。抗議に値する発言である。公党たる各政党から抗議が出てもおかしくない話であるし、国会があるのであるから、委員会あたりで喚問の上議論を行ってもいいくらいの、暴言である。政治活動は基本的には自由であるが、一定の制約が加えられることが公の利益との中であるというのが本質であり、郵便局会社の幹部社員だからといって、政治活動が規制されることになるというのであれば、本末転倒である。むしろこの際、発言を改め、一方に偏した政治的な発言を慎むべきは西川社長ご本人ではあるまいか。しかも、郵政民営化一周年で、その失敗が露呈して中期経営計画を発表することも困難となった中で、小泉元首相の政界引退に歩調を合わせるべきは、西川社長をはじめ、小泉・竹中政治に加担して地方と郵便局を破壊してきた一連の官僚、学者、民間人の現在の民営郵政の幹部の方々ではないだろうか。

Resignation

小泉元首相が国会議員を辞めることを表明した。市場原理主義という構造改悪路線を突っ走った関係者にとっては慶賀すべきことであるが、いずれにしても小泉劇場は終わった。世界の潮流にも会ったことであり、日本のネオコンが退潮に向かったひとつの減少としてみれば喜ばしいことである。しかも、選挙区の立候補の後継者に世襲を指名するところなどは支離滅裂であるように見えるが、これも市場原理主義の矛盾点である。痛みに耐えるなどといいながら、その痛みがいつ解消されるのか保障の限りではなく、一部のもののみが豊かになり,格差社会が拡大されることを助長することを、世襲で証明したような話である。私物化である。小泉氏の選挙区といえば、齋藤つよし氏が、敢然と立候補したところである。構造改悪路線を批判して、単独首相の選挙区に立候補した。しかも、それまでの地位を投げ捨てての立候補であった。齋藤氏に、捲土重来を期待するのは当ブログばかりだろうか。

Territorial Water

李登輝元台湾総統が、沖縄で尖閣諸島は日本領土であると発言。勇気のある発言である。歴史を知ることがどういうことかがはっきりする。李元総統は、京都大学から規制する際には、船で沖縄にいつも立ち寄ったという。中国大陸の主張は、全く根拠のないことがわかる。尖閣の近海に石油やガス資源があるので、自分たちのものだといっているに過ぎない。チベットもウィグルも、モンゴルも全部中国のものだといっているのと同じである。しかし、台湾はもともとシナの一部ではない。台湾は実は日本の生命線である。李登輝氏のような賢明な日本の理解者を得たことはすばらしい。日本の側でも、台湾の理解をすすめるべきであろう。



http://www.nhk.or.jp/okinawa/lnews/02.html


沖縄県を訪れている台湾の李登輝元総統は、(り・とうき)ことし6月に尖閣諸島沖の日本の領海で台湾の漁船が沈没し、日本との関係がぎくしゃくしたことに関連して、「尖閣諸島は日本の領土だ」と述べ、今の馬英九政権が(ば・えいきゅう)政治的に問題化させていると批判しました。

22日から沖縄県を訪れている李登輝元総統は、24日、沖縄市の植物園を訪れ、仲井真知事らと昼食をともにしました。

この席であいさつに立った李元総統は、尖閣諸島について、「私に言わせれば、尖閣諸島は日本の領土だ」と述べ、戦時中、台湾の漁民は沖縄県の管理のもとで、尖閣諸島沖の漁をしていたとその理由を説明しました。

さらに、李元総統は、「最近起きた問題は、今の政権が政治的にやっているだけだ」と述べて批判し、尖閣諸島の主権を主張する馬英九政権との考えの違いを明らかにしました。

尖閣諸島をめぐっては、台湾の馬英九総統が先週行われた記者会見で、「尖閣諸島は台湾の領土だ」と改めて発言していますが、馬総統が「尊敬している」とされる李元総統の発言だけに、今後、波紋が広がりそうです。

一方で、これに先立って行われた記者会見で、李元総統は、新しく選出された麻生総理大臣について、「麻生氏を長い間見ていると、もっと強いリーダーシップをとれるのではないかと感じており、台湾との間の絆をもっと強く結んでもらいたい」台湾との関係強化に
期待を示しました。

Fake Privatization 102

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3955173.html

TBSのニュース番組から。市場原理主義の色濃いサルコジ政権のフランスで郵政民営化が進められようとしてそれに反対する大デモのニュース。

[フランスで郵便事業を独占する郵政公社が一部民営化されることをめぐり、大規模なストライキが行なわれました。パリから報告です。

 「我らが郵便局に手を出すな」。郵政の部分民営化に反対するデモが、フランス全土で一斉に行なわれています。

 職員30万人を抱えるフランスの郵政公社、ラ・ポストの各労働組合は、23日、フランス全土で統一ストライキを決行。パリ市内ではおよそ2000人がデモ行進を行ないました。

 ヨーロッパの郵便市場は、2011年からの自由化が決まっており、現在フランスの郵便を独占している国営のラ・ポストも、厳しい競争に晒されます。

 このため、経営側は株式の20%を公開、4000億円余りを調達し、競争力を強化する部分民営化案を発表。しかし、人員削減や、地方の切り捨てなどへの懸念から、強い反発を招きました。

 (民営化で失うものは多いのか?)
 「どんな田舎にも届ける配達員がいなくなるよ。郵便局は既にコストを理由に減っているが、民営化したらもっとひどい事になる」(組合幹部)

 サルコジ大統領は、労使双方や有識者による検討委員会を設けましたが、「国民の財産に手をつけるなら、国民投票で決めるべきだ」との声も上がっています。自由化の中で国民の利益をどう守るのか、フランスでも激しい議論になりそうです。(24日08:37)

Cabinet 3

政府は23日午後、国家公務員制度改革推進本部の顧問会議を内閣府で開き、座長に御手洗冨士夫日本経団連会長を選任した。また、国家公務員の幹部人事を一元管理するために新たに設置する「内閣人事局」の規模や他省庁から移管させる権限などについて論点を整理するため、ワーキンググループを設置することを決めた。桜井正光経済同友会代表幹事が主査を務める

以上のニュースが報道されている。23日、休みの日、しかもその本部の顧問会議で座長を選任したとある。内閣総理大臣の関与はどうなっているのか。政治の関与なく政府を動かしてしまおうとする、市場原理主義者の策動がまだ続いているようである。政治を無視して、経済財政諮問会議のように政府を牛耳っている一例のように見える。新自由主義は混乱の中で、立ち振る舞うのが得意である。自民党総裁選という政治空白の中であらかじめ考えていた人事を最後の最後に、何とか決めてしまおうとしたのである。内閣府には、小泉・竹中政治のお先棒を担いだ者が、居残っている。麻生新総理の政府の内実には、新自由主義の連中が救っている一例である。安倍内閣も福田内閣も、市場原理主義者を態呈することが出来ずに費えたのであるが、麻生内閣のアキレス腱も実は足元の欠陥である。麻生内閣が、経済財政諮問会議等を実際に廃止する行動に出れば、勿論内紛は避けられないが、ようやく新自由主義の政治経済を克服することになる。

Cabinet 2

麻生太郎氏が自民党総裁に就任し、内閣総理大臣にまもなく就任する。

北朝鮮問題と関連して、興味深い記事があるので紹介したい。

「在日商工人の集まりでは、福田首相の辞任劇が日朝関係の進展を再び遅らせると悲観的空気が流れた。本当にそうだろうか。日本企業に限らず、国際資本の間では原料高が深く影響し、世界的な提携が進行している。

黒龍会を支えた筑前人脈の中に麻生太吉がいる。麻生太吉は帝国の北進政策に沿って鮮・満に懸けて活動した産業資本家である。その活動には多くの朝鮮人が協力をしている。その麻生太吉の曾孫が麻生太郎自民党幹事長である。麻生太郎の企業家としての評価に石炭からセメントへの転進が語られる。

その麻生セメントの社長は、麻生太郎氏からその実弟の泰氏へ引き継がれている。麻生セメントは、2004年から社名を「麻生ラファージュセメント(株)」に変更した。ラファージュの資本傘下の結果である。その一方で、日本の開発した「フッ素樹脂処理による埃の立たないセメント」の製造販売権を、ラファージュセメント社がライセンス契約を締結している。そのラファージュセメントは社は世界最大のセメント製造グループであるらふぁ^銃グループの中核企業である。

そのラファージュは、エジプトのオラスコムを経由して北朝鮮を代表する祥原セメントを傘下に収めている。祥原セメントはその稼動すら疑われている企業である。それでも傘下に収めたのは北朝鮮の石灰石と骨材資源に着目したからであろう。その結果、ラファージュは北朝鮮を経由して支那東北地方からロシア極東地方の建設事業への参画を期した、と見られている。

拉致問題の解決に、ラファージュに代表される国際資本が無関心でいられるとは思われない。彼らは帝国の北進政策が富を生むことを知っている。だが、欧米資本だけでは北進政策は実行できない。故に日本資本との提携を図っているのである。」以上は、対北朝鮮政策転進のときと題する、アジア・北朝鮮問題専門家の安倍桂二先生が、月刊日本という雑誌の10月号に掲載した文章の中からの引用である。

Cabinet

新しい内閣が発足する。安倍内閣は参議院選挙で退廃を喫したが、それでも解散はなく、福田内閣に引き継がれた。安倍内閣も福田内閣も新自由主義と保守主義のまた裂きになったが、福田内閣は内閣改造で、微調整を行って、新自由主義の閣僚をはずしたが、グルジア問題など米ロの対立の中で、舵取りが出来なくなって退陣した。麻生内閣は、上げ潮派としょうする、小泉竹中政治の新自由主義の政治の後継となった、小池総裁候補と戦っただけに、その点は、自民党の新自由主義政治の修正として評価できる。実に小池候補は、地方の票がゼロであった点が象徴的であった。しかし、自民党は、小泉元総理がぶち壊すと絶叫しながら刺客選挙を行ったが、その念書を要求した上げ潮派一派を党内から追放したわけではない。40人程度といえば、依然として大きな勢力である。麻生新総理は、小泉内閣当時の総務大臣を務めており、それほど信念のある政治家ではない。経済政策も克デフレ路線の主張を雑誌等で行うが、実際には竹中政治の中で言い含められる役割を果たしただけであった。いよいよ、総理大臣に就任して自説をどの程度展開するのか興味深いところである。ブレーンにも総合調整できる者はなく、青年会議所頼みだといわれているところである。しかし、自民党の中では少なくとも圧勝して総裁に就任したわけであるから、期待感は大きいものがある。補正予算を巡っての与野党対立があり、居座ろうとするか解散総選挙に打って出るか、興味深いところである。

Requiem

8月2日、ロシアの文豪ソルジェニーツィン氏が、逝去した。独裁者スターリンの体制下で逮捕され、収容所生活を描いた文筆活動が注目され、70年にはノーベル文学賞を受賞した。外国に追放され、アメリカのヴァーモント州での亡命生活を余儀なくされたが、スラブ民族主義者として、ソ連崩壊後の祖国の再建のためには、ロシアの伝統を大事にすべきだと主張して、欧米の市場原理主義を批判した。ロシアが第三世界化される可能性についても批判を加えた。むしろロシアの復権を強調するプーチン大統領を称賛する晩年となった。
アンドレイ・アマルリク氏や正垣親一氏が存命であったら、どんな論評になっただろうかと思う。
アンドレイ・アマルリク氏は、「1984年までソ連は生き延びれるか」という論考が、1970年にューヨークのダブルデイ社から刊行されて知られるようになった。70年の11月に逮捕され、カムチャッカのコリマの収容所に送られた。5年の流刑を終えて、モスクワに帰った。イスラエル行きをソ連は勧めたが、拒否して同年九月には再度逮捕される。76年にオランダ行きのビザを入手して、ユトレヒト大学で教鞭をとり、その後アメリカに移った。アマルリク氏は、高校をまず卒業前に放校され、59年にはモスクワ大学の歴史学部に入学する。大学でも、9世紀のロシアにおいて果たしたスカンジナビア人とギリシア人の役割をスラブ人よりも評価する論文を書いて、大学当局の逆鱗に触れて退学となる。65年5月に逮捕され、トムスクの近郊の村に送られるが、父の死があり、モスクワに帰ることが許される。タタール人の芸術家、ギューゼル・マクディノーバと結婚したのはこの頃である。弁護士の支援もあってか、2年半の刑が短縮されて、66年2月には、又モスクワに帰る。68年のチェコスロバキアに対するソ連侵入の事件後、いよいよ弾圧は強まる中で、69年5月と70年2月には、アパートの捜索を受ける。
「1984年」は、勿論、ジョージオーウェルの全体主義批判をもじったもので、一種の文学的な予言の書としては受け入れられたが、当時まともにソ連が崩壊するなどと考える者は、ソ連の内部にも、外部のアメリカにもいなかった。ソ連の経済規模を西側は過大評価しており、張子の熊?だったことが明らかになった。
1980年11月12日、マドリッドで開催された、ソ連崩壊の仕組みを作ったヘルシンキ合意の見直し会合に赴く途中、自動車事故で死んだ。ギューゼル夫人と同上の二人の亡命者は軽傷だったという。 
ボストンで出会ったのは、77年の頃だったと思う。夫人は文字通りの芸術家で、普通のアメリカ人であれば、敵対しないように絵を誉めそやすばかりであるが、好悪をはっきりさせる人であった。ケンブリッジの大学生協の裏にある、芸術講座での批評は、辛らつであった。アマルリク氏ご本人は、こげ茶色のブレザーを着こなして本当に穏やかな話し振りの紳士で、胸もとのポケットに挿した赤いバラが良く似合った。摩天楼のビル街よりも、カテドラルの伽藍の方が似合う夫妻だった。アメリカからフランスに渡り、スイスに近い国境の町に別荘のような自宅を構えたと聞いた。令夫人は、ロシアに戻られたのだろうか。
日本で、ロシアの地下・反体制運動に呼応して活動した、正垣親一氏のことも忘れれない。正垣氏は、1947年7月20日疎開先の長野県生まれ。成城高校時代は水球の選手で、東京外国語大学ロシア科卒。2001年4月16日逝去。60年代末に商社の漁船の通訳のアルバイトとしてはじめてソ連へ行ったという。社会主義礼賛一辺倒の国内の動向とは裏腹に、全体主義が実は陰鬱な抑圧の国家体制でであることに気づいた。正垣氏の著述に触れたのは、ソ連の国際短波放送について書いた論文で、西側の放送を自国民に聞かせないためのジャミング(電波妨害)の仕組みなどで、中央公論に掲載された。国際サハロフ委員会の委員で、良心の囚人を救出するための葉書を出す運動などをされた。地下出版物などを編集して、邦訳して出版する。1983年からはソ連の地下情報についてのサムイズダートの発行、1985年から、氏自身の論評を加えたニュースレターを精力的に発行して、ソ連の圧政の実態について、読者に知らしめた。ファクシミリ送信で、インターネットの時代ではまだなかった。ゴルバチョフ政権になり、ソ連入国が可能となり、頻繁に取材して雑誌や新聞の記事とした。国会議員が、モスクワの集中暖房を誉めそやしていた頃に、石油ストーブと自由の関係を説明し、無料の医療が注射針の取り回しであること、食料の無料配給が欧米では家畜用の穀物であることを解説されたことを思い出す。ソ連崩壊後の混乱の中では、モスクワで、無料食料運動に取り組んだ。組織に頼らず、個人の力で尽くした。2003年11月3日から9日まで、銀座の澁谷画廊で、同氏の三周忌を兼ねて「追悼のロシア展」が開催された。
 さて、チベットや、モンゴルや、トルキスタンや、そして台湾や中国や、圧制に苦しむ諸民族の人士が日本を往来している。日本に対する期待は高まっている。自立・自尊の日本を確立するためにも、ソルジェニーツィン氏や、アマルリク氏、そして、正垣親一氏の軌跡をたどることは無駄ではない。ソ連全体主義同様、郵政民営化など新自由主義の虚妄と、国際的には拝金の膨張帝国主義が、いずれ崩壊することは単に時間の問題であることに気づくからである。

Fake Election

民主党の小沢代表が選挙区を岩手から変更して東京の何区かに立候補するかもしれないと云う事で、新聞の記事が踊っている。おかしなことである。面白おかしいことではあるが、小選挙区を主張した政治家としては、論理が一貫しない話である。新たな個人利権のある選挙区を東京につくるというのであれば、別の話であるが。小沢代表が、選挙区を移してまでも自公連立政権と対決するというのであれば、相手は、自民党新総裁選に立候補している麻生太郎氏の選挙区(福岡8区)か小泉純一郎元首相の選挙区(神奈川11区)でなければ意味がない。関東地方というのであれば、正々堂々と神奈川11区に立候補して小泉純一郎と対決すべきである。そうしたのであれば、選挙区という軽々しく扱うようなことの理由も少しは許されるだろう。刺客選挙のあだ討ちになるからである。

Fake Election

野中広務元内閣官房長官のインタビュー記事。面目躍如たるところがある。

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080917ddm005010009000c.html

Collapse of Market Fundamentalism

Stiglitz is Right, Friedman is Wrong

by Gustavo Setrini, COHA Research Fellow

Council on Hemispheric Affairs (September 04 2008)


Among the throng of distinguished international guests participating in the first democratic transition of government in Paraguay's 190-year history, former chief World Bank economist and current Columbia Professor of economics Joseph Stiglitz (who also was an advisor to the Clinton White House) was undoubtedly the most influential. Two days before left-leaning president-elect Fernando Lugo's inauguration, Stiglitz's lecture on globalization and equitable growth drew a full house to the "Grand Theater" of Paraguay's central bank. Elites of various stripes filled the auditorium's plush seats, as the country's largest soy estate farmers, ranchers, industrialists, business leaders, and civil-society leaders showed up for a glimpse of what the new government's economic and social policy might look like.

Notwithstanding the persistence of international media prophecies that Hugo Chavez's economic game plan for Venezuela would be duplicated in Asuncion, President Lugo has given plenty of indication that he aims to provide pragmatic leadership. One tip-off to this is his naming of US-educated macro-economist Dionisio Borda as Minister of Finance. Broadly respected and considered highly competent, Borda occupied the same post for two years in the outgoing government, where he headed a successful effort to balance public finances and achieve macroeconomic stability before resigning in protest over the failure of the prior Duarte administration to introduce more structural reforms of the public bureaucracy. Borda has emerged once again as the central figure of the team named by newly inaugurated President Fernando Lugo to execute his expressed goals of public-sector reform, equitable growth, and environmental sustainability. However, despite all attempts to distance himself from South America's more muscular left, Lugo - like Brazilian president Lula on the eve of his inauguration - must weather the local elite's deep apprehension over a government that counts among its mandates a directive to reduce the country's grave social and economic inequalities.

In this context, advice coming from such a well respected figure as Stiglitz represents a valuable tool for beating into plowshares the ideological weapons wielded by the interests that sustained sixty-plus years of extremely corrupt and cruel Colorado Party-rule. It must have been alarming for certain members of the audience to hear Stiglitz gloriously debunk, one by one, the conservative positions which development authorities and international institutions formerly embraced to bolster their positions and to which local elite groups and much of the media still cling. With great authority and occasional cheek, Stiglitz enumerated the flaws and misconceptions that have characterized the past decade of broken development thinking. He openly declared that bilateral free-trade agreements almost inevitably favor the US and offer few advantages for poorer, agricultural economies such as Paraguay's; that 'trickle-down' economics does not work and has never worked; that land reform was the basis of successful development experiences in East Asia; that privatization is not an automatic or necessarily the best answer to the woes of publicly-owned enterprises; that US monetary policy, rather than Latin American industrial policy, was to blame for the region's 'lost decade' in the 1980s; and that public investment forms the basis for private dynamism in developing countries as much as it does in developed countries like the US. Stiglitz summarized his position by pointing toward the current US mortgage crisis, stating that markets alone produce neither efficient nor socially desirable outcomes. Instead, he insisted that dogmatic faith in markets provokes periodic crises that erase the gains achieved through growth and which hit the poor the hardest.

Stiglitz's assertions are a far cry from the advice Paraguay's new leaders would have received had they stood at this juncture a short number of years ago. In 1989, the year the country became nominally democratic, Latin America's economic policy was still dominated by the so-called "Chicago Boys". After Latin American PhD candidate economists would study with Milton Friedman and his colleagues at the University of Chicago, they predictably would return home to engineer the economic recovery of a Mexico in the 1980s, whose economy was under the control of the quasi-authoritarian PRI regime, or General Pinochet's military Junta in Chile, allegedly rescuing these repressive regimes from the severe economic dislocations and stagnation which they were then facing. According to the thinking of the day, excessive government involvement in the economy was to blame for the region's economic woes.

Developing countries, they maintained, must create suitable conditions for private investment to generate growth by crafting a good business environment through the liberalization of trade and finance, privatization of state-owned enterprise and public utilities, and maintenance of low inflation rates. This resurrection of the classical or 'liberal' economic theory formed the basis of the "Washington Consensus" of the 1990s, among the US-based and influenced international development and multilateral lending institutions, such as the International Monetary Fund, the World Bank, and the Inter-American Development Bank. The reigning doctrine of these institutions was that the governments of developing countries ought to focus on fundamentals such as maintaining macroeconomic stability while generally shrinking the size of the public sector. In practice, this often meant that government curtailed or abandoned its social obligations in order to maintain a good budget profile; meanwhile, trade liberalization and unregulated financial flows were leaving vulnerable citizens exposed to the vagaries of the global economy. Thus, rather than witnessing market-led development, neoliberal economic restructuring has triggered a wave of leftist electoral triumphs around Latin America, as voters responded with frustration to a decade of mediocre growth and the stagnation or outright deterioration of social conditions.

After several decades during which free-market fundamentalism dominated development theory and policy, Stiglitz's visit to Paraguay and the content of his advice demonstrated an important political and ideological shift. Aside from his positive influence on a younger generation of economists at the international lending agencies, Stiglitz is one of a number of economists whose ideas appear to be forming the foundation for a 'post-Washington Consensus' mentality. Stiglitz received his PhD in economics from the Massachusetts Institute of Technology and, after his departure from there, continued to steep himself in an intellectual tradition with altogether different implications for the proper role of government in the economy than was the provenance offered by the Chicago School. The scholar went on to win the Nobel Prize in economics in 2001 for his work showing that markets fail to produce efficient outcomes whenever economic actors do not act on perfect information. This is a condition that is nearly universally true and that invites, if not requires, a wide set of government interventions into the market and an aggressive regulation of the private sector aimed at enhancing efficiency. Consequently, Stiglitz argues that the reason that Adam Smith's "invisible hand" seems so invisible is because it is often not there to guide self-interested behavior in the direction of socially beneficial outcomes. Moreover, addressing his audience of elite Paraguayans, Stiglitz argued that, even with proper regulation, markets do not necessarily produce socially equitable outcomes and cannot alone effectively address entrenched inequalities in developing countries such as Paraguay. He thus opened wide the door toward social policy and redistributive spending that earlier development thinking had closed off as unnecessary, if not distortive, or at least counterproductive and vulgar.

Stiglitz expressed his optimism that Paraguay would be wise to seek an alternative path to demonstrate what an alternative 'post-Washington Consensus' would look like and how it could work. Some the features described by Stiglitz as part of this alternative sound exciting, in particular, helping Paraguay to join the global economy by investing in the knowledge economy, closing the technology gap, and establishing programmatic research projects at the country's universities. However, other reforms described by Stiglitz as crucial for meeting the challenges of equitable growth most likely sounded harsher to his audience. First, Paraguay must expand its tax base if it is to make the public investments necessary for growth, competitiveness, and equity in today's economy. Paraguay remains something of an anomaly, Stiglitz argued, with no income tax and a total tax burden of only eleven percent of GDP (the lowest in the region). Even if the strategy now in use curbs tax evasion and improves the efficiency of public spending, the new government will need far more resources than are currently available for investments in infrastructure and education.

When asked where and how such taxes could be effectively applied, given the country's insufficient administrative capacity, Stiglitz implicitly suggested that some of those in his audience should foot the bill. Taxing the country's beef and soybean exports, he proposed, would generate fewer administrative costs, as the products must pass through a limited number of ports. Stiglitz refused to spare Paraguay's rural elites of being at least partially responsible for the country's social problems, maintaining that, as the country's main engines of growth, the ranching and soybean industries have neither generated enough employment nor driven away inequality. Accordingly, Stiglitz cited agrarian reform as another necessary step for Paraguay, which is among the countries with the highest levels of land concentration in the world. He emphasized that land reform was what built the foundation for the successful development experiences in East Asia, and that making land and other productive resources available to the poor would enhance both economic growth and equality. Finally, Stiglitz stressed the need for thorough civil service reform to properly staff the public sector with qualified professionals, hired through competitive exams and employed without tenure. This means dismantling the suffocating patronage system that allowed the Colorado party to hold power for more than sixty years and which guaranteed Paraguay's elites the support of an urban middle class largely dependent on clientelistic access to public-sector employment, as a mainstay of the available job market.

Stiglitz's diagnosis of Paraguay's economic and social problems and his prescribed reforms was not news to the country or even that specific audience; similar proposals have long been part of Paraguay's progressive political discourse and, in large measure, formed part of Dionisio Borda's initiatives as finance minister in 2003-2005. Their novelty comes from the fact that the statement was reinforced by the words of a Nobel-prize-winning economist, rather than merely from the priest-turned-president, Fernando Lugo, even if the latter was the voice of the country's thousands of protesting peasants, who filled the capital's plaza to demand agrarian reform. Away from the mouths of such political discontents, local media has interpreted these policy positions as radical populist threats that are, if anything, more dangerous to the country's authentic development prospects, which they quickly shoot down by routinely dragging out tired references to the failures of Soviet and Cuban socialism. But Professor Stiglitz's ideas cannot be so easily dismissed, and, while his words obviously cannot easily neutralize the recalcitrance of the country's entrenched political and economic elite, they have most definitely reframed and renewed an otherwise stagnant and outdated debate over the role of government in economic development. By describing progressive tax and land reforms as crucial bases for economic growth, rather than obstacles to it, Stiglitz could be granting badly needed legitimacy to the newly elected government and its young economists who will be guarding the gates of civic rectitude.

In the April 15 balloting, voters handed Lugo a 42 percent to 31 percent victory over Colorado-Party candidate Blanca Ovelar, a clear mandate for reform. However, the electorate at the same time awarded a congressional plurality to the Colorados. The net result could be that Lugo may find himself squeezed between the unprecedented popular expectations for economic and social reform and the reality that conservative groups still control the legislature and could paralyze any kind of leftist dynamism. Lugo's success will depend on the chief executive's political savvy as well as his untested ability to manage the different factions within his own essentially formless legislative coalition, the Patriotic Alliance for Change, along with the opposition parties in order to build a consensus that could meaningfully alter the status quo.

If Stiglitz remains part of Lugo's advisoral team, he may prove an invaluable ally in this process when it comes to the big picture. Economic ideas, like those shared by Stiglitz only hours before the inauguration, do not simply provide a set of policy options that can be applied by governments or their technocrats in search of the best outcomes. The content of economic growth and development theories can end up providing tools which different groups appropriate in political debates over which interests should be formalized into policy and which should get beaten back at the door, turned down in the name of progress.

Throughout the 1990s, advocates of a compassionate social policy and protective regulations found themselves defeated and delegitimized at every turn by neoliberalists. Acolytes of neoliberal economics provided an account of the world in which the interests of society every time coincided with those of the private sector against what it saw as the bureaucratic public sector, leaving little room for the political left to function in real time. In much of Latin America, as in the US, the nineties proved to be the best of years for many businesses, mainly in the banking and financial sectors, along with those drawing top incomes from other private pursuits, but poor ones for most members of society. The view of economic development afforded by Stiglitz and other warriors intent on upholding a 'post-Washington Consensus', has not yet led to a coherent set of recommendations for developing countries, but what it has done is to categorically reject any one-size-fits-all policy.

However, scholars like Stiglitz clearly see a much larger role for government in bringing about positive economic development and social justice than any leading development institution envisioned a decade ago. In theory, Lugo's government stands to do a great deal of good in Paraguay, and Stiglitz has laid out some of the tasks that lie ahead. In practice, the new government's achievements will depend on how well progressive groups can capitalize on the spirit and letter of Stiglitz's ideas and re-conquer political spaces to unite their forces and plot their palace coups, that had been denied them for decades.

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The original version of this piece appeared in a somewhat different form in UpsideDownWorld, under the title "Stiglitz Goes To Paraguay: Move Over Chicago, A Cambridge Boy's in Town". The author, Gustavo Setrini, is a COHA Research Fellow and a PhD candidate in Political Science at MIT.

http://www.coha.org/2008/09/stiglitz-is-right-friedman-is-wrong/

Announcement Complex

最近、電車の中で、英語のアナウンスがある。空港や駅などは、少なくとも東京では、日本語に英語、そして、中国語、韓国語で、記載するのが流行のようである。

まず、その英語のアナウンスであるが、JR東日本の路線である、東京の都内電車では、英語のアナウンスがどうもおかしい。駅名の発音が、わけのわからぬ英語なまりになっている。北海道の札幌から、千歳空港に行く快速電車の英語のアナウンスも駅名の読み方は、東日本のアナウンサーがやっているのか、英語人にこびた内容の発音である。その点、東急電鉄の英語のアナウンスは、駅名をしっかりした日本語の読み方にしている。羽田の京浜急行のバスなどは、中国語、ハングルと、ごった煮の状態である。友好国である台湾の繁体字は全くないのは、どうにもおかしな話である。

駅の表示なども、英語での表示に付け加えて、中国語と韓国語の表示として、簡体字とハングルで表示しているが、これは全く不必要なことである。韓国語の表示にいたっては、何をわざわざハングルにするのか理解に苦しむ。韓国でも漢字を使っているのであるから、発音は別にして、その漢字は読めるのである。それでは、ひらがなの部分を外国語にしたという反論もあるかもしれないが、そのときは、英語で表示をしておけば十分な話ではないのか。

小泉政治の頃に、よーこそジャパンなどと、空港などでテレビ広報番組がやたらに絶叫長のコマーシャルが流され、それに、役人などが等が迎合して、不用な外国語の表示を推し進めたに違いない。ようこそジャパンと書かれた文字のデザイン自体が、下手な外国人尾毛筆書体であって、もともと媚を感じるような広告であった。よーこそジャパンというのは、無国籍の表現でしたかない。日本語にもなっていない。

鉄道会社も、そうした不用なだけではなく、外国にこびるような発音をする案内のアナウンスはやめるべきである。

当ブログは、日本を訪れる観光客に対して親切にする点では人後に落ちるものではないが、そうした掲示やアナウンスの手法に、こびへつらいを感じるからである。ちなみに、ニューヨークの空港では、日本語表示はなくなったというではないか。平等互恵に対する関心もなく、一方的に独りよがりの迎合では逆に、日本を訪れる観光客からは、そうした媚を売る様な案内に対して侮蔑の念を抱かせることになりかねない。

観光政策の担当のお役所の関係者には、おそらく、小泉・竹中政治の支持者が救っているに違いない。観光庁の発足が伝えられるが、人事も、そうした、よーこそジャパン一派を一掃してから、自立自尊の観光政策をすすめてほしいものである。

Announcement Complex

最近、電車の中で、英語のアナウンスがある。空港や駅などは、少なくとも東京では、日本語に英語、そして、中国語、韓国語で、記載するのが流行のようである。

まず、その英語のアナウンスであるが、JR東日本の路線である、東京の都内電車では、英語のアナウンスがどうもおかしい。駅名の発音が、わけのわからぬ英語なまりになっている。北海道の札幌から、千歳空港に行く快速電車の英語のアナウンスも駅名の読み方は、東日本のアナウンサーがやっているのか、英語人にこびた内容の発音である。その点、東急電鉄の英語のアナウンスは、駅名をしっかりした日本語の読み方にしている。羽田の京浜急行のバスなどは、中国語、ハングルと、ごった煮の状態である。友好国である台湾の繁体字は全くないのは、どうにもおかしな話である。

駅の表示なども、英語での表示に付け加えて、中国語と韓国語の表示として、簡体字とハングルで表示しているが、これは全く不必要なことである。韓国語の表示にいたっては、何をわざわざハングルにするのか理解に苦しむ。韓国でも漢字を使っているのであるから、発音は別にして、その漢字は読めるのである。それでは、ひらがなの部分を外国語にしたという反論もあるかもしれないが、そのときは、英語で表示をしておけば十分な話ではないのか。

小泉政治の頃に、よーこそジャパンなどと、空港などでテレビ広報番組がやたらに絶叫長のコマーシャルが流され、それに、役人などが等が迎合して、不用な外国語の表示を推し進めたに違いない。ようこそジャパンと書かれた文字のデザイン自体が、下手な外国人尾毛筆書体であって、もともと媚を感じるような広告であった。よーこそジャパンというのは、無国籍の表現でしたかない。日本語にもなっていない。

鉄道会社も、そうした不用なだけではなく、外国にこびるような発音をする案内のアナウンスはやめるべきである。

当ブログは、日本を訪れる観光客に対して親切にする点では人後に落ちるものではないが、そうした掲示やアナウンスの手法に、こびへつらいを感じるからである。ちなみに、ニューヨークの空港では、日本語表示はなくなったというではないか。平等互恵に対する関心もなく、一方的に独りよがりの迎合では逆に、日本を訪れる観光客からは、そうした媚を売る様な案内に対して侮蔑の念を抱かせることになりかねない。

Collapse of Market Fundamentalism

市場原理主義の粉飾が破裂している。米国のサブプライムローンの破裂から端を発した経済混乱は、もともと実体経済を反映しない砂上の楼閣のようなものであった。日本でも猫の額のような土地が、マンハッタンのビルの購入の担保になってしまうような土地バブルを経験したが、いずれにしても破綻する運命にあった。

リーマンブラザーズが倒産した。六本木ヒルズのビルの前に麗々しく、会社名を刻印した碑があったが、早く撤去してほしいものだ。日露戦争のときに、融資したシフ家の連綿としたつながりはどうなっているのだろうか。ホリエモン騒ぎのときにも、リーマンの背後関係が話題になった。日本の銀行や郵便貯金あたりとのリーマンとの具体的な取引額、あるいは、焦げ付きはどのくらいの額だろうか。明らかになってほしいものである。何せ、日本の歴史上最大級の倒産である。大新聞も何を怖がっているのか、ちゃんと報道しないのは不可解である。

AIG保険会社の危機が伝えられている。あれだけ、郵政民営化を後押しして、簡易保険の制度を攻撃した会社の末路である。哀れなものである。日本のかんぽを買収しようなどと企んでいた気配もママ見られたが、その可能性がなくなったことは慶賀すべきである。その連中を手を組んで、郵政資産の売却を狙った連中の責任は重大である。これからの糾弾が俟たれる。

それにしても、日銀の救済資金の投入額は大盤振る舞いに杉やしないのか。日本の自動車会社が倒産寸前にあったときは全く救済がなかったのに、海外の金融の動揺で、しかも、資源上原理主義の破綻で、身から出たさびの救済を、日本の中央銀行がおおぴらに、大盤振る舞いの外資救済を行うことは見識のない話である。もともと、デフレ政策を採り続け、日本のカネを海外に流出させ、しかも、ファンドに投資をしていた、モラルの低い総裁をようやくにして更迭したばかりであるのに、後継の白川氏も、同じような見識のなさなのかもしれない。日本を破壊しようとした一連の外資企業などは、つぶれても何も同情すべきところではない。

その証拠に日本の健全経営を続けるものづくり企業などの株価は、ほとんど影響を受けていない。適正な経済成長と、物価の上昇とが確保されれば、そして景気対策がしっかりと行われれば、日本の資産はまだあるから、それを元手にして、日本の再活性化を図ることが大切である。

Fake Reform

菊池英博氏の講演の記録が、森田実氏のホームページに掲載されているが、当ブログにもそのリンクを掲載して読者に供することにしたい。題して、構造改革の失政をどのように修復すべきかーー我々国民のおカネをわれわれのために使おう、というものである。

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/MJ105.HTML

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/MJ106.HTML

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/MJ107.HTML

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/MJ108.HTML

Market Fundmentalism

当ブログが、タイの国内政治に関心を寄せているのは、新自由主義の政治経済が限界に達していることを感じているからである。タイの裁判所は、サマク首相の退任を命令したが、その理由が振るっていて、総理大臣の職にありながら、テレビ局の料理番組に2回出演して出演料をもらったことが憲法違反になるというものである。タイの国内では、サマク首相が内務大臣のときに、激しく弾圧をしたことが嫌われていることなどは承知のうえであり、裁判所は法の支配を貫徹するため、サマク首相の政府に正当性がないことを主張しているかのようである。サマク首相は、もともと大衆性を売り物にしてきた政治家であるから、番組は人気番組ではあったが、総理大臣に就任後の出演は限られていたが、ご当人はその番組出演を相当自慢していたようではある。それ以外にも総理大臣は訴えられているが、初めての判決であり、30日以内に退陣するというものである。中南米でも、70年代から市場原理主義の嵐が吹き荒れた。強権政治が行われ、独裁政治がはびこった。首都にビルは林立したが、それは表面の経済発展で、国民は二極分化するばかりで、むしろ貧困層は増大した。今、中南米では、市場原理主義政権が追放されて、各国で政権交代が進行している。タイも、そうした世界の流れのひとつに見える。タイの文化と伝統とを破壊しようとした市場主義の拝金の連中の意図も透けて見えるようであり、日本からしても対岸の火事ではない。タイでは、市場原理主義の政権は裁判所から異端の烙印を押されたのである。

Market Fundamentalism

タイの政治が混乱している。タクシン華僑政権に反対する軍事クーデタがあって、その後民政になってまだ半年あまりであるが、市場原理主義に対するタイ国民の反発は相当なものがある。タイの首都バンコックには、摩天楼のようなビルが林立した。タイの新しい空港も日本の経済援助を得て建設したといわれるが、そうした経済繁栄が、一部の華僑資本や外資が利益を得ただけで、むしろタイに生まれた中産階級は逆に経済繁栄の中で縮小を余儀なくされた。王宮前に集まる反タクシン政権の市民は、清廉潔白のタイ人の中産階級が主体である。

 サマック首相の退陣を求める反政府勢力「市民民主化同盟(PAD)」がバンコクの首相府を不法占拠して10日が過ぎた。もともと、サマック氏は、タイ人であり、それほど、華僑系タイ人の代理人というわけではないが、タクシン政権によって拡大した市場原理主義の綻びをつくろうべきところを、タクシン政権の後継政権のような様相があるので、タクシンの代理者として批判を一身に浴びているように見受けられる。

 サマック首相は非常事態宣言を発令し、収拾へ乗り出した。しかし、秩序回復を託された軍は静観の構えを崩さず、占拠が収束に向かう兆しは見えない。軍は、タイの国王陛下に従っており、華僑系の商人とは一線を画している。タイの国体の消滅、すなわち、タイの王政の問題という、タイ人の琴線に触れた発言をたく新政権の閣僚が発言したとされることもあってか、軍がサマック政権を支持する動きをするはずがない。軍のクーデタは、むしろ、タイの国体を守るものであったから、微動だにしない強靭さはある。

 タイの政治的安定に、大きな疑問符が付いたばかりではなく、その民主主義がまだまだであることをさらす事態だ等と、訳知りのような論評をする日本のマスコミがあるが、全く的外れである。、タクシンを含めた一部の市場原理主義資本家が、国益を害したばかりではなく、外国にシンガポール経由で、携帯電話市場の利益を移転した上に、巨額の脱税をしたところにタイ国民の怒りが爆発したのである。

 2006年に結成されたPADは、タクシン首相(当時)の不正疑惑追及の活動を展開した。その後一度解散したが、今年5月から、公道の占拠など活動を再開しているが、多くのタイ人が支持をしているのが実態である。

 タクシン氏は、在任中の不正疑惑に対する司法当局の追及にたまらず、英国に事実上亡命したので、サマック首相への風当たりはさらに強まったのであり、事実上、タクシンの利益は、ロンドンで保全されていると見られている。タイの国益を外国の市場原理主義者が奪ったことをタイの国民は怒っているのである。

 首相府を占拠しているだけではなく、省庁や空港まで占拠したPADのやり方は、タイ人としては通常のやり方ではないが、それなりに、怒りの程度が大きいことを示している。王宮広場前で流血の騒ぎがあったが、流血を嫌うタイ人は無防備で対抗しているが、青龍刀もどきで武装していたのはタクシンの華僑勢力で、残酷なやり方はシナ文化の影響がみてとれる。

  PAD指導部は、現在の議会の議員数では数の上ではタクシン派が多いことを重々知ってはいるが、そこは日本の衆議院が小泉チルドレンで占められているのと同様に、真の民主主義ではなく、拝金主義にまみれた数の独裁だから反発しているのである。

  今回の政情不安を受け、日本からの観光客の半分がキャンセルをしたという報道があるが、今はむしろ日本人が多数首都バンコックを観光で訪問して、タイの発展の為に祈るような気持ちで、支援共感を示すことが大切である。 基幹産業の一つである観光業へのダメージがあることは理解できるが、それを最小限に食い止めるためにも、タイの観光を中断させてはならない。日本との関係で思い出すと、田中角栄首相当時には、タイに進出する日本企業が、反発を受けたことがあるが、その後、平等互恵の精神で、企業経営をしてきたおかげで対日関係は大きく改善している。それに引き換え、市場原理主義者は、アジア諸国に対して、偏見のある、旧植民地的な扱いをまだ変えようともしない。今回の騒動の背景には、ロンドンを中心とする国際資本の動きがあることをタイの国民は見透かしているのである。アジアの中で日本と並んで、植民地化されなかったタイである。もうひとつの要素は、近年タイに北京の影響力が急激に高まったことに対する反発もある。中国はもはや共産主義の国ではないからその脅威は去ったが、新自由主義の拝金の国となった中国の市場原理主義に対する警戒心が、華僑系タイ人のタクシン政権を糾弾する引き金になっているものと考えることが出来る。

タイの反タクシンの民主化運動と日本は連携を保つべきである。タイや日本、アジアでの市場原理主義の策動に終止符を打つべきである。タイというのは、タイ語で自由という意味である。

Market Fundamentalism

小泉・竹中の政治経済がいかに日本を破壊したかはようやく明らかになりつつあるが、その破壊政策については、菊池英博氏が明快に説明してきている。

菊池氏の主張について、政治評論家の森田実氏がまとめているので、そのブログを紹介したい。順番を追ってリンクをつくると次のようになる。

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C04546.HTML(その1)

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C04549.HTML(その2)

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C04553.HTML(その3)

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C04558.HTML(その4)

[日本にいま必要なのは正しい経済政策理論である。「市場原理主義と小さな政府論」によって人類は幸福になれるという「ブッシュ・フリードマン・小泉・竹中」理論は破綻した。「ブッシュ・フリードマン・小泉・竹中」理論は、人類を不幸にする経済理論であることが明白となった。われわれは新たな経済理論を導入すべきときに直面している。これが「菊池理論」(菊池英博・日本金融財政研究所所長の経済理論のこと)である。菊池氏は月刊紙『BAN』2008年6月号で述べている。長い引用になるがお許しいただきたい。
《「日本は財政危機である」「公共投資を削減すれば財政支出が減って財政再建ができる」「不良債権がデフレの原因だから、これを加速処理すれば、銀行貸し出しが増えて景気がよくなる」「デフレ解消にはゼロ金利にして金融を緩和すればよい」「日本はもっと小さい政府にすべきだ、そうすれば民間需要が増える」「地方自立のために中央政府が地方へ送る地方交付税交付金を削減すべきだ」「財政赤字の原因である社会保障費、特に医療費を削減すべきだ」等々(の小泉構造改革理論は)7年経過した現在、すべてが失敗であり、日本は惨憺たる経済社会情勢である。
 国民にとってよくなった経済指標は何一つない。(小泉・竹中)構造改革が始まる前の指標と比較してみると、①1人当たりの名目GDP(われわれの額面給与と企業の税引前利益にほぼ一致)は00年には世界で2番目だったのが06年には18位まで凋落(35年前の1971年並み)、②世界のGDPに占める日本の比率は15パーセントから10パーセントに低下、③われわれの平均給与は9年間続落、④可処分所得(手取り給与)は00年から毎年減り、貯蓄率は7.6パーセントから3.2パーセントまで続落、⑤過去10年間で、正規雇用は460万人減少、逆に非正規雇用は600万人も増加、生活保護世帯が100万世帯を突破、経済的理由での自殺者の激増(毎年3000人から8000人への増加)、所得格差の拡大、06年6月に強行採決された「医療制度改革」によって医療費予算が大幅に削減されたために、赤字の病院が増加し、救急病院が激減し、もはや世界に冠たる日本の国民皆(保険)制度が崩壊しているのである。また税収は00年度に51兆円あったのに03年度には42兆円まで落ち込み、若干戻っても06年度には49兆円しかなく、「構造改革」は日本の経済社会構造を破壊し、税収が増えない弱体化した経済にしてしまったのだ。》(つづく)

 菊池英博氏(日本金融財政研究所所長)の主張の引用をつづける(月刊紙『BAN』2008年6月号)。《この6年間で定率減税の廃止(所得税3.3兆円の増税)、所得税、住民税の一部控除廃止、各種社会保険料引き上げ、医療費負担引き上げなどで国民負担は8.2兆円(可処分所得の約3パーセント)も増加している。》《日本は低所得者にとって所得税が最も高い国になっている。更に政府は、過去7年間で中央政府から地方自治体へ交付する地方交付税交付金と補助金を累計で36兆円削減し、地方にとって基幹産業である公共投資を累計11兆円削減しており、合計47兆円も資金が地方から吸い上げられているのである。これでは地方経済が枯渇し、教育・病院などの公共サービスが疲弊するのも当然だ。》
 小泉・竹中構造改革の数年間で、日本の経済社会は急激に劣悪化した。市場原理主義と小さな政府論に立つ構造改革が、日本国民を不幸にした。いま、このことに気づかなければ、日本は危ない。(つづく)

菊池英博氏(日本金融財政研究所所長)はさらにこう述べている(月刊紙『BAN』2008年6月号)。菊池論文からの長い引用ばかりで恐縮だが、お許しいただきたい。
《「日本は財政危機である」という認識が間違っており、10年前の橋本財政改革のときから現在まで、この錯覚が継続している。》
《財務省は07年末現在で「日本は838兆円もの債務があり、これは名目GDP(国内総生産、われわれの給与と企業の税引き後収益の合計額にほぼ一致する)の160パーセントにのぼる危機的数字だ」と危機を煽っている。》
《しかし内閣府の発表する国民経済計算年報によれば、日本政府は05年末で540兆円の金融資産を保有しており、07年末まで580兆円に達していると推測される。したがって、「粗債務」から「金融資産」を控除した「純債務」は250兆円程度である。GDP比率でみて50パーセント程度であって、決して過大ではないし、日本国債の95パーセントは日本国民が保有しているから安心だ。》
《じつは、財務省自身、日本が財政危機ではないことを良く承知している。02年4月、アメリカの格付け会社が一斉に日本国債の格付けを引き下げた。このとき黒田東彦財務官(当時)は「日本は世界最大の貯蓄超過国であり、国債はほとんど国内で消化されている。また世界最大の経常収支黒字国であり、外貨準備も世界最高である」との意見書を格付け会社に送りつけた。つまり、政府自ら「純債務でみれば日本は財政危機ではない」ことを認めているのだ。その一方で、「債務は838兆円」と叫び、医療崩壊を招くほどの緊縮財政を継続し、大増税を目論んでいる。外国向けと国内向けとを使い分けて国民を欺く二枚舌としか言いようがない。》

 財務省は、われわれ日本国民に向かっては、大声で、しかもマスコミを使って、「日本は世界最悪の財政破綻国だ。大変だ、大変だ」と大宣伝しながら、世界に向かっては「健全な国」だと言っている。どちらが本当か。健全国が真実なのである。
 財務省は、嘘をついて、増税しようとしてきた。いまもなお、嘘をつきつづけている。地方を切り捨て、医療など福祉を切り捨て、中小・零細企業を破滅させるような、ひどい財政再建至上主義の政策を強行してきた。
 では、巨額の日本の貯蓄はどこへ行ったのか。アメリカの国債(米財務省証券)やアメリカでの投資資金として使われているのである。財務省の財政再建至上主義の政策は売国的である。(つづく)

菊池英博氏述べている。
《政府は構造改革で失敗した付けを増税と歳出削減に回しており、2011年に基礎的財政収支を黒字にしようとしている。この政策は構造改革の失敗で大幅に落ち込んだ税収の範囲内まで歳出を削減しようとするものであるから、医療費と社会保障費、教育費、研究費など、国家のセイフティ・ネット(安全網)と将来の人材育成・研究開発を犠牲にすることになり、絶対に回避すべきだ》
《消費税を上げなくても巨額の財源が政府にはある。まず社会保障基金(年金と国民健康保険の積立金)の260兆円(05年末の時点で243兆円、07年度末の推測値)である。このうち約200兆円が年金、約60兆円が国民健康保険の積立金である。現在では、年金も健保も黒字であり、この積立金の運用益だけで6-8兆円はある。この運用益を活用するだけで財源は十分出てくる》
《さらに外貨準備もある。現在、政府の保有する外貨準備は110兆円で、そのほとんどが米国債だ》
《財政危機が叫ばれて10年。オオカミはついに来なかった。財政破綻を怖れているうちに、肝心の日本経済が縮小し、地割れしてしまった。緊縮財政は、日本経済を貧しくしてゆく道だったのである》
《日本は消費税の引き上げなど全く必要なく、現在有り余っている財源とわれわれ国民のおカネ(預貯金)を活用して積極財政に転換すれば、増税なしで「財政再建」と「医療年金制度の立て直し」が可能になる一石二鳥なのだ》

 菊池理論を、政府が実行すれば、日本の再建は可能になると思う。
 「日本が財政危機に陥っている」というのは真っ赤なウソである。特別財源の一部を使って、減税と社会福祉・公共事業のための公共投資を行うべきである。]

巨額の日本の貯蓄はどこに言ったのか、アメリカの国際や投資資金として使われているのではないのか。財政再建市場主義の政策は売国的であると書いてあるが、核心を付いており、菊池理論を政府が実行すれば日本の再建は可能になるし、日本が財政危機に陥っているというのはまっかな嘘であるという意見に当ブログは同調する。郵政民営化が単に外国に奉仕するだけの結果をもたらす可能性が明らかになった現在、民営化をこの際やめて、もともとの国民資産をがんぽおんにして、減税と社会福祉、公共事業のための公共投資を行うための担保資金として明確にすべきである。

Fake Privatization 101

一年前の書評。今でも通用する。

http://news.livedoor.com/article/detail/3221137/

【書評】『実感なき景気回復に潜む金融恐慌の罠―このままでは日本の経済システムが崩壊する』(菊池英博著、ダイヤモンド社)
【PJ 2007年07月04日】- 誠実で勇気のある本が出た。小泉前首相と竹中前金融相による構造改革はビジョン無き破壊活動だったと喝破し、郵政民営化の実現により国民生活が崩壊の危機にひんすると警告する。

 郵政民営化で危惧(きぐ)されることは、資金の海外流出による金融システムの崩壊である。現在、郵政公社が保有している日本国債のうち、約200兆円が海外へ投資されると推測する。三大メガバンクも計54兆円の国債を抱えている。国債が売られれば、長期金利は上昇し、膨大な信用収縮が発生する。

 菊池氏は小泉政権発足直後から「構造改革は大前提から間違っている」と指摘してきた。政権発足直前の2000年度の不良債権比率はほぼ正常の5%まで低下し、50兆円を超える預金が余っていたからである。そして、デフレ下での緊縮財政が経済を疲弊させたと分析する。

 驚くべきは、金融庁が意図的に不良債権を増やし、UFJ銀行をつぶしにかかったとの指摘である。2002年10月に発表された「金融再生プログラム」の骨子は、資産査定の厳格化による不良債権の加速処理と、繰り延べ税金資産の圧縮だった。これが金融システムを弱体化した。

 UFJは2004年3月期の決算で東京三菱銀行を上回る8000億円近くの業務純益を上げていた健全銀行だったが、金融庁に1兆2000億円の貸倒引当金を積むように指示されると著者は客観的事実を説明する。多額の不良債権があるからとの理由だった。外資に売られることを警戒したUFJ銀行は、自らの経営判断でつぶされる前に東京三菱銀行との合併を選んだという。

 本書は過去の政策への批判にとどまらず、国民経済を守るための政策提言を明示している。郵政民営化をやめて公社に戻すこと、投資の促進や、ペイオフの停止、金融機関に対する時価会計適用の停止、国債安定化基金の創設などにもふれている。

 本書はあくまで専門書の分類に入る。しかし、破滅的なシナリオが避けられるかどうかは、この重大な問題が広く知られるかどうかにかかっている。【了】

Japan and America

有楽町にあるが帰国特派員協会の機関紙に、アメリカと日本の経済状況を比較する論文が載っている。アメリカの急速な経済後退を日本の90年代の低迷を戸を似ているとする議論に反駁する。http://www.e-fccj.com/node/3852 アメリカ人?のアメリカ批判か。

Japan then, America now: A misleading comparison

by Emonn Fingleton

America’s economic crisis today is not like Japan’s in the 1990s. It is far worse.

American commentators have been rushing to draw parallels between America’s recently worsening financial and economic problems with what happened to Japan in the 1990s. In many ways such parallels are reassuring and seem particularly so for Americans who have visited Japan lately. After all, not only did Japan come through its post-bubble strains without any serious job losses, let alone wider social dislocations but, as any visitor can tell at a glance, the Japanese people are now clearly among the world’s richest consumers. In the clothes they wear, for instance, they are second to none. Indeed, Tokyo has been pronounced the world capital of street fashion by influential Paris-based fashion guru Suzy Menkes. Thanks to good food and good health care, the Japanese now enjoy the highest life expectancy of any major nation. As for high-tech products, name any major nation with a more sophisticated mobile-phone system or such consistently fast Internet connections. And how many other nations boast such a high penetration of car-navigation devices?

Even for Americans who have never been to Japan the subliminal message of the comparison is, on balance, reassuring. For a start it is as obvious in New York or Los Angeles as it is in Tokyo that key Japanese corporations have gone from strength to strength.

Take Toyota. In 1989, the last year of the famous Japanese financial boom, it produced fewer than half as many vehiclles as General Motors. This year it will exceed GM’s output and in the process end GM’s more than 70-year reign as the world’s biggest automaker.

Any American with access to trade statistics also knows that the Japanese economy today is more competitive than ever – and this even though South Korea, Taiwan and Singapore have made huge strides in productivity in the past two decades. Perhaps the most telling single indication of this is that, almost uniquely among the highest-wage nations, Japan actually runs a surplus on its trade with greater China (that is mainland China plus China’s major southern port Hong Kong).

Even those who merely looked out the window of the FCCJ saw that nobody in Japan had lost faith in the future. The fact is that construction continued at a breakneck pace throughout the 1990s and this was abundantly apparent to anyone who viewed Marunouchi or Shiodome from the Yurakucho Denki Building’s 20th floor. As measured by the architectural Web site skyscrapers.com, 80 skyscrapers were built in Tokyo in the 1990s, versus just 49 in the 1980s (with skyscrapers being defined as buildings rising at least 35 meters). In Osaka, the total was 56 versus 18; in Yokohama, 19 versus none. London’s total by comparison was 33 versus 28. New York actually registered a decline: Only 103 skyscrapers were built in the 1990s, versus 257 in the 1980s.

Given that Japan came through its travails of the 1990s in such excellent shape, surely the prognosis for today’s flagging American economy is similarly upbeat? It is tempting to think so. But a closer look reveals a world of difference. In reality Japan’s problems in the 1990s were largely superficial. America’s are much deeper. The truth is that Japan was never the basket case it was portrayed to be. Frankly, the basket case story was propaganda. Strange as it may seem, for many years Japanese leaders – for very Japanese reasons – assiduously exaggerated their nation’s weaknesses and understated its strengths.

In short, the Western media were duped by a total reversal in Japan’s public-relations strategy. Whereas Japan had once aggressively emphasized its strengths (both real and imaginary), the emphasis switched in the 1990s to a highly counterintuitive “bad news” strategy. The upbeat propaganda of the 1980s had been intended primarily as a defense against dumping lawsuits in the United States. Thus the American media were induced to publish greatly exaggerated claims of Japanese productivity (such claims were provided as justification for the super-low prices Japanese corporations often charged abroad in an effort to drive other nations’ corporations to the wall). As noted by Pat Choate, an expert on the Japanese trade lobby in Washington, the Wall Street Journal proved particularly credulous.

After many major American corporations laid off their factory workforces and switched to outsourcing from Japanese rivals in the latter half of the 1980s, Japan’s propaganda needs abruptly changed. As American high-tech companies such as Hewlett-Packard and Motorola stopped competing with the Japanese and started buying from them, the dumping litigation disappeared. Meanwhile, as America’s trade deficits with Japan widened rapidly, Washington came to view Tokyo more and more as a power rival.

In the new circumstances, Japan’s old super-economy image had become not so much an irrelevance as a liability. Washington’s mood softened remarkably, however, after the Tokyo stock market crashed in 1990. Assuming quite wrongly that the crash signified fundamental problems in Japan, Washington began expressing gentlemanly concern for the “fallen giant.”

Soon, Japanese political and business leaders started telling other sob stories. A notable one concerned a supposed explosive rise in the number of homeless. During the 1970s and 1980s officials had kept Japanese cities miraculously free of vagrants, thus fostering a myth that Japan was immune to the pathologies of lesser societies. In reality, as James Fallows has documented, vagrants had existed all along in Japan. But until the public-relations story changed in the early 1990s, they had been kept hidden in remote ghettos such as the Sanya district of Tokyo. The bad-news strategy called for a radical change in which vagrants would be placed as conspicuously as possible in the field of vision of visiting foreigners. Suddenly, the homeless were given carte blanche to camp out in Tokyo’s glitziest neighborhoods, not least Hibiya Park, right in front of the Imperial Hotel!

Another official gambit was to adopt highly conservative national accounting assumptions that drastically understated Japan’s apparent growth rate. Although Japanese living standards and exports both palpably boomed during the 1990s, annual GDP growth was officially stated to have averaged only about 1 percent.

In keeping with this strategy, Japanese officials began beating their breasts about an apparently disastrous deterioration in public finance. One “footnote” was omitted: Japan’s official foreign-exchange reserves rocketed more than sixfold during the 1990s. Most of the increase represented the Tokyo authorities’ buying of U.S. government bonds and other U.S.-dollar investments, as the Japanese government led a global effort to finance America’s trade deficits and keep the dollar propped up. Thus, while it was indeed true that the Japanese government was borrowing more, it was doing so not to finance its own spending but rather that of the American government!

Some of the sob stories had a basis in truth but nonetheless greatly exaggerated the real trauma. Consider the banking crisis. Among Tokyo-based observers, this writer was virtually alone during the 1980s in predicting the banks’ problems (see in particular a major story in the September 1987 issue of Euromoney, which is available on line at www.unsustainable.org). The banks duly hit the wall in the early 1990s but, despite all the misinformed alarmism in the Western press, Japan never came close to a domino-style banking collapse.

Many prominent Japanese corporate chieftains compounded the jitters. In April 1998 Sony Corp. Chairman Norio Ohga, for instance, made world headlines when he commented, “The Japanese economy is on the verge of collapsing.” A few months later, Toyota President Hiroshi Okuda averred that Japan’s problems could trigger a “worldwide financial crash.” When corporate chiefs talk like this, we might assume that their own businesses were in dire straits. In fact, both corporations did just fine both at home and abroad in 1998. Indeed, Toyota’s profits that year were up 56 percent over 1989 while Sony’s were up fully 131 percent.

These leaders’ stated views were completedly inexplicable on their face. Compounding the mystery was that it was all so out of character. After all, if Japan really had been close to financial collapse, drawing attention to the fact in such alarmist terms was the economic equivalent of shouting “Fire!” in a crowded theater. As a general rule, indiscretion on this scale is not considered an asset in business anywhere, least of all at the top of two of Japan’s – and the world’s – most successful corporations. On the other hand, if everyone in the Japanese establishment knew that the fire alarm was merely part of a kabuki act to fool foreign trade negotiators, the corporate chieftains’ behavior made excellent sense.

The absurdity of Okuda’s remark was particularly obvious to informed observers even at the time. Not only was Toyota far more profitable than Ford and GM, but the home market in Japan had remained extremely buoyant, as household car ownership increased by nearly 2.2 million from 1989. And the quality of cars on Japanese roads had undergone a transformation, with the svelte Toyota Lexus, for instance, replacing the dowdy old Toyota Century as the executive limousine of choice.

Then there was the performance of then-Finance Minister Kiichi Miyazawa. A graduate of Tokyo University’s super-elite law faculty and a man with a steel-trap mind, Miyazawa “blurted out” in 2001 that the country was close to a “catastrophic situation.” If the finance minister of a nation as badly run as, say, Zimbabwe or Somalia had made such a gaffe, he would be bundled off the stage instantaneously. After all, Job One for finance ministers of even the world’s worst hellholes is to pretend that things are hunky-dory. The interesting thing is that Miyazawa’s comment came as Japan was earning the largest current-account surpluses in world economic history!

If Japanese leaders put on an amazing counterfactual impression of economic decline in the 1990s, it has to be admitted that Western commentators made a gullible audience. Many business correspondents wailed about corporate Japan’s low profits, and, sure enough, profits were low. What those correspondents failed to understand is that in the Japanese system – whose workings diverge significantly from Western capitalism and thus are consistently misunderstood by foreigners – profits have almost always been minimal. That may seem surprising, but the fact is that even in the “juggernaut” years of the late 1980s, Japanese corporations were notoriously unprofitable.

The further the commentators were from Japan, the wilder their conclusions about what was supposed to be going on. Take Karen Elliott House, a senior executive of the Wall Street Journal, who in 1992 compared the Japanese economy all too gleefully to children’s toys called Shrinkies, which were advertised to “shrink right before your eyes.” Even the normally astute Paul Krugman, in a similar outburst of misplaced schadenfreude, recycled a myth that Tokyo had been reduced to building “bridges to nowhere” and “highways with no traffic” to stimulate the economy. Japan has no bridges to nowhere, and it is hard to build unnecessary highways in a nation with one of the highest ratios of cars to road space in the world.

For sheer absurdity, however, few observers came close to Michael E. Porter, a famous Harvard-based expert on competitiveness. In a book titled “Can Japan Compete?” he concluded that Japan had ceased to innovate by the mid-1980s. Thereafter, Porter wrote, its export drive had supposedly become increasingly dependent on industries so laughably low-tech they would embarrass an Afghanistan or a Peru. Among these were yeast, flaked cereal and, most memorably, “raw bovine and equine hides”!

In common with virtually all other
Western observers, Porter missed the real story of the 1990s: that leadership in advanced manufacturing was passing with stunning rapidity from the United States to Japan. By advanced manufacturing is meant in particular making capital equipment, advanced materials and high-tech components. Such manufacturing is generally both very capital-intensive and very knowhow-intensive (in the sense of proprietary production knowhow that can be kept from competitors almost indefinitely).

In many cases advanced manufacturing is so rarefied that only one or two corporations worldwide are capable of producing particular items. Formerly, such corporations were based in the United States and employed American workers. As such they were the backbone of an economy that could pay wages two or three times European or Japanese levels and still run large trade surpluses. The result of America’s progressive exit from such businesses in the 1990s was that Japan has established monopolistic leadership in more and more areas of advanced manufacturing. Such monopolies constitute “chokepoints” that give Japan control over ever-larger swaths of the global industrial landscape.

One such chokepoint is Japan’s little-noticed but important lock on advanced lens cutting. Leadership in high-tech lenses helps explain why Japanese companies dominate the world market in everything from television-studio equipment to endoscopes. Lens technology even gives Japan a crucial inside track in semiconductors. This is the single-most important technology in creating so-called steppers, the photolithographic machines that print minute electrical circuits on silicon chips. Japan’s champion lens cutters, Nikon and Canon, make more than two-thirds of the world’s steppers. Japan also monopolizes such important semiconductor-production equipment as photomasks, as well as key materials including silicon, gallium arsenide and epoxy cresol novolac resin (with ever-purer versions needed for each new generation of computer chips).

Elsewhere in the electronics industry, Japan’s hidden chokepoints include charge-coupled devices (essential in everything from home video cameras to guided missiles), high-tech batteries (vital in many portable devices, including advanced military equipment) and laser diodes (the enabling technology in the ever-growing CD/DVD family of gadgets). In miniaturized disk-drive motors, Kyoto-based Nidec controls 90 percent of the world market. Its tiny, highly precise, almost silent motors are the key technology in the Apple iPod.

In mobile phones, the Japanese are likewise quietly dominant. Although Western brand names like Motorola and Nokia appear to lead the industry, today’s sleek mobile phones would not exist without Japan. Two decades ago, Japanese electronics makers embarked on a massive government-led effort to miniaturize the various mobile-phone components. A survey by Deutsche Bank found that as of 2000, 29 of 36 suppliers of the nine key components in mobile phones were Japanese. And Japan also owns most of the world’s optical-fiber production capacity.

Perhaps the single-most surprising area where Japan has succeeded to America’s erstwhile monpolistic leadership is in aerospace. After decades of quietly capturing key chokepoints in avionics, carbon fiber and titanium, Japan has now passed a fast-declining United States in all but name. This is all such a contrast to the late 1960s and early 1970s. Consider the 747 jumbo jet, that marvel of Boeing’s greatest days of leadership (having ridden one of the first of them across the Atlantic in 1970, I remember well the excitement they generated). Manufactured in the largest building ever constructed, the 747 was a truly impressive testament to corporate America’s global leadership. After all, though this was rarely explicitly stated at the time – it did not have to be – the plane was 98 percent American-made. Not only were all of Boeing’s top suppliers based in the United States, so were these suppliers’ suppliers and those suppliers’ suppliers’ suppliers. Down to virtually the last nut and screw, the plane was made in the United States, using American labor that then was twice to four times as well-paid as labor in Japan and Western Europe. There could hardly have been a more telling testament to America’s global productivity leadership.

Contrast that with the story of the 787, the new high-tech plane to be launched soon by Boeing. The 787’s American content is officially stated as about 35 percent, but even this meager figure probably greatly overstates the true story of where the value added is ultimately being created. What is clear is that the plane will be at least as much Japanese as American. In particular the carbon-fiber wings – probably the most advanced feature of this most advanced of passenger planes – will be made in Japan by Mitsubishi Heavy Industries. In former times, Boeing’s leadership in wing-making was considered one of its crown jewels. Indeed so important is wing-making considered to be, that up to the late 1990s, Boeing’s top executives consistently vowed they would never outsource it.

What’s wrong with outsourcing? Nothing, if it is used merely to delegate non-essential functions to low-wage nations. But when an American company outsources to Japan it is tacitly admitting something that the Washington policymaking community has fought hard to deny: that Japan has now decisively passed the United States in industrial productivity. The point is that, though you could never tell it from the way the Japanese economy has been reported in the past 15 years, factory-floor wages are now actually 10 to 30 percent higher in Japan than in the United States.

Of course we have been told that advanced nations no longer need to look to manufacturing for their comparative advantage. Supposedly, services now provide advanced nations with their most attractive and appropriate economic opportunities – and no nation is supposedly more productive in services than the United States. The trouble for those who advocate postindustrialism is that America’s trade record is screaming that that it is not enough. The fact is that while Japan’s trade surplus has nearly quadrupled since 1989, America’s trade deficit has multiplied sixfold. At more than 5 percent of gross domestic product in recent years, America’s current-account deficit represents the worst trade performance of any major nation since Italy in 1924. How bad things were in Italy in 1924 should be apparent from the fact that in January 1925 Benito Mussolini seized dictatorial powers to sort out the mess.

Basically the difference between Japan in the 1990s and the United States today therefore is trade. Japan continued to boost its exports and improve its trade surpluses through the worst of its financial difficulties. The United States by contrast is burdened with a vast trade deficit that is completely “baked in.” It would have to increase its manufacturing labor force by probably 40 percent merely to break even on trade again. And all of the new jobs would have to be in advanced manufacturing. There is not the slightest chance that the U.S. can achieve this within the foreseeable future. In the meantime the United States is fated to become ever more indebted to other nations, most notably China and Japan. The last superpower that tried this sort of financial policy was the Ottoman Empire. What became of that empire? It is time that U.S. policymakers checked the history books. ❶

Eamonn Fingleton is the author of “In the Jaws of the Dragon: America’s Fate in the Coming Era of Chinese Hegemony” (New York: St. Martin’s Press, 2008).

Fake Privatization 100

フジサンケイ ビジネス アイという新聞が、東谷暁氏の論説を掲載した。サンケイ新聞は、最近まで、竹中・小泉路線で市場原理主義の経済論説を主に掲載していたから、珍しく、郵政民営化の虚妄を指摘する反市場原理主義の記事である。

http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200809020006a.nwc

「FujiSankei Business i. 2008/9/2

ドイツ郵政民営化の破綻

 郵政民営化の成功例として語られてきたドイツポストが、子会社の銀行ポストバンクを売却する算段をしているというので注目を集めている。買収する側として、ヨーロッパの巨大金融機関の名前が登場しては消える。いずれにせよ売却の方針は決まったようで、いまやどこが買うかが問題の焦点なのだ。

 民営化のさいに、いったんは分離したドイツポストを買い戻したのは、郵便局のサービスが低下するのを避ける狙いがあった。それがまた、売却を企てているという理由はただひとつ。ドイツポストが経営的に危機に陥っているからなのだ。日本の郵政民営化のさい、ドイツポストの「成功」が派手に報道され、物流会社DHLを買収して傘下に収めたことが、その成功の象徴のように語られた。

 しかし、そうした成功物語には多くの神話があり、日本での報道にもかなりのバイアスがあったことがいまでは明らかだ。そもそも、私が2005年の郵政選挙の前に調べてみると、営業利益の65%は郵便事業から得ており、ポストバンクなど金融が21%、DHLなどのロジスティクスおよび宅配便は、それぞれ7%程度にすぎなかった(『民営化という虚妄』)。物流部門は、すでにこのときから苦戦していたのである。

 いまのドイツポストの苦境も、巨大な資金で買収した物流のDHLが足を引っぱった。04年にはDHL米国支社が赤字に転落。去年からは米国の経済の落ち込みで回復がますます困難になった。こうしたなか、今年の2月には、郵政民営化の輝ける星だったドイツポスト前会長のツムヴィンケル氏が、巨額の脱税容疑で逮捕されるという事件が起こる。ただでさえサービス低下に不満を持っていたドイツ国民は怒るというより呆れた。利益至上主義のドイツポストが、馬脚をあらわした事件と指摘する人も多い。

 いまやドイツポストはポストバンクの売却益によって、経営を何とか立て直そうとしているが、このポストバンクについても「サブプライム問題で内情は火の車」などという噂が絶えない。日本でも全国郵便局長会が民営化の見直しを求めているが、こうしたドイツポストの惨状を見れば、けっして覆水を盆に戻そうとする試みだとはいえないだろう。(ジャーナリスト)」

全国の郵便局長会が民営化の見直しを求めているが、世界的に見ても、妥当な主張であり、ドイツのような惨状に至る前に、健全な郵政に戻すべきである。日本の郵政は巨額な資産を持っているだけに、(今では、その国民資産が、独立行政法人の管理下に移された携帯に放っているが、その中から、民営会社に巨額の資金が移転していることは、間違いないが。)

Market Fundamentalism

9月2日のバンコクポスト誌は、2面で、タクシン前タイ首相の汚職事件についての新たな訴追について報道している。その概要は、「シン・コーポレーションの傘下の携帯電話会社を有利にして、660億バーツ、相当の損害を国営企業である、TOTとCAT(iいずれも公営の企業体)に与えたという告発である。前首相は、ロンドンの逃亡中であり、妻のポトジャマン氏は、三年の懲役刑の判決を受けている。第一の事件となった土地問題については、9月17日に判決が出る予定である。タクシン一族の財産没収の告発も出されている。最高検察は、760億バーツの現金と、2001から2006年までの総理の公職に会った期間中に収得した資産を没収することを検討している趣。760億バーツは、携帯電話会社をシンガポールの政府投資ファンドであるテマセクに売却した利益に相当する額である。脱税については、120億バーツ相当である。」というものである。

いずれにしても、国民の資産を外国に売却して、しかも、脱税の容疑で告発が行われたのは、ドイツの郵政の総裁の、海外への資産移転とその脱税事件と似ているようにも感じる。

香港上海銀行などは、どんなかかわりになっているのだろうか。バンコックの空港にも成田にも、同銀行の大きな広告が、これ見よがしに、飛行機のタラップなどに掲出されているが、根幹では市場原理主義が関わっているようの思えてならない。外資の関係者が、日本の行政改革と称する改悪についても、表裏で見え隠れしているからである。

今回のタイの政局は、市場原理主義の暴虐に反対する中産階級の、しかも文化と伝統を守ろうとする勢力の反対運動である。日本では、福田首相の微妙な路線変更の動きにもかかわらず、政権が瓦解した。市場原理主義の力は日本ではまだまだ支配的であり、いわゆる上げ潮派の新自由主義は、あらゆる手法で、権力の維持を図ろうとするだろうが、しかし、世界の潮流は厳然として変りつつある。

Fake Privatization 99

同誌の別のページには、民営化されて日本郵政社長の西川善文氏の紹介がある。郵便局ネットワークのジリ貧は避けられそうにないとコメントした腕で、中期計画の策定をすすめている西川氏に妙案はあるのだろうか、と書く。簡易局の撤退を道食い止めるか、駅前の郵便局の立替問題についてもコメントをしている。いずれにしても、郵政の私物化が進んでいる。小泉・竹中政治の中で就任した、もと住友銀行頭取が中期計画を策定するほうが、政治的には奇妙な状況である。小泉、安倍政権と続き、今、内閣改造をしても、市場原理主義の呪縛から逃れられるずに政権を投げ出してしまった福田内閣と続く中で、日本郵政の幹部ポストに、市場原理主義の推進の役割を果たした民間人が居座り続けること事態が奇妙である。各社の幹部人事を含めてタイミングではないだろうか。サービスダウンを強行して、駅前やその他の土地資産などを切り売りすることだけが民営化の成果であれば、余にも情けなく、国民をプロパガンダで騙しただけのことになりはしないか。郵政各社の幹部が勇気ある経営者であれば、政権が変った今、進退を明らかにするべきであり、職にしがみつくのは醜悪である。(考えようによっては、もともと、そうしたことにも感受性を失った市場原理主義、拝金の一味であるだけのことかもしれないが。)

Fake Privatization 98

時評という1959年創刊の霞ヶ関を中心とした行政情報を特集する月刊誌がある。各省の大臣を中心として幹部の抱える課題について、パトロールというコラムがある。その中で、民営化問題について、総務副大臣の石崎岳氏が、紹介されている。「担当分野は情報通信、北海道の民放のアナウンサーであっただけにうってつけの役回り」と消化しながら、地上デジタル放送の実施について取り組む意向を強調した上で、郵政の民営化問題については舵取りは難しくなりそうだ、造反組が要職に起用され、総務省はその矢面に立つ可能性があるとしている。石崎副大臣は「民営化の方向性はしっかりと進めていく。しかし、問題があるなら見直していくというのは当然」とした上で、「見直しの論議を加速していきたい。ベターな民営化を追求していく」としている。

しかし、それでは、市場原理主義の柱である民営化問題の解決にはならない。小泉・竹中、あるいはアメリカのフリードマン路線を守りながら、ショックドクトリンを維持しながら問題解決を図ろうというもので、民営化の見直しには当たらない主張である。たしかに、現在の郵政民営化委員会の機能は、市場原理主義を補強するために存在するのであるから、見直しもその補強策に過ぎないという考えで、民営化法の中の見直し条項が規定されているから、間慮組織としては妥当な意見であるが、それでは政治にはならない。市場原理主義が政治家をも単なる官僚の一員としてしまう典型を見せてしまうような発言である。郵政民営化見直しとは、そうした郵政民営化委員会の改廃を含めた現在の、憲法違反の刺客選挙でつくられた非民主的な法律を、国会で見直していくことであって、誰も小泉・竹中政治に追従する行政組織の規定の枠内での修正を求めているわけではない。

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