構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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2008年12月

Gekko Kamen

Gekko Kamen

今日は大晦日である。今年4月6日に川内康範先生が逝去された。享年88歳。例の紅白歌合戦が今夜放映される。「森進一にはもう「おふくろさん」を唄わせない」との言葉で話題になったが、ご遺族との間で、和解したとのことである。伊勢崎町ブルース、骨まで愛して、君こそ我命などのヒット曲や、月光仮面の原作者でも会った。テレビの日本昔話の原作者でもあった。無償の愛 森進一君へー川内康範の遺言という単行本が、直弟子の大野景範氏によって、角川学芸出版から出版された。川内先生は、佐藤栄作以来、歴代の宰相の顧問として激動の時代を陰で支えようとした人物であり、実に興味深い人物の伝記となっている。

End of Disaster Capitalism

誰とも握手をしようとしないし、誰も握手しない。アメリカの放送局の映像である。新自由主義のアメリカの終焉を示唆するような映像である。G-20のサミットの時の場面である。

Fake Privatization 129

日本経済新聞12月26日朝刊に掲載されたもう一つの奇妙な?記事は、大機小機と題するコラムで大きな「民」の弊害という「文鳥」という筆名による記事である。

この記事の奇妙さ?については、他のブログにもすでに注意喚起が行われている。

http://blog.goo.ne.jp/akira-sq/d/20081226

「「官から民へ」。本来の意味は「官僚支配から民主主義へ」であり「官業から民間企業ではない。」と冒頭から喝破する。道路公団の民営化について、儲かるかどうかを基準に高速道路を建設することではないはずだと主張する。郵政民営化についても、総合的に運営されてきた郵政事業を三つに分割して、その所有権を株式にして売却することが「民(民)」の会社の最終ゴールではなく、国民のニーズにこたえていくことがずっと重要な課題であると書く。

アダムスミスの国富論について解説する。スミスは、「政府の事業が非効率だから自由放任のススメを唱えたわけではない。特定の商工業者が金や銀を「国富」と称し、その蓄積のために政府を利用して経済活動の自由を拒んでいたことを批判したのだ。」とする。民営化された郵政のトップに、特定の銀行の元頭取が就任するような不正をほのめかしているかのようである。スミスが、郵便事業について「どのような政府によって網膜運営されてきた唯一の商業企画だろう・・(投下資本の回収は確実であるばかりでなく、即時でもある」述べていることを紹介して、道路については、「私人の財産にしておくのは決して安全ではない」として、「通行料は、政府委員か管財人の管理下におくことが適切である」と指摘したことを紹介している。

スミスが国富論で私益の自由な追求を承認したのは、何あろう、重商主義という大きな「民」に対抗するためだったという。結論として、「今回の世界的な経済危機の元凶がグローバル資本主義という大きな「民」になるとするならば、改めてスミスの教訓に学ぶ必要があるのではないか。大きな政府だけではなく、大きな「民」も弊害を引き起こすからである。」と締めくくっている。

民営化という私物化が行われ、惨状を呈する中で、しかも、日本経済新聞という新自由主義を称揚したマスコミに、小さな記事ながらこうした、「民」と称する経済危機の元凶を批判する記事が掲載されることは、異様である。もちろん、世界の潮流が完全に変わっているから、自己批判の兆候として掲載されているのかもしれない。

この記事には、事実誤認もあり、道路公団の民営化がファミリー企業との癒着を断つために有効だったとしているが、むしろ大きな民の支配が強化されえたのではないかと思われるし、郵政民営化についても、特定郵便局長の世襲制にメスを入れるために荒療治が不可欠だったと述べるが、そもそも世襲制などはどこにも制度としては存在していなかったことを指摘しておきたい。むしろ大きな民たる大企業や、政治家の世襲の弊害を指摘することの方が大事ではないだろうか。

Fake Privatization 128

Privatization 日本経済新聞12月26日に奇妙な?記事が二本掲載された。新自由主義の牙城ともいえるような根拠のない構造改革論を称揚した新聞が、市場原理主義を批判するような記事を掲載したのは驚きであった。

ゼミナールと題する欄で、野村総合研究所のクレジットが入っているので、日本経済新聞の意見ではないらしいが、民営化と囲みを入れて、その下に、次善の詳細な制度設計重要という見だしをつけている。

「財政危機を契機にインフラ施設の民間への売却やインフラの運営会社の民営化をした例は多い。ニュージーランドの民営化は、小泉改革における民営化の模範として引き合いに出されたが、民営化したインフラ会社を公営に戻す動きも見られるようになってきた。」と書く。

日本経済新聞は、一貫してニュージーランドの民営化路線を褒め上げて、その失敗については一切触れてこなかったからである。まったく誤った報道について反省の色が見られなかったがゆえに、民営化の潮流を批判する声が大きくなっていることを取り上げている。

「ニュージーランドでは郵政事業を分割・特殊会社化した後、1989年にオーストラリア資本の銀行に売却した。しかし、売却後にコスト削減の一環として、国内支店の4割が閉鎖され、地方部の町では預貯金を引き出せないといった事態が起きた。こうした問題に対処するため、「キウイ銀行」という国営銀行を設立している。」

日本の暗澹たる郵政民営化の将来を見て取ることが出来るし、ニュージーランドの首相が日本の総理大臣訪問のときにニュージーランドの民営化した会社のポストを指差してもう使われていないと揶揄したことがあったが、ゆうちょ銀行と民営化する意味がアメリカの資本に売り渡すことを狙ったか、国民資産を市場原理主義のカジノに参加させることが明白であるだけに、ニュージーランドの民営化政治の失敗がもっと早く伝えられてしかるべきであった。日本経済新聞は、社説では民営化路線を未だに墨守しているのが現実であり、野村総合研究所という新聞社以外の分析による記事にしても珍しいことである。

水道の民営化の陰謀の失敗例についても記述している。

「フランスのパリ市では百年以上にわたり民間企業が担ってきた水道事業を10年までに公営化することを発表している。パリ市では,ヴェオリアの子会社がセーヌ右岸の、スエズの子会社が左岸の配水と料金徴収業務を行い、浄水事業は第三セクターが担ってきた。しかし、1990年ごろから水道料金が二倍に値上げされ、受託企業に不透明な会計処理が発覚したことが公営に戻す契機となった」と書くが、正確ではない。水道事業の民営化も世界的に市場原理主義者が陰謀として行ってきたことであり、世界的に惨状を呈している。有名な、日本の大阪の娯楽産業の会社を買収したフランスのビヴェンディが、よーローっぱの各地で水道民営化を手がけたことについては言及していない。ビベンディ社の総帥は、市場原理主義の寵児であったが、追放にあっていることにも言及したいない。ドイツにおいて、郵政民営化を強力に推進した、(おせっかいなことに日本の郵政民営化をすべ氏などと、来日して官邸会議で講演会を開催した)ドイツポストのツムヴィンケル前総裁などは、外国送金の違法で逮捕されたことについても言及がないが、ヨーロッパにおける民営化見直しの一環である。

「ニュージーランドでは、国内の支店網を維持するという前提で民間に売却すれば、過剰な支店閉鎖は起きなかった」と書くが、日本の郵政民営化でも、国内の支店網を維持するという法的な縛りはない。ことさらに、ユニバーサルな貯金事業の提供義務と削除したのではなかったのか。

「水道料金のプライスキャップ制度を導入していれば、料金が二倍以上にはならなかっただろう。インフラの整備・運営を民間に委ねる場合、詳細な制度設計が欠かせない」と書く。恐ろしい話である。詳細な制度設計をしないままに、この国では郵政民営化が強行されたからである。もちろん、水道事業を民営化しようとする策動は微妙に行われてきたが、水道事業が日本では優れており、ボトルに入った水を飲まなくても、蛇口をひねった水が飲めるという高いサービス水準にあり、パリ市と比較するのは、日本の水道管傾斜をあしざまにするものである。

「日本は厳しい財政事情に加え、インフラの運営人材の確保や技術水準の向上などの綿花も、民間企業の活用が不可欠だ」と書くが、厳しい財政事情だから郵政を民営化して株をうっぱらって財政当局の失政の穴埋めをしようとした背景が読み取れるが、郵政事業はずっと黒字の経営を続けており、しかも職員の給与に至るまで税金で補填をしたことはなかったから、まったく不当な議論である。技術水準なども、むしろ市中銀行よりも郵便局のシステムの方が先進的であった事にも触れていない。

しかし、結語として「公が適切に民を制御する統治の仕組みを探る必要がある」と書くのは至当である。残念ながら、政治が劣化しており、郵政民営化後一年が経ち、上げ潮ならぬ経済の引き潮の中で、まったくタイミングの悪い民営化で、制御する統治の仕組みがないのが現在の国政の状況ではなかろうか。

民営化された、インフラ事業を公営に戻すことをさい公営化というらしい。日本でも郵政ばかりではなく、道路や、医療、年金、諸々のインフラ組織を再公営化してほしいものである。民営化・私物化の潮流を批判する声は世界的に日増しに大きくなっているのだから。

なお、ニュージーランドでは、郵政事業が三社に分割され、二社は売却され郵便会社のみが公的機関として存続させられたが、国営のキウイ銀行が設立され、郵便会社の傘下に入れている。(ゆうちょ銀行やかんぽ生命を公社化して、日本郵政の持ち株会社を公社化してその参加に入れるようなものであるが、つまりは元の郵政公社に戻すことにならないだろうか。)フランスのパリの水道事業は、オー・ど・パリ(パリの水)を公社化して、浄水、配水、料金徴収を一体管理する事業体に再編成している。端的に言えば、今、日本がやっているビジネスモデルにしただけの話である。

Schock _Doctrine 5

時事通信社オービーのサイトに次のようなコラムがあった。ショックドクトリンに関する内容である。ご参考まで。http://www33.ocn.ne.jp/~massan/fuiri-doman.htm

Political Disaster

森田実氏の新刊書 政治大恐慌ー悪夢の政権交代(ビジネス社)が12月27日出版された。政治評論家の書物であるから判りやすく書かれている。新自由主義の悪夢を拭い去るためにも、単純な政権交代に警告を発する良書である。

「2009年は日本の歴史にとって、極めて重大な時期となる。世界は大危機に直面している。唯一の超大国アメリカの崩壊が全世界を巻き込み、パックス・アメリカーナの崩壊とともに全世界が流動化しつつある。
世界の無秩序化を止め、国際秩序の再構築を急ぐべきである。
新たな国際秩序は、先進国と新興国を含む協調体制でなければならない。新たな国際協調体制において中心的役割を担うのは新興国であり、新興国を中心とする世界新秩序の形成こそが世界を救う道なのである。
日本は新興国と欧米をつなぐ接着剤の役割を担うべきである。
日本政府は1980年代初期のレーガン革命以来、アメリカの共和党政権の側に立ち、日本の政治のアメリカ共和党化を進めてきた。2001年に成立した小泉政権は、同年発足したブッシュ政権に従属化し、ネオコン・市場原理主義を推進した。その結果アメリカと同様に暴走し、壁に衝突して挫折した。
アメリカ国民は2008年11月の大統領選でオバマ民主党候補を選んだ。オバマ次期大統領は経済政策の転換に着手した。ニューディールの復活である。経済政策は、ブッシュ的市場原理主義・小さな政府・公的社会政策支出の一方的削減政策を転換し、ニューディール的、ケインズ的経済政策を実行する構えである。
だが日本は、自公連立政権も民主党も、2008年秋の世界経済の大破綻と世界政治・経済の大転換のあとも、政治路線見直し・転換の議論を始めていない。自公連立は小泉内閣以来、本質的にはアメリカ共和党政権追随のネオコン・市場原理主義路線の政治にしがみついている。小沢民主党も本質的にはネオコン・新自由主義路線から脱却していない。民主党国会議員の多くは依然としてアメリカ共和党思考から脱却できていない。
わが国の衆議院議員の任期は2009年9月10日で切れる。
いまのところ政権交代が起こる可能性は五分五分である。自公連立政権が政権を守る可能性はあるが大勝することは困難であり、参院が少数派の現状では政権の力は更に低下する。
このままでは、自公連立政権は崩壊する。次の次の総選挙では政権交代が実現する可能性が極めて高く、自公連立政権は政界再編を仕掛けざるを得ない。
民主党が勝利し、野党連立政権が出来た場合も、ただちに安定政権が実現するわけではない。小沢民主党政権は、大連立または中連立を仕掛ける可能性が高い。
2009年9月迄に行われる総選挙の結果、自公連立体制中心の政権か民主党中心の政権かが誕生する。自公連立政権と民主党政権との間には、若干の政策上の違いはあるが、根本的には同じである。
ともに基本理念はアメリカ共和党流の「ネオコン・市場原理主義・小さな政府」路線である。いま全世界が進もうとしている「修正資本主義」路線とは一線を画している。このままでは、どちらの政権ができても経済危機を克服し日本国民に安心・安全を保障することは困難である。
今の日本に必要なのは「修正資本主義」路線への方向転換なのである。
ネオコン政権をつくっても何の意味もない。それどころか「百害あって一利なし」である。」

「森田 実(もりた・みのる)
1932年、静岡県伊東市出身。
政治評論家。
東京大学工学部卒業。日本評論社出版部長、『経済セミナー』編集長などを経て、1973年より政治評論家として独立。著作や論文を多く著すとともに、テレビ、ラジオ、新聞のほか、全国各地での講演を通して幅広い評論活動を行なっている。森田総合研究所主宰
著書
『崩壊前夜 日本の危機』(日本文芸社) 『新公共事業必要論―港湾・空港の整備が日本を救う』(日本評論社) 『脱アメリカで日本は必ず甦る―アメリカの終焉と日本経済再生への道』(日本文芸社)などがある」

Repentance

中谷巌氏という構造改革派の学者の転向?が話題になっている。資本主義はなぜ自戒したのかという集英社の新刊本である。ぱらぱらと呼んでみたが、反省不足の書である。民営化にしても、あれほど、主張した御仁であるから、まだ良かったなどとも言っている。情けをかけてはならない。 また牙をむいて襲い掛かってくるような、偏見の書のようにも見える。いずれにしても、市場原理主義の御用学者の一角で崩壊現象が見られるのは慶賀すべきである。改革なくして成長なしのスローガンの結果にどこがいいところがあったのか。中谷氏はまだ一部であったなどとも述べており、当てにならない。

http://bouen.morishima.jp/001517/

http://kihachin.net/klog/archives/2008/12/nakatani_iwao.html

http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/2008/12/post-1ae0.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-3779.html

山崎行太郎氏の主張の方が正当に読める。やはり、情けをかけてはならない。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20081217/1229473682

Fake Privatization 127

小泉&竹中に騙された 「ゆうちょ」「かんぽ」が米国資本に渡るとき と題する特集記事が月刊誌テーミス一月号に掲載されている。

詳細は原文を読んでいただきたいが、要旨は次のようなものである。

郵政株の売却凍結法案を起立採決で、衆議院本会議は12月11日否決したが、これは選挙を控えて法案に反対した議員の名前が表に出ることを避けたからである。

郵政民営化は大間違いで、マスコミは取り上げず、米国の広報機関が電通を媒介として莫大な援助をして言論統制をした。国民はすっかり騙されたが、そのポイントは、①民営化で資金を民間に回せば経済が活性化するという錯誤。資金が不足していたのは政府部門で公社のままで国債を保有することが国益に合致する。②民営化は米国の要望なのに政府が必死に隠した。民主党もこれを一部の議員を除いて触れようとしなかった国民騙しの選挙となった。③郵政公社の民営化で公務員26万人が削減できるは錯覚。郵便局は職員給与を自らの収入で払っていたから、税金は使っていなかった。④民営化すればサービスは良くなり料金は下がるは、大嘘であった。ニュージーランドでも民営化して効率化と利益優先で悪くなった前例があった。⑤海外で郵政が民営化が多くは大失敗で、米国の郵政事業は国営であることを国民に伝えようとしなかった。⑥分社化すれば効率が良くなるという点は、一体化して運営したからこそ、税金を使わないで、最高級のサービスが提供できていたのだ。⑦分社化は、かんぽ生命とゆうちょ銀行を外資がかいやすくするためだったが、テレビ新聞は効率的なように宣伝した。

米国が執拗に民営化を強行させようとしたのかは、財政構造を分析するとよくわかる。

米国債の発行総額のうち、51%は連邦財務省収入と中央銀行が保有しており、49%の4.1兆ドルが海外と民間の保有である。外国投資家が24.8%を保有しており、このうちの約40%にあたる八千億ドルを日本が持っている。残りの約60%の安定した投資家に持ってもらいたいと考え、民営化で、ゆうちょとかんぽの資金を米国のために活用するのが狙い。

さて、日本の国債・財投債の保有は、約20%をゆうちょとかんぽで持っている。社会保障基金が、13.4%であ李、政府等の保有が43.2%である。日銀は14.9%である。郵政公社は安定的に支えたのである。民営郵政から多額の資金が海外に流出すれば、財政そのものが破綻する。国債の書き換え新規発行の資金がふそくすることになるからである。国債価格が下落すれば長期金利上昇で住宅ローンの金利などは一挙に上がり、国債評価損が発生すれば、信用収縮が起きる。民間銀行も100兆円を超える国債を保有しているから、長期金利が1%上がるだけで6兆円の評価損が出る。自己資本が減額すれば貸し渋りが起きる。

そんな中で朝日新聞は、今なお郵政民営化を持ち上げている。12月8日の社説である。経済学者の菊池英博氏は、「朝日は国民の心を失っている。戦前は軍国主義を大々的に扇動し、国民を犠牲にした元凶だ。戦後は反省して弱者の見方のように振る舞い、成功した。しかし、小泉構造改革に賛成して、緊縮財政を推進して国民を苦しめた結果、多くの読者を失った」

民営化は罠で、現時点で株式売却を凍結して、国民のおカネを海外に出さないことだ

と結語している。

Fake Privatization 126

Photo また経済書の紹介になるが、平成経済20年史ー紺谷典子著が幻冬舎新書として出版された。お勧めしたい。価格も手ごろである。厚さはいつもの幻冬舎の新書の二倍ほどの厚さがあるが、平成のバブルの破裂から、今年の世界金融破たんに至る虚妄の20年を通史として読み解くことができる本である。日本が墜落するに至った最悪の歴史を丁寧に解き明かし、日本復活へ一縷の望みをつなぐ稀有な書と宣伝文句があるが、当を得ている。

帯は本の内容を的確に紹介しようとするが、

「改革」するたび、生活は悪化した。

●年金改革・・・保険料は値上がりし、年金は削減された●医療保険改革・・・医療は崩壊し、医療費の自己負担のみ増大●「官から民へ」・・行政は、国民への数々の責任を放棄●「中央から地方へ」・・地方は権限なきまま財政負担のみ増え困窮●郵政民営化・・簡易保険の市場を狙うアメリカのためにやった●金融改革・・・外資による日本の銀行潰し

とある。結語にはこうある。

「この20年、日本経済は傷み続けた、と思う。少なくとも日本経済の回復ではなかった。一時的な回復局面はなんどかあった。だが、立ち上がろうとしては叩きのめされ、また立ち上がろうとしては叩きのめされ、一体行くたび、それを繰り返しただろう。叩いたのは日銀であり、財務省であり、米国金融であった。彼らは自身の利益のために、日本経済を犠牲にしたのである。日本の戦後復活と高度成長を支え、経済安定と平和をもたらしてきた経済システムはすでに破壊されたのかもしれない。

この20年は、改革幻想にとらわれた20年でもあった。改革を裏で主導してきたのは、財務省である。「改革」と言われて来たものの多くが、財政支出の削減でしかなかったことを見ても、それは明らかだ。小泉改革の「官から民へ」は行政責任の放棄であり、「中央から地方へ」移行されたのは財政負担だけだった。「郵政民営化」は、保険市場への参入を目指す米国政府の要望である。小泉首相の持論と一致したのは、米国にとっては幸運でも、国民にとっては不運であった。改革のたびに日本人の生活が悪化してきたのは不思議なほどである。本来、改革は国民生活の改善を目指す物である。国民生活の悪化は、改革が国民のためのものではなかったことを示している。米国と財務省が主導する「改革」をやめれば、国民生活も、日本経済も良くなるはずである。」

Dreams from my father

Dreams_fo_my_father

オバマ次期米国大統領の自伝ーDreaams from My Father-邦訳はダイヤモンド社から出版されているーを読んだ。シカゴでの結婚披露宴の場面までの自伝である。政治家になるまでの、自分の出自を語る。自らの所属する共同体、その救済、そしてケニア人の父親とアメリカ人の母親から生まれた自らのルーツ、根源についての心の旅日記である。おそらく、政治家の回想録としては、例外的に感動を与える自叙伝である。そして、日本人として残念に思うのは、本書のように正直に自らを、しかも雄弁に語り、また、社会福祉活動の経験がある政治家が日本にいるのかと疑問に思うことである。

1995年に出版されている。オバマは、1961年にハワイのホノルルに生まれ、20代の青年時代は、シカゴの南部の貧困な地域で社会活動家としての活動を始めている。後にハーバード大学法学部に進学して、初めてのハーバード法律学評論の編集長になっている。卒業後にまたシカゴに戻り、1996年には、イリノイ州の議会の上院議員に当選している。2004年には、米国議会の上院議員に当選して、ワシントン入りを果たしている。1月20日には第44代の米国大統領に就任する予定である。

同書の裏表紙には、こう書いてある。

Before Barack Obama became a politicain he was, among other things, a writer. Dreams from My Father is his masterpiece: a refreshing, revealing portrait of a young man asking the big questions about identity and belongings.

The son of a black African father and a white American mother, Obama recounts an emotional odyssey. He retaraces the migration of his mother's family from Kansas to Hawaii, then to his childhood home in Indonesia. Finally he travels to Kenya, where he confronts the bitter truth of his father's life and at last reconciles his divided inheritance.

一読を奨める。

Fake Privatization 125

Photo

まず、日本の不動産の資産規模を国土交通省の推計で全体像を見てみると、不動産全体は約2300兆円規模で、そのうち法人所有の不動産が約490兆円である。面積にすれば、国土面積の約14%であるとされる。収益不動産と呼ばれる賃貸の事務所や賃貸の商業施設の規模は、約68兆円である。その中には証券化された不動産が約25兆円、リートと呼ばれる債権化された不動産が約5兆円であるとされる。この数字は、2007年の数字であり、市場原理主義のバブルが破裂する前の数字であるから、縮小したものと考えられるが、一応の目安としたい。そうした中で、民営化された郵政の不動産の簿価は、民営化のスタートの昨年の10月現在で、2兆7236億円規模である。土地がこのうち、1兆4076億円、建物などが、1兆3160億円規模である。いかに巨額の資産を保有しているかがわかる。

所有不動産としては、三菱地所の1兆4148億円に比べるとわずかに少ないが、三井や住友の財閥系不動産会社を上回り、旧国鉄のJR東海、JR東日本に比べると少ないが、NTTや、電力会社、その他の私鉄と比べても郵政の土地資産保有額ははるかに大きいものがある。

郵政民営化は、こうした巨額の土地保有をめがけて行われたのではないかという噂もあったが、今、それが現実となろうとしている。郵政の固定資産の回転率が「悪い」という口実の元に、売却がどんどん行われようとしている。はげたかファンドは、日本の土地をめがけて巨額の投機を行い、ゴルフ場が買い占められたり、ホテルやその他の観光施設などが、キャリートレードの典型として買い占められたりしたが、資産の効率運用が重要な経営施策として、民営郵政が進めているようである。新自由主義の典型的な手法で、資本コストとして不動産を対象として、歴史的に郵便、貯金、保険という郵政三事業で達成あるいは蓄積した資産を、意思決定主体である持ち株会社の意のままに、つまり、利益の還元を三事業に対して行うことをせずに、単に経営資源としての不動産の価値の増大を狙っている。わかりやすく言えば、元々の事業の資産であったものを切り離して、持ち株会社のいわば私物化を果たして、その利益を、国民に還元することをせずに、持ち株会社の株主や、一部の民間金融機関や不動産会社のの利益に一方的に還元しようとするものではないのか。

東京中央郵便局や大阪中央郵便局あるいは名古屋の中央郵便局跡地などの開発が続々と進めれているが、透明性を欠いているのではないだろうか。東京中央郵便局の再開発で立てられる高層ビルの入居者が内定したような話がまことしやかに伝えられ、また、社員の住宅跡地の再開発が、特定の不動産開発会社が進めるなどと報道されているが、その選定過程については不透明である。例えば、大阪中央郵便局の跡地には、東京で遊戯施設を経営する大手の会社が入るとか、外国のサーカスが進出するとか、言われているがいかなる経緯でそうした関係者が選定されているのであろうか。東京中央郵便局には、外国観光客の誘致関連の団体が入居するが、これには、郵政関係の役員であった、政府機関の現役幹部が関与しているなどとの噂もある。入居者や参加する事業者の選定過程がいかにも不明瞭であるが、特定の財閥系の不動産会社の社員が、民営郵政の担当部門に入り込み、しかも、開発する事業主がその不動産の関係子会社では、利益相反の問題があるのではないかとの疑いも生じる。遊休不動産のリスとなるものが市中に出回っているとも言われ、なんともきな臭い話も聞こえる現状である。地方都市にある遊休土地で、地元の関係企業の参加する余地がないとの話しも聞くが、地方の経済をどう考えているのだろうか,一顧する余裕もないのだろうか。

郵政民営化と称して、巨額の資産が私物化されて、元々の国民資産が国民に還元されない可能性がある。有形固定資産の回転率が悪いなどと言っているが、回転率がいい会社でろくな会社などありはしない。工場であれば、立派な敷地に立派な工場を建てるだけ、回転率は悪くなる。研究所が森の中に立地して、思索を凝らすだけの環境を整えるだけで、回転率は悪くなる。市場原理主義のお題目の拝金主義で、郵便局の施設の売却が進められるのは、実際にいかがなものだろうか。大きな問題で、体系的な分析がまだ行われていない。ちなみに、郵政の資産は、通常の予想に反して、都市部に資産価値のある土地などが多いのが特徴である。実に、価格では約4分の三が人口集中地域にあり、時価にすると、冒頭の簿価と比べて更に実際の額が増大する可能性がある。市場価値に見合った活用がなされていないという市場原理主義者の主張が見られるが、公共性があればこそ、市場価値に見合う活用がなされてこなかったのである。地方や、過疎地域に低利用の財産があるのは当然の事なのである。社宅の見直しなども行われ、跡地にデベロッパーとの共同事業が進められて得いるが、本当に正しい方向であるのか疑問が残る。社員の労働条件からして、持ち家を人口集中地域に購入できるほどの社員施策が出来るとは到底思えない現状の中である。不動産価値の高い地域に郵便局職員の社宅が配置されてきているのは、そうした現状の中で、コアの事業の安定性を図る目的があったからではないのか。単に福利厚生の問題ではなかったのではないだろうか。目黒区の東山に高層住宅がつくられて、郵便貯金の利用者のような一般の国民あるいは低所得者のための住宅が建つのか。小奇麗にして、塀をめぐらす富裕者向けの住宅が建つのでは、国民は納得しないものと思われる。

郵政民営化が元々、構造改革という虚妄の政治で強行されたものであり、巨額の国民資産が私物化されるのではないかとの懸念が拭い去れない。情報公開が強く求められるところであり、政治による規制が求められてしかるべきである。国会の質疑やマスコミなどの調査報道機関でも取り上げられて、民営郵政の不動産取引の実態ににメスが入れられ、元々の持ち主である国民の判断の材料となることを切に期待したい。

Out of focus

12月8日の朝日新聞は、改革阻む政治と経営陣という郵政民営化についての社説を掲載した。新自由主義の論理であり、そうした勢力の代弁にしかすぎない社説である。

政治の混迷と民営郵政の経営の失敗が複合危機であると書く。経営の失敗であると書いているのはなるほどその通りであるが、株式売却凍結法案が混迷の中心にあり、自民党が否決するのは当然のことだとしているのは、何か朝日新聞は政府与党のちょうちん持ちのような記事だ。麻生首相が一時、凍結したほうがいいと発言したことを非難して、自ら民営化を進める責任感が感じられないと非難しているが、むしろ制度的な欠陥がある郵政民営化を、当時の総務大臣を経験した麻生大臣が凍結したほうがいいと発言したことを評価すべきではないのか。小泉自民党の2005年の大勝を改革の原点として、これを見つめなおさなければならないなどと書くにいたっては、社説がある種の新自由主義の狂気を帯びているかのようである。あの大勝は議会制民主主義を踏みにじる暴挙であったことをまったく無視するかのようである。業務に専心すべき郵便局長が政治活動に力を入れるのを容認する結果となっていると非難するが、郵便局長の抵抗は正当なものであり、その民営化が政治活動を解禁したのではないのか。公共の奉仕者である公務員の時代にはおのずと制約があったことであり、新自由主義の経営者に対して、政治力を行使するのは当然のことではないのか。何か、全体主義の新聞社の社説のようである。経営の求心力を取り戻して政治力に妥協しないようにすることだと主張するが、元々郵政は国民の財産であってそれを私物化したところに問題があることを無視している。

民営郵政が11月末に予定していた中期経営計画の発表を、金融危機を理由に延期したことを、「これも政治の行方を定めるためだとすれば嘆かわしい」と書く。まったくの商店のボケた話だ。郵政民営化は元々虚妄の改悪で、経営計画をつくる見通しが立たなくなったのだ。「旧国鉄の民営化を見ても、改革を成功させるのは経営陣の決意である」などと突然精神主義を持ち出す。旧国鉄と比較されては全国の郵政関係者がかわいそうだ。経営破たんを起こしていた旧国鉄と、巨額の黒字でしかも税金の負担をまったく受けていないどころか、その国鉄の救済資金まで提供した郵便局とを比較されるのは、まったく不当な言いがかりとしか言いようがない。

郵政民営化の過程を通じて、朝日新聞は、その他のマスコミも同様であるとはいえ、特に民営化論をあおった。郵政民営化が、構造改悪の虚妄であることは、世界で市場原理主義が退潮に向かった今、まったくのピントはずれの社説である。朝日新聞社と関係の深いテレビ局が今なお、当時の民営化担当相である,誤った学説を流布する教授を画面に登場させているのも、ピントはずれである。いや、ピントはずれ以上に、市場原理主義の悪魔のささやきをよしとする主張を、新聞社グループで意図的に行っているようである。そんな新聞は、購読しないことがささやかな抵抗である。市場原理主義に反対するには、狂信的なマスコミに追従しないことが大事であり、読まないことも重要である。

国民資産の徴用があり、サービスの低下があり、国民経済を縮小させていることを検証しようとはしない。マスコミの劣化の典型的な社説である。

Destructive Postal Destruction 8

2005年に書かれた論文が、ネット上に残っている。予言的な分析である。

ご参考まで。http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/kawamiya-aoki-col001.html

Destructive Postal Privatization 7

念のために、ゆうちょ銀行の運用資産の内訳を、新聞報道から拾って、記録しておきたい。

本年9月末の約205兆円の内訳。①国債 76.10% ②預託金 7.40% ③社債 4% ④地方債 3.30% ⑤債権貸借取引支払い保証金 3.20% ⑥預金等 2.20% ⑦その他 3.70% である。

巨額の数字であるから、一パーセントで、2.05億円である。

関心は外国の証券会社などに痛く運用していた部分がどの程度の損失となっているかであるが、数字が見当たらない。当ブログの読者で、ご見識のある向きにはご教示をお願いする。

Destructive Posatal Privatization 6

ゆうちょ銀行は、民営化前に行われていた、いわゆる共用カード、クレジット会社と共同で発行して郵便貯金の引き落とすカードを廃止した。改悪である。大手のクレジット会社との共用カードは、数百万枚が発行されていたが、それが廃止になった。化粧品、石油、信販、飛行機、そのほかいろいろな業界のクレジットカードとの共用が行われていた、民営化後そうした利便性が廃止された。

しかも、尋常な取引ではない。数百万枚の新たな顧客を獲得することじたいが至難の業であるが、それを廃止するのは、経済を縮小させることであった。国民経済の信用を、郵貯共用カードの発行を廃止することで、結局は縮小させたのである。民間の取引にはありえないことである。ゆうちょ銀行が、一部の系列の銀行を優先するために?、強行したところから、業界には怨嗟の声が聞こえる。コンピュータの私用の変更から、顧客への変更通知に至るまで、一方的に、ゆうちょ銀行の優位な地位を利用して、共用カードの廃止が強行された。マスコミに報道されていないのも奇妙な話ではある。

もちろん、そうした廃止を強行した、民営化後のゆうちょ銀行にしてみれば、数百万の新カードの申し込みを期待しているものと考えられるが、百万枚の年度目標にして、9月末にはわずかに8.5万枚の数字となっているという。達成率はわずかに、8.5%である。国民経済の信用を収縮させ、一部の金融会社が民営化で一儲けしようとした構図の悪しきからくりである。系列のクレジット会社のみが儲かるようなゆうちょ銀行の新たなカード発行の胡散臭さを国民が嗅ぎ取ってしまったことが、成績が伸びない原因であるが、大きく利便性をも失ってしまった。

Destructive Postal Privatization 5

民営化後の郵政会社は、金融危機の中で、大きな影響を受けており、いわば難題に突き当たっており、元々無理な民営化を強行しただけに、ほぼ民営化は失敗したような状況にある。中間決算は、純利益が2224億円で、9月末の運用資産が、205兆円といわれるが、このうち、約76%を占める国債保有の運用益で利益を稼ぎ出しているに過ぎない。運用資金を官から民へと民営化の議論の中で、新自由主義の民営化論者は主張したが、そうしたじたいは一切起きていないどころか、国債を中心にして運用していたことが皮肉にも利益を出すこととなった。理屈の上でも、資金がショートしているのは、政府部門であるから、当然のことで、国民資産を海外のカジノのような投機的な市場に投入しようとした民営化じたいが不合理な制度設計であった。

郵便貯金は、廃止され、現在ゆうちょ銀行と称する部門が行っているのは、擬似の銀行業務であるが、新規事業はほぼ失敗である。スルガ銀行の代理店となって進めている住宅ローンの販売は、9月末で175億円である。これは年度目標の一割以下という。来年度は、代理店ではなく、ゆうちょ銀行が本体が、住宅ローンを開始する予定の由であるが、景気低迷の中で、民間部門を圧迫するだけのことになりかねない。

幸いにして、外債投資は手を出しかねているという。わずかに、数ヶ月前に、外資証券の調査部長や、民営化を推進した元閣僚などが、新聞やマスコミに、郵貯資金や、簡保資金の外国への投資を声高に推奨していたが、今想像するに、それが実行されておれば、惨状を呈しているところだった。外国企業の社債などの保有は、数兆円あると考えられるが、その成績はどうだろうか。情報公開が求められる。今回の金融危機での損失を発表すべきである。少なくとも不良資産化した額が発表されてしかるべきである。外債投資の部分については、特に民営化が外国政府の介入の元に行われただけに、国民に対してどのような失態にあるかを説明があってしかるべきである。

変額年金保険はまったくの販売不振である。アリコジャパンの商品などどのような扱いになっているのだろうか。親会社の米国の保険会社AIGは経営危機である。簡易保険の廃止を主張した会社の子会社の保険を販売代理店をするビジネスモデルが既に以上であるが、販売額は当然低迷しているものと思われる。民営化は、外国保険会社を利するための制度設計となっていたが、その目論見が破綻した。

簡保の宿についても、一括販売するなどとしていたが、先延ばしになったという。元々公共の宿を売却することについては、グリーンピア等の不良経営の主体と一緒にされて、しまっていたことが問題である。簡保の宿は、簡保の客の資産であり、それを他の不良経営の団体と同一視するところに問題があった。売却は、本質的には直ちに中止すべきものであり、国民経済上は、修理に踏み切る、立替を行うことなどの政策を採ることが正しい方針である。リゾート施設としてのユーリゾートなどを、数百億で建設したものをわずかに4億円で売却するなど、市場の取引としては、異常なことがママ見られる。そうした売却の敬意についても情報公開が求められる。適正な手続きは民主主義の基本であり、健全な資本主義の基本であるが、新自由主義の経済は、実は、投機経済で極めて不透明が取引が行われがちである。

世界的な経済危機の中で、郵政民営化じたいが改悪であり、根拠のない虚像であったことが明らかになりつつある。運用の多様化や新規業務の強化などが収益構造の転換とされているが、そうした転換を行うことじたいが不必要であった。株式の売却や上場じたいが一部の外国資本、あるいは買弁資本家による収奪の仕掛けであるから、その陰謀が明らかになりつつあるとしか考えられない。粉飾とまではいわなくとも厚化粧の経営を進め、社会政策の色彩の強い、郵便貯金と簡易保険を廃止して市場原理を追及した、西川社長以下経営陣の責任は重い。目論見と新自由主義の陰謀が破綻して今、辞任を検討すべきではないのか。

Takatoki 5

 講談師のことをて太平記読みというほどに、太平記は歴史をこの国日本の民衆が伝承するために使われた。北条高時は、鎌倉幕府を源氏から引き継いだ北条氏を結局滅亡させてしまうことになる。

徳を身につけ、仁政を行ってほしいものであるが、田楽におぼれ、実際には妖怪のからす天狗どもと酒宴をともにして酔いつぶれる北条高時は、歌舞伎を見事に描写している。文章にとどまらずに、美しい舞台となっているから、講談以上にわかりやすくなっている。

 要すれば、今現在の日本にもつながる演目となっている。エルビスプレスリーを踊る姿にも似ているし、ホテルのバーを徘徊するする姿にもつながるのかもしれない。また、諫言する臣下に欠く孤独な権力者の姿をも描写しているようである。からす天狗とは、現代で言えば、外国から拝金を説教する投資銀行のコンサルタントのようなものかもしれない。文章でうまく書くことが出来ないから、12月の歌舞伎座に昼の部のはじめの演目としてかかっている、一幕だけを観劇するのであれば、料金はわずかに600円である。始まりは11時であるが、切符は10時半からの売り出しとなり、並んで俟つ客の姿が見られた。歌舞伎座で、滅亡に向かう権力について、高時を見ながら思いをめぐらすことは、幕末、維新の時代の歌舞伎作家河竹黙阿弥と初演の九代目団十郎が、がきっと意図したことに違いない。劇場からの帰りがけに、外国人の観客がこれは日本の物語ではなく、欧米の話としても、現代的であると述べていた。印象に残るが、まずは、新自由主義が座礁する中で、日本の再興をどうすすめるか考えるためにも、「高時」、一見をお薦めする。

Takatoki 4

180pxyoshitoshitakatokitengu 「こうした事件が起きたが、相模入道高時は、化け物にも驚かず、益々変ったものを愛好し、国がすっかり衰えてしまうことなど日夜思うこともなく、あきれた行動が多い中でも、あるとき高時は、庭前で犬たちが噛みあっているのを見て興味をそそられ、闘犬を愛する気持ちが骨の髄まで染みてしまった。そこで諸国に課役して犬を探させた。ある所では国の税収や貢納物として集め、ある所では権勢のある家や家格の高い家に犬を探すよう脅して言いつけた。そこで、北条一族や大名たちは皆、十匹、二十匹とさかんに飼って、鎌倉へつれてきた。金銀をちりばめた綱で犬をつなぎ、魚肉を餌としたので、その費用は大変なものであった。犬を輿に乗せていく道を行く日には、先を急ぐ旅人も馬から下りて土下座し、農業に励む村人も、人夫に徴用されて犬の輿をかつぐのであった。このように犬を大事にしたので、肉に飽き、錦を着た犬が鎌倉中に満ちて、四、五千匹にも及んだ。月に十二度、犬合わせの日と決められたので、北条一門や外様の大名たちが、殿上に居並び、あるいは庭先で膝を折り,体をかがめて闘犬を見物した。時には、両陣に分けた犬たちを、一、二百匹ずつ放して戦わせたので、入り乱れ追いかけ合って、上になり下になりして、噛みあう声は天地を鳴動させた。この様子を見て、分別のない人は、「ああおもしろい。戦場で勝負を決めるのと同じだ」と感じ入り、逆に知恵ある人はこれを聞いて、「ああ不吉なことよ。まったく荒野で犬が死体の骨を争い食うのに似ている」と悲しんだ。見聞をたとえるとき、人によりいろいろ異なるものだが、これは皆人間の争いや死の前兆を示すもので、嘆かわしいことである。」

以上が、太平記の中で、時の執権、北条高時の、田楽狂いと犬狂いについて記述している部分である。(つづく)

Takatoki 3

太平記の記述が続きます。

「この頃、藤原氏のある家の儒者で、刑部少輔仲範という人がこの話しを聞き、「嘆かわしいことだ。「国家が乱れようとするときには、妖霊星という星が天から下って災いをなす」という言い伝えがある。とりわけ天王寺は仏法が最初に伝えれた霊場で、聖徳太子が日本国の未来記に記されている。よりによって、天王寺のよれぼしと歌ったのは、きっと南方から動乱が起こって、日本国が滅亡してしまうのだと思われる。ああ、国王は徳を身につけ、武家は仁政を行って、化け物を消す計略をめぐらせてほしいものだ」と言ったのだが、果たして思い知らされる世の中になってしまった。」(つづく)

Takatoki 2

太平記の巻第五に、関東田楽賞翫のこととある。

「またその頃、京都の町まででは田楽に興ずることが流行して、身分の高い人も低い人も皆これに熱中した。そのさまはまことに世にもまれな見ものであった。都や地方の口ずさみになったので、鎌倉でもこの噂を前々から聞いていて、新座・本座の田楽師たちを都から呼んで、毎日毎晩田楽に興じていた。熱中しすぎて、主だった北条一門や大名たちに田楽師を一人ずつアヅケテ、その舞装束を飾り立てさせたので、これは誰様の田楽師、あれはなにがし殿の田楽師などと呼んで、金銀・珠玉や綾・薄物で身を飾ることといったら、見て驚くばかりであった。宴席に出て一曲歌うと、高時をはじめとして見物の大名たちが、我劣らじと直垂や大口袴を脱いで投げ与えた。これを集めて積むと山のようになり、その費用は幾千万金とも知れないほどだった。

 ある夜酒宴があった時に、相模入道高時はかなりの酒を飲み、よいに浮かれて立ち、しばらくの間舞い続けた。それは、若者たちがする宴席を盛り上げるまいでもなく、また、戯言を節回し面白く見せる演技でもなかった。相模入道ただ一人が立って数時間舞いなさったので、それほど面白みがあるとも思われなかったのに、新座・本座の田楽氏たちがその座敷に並んで座り、それぞれがはやし立てた。彼らは拍子を取り替えて、「天王寺のや、よれぼしを見たいものだ」などと歌っていた。ある侍女がこの歌声を聞いて、あまりの重石ラサにふすまの破れから中の様子を覗くと、新座・本座の田楽氏たちと見えたのは、一人として人の姿ではなく、妖怪の類の鳶が山伏姿で現れたようであった。この侍女はびっくりして、使いの人を走らせ、城入道安達時顕に告げ知らせた。知らせを聞いて、城入道が太刀だけを手に、中門を足音荒く入ってきたその音を聞くと、妖怪たちはかき消すようにうせてしまった。高時入道は前後不覚に酔いつぶれ、横になっておられた。城入道が灯火を手にしてこの酒宴の座敷を見てみると、たしかに天狗が集まっていたものらしく、踏み汚した畳の上に、鳥獣の足跡が多くついていた。城入道は、しばらくの間虚空をにらんで立っていたが、目に映るものは何もなかった。相模入道は酔いから醒めても、ぼんやりとしていて、全く覚えがなかった。(つづく)

Takatoki

Pc140042 歌舞伎座で、新歌舞伎18番の内、高時を見てきた。高時は軍記物語の太平記に、北条高時が闘犬や田楽舞に凝ったことや、烏天狗に酔ってたぶらかされた話が書いてあるが、それを題材にして、明治十七年に市川団十郎によって初演された。河竹黙阿弥の作である。

あらすじは、鎌倉時代の末に、北条の館の門前に、浪人安達三郎の母が孫の泰松を連れてやってきたところに高時の愛犬雲竜に近づき、母の足に雲竜が噛み付く。安達三郎は人に噛み付いた悪犬を退治してしまう。高時の家来の長崎次郎が駆けつけ、母と孫を人質にして、三郎を絡め捕ってします。これが、北条家門前の場である。

幕がかわり、北条家奥殿の場となる。高時が愛妾の衣笠とともに酒宴を行い、そこに長崎次郎が現れて、愛犬雲量を安達三郎が打ち殺したと言上したところ、即座に三郎を死刑に城と命ずる。高時の沙汰を、大仏陸奥守が止めに入り、獣類に代えて人名を奪うのは天童ではないと諫言するが、云う事を聞かない。更に、秋田城の助入道が加わり、浪人の死刑を思いとどまるように諫言する。説得の仕方がおもしろい。北条家の二代執権義時の命日であるから縁起が悪いと説得して、ようやく高時は、思いとどまる。

高時の趣味は田楽で、酒宴のために田楽法師を呼び寄せているが、突然風が吹き起こり、館の明かりが消えてしまう。明かりを愛妾の衣笠などが取りにいき、その間に、からす天狗が出現する。高時の目には田楽の法師にしか見えないようだ。烏天狗たちは、高時をなぶりものにしてしまい、高時は酔いつぶれてします。天王寺の妖霊星を見ざるかと詠いはやし騒いでいる野を、見て、秋田入道や衣笠が、太刀になぎなたで、妖怪を追い払う。高時も気を取り戻すが、無念の面持ちで虚空をにらみつけるが、高時をあざわらうからす天狗の声が中空にこだまするばかりである。(つづく)

Shock Doctrine 4

Shock Doctrine 3

Shock Doctrine 2

Shock Doctrine 1

Food Supply

食は、文化であり伝統である。しかし、その変化あるいは破壊が、意図的に行われることもある。沖縄でポークと言えば、デンマーク製の豚肉ハムの缶詰のことだし、昆布の消費量が日本一なのは、薩摩藩の間接支配のなごりで、米軍統治時代のハム缶詰と大差はない。チャンプルーと言えば、マレーの影響で、混ぜ合わせることだ。南方の海洋民の交流の証だ。バブルで驕りを極めた頃に、描写をはばかる「すし娘」登場の反日映画もあったが、江戸前は世界に定着した。板前風コックが包丁裁きの演技で、ステーキをさいころに刻んで繁盛した。昨今では、六本木の摩天楼では、ワインは飲めるが焼酎も日本酒もご法度の租界が現出し、一方、ニューヨークの地下室では、邦人駐在員が純米酒で憂さをはらす。食の流行が微妙に多様化することは、生活が豊になる証左でもあるが、しかし、一方で国家戦略の結果であれば、支配と従属の関係となって、怖い話になる。
今春、日本人一人当たりの摂取量が、肉類が魚介類をうわまわったという異常が報告された。一日あたり、魚介が80.2グラムで、その差0.2グラムながら、民族の歴史上初めて肉類の摂取量が上回ったとの厚生省発表である。米も食べなくなった。戦前の日本人は一年に135キロの米を食べたと言うが、食糧難時代に100キロを割り、オリンピックの頃から急カーブで消費量は落ち込んできた。米を作りすぎたから余ったのではなく、食べなくなったから余ったのである。その変化の原因は、外国の食糧外交に日本が敗北したことにある。    ララ物資と呼ばれた脱脂粉乳のダンボールが学校に積み上げられ、無理やり飲んだまずさの記憶であるが、昭和29年の学校給食法で、無償供与の小麦の粉に慣れるために、パン給食が全国に拡大された。東北岩手の貧困で、給食代が払えない生徒のことで、毎日新聞盛岡支局の前野記者(故人)が「すずらん給食物語」を書いた。当時の佐藤総理が涙を流して、一躍ベストセラーになった。給食実施は義務ではなかったから、貧しい時代の悲しい物語だ。
アメリカ政府は、組織的に小麦輸出の対日進出を行った。メリケン粉を普及させるために、キッチンカーという特別車両を作り、全国を回らせ大うけした。外国資金を使って行われたにもかかわらず、日本食生活協会と言う厚生省所管の財団法人が、お先棒を担いだが、出所不明のプロパガンダが最も効果を発揮したことは言うまでもない。農林省は全国食生活改善協会を通して、製パン技術者の育成をすすめ、技術指導や経営セミナーを大々的に開催している。一大宣伝事業を外国から請け負っただけではなく、招待外交にも応じている。悠長な話ではあるが、なんと一ヶ月の訪米期間もあった。製粉業界の訪米も年中行事となり、マスコミをつかっての米攻撃もあった。朝日新聞などは、うどんやパンの粉食を奨励して、極端なところでは、米を食べると脚気・高血圧、奇病短命になると脅した。慶応大学医学部の生理学教授などは、米を食べると頭が悪くなる、美容に悪いとまで主張した。学校給食連合会は、パン給食が始まって「いたち」のように腹が出っ張った子供がいなくなった、めでたしとの宣伝映画「いたちっ子」まで作った。外国関係者は手を下すことなく、日本側の官僚、学者や業界の経営者、財団法人や連合会が手先となった。宣伝映画にも外国団体の製作資金提供とは書いていない。米の豊作でお蔵入りとなったが、小麦の粗引き80%とイモでんぷん20%を米粒もどきに固めた、商品名「アラー」と言う粒食を売り込んだこともある。昭和46年に、日本政府は、稲作で初めて減反休耕を強行した。米飯が学校給食に加わるのは、昭和51年になってからである。
肉の話では、アメリカ農務省が日本の農家に対して畜産技術指導で、招待外交を昭和三十年から開始している。ガラス瓶に入った牛乳を滋養の素として、家族で分け合って飲んだ。大量飼育で安い肉の生産が可能になったが、その飼料は自給できていない。ハンバーガ屋が上陸したのが、昭和46年で、子供相手に景品付の販売促進で、肉の味を覚えさせた。魚の骨がのどに骨が引っかかっても、米飯を食べればよいとの生活の知恵は消えた。学校で魚のさばき方は未だに教えていない。ジャンクフードを食べ続ければ、命は確かに短くなる。牛肉自由化は、昭和52年に実現した。最近のBSE騒ぎで隣国では暴動があったが、我が政府の対応は毒入り餃子ですらおとなしい。不景気で、豚丼が加わったが、牛丼屋は何事もなかったかのように盛況を取り戻している。毒入り餃子や農薬漬け野菜や、汚染米にしても、農産物や食品の輸入依存を野放しにしたのは、農政、厚生行政の誤りだったのではないのか。外国は自分たちの国益を追求しているのだ。自立・自尊を追及すべき官僚や議会の選良がはなから迎合してしまっては、日本の国益を失うことを先断するようなものだ。
現在、改革と称して、1000万人移民計画、農地の売買自由化(農業委員会の廃止、農地リート、農地の増税)、参議院議席をドント方式で配分(地方各種議員の半減)、地方自治体の資産評価、会計基準の外国基準への収斂、企業統治の分解、なんと40歳定年、小学校一年からの英語、薬広告の自由化、喫煙者課徴金、新聞再販の廃止、金融記者承認制、英語能力を公務員昇格基準化、地方出先機関の統廃合、新事業投資損失の税控除、等々の日本の破壊策を具体案とする外国関係者が横行している。破壊策のお先棒を担ぐ日本側の人士・団体が相も変わらずの仕掛けで、郵政民営化などの新自由主義的破壊工作の外国崇拝者が、官界に政界に、経済界やマスコミ界に残存している。干渉を調整するロビースト規制すらない野放しには、立ちくらみすら覚える。
しかし、自失してはならない。ご神前に米と魚とそして野菜をお供えして、救国勢力の結束を求め、国の安寧を四方の神々に、祈願申し上げる以外に道はない。

Fake Privatization 124

構造改革が単に壮大な改悪であったことが、経済破壊で証明されたが、その後遺症をどう解決していくかに話題の焦点が定まりつつある。週刊朝日の12月12日号には、そうした解決策について評論家などの意見が掲載されている。雨宮処凛氏(作家)は、すべての派遣会社をつぶし都市のスラム化を防げと主張し、堀川直人(国際金融アナリスト)は、グリーンカード創設して頭脳集めて金融立国に、作家の江上剛氏(作家)は、ペイオフの全面停止で国民の不安を解消せよ等と、いろいろな主張が行われている。

その中で、菊池英博氏(経済アナリスト、金融財政研究所所長、36年生まれ、燈台教養学部卒業後、旧東京銀行入行。著書に実感なき景気回復に潜む金融恐慌の罠などがある。)が、医療関連に五兆円支出を、郵政公社復活で事足りると主張しているのは、郵政民営化が失敗に帰した現在、説得力がある。

「日本経済は10円間も財政デフレ状態が続き、「平成経済恐慌」寸前まで来ているが、それを食い止めるためいには、医療関連に五兆円を支出して、経済成長につなげる必要がある。その財源が、郵政民営化された会社を元の公社に戻せばすぐ調達できる、「事足ります」と菊池氏は主張している。正鵠をついた主張である。郵政民営化は、人を騙したことに問題の本質があり、根拠のない改革論で化粧をこさえられた改悪であった。

「小泉元首相は、民営化で官から民へとカネの流れを変えれば経済は活性化するといっていたが、これは大間違いで、民間が化ね余りでデフレの時には公的支出が不可欠である。民営化後の約200兆円の資産が、海外の投資に向かうと考えられているが、それを阻止するためにも、元の公社に戻し、株式売却を停止して、約350兆円を日本の国民のために使えばいい。」と主張する。

更に重要な指摘は、メガバンクの弱体化についてのコメントで、「現在の三大目がバンク体制では競争が制限され、金融システムをかつてないほど弱体化させている。一行で不良債権が発生すれば救済するところが2行しかないことになる。東京集中で、バランスの取れた地域成長の障害となっている、銀行を地域ごとに分社化して、ついで独立した銀行にすることで、5ないし6行の数が望ましいのではないか。企業から見るとリスクをとってくれる銀行が増えることにもなる。」と述べている。小泉竹中政策で、銀行の数を絞ろうとしたのも、きっと背後には外国の陰謀があるに違いない。

Fake Privatization 123

◇郵政民営化推進派会合の出席者リスト

 9日開かれた自民党の「郵政民営化を堅持し推進する集い」の出席者は以下の通り(敬称略、丸数字は当選回数、参院議員は町村派のみ)。
 【町村派】伊藤公介(9)、中川秀直(9)、衛藤征士郎(8)、坂本剛二(6)、杉浦正健(6)、細田博之(6)、安倍晋三(5)、小野晋也(5)、小池百合子(5)、木村太郎(4)、高木毅(3)、中野正志(3)、松島みどり(3)、柴山昌彦(2)、中山泰秀(2)、並木正芳(2)、早川忠孝(2)、大塚拓(1)、越智隆雄(1)、関芳弘(1)、松本文明(1)(以上衆院)
 世耕弘成(3)、山本一太(3)、中村博彦(1)、中川雅治(1)(以上参院)
 【津島派】笹川堯(7)、茂木敏充(5)、桜田義孝(4)、棚橋泰文(4)、加藤勝信(2)、木原稔(1)、渡嘉敷奈緒美(1)
 【古賀派】今井宏(4)、塩崎恭久(4)、菅義偉(4)、西野陽(4)、木原誠二(1)
 【山崎派】石原伸晃(6)、木村勉(3)、山際大志郎(2)、上野賢一郎(1)、平将明(1)、広津素子(1)
 【伊吹派】山本朋広(1)
 【麻生派】中馬弘毅(9)、鈴木馨祐(1)
 【無所属】小泉純一郎(12)、水野賢一(4)、秋葉賢也(2)、菅原一秀(2)、飯島夕雁(1)、石原宏高(1)、猪口邦子(1)、小野次郎(1)、片山さつき(1)、近藤三津枝(1)、佐藤ゆかり(1)、田中良生(1)、土屋正忠(1)、藤田幹雄(1)、牧原秀樹(1)、安井潤一郎(1)、山内康一(1)

市場原理主義が世界で崩壊した中で、なお、郵政民営化を進めようとする時代錯誤の政治集団が出来たことは驚くべき話である。カルト的な要素もあるのかもしれない。こうした新自由主義者は、災害を奇禍として、政策を迅速に行動しようとする傾向があるので、社会混乱は却って有利に使おうとする。今の未曾有の危機の中で、こうした新自由主義の破壊を許容してはならない。しかし、こうした、集団が水面上に顔を現すのはまだ、日本が地からが残っている証拠かもしれない。民営化論の背後には、外国の利権の影響もあるので(郵政民営化と日米構造協議の関係など)、上記のリストから、外国の影響について推論することも必要である。

Lese Majeste

タイの本質を示すような写真である。ロンドンエコノミストの中の写真である。タクシン元首相には、逆賊、の表現があり、デモ隊は国王陛下の写真を掲げている。4908ld2 本質を突いている。市場原理主義は、タイでも退潮に向かった。拝金の世界は要約にして沈静化してきたようだ。日本ではまだまだ、上げ潮はなる、外国の手先、あるいはネオコンの追従者が残存しているのかもしれないが。

Disaster Capitalism

インドのテロ対応能力の脆弱性が指摘されている。インド経済が大きく伸張した中でインドの実は治安能力は劣化していたのではないかとの分析である。インド情報機関の中で、テロ対策の担当官は数百人という小規模で、警察といえば、汚職がはびこる原因になる低い給料(初任給は、約6000円相当)で、防弾チョッキなどの装備不足に加えて、訓練不足であるという。テロリストの武器が、AK-47のライフル銃であったから、マスケット銃では使い物になる筈もない。沿岸の警備能力も手薄で、7000キロの海岸があるが、実動できる船は百隻に満たないという。インドの特殊部隊の定員は7400人であるが、ムンバイ到着は首都デリーの近郊から発信したため到着が遅れ、ホテル内部の図面も入手できていなかったとの失態で、国民をテロから守るための政策の立ち遅れを批判する反政府デモが相次いでいる。国内の失敗を外国にそらすという意味での、インドとパキスタンとの対立の激化も懸念される。ニューオリンズを襲ったハリケーン・カトリーナの大災害の時にも露呈したことであるが、市場原理主義の下では、経済的な繁栄の中であっても、災害対応能力が不足しがちである。インド洋の大地震の時にも、復興対策よりも、リゾート開発が優先されるという由々しき事態も発生した。災害発生の危機をカネ儲けの機会と捉えてしまう危険な発想であるが、新自由主義が退潮に向かった今、日本の国内では、もう一度、こうした危機管理能力の向上を具体的に図ることが重要である。役人叩きではなく、私益の最大化ばかりではなく、どうしたら公の能力、国家の統治能力を向上させることが出来るのか、政治家改革を含めた、日本の国体にふさわしい公務員改革が論じられてしかるべきである。

New World Order

日本の政治も、与党が精密な世論調査をして、選挙に大敗を喫する蓋然性が高いから解散をしないというのは、おかしな理由である。政党による政治の私物化である。総理大臣にそもそも解散権があるのかないのかと言う憲法上の問題があるが、それにしても、解散権が明文上内閣にあることは、はっきりしているわけであるから、閣僚の中から、全く異議の出ないのも不思議な話である。野党から、内閣不信任案が出ないのも不思議な話である。野党の中で、政策の詰めが今から期待される。政権交代があってからでは遅いのである。連立を予定する野党の中で意見がまとまらないというのであれば、政界再編は必須となる。郵政民営化法案が参議院で否決されて、当時の首相が衆議院を解散するために、当時の農水大臣を罷免して強行した前例もあるのだから、議会制民主主義の本義に忠実であろうとする閣僚は、誰もいないのか。構造改悪を微妙に克服しようとする動きも見えるが、変化のスピードが遅く悠長に過ぎる。年末を越して一層情勢は悪化する。むしろ、残存するネオコン勢力に利する時間を与えてしまう。国籍法の改悪などは、間隙につけ入る日本を破壊しようとする新自由主義の陰謀がまかり通っている好例である。政治経済が縮小して混乱するのは、拝金主義の望むところである。市場原理主義に対抗するには、郵便局を郵便、貯金、保険の三事業いったいの郵政公社に戻し、その他の民営化を見直し、タクシー、医療、その他の規制緩和を停止して、金融の規制を強化して、公共政策予算の大幅な増加に踏み切り、官から民へ、中央から地方へ、大かな政府から小さな政府へという、根拠のない呪文を早期にやめることが急がれる。100年の経済破綻を経験しつつある外国の新大統領は、市場原理主義を捨てて、大規模な公共事業に着手しようとしている。国民が結束して、希望を取り戻すために、解散を含め、政策転換の早期の断行が待たれる。もし、自滅した新自由主義の破壊を日本で継続するというのであれば、断固抵抗して、用意周到に安定した、救国政権を登場させなければならない。

Izumo Shrine

出雲大社では平成の大遷宮が始まっている。奥出雲町は、出雲空港から、大社とは逆方向の、斐伊川上流にあり、広島県と境を接する山間の町である。松本清張の小説砂の器の舞台となった町である。旧仁多町と旧横田町が合併をして三年前に組成されている。町長は、旧仁多町長の岩田一郎氏である。「所得のないところに定住はない」との考えで、一貫して自立・自尊を追及して、「町を経営」してきた稀有の自治体の長である。
仁多米は、ブランド米として全国に知れわたった。山間地の棚田を猪の害から守るために大事に囲う。全国の休耕田という、農民から見放された田はない。有機肥料を使用して、密な生産管理を行う。仁多米の貯蔵庫は籾のままの定温管理で、注もキロ当たり200円は高い。生産農家の手取りも高くなる好循環である。仁多米の販売は、町営の会社で行う。町長自らが社長で都会に販売促進に出かける。椎茸の生産・販売も行っている。原菌は、大企業から購入していたが、今では自ら菌床の栽培も手がけている。集荷・選別し、市場に空輸する。軽いから飛行機利用でも採算に合う。椎茸をはじめた頃は、人口流出が続いていて、町外からも椎茸生産農家を募集した。うたい文句は、七百万円の収入を目指すと言うもので、100世帯を超える応募があり、その内13世帯が参加した。新しい町民の子供達が、二十歳を超える年齢になった。地元の人は優しく「定住さん」と呼んで、町の風景に溶け込ませた。椎茸会社の子会社をつくって、舞茸の栽培にも挑戦を始めた。奥出雲振興という町営の会社では、玉峰山荘の経営をしている。亀嵩温泉という鉱泉に大型の宿泊施設を建設して順調な経営である。サービス向上に徹底している。奥出雲振興には酒造部門もある。美味の仁多米を使って相乗効果を出し、大吟醸の酒を、完全自動の醸造設備で生産する。道の駅も二箇所経営している。奥出雲振興の会社は年間2千万円を町に納入するという黒字の経営振りである。下水道も完備させた。町営のバスは、本数は少ないものの、町内均一料金を断行して、民間バス会社が路線を撤退させる中で、採算にのせた。旧仁多町では、いち早くケーブルテレビを導入して、町が直接経営を行っている。第三セクターで経営せずに、冷厳に採算比較を行っての町の直接経営で、岩田方式と役場職員がよぶ真骨頂である。町立病院もある。町のライフラインとして積立金を活用しながらの経営で、漫然と垂れ流しするような経営ではない。町営の火葬場の隣の、葬儀会館も町立である。平成の大合併の中で、旧仁多町の経営状況と比べると、一方の旧横田町の状況は、財政的には困窮の状況にあったから、下水道やケーブルテレビなどのインフラの整備が遅れ、合併後は両地域の平準化が課題である。奥出雲町は、町内全戸に光ファイバーを引き込んだ全国初の設備を完成させている。まもなく、テレビ電話の導入が行われ、年間1000万円の事業費にとどめながら、地域全体をひとつの家族のように、元気な高齢者を増やしていくという目標とする斬新な事業を開始している。椎茸栽培が、農産新技術を導入して企業化を図ったと同様に、情報通信の最先端技術に着捨てられた国営の農地開発の惨状を克服するために、高糖度のトマト栽培技術を持つ
会社も誘致している。中央政府の失敗を、災いを転じて福となす意気込みで、再活性化のために町が取り組んでいる様は圧巻である。
さて、岩田町長は、町の経営にとどまらず、全国森林環境税を創設するという提言を行っている。全国の森林の整備が進まないのは、森林整備費が、国50%、県20%、山林所有者30%の負担率となっており、山林所有者等がその負担分を拠出できないからであると主張する。財政が厳しい県では、枝打ちなどをやめており、間伐でも森林組合が積立金を取り崩して山林所有者の肩代わりをしているのが実態である。森林環境税によって、全国の森林整備が進めば、炭酸ガス削減の京都議定書の削減目標6%のうち,3.8%を山林が吸収することが出来るとする主張で、産業界でこの部分の排出を抑制するとなると、かえって約18兆円に相当するGDPを削減することになると試算している。それは、雇用者所得を5兆円減少させ、100万人の雇用を減少させるともいう。森林整備に必要とする費用は、年間約7500億円を試算している。森林環境税を導入して財源確保を行い、例えば、若者が山漁村に帰って、一定の給与が確保されるまで雇用者に対して助成するなど、所得の底上げを行い、その結果、森林整備や漁場従事者の定住を促進して、これが少子対策にもなると主張する。離職して都会に戻らざるをえない現状である。都市と地方との格差が、竹中・小泉政治で顕著になる中で、(奥出雲町だけで見ると、森林関係交付税の額は、平成19年から、配分割合が面積を25%、人口を75%としたところから逆に一億円の減少となっている改悪である。)従来の課税客体を、水道水、工業用水、発電用水を、課税客体とする主張を修正して、森林環境税の課税客体に、化石燃料を加えることも提唱している。ガソリン税が一般財源化される機会を捉えて、森林環境を維持するための財源の代替できるとする主張である。
郵政などの民営化、規制緩和、公共支出の削減と一連の国家破壊を行った新自由主義の跋扈を食い止めるためにも、奥出雲からの提言を実現させたいものである。読者諸兄に、日本の再建を祈願するためにも、遷宮の大社から、山間の奥出雲町に旅程を伸ばして、現代の共同体の営為と努力の実例を体感してはいかがかと、お願いする。

Food Supply

食は、文化であり伝統である。しかし、その変化あるいは破壊が、意図的に行われることもある。沖縄でポークと言えば、デンマーク製の豚肉ハムの缶詰のことだし、昆布の消費量が日本一なのは、薩摩藩の間接支配のなごりで、米軍統治時代のハム缶詰と大差はない。チャンプルーと言えば、マレーの影響で、混ぜ合わせることだ。南方の海洋民の交流の証だ。バブルで驕りを極めた頃に、描写をはばかる「すし娘」登場の反日映画もあったが、江戸前は世界に定着した。板前風コックが包丁裁きの演技で、ステーキをさいころに刻んで繁盛した。昨今では、六本木の摩天楼では、ワインは飲めるが焼酎も日本酒もご法度の租界が現出し、一方、ニューヨークの地下室では、邦人駐在員が純米酒で憂さをはらす。食の流行が微妙に多様化することは、生活が豊になる証左でもあるが、しかし、一方で国家戦略の結果であれば、支配と従属の関係となって、怖い話になる。
今春、日本人一人当たりの摂取量が、肉類が魚介類をうわまわったという異常が報告された。一日あたり、魚介が80.2グラムで、その差0.2グラムながら、民族の歴史上初めて肉類の摂取量が上回ったとの厚生省発表である。米も食べなくなった。戦前の日本人は一年に135キロの米を食べたと言うが、食糧難時代に100キロを割り、オリンピックの頃から急カーブで消費量は落ち込んできた。米を作りすぎたから余ったのではなく、食べなくなったから余ったのである。その変化の原因は、外国の食糧外交に日本が敗北したことにある。    ララ物資と呼ばれた脱脂粉乳のダンボールが学校に積み上げられ、無理やり飲んだまずさの記憶であるが、昭和29年の学校給食法で、無償供与の小麦の粉に慣れるために、パン給食が全国に拡大された。東北岩手の貧困で、給食代が払えない生徒のことで、毎日新聞盛岡支局の前野記者(故人)が「すずらん給食物語」を書いた。当時の佐藤総理が涙を流して、一躍ベストセラーになった。給食実施は義務ではなかったから、貧しい時代の悲しい物語だ。
アメリカ政府は、組織的に小麦輸出の対日進出を行った。メリケン粉を普及させるために、キッチンカーという特別車両を作り、全国を回らせ大うけした。外国資金を使って行われたにもかかわらず、日本食生活協会と言う厚生省所管の財団法人が、お先棒を担いだが、出所不明のプロパガンダが最も効果を発揮したことは言うまでもない。農林省は全国食生活改善協会を通して、製パン技術者の育成をすすめ、技術指導や経営セミナーを大々的に開催している。一大宣伝事業を外国から請け負っただけではなく、招待外交にも応じている。悠長な話ではあるが、なんと一ヶ月の訪米期間もあった。製粉業界の訪米も年中行事となり、マスコミをつかっての米攻撃もあった。朝日新聞などは、うどんやパンの粉食を奨励して、極端なところでは、米を食べると脚気・高血圧、奇病短命になると脅した。慶応大学医学部の生理学教授などは、米を食べると頭が悪くなる、美容に悪いとまで主張した。学校給食連合会は、パン給食が始まって「いたち」のように腹が出っ張った子供がいなくなった、めでたしとの宣伝映画「いたちっ子」まで作った。外国関係者は手を下すことなく、日本側の官僚、学者や業界の経営者、財団法人や連合会が手先となった。宣伝映画にも外国団体の製作資金提供とは書いていない。米の豊作でお蔵入りとなったが、小麦の粗引き80%とイモでんぷん20%を米粒もどきに固めた、商品名「アラー」と言う粒食を売り込んだこともある。昭和46年に、日本政府は、稲作で初めて減反休耕を強行した。米飯が学校給食に加わるのは、昭和51年になってからである。
肉の話では、アメリカ農務省が日本の農家に対して畜産技術指導で、招待外交を昭和三十年から開始している。ガラス瓶に入った牛乳を滋養の素として、家族で分け合って飲んだ。大量飼育で安い肉の生産が可能になったが、その飼料は自給できていない。ハンバーガ屋が上陸したのが、昭和46年で、子供相手に景品付の販売促進で、肉の味を覚えさせた。魚の骨がのどに骨が引っかかっても、米飯を食べればよいとの生活の知恵は消えた。学校で魚のさばき方は未だに教えていない。ジャンクフードを食べ続ければ、命は確かに短くなる。牛肉自由化は、昭和52年に実現した。最近のBSE騒ぎで隣国では暴動があったが、我が政府の対応は毒入り餃子ですらおとなしい。不景気で、豚丼が加わったが、牛丼屋は何事もなかったかのように盛況を取り戻している。毒入り餃子や農薬漬け野菜や、汚染米にしても、農産物や食品の輸入依存を野放しにしたのは、農政、厚生行政の誤りだったのではないのか。外国は自分たちの国益を追求しているのだ。自立・自尊を追及すべき官僚や議会の選良がはなから迎合してしまっては、日本の国益を失うことを先断するようなものだ。
現在、改革と称して、1000万人移民計画、農地の売買自由化(農業委員会の廃止、農地リート、農地の増税)、参議院議席をドント方式で配分(地方各種議員の半減)、地方自治体の資産評価、会計基準の外国基準への収斂、企業統治の分解、なんと40歳定年、小学校一年からの英語、薬広告の自由化、喫煙者課徴金、新聞再販の廃止、金融記者承認制、英語能力を公務員昇格基準化、地方出先機関の統廃合、新事業投資損失の税控除、等々の日本の破壊策を具体案とする外国関係者が横行している。破壊策のお先棒を担ぐ日本側の人士・団体が相も変わらずの仕掛けで、郵政民営化などの新自由主義的破壊工作の外国崇拝者が、官界に政界に、経済界やマスコミ界に残存している。干渉を調整するロビースト規制すらない野放しには、立ちくらみすら覚える。
しかし、自失してはならない。ご神前に米と魚とそして野菜をお供えして、救国勢力の結束を求め、国の安寧を四方の神々に、祈願申し上げる以外に道はない。

Collapse

一流大学の卒業生が先を争うようにして外資企業に就職する。安月給の公務員が馬鹿馬鹿しいとされ、愛情もカネで変えると豪語する、だらしない服装の一攫千金のあんちゃんが、時めく政治屋の兄弟ともてはやされた。パソコンをアタッシェケースに入れて、舶来のブランドの背広を着て闊歩して、酒に涙もため息も経験したことのない連中が、国を牛耳ろうとした。億ションに住んでいても本当は不安な毎日だったとも思い、セレブと呼ばれても、詐欺師まがいの綱渡りであるから、足を洗いたい向きもあったに違いないと同情もするが、田舎に残した父母が、まじめに仕送りをして学校を出そうと都会に出したのに、なんとも浮ついた遊楽に過ぎた。外国の胴元に踊らされたのではないのか。リーマンブラザースは、日露戦争でカネを貸してくれたから、それなりに頼りにする向きもあったのに、あっけなく潰えた。カネはあっても、教養も歴史の素養もなく、ひき肉入りのパンとコーヒーを立ち飲みするばかりで本当はうまい長命の食品も食べなかったのではないのか。信仰心もないから、寺社仏閣を寄進した話も聞かず、せいぜいねずみ講まがいか、カルトまがいの内外の胴元を礼賛するような話ばかりがはびこった。

たった数週間前のことなのに。白昼夢を見ていたのか、真面目さが決定的に欠けていた。
市場原理主義の政治経済が間違っていると主張することにくたびれ果てたが、グリーンスパンですら、金融界が自らを律することが出来るとしたことは間違っていたと認めた。規制緩和と民営化と、そして公共政策の削減が全くのいかさま手品であったことが明らかになった。今回の破綻は、土地転がしのバブルの崩壊ではなく、金融工学と言う砂上の楼閣を作り上げる数学が崩壊したから、よっぽど深刻である。外国では大統領すら変える動きだ。政治屋は、民営化だ、構造改革だ、痛みに耐えろと、叫んでおればよかったし、政党本部では、ライオン髪形のひも付き人形の携帯電話グッズが飛ぶように売れたかもしれないが、そんなことではもう誰も納得はしない。混乱の中でも、日本経済のファンダメンタルズが強いというのは、実態の経済を自立自尊の文化と伝統を真剣に考えて、モノづくりの創意工夫と熟練が大切と主張して濡れ衣で投獄された政治家がいて、大和心を説いて最終破壊を何とか免れたからなのではないのか。
ノーベル経済学賞などもあわててクルーグマン教授に与えられた。経済学賞は、もともとの遺言にあったものではなくスウェーデンの中央銀行の定めた後付の賞であるが、市場原理主義の教祖のミルトン・フリードマンに与えたり、情報通信政策で一世を風靡したが欧州の携帯電話事業の利益を徴用しようとした(欧州での投機に失敗して兆円単位の損失を出した企業もあったが、幸いにして国全体はその陰謀から免れて、通信基盤を維持することとなった。)オークションの経済理論に与えるという間違いもあった。新自由主義の経済学者が破壊工作に関与して、中南米をはじめ世界中で跋扈したが、ようやくにして終わった。グローバリゼーションの功罪を追求した、世界銀行元副総裁のスティグリッツ教授が受章していたから、軌道修正が図られてはいたとはいえ、クルーグマン教授でようやく正道に戻った。ノーベル賞も浮ついていた。物理学は自然の法則の解明であるが、経済学は情報の非対称性があって、神の導く手が見えないものらしい。
さてさて、時は満ちたが、シェイクスピアのジュリアスシーザーの上げ潮を引用した連中は、洗岩か暗岩か知らぬが、勝手に座礁した。潮もかないぬ漕ぎ出でなは、月読み尊の権威の世界のことで、ローマ帝国統領の権力の託宣を信じることではないことがはっきりした。
貯金をすることが悪いことで、投資が大事と、外国では貧乏人も家を買わされた。カネを借りても住宅が値上がりして、株が上がり続けると信じたが、破裂した。郵政民営化で私物化した国民資産の虎の子を外国の投資資金にしたほうがいいという元大臣学者のご託宣があったのが、つい二ヶ月前のことで、本当に危ないところだった。金融政策をしていれば大丈夫で、財政政策など無用の長物で、政府予算を削減さえしておけばいいという主張も全くの嘘であった。国民の財布の紐が固くなれば,消費が落ち込み、経済は低迷するが、そこは金融政策で、利子を引き下げ、景気を刺激する。日本の場合には、海外持ち出しを奨励して海外バブルの生成に一役買った還流資金で、ここしばらくは円高基調になって、一部の輸出企業は困り果てるが、もともとの資源小国であるから、それを使って国民を豊にして、国力を増進させることが必要だ。金融安定を目指すといっても、一儲けしようとした連中の責任を不問にしてはならない。流動性の罠に陥ってしまうのであれば、財政政策を発動することが肝要だ。2兆円を家計にばら撒いても、総生産を押し上げることにはならないが、金券を貰っても格差社会になってしまった大多数の家計は貯めこんでしまう可能性が高いからだ。ましてや、一部が上納金で巻き上げられたりしては政治が乱れ、汚れるだけの話である。
必要なことは、市場原理主義の三つのお題目の規制緩和、民営化、公共投資の削減という根幹を停止することだ。官から民へ、中央から地方へ、大きな政府から小さな政府のお題目も捨て去ることだ。新自由主義は破綻したのだ。タクシーその他の規制緩和を廃止、郵政民営化の私物化をやめて、郵便局ネットワークをちゃんと公営化して国民の手に奉還すべきだ。港湾や基礎インフラの新しい公共の投資に踏み切るべきだ。研究開発もある、教育投資でもいい、東京湾に白砂青松の海岸を造ってもいい、高速道路も無料でよい、国軍の近代化でも良い。自立自尊の政治で対応することが必要で、一部の学者や資本家で構成する諮問会議にたよってはならない。外国追従もいらない。政治宣伝で、国民を誤った方向に洗脳するようなマスコミの行動も厳に慎むべきだ。

Destructive Posatal Privatization 4

■JR民営化ではローカル線の切り捨てがありました。郵政民営化では地方の郵便局がなくなるとの懸念があります。

明らかに東京と地方では差が出ている。鹿児島県も郵便配達は遅れが出ており、既にユニバーサルサービスはほころんでいる。鹿児島県内でも鹿児島市と大隅半島ではサービスに違いがある。このままでは、益々地方は切り捨てになるだろう。屋久島でホテルを経営しているが、光ファイバーはもちろんADSLさえない。高速インターネットを希望するには、専用線を何十万円と原って引くしかない。デジタルデバイドだ。民間会社になれば株主のために利益を上げなければいけないと、公的な神明は薄くなる。さらに性質が悪いのはJR、NTTも宋だが、国民の資産だった駅などの跡地に、東京の大手不動産会社と組んで建物を建てる。郵便局会社も既にマンションを建設することが決まっている。何でもありだ。元々これらの資産は国のもの。こうした資産を使って地元資本や地方のビジネスを駆逐することが果たして正当なのか。民営化という錦の御旗を掲げて単に中央の巨大資本が、結託して地方に攻め込んでいるとしか思えない。地方から富を吸い上げている。小泉構造改革の虚構がここにある。

■企業は地域社会に貢献する役割があります。特に大企業の責任は重いです。

市場原理、規制緩和によって不公正競争や独禁法違反などは増えてきた。しかし、規制緩和を進めた者はこうした弊害には無頓着だ。「あるべき姿に戻さなければならない」と考えないのは当然だろうが、どうすれば弊害を最小限にとどめられるかということすら問題意識がない。市場原理主義者の無責任さには憤りを通り越して、悲しくすらなる。民営化のきれいごとの論理は東京の学者などが作っているのだろうが、現実にはこんな実態があり、泣き寝入りしている事業者も多い。既成事実化したら腹水本に帰らずだと思うが、公正な社会があってこそ、競争原理が生きる。地方の声も中央に届きにくいし、特定の企業の競争力維持のために、地王が高いコストを負担させられている構図もある。東京からすべてをコントロールする。そして、上がった利益で東京の一等地に何十階かのオフィスビルなどを建てて、またしこたま稼ごうというだけだ。郵政は日本中に郵便や庶民の郵貯・かんぽを提供する会社だったが、それが今、どんな会社になっているのか。地方や弱者の切り捨て、不合理な契約の押し付けが横行している。民営化といっても、真のえくぃティーホルダー(株主)は国民だ。その視点がすべて抜けている。本当のエクィティーホルダーの目線で経営が行われていないことを痛感する。(おわり)

以上、鹿児島市に本社のある岩崎産業社長のインタビュー記事であるが、こうした記事が、いかなる理由か、地方紙にも掲載されないことは不思議である。ポストからの郵便の取り集めが、突然入札になり、これに応札がなかったなどとの事実は、地元の鹿児島でも知られていない、郵政民営化の虚妄の実態なのではないだろうか。優れた論調である。郵政民営化が完全に失敗したことを如実に語っている。

Destructive Postal Privatization 3

非効率な郵政事業の分割という見出しが加わって、同紙の岩崎産業、岩崎芳太郎氏のインタビューは続く。

■郵政事業は民営化と同時に分社化され、効率的な運営が非常に難しくなっています。

四分割して成り立つのは、マーケットボリュームがある都会だけだ。宿泊業にはホテル型と旅館型がある。ホテルは料を追求することによって役割分担をして効率を上げる方法。ドアマンやフロント、客室、レス足らんと役割を分担しているところは、ある程度のボリュームがないと生産性が上がらない。旅館型は、いらっしゃいませといって、帳場で受け付け、部屋になんないするのも料理を出すのも仲居さんで、幾つかの業務を一人で行う。寮が少ないときは、そのほうがパーフォーマンスが良い。分割された郵政事業は、ムチャクチャになっていて、元に戻すしか解決の方法は内容に思うが、もう手遅れかもしれない。地方では郵政事業を一つの郵便局で一体として行ってきたから、何とか持ちこたえていた。それを分割してサービスが成り立つわけがない。少なくとも地方では、郵政事業を三つに分け、さらに郵便局を別会社にしてしまっては、そこまでのマンパワーはないし採算が取れないのは明らか。事業インフラは共通にしておくほうが採算性が良いのは当然で、民営化の一つの目的である効率化に逆行しているとしか思えない。

■民営化は小泉構造改革の本丸として推し進められました。行き過ぎた規制緩和で大きな格差が社会に生じています。

小泉構造改革による規制緩和、民営化というのはやってはいけないことだった。破壊だと思う。社会システムはどこまでが必要なのかは極めて難しい問題だが基本的な規範や倫理を持たない者がやってしまった。このレベルまではサービスを行うというシビル・ミニマム(最低限の生活保障)とユニバーサルサービス(全国どこでも均一に受けられるサービス)、これを意識しないで規制緩和を行った。規制緩和や民営化も国民が国富という利益を売るための手段でしかないはずだ。しかし、いつのまにか規制緩和自体が目的化された。郵便でも先進国の中では国が責任を負うべき部分は残している。ニュージーランドは宋威信したが、大失敗した例となっている。高速道路やNTT,JRにせよ、地方から見ると成功とは言えない。東京の人のみが利便が上がっただけで、切り捨てられて困っている地方はたくさんある。テレビのニュースキャスターやマスコミが、偉そうにコメントするが、東京に住んでいるシビル・ミニマムであるならそうかも知れないが、地方からすれば何が要らない道路なのだという思いがある。(つづく)

Destructive Postal Privatization 2

規制緩和 地域インフラに打撃の見だしをつけて、同紙は岩崎社長のインタビュー記事を掲載する。

■郵便輸送事業を受託されています。郵政民営化では不合理な規約を押し付けられるなど、大きない影響を受けたと聞いています。

特定郵便局もはじめは個人受託だったように、昭和三年に祖父が郵便輸送事業を個人で受託した。郵便への思いいれもあり、法人化は日本でも最も遅かった。国のためにということで、誇りをもって行ってきた。平成15年に郵政公社になる直前に、運送委託料の値下げを一方的に三回も通告してきた。社会的責任もあり、弊社側の契約会社を変更して、郵政公社と契約した。三年後民営化を目前に、更に値下げを要求され、契約も同年の九月までにしたいと言われた。民営化になり、初年度花何が何でも目標どおりの黒字決算にしたいと云う事もあったのだろう。皿に鹿児島市内のポスト集配も受託していたが、突然入札になった。非常に憤慨し応札しなかった。集配車をそろえている会社はなく、他の応札もなかった。鹿児島県では郵便物の集配が出来なくなるので、とりあえずいずれも一年後との契約をとお願いされ引き受けてはいる。契約相手は日本郵政である。特定局長の人たちに支えられてきたように、郵便も百年以上かかって整備された社会システムだ。だから、民営会社の身勝手な値下げを要求されても、多くの受託者は社会システムに組み込まれているがゆえに、その要求を呑まざるを得ない状況にある。

■郵便輸送は来年に日本郵便逓送や長距離輸送会社などを中心に一本化、日本郵便の100%子会社になる予定です。

日本郵便は、郵便輸送の主なファミリー会社を「日本郵便輸送会社」として一本化、100%子会社にして、そこから輸送業務を下請けに出そうとしている。都市圏や感染といったマーケットの厚いところでは、100%子会社が随意契約で事業を行い、ここでの利益は独占、利益の薄い地方は下請けを叩いてやらせようとしている。日本郵便輸送と契約をしろと言われているが、なぜ100%子会社の孫会社にならないといけないのか理解できない。日本郵政本体もしくは日本郵便としか契約はしない。日本郵便輸送の下につくことに、危機感を持っていない運送会社が多いが、これは大きな間違い。日本郵便輸送がピンはねをするほうに気を遣っているが、子会社の下に入れられたら、後はやられ放題だ。永久的な保障はなく、本体に何かあれば下請けに必ず影響が出てくる。日本郵便輸送の業績の開示も不透明。本来的には日本郵便輸送が上げた利益は、利用者に還元すべきだが、この仕組みではどの程度の利益が上がっているかも見えなくなってしまう。日本郵便は国の関与が残るが、100%子会社を絡めることによって、下請けをいじめ利益を独占することが可能になる。(つづく)

Destructive Postal Privatization

郵政民営化が地方企業をいかに圧迫しているか。鹿児島県で郵便輸送に長く携わってきた岩崎産業株式会社(本社、鹿児島市)、岩崎芳太郎社長が、通信文化新報11月17日号においてインタビューに応じている。

「岩崎産業は、鹿児島県を中心にバスや船舶、運送事業をはじめ、ホテル、ゴルフ場、レストラン、木材販売など、交通・観光分野を中心に幅広くビジネスを展開している「いわさきグループ」の中核企業。岩崎社長は「郵政や道路公団が民営化で野に放たれ、民間企業のマーケットを食い尽くしている。地方には壊してはならないもの、そのまま置いておかなければ、その地域が成り立たなくなるような財やサービスの供給がある。行き過ぎた競争や規制緩和によって、それらが大きな影響を受けている」と指摘する。「中央の独占資本がアライアンスを強めて、地元の資本を圧迫する構図」に、長く地域で事業を行ってきた企業が悲鳴を上げている。「地方企業は厳しい状況におかれ、貸しはがしも横行」、金融機関から融資が受けられるのは「ファンドかパチンコ産業のようなところばかり。なるべき人を雇わずに、現ナマだけを稼ぎまくる、キャッシュフロー・リッチな会社ばかりを優遇する」と、現状に警告を鳴らす。「社会経済システムをゆがめ、地域のインフラ事業に打撃を与えた」構造改革による民営化や規制緩和。これらを推進したのは中央集権的な官僚国家体制。「真の地方自治の確立,chihou主権の確立」が求められるが、「国家マネジメント」が不在」。「統治の目的は一人ひとりの国民の幸せの追求であって、経済的には国富の最大化を目指すべきだ」とし、それには「多様な受容的価値観で、ローカルの異なる文化を認め合い、相手の価値観もコミュニティに取り入れることによって、自ら高めることが重要」と強調する。(つづく)

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