構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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Thailand 12月5日は、タイの国王陛下の81歳の誕生日である。若くして国王に即位され、62年を閲する英明の君主である。バンコク国際空港は、奇しくもこの日を期して、11月25日にデモ隊が占拠して機能を停止してから10日ぶりに再開された。いかにもタイらしく、デモ隊の空港占拠で足止めされた観光客に対して、政府は1日2000バーツ(約5400円)を支給するという。デモ隊の動員費が1日300バーツであるから、足止めをくった35万人の外国人観光客に対する異例の厚遇である。炊き出しをしてデモ隊が観光客にふるまってもいる。憲法裁判所が政府与党の解散を命じて、同時に首相の5年間の公民権停止を命じたことで、タクシン元首相を追放したクーデタの後にタクシン派が政権を維持するとして就任していたサマク政権に続いて、ソムチャイ政権も崩壊した。デモ隊は、バンコクの知識階層を中心とする市民民主化同盟が中心であるが、その怒りは、汚職の罪で二年間の懲役判決を受けて国外に逃亡しているタクシン元首相に向けられている。タクシン元首相は、北部のチェンマイを地元とする華僑の財閥で、大成功した携帯電話会社の株を外国勢力に売却したばかりか、脱税をしたとして、軍のクーデタで政権を失った。イギリスのマンチェスターのサッカーチームを所有するほどの大富豪であるから、ロンドンに亡命を求めていたが、英国政府はビザの発給をしないと声明しており、現在は中国に滞在している。仏教国であるタイでは、喜捨することをタンブン、托鉢をタクバーツというから、不文律は、利益を独り占めしないということである。外国帰りの、市場原理主義の洗礼を受けたかのような、華人経営者、政治家のエリートには、古臭いものに見えたのかもしれないが、政敵を追い出し、外国に資産を売り払い、しかも税金を払わないという、タイの文化と伝統に反する行動が怨嗟の的となった。日本で、カネを儲けて何が悪いと居直った役人上がりの若手のファンド投資家の言動にも通じる話である。それでは、脱税などの汚職があったにしても、タクシン政権が農村部で人気が依然として残っているのは皮肉な現象で、その理由が問われてしかるべきであるが、これも、小泉政権登場の時に見られたように、地方やフリーターなど、新自由主義で被害を受ける側が、劇場型政治のプロパガンダで、支持をした現象と同一であるとすればわかりやすい。郵政民営化の時には、政府広報までが、「知能指数の低い」主婦層を標的にしたことと同様であり、最近では、2兆円のばら撒きが経済効果が殆どないことがわかっていても、撤回されることもなく、利益誘導が行われるのと同様である。

 タイの空港占拠のデモ隊が黄色の服を身に着けていたが、これは王室の色である。国王陛下は、反政府デモや、空港占拠について特段の評論を行っていないが、タイの内外では、タクシンが、国体の基本である国王の権威を貶めたのではないか、共和制を意図したのではないかとの話がある。レーゼ・セマジェステは、重罪である。国王妃殿下は、警察と衝突してデモ隊から死者がでた際の葬儀を司式され、それ以来警察のデモ隊取り締まりも消極的になったと言われる。ネパールでも王政の廃止があり、毛沢東派の政権奪取があり、チベットの弾圧のように、ダライラマの亡命政権との交渉決裂があり、北京政府が共産主義ならぬ米中経済同盟とも言うべき市場原理主義化を強める中で、考えさせる話である。ちなみに、中国の国内の雲南省あたりには数百万人のタイ族人口があり、タイ政府は、電波が長距離で伝播しやすい夜間に 大電力のラジオ放送を続けてきている。南東アジアでは、最も同化に成功した華僑社会とされるバンコックであるが、近年の新自由主義はそうした問題にも火をつけて紛争を拡大しようとしている。幸いにして、タイの軍は完全な国軍として機能している。タクシン追放のクーデタの時の司令官は、タイのイスラム教徒の名望家の出身の軍人であったことを記憶にとどめたい。日本でも小泉・竹中政治がはなやかなりし時に、有楽町の外国特派員協会の記者会見で、亀井静香代議士の選挙区に刺客として立候補した今を時めく若手経営者が、外国の大統領制を引用して共和制を称揚した事件があり、それを大マスコミは全く報道しなかったことも記憶に新しい。

 国王陛下は、2日の国軍パレードには出席されたが、4日の誕生日前夜の仏教儀式には、休養を理由に欠席されている。この儀式で国王陛下は国民に訓話を行うのを恒例にしていたが取りやめになり、新首相を選出する特別国会の開会も延期されている。そうした中で、同日、各国大使がタイ外務省を訪れ、国際的な信頼を回復するため空港の警備強化と再発防止を求めながら、空港占拠は極めて不適切な手段だったと遺憾の意を表明する声明を発表している。この外交使節の中に日本も含まれているようであるが、デモ隊の抗議の権利の尊重と内政不干渉の原則を前提とすべきは当然としても、西欧列強の、特に世界的に見えないあやつり糸で繋がったネオコンや新自由主義の追従に加担してならない。

 ソンマイさんという日本留学経験者で慶応大学出身の方が、80年代の初めにタイ政府の大蔵大臣に就任したことがある。タイ経済はいつでも成長できる潜在能力があるが、余り成長すると、国内に歪が生じて格差が拡大して、かえって政治的な不安定を招く恐れがあると指摘していた。タイの東北部はイサーンと呼ばれる貧困地帯であって、まだタイ共産党の動きがみられ、貧困撲滅計画を立てて、政府をあげて力を入れていたころの話だ。その後、教訓を忘れて、通貨危機があり、国際通貨基金の介入があり、バンコックの市内には高層ビルが林立したが、逆に政治は不安定化したのではないだろうか。市内には高速鉄道が開通し、高速道路が張り巡らされ、地下鉄が開通したが、その分、屋台や露天の数も増えたようだ。国民に対する所得の分配は、仏教国としての文化と伝統にささえられているから、過激な貧困とはならなくとも、豊な自然環境の下での農業生産のおかげで、飢餓がないという僥倖に支えられていただけのことかもしれない。タイに進駐した日本軍の元軍属から聞いた話しであるが、タイでは米の飯を食べ残して捨てることに驚いたという。日本では食料不足で、芋が主食となっていた時代のことである。

タクシン元首相が建設を進めた空港を占拠するという象徴的な手法があり、その混乱が収束に向かう中で、王室の権威と権力との分離という叡智の下に、もともと備わっている天才的な綱渡りのような平衡感覚が加わって、新政権が用意周到に登場することになろう。

 さて、9月15日のリーマンブラザーズの破綻から、世界の潮目が変わった。上げ潮は実は引き潮で、市場原理主義は、自ら暗礁に乗り上げた。しかし、新自由主義の世界が終焉を見たことがはっきりしても、問題解決の世界的な枠組み作りは遅々としており、またネオコンの残存勢力もまだまだ暗躍して、混乱が引き続いて発生する。インドのムンバイでの大規模なテロは、こうした間隙を突いて発生している。ニューヨークタイムス氏の記者、トマス・フリードマン氏は、平たくなった世界、というベストセラーの中でムンバイの経済的な成功を誉めそやしているが、むしろテロの標的となった。カナダのラルストン・ソウル氏の、グローバリズムの崩壊という本も同じ頃にベストセラーとなり、世界の空港の本屋の店頭に積まれたが、残念ながら、日本では、フリードマンの主張が翻訳されるばかりの偏向すら生じた。市場原理主義は、政治宣伝・広告とも密着して異論を排除した。

インドのテロ対応能力の脆弱性が指摘されている。インド経済が大きく伸張した中でインドの実は治安能力は劣化していたのではないかとの分析である。インド情報機関の中で、テロ対策の担当官は数百人という小規模で、警察といえば、汚職がはびこる原因になる低い給料(初任給は、約6000円相当)で、防弾チョッキなどの装備不足に加えて、訓練不足であるという。テロリストの武器が、AK-47のライフル銃であったから、マスケット銃では使い物になる筈もない。沿岸の警備能力も手薄で、7000キロの海岸があるが、実動できる船は百隻に満たないという。インドの特殊部隊の定員は7400人であるが、ムンバイ到着は首都デリーの近郊から発信したため到着が遅れ、ホテル内部の図面も入手できていなかったとの失態で、国民をテロから守るための政策の立ち遅れを批判する反政府デモが相次いでいる。国内の失敗を外国にそらすという意味での、インドとパキスタンとの対立の激化も懸念される。ニューオリンズを襲ったハリケーン・カトリーナの大災害の時にも露呈したことであるが、市場原理主義の下では、経済的な繁栄の中であっても、災害対応能力が不足しがちである。インド洋の大地震の時にも、復興対策よりも、リゾート開発が優先されるという由々しき事態も発生した。災害発生の危機をカネ儲けの機会と捉えてしまう危険な発想であるが、新自由主義が退潮に向かった今、日本の国内では、もう一度、こうした危機管理能力の向上を具体的に図ることが重要である。役人叩きではなく、私益の最大化ばかりではなく、どうしたら公の能力、国家の統治能力を向上させることが出来るのか、政治家改革を含めた、日本の国体にふさわしい公務員改革が論じられてしかるべきである。

日本の政治も、与党が精密な世論調査をして、選挙に大敗を喫する蓋然性が高いから解散をしないというのは、おかしな理由である。政党による政治の私物化である。総理大臣にそもそも解散権があるのかないのかと言う憲法上の問題があるが、それにしても、解散権が明文上内閣にあることは、はっきりしているわけであるから、閣僚の中から、全く異議の出ないのも不思議な話である。野党から、内閣不信任案が出ないのも不思議な話である。野党の中で、政策の詰めが今から期待される。政権交代があってからでは遅いのである。連立を予定する野党の中で意見がまとまらないというのであれば、政界再編は必須となる。郵政民営化法案が参議院で否決されて、当時の首相が衆議院を解散するために、当時の農水大臣を罷免して強行した前例もあるのだから、議会制民主主義の本義に忠実であろうとする閣僚は、誰もいないのか。構造改悪を微妙に克服しようとする動きも見えるが、変化のスピードが遅く悠長に過ぎる。年末を越して一層情勢は悪化する。むしろ、残存するネオコン勢力に利する時間を与えてしまう。国籍法の改悪などは、間隙につけ入る日本を破壊しようとする新自由主義の陰謀がまかり通っている好例である。政治経済が縮小して混乱するのは、拝金主義の望むところである。市場原理主義に対抗するには、郵便局を郵便、貯金、保険の三事業いったいの郵政公社に戻し、その他の民営化を見直し、タクシー、医療、その他の規制緩和を停止して、金融の規制を強化して、公共政策予算の大幅な増加に踏み切り、官から民へ、中央から地方へ、大かな政府から小さな政府へという、根拠のない呪文を早期にやめることが急がれる。100年の経済破綻を経験しつつある外国の新大統領は、市場原理主義を捨てて、大規模な公共事業に着手しようとしている。国民が結束して、希望を取り戻すために、解散を含め、政策転換の早期の断行が待たれる。もし、自滅した新自由主義の破壊を日本で継続するというのであれば、断固抵抗して、用意周到に安定した、救国政権を登場させなければならない。タイの情勢と同様の国難である。

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