構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

« Creativity | トップページ | Market Failure 2 »

Market Failure

米国から世界に広がった金融危機は、経済活動に対する政府の関与の仕方を根本から変更することを求めている。日米の金融危機の一因には監督や規制の甘さがある。金融優先で、日銀の現役の総裁が投機資金に手を出すという不祥事も見られた、しかもなお現在そうした面々が政府の諮問開銀などに参加しており、政府の役割が本来の役割に立ち戻ることが期待されている。資本主義の活力を生かすには国の介入が少ないほうがいいと信じられていたが、実は野放しにしただけであった。日本は規制が多すぎるとの意見であったが、それも虚妄であった。

サッチャー・レーガンの時代の米英の経済政策が、規制緩和を、民営化をと喧伝されたが実は、金融危機を招く原因を作っただけであった。金融当局は、市場を信頼できる市場にしようと努力したが、実際には予算が削減され、人員が削減され、また、幹部の中には市場に、信頼できない市場にオモネル主張をして、市場原理主義に取り込まれていった。所得も蓄えもない人にまで住宅ローンを貸した。証券化して売った。証券化の金融工学がもてはやされて、詐欺まがいのことをする会社に、一流大学の卒業生が争って就職した。それを称揚したのはマスコミで、金融危機の再来を防止するためには、特に日本のマスコミの国民による監視の強化が必要となってきた。日本の場合、新聞が寡占の状況にあり、特に地方新聞は、共同通信社の配信記事を下地にして記事を作成している場合が多く、経済記事は特に市場原理主義の影響を強く受けてきた。例えば郵政民営化などは、地方紙には中央の情報が掲載されるばかりで, 地方の意見はほとんど中央に伝えられることはなかった。

三十年代のケインズ政策が完全に復活した。ショックドクトリンの破滅的なミルトンフリードマンの政策が捨てられた。ケインズ政策は、財政を悪化させる傾向があることは事実であるが、国民の安全と福祉が大切であれば、雇用や景気を優先させることは当然であり、冷血の市場原理主義に変わって、大胆な財政活用に踏み切ることは政治の要諦である。

空港や港湾の整備といった公共事業、環境対策車や太陽電池などの新しい開発、教育や社会福祉政策の充実は、新自由主義の政策ではまったくないがしろにされてきたことであるが、要約にして、取り上げられることになる。象徴的であるが、ブッシュ政権は一貫して環境問題に不熱心であった。隣国の中国なども、京都議定書には参加せず、開発途上国との言い訳で、公害の垂れ流しに近い現状にある。東シナ海が、ごみの海と化している。

雇用では、派遣労働が蔓延したが、これも新自由主義の政策の結果だ。派遣労働法の廃止または改定が強く求められる。社会の雇用体系の中に、意図的に格差を作り出す物で、日本の企業文化とはほど通り代物であったが、人間の労働をコスト要素だけと判断する企業からは受け入れられたが、日本の伝統や文化、ものづくりを却って破壊するシステムとなった。当面の失業救済策ばかりではなく、根本的な労働供給のシステムが、誤ったことを修正すべきである。日本には、奴隷制の労働の文化は一切残存していない。外国では未だに日給や、週給の国があるが、そうした制度を取り入れるべきではなく、西欧の優れたところに絞って見習うことが必要であるが、最近は、外国の搾取的な制度の側面に着目した制度改正が行われてきたことは嘆かわしいことであった。

米国では、自動車会社の救済が行われているが、それは誰を救済しているのかとの疑問が付きまとう。市場原理主義を救済するのであれば的外れであるから、要注意である。WTOなどもそろそろ見直したほうがいい。バランスの中で自由な貿易が行われることは重要であるが、野放図な、支配と従属の交易のシステムは新たな植民地主義の到来をスラ思わせるものであった。農産物の市場開放も、一つの超大国の保護された農業の産物を世界に広める仕掛けと思われても仕方がないものであった。(つづく)

|

« Creativity | トップページ | Market Failure 2 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/209267/43644657

この記事へのトラックバック一覧です: Market Failure:

« Creativity | トップページ | Market Failure 2 »