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Fake Privatization 129

日本経済新聞12月26日朝刊に掲載されたもう一つの奇妙な?記事は、大機小機と題するコラムで大きな「民」の弊害という「文鳥」という筆名による記事である。

この記事の奇妙さ?については、他のブログにもすでに注意喚起が行われている。

http://blog.goo.ne.jp/akira-sq/d/20081226

「「官から民へ」。本来の意味は「官僚支配から民主主義へ」であり「官業から民間企業ではない。」と冒頭から喝破する。道路公団の民営化について、儲かるかどうかを基準に高速道路を建設することではないはずだと主張する。郵政民営化についても、総合的に運営されてきた郵政事業を三つに分割して、その所有権を株式にして売却することが「民(民)」の会社の最終ゴールではなく、国民のニーズにこたえていくことがずっと重要な課題であると書く。

アダムスミスの国富論について解説する。スミスは、「政府の事業が非効率だから自由放任のススメを唱えたわけではない。特定の商工業者が金や銀を「国富」と称し、その蓄積のために政府を利用して経済活動の自由を拒んでいたことを批判したのだ。」とする。民営化された郵政のトップに、特定の銀行の元頭取が就任するような不正をほのめかしているかのようである。スミスが、郵便事業について「どのような政府によって網膜運営されてきた唯一の商業企画だろう・・(投下資本の回収は確実であるばかりでなく、即時でもある」述べていることを紹介して、道路については、「私人の財産にしておくのは決して安全ではない」として、「通行料は、政府委員か管財人の管理下におくことが適切である」と指摘したことを紹介している。

スミスが国富論で私益の自由な追求を承認したのは、何あろう、重商主義という大きな「民」に対抗するためだったという。結論として、「今回の世界的な経済危機の元凶がグローバル資本主義という大きな「民」になるとするならば、改めてスミスの教訓に学ぶ必要があるのではないか。大きな政府だけではなく、大きな「民」も弊害を引き起こすからである。」と締めくくっている。

民営化という私物化が行われ、惨状を呈する中で、しかも、日本経済新聞という新自由主義を称揚したマスコミに、小さな記事ながらこうした、「民」と称する経済危機の元凶を批判する記事が掲載されることは、異様である。もちろん、世界の潮流が完全に変わっているから、自己批判の兆候として掲載されているのかもしれない。

この記事には、事実誤認もあり、道路公団の民営化がファミリー企業との癒着を断つために有効だったとしているが、むしろ大きな民の支配が強化されえたのではないかと思われるし、郵政民営化についても、特定郵便局長の世襲制にメスを入れるために荒療治が不可欠だったと述べるが、そもそも世襲制などはどこにも制度としては存在していなかったことを指摘しておきたい。むしろ大きな民たる大企業や、政治家の世襲の弊害を指摘することの方が大事ではないだろうか。

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