Kuroshio 2
黒潮はトカラの島の近辺で太平洋に抜け、大隅の佐多岬をかすめて北東に流れる。足摺岬と室戸岬の沖を経て、紀州の潮岬にぶつかる。そこから尾鷲、熊野の沖を流れ、大王崎を経て東進する。遠州の沖から石廊崎をかすめ、伊豆の島々を抜けて、九十九里の浜に寄せて、銚子の犬吠埼から日本列島を離れる。黒潮の流れが洗う岸辺の東端にあるのが、鹿島と香取の神宮である。香取と鹿島の明神はそれぞれ、上総と常陸の一宮となっているが、二社でひとつの信仰をなしている。熊野三山や、後述する大洗と酒列(さかつら)の磯前(いそざき)神社と同様である。香取と鹿島の社は、神宮と呼ばれるからには、天津神の東の端の守りであり、黒潮に乗って、おそらく夏場の南の風を得ることに限られるとはいえ、比較的に容易に順風で航海できる限界である。
黒潮の流れの本州の東の端を観察してみることにする。さて、鹿島をすぎれば、海流の向きが変わる。親潮が北から南に流れるようになる。鹿島灘は、暖流と寒流とがぶつかり、波が逆巻く。冬場には、寒流の鰯・鯖が、夏場には暖流の鰤・鰹が獲れる豊饒の海である。北は那珂川、南は利根川で区切られる。銚子の犬吠埼から北方の大洗あたりまでは砂浜が続く。那珂川にたどり着けば、そこから常陸の内陸山間部から、阿武隈や磐梯の山につながる街道に入ることができる。銚子であれば、利根川の水運を利用して、関東の要所に行き着くことができる。上流にダムができて水量の減ってしまった今の川面と異なり、満々たる水が奔放に流れていたものと思われる。利根川図誌の挿絵は、白帆の船が堂々と遡航する構図だ。武蔵国の山からは、木材が筏を組んで流され、我孫子のあたりには、その木材を陸揚げしたことから、今も木下(きおろし)の地名が残る。
ところで、大河の川口は風と波の向きによっては三角波が逆巻く海面である。大雨が降れば濁流となるから川口から直接遡航することは大儀である。湊は川口に直接位置することなく、少し離れたところに位置するのが安全である。そこで船を繋いで、風の強弱、波の高低を見て、凪いだときに一挙に船を進める。鹿島灘であれば、潮はもう北から南へ流れているから夏の南風が強ければ却って波と風がぶつかり、操船は至難の業となり、難所であることは間違いない。銚子の場合は、利根川の右岸が発達し、那珂川の場合は左岸に那珂湊の町ができあがって、そこで波風を見極めたに違いない。香取と鹿島の場合には、犬吠の先を廻って一息ついた所で、しかも古い時代には香取海という大きな湖があったようであるから、その両岸に大社が一体となって建立されたものと想像する。香取から眺めて、鹿島のお社は、正確に北東の位置にあるといい、誤差もほんの五メートルであるという。北東と言えば、鹿島灘では川口に打ち込む波が低くなり、航海がたやすくなることも確かめられるから、常陸と下総の往来の簡便も想像できる。
視点を逆にすれば、大洗と酒列の社は、北方からの親潮の流れの南端と考えることができる。日本海を流れる黒潮の支流が津軽海峡を抜け、そこから親潮の南流に乗る往来も想像できる。大奈母知(おおなもち)命が大洗の主祭神で、酒列の方は少比古奈(すくなひこな)命が酒列の主祭神となり、しかし一体となって創建されたという。大黒様が大洗で、えびす様が酒列の主祭神となり、それぞれ力を合わせる。何れの磯前神社も南北7キロ離れてはいるが、岬の丘の上に鎮座まします。大洗の社は岩礁の海に面しており、酒列の社殿は磯崎の丘の上に西を向いている。斉衡三年(西暦八五六)に建立された記録があるが、祭神は「昔、この国を造り終えて、東の海に去ったが、今人々を救うために再び帰って来た」との託宣である。えびす様と大黒様とが共に出雲の美保の岬に降臨して国造りを行ない、それを終えて、出雲の熊野の岬から常世郷に去ったとしている。津軽海峡を廻って戻った故地が、那珂川を中心として、大洗から阿字ヶ浦までの土地だったのかも知れない。那珂川を遡れば水戸で、まとまりのある豊饒の平野である。北関東にも抜ける。山は金銀の宝の山もある。酒列の磯前神社から北方の海は関東平野の砂浜の海とは様相が異なり、山が海に迫ることとなる。時々は黒潮と親潮が混じり合うから、時折の海の霧も深く、また潮の色と香りも違うので、特に大和からの航海であれば、異境に差し掛かったと感じたことであり、親潮からの南行であれば、水温が変わり、木々の様相が色濃くなったことに屹度驚く。
余談ながら、北畠親房は、筑波山の麓の小田城で神皇正統記を記している。領地の伊勢から海上の道を経て筑波嶺の麓にたどり着き、北方の国津神の世界と高天原との往来交流に思いを馳せながら、大日本は神の国也と断じることができたものと思う。遠く琉球の島々にある浜下りの行事は、相模にもあり、津々浦々の祭りとして、福島から茨城にかけても残る。山海の民の交流の証で、黒潮の民が先祖の上陸地点を確かめる儀式に見える。(つづく)
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