Kuroshio 5
陸奥の金華山あたりの漁師は黒潮を桔梗水(ききようすい)と名付けている。親潮の冷水の栄養を豊富に含んだ海色に比べると、あくまで透明な海の青を花の色に例えたのだ。しかし、エメラルドグリーンの黒潮は紺碧(こんぺき)の形容が似つかわしい。石垣島の川平(かびら)湾の鮮やかさが典型だ。
その石垣島を目指して、明治三八年五月二六日に宮古島の久貝原(くがいばる)と松原の白砂青松の美しい海岸から五人の漁師が漕ぎ出した。去る二三日に奥浜牛(おくはまうし)という青年の操縦する帆船が、北上するバルチック艦隊に遭遇、二六日宮古島の今の平良の港に着いて駐在警察官と役場に駆け込んだから、石垣島に使いを出し大本営に通報することになったのである。
奥浜の船をロシアの艦隊は視認したようだが、乗っていた帆船が沖縄独特の、支那のジャンクのような形をしたやんばる船かマーラン船で、龍の旗を掲げていたために咎められなかったという。奥浜牛は元々粟国(あぐに)島の人であり、赤銅色に日焼けした生粋の船乗りで、また髪も巻毛で髭を生やし、王朝風の髷でも結っていたのか、ロシア艦隊の誰何(すいか)を免れている。
さて、松原の集落からは、垣花善、垣花清、与那覇松、与那覇蒲の四人、久貝原からは与那覇蒲の計五人が選抜された。ちなみに与那覇蒲は同姓同名で、当時琉球の島々ではカマとかナベ、ナビーとかいう名前が普通にあった。久米島を舞台にした老いらくの恋物語の映画が『ナヴィーの恋』という題名だったのは記憶に新しい。沖縄振興に熱心だった故小渕恵三総理も日本橋の三越劇場で鑑賞した。那覇の軍港近くの集落にも、垣花(かきのはな)の地名が残るから、五名とも糸満(いとまん)チュの屈強なウミンチュであったに違いない。
五人は石垣島東海岸の伊原間(いばるま)に着いている。伊原間は石垣島の半島がくびれたところで、舟を担いで東海岸から西に渡れるような地峡だが、垣花善が八重山(やえやま)郵便局のある石垣まで三〇キロの山道を歩いている。一五時間の力漕の後で、時は五月も末で、梅雨も完全に上がった炎熱の直射日光を夜間航海で避けたにしても、疲労困憊の極みにあったに違いない。電信はまず沖縄本島の那覇郵便局に打電され、沖縄県庁を経由して大本営に伝えられた。
漕いだ舟はウミンチュの舟だから、当然サバニである。サバニは凌波性のよい細長い船型を持ち、帆をかければ、どこまででも航海できるほどで、時化(しけ)の時には舟をひっくり返し波風を凌ぐことができると言われたほどの優れた性能を持つ舟である。サバニの船型は現代のヨット製造の技術にも応用され、横浜の故横山晃氏が色々なヨットの設計に具体化している。サバニは伝統的な丸木舟、刳(く)り舟が進歩したもので、ウーシマハギ、ウチナーハギ、ヤイマハギと三つの型があるが、一番大型はやはり本島沖縄の舟型で、ヤイマハギは珊瑚礁の海で漁撈するために船底が平たく作られている。ウーシマハギも中間の宮古島のサバニも丸木舟の面影を残したような中間の大きさである。
琉球の漁民にとってサバニは、東の太平洋から西の支那海まで黒潮を縦横無尽に渡るための道具であった。久松五勇士が漕いだ舟も、黒塗りのサバニであろう。八重山郵便局にたどり着くまで、途中の多良間(たらま)島と水納島(みんなじま)との間の水道を通り抜け一七〇キロの命がけの航海をしたのであるが、東京と通信できる施設が宮古島にはなく、軍用の海底通信施設が石垣島にしかなかったからである。
日本は日清戦争後すぐに、台湾との通信を確保しようとして、明治二九年鹿児島と沖縄本島に海底電信線を敷設し、翌年には石垣島を経由して台湾との間に通信回線を完工させた。石垣島の海底電信線の陸揚地点には、現在もデンシンヤーと呼ばれる建物が残っている。宮古の久松五勇士の故地には、サバニを五本の柱で支えるという形の碑が建てられているが、近くの浜辺には昔ながらの小型サバニが係留され、紺碧の海の中には沖縄でナチョーラと呼ぶ薬用の海草が今では採取する人もなく繁茂している。
ナチョーラとは、まくり(海人草(かいにんそう)、ムィージモイとも言う)で、日本薬局方の回虫や蟯虫の虫下しとして古くから使われてきた。琉球の島々はもとより、黒潮の影響で温暖な天草五島、紀伊串本あたりまで生育する。南支那海の東沙島は金門・馬祖のように台湾が領有しているが、大東亜戦争前には、まくりの大産地として知られ、大部分を本邦に輸出していた。大阪大学の竹本常松博士などが一九五三年一月に有効成分のカイニン酸の純粋分離に成功してから合成製剤が行なわれ、また、環境衛生の向上で寄生虫保有者が減少し、まくりの需要は激減した。現在は那覇の市場や食堂あたりで、伝統食としてのナチョーラ汁定食や、ゼリー状に溶かした食品のメニューを見るくらいである。回虫の神経細胞を興奮させる作用があるので毛髪や頭皮の再生にも効くのではないかとする好事家の指摘もある。以前、海草のもずくがO(おー)一五七という食中毒に効くということを聞いたことがあるが、ナチョーラは、黒潮が育てる海の薬草であり、東亜の交易の主産物であった。(つづく)
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こんにちは。
堀本秀生と申します。
生業は、地域で整体業をやらさせて頂いております。
私は「もずく」を食べると、お腹の通じが良くなります。
連れ合いも、そう申しております。
これからもよろしくお願いします。
投稿: 堀本秀生 | 2009年12月 3日 12時54分