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Kuroshio 1

九州から台湾に連なる島々を南西諸島と呼んでいる。今年は薩摩藩が琉球侵攻に乗り出してから四〇〇年目にあたる。琉球侵攻の結果、与論島までの奄美は、激しく抵抗したが空しく薩摩の直轄地となった。薩摩の実質的な支配の下で、支那の帝国との朝貢関係を続ける王朝は温存され、奄美は沖縄島以南の宮古、八重山などとも切り離された。奄美の島々は明治維新の後も、鹿児島県に帰属することとなる。
 大東亜戦争の後も沖縄が米軍占領下にあり続ける中で、昭和二八年に本土復帰を果たし、奄美と沖縄などの南部琉球とは、三度切り離された。奄美の本土復帰運動は、日本人の民族自決の民族運動で、異民族支配に対する抵抗であったことは疑いの余地がない。

 天皇皇后両陛下をお迎えして、平成一五年一一月一六日に「奄美群島日本復帰五〇周年記念式典」が、鹿児島県の主催で名瀬市(当時)で開催されている。
 そのときの、「奄美大島訪問」と題された御製。
  復帰より五十年(いそとせ)経るを祝いたる   式典に響く島唄の声
 皇后陛下の御歌(みうた)には、「日本復帰を迎えし奄美にて」という御題がある。

  紫の横雲なびき群島に  新しき朝(あした)今しあけゆく
 式典にご臨席になった翌日早朝に、奄美北部の土盛海岸にお出ましになり、日の出をご覧になったその折の御歌である。

  ちょうどその式典当日の記憶だが、米国のラムズフェルド国防長官が沖縄を訪れ、当時の稲嶺沖縄県知事は接遇のために、那覇に留まらざるをえず、式典に参列できなかった。奄美と沖縄との象徴的な再会は復帰五〇年にしても成らなかった。沖縄の復帰式典では、式辞を内閣総理大臣と沖縄県知事が読み、三権の長が出席、内閣が主導する式次第であったが、奄美の式典には、総理大臣(当時の小泉純一郎総理)や外務大臣の姿もなかったし、ましてや、駐日米大使も国防長官随行を優先しただろうから、そんなことはお構いなしに、自国代表がいないことを心配する日本研究の米国人がいたにせよ、参列者は些事にこだわる必要がなかった。文字通りに、紫の横雲がたなびいて、「御言葉」に式場全体が憚ることなく感涙にむせんだ。
 琉球弧の島々と日本全土の地図とを同じ縮尺にすると、日本列島の半分の長さがあるという事実は重要である。復帰運動も、奄美から密航を果たした、為山道則氏(故人)が宮崎市で開始している。市内には奄美に縁のある人々が今も居住している波島地区がある。奄美の祖国復帰運動は、鹿児島県当局からは冷たく遇されたようであるが、それは薩摩と奄美の微妙な軋轢が原因であったことは、通婚も儘ならぬような当時からすれば、容易に想像できることである。大東亜戦争中の疎開も、奄美人はどちらかというと薩摩より日向の方が好みで、東京と阪神の大都会は別にして、都城や宮崎、遠くは大分に疎開している。
 日本語圏には大和方言と琉球方言の二大体系しかない。大和方言が枝葉に分かれて、東北と九州の方言が相互になかなか通じないように、琉球方言でも奄美と沖縄ではゆっくり話すと何とかお互い理解できても、宮古や与那国になると異語かと思うほどの違いで、むしろ台湾の原住民や、近場の花蓮はもとより、もっと遠くの南洋の島々との関係を想像させる。
 琉球弧の島々は黒潮の流れで南側に切り取られた亜熱帯にある。海中から隆起した珊瑚礁の島もあり、地球上で最も古い古生代の地層で成り立っている島もある。沖縄本島などは、南部が珊瑚礁の石灰岩で、北部が古生代で、ヤンバルクイナの飛べない鳥がいて、奄美には耳の短い黒ウサギや、猛毒のハブが生息している。西表島にはイリオモテヤマネコがいる。伊江島の塔頭は、古い溶岩の塔である。先帝陛下が、尖閣諸島には蘇鉄があるかとご下問になったとの話も知られている。黒潮は台湾と与那国の間の海峡を北に抜け、東支那海で東進する。八重山・宮古・久米の北方を抜けて奄美の西方を流れ、トカラの島の近辺で二股に分かれる。一方の大きな流れは太平洋に抜けて、もう一方は朝鮮半島へ向かい、済州島の岸を洗って対馬海峡を渡り、日本海に入る。蔚山近郊
には椿の島もある。九州から紀州にかけては、檳榔の島が所々にある。日向の青島などは有名だ。伊良湖の浜で椰子の実を拾うことは、珍しいことではない。
 黒潮はさながら海中の大河であって、輸送船が機関を絞っても高速で走れる。帆船の時代なら尚更で、ペリー提督が江戸湾に入る前に琉米和親条約を結んだのも、西表島の石炭だけではなく、洋上の道としての黒潮に着目したからであろう。沖縄の領事館は今なお奄美を含めた琉球を管轄対象にしている。
 黒潮の反流は、南へも流れる。南北大東の祖先は八丈からの入植が大半であるから洋上往来は確かで、伊豆七島の高倉は奄美の高床式倉庫とまったく同じ建築である。黒潮の洗う浜辺には必ず神宮の森がある。神々の往来も、また確かなのである。 (つづく)

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コメント

kuroshioの話は感動をもって読みました。
なかなか、こういう視点は語られることが少ない。続編に期待します。

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