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Kuroshio 4

紀伊半島の潮岬にぶつかり東進する黒潮に立ちはだかるのが伊豆の島々である。伊豆半島は太平洋に突き出した石斧のような形で、その先端が石廊崎である。駿河湾は富士山を逆さにしたような深海で、大構造線の延長線上にある。その縁に点々と火山が噴き出し、海面上に顔を出しているのが、伊豆の島々である。伊豆国一宮は三島大社で、その縁起によれば、三島明神は天竺に生まれたが追放され、唐・高麗を経て日本にやってきて、富士山の神に出会って一緒に一〇の島を作ったという。初めに作ったのが初島で、「第二の島をば島々の中程に焼きだし、それに神達集まり給いて詮議ありし島なれば神集島(神津島)と名付け給えり。第三の島をば大なる故大島と名付け、第四の島は塩の泡を集めてわかせ給えば島の白き色故に新島と名付け、第五の島は家三つ双びたるに似たりとて三宅島と名付け、第六の島は明神の御倉とおっしゃって御蔵島と名付け、第七の島は遙かの沖にありとて沖の島(八丈島)と名付け、第八の島は小島(八丈小島)と名付け、第九の島は卯の花に似たりとてヲゥゴ島(青ヶ島)、第十の島をば十島(利島)と名付けた給う」とある。源実朝は「箱根路を我が越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよる見ゆ」(金槐和歌集)と詠んだ。その初島には初木神社がある。御祭神は大海津見命、豊玉姫命、初木姫命で、創建は観応二年(一三五一)。第五代孝昭天皇の御代に、初木姫は日向から東国の順撫に赴く途中に遭難してこの小島に漂着したという。孝昭天皇の事蹟は伝わっていないが、第一〇代崇神天皇の時代には、豊城命に東国の上野、下野に赴き治めることを仰せられ、朝鮮半島に任那府を設けられたほどだから、神武天皇の故地である日向から東国平定に出る為の造船・航海の術も蓄えられていたのだろう。初木神社の社殿の下からは古墳時代の祈りの場所である磐倉の遺跡も発見されている。また、現在も例大祭には鹿島踊りが奉納されるというから、鹿島の大社との繋がりも明白にある。初木姫は対岸の伊豆山小波戸埼に渡り、伊豆山彦という男神に出会い、木の中に住む日精・月精という二人の子供を見つけて姥として育てた。日精・月精が夫婦となり、伊豆山権現の祖先となったという。
 伊豆山権現は明治の神仏分離で伊豆山神社となった。典型的な神仏習合の地である。伊豆山権現像と若干の相違はあるが、南北朝時代に制作されたという伊豆山神社に残る走湯権現立像も本地垂迹神像の特色を持っており、烏帽子に袈裟をつけた形である。役小角が六九九年に謀反の疑いをかけられ、伊豆大島へ流刑となっているが、大和から伊勢を通って黒潮の流れに乗って伊豆大島に遠島になったのであれば、対岸の伊豆山権現に詣でたことも容易に想像できるし、そうなれば吉野の金峰山などとの交流も想像できる。役小角は、七〇一年に疑いが晴れて大和に帰ることができたとされる。伊豆山神社の本殿脇には、高野槇の大木があり、山岳仏教の影響も考えられる。また、梛(なぎ)の木の一対もある。梛は熊野神社と熊野三山系統の社では神木とされ雌雄一対が参道に植えられるが、伊豆山神社には何れも雌木が参道両側にある。針葉樹だが葉脈がないので、広葉樹のように見える。海南島から台湾、南西諸島を経て九州四国、本州南岸に分布するが、紀伊半島や伊豆半島に生育するものは史前帰化植物と呼ばれるように、古い時代に人の手によって移植されてきた植物である。奈良の春日大社にもあるが、千年以上も前に植栽されたと伝えられているから、伊豆山神社の梛の木も紀州の熊野との交流の証ともなっている。伊豆山は熱海市東部に位置するが、今もなお轟音を立てながら海岸に走るがごとく温泉が湧き出しており、古くから伊豆山権現が走湯山とも走湯権現とも呼ばれたのも納得できよう。そうした温暖の地であるから、南方を原生とする梛の木が大海原を渡って神木として移植されたことに不思議はない。
 源頼朝が治承四年(一一八二)源氏再興を期し旗揚げしたときには、まず伊豆山権現に祈願している。石橋山の戦いで敗北し命からがら、真鶴岬から安房の国に逃げた。黒潮の民が頼朝に味方していることがわかる。建久三年(一一九二)鎌倉に幕府を置いたときには、伊豆山権現を関八州の総鎮守に定めている。そもそも、源頼朝は伊豆韮山で幼少期より二〇年を流人として過ごし、走湯権現の僧に師事している。鎌倉尼将軍と呼ばれた北条政子は頼朝が流された蛭ヶ小島の近くの小豪族の娘だが、父時政が政子を伊豆国目代の山木判官平兼高に嫁がせることとしていたものを、婚礼の夜に七里の山路を逃れ頼朝の住む伊豆山を目指して夫婦となった経緯がある。頼朝の一周忌に自らの髪を除髪して、それを刺繍し、梵字四六文字を曼荼羅にした阿字一幅が残っているが、伊豆山権現の法華堂の本尊となっている。頼朝との愛憎は本物である。神皇正統記にも「頼朝の死後は未亡人がその後を指揮し、義時政治に当たって人望に背かなかった」とある。黒潮が伊豆にも結界を造ったと言うべきであろう。

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