構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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2009年5月

Market Fundamentalism is Dead 16

会員制雑誌のFacta(ファクタ)6月号が、次のような記事を掲載している。

http://facta.co.jp/article/200906012.html

「2009年6月号

オリックスが「解体過程」

2千億円を「融資でも出資でも」と、政投銀に宮内が懇願したが、民間銀行は一斉に逃げ出しそう。

年貢の納め時?(宮内義彦氏)AP Images

5月8日夕刻。東京・大手町にある日本政策投資銀行に、数人の男たちが人目を忍ぶように現れた。面会先は元財務省事務次官の副社長、藤井秀人。政投銀は今や経済危機で窮地に立った大企業の“駆け込み寺”だが、藤井は実質的に「救済融資」を仕切る最高実力者である。

この日、藤井に会いに来たのは実はオリックス会長、宮内義彦だった。専務の小島一雄らを同道していたが、人目を避けたかったのは無理もない。2日前の日本経済新聞朝刊に、日産とともに「政投銀に1千億円規模の危機対応融資を打診 ………」

と言う記事である。日本の市場原理主義の政治・経済政策の立役者が会長をする会社が、公的機関の支援を求めること自体が、論理矛盾、論理の破綻である。しかも、政策投資銀行は、郵政の資金が、直接、間接に投入されている機関である。民営化で、私物化を果たしながら、しかも、その社外重役あたりに、子飼いの人物が送り込まれたとの話が、横行する中で奇妙な話である。政策投資銀行は、4月初頭にも、ノンバンク救済の融資をしたとの報道があるが、公的な金融機関として、最早市場原理主義の横行に荷担すべきではない。この問題については、既に、評論家の山崎行太郎氏が、ブログにおいて、的確に評論しているところである。日本の経済・政治のこれ以上の退廃を許してはならない。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20090507/1241649066

Market Fundamentalism is Dead 15

戒厳令が既に5月20日に出ていたが、天安門事件が起こったのは、1989年6月4日のことである。20年が経つ。周恩来が死去して、四人組が追悼の花輪を撤去したことから起きた、1976年4月5日の天安門事件と区別して、六四天安門事件という。
鄧小平は、人民解放軍を出動させ、徹底的に弾圧したが、戦車の前に立ちはだかる凄惨な写真や映像が全世界に配信され、共産主義の暴虐の先祖返りと糺弾された。文化大革命が終わって、その前の年までは北京の春とも呼ばれ、例えば日本の大晦日のテレビ番組で、行く年来る年の映像が、凍てつくような北京市内の天主教の教会で祈る人々が、国内の神社仏閣での行事と並んで実況中継されたこともあった。教会の売店では、毛布を着込んだような貧しき人々の群れのような信者に、香港印刷の聖書や、賛美歌の音楽テープが売られていた時代だ。上海の租界の日本人中学校を出て北京に残留した朝鮮民族の大学教員が、親しげに労働党の機関誌を見せ、日本の月刊雑誌をむさぼるように読んでいた。コーヒーを戦後初めて飲んだと、北京飯店のレストランで内心を明かした時代だ。党の世界信息の他に、海外の短波放送も、ラジカセで床の間の陰で聞いていた時代だ。日本の衛星放送も上海や北京では受信できるようになっていたから、目立つ大型のアンテナを建てても差し障りのない施設では、東欧のようには行かなくても、日本の衛星放送の漏洩電波を受信することができた。携帯電話は無かったが、ホテルで箸を投げてよこすサービス水準の低さはあっても、北国の春と言う演歌が、あたかも自国の歌のように流行した。高麗航空のスチュワーデスが、北京のホテルの売店で、ロシア製造のカメラの土産を買っていた時代だ。
天安門事件は、東欧の動乱とも連動している。奇しくも、6月4日は、ポーランドでは労働組合の「連帯」が、雪崩現象のように選挙に勝利した日である。ポーランドでは、経済混乱があったが、ローマ法王にポーランド人のヨハネス23世がが就任しているというヨーロッパの権威の世界が広がっていたことは大きな違いであったにせよ、戦車と銃口を自国民に向ける弾圧は起きなかった。鄧小平は、ポーランドの共産党の崩壊を見ながら、一党独裁の権力の維持をはかったことは間違いないから、天安門事件は、東欧の動乱とも関係しているから、比較してみることが大事だ。
ミルトン・フリードマンが北京と上海をを訪問したのは、1980年である。香港は、市場原理主義者の最も理想とする規制のない、英国植民地であったが、フリードマンは、共産党の幹部を前にして、香港には政治的な自由は無いにしても、経済的な規制が無いから、理想的な体制であると説いている。政治的な自由は無くとも、経済的に規制が無いという状況を褒めそやす市場原理主義の教祖の講義は、共産党幹部には、共産党独裁を維持するための「新思潮」であったに違いない。党幹部にとっては、国営企業を民営化して経営者として居残り、利益・財産を私物化できるとのご託宣は、魅力的なものであったに違いない。しかも、中国における市場開放は、先進国の民主主義の政治経済体制のすすめではなく、中南米のチリの独裁政権、ピノチェットをモデルとするようにとの勧めであるから都合がよかった。銃口よる従来通りの政治弾圧が伴い、一党独裁を継続するが、金儲けをする猫は白猫でも黒猫でも黄猫でもいいと、市場原理主義のミルトン・フリードマン教祖の託宣を鄧小平は受け入れた。毛沢東の文化大革命は残虐非道のものではあったが、大義名分は農民と労働者であって、鄧小平の開放政策のように、工場労働者の賃金を抑え、農村部からの盲流を促進するものではなかった。1983年に、鄧小平は、市場開放にあわせて、国内の不満分子を取り締まるために国家武装警察を発足させているが、ストライキや、抗議行動などの「経済犯罪」を取り締まるための、40万人規模の組織である。事実、開放政策で、労働者、農民の不満は高まり、その頂点に達したのが、六四天安門事件であった。
ミルトン・フリードマンが、ローズ夫人と共に、上海を再訪したのが、前年の1988年9月である。中国共産党が市場源主義の党に変貌したことを確かめる旅のようで、趙紫陽と会談し、上海の党委員会の書記長であった江沢民と面会して、民営化などの市場経済の政策継続を念押ししている。チリのピノチェットはフリードマン流の市場原理主義の政策のあまりの過激さに、多少の路線の逸脱と現実との妥協を見せていたから、フリードマンはこれに不満で、中国共産党に対しては、チリ以上の強硬な市場原理主義政策を実行するように求めている。中国共産党は、その勧めを、天安門事件は不可避であったとする米国のキッシンジャー氏などの支持も得て、忠実に実践している。
六四天安門事件後の鄧小平は、不満分子としての趙紫陽などを追放して、市場原理主義の政策の実践に狂奔する。人民に銃口を向けた解放軍を掌握する。全国各地に自由貿易地域が建設され、中国全土の香港化が促進された。鄧小平は南方視察を行い、外国からの直接投資を自画自賛して、瞬く間に外国資本の工場と化し、あらゆる低賃金労働の集約が行われた。一部の者に富が集中し、太子党の出現に見られるように、党幹部の子息は億万長者と化し、中南海は、人民解放軍が門番になって、高級自家用車の誰何に当たる地域になった。中華人民共和国は、市場原理主義を受け入れ、中・米は同盟国となった。ダボス会議で誉めそやされる新自由主義の優等生の国と成りはてている。六四天安門事件は、共産党の先祖返りの殺戮とされるが、誤りで、むしろ、中南米で起きた独裁、経済破壊、文化と伝統の破壊、殺戮と全く同質で、それ以上のカルトの実践の暴虐でしかないことが認識される。日本の郵政民営化など構造改「悪」の破壊も同根である。

Corrupt Postal Privatization 92

郵政事業が民営化されて、とはいっても、株式が売却されたわけではないので、すべて国民のものであるが、1年半を経過して初めて通気の決算が発表された。純利益4227億円という。NTTグループに次ぐ規模になったとして、民営化して利益が出たとして喧伝する向きがあるが、事実は逆で失敗である。分社化されているが、利益の大半は、郵貯部門の会社である、ゆうちょ銀行で、2293億円で、全体の54%である。この構造は、元々そうであり、郵便局の経費の七割が、もともと郵便貯金の事業で稼ぎ出されていた。そもそも資産の8割を国債で運用していたから、そうした成績になっているのであって、実際の所は、外国の株式など、運用していた部分については、損失を出したのではないだろうか。去年の9月に、リーマンショックがあって、世界的に市場原理主義が破綻したので、もし、竹中平蔵氏などが、主張していたように外国に郵政資産を持ち出して、運用していたりしていたら、巨額の国損になっていたことであるから、傷は浅くてすんだ、天の助けであったというのが本当のところだろう。運用委託を信託銀行や、外国証券会社に頼んでいたが、そんなところがどのくらいの損失を出しているのかも公表してもらいたいものだ‥隠してはいけない。民営化によって、情報公開度が低下している点についても検証が求められる。

2006年度の日本郵政公社の決算と比較すると、つまり、民営化前後の業績を比較すると、経常利益は、むしろ、落ちているのではないのか。あれだけ、コスト削減と称していたが、実は、経常費用は増加させたのではないだろうか。民営分社化の、分割ロスが表に出ているのではないだろうか。同ブログの読者には思い出してほしいのであるが、2007年7月10日は、日本郵政公社は、国庫納付金として、なんと9625億円を国庫に納付している。日本郵政公社法では、4年間の経営計画の中で最終年度に基準額を超えた場合には、超過分の半分を国庫納付することになっていたことは、ご高承の通りである。民営化後の今年の通期決算で、法人税などの税金を4808億円払ったことになっているが、勘ぐりで税金を払わせるために民営化したのではないかと仮定しても、長い目で、しかも、さん四年の長さで見ても、失敗したのではないか。西川氏を社長とする、民営化準備会社が発足したときに、最初の資本金が3000億でスタートしたのも異常であった。

 177兆円余もの貯金がありながら、銀行本来の業務である貸付金はわずか4兆円であるが、これまた、郵便局の仕事が、銀行である必要はないことを、実態が明らかにしたように見える。カネの流れを官から民に変えることを目指した民営化の目標自体が、元々根拠のないもので、バブル経済や、市場原理主義の虚妄を支えるためには、郵政資産の海外流出、あるいは、私物化を図る点では必要であったが、今、資金が決定的に不足しているのは、公的な部門であり、公的な部門に対する資金供給源として機能した郵便貯金の制度は、むしろ郵政公社の制度の方が優れているように見える。

 郵便事業会社と郵便局会社の収益水準は元々低く、経常利益でみると、2社合わせてもグループ全体の17%にすぎない。ゆうちょ銀行、かんぽ生命の金融2社に依存せざるを得ないのであって、郵便局の全国網が危機に瀕していることがわかる。黒字にしているのは、手数料の増減にかかっているのであって、昨年の中間決算の中で明らかになったように、特別の配慮があって初めて黒字になっているのである。郵貯と、かんぽの株式を売却するということは、郵便事業と郵便局を、野となれ山となれと、放擲することと同義である。郵便局会社に至っては、営業集鋭気の82%が、ゆうちょ銀行と、かんぽ会社からの手数料である。郵便の取り扱い数もなんと7年前より2割も減っているが、経済の落ち込みと比べても激しいのではないのか。郵便物数は、経済活動にリンクしており、大半を占めるいわゆる広告の郵便物で、中でも、金融関係の郵便物がしめるところから、それが減少しても仕方がない情勢であるが、一方では、郵便の自由化などと称して、信書法のごとく、ざる法ををつくり、郵便のユニバーサルサービスが破壊されてきているのではないだろうか。

  西川社長は、持ち株会社の日本郵政と事業会社2社を2010年度に上場を目指しているとするが、暴論である。最終的に銀行と保険は、株式を売却して政府の関与をなくして完全民営化するとの、主張であるが、暴論である。郵政民営化法が、10年以内とされているが、最早、そうした状況にはない。儲かる部門を私物化して、全国の郵便局網をはじめ公益性の高い部分を受け持っている儲からない部門を、特殊法人のまま残すように民営化法は構成されているが、そうした法律体系自体が、問題である。

 民営化後、大量の郵便物放置やかんぽの宿問題などで何度も業務改善命令を受けた。報道では、民営化の作業が忙しく、ほったらかしにされたとの話すらある本末転倒鰤である。先日は、障害者団体向け割引制度の不正利用事件で社員に逮捕者が出た。郵政省、日本郵政公社の時代を含めて、法令遵守については、郵政は厳しい伝統をもっていたとされる。一枚のはがきを盗むと懲戒免職という不文律がはたらいていたというが、内部の警察機能であった、しかも、司法警察権を持つ監察部門も民営化法では廃止している。かんぽの宿の問題や、郵便物放置や、その他の幹部の、元の銀行の社宅にすんでいる問題など、もし、監察の捜査権が維持されていればとっくの昔に、自浄作用がはたらいて、刑事告発を受けなくとも、問題の一部が解決されていたのではないのだろうか。銀行の甘い、しかも秘密主義で、ワンマンの経営体質がはいってきたようだ。ジャーナリスト町田徹氏に対する言論弾圧事件を見ても、国会の権威を平気で疎んじるようなコンプライアンスのなさを銀行経営者が持ち込んできているようだ。権力は権威を恫喝できないと言うことすら知らない企業体質になってきたようである。

 なお、西川社長が辞任すれば、併せて、社外重役を務めている、いわゆる財界人も辞任をほのめかしているという報道があるが、当ブログとしては、そうした一連の財界人と称する当代の権力者が、民主主義の基本からはずれた、代議政治を軽んじる経済・財政諮問会議などが、現在の混乱の元凶であったと考えるので、一蓮の辞任を歓迎するものである。その点からも、鳩山邦夫総務大臣は、時代の転回役となる可能性を秘めており、政治生命もかかることとなって、市場原理主義のこの国における「独裁」の幕引き役として、期待するものである。郵政民営化の聖域なき見直しは、実は、この国の真の回天のための「本丸」であることを、初めての通期決算の数字が語りかけているかのようである。

Propaganda

「独仏中合作映画「ジョン・ラーベ」は、4月2日ドイツで封切られ、4月28日から中国でも上映されています。人道主義者、南京のシンドラー、ラーベを標榜するこの映画は、ラーベ日記をベースとするノンフィクション作品を装っていますが、その正体はとんでもない代物です。30万虐殺が事実であった、と言うことを国際的に常識化するとともに、ナチ以下の残虐国家日本を印象付けようと言う狙いを秘めた作品であるからです。」

またぞろ、北京の政治宣伝が始まったようです。今回は、仏独を目標にして、日本を残虐な国に仕立て上げようとの意図です。反論が英文で行われていますので、参考まで。
 

OBSERVATIONS ON THE FILM JOHN RABE

Moteki Hiromichi
Secretary General, Society for the Dissemination of Historical Fact

The German-French-Chinese film John Rabe, directed by Florian Gallenberger, made its debut in Germany on April 2, 2009. The first showing of the film in China took place on April 28. The production budget for the film must have been huge. However, anyone who perceives John Rabe as a non-fiction film, or a re-enactment of events that transpired in Nanking in late 1937, is operating under a grave misconception. The many problems that plague the film are exemplified by subtitles that appear at the end of the film: “Three hundred thousand Chinese were massacred. Even today, right-wing elements in Japan refuse to recognize this fact.”
I shall provide a detailed explanation later in this essay, but for the time being, suffice it to say that John Rabe does not mention having witnessed even one murder in any of his journal entries (published as The Good Man of Nanking: The Diaries of John Rabe1). How do we explain an extrapolation from zero to 300,000? This figure reflects the prejudices of the film’s creators. No film based on fact could have arrived at such a conclusion. John Rabe film is not non-fiction, nor is it even historical fiction. It is — pure and simple — a propaganda film.
Why Rabe headed the International Committee
As Japanese forces neared Nanking in November 1937, 15 resident foreigners from Western nations (seven Americans, four Britons, three Germans and one Dane) formed the International Committee for the Nanking Safety Zone (hereafter referred to as “International Committee”); the members selected John Rabe as chairman. The committee agreed to establish a neutral safety zone within the Nanking city limits, which would accommodate the city’s civilian population and protect it from the ravages of war. The zone was 3.86 square kilometers in area, approximately the size of New York City’s Central Park. Its boundaries were marked, but there were no fences.
The International Committee asked the Japanese military to formally recognize the Safety Zone as neutral territory. The Japanese responded that they would make every effort to respect the Safety Zone, but declined to grant the request officially because the zone had neither walls nor barriers that would prevent Chinese troops from infiltrating it.
And in fact, when the Japanese occupied Nanking, a huge number of Chinese troops discarded their uniforms and took refuge in the Safety Zone. The Japanese found huge caches of their weapons and ammunition there, and discovered anti-aircraft gun emplacements and other military installations, all of which compromised the zone’s neutrality.
1 John Rabe, The Good Man of Nanking: The Diaries of John Rabe, ed. Erwin Wickert, trans. John E. Woods (New York: Knopf, 1998).
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In any case, the 200,000 civilians remaining in Nanking had assembled in a rather small space — the Safety Zone. On December 8, 1937, Tang Shengzhi, commander of the Nanking Defense Force, issued an order instructing all noncombatants to gather in the Safety Zone, which was under the control of the International Committee. Without a special pass, it was impossible to leave the Safety Zone. International Committee members took responsibility for the city’s 200,000 remaining residents when Nanking’s mayor, Ma Chaojun, fled the city (having handed over food and other supplies to the committee). To understand the situation at the time, it is important to know why Rabe, a German, was selected as the committee’s chairman, since most of the members were American or British.
Chiang’s German military advisors
Many people assume that John Rabe was chosen to head the International Committee because Japan and Germany were both party to the Tripartite Pact. However, this was not the case. Japan and Germany had concluded the Anti-Comintern Pact in November 1936, which Italy later signed. But that agreement must not be confused with the Tripartite Pact, which dates from September 1939. The Anti-Comintern Pact was, as its name implies, directed against Comintern activities. The Germans were lobbying the Chinese to join as well. We know that Japanese national policy was not restricted by that agreement because on December 6, 1938, the Japanese government adopted an official Action Plan Concerning Jews, which states clearly that Japan would not discriminate against members of the Jewish faith.
However, Germany had made binding commitments to China. In 1928, a team of German military advisors was dispatched to China. In 1934, Gen. Hans von Seeckt, former chief of the German General Staff, was appointed the fourth head of that team. His priority was the modernization of the Chinese military. Von Seeckt was succeeded by Gen. Alexander von Falkenhausen, who was determined to form 60 modernized Chinese divisions. He advised the Chinese to erect pillboxes in the Shanghai area. Von Falkenhausen’s primary goal was preparing Chinese forces for war with Japan. On October 1, 1936, he counseled Chiang Kai-shek to attack the Japanese in Hankou and Shanghai. This was 10 months before regular Chinese troops launched a full-scale offensive in Shanghai. In the spring of 1937, von Falkenhausen again urged Chiang to attack the Japanese in Shanghai.
The German advisory team did not stop at guiding the Chinese toward military modernization. They exhorted the Chinese to purchase German weapons, as well as products of the German chemical and heavy industries. Such encouragement also involved the Federation of German Industry, and even a campaign to promote the development of the chemical and heavy industries in China with German support. China was on the verge of becoming Germany’s best customer. Siemens, the leading German electrical engineering firm, actively solicited Chinese business. Rabe, who had been in China for quite a few years and who headed Siemens’ Nanking operation, was chosen as chairman of the International Committee because of his close military and economic connections with the Chiang administration.
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What happened in the Safety Zone?
On December 13, 1937, Nanking fell; on that day, some Japanese units entered the city. The soldiers were bewildered to find themselves surrounded by silence. The defending Chinese forces had retreated, and there were no civilians to be seen. The Japanese soon discovered that all civilian residents of Nanking had assembled in one section of the city (the Safety Zone). Accordingly, accusations made at the Tokyo Trials to the effect that Japanese military personnel stormed into Nanking, killed everyone in sight, and left mountains of corpses and oceans of blood in their wake, are utterly ludicrous.
On December 14, the International Committee submitted a letter signed by Rabe and addressed to “the Japanese Commander of Nanking.” The letter commences as follows: “We come to thank you for the fine way your artillery spared the Safety Zone and to establish contact with you for future plans for care of Chinese civilians in the Zone.”2
What happened in the Safety Zone later on in the month? Did Japanese soldiers go on a killing spree there?
The International Committee made a variety of requests of Japanese military authorities. They also submitted typed reports in English of unlawful acts allegedly committed by Japanese military personnel, on practically a daily basis. Copies of those letters and reports issued by the International Committee over a two-month period were compiled and published in 1939 under the title Documents of the Nanking Safety Zone. The publishing house was Kelly & Walsh, a Shanghai firm. The compiler and editor was Hsü Shuhsi, an advisor to the Foreign Ministry, whose work was supervised by the Council of International Affairs in Chunking (Chongqing), then the seat of the Chinese government. Therefore, we may assume that the government believed that publishing the documents would work to its advantage. Or conversely, that doing so would work against Japan’s interests, as the book showed the Japanese in a bad light.
Documents of the Nanking Safety Zone contains accounts of 517 alleged unlawful acts. However, it is difficult to imagine that the 107 crimes supposedly committed at night were the work of Japanese soldiers. It was pitch dark at night in a Nanking without electricity. According to a Chinese officer who infiltrated the Safety Zone, “the barbarian soldiers [the Japanese] were too fearful to venture into the city at night, either inside or outside the Safety Zone. (...) That was the time when we (the refugees) could do whatever we wanted.”3 Guo was right: Japanese military personnel would not have exposed themselves to such danger.
Furthermore, the case reports are rife with hearsay and rumors. For instance, only 30 out of 517 reports (less than 10%) state that the crime in question was witnessed. Twenty-six of the cases involve murders, but only one of the reports mentions a witness. However, the International Committee acknowledged that that case (which involved a Chinese soldier
2 Hsü Shuhsi, ed., Documents of the Nanking Safety Zone (Shanghai: Kelly & Walsh, 1939), p. 1.
3 Guo Qi, Lamenting the Fall of Our Capital, reprinted as The Nanking Massacre (Taipei: Zhongwai Tushu Chubanshe, 1978).
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whom the Japanese discovered hiding in the Safety Zone) was a lawful execution. Not one report describes a witnessed murder. There was no killing spree. Two hundred thousand souls were crowded into an area the size of New York City’s Central Park, meaning that there were 200,000 potential witnesses, but Documents of the Nanking Safety Zone mentions no witnessed, unlawful killings.4
Nanking’s population increases by 50,000
What does Documents of the Nanking Safety Zone have to say about demographics? When it became clear that the Japanese would attack Nanking, the city’s residents began to leave. The government announced that it would be withdrawing from Nanking; Mayor Ma Chaojun departed on December 3. The population of Nanking, once one million, had shrunk to 200,000 by the beginning of December 1937, according to statistics released by Wang Gupan, head of the National Police Agency. The International Committee based its activities (procurement of food, etc.) on that figure.
According to Documents of the Nanking Safety Zone, the population remained 200,000 for the entire month of December (reports are dated December 17, 18, 21 and 27). By January 14, 1938, it had risen to 250,000, where it remained for some time.5
The members of the International Committee noticed absolutely no decline in the number of people living in the Safety Zone. Since those were turbulent times, the 200,000 figure cited by Wang Gupan was not precise, but was the best estimate possible under the circumstances. The International Committee obviously agreed with that estimate, and did not detect any major change in the population throughout December. Some people may speculate that there were people living outside the Safety Zone, but if there were, they were rare exceptions and very few in number. Document No. 9 (a letter from the International Committee to the Japanese Embassy dated December 17), which states that “on the 13th, when your troops entered the city, we had nearly all the civilian population gathered in a Zone,”6 is ample proof. It also jibes with the testimony of Japanese military personnel who were in Nanking at the time. (Incidentally, in The Rape of Nanking, Iris Chang invents 300,000 -400,000 Chinese living outside the Safety Zone, all of whom were massacred.7 Others set the number of victims at 50,000 or 100,000; the actual population being what it was, massacre victims would have had to be invented, regardless of their number.
When January arrived, there was an upward revision of the population estimate, for the following two reasons. First, at the end of 1937, the Japanese had conducted a census, issuing
4 For a detailed analysis of Documents of the Nanking Safety Zone, see Tomisawa Shigenobu, “Using Primary Sources to Clarify the Nanking Incident” at http://www.sdh-fact.com/CL02_1/57_S4.pdf.
5 Hsü, op. cit., pp. 17, 18, 48, 57, 84.
6 Ibid., pp. 14-15.
7 Iris Chang, The Rape of Nanking: The Forgotten Holocaust of World War II (New York : Penguin Books, 1998), pp. 81, 100.
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civilian passports to every person they counted; they recorded 160,000 persons. The Committee estimated that the population was 250,000 if children under 10 and elderly women, who had not been counted, were included. Second, civilians who had fled Nanking to avoid the hostilities began returning to the city, proof that it was safe again. No one would have been so foolish as to go anywhere near the scene of a massacre.
The lies of an anti-Japanese Nazi
How do Rabe’s diary entries for December 1937 and January 1938 compare with the content of Documents of the Nanking Safety Zone, which cover that two-month period?
First of all, Rabe reports seeing the dead bodies of many noncombatants during a tour of Nanking on December 13, after the city fell.8 However, the streets of Nanking could not have been strewn with such corpses for the very reason that civilian residents of Nanking had taken refuge in the Safety Zone. If there were bodies in the streets, they must have been those of fallen soldiers, but Rabe implies that they were murder victims for whose deaths the Japanese were responsible. However, he stops short of claiming that he personally witnessed the murders of any civilians.
But he does make outrageous claims in a report addressed to Adolf Hitler:
1. Suspected of once having been soldiers, thousands of individuals were killed with machine guns or hand grenades.
2. Gasoline was poured over civilians, who were then burned alive.
And despite the fact that Documents of the Nanking Safety Zone states that the population had increased, and Rabe himself had not witnessed even one murder in the jam-packed Safety Zone, he states in his report to Hitler that “Chinese sources report that the Japanese murdered 100,000 civilians, but we foreigners believe that 50,000 or 60,000 are more accurate estimates.” It would be difficult to find a bigger liar.
As the head of the International Committee, Rabe was responsible for administering what he presented as a neutral zone. That notwithstanding, he hid two Chinese colonels named Long and Zhou there.9 He also describes giving shelter to an air force officer named Wang Hanman in the Safety Zone.10 Such actions were obviously a complete betrayal of the neutrality claim.
This was the real Rabe, the man who is now hailed as a humanitarian, as the “Schindler of Nanking.” Rabe’s actual behavior stands to reason, because he traveled in the same circles as von Falkenhausen, who we know was pro-Chinese and anti-Japanese because he urged Chiang Kai-shek to regard the Japanese as China’s main enemy, and to launch a preemptive
8 Rabe, op. cit., p. 67.
9 Ibid., p. 64.
10 Ibid., pp. 201-202.
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attack against them. Rabe also appears to have had a misplaced superiority complex with respect to the Japanese, as indicated by one entry, which reads, “Usually all I have to do is shout ‘Deutsch’ and ‘Hitler’ and they turn polite ... .”11 Japanese military personnel would not have understood German, and they were not nearly as intimidated by Germans as Rabe, with his jaundiced view of the Japanese, would have us believe.
As stated earlier, Japan was party to the Anti-Comintern Pact, but its nondiscrimination policy regarding Jews was adopted at the Five-Minister Conference held in Tokyo on December 6, 1938. Because that policy was in place, Sugihara Chiune was able to issue visas that saved the lives of 5,000 Jews. Similarly, Maj.-Gen. Higuchi Kiichiro of the Harbin Special Agency succeeded in helping a great many Jewish refugees enter Manzhouguo from bordering Otpor. Higuchi also supported a congress of Jewish communities in the Far East held in Harbin.12
Stop perverting history!
As stated previously, the Germans allied themselves with the Chinese in the 1930s against the Japanese. It would seem that they are repeating history today. This time, burdened with the guilt of Nazi crimes, the Germans are attempting to lighten their consciences by convincing the international community that the Japanese committed worse war crimes than they did. Perhaps that was the true motive behind the production of the propaganda film John Rabe, and its claims regarding 300,000 massacre victims in Nanking.
However, this will prove to be a futile attempt. Based as it is on Rabe’s diaries and reports (both of which are rife with spurious accounts), and on blatant prejudice, the film has no distinction other than as propaganda conveying a distorted image of Japanese military personnel. Its worst offense is the “300,000-victim massacre” accusation, that in the face of evidence in Documents of the Nanking Safety Zone to the effect that the population of Nanking actually increased during the Japanese occupation.
At the beginning of this article, I mentioned the allegation (at the end of the film) that Japanese right-wing elements refuse to accept the 300,000-victim-massacre charge as historical fact. The inclusion of “right-wing elements” is a tired old ploy used with the knowledge that it will trigger knee-jerk hostility. I urge that this portion of the text be replaced with “Documents of the Nanking Safety Zone in no way supports the 300,000-victim-massacre charge.”
It was the Japanese (unlike the Germans, who massacred millions of Jews) who adopted a national policy of nondiscrimination against members of the Jewish faith, and who rescued a great many of them from certain extermination. Accusing the Japanese of crimes worse than those perpetrated by the Nazis is revisionist history of the worst kind!
11 Rabe, op. cit., p. 79.
12 For further information, see Uesugi Chitose, Japan that Helped the Jewish Refugees, http://www.sdh-fact.com/CL02_1/25_S2.pdf.
7
In today’s world it should not be possible to fabricate history, and the notion that enemies of the truth would attempt to do so is unbearably painful and absolutely untenable. There are only two options open to them, however. They can hold book-burnings (a method favored by both the Nazis and the Communist Chinese) to suppress the evidence in Documents of the Safety Zone. Or they can heed the advice proffered in an old saying attributed to propagandist Joseph Goebbels: “A lie repeated 100 times becomes the truth.”

Market Fundamentalism is Dead 22

 評論家の山崎行太郎氏が、月刊日本4月号に、「エコノミスト亡国論、あるいは稀代の詐欺師・竹中平蔵のトンデモ経済学に異議あり」と題する論文記事を掲載していたが、同氏のブログにも転載されていることがわかった。日本における「構造改革」の暗部がじょじょに明るみに出る中で、そうした誤った政策にみられる「哲学の貧困」について言及した優れた論説であるので、ご一読をすすめる。転載するには長文に過ぎるので、そのリンクを書いておく。

 リンクは、http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20090401/1238542068 である。

その一部。

「たとえば、竹中平蔵等が主張する「小さな政府」論とは、言うまでもなく何もしない政府(笑)…のことである。そしてその行きつく先は政府そのものが必要ないと言う無政府主義(アナーキズム)である。むろん、これは極端な議論だが、「小さな政府」という美しい言葉がその背後に無政府主義的な国家解体への思想的可能性を秘めていることは憶えておいてよい。竹中平蔵が大衆洗脳に使った言葉に、「公務員を減らせ」「官から民へ」「既得権益の打破」というプロパガンダがあったが、それは、無意識のうちに国家解体の可能性を夢想していたはずである。竹中平蔵の経済学には、ドストエフスキーやラスコーリニコフ、あるいはマルクスやケインズ、柄谷行人等に見られたような哲学的素養と深い根源的な思索というものがない。つまり竹中平蔵の経済学には経済の情勢論や政策論はあるが、経済の原理論や本質論が欠如している。」

Market Fundamentalism is Dead 19

岸博幸慶応大学教授が、週刊ダイヤモンドの特集号、日本郵政の暗部に対して、反論らしき記事を書いている。http://diamond.jp/series/kishi/10040/竹中平蔵氏が、大臣だったときの秘書官だったそうであるから、その内容は推して知るべしであるが、看過できない記事であるから、当ブログとしての読み込みをしてみたい。反論に対する反論である。

>ダイヤモンド本誌5月23日号に掲載された日本郵政の特集を読みました。最初にお断りしておきますと、筆者は、かつて郵政民営化の過程に深く関与し、今も関連の情報がたくさん入る立場にあります。その立場から見て、今回の特集の内容はちょっと偏っているように感じました。ダイヤモンド・オンラインの連載コラム執筆者という立場に遠慮して、口をつぐむことは、筆者の経歴を知る読者にも奇異に映るでしょうし、なにより筆者にとって、これは看過できない問題なので、この場を借りて、この特集に対して反論するとともに、ジャーナリズムの問題へのインプリケーションを考えたいと思います。<

 深く関与し、とあるが、竹中大臣の秘書官をしていて、裏をも見ているということか‥今も情報が入る立場にあるとは、どんなことか具体的に書いてもらった方が、郵政民営化の裏側を知る意味で貴重な情報を提供することになるが、その点は、まったく言及がなく、隠しているのか。高橋洋一元東洋大学教授のように、当時の内幕を本にしていただけると参考になるし、歴史の暗部の参考書になり得るのだが。例えば、竹中大臣と、外国の関係者との議事録などがあれば、公表してもらいたいものだし、なければ、岸教授のメモなどがあれば、発表してもらいたいものだ。

>筆者が感じたこの特集の問題点を挙げ出したらきりがないので、ここでは二つだけ指摘したいと思います。第一の問題点は、様々な論点についての結論を一面的な分析から決めつけ過ぎではないかということです。

 例えば、西川社長の人事について、“官邸はぎりぎりまで後任候補に打診を続ける意向で、「色よい返事をもらえなければ、麻生首相が直接口説くこともありうる」”と書かれていますが、自分が知る限り、事実と異なるように感じます。西川社長を更迭しようと血道を上げているのは鳩山総務大臣だけです。<

 まず第一に、日本郵政の西川社長についてのコメントが出ているのは、岸教授を含めた一派の考え方でしょう。西川社長を更迭しようと血道を上げているのは鳩山大臣だけですと書かれているのは間違いです。血道を上げるかどうかは別として、西川社長就任の時から、間違った人事だったとの意見は、経済界、財界の中からも囁かれていました。西川社長の銀行時代のワンマンぶりを考えて、日本郵政の社長にふさわしくないことをやんわりと指摘した、経営者もいたではありませんか。鳩山大臣だけです、との断言ぶりは、事実に反します。

 >かんぽの宿問題についても“ガバナンスの重大な欠陥であり、「かんぽの宿」問題の本質も正しくこの一点にある”と書いていることです。確かに、この問題を巡っては、売却先の選定プロセスにおいて多少の瑕疵があったのかもしれません。しかし、問題の本質は、国営時代に多額の資金を投入して野方図にかんぽの宿を作ったという官の体質にあるのではないでしょうか。<

 多少の瑕疵があったと、ようやく認める気になったようです。多少の瑕疵ではなく、私物化による巨額の資産の不正売却、不正利得の問題ですが、問題の本質をすり替えて、国営時代に多額の資金を投入したことが悪かったとの意見にすり替えています。当時、そんな批判はまったくありませんでしたし、多くのかんぽの宿は、地元の協力・要請によって作られてのが実態です。勿論、郵貯の資金で建設したのは、リゾート法によって作らされたのが実態なのではないでしょうか‥設計者が、外国の圧力でしたから、わざわざ外国人を使っての、設計だったのではないですか。国営とはいえ、税金ではありませんから、税金のムダ使いにもなりません。

 >ついでに言えば、かんぽの宿については、手続きの問題点が詳細に書かれていますが、それ以外にも様々な論点があります。例えば、オリックスへの売却価格を批判する総務省のコメントを載せていますが、かんぽの宿の資産価値は、去年12月の段階で総務省の委員会がデューデリでもオリックスへの売却価格よりも低かったのです。それら様々な論点に言及せず、手続き論だけから西川社長以下少数による密室政治がかんぽの宿問題の本質と断言するのには、ちょっと違和感を感じざるを得ません。<

 密室政治も問題にしているのですが、不当な売却、不正な売却を問題にしているから、出来レースだとの指摘ではないのでしょうか。手続き論だけから、批判しているわけではなりません。市場原理主義の虚妄の本質を突く形で、批判しているのです。売却価格は、一万円で売って、数千万円で転売するのが、しかも数日後にするのは、不正以外の何者でもないでしょう。

>公社時代の悪行は民営化のせいでない

 第二の問題点は、どうも結論ありきで議論が展開されているように感じることです。

 例えば、かんぽの宿問題について、民営化前の公社時代に行われた売却にまつわる問題を詳細に書いた上で“日本郵政はいまや「疑惑のデパート」と化した。100年かけて勝ち取って来た国民の信頼が、民営化一年あまりで地に落ちようとしている”とまとめています。しかし、公社時代に起きた問題は民営化とはまったく関係ないのではないでしょうか。公社時代の悪行も民営化のせいになるのでしょうか。<

 公社時代の悪行も、勿論、民営化のせいです。公社時代の、特に、後半の2年間は、民営化の準備期間と称して、公社であることを’忘れて’、どんどん民営化なみの手法をとったのではないでしょうか。コンピュータの改修で、民営化が遅れる可能性があることを指摘した当時の生田総裁について、早くやめ炉などと暴言を吐いていたのは、どこのどなたでしょうか。

 >障害者郵便の制度を悪用した事件についても、“それが、支店だけでなく支社まで関与した組織ぐるみとなれば、郵政が抱える闇は民営化後も底知れず深い”と書かれてています。しかし、障害者郵便の悪用はかなり以前から行われていたのです。他にもファミリー企業の問題など様々な問題がありました。そうした問題点が明らかにされて是正されることが、民営化の意義の一つなのではないでしょうか。でも、40万人を抱える大組織で民営化から一年たらずですべて解決できるはずはありません。民営化しても闇が変わらないかのように書いては、ちょっと日本郵政が可哀想ではないでしょうか。<

広告会社の介入の問題などは、民営化というより、西川社長が就任してからの問題ではないでしょうか。民営化の闇であって、公社時代、それ以前の闇の話をしているのではありません。日本郵政はかわいそうではありません。

 >また、全体として民営化を巡るマイナスの側面ばかりが列挙されているのも気になります。民営化にはプラスの側面も当然存在します。例えば、民営化前の公社時代の国への納付金は年間2400億円でしたが、民営化された後の納税額は年間8000億円程度になります。そうしたプラスの面は一切書かず、マイナス面ばかりを書き連ねていては、結論ありきで全体が構成されているのではないかと邪推されかねないのではないでしょうか。<

 マイナスの側面ばかりが列挙されているとの不満のようであるが、プラスの面があるのでしょうか。むしろ、ご指摘の納税額が、増えたことをプラスとすることは、お役人のよろこぶことでしょうが、公社時代にも納付金を上納していましたし、むしろ、民営化して、税金が少なくなる構造にしたのではなかったでしょうか。簡単な論理で、読者を惑わしてはいけません。明らかに、営業成績は、公社時代よりも落ちていますし、分割ロスがいろんな所で出ています。最たるものは、郵便局長や社員の志気が低下していることです。

>郵政民営化を一方的に
賞賛しろとは言っていない<

勿論、一方的に称賛する者などいやしません。ご安心くださいとでも表すべき表現です。 

>インターネットの普及に伴い、新聞や雑誌の収益が急速に悪化する中で、世界的にジャーナリズムをどう守るべきかが議論されています。新聞が崩壊する中で、守るべきは新聞とニュース(=ジャーナリズム)のどちらか、もし新聞ではない場合にジャーナリズムはどのような者が担って行くのか、といった議論です。 この議論はいずれ日本でも行われると思いますが、そのためにも、まずジャーナリズムの本質が正しく理解される必要があると思います。そして、その本質とは、ある事象についての多面的な見方や新たな視点を読者に提供することではないでしょうか。それが民主主義に不可欠な要素だからです。 そうした観点から、私は、特に日本ではインターネットはゴミの山であることを考えると、日本でジャーナリズムを維持するためにはプロのジャーナリストが頑張る場としての新聞や雑誌が生き残ることが不可欠であると考えています。そう考えると、筆者にとって、本誌の今回の郵政特集はちょっと残念です。<

 急に来た、ジャーナリズム論です。インターネットはゴミの山だそうです。看過できない発言です。プロのジャーナリストががんばる場とか、威張る場になっては困りますが、散々世論操作に使ったあげくに捨てるのはおかしいのではないでしょうか。ところで、当時の竹中大臣が内閣広報室あるいは機密費を使って、、テレビ局あたりに使った、内閣の広報予算の総額をご存じではないでしょうか。

 >郵政民営化をとにかく賞賛しろなどと言う気は毛頭ありません。問題点も多いのは事実ですから。でも、マイナス面だけに終始した特集では、生産的な議論につながるとは思えません。実際、ある総務大臣経験者はこの特集を読んで「国民新党の機関誌みたいだなあ」と言っていました。こういう違う立場の人も納得する位の中身にするのが、真のジャーナリズムではないでしょうか。私が最も好きな経済誌であるダイヤモンドがその旗手となってくれることを、心から期待しています。<

 繰り返しますが、プラスの面はほとんどなく、その特集記事でも、郵便局長が政治活動が自由になったことだけだと揶揄しているではないですか。ある総務大臣経験者などともったいをつけなくても、元上司の方であるとわかりますが、違う立場の人も納得するくらいの中身にするのがジャーナリズムではないでしょうかとは、正気の沙汰ではありません‥市場原理主義の特徴は、相手を打ちのめすことが特徴で、これに政治が絡むと中南米のように、違う立場の人を逮捕投獄するのが常套手段です‥憲法違反の解散劇や、郵政民営化の刺客選挙と言った、法の支配の欠如の事態を思い出すべきですが、岸教授は健忘症のようです。違う立場の人であれば、激怒するように書くのが本当でしょう。勿論事実を書くことですが。その点、週刊ダイヤモンドの特集は、不都合な真実を次々とていきょうしていることは、郵政民営化の闇の中枢の人物の秘書官をしていただけに、相当気に障ったようであるから、逆にその特集の内容は、正鵠を得た記事が多いことが推察できる。しかも、ダイヤモンドの心が広いのは、こうした、まったく的外れの意見にもそれなりの敬意を払って、オンライン版とはいえ反論記事を掲載しているところである。岸教授などが、現役で華やかなりし頃は、反対意見なども許される状況ではなく、霞ヶ関では追放、降格、左遷あるいはごますりの昇格人事などの強権発動が平気で行われたものであったことは、よくご存じのことと思う。

 岸教授の反論は、市場原理主義の虚妄が完全に退潮にあって、追われる側に廻ったことを示しており、市場原理主義というカルトの勢力の表面の活動家も相当弱気になっていることが想像できる。

Funny Postal Privatization

Corrupt Postal Privatization 91

野党三党から刑事告発を受けている日本郵政の西川社長は、辞任を拒否するどころか、職にしがみつくようにしているが、そうした混乱状況について、ジャーナリストの町田徹氏が、ポッドキャストという、音声メディアで取材報告をしている。

そのリンクは次の通りである。MP3のファイルであるから、音声を再生するソフトが必要であるが、コンピュータであれば、代替のOSでは、再生ソフトがあると思う。

http://podcast.tbsradio.jp/dc/files/machida20090518.mp3

刑事告発を受けるような社長は、辞任すべきである。いずれにしても、前代未聞の品のない話である。

Corrupt Postal Priatization 90

 日本郵政の西川善文社長の進退をめぐって、自民党内の対立が激しさを増しているという。日本郵政の西川社長が、続投を表明したところであり、市場原理取捨でしめる人事委員会と称する社外重役などで構成される部内組織で、早々に取締役の再任案も承認してしまった。経済週刊誌で、七億円をどぶに捨てたと揶揄されている人材派遣会社の女性社長など、マナー違反の経営者が残留する?人事もその中に含まれており、いよいよ、お仲間の資本主義である、市場原理主義の経営手法が露骨に出たわけであるが、そうした強行策がとられているのは、西川社長が今の時点で辞任すると、特別背任の未遂罪で東京地検に告発されていることでもあり、さらなる民営化の伴う利権の動きが表面化することに危惧をする勢力がいるとの見方もされている。(日本郵政の指名委員会は、18日、西川氏の続投を支持を決定。また、九人いる取締役の再任を提案事項としてまとめている。)鳩山総務大臣の政治生命を絶つ方向で、窮地に追い込んでいるとの見方がある。

 しかし、いわゆる上げ潮派と呼ばれる、自民党内の市場原理主義勢力の領袖となった中川元幹事長の鳩山批判などがあるが、これまでの羽振りの良さは、最早伺えないほどの凋落ぶりである。上げ潮ならぬ引き潮であった事態が、昨年9月に明らかになって以来、市場原理主義の虚妄は既に追われる立場となって、刑事告発を始め追求される側となっているのが、世界的な流れである。オバマ政権は、ブッシュ政権の中枢を、グァンタナモの拷問事件などに関連して訴追する可能性さえ見せており、法の支配を欠くことがままあった、市場原理主義の政治手法は、完全に退潮に向かっている。

 そうした中で、小泉・竹中政治の本丸であった郵政民営化は、完全に失敗しており、社長など、市場原理主義の手先の経営幹部のしがみつくような、続投宣言は、潮目がすっかり変わったことを認識しようとしない迷妄である。

 鳩山邦夫大臣は、もともと政治哲学を共生の政治として掲げており、市場原理主義に対して批判的な、つまり、現在の市場原理主義の蔓延を批判することのできる実践家としては、実は、時代にかなった政治家である。であるが故に、これまでの新自由主義の勢力が目の敵にするのは当然であり、鳩山大臣を、認可をしないことしか選択肢がない状態に追い込んでいる。市場原理主義者は、意図的に対立や、国家間では紛争を起こしてゆき、その混乱に乗じて利益を収めるという、火事場泥棒のような、手法をとることがままあるので、その点は、鳩山大臣を始めとする、保守勢力は、挑発に乗じてはならない。また、情けをかけても行けない。情けをかけた一瞬で敗北になる。郵政民営化を始め、混乱を作り出し、価値を意図的に下げて、買いたたくのが、常套手段であったからである。今回、最後の拒否権は、実は、鳩山大臣に与えれている。正統性の象徴である。天佑である。

 さて、そうであれば、市場原理主義者は、次の手口として、解散を早めて、鳩山大臣を大臣でなくするように動くであろう。そうすれば、延命工作ができるからである。考えられる最後の奇策は、解散ではなく、鳩山大臣を更迭する内閣改造であるが、しかし、いくら何でもそうした奇策が実行されるとは考えられない。最早、手練手管は通じない状況にある。自民党が自浄できないのであれば、政権交代に突っ走ることになる政治状況である。麻生首相は、郵政民家化が間違ったことになることを認識しているのであるから、むしろ、こうした極端な対立の中では、指導性を発揮すべきではなかろうか。小泉政治に追従するしかなかった総務大臣ではないのであるから、むしろ、総理に同調しない勢力に対して、戦いを挑む胆力すら求められる。明らかに、鳩山大臣は、児島高德の役を演じていることは間違いないし、試されているのは、総理の指導力である。

 いずれにしても、拝金の市場原理主義の断末魔が聞こえるような、政治・経済状況であるが、郵政民営化は、その「本丸」であるだけに、いちにちでも早く、郵政が国民の手に奉還されることを、祈念する。そして、一連の法の支配の欠缺は、これまた、いちにちでも早く是正されなければならない。、

Corrupt Postal Privatization 89

かんぽの宿の騒動は、白紙撤回となって、既に忘れかかられている部分もあるが、その背景などについて思い出すことが必要である。こんな記事もあった。http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/cmsa-2722.html 刑事告発が行われているので、色々な情報が収集されていくことになる。天網恢々疎にして漏らさず、である。

Corrupt Postal Privatization 84


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Corrupt Postal Privatization 88

Internal Affairs and Communications Minister Kunio Hatoyama has repeated his indication  for the resignation of Japan Post Holdings Co. President Yoshifumi Nishikawa.

Hatoyama made the remarks because he believes Nishikawa should take responsibility for problems over the planned sale of the company's Kampo no Yado inns and other corruptions and scandals as reportedly.

But some in the ruling parties have voiced concern that removing Nishikawa, who has played a leading role in the privatization of the postal services, might give the impression to the public that the government is backtracking on postal reforms, even if it is a only a fake reform.

Regarding Nishikawa's position, Japan Post's management appointments committee Monday tentatively decided to keep him in the president's post. The appointments committee consists of the market fundamentalists such as Mr Ushio and Mr Okuda, a former chairperson of the mighty _Toyota motors and other notorrious managers of the big corporations in Japan. Thus management of the Japan Post was already not in the hands of the Japanese populace and dominated by the small number of capitalists and its followers and the Privatization in Japan is called a Shibutsuka or transfer of public property into the hands of the private corporate owners..

But at a press conference after Tuesday's Cabinet meeting, Hatoyama said, "Property belonging to the people [the Kampo no Yado inns] was about to be sold at a knockdown price."

The Japan Post Group's "administrative competence proved insufficient. It has been completely unable to meet its obligation to explain itself to the public and the Diet. Various changes will have to be made at the company," he said.

His remarks implied that Nishikawa should resign. He also criticized the appointments committee's decision as "self-serving" because Nishikawa is a member of the committee.

The Internal Affairs and Communications Ministry has the authority to veto the assignment of directors at Japan Post Holdings. Thus the minister can overturn a decision to keep Nishikawa as president even if Japan Post Holdings decides to keep him on at its general shareholders meeting in late June, anyway.

Reportedly,Hatoyama was attempting behind the scenes to appoint an executive of a major telecommunications firm as Nishikawa's successor. Sources close to him said Hatoyama was determined to replace Nishikawa.

Hatoyama is continuing to call for Nishikawa's resignation because the minister believes it a matter of course that the president should have resigned once the minister's probe into the Kampo no Yado issue revealed a lack of transparency in the bidding process, according to Hatoyama's aide.

Nishikawa took the president's post at the insistence of then Internal Affairs and Communications Minister Heizo Takenaka during the administration of Prime Minister Junichiro Koizumi. Mr Nishikawa is reportedly involved in the deal of teh Goldman Sachs when Mr Paulson was in charge. There is a storng specualtion that Mr Nishikawa was appointed to the post by the strong backing of the interests related to the American financial cirle. Mr Takenaka was clinging to the theory of the possible transfer of the Japanese people's assetts to the capital market overseas. Now it is only a day dream because the market fundamentalism in the world collapsed since September 15, when the Leaman Brothers went bankrupcy.

Some observers say that Hatoyama's demand for Nishikawa to resign is partly because of Hatoyama's antipathy toward Takenaka since Hatoyama has been critical of Koizumi's structural reform policies which destroyed Japan and the rest of the world, as in case of the neocons which destroyed the traditional American values.

But a sizable number in the Liberal Democratic Party remain as the supporteres of neocon policies and they are against the Hatoyama's aggressive stance.

Yoshihide Suga, deputy chairman of the LDP's Election Strategy Council and Hiroyuki Sonoda are typical two figures who represent the neocon policies in Japan regarding the postal privatization .

Now it is apparent the the prime Minister Aso was not happy about the postal privatization, at this stage he is reluctant to intervene in the management setup of Japan Post Holdings, which has become a private company, and seems to be intentionally trying to evade the possible battle between the neocon groups represented by the former prime minster Koizumi.

This blog respected the values of the democracy and did not obey the dominance of the new liberalism which is centered on the hegemony of economy and it continues to support stronlgy the possible ousting of Mr Nishikawa and other occupation forces within the wings of the Japan Post and sincerely pray and wish that the possible peace and prosperitiy in theJapanese postal services may be recovered.. Greedy capitalism and its tyranny shoud soon be over.

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Corrupt Postal Privatization 87

Japan's postal services are now privatized and it was divided into four companies and reportedly the privatization is not based on the rule of law and outcome is a total failure .

It was announced that the  four companies within the Japan Post group posted a superficial net surpluses in the first business year that ended in Marchi this year.

Japan Post Holdings Co., the holding company of the Japan Post group  registered 19.9617 trillion yen in sales, 830.5 billion yen in ordinary profits and 422.7 billion yen in net profits in fiscal 2008 on a consolidated basis. It is the first time that the company has announced its financial statement for an entire business year since it was founded in October 2007 through the privatization of Japan Post.

The profits of three of the companies, excluding Japan Post Insurance Co., could be seen a big figure but it was far lower than the initially expected. The mechanismi is that the universal services of the Japan Post is earned, about 60~70%, from the two finnancial wings, especially from the Japan Post Bank.co. The structure remains totally the same before the privatization and most commentators here claims that the privatization in Japan of the postal services are only a domination of the politicallly insprired business circule and possible toransfer of the postal assets to the villains of the so called Wall streets, which are now under the attack of the American people.

Japan Post Bank registered 229.3 billion yen in net profit, while mega banks have plunged deeply into the red. However, Japan Post Service Co.'s net profit came to 29.8 billion yen, well below the 47 billion yen that had been forecast, as earning from its mail delivery service fell 3.5 percent last fiscal year from a year earlier due to the economic downturn. Japan post bank remained conservative to buy solely governments bonds and other low risk financial products and continued to be the largest earner amongst the Japan  Postal gruop

Yoshifumi Nishikawa, president of Japan Post Holdings, said he will stay on until Japan Post Bank and Japan Post Insurance are prepared to list their stocks, possibly in fiscal 2010, but there remains the harsh criticisms against his lack of governance and possible corruptions within the Japan Post group as exemplified by the process of un-transparent sales of the Kampo-inns.

This blog can clearly state that the market fundamentalism in Japan is almost dead and the wind which blew strongly to wipe out the culture and tradition of Japan is now almost stopped. Schock doctrine in Japan, one example is the postal privatization as imposed by some American vested interests groups are now totally decayded.

The conspiracies of the Japanese neocons such as the former prime minister Koizumi and the Minister Takenaka to sell out the assetts of the Japanese people failed completely.

Some Japanese commented that the Kamikaze again blew, and the Japanese assetts were saved after the collapse of the market fundamentalism in Japan since September 15the last year the momento when the Lehman brothers went bankrupcy.

Privatization of Japan Post is now apparently total failure. The President who were installed by Takenaka and Koizumi are under strong criticisms to leave the post, though Mr NIshikawa clings to the post becauce reportedly other scancals may be reveraled out after his departure  Some of his subourdinated from the _Sumitomobank continues to live in the company house and reportedly already corrupt enough to be sued legally against the interests of the Japanese citizens which are the true owner of the Japan Post company.

Minister Kunio Hatoyama, in charge of Japan Post companies administration, claims that hie will abyde by the rule of law and justice which may be lost by the fake privatization processes in Japan.. Already the President of the German privatized Post chief, was arrested because of his illegal transfer of money beyond border and it is probable that the Japanese Minister will also topple down the chief of privatized Japan Post, Mir Nishikawa who symbolized the market fundamentalism in Tokyo.

In Japan also the harshest battle between the neocon and the domocratic values are occuring as in the case of the battles betweenn the President Obama and former vaice president Cheney. In case of the Japanese postal privatization, it will be definitely be a case for the clear winning for the people of Japan and not for the villains of the financial circles and the maket economy fundamentalists.

The fate of Mr NIshikawa and his followers are doomed to be a decay and soon be erased out of the political and democratic process.

Corrupt Postal Privatization 86

http://022.holidayblog.jp/?p=4574

上記は、芸能ジャーナリスト渡邉裕二のぎょうかいヘッドロックというサイトへのリンクである。ロンドンのインディペンデントという新聞の東京特派員の記者の方が書いた記事を紹介している。その部分を引用する。ご参考まで。

[●4年前、総選挙の争点で小泉純一郎元首相は「郵政民営化」を明確に打ち出した ●もっとも当時の世論調査を見る限り、国民は「郵政民営化」を争点にしていなかったが、小泉元首相の支持率は急上昇した ●私から見て、これは日本の奇妙な現象だった ●正直に言って、私は小泉元首相や当時、総務相だった竹中平蔵氏の主張した「郵政民営化」には反対だった ●かつて私は英国に住んでいた時、サッシャー元首相が推し進めた公共事業の民営化によって悲惨な状況になったことを目の当たりにしていたからだ ●私に限らず英国人は、民営化の悲惨さを身にしみて、実感しているはずです ●その悲惨な状況が、今度は小泉元首相によって日本でも起きようとしている――と、私は思った ●あの当時「郵政民営化」は、主に300兆円以上もあるという郵貯問題を挙げていた ●しかし、結局は郵便事業全体の見直しになっていった ●基本的に民営化されると、内部では解雇やリストラが進み、その分野での経験者が少なくなる ●しかも、雇用では職員の出入りが激しくなり訓練された人も少なくなる ●当然、コスト削減から1人ひとりの仕事量も増え対応も悪くなる。精神面においても民営化されると職員は、自らの立場に対してプライドが失われる可能性もあり、仕事へのモチベーションも下がってくるでしょう ●私は、日本に住んでいて「素晴らしい」と思ってきたのが、ユニバーサル・サービスの「郵便局」なんです ●私はアイルランドの出身ですが、母国の家族からの手紙は1週間以内に届く ●このスピードは世界でもトップクラスでしょう ●日本の郵便局は、世界中で最もスピーディーなんです ●しかし、民営化された英国では、対応も悪ければスピードも遅い ●日本の郵便局とは雲泥の差です ●こういった利点を何故、小泉元首相は改革したがり、国民は支持するのか、私には全く理解出来ませんでした ●JR(国鉄)、NTT(電電公社)は民営化して成功した――と言いますが、民営化したことによる影響は知らず知らずのうちに出ていたと思う ●何年か前のJR西日本・福知山線の脱線事故も、結果的には民営化が引き起こした事故だと思う ●何故なら民営化の基本はコストダウンであり、利益を出すことが重要になってくるからです ●しかもJRも、利益が出なくなれば廃線されています ●NTTにしても携帯電話の普及で公衆電話を廃止しています ●しかし、大地震が来た時には携帯電話が使えなくなることは確実です ●緊急の時に気づいたら公衆電話もないのです ●郵便局も民営化されれば必然的に全国一律のユニバーサル・サービスは見直されているでしょう ●地方都市にとっては致命的になるはずです ●しかも、日本の場合は、例え民営化しても、何かと規制をしようとする ●役人の天下り先にもなっている ●そうなったら、民営化しても何もよくならないことは明白です ●小泉元首相の改革というのは、弱い人――老人や貧しい人、田舎や過疎地域に住んでいる人に大打撃を与えるものだった ●日本人の多くの人が改革を望んでいることは分かりますが、改革によって、さらに悲惨なシステムを作り上げようとしているようにしか見えません ●従来のシステムを否定して破壊してしまうのではなく、1つひとつを点検して悪い部分だけを改革するべきです ●現在の日本は「古い日本」と「新しい日本」の戦いとなっています ●その中で、小泉元首相は「新しい日本」の象徴だったのかもしれませんが、私から見ると、小泉元首相は「新しい日本」というより「ダメな日本」の象徴としか映りません ●その小泉元首相を多くの国民が支持をした…今でも支持する人が多い ●まさに日本の摩訶不思議です。]

Market Fundamentalism is Dead 21

鈴木宗男先生のブログに、世襲禁止の議論についてのコメントがある。

http://www.muneo.gr.jp/html/diary200905.html

一部を引用する。正論である。無所属で出て、当選後に自民党に入る‥しかも対立候補を出さない。全くの出来レース、すり替えの話だと断言している。

「自民党は国会議員の世襲制限について、次期衆議院選挙から実施する方向で検討していると報道されている。新人について、国会議員の親族が同一選挙区から連続して立候補することを、次期衆院選から禁止する案だそうだが、これが通ると、小泉純一郎元首相の息子さんは党公認ではなく、無所属での立候補となる。
 ところが小泉元首相の息子さんは、無所属で出て当選後に自民党に入る。しかも自民党は対立候補者を出さないことにするらしい。これでは全くの出来レース、すり替えの話である。
 今、なにゆえに世襲制限の話が出てきたのか。過去の甘え、惰性の政治に、今は決然とノーを言わなければならない時なのだ。それなのに身内を守り、保護するやり方をする自民党に対し、国民は怒りを込めて、賢明な判断をして戴きたい。
 自民党は時として“自分党”になる。小泉政権以後、弱肉強食、勝ち組・負け組と格差の広げるアメリカ型の新自由主義政治を行ったせいで、今国民はやる気を失っている。国民をリードする立場にある国会議員が、更に国民にやる気を失わせていることに、

唖然

あぜん

とするばかりである。やはり政権交代をしなければと、つくづく思う」

Market Fundamentalism is Dead 20

 日本郵政の社長の人事をめぐって、政争が続いているが、西川社長が辞任した場合、日本郵政の社外重役を務めており、続投支持を決めた前日本経団連会長の奥田トヨタ自動車相談役や、牛尾治朗氏などが、そろって社外重役を辞任する見方があるとの報道である。

 当ブログとしては、市場原理主義を強硬に推進してきた一部経済人が、日本郵政の社外重役を務めていること自体が、不思議なことであったことから、むしろ、早く辞任することを期待したい。経済界も、市場原理主義の強圧で、自由な言論が封じられており、郵政の民営化についても批判的な経済人も少なからずいたが、その人士のほとんどが、閑職に追いやられ、また、口を閉ざされた状態にある。しかし、新自由主義の暴風が吹き荒れた時代は終わった。

 日本郵政における、トヨタ方式の実験も壮大な失敗となっていることは、既に明らかになっているとおりであり、その関係者がむしろ責任をも感じないで、居座り続けること自体がおかしな話である。政商や、その手先が、進駐軍として君臨していることは、週刊経済雑誌の週刊ダイヤモンドが、特集を掲載しているとおりである。

 ところで、日本郵政の役員が、三井住友銀行からの出向者でしめられていることが明るみに出て、しかも、社宅にすんでいるという違則の事態が明るみに出ているが、まさか、社長や副社長も、出向人事ではないでしょうね、と勘ぐりたくなる事態である。

 郵政民営化は、私物化と、外国への国民資産の移転が目的であったと考えられるが、何れも、発覚して、失敗した。誤った、ガバナンスを実行しようとした経営者は、社外重役を含めて、大騒ぎを起こさないで、むしろ静かに、退場すべきではないのか。

Market Fundamentalism is Dead 18

上げ潮派と呼ばれる市場原理主義の勢力があるが、上げ潮とは、シェイクスピアのジュリアス・シーザーからの引用であることは間違いがない。

「There is a tide in the affairs of men, which, taken at the flood, leads on to fortune; Omitted, all the voyage of their life is bound in shallows and in miseries. On such a full sea are we now afloat, and we must take the current when it serves Or lose our ventures.  Julius Caesar (IV, iii)」

上げ潮であれば、船を乗り出すことが必要であり、浅瀬に乗り上げることでもなく、人生は自然の摂理に従って、希望がもてることになる。勇気を持って船を乗り出せるのが、上げ潮である。

 レーマンが、つぶれるわずか一週間前にも上げ潮だと行って、日本の政治家や、経済人を煽った外資の金融機関の調査部門の関係者がいた。その者の講演資料には、上記のジュリアス・シーザーの一説が麗々しく引用されていたことを覚えている。

上げ潮と叫ばれたが、現実はが引き潮であり、市場原理主義は崩壊の瀬戸際にあったのであり、危うく、郵政資産などを外国に持ち出しておれば、国損を喫するところであった。

今、上げ潮派と称する政治家が、鳩山総務大臣を激しく攻撃しているという。自然界の動きに対する判断を誤った、「引き潮派」でしかない市場原理主義のカルトの残党が反撃しているかのようである。民営化、規制緩和、公共政策の削減という市場原理主義の三大虚妄をなくして、日本の政治・経済を、アメリカの新政権同様に、あるいは見習って、正道に戻すことが肝要である。その真の改革の本丸が、郵政民営化の虚妄を一刻も早く見直すことである。真の上げ潮派は、実は、郵政民営化に反対したいわゆる抵抗勢力であったことがはっきりしたのは、皮肉なことではあるが、シェイクスピアの戯曲よりも奇なる現実である。

Market Fundamentalism is Dead 17

 ネットでは、22日午後4時から開かれた日本郵政社長西川善文氏の記者会見についての記事を各新聞が掲載していることを報じている。日本郵政の取締役会は22日、西川善文社長を含む取締役9人全員の再任案を決めたと言うことである。本来であれば決算の数字が発表されるのは本筋であるが、それ以上に、人事の問題が大きく報道されている。郵政民営化の推進役は小泉改革の象徴でもあり、去就が焦点となっているからである。

 「日本郵政が国民の財産をかすめ取って売り飛ばそうとした。(社長の)責任がないことを私が認めれば、正義感を捨て去ることにつながる」 と鳩山邦夫大臣は指摘しているが、西川社長は辞める気配が全くない。記者会見では、「まだ道半ば。途中で投げ出すわけにはいかない」などと述べた上で、「かんぽの宿」問題について「我々も正義にもとることをやったという認識はない」と大見得を切っているが、日本郵政の取締役人事は、6月末の株主総会を経て、最終的には総務相が認可を拒否する公算が強まった。

 西川氏が、小泉政権時代の06年1月、日本郵政の前身の準備会社社長に就任したのは、市場原理主義華やかなりし頃で、当時の生田総裁を更迭して、強引に社長に就任させた人事であり、何ら、国会の議論なども経ていない。取締役会もお手盛りの人事となっており、郵政民営化推進論者で固められており、何ら、国民の意見を反映する者となっていない。日本郵政は、アメリカ型の委員会設置の会社となったが、そのアメリカ型の経営なる者の本質が露呈した形になった。社外重役を務めるいわゆる財界人も何ら波紋を興すこともなく、すんなりと、かんぽの宿という大きな、公党が特別背任の未遂で告発があっても何事もなかったかのように、OKのゴーサインを出す醜態を見せている。民営化を強力に推進した政治家の反発があるので、触らぬ神にたたりなしで、静観を決め込みたい情勢が続いている。

 株主の権限については、与謝野財務相が行使することになるが、郵政に関する総務相の権限は、拒否権と同じような権限となっており、暗に鳩山大臣に自制を求める向きもあるが、この期に至って、鳩山大臣も振り上げた拳を下げることができない状態に、財界からの社外重役は、西川社長を追い詰めてしまった。鳩山大臣は、自らの政治生命を失うことになることから、認可をしないことだけの選択肢しかなくなった。鳩山大臣は辞任覚悟で社長交代を迫る構えをみせるしかない。世界情勢は変わっており、ブッシュ・小泉の市場原理主義の時代は、完全とはいわないまでも、世界的に見ても破綻した状況にある。ドイツなどは、民営化の急先鋒であった、ドイツ郵政会社の総裁を逮捕して追放したのが現実である。民営化は、まったく虚妄の政策であったことが世界的にも明らかになりつつある中で、総理大臣も党内に、市場原理主義を抱えていても、郵政民営化が失敗であることが明らかになる中で、おいそれと民営化路線を追認するわけにはいかないのが本音だろう。

 ともあれ、外堀が埋まった中で、こうしたこだわりを見せる老醜とも言える西川社長のしがみつき方は、かんぽの宿以上の国益を損することが表面化することを畏れているのかも知れない。この際、国会における質疑が、より以上に重要な役割を果たすことになるのかも知れない。

当ブログにおいても、西川社長が出席した、郵便局長会の会議模様を報告したが、社員の間からも、辞任を求める声が相次いでいる。国民の資産を、私物化したもとと思い込んで、元の銀行の頭取のようなワンマンの行動をしたのだろうが、大いに誤算であった。再度検討して、自ら辞任を発表するときだと考えるがどうだろうか。政権交代があれば、まず、第一に解任の対象となることは間違いないのだから。今日の記者会見は、何か日本郵政に魔物がとりついたようなおぞましい会見になった。早急に正道に戻すことが必要である。鳩山大臣のぶれない判断に、日本再興の観点からも、ささやかな希望と期待を繋げたい。大会社の社長などを連ねた、人事の指名委員会のメンバーも、引かれ者の小唄を唄っているかのようである。市場原理主義の時代は、もう終わったのだ。西川社長が、続投を本日の記者会見で宣言したのは、皮肉なことに、市場原理主義の虚妄がいよいよ明らかになり、郵政民営化が完全に失敗で、単なる私物化であり、外国勢力への資金移動がもくろまれたことが明らかになったことは、この国日本から、新自由主義の横暴と暴虐をを一掃する契機を与えることになった。文字通りの天佑である。

Corrupt Postal Privatization 85

「ここをクリックすれば、pdfファイルが見えますでしょうか。 日本郵政は、西川社長名で、国会に参考人として出席して発言した、ジャーナリストの町田徹氏に対して、言論弾圧を行い、公式に謝罪するという事件が発生したが、その後の顛末について、町田徹氏が、通信文化新報というミニコミに記事を掲載している。

ご参考まで。

Kuroshio 7

貝の広がりも、黒潮の豊饒に連なっている。貝の漢字は、宝貝の象形文字からできている。宝貝は、豊饒の権威の象徴であり、ポリネシアの酋長も古代史なの王朝の貴人も首飾りにしている。ボストンの隣町のケンブリッジにあるハーバード大学に付設される燕京(エンチン)研究所は、北京の精華大学がアメリカのキリスト教関係者が設立した大学であるから、それに連動して発足した研究所であり、日本を含む東アジア研究の中枢の場所であり、中国、朝鮮、日本の文献を大量に所蔵している。そこの談話室の壁に西太后の油絵が掛かっていた。西太后は、宝貝のネックレスをしている。シナの大陸の中に貝があるわけがないし、沿海にも宝貝は算出しないので、原産はどこかと言えば、日本の南西諸島と推測することが容易い。シナが琉球と呼ぶ所以である。宝貝は、黒潮のはぐくむ珊瑚礁に住み着いているから、沖縄本島と宮古島との間にある、大潮の時には海面に姿を現す、大珊瑚礁に算出した貝がはるばると朝貢貿易で運ばれて、西太后の首飾りになったものと思われる。南シナ海の群島も勿論大産地である。逆に、春秋戦国時代の燕の国の明刀銭が、竹富島で発見され、前漢に初鋳造された五銖銭が出土しているから、逆の交易路を伝って、シナの大陸に浸透したのは、駆虫薬としての海の海草の海人草だけではない。琉球王朝になっても、大明帝国になんと五百五十万個の宝貝を朝貢した記録があるという。一六世紀の、最近の話である。

 大日本にはそもそも発想がなかったので免れたが、奴隷貿易の通貨ともなった。インド、アフリカでは、収奪の媒介手段として機能した。インド洋のセイシェルなどと貝を思わせる群島があるように、モルジブなどの珊瑚礁のある島嶼からそこから大量に採取して、帆船で運搬している。豪州で金鉱が発見されてマルクスの世界革命の予想が頓挫して、西洋の植民帝国主義が延命するが、それ以前には、豪州の珊瑚礁や南太平洋の島々も、貝殻を大量に供給して植民地経営の根本手段を提供した。文字通りの宝箱であった。イギリス本土近くで、難破した船には、何トンもの宝貝が積まれていたために、それが海岸に流れ着いて、宝貝が北海で獲れると思い込む者もいたほどであり、その時代の名残で、収集家もおり、珍しい宝貝は今なお高価で取引されている。英語で宝貝をカウリーと言うが、ヒンズー語からの借用である。ちなみに、宝貝を、古語の残る南島では、ワンニャクを呼ぶ。子安貝とも呼ばれるが、これは八丈あたりで産する大きめの宝貝であろうし、その形状から名付けたものだろう。南島では宝貝を算出する珊瑚礁をヒと呼ぶが、女性の性器もヒと呼ぶ共通性がある。火をヒと呼ぶようになっているが、松明(たいまつ)の言葉に残るように、火はマチと呼ぶのが古の言葉であるとすれば、松明は大きな火の意である。三島由紀夫の小説「潮騒」の若い男女が結ばれる場面では、その火を跨いでこいと呼びかけるが、火でヒを象徴しているように読める。宝貝ばかりではなく、その他の貝も腕輪などの装飾となり、珊瑚礁の海に生息するゴホウラ貝やイモガイなどの巻き貝の飾りなどは、北海道の貝塚からも発見されている。貝塚は、世界的に見ても、東アジアの沿海域に濃密に分布している。東京湾の台地の端には、貝塚が集中している。洪積台地の端は、ほとんど貝塚ではないかと言うほどの集中である。紀伊長島あたりでは、民宿でホラ貝の刺身が供されるほどであるが、修験道のホラ貝は、月山や羽黒山に行っても、黒潮の海鳴りを思い出すための方法のようだ。大名の嫁入り道具のひとつである、絢爛豪華な貝あわせも、黒潮の豊饒の印である。二枚貝をミャーとかニャーと呼ぶが、宮に通じるし、神の社の根源に豊饒の二枚貝が見え隠れする。女子の名前の美奈子とは、貝の子供との意である。おみなには、生命がかかる。 

世界的な石油会社であるシェル石油の社章は、黒潮の貝ではないが、日本のホタテ貝である。横浜で創業者したユダヤ人、マーカス・サミュエルは、湘南の海岸で貝殻を拾いロンドンに送り財をなした。一八六六年に横浜にマークス紹介を設立した。ボルネオで石油を掘り当て、ライジング・サン石油会社を設立して、日本に送った。タンカーの一隻一隻に自分が拾った貝の名前をつけた。日清戦争では、日本に軍需物資を売り、台湾ではアヘン公社の経営に関わる。一九〇二年にはロンドン市長になっているが、日英同盟との関連を想像する。市長就任式に日本の駐英公使を招いて、行列の馬車に乗せたという。当時のイギリスには、ユダヤ人差別があり、海軍に石油を納入していたので反感を買い、後にロスチャイルドに買収されて、英蘭連合の会社として提携して、今は本社をアムステルダムハーグに置いて残るが、社章だけは、この会社が続く限りホタテ貝とすることを譲っていない。日本には、ユダヤ人を排斥した歴史はない。朝鮮系米人で、ワシントンで事件を起こした著名のロビースト氏も、父親が平壌にあったシェル石油の総支配人であったと述懐していた。

Corrupt Postal Privatization 83


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Corrupt Postal Privatization 82

一件は百聞にしかず。当ブログにおいては、再度リンクを貼って起きたい。日本郵政をめぐる言論弾圧事件関連の映像資料である。

Corrupt Postal Privatization 81

参議院予算委員会での、中川義雄議員の質疑で、西川日本郵政社長の進退を問うものである。就中、西川社長の厚顔無恥の答弁ぶりと、まったく対照的な、鳩山大臣の,政局を考慮しないで、正義を求めるとする答弁は、圧巻である。鳩山大臣は、ジャーナリスト町田徹氏の国会における参考人発言に対して加えられた、日本郵政西川社長名の配達証明付き文書の送達について、脅迫紛いの事件と表現している。詳細は、参議院テレビの動画をご覧ください。中川議員は、農林関係の質疑を前半で行い、郵政関連の質疑は、32分が経過したあたりから始まっているので、下記のリンクを見る際には、画像を早送りすることが必要である。

http://www.webtv.sangiin.go.jp/generator/meta_generator_wmv.php?ssp=10889&on=1242832887&si=df49afcfe2e2183c76fea9c113831d794&ch=y&mode=LIBRARY&pars=0.7761573841668073

Corrupt Postal Priatization 80

週刊ダイヤモンド5月23日号が特集した、日本郵政の暗部について、よくまとめたブログが見つかりました。リンクは、次の通りです。

http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10264066042.html

以下、一部引用。「そして、今週の『週刊ダイヤモンド』(5/23)では、「『かんぽの宿』だけじゃない!日本郵政の暗部」と題した特集を組んでいます。

 特集冒頭の見出しは「迷走する大本営」で、日本郵政グループを牛耳る民間役員の暗躍の実態を取り上げています。「かんぽの宿」売却を仕切った三井住友銀行出身の役員グループの暗躍はもちろんのこと、公社時代の共用カードの実績は18位で0.2%のシェアしかなかった三井住友カードを2007年、ゆうちょ銀行独自のカード事業の委託先として三井住友カードに決めた日本郵政・常務取締役も元三井住友カードの副社長だったこと、郵便局の現場に混乱だけを持ち込んだトヨタ自動車チームの実態、そして現在、日本郵政の社外取締役をつとめる奥谷禮子ザ・アール社長の問題などが取り上げられています。奥谷禮子氏率いる人材派遣会社ザ・アールが、7億円で受注して実施した郵政公社時代の接遇マナー研修について、「7億円をどぶに捨てたマナー向上運動の顛末」と見出しを付けているところを一部紹介すると--

 「これがスカイブルーの挨拶です」--元キャビンアテンダント(CA)だという講師はそう言うと、深々とお辞儀をしてみせた。お辞儀をされたお客さんが青空のような爽快さを感じるから「スカイブルー」なのだそうな。続いて、書留配達のロールプレイング。配達先でまず自身の所属局と部署、名前を言ってスカイブルーのお辞儀をし、満面の笑みで「○○様、本日は書留をお届けに上がりました」と告げなければならない。参加した職員はたまらず、研修を見守る幹部に尋ねた。「あんなことをしたら配達先が気味悪がってドアを開けてくれなくなるけど、本当にやるんですか」--。職員全員の接客態度をランク付けするとし、ランクは上から三つ星、二つ星、一つ星、星なし。星の獲得には研修参加が不可欠で、二つ星、三つ星には筆記試験が課される。獲得すれば星の絵柄入りのバッジが支給される。当初、「星のない職員は接客業務からはずす」とまで宣言していたが、現実には慢性的人手不足のために職員が星を獲得するまで待っている余裕などなかった。加えて、7億円もの取引がある奥谷氏が日本郵政の社外取締役に就任したことが国会で問題となり、民営化後は星の認定制度そのものが雲散霧消してしまった。「7億円はどぶに捨てたようなもの」(郵政関係者)だ。「人にマナーを説く前に、経営者としての“マナー違反”をなんとかしてほしい」」

ザ・アールの奥谷禮子氏が、依然として、日本郵政の社外重役としてまだ居残っている所など、「笑っちゃうしかない不正」とか強いようがないのではないのか。接客態度をランク付けした星の絵柄いりのバッジが金日成バッジと呼ばれていたようで、その写真が、週刊ダイヤモンド本誌では、掲載されている。

読者の中で、もし、その日本郵政の「金日成バッジ」をお持ちの方がおられれば、写真を当ブログにご提供いただければ幸いである。

Corrupt Postal Priatization 79

郵政民営化の暗部が次々と明るみに出てきているが、郵便貯金会館の譲渡については、一部の経過が表に出ているだけである。とあるブログが、譲渡を受けた会社の決算を分析して、巧妙な私物化であると断じている。ご参考まで。リンクは、次のとおりである。

http://blog.goo.ne.jp/thinklive/e/4684e61765f77b5cb83355936981b776

こうした、ゼロ円の譲渡だけで、背任罪が成立する可能性大と述べている。

以下、そのブログの一部を引用する。

「郵政民営化の勢力は民営化を絶対に諦めない、諦める筈がない、ワタベメルパルクはその努力の成功の証明である、、
鳩山総務相の本日の答弁は彼らへの答弁であり、この世の中に公平さの存在を証明するものだ、

ワタベメルパルクの出現、この1つだけでも西川郵政会長は背任の可能性大だ

メルパルク 日本郵政が施設を保有し、メルパルク株が運営するホテルなどの総称である、とWikipediaではなっている、ゆうちょ財団の名称で運営されるワタベウエディング100%株式所有のメルパルク株、あこぎではありませんか、それとも損しているメルパルクよりも、儲かっているメルパルクの方がいいのではありません?

収益還元法によれば過去業績が赤字であれば、タダ、あるいは熨斗を付けなければならないか、業績を立て直すという可能性は一応棚上げされて、その価値を決定することが出来る、だからタダで譲渡することモあり得る、別に当たり前のことだ、ということになる、
メルパルクの改装には2.4億円が投資されたと、毎日の記事は報じているが、1/12施設の投資額は2000万円ということになる、サイトで見る12施設は鉄筋建ての威風があたりを払う感じの堂々たるホテル作り、例えば東京、横浜の立地をグーグルの地図で検索してください、横浜はニューグランドホテル、東京は東京プリンスクラスの立地ですよ、
この立地で今まで赤字だったとうのは、それこそ官僚経営の硬直的経営手法で、アットいうまに、ワタベウエディングが黒字にできたのも当然と言う気がします、それでも無償で貰っていただけるだけで有難い、ということになったのだろうか、
これは簡保の宿よりもひどい話だと思われます、
現在のメルパルクの12施設
メルパルク仙台 仙台市宮城野区榴岡5-6-51
メルパルク東京 港区芝公園2-5-40
メルパルク横浜 横浜市中区山下町16
メルパルク長野 長野市鶴賀高畑752-6
メルパルク名古屋名古屋市東区葵3-16-16
メルパルク大阪 大阪市淀川区宮原4-2-1
メルパルク岡山 岡山市北区桑田町1-13
メルパルク広島 広島市中区基町6-36 
メルパルク松山 松山市道後姫塚123-2
メルパルク熊本 熊本市水道町14-1
メルパルク京都 京都市下京区東洞院下る
Wikipedia メルパルクにはまだ貴重な日本郵政時代のメルク株のデータが残っていた、
毎日新聞の紹介では、メルパルクは売上が、114億円、利益が4億円として紹介されているが、
ウイキペディアのデータでは
設立、2008/8 運営開始は10/1(これはもう株式はワタベウエディングに移動している可能性、
あるいは出資社がワタベウエディングとなっている可能性もある)
事業内容はホテル事業など
代表者 渡部隆夫(*案の定である)
資本金3億5000万円
売上 25918m円(08/3期における経営成績*ゆうちょ財団特別会計表示額)
総資産1420m円(08/3/31時点)
主要株主 ワタベウエディング、100%
このウイキペディアも近く書き換えられるでしょう、」

Corrupt Postal Privatization 78

郵便不正利用事件で、郵便事業会社の本社やなどを家宅捜索しているという。速報。郵政民営化の虚妄が、化けの皮がはがされることを期待する。天網恢々疎にして漏らさずである。

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4136161.html

Restoration of Japan 10

政権交代でデフレを脱け出せ。

百年に一度ともいわれる大不況下でアメリカ大統領に就任したバラク・オバマは、先人たちの教訓に従っているようだ。本年一月にオバマ大統領は、総額7千億ドルを上回る規模の経済対策を発表した。これは、アメリカのGDPの約6%に相当し、大恐慌の時にルーズベルト大統領が公共投資に支出した財政規模とほぼ一致する。また、公共投資によって5年間で財政赤字を解消したクリントン大統領の成功例を政策に取り入れており、思い切った財政支出と経済社会の地盤強化政策による経済浮揚効果を狙っている。さらに、政権を支えるブレーンには、ローレンス・サマーズ(国家経済会議・NEC委員長)、クリスチナ・ローマー(大統領経済諮問委員会・CEA議長)といった大恐慌の専門家をそろえている。

反面日本では、依然として市場原理主義者が経済財政諮問会議や官邸・財務省・金融庁内審議会に救っており、建設的な意見はまったく出てこない。日本の政府与党はまさに脳死状態で、政権が変わらなければ思い切った経済政策は打てないのではないか。日本はいまだ、終わりの見えない不況の中にある。「十年デフレ」「十年ゼロ成長」の原因を分析してみると、新自由主義・市場原理主義という伝染病に冒され、金融・財政両面で罠に落ち込んでしまったことがよくわかる。とくに消費税増税は、市場原理型税制(レーガン型税制)の帰結であり、申し強行すれば、日本は必ず「二十年デフレ」に陥るだろう。新自由主義の元祖、ミルトン・フリードマンは「税率は個人・法人を問わず、一律(フラット)が最も望ましい」という。すなわち、「個人所得が三億円でも三百万絵院でも、税率は十%にする」という主張であり、税率が持つ所得分配の是正、社会保障制度のための累進課税をひていする。レーガン大統領時代の82年にかなりフラットな税制を採用したアメリカは、税収が激減し、大幅な財政赤字となり、85年には債務国に転落してしまった。

いま日本が「十年デフレ」から脱するには、本稿で述べた「五ヶ年計画」を実行するとともに、税制を市場原理型税制から日本型税制に改め、所得税と法人税をさらなる累進型に戻すことが望ましい。そうすれば、景気拡大とともに自然に税収が増え、財政赤字の縮小と財政再建が可能になり、消費税の引き下げが可能になる。

歴史が教えるデフレ脱却の基本は、政権交代である‥デフレ政策を強行してきた政権が180度転換した政策を出すことは不可能だ。国民に対しても退任して責任を明確にすべきだろう。

同時に、デフレ政策を支持してきた政府の審議会などの御用学者、「マスコミによくでるエコノミストなども総入れ替えが不可欠である。政権交代による政策と人のチェンジが、国を救うのだ。(おわり)

Market Fundamentalism is Dead 14

地域政党[新党大地」の代表である、鈴木宗男衆議院議員のブログは、質の高い政治ブログである。特に、外交に関する記述は、道を究めるような、求道者の香りすらする優れた記述がままみられる。北方領土問題にかける情熱や、生き様が伝わってくる。鈴木議員が、5月17日に千葉県の幕張メッセで開かれた、郵便局長総会の模様について書いているので、リンクを貼っておきたい。ご参考まで。http://www.muneo.gr.jp/html/diary200905.html

郵便局長会の総会の模様を、臨場感を含めて書いたブログがあったので、これまたリンクを貼るので、ご参考まで。ダイヤモンド社の開設するブログで、学生さんが傍聴して書いたようである。よく書けている。http://www.mentor-diamond.jp/blog/student/?p=6643

Market Fundamentalism is Dead 13

郵政会社は、六月末に取締役の任期が満了になるところから、その人事について、指名委員会が原案を提示して、西川社長などの続投を容認する方針を認めたという。鳩山総務大臣が反対の意向を示している中での決定であるから、正面強行突破の動きである。しかし、日本郵政の指名委員会委員は以下の5名であり、委員長 牛尾治朗、委員が、西川社長、高木副社長、奥田トヨタ相談役、丹羽伊藤忠会長の五人であるという。

そうして指名委員会で決めること自体が、日本国民の財産である郵政を私物化するという、郵政民営化の本質の一端を表したような動きである。日本郵政は100%政府が株式を有する完全に国有会社である。指名委員会の手続き自体がおかしな手続きである。

西川社長などの人事が行われた際にも民主主義の基本である適正な手続きが取られておらず、当時の政治家によって恣意的な人事が行われただけであり、国会での査問などは一切行われていない。そうした適正な手続きの欠陥が元々民営化法の中にあり、勘ぐれば、意図的にそうした、公的な介入を回避するため、言葉を換えれば、私物化を容易にするために仕組みを入れ込んだものと考えられる。郵政民営化法自体が、憲法違反の成立過程であったことも指摘されている。

全く正統性に欠ける手続きである。人事の対象となる西川、高木両氏がそもそも委員にはいっていることも自家撞着である。市場原理主義仲間の論功行賞の人事は、もうやめるべきである。

日本を、政商が支配する国にしてはいけない。むしろ、西川社長も、高木副社長もこの際、辞任すべきではないのか。さもなくば、西川社長に対する公党三党からの刑事告発の事態を考えれば、郵政民営化の疑惑の大きさからしても、解任されるべき状況にあるのが本当ではないのか。

総務大臣はこの人事の認可をすべきではない。幸いにして、拒否権が残っている。僥倖である。不正な権力に対しては、権威の光を当てなければならない。法の支配を貫徹しなければならない。

Market Fundamentalism is Dead 12

竹中平蔵氏を国会に証人喚問すべきかという、アンケートがあります。当ブログの読者の皆様、ご参加ください。http://lislog.livedoor.com/r/24581 ネットの少人数のアンケートなど当てになりませんから、もちろん、これは、閑話休題のお遊びですが。

Restroration of Japan 9

大恐慌を救った公共投資

いっぽう、大恐慌を経験したアメリカは、どのようにしてたちなおったのだろうか。

昭和恐慌が始まる前年の29年10月、ニューヨーク株式市場の株価が大暴落し、一大金融恐慌に発展した。時のフーバー大統領(共和党)が銀行破綻を放置したので金融システムは崩壊し、経済活動は停滞した。税収の落ち子mにをカバー誌よと石油税を引き上げたために、経済活動は一段と冷え込み、32年には国民所得が29年のほぼ半分まで低下してしまった。こうした最中、33年3月に大統領に就任した民主党のルーズベルトは、金融と財政面から大恐慌を救済する政策を実行する。金融面では緊急銀行法を制定して公的資金で銀行に資本注入する道を開き、新銀行法(グラス・スティーガル法)を制定して、銀行の株市域保有を禁止し、預金保険機構を作った。

緊急銀行法を制定する前に、政府は七日間のバンク・ホリデー(銀行休日)を設けて銀行の資産を洗い直し、再開する銀行と破綻させる銀行を仕分けした。銀行が再開される前夜の炉辺談話で、ルーズベルト大統領は国民に語りかけ、「明日再開される銀行は絶対につぶれないから、マットの下のお金は銀行に預づけた方が安全だと私が保証しますよ」と伝えた。翌日は早朝から銀行の前に列ができ、国民はこぞって「タンス預金」を銀行に預けに行ったのである。この時点で「デフレ心理」は終わったのだ。

一方、財政面では4年間も極端なマイナス成長が継続していたため、公共投資で需要を喚起する以外に経済を復活させる路はなかった。33年から36年にかけて財政支出をまいとしのGDPと比較して平均約6%増加させ、それを公共投資に集中した。高速道路・ダム建設・大規模な感慨工事・森林保護育成、環境改善と保全、病院・学校新設など、民間投資では後手に回る分野を中心に政府投資を増加し、民間投資を誘引する政策を進めた。それでも、民間が銀行借り入れにより投資を実行し始めたのは36年頃からであり、でぐれ後の民間投資の慎重さがはっきりと現れている。

昭和恐慌とアメリカ大恐慌を振り返り、結論として言えるのは、「デフレから経済を脱却させるためには、公共投資しかない」ということだ。また、両方とも国債を発行して政府の債務が増えても、名目GDPは増加している。それに伴い、政府債務の国民負担率は当初の1~2年は増加するものの、三年目ぐらいからは低下している。つまり、景気回復->名目GDP増加->雇用増加->税収増加となって、名目GDPの増加の法が債務の増加よりも大きくなるため、政府債務の国民負担率は低下していくのである。公共投資・医療費など財政の投資項目を増加させると、経済規模(名目GDP)の増加、雇用、税収の増加となって、財政改革につながるのだ。1993年に就任したアメリカのクリントン大統領も、予算死守との中身を公共投資・地域開発・教育訓練などの投資項目に集中する政策を8年間継続し、5年目で財政収支が黒字になった。また、法人所得と個人所得に累進制を強化して、景気回復による税収の自然増加をもたらした。(つづく)

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畏友の文藝評論家、山崎行太郎氏が、郵政民営化をめぐる、鳩山vs西川の戦いについて的確に分析している。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20090518/1242575234

もちろん、単純な戦いではなく、日本の文化と伝統を取り戻そうとする勢力と、拝金の市場原理主義との戦いの一端である。市場原理主義の厚顔無恥の元バンカーには正統性のみじんも感じられず、口が歪み、眼がらんらんと光るばかりであるし、名門政治家は兄が野党の代表となり政権交代を控え、政治生命をかけた戦いになるとは予想しなかったのかも知れないが。情けをかけた瞬間に、返り討ちに遭い討ち死にすることを知っているのだろうか。個人の問題をとおりこした戦いである。当ブログとしては、とりあえずは、鳩山がんばれとの声援を送る。鳩山大臣一人で市場原理主義と戦う必要はない。世界中を巻き込んでの戦いとしよう。アメリカでも勝利しているし、その他の多くの国でも政権交代をもたらしているからである。

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週刊経済雑誌のダイヤモンドが、今週発売の最新号(五月23日号)で、「かんぽの宿だけじゃない 日本郵政の暗部」という特集記事を掲載した。

その項目は、http://drc.diamond.co.jp/a8/mokuji.html?banner_id=a856でみることができるが、詳細は本誌を購入して一読することが必要である。

Restoration of Japan 8

昭和恐慌からの教訓

我々は過去、1930年1月~31年12月の2年間にわたり、「昭和恐慌」を経験している‥当時の状況を仔細に分析することで、恐慌を抜け出す光明は見えてこないだろうか。

平成恐慌と昭和恐慌を比較すると、類似点が多きことに気付く。第一に、両方ともデフレが進んでいる最中に、大蔵省・財務省の主導で均衡財政(自らのデフレ政策で落ち込んだ税収にあわせて歳出を削減する)を強行した「財政デフレ」であることだ。そして、金融政策はともに引き締める方針をとった。昭和恐慌の指導者は、大蔵省出身の浜口雄幸首相(民政党)と、日本銀行出身の井上準之介大蔵大臣だった。30年からの2年間で財政支出を一五%削減したことにより、24年から継続していたデフレ(GDPデフレーターのマイナス)が一挙に加速した。平成恐慌では財務省が主導して「財政改革」「基礎的財政収支均衡策」が進められた。また、竹中平蔵経済財政政策担当大臣は「市場原理精算型の不良債権処理」を行った‥竹中行政では、減損会計を使って不良資産を増加させることで、信用不安も興していないUFJ銀行を意図的に合併に追いやり、金融システムを不安定にしてしまった。さらに01年度から公共投資と地方交付税交付金・国庫支出金(補助金)を毎年削減し続け、8年間で二七%(累計60兆円)も削った。09年度予算もデフレ促進型であり、恐慌の終わりは見えない。

第二に、共に円の対ドル相場が切りあがっている。昭和恐慌では円の対ドル相場を22.9%切り上げて均本院製(通貨の供給量を保有している金の増減にあわせる通貨制度で円を金価格に結び付ける)に復帰した。平成恐慌でも既に円と対ドル相場は20%前後上昇し、輸出が減少している。

第三に、昭和恐慌では、新聞・ラジオがデフレを称賛しており、平成恐慌でもマスコミは構造改革と在籍記の宣伝に熱心であった。

第四に、昭和恐慌では金本位制の復帰が、平成恐慌では新自由主義、市場原理主義がグローバル・スタンダードであると宣伝されていた。

第五に、社会不安が深刻化していった。昭和恐慌では「(都会の芸者置屋へ)娘身売りの場合は当相談所へ御出ください」(山形県伊佐沢村相談所)という張り紙が出されるほど(1930年二月5日付、山形新聞)、国民の生活は困窮していた。浜口雄幸首相、井上準之介大蔵大臣はともに襲撃され、デフレによる国民の犠牲とそれへの反発は尋常ではなく、31年9月の満州事変を国民は喝采した。平成恐慌でも生活困窮者の増加が顕著で、戦後初めての社会不安が醸成されている。

しかし、昭和恐慌は31年12月の政権交代によって終わりを迎えた。民政党の若槻内閣の後を受けた政友会の犬養毅首相は、大蔵大臣に高橋是清を任命。高橋はまず、金本位制から離脱し、通貨供給量を金の保有高に関係なく政府と日本銀行の最良によって決められるようにした。国民には政友会の新しい政策を発表し、「金融を大幅に緩和すること」「政府投資で雇用の機会を増やすこと」を公約する。この時点で昭和恐慌のデフレ心理は解消したのである。続いて早急に、公共投資を中止運とした財政支出を大幅に増加させた。前年度との対比で見ると、32年に22%、33年に20%、34年に12%とけいぞくしてぞうかあせることで、28年から4年続いたGDPのマイナス成長がプラスに転じた。物価は上昇し、国民所得も増加。経済規模の拡大により雇用機会も増え、地方経済にも好影響をもたらした。この結果、33年頃からは税収も増加し始め、34年頃から政府投資の原資を税収の増加で賄えるようになり、国債発行額が少なくなっていった。景気振興策として国債を発行すると、当初の1~2年は政府の債務負担は増加するものの、3~4年で名目GDPが増加し、税収が増加するので、政府債務の国民負担率は低下してゆくのだ。(つづく)

Restoration of Japan 7

②個人向けに「デフレ脱却国債」を二〇兆円以上発行する。

被譲渡性の預金と同じ形式の、5年ものの新国際を発行し、原則五年継続で保有してもらう。これを「デフレ脱却国債」と名付ける。購入者には五年後に無税扱いの褒賞金か、相続人が褒賞金と同額の相続税の税額控除が受けられる特典を与える。現在、大口の相続背には栃屋のウチで物納されることが多い‥この新国際を購入したい人に対しては、政府系金融機関が土地や農地を担保に同額の融資を実行する‥高齢者がこの融資制度を利用して生前に新国債を購入しておけば、相続に際して税額控除を受けることが可能になる。

③特別会計の「国家備蓄金(埋蔵金)」のウチ、50兆円程度を一般;会計の投資項目に振り向ける。

特別会計内の「積立金・剰余金・繰越金」(06年度決算で一〇四兆円)と外貨準備の運用益(約三~四兆円)は、本来すべて一般;会計に入れて税収と同様に扱うべき利益金であり、特別会計にびち空する必要は全くない。これらを政府投資支出の財源として活用する。また、現在財務省が考えている、「国債整理基金」(06年度決算で34.9兆円の繰り越し・譲与分)の資金による既発国債の期限前買い入れ消却は止める。

以上のようにして言えた資金を政府投資に回し、経済が活性化すれば、名目GDP模造化して税収も増える。結果として政府債務の国民負担率(政府債務を名目GDPで割った比率)が低下し、国債残高も減ることになる。(つづく)

Restoration of Japan 6

「内需創出国債」を八〇~一〇〇兆円発行する。

①内需を創出するために、新規に建設国債を発行する。

この新国債を「内需創出国債」と名付けたい。その財源は、アメリカの国債に投資されて意いる国民の預貯金を使う。我々国民の預貯金を、我々のために使うようにするのだ。現在、日本が保有している対外債権のうち、九〇兆円は外貨準備として保有し、大部分をアメリカの国債で運用している。外貨準備は一国が経済危機に陥ったときや、急に多額の外貨が必要になったときに使う耐えmに保有している資金で、国家のために外貨を買うのであるから、中央銀行の資金でまかなうのが当然だ。99年9月までは、外貨準備は日本銀行の資金で調達されていた。円高対策として、財務省が為替市場でドル買い(円売り)をするときに必要な円資金は、財務省が政府短期証券を発行し、それを日銀が引き受けて(買い取って)調達していた。これはどこの国でも当然のことで、国の代理として中央銀行が自らの資金で外貨を調達し、保有していたのである。ところが、99年10月から、「政府は、外貨買い取りの円資金調達のための政府短期証券を市場に売りっぱなしにし、主に一般の金融機関がそれを購入することになった。こうなると、我々国民の預貯金が政府短期証券の購入に充てられ、政府はこの資金を使ってドル買いをして円高を防いでいる。こうして、購入したドルを政府はほとんどアメリカの国債に投資している。つまり、我々国民の預貯金が海外に流出して国民のために使われていないのだ。これが一員で国内経済が不活発になっている。今回提案する方式は、政府が新たに建設国債(内需創出国債)を発酵すると共に、日銀は外貨準備のために発行していた政府短期証券を新規の建設国債と同額だけ市場で買い取る。こうすることによって、「外貨準備は中央銀行の資金でまかなう」という原則に戻ることができ、「内需創出国債」は新たな国民負担とはならず、我々国民の預貯金で調達されたことになる。外貨準備の調達資金を日銀の資産に戻せば、国民の預貯金のウチ外貨準備の減資分であった一〇二兆円(07年末)は、建設国債発行のためにすぐに利用可能である。更に、社会補償基金も大部分が我々国民が拠出した資金であり、新規国債発行のための担保のなる積立金である。07年末で、残高は二二二兆円ある。(つづく)

Restoration of Japan 5

財源はいくらでもある

ここまで、「平成不況」から脱却するための処方箋を提示してきたが、こうした財政支出をするための財源はどこにあるのか。実は、政府にも民間にも財源はいくらでもあるのだ。財務省は「日本は八三八兆円もの債務を抱えており、これはGDP日一六〇%にも昇る危機的な金額だ」と財政危機を煽っている。ところが日本は世界一の金融資産を持つ債権国である。財政はどの国でも「純債務で見るべきであり、とくににほんせいふはGDPを上回る金融資産(特別会計にある)を保有しているから、純債務で見ないと実態がわからない。07年末現在で「粗債務」は八三八兆円、「金融資産」は五四九兆円で、「純債務」は二八九兆円に過ぎない。これは名目GDP比で五二%程度であって、ユーロ地域並である。海外の経済学者や金融関係者で日本が財政危機だと思っている人はいない。

日本経済を活性化させ、税収が増える経済にするには、名目GDP成長率を毎年四~五%に引き上げる必要がある‥それには政府が緊縮財政をやめて、積極財政政策に転換し、財政支出の重点を投資項目に集中させることだ。過去に経験から見て、これ以外に税収を増加させて財政赤字を縮小する路は絶対にあり得ない。そのための財政支出の財源を次のように考えたい。(つづく)

Market Fundamentalism is Dead 11

長谷川憲正参議院議員のメールマガジンが配信された。下記の通り。

「国民新党、民主党、社民党の国会議員12名は、かんぽの宿の問題に関し、長い歴史的な経緯の中で形成された国民共有の貴重な財産をオリックスに対し不当に廉売し日本郵政に損害を与えようとしたとして、西川善文日本郵政社長を、本日(15日)10:00、東京地方検察庁に特別背任罪未遂等で刑事告発しました。告発人は国民新党から亀井久興、自見庄三郎、森田高、それに私長谷川憲正、民主党から原口一博、松野頼久、川内博史、武内則男、社民党から重野安正、又市征治、近藤正道、保坂展人の各先生方です。告発に先立ち9:10に亀井、自見、森田、原口、重野、保坂の各先生と私の7人が、鳩山総務大臣に面会し、西川社長を刑事告発することを伝えるとともに西川社長の解任要請文を手渡しました。鳩山大臣は「正義にもとる行為は許してはならない」と述べ、私たちの要請に理解を示されました。東京地方検察庁では前記の7人に森ゆうこ先生が加わって検事正にお会いしました。郵政事業は巨大企業であり、ましてや民営化されたばかりで、その経営の成否は、専ら経営責任者の手腕に係っていると言っても過言でないでしょう。しかし、今回のかんぽの宿事件をはじめ民営化になってからの経営の実態を見ていると、西川社長は公的企業の経営者としては失格と言わざるを得ません。郵政事業の経営者は、公共性と企業性を持ち合わせた大企業を国民全体のために公平、公正に経営する資質を持った経営者でないといけないと思います。早く適切公平な経営のできる経営者を迎え、郵政事業を正しく経営していただく必要があります。株が売り出される前に郵政民営化法を見直すのは極めて重要な課題ですが、喫緊の経営の問題も見過ごすわけにはいきません。今後も「かんぽの宿」を追及するほか、広く郵政グループ経営者の動向に注目してまいります。」

Martket Fundamentalism is Dead 10

去年の5月15日であった。ホテルニューオータニで、元参議院議員の村上正邦先生を送る会があった。先生は、同日、東京高検に出頭し、収監された。現在、栃木県喜連川の社会復帰センターなる名前の刑務所におられる。

平成8年の1月25日参議院の本会議でした「ものづくり大学の推進」についての、村上先生の代表質問が、KSDの古関氏の要請に基づくものであり、その代表質問の見返りとして、KSDは平成8年6月以降の村上議員の個人事務所の賃料の負担をし、さらに同年10月に衆議院選挙の直前に5000万円を提供した、というのが収賄刑事事件の中身である。そもそも自民党を代表して行う代表質問の内容が一個人の個人的な要請に基づくものである、という認定自体がおかしい。代表質問の具体的内容についての依頼が明確でないのに、あたかも、ものづくり大学について代表質問で取り上げてほしいと具体的に依頼があった、という認定がおかしい。古閑氏は、取り調べ検察官が求めるとおりの供述をしたものであって、何らの「請諾」もしていない、捜査段階や一審での証言は間違いである、とそれまでの証言を覆すに至っている。古関氏は既に亡くなっている。

村上先生を送る会が開催されてあっという間の一年である。しかし、その間、世界を破壊した市場原理主義は崩壊して、その残党は今なお跋扈しているものの、遠吠えのような状況になってきている。村上先生を実刑におとしめた、日本を破壊しようとした拝金の闇の勢力に光が当たり、大和ごころがまもなく回復してきてくる気が感じられる。先生の逆境の中でのご精励と、ご健康を心から祈願するところである。先生の事務所に掲げられた、谷口雅春先生の達筆の流麗な書を見るにつけ、日本が権威と権力とが別れていることに幸いを感じる者であり、その腐敗した権力には、いつかは権威からの鉄槌が下ることをも信じて疑わない。万民を幸せにする権威に裏打ちされた政治に正統性があるのであって、選民思想で拝金の新自由主義は実は目くらましの異端に過ぎないことを主張することがいよいよ重要となっている時期である。当ブログも全く微力ではあるが、大海に投じる「一滴」の矜恃を持ち続けたい。

Restoration of Japan 4

「日本復活五ヶ年計画」

現下の「平成恐慌」から脱却するためには、どのような処方箋が必要なのか、ここでは次のような政策を提案したい。

第一に、制度面からデフレ要因を根絶していく必要がある。そのためには、まず、「基礎的財政収支均衡目標」と凍結廃止し、「金融行政三点セット」の適用を廃止すべきだ‥何れも日本の現状にすぐわない、市場原理主義の発送による制度だ。政府は緊縮財政、増税路線をやめ、重点投資と投資減税による積極財政へお方針を転換する必要がある。「三点セット」の中野ペイオフは、欧米では今回の金融危機を受け、首相や財務大臣が「銀行預金は全額保護する」「銀行間の資金取引は政府保証する」と宣言しており、事実上、凍結されている。また、アメリカは自国の金融機関が危機に直面したとたん、時価会計の導入を凍結している。金融財政システムの根幹から市場原理主義を一掃するために、三点セットの凍結を法制化すべきである。

第二に、「輸出大国」から「社会大国」への転換を図るべきである。輸出中心の経済モデルが崩壊した日本では、内需を拡大し、内需中心の成長産業を育成していく経済モデルへの転換が求められる。「社会大国」となるには、そのベースとして、医療な年金などの社会保障制度を充実させ、国民全体に行き渡るしっかりしたセーフティ・ネットを張り巡らせる必要があるだろう。経済成長が促進される中で、社会保障費の財源が生み出される形をとれればいい。具体的な打開策としては、「日本復活五ヶ年計画」を提言する。これは、政府投資の三〇兆円と減税枠の一〇兆円(投資減税、定率減税復活、消費税減税)をあわせた四〇兆円(GDPの8%)の景気対策を毎年実施、五年間にわたって継続するというものだ。四〇兆円はすべて新規の財政支出(真水)とし、5年間で予算総額は二〇〇兆円になる。景気が回復して税収が増加すると、初年度の財政支出は4年目から税収の増加額で戻ってくるので、5ヶ年計画の財源は、簿簿一二〇~一三〇兆円で十分である。新しい成長産業として育成すべき分野は、国民生活を豊かにする社会基盤・インフラストラクチャー(社会共通資本)の構築、自然環境の整備、教育、医療、未来を見つめた資源問題など、我々国民の生活を充実させる産業である。デフレで消沈している民官では限度があるので、官民が一体となり、国が大きなビジョンを出すべきである。また、緊縮財政で極度に疲弊している地方に対して、交付税を大幅に増加し、08年度予算で、25.4兆円に落ち込んでいる「地方交付税交付金」と「国庫支出金」の合計を〇〇エンドの34.4兆円まで早急に戻すべきである。戻った悪寒でで、都市部では依然として残る通勤地獄や交通渋滞の解消や、都市環境を美化し保全するための電線の地下への埋設など、G7国で最も貧弱な社会資本を拡充していくのだ。この計画から、次の経済成長が期待できる(「週刊エコノミスト」09年3月31日号に掲載された、筑波大学もと副学長・宍戸駿太郎氏の経済モデルから筆者が推計)。

①名目GDP成長率 年平均4~5% ②名目GDP金額は、初年度で、五三〇-五四〇兆円、5年目で六五〇~六八〇兆円 ③税収は、初年度、52~五四兆円 5年目七〇~七五兆円 ④政府の「純債務」の国民負担率は初年度で55-58%、5年目で42~45%に改善し、超健全財政となる。「純債務」とは政府の粗債務から政府保有の金融資産を引いたネットの債務のことだ。この中から医療費や年金などの社会保障費は、消費税の増税なしでも十分支出できる。(つづく)

Restoration of Japan 3

財政面では02年度に、基礎的財政収支(プライマリーバランス)を11年度までに均衡させる目標を導入し、デフレを強化してきた‥基礎的財政収支の均衡策とは、構造改革による緊縮財政で税収が激減したために、財政支出をその激減した税収の範囲内で抑えようという政策である。

具体的に見ると、01年度から地方交付税交付金・国庫支出金の削減、02年度から公共投資の削減が始まっている。現在まで、8年間にわたってこの方針は継続され、09年度予算でも見直されなかった。「構造改革」が始まる前の00年度の水準と比較すると、八年間の削減額の累計は、地方交付税交付金で、47兆円、公共投資で13兆円、合計で60兆円になる。つまり、地方から60兆円を召し上げて、小泉内閣の緊縮財政で悪化した基礎的財政収支を11年度までに均衡させようとしてきたのである。

過去八年間で、都道府県別名目GDPの成長率を見ると、一部の地域のぞいてほとんどの県がゼロないしマイナスであり、都市部との格差は拡大する一方である。特に交付税の削減は、地方の医療費、教育費を中心とする地域の公共サービスの削減に繋がり、医療崩壊を招いた主因となっている。

 金融面では、前述の「金融庁の三点セット」によって金融機関を締め付けることで、デフレを助長してきた。中でも、「時価会計」は、保有する有価証券や不動産(含む担保物件)を、その時に取引された時価で評価しようとする方法である。時価会計の下では、株式や債券の市場価格が上下するたびに、自己資本が変動する‥株価が下がり続けている上級王では、金融機関の貸し出し態度はどんどん厳しくなり、融資を受けられない企業が続出するのは当然の成り行きだ‥こうしたメカニズムがはたらくことで、デフレは一段と悪化して行く。

アメリカ大恐慌の時には、1933年に政府が「金融機関に対する時価会計の適用を停止する」と宣言し、実に93年まで60年間も継続していたのである。現在、欧米では既に事実上、金融機関に対する時価会計の適用を凍結している。

また、「自己資本比率規制」は、92年度から日本の金融機関に適用されている‥しかし私は、当初から「地域銀行などには適用すべきではない」と考えていた。デフレが深刻化している時季には自己資本が減額するので、貸し出しが減少する原因となるからである‥「構造改革によって国内がゼロ成長であるにもかかわらず、その事態の大きさを隠蔽してきたのは、「円安バブル」「輸出バブル」によるGDPの粉飾であった。政府は極端な低金利と金融緩和策で、円ドル相場を円安に誘導し、円安・輸出バブルを演出してきたのだ。

こうした政策によって、輸出企業の多い都心部や一部の地域(愛知県、三重県など)でgはGDPの名目成長率がプラスとなり、辛うじて日本国内のマイナス成長を防止してきた、次第GDPに占める輸出比率は上昇し、08年では、十五~十七%にも達している。GDPにしめる「純輸出」(湯酒から輸入を引いたネットの輸出)の割合は、90年代には一%程度だったのが、07年には五%、均後買うとして25兆円を超える水準まで状hそうしていた。輸出への依存度が高まっていた状況下で、昨年後半からアメリカ初の世界同時不況が起こり、各国の株価が暴落。海外需要が激減し、にほんんおゆすつさんぎょうは大ダメージを受けた。アメリカの消費ブームは既に崩壊しており、欧州やアジアでもコンガは日本からの輸入は大幅に落ち込むであろう。国内のマイナスし得庁を輸出バブルで表面だけ個としてきた政策は崩壊した。GDPの五%に達していた純輸出はゼロないしマイナスに落ち込み、国内の有効需要は少なくと二五~三五兆円の減少となっている。「輸出大国日本」は終焉を迎えた。そして日本の「十年デフレ」「十年ゼロ成長」を招いた「構造改革」の帰結は、国内経済の陥没であった。(つづく)

Martket Fundamentalism is Dead 9

郵政民営化の中止あるいは、株式売却の凍結と再編と、政策金融の関係について東洋経済新報社のサイトに、興味深い記事が連載されている。http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/3b21008e1aba09db175f048b01127d60/

http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/3b21008e1aba09db175f048b01127d60/page/2/

http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/3b21008e1aba09db175f048b01127d60/page/3/

世界経済が混乱する中で、郵政民営化の凍結と、特に株式売却の停止は喫緊の課題であり、また、郵政資金の私物化を回避して公的な資金源として、最大限の活用が図られてしかるべきである。

Corrupt Postal Privatization 75

民主、社民、国民新の野党3党の国会議員12人が、15日、「最高経営責任者として失格」などとして、日本郵政の西川善文社長の解任を,、総務大臣に求めたとの報道である。また。国民の財産である「かんぽの宿」を不当に安く売ろうとしたのは「特別背任未遂罪」にあたるとして、3党は東京地検に西川社長を刑事告発したとの報道である。

 

New People's Party

亀井静香国民新党代表代行が、ワシントンを訪問している。日本における政権交代を控えて、政策調整の目的があるものと思われるが、米国においても新政権がようやく始動して、蜜月の100日が終わった段階であり、亀井議員が、オバマ大統領が来日する際に広島を訪問することを進言することが、米側では、検討可能性ありと受け止められているのは、朗報である。米国支援の為の国債購入の話でも市場原理主義支援の為ではなく、米国経済立て直しの為の支援として提案するなど、亀井静香議員の見識を披露するものとなっている。日本の国内マスコミの話題にはそれほどなっていないが、変化したアメリカとの調整役ととしては、最近にない議員外交である。

広島瀬戸内新聞のブログが、関連記事を掲載しているので、ほぼ同感の評価をしている当ブログとしては、リンクを貼ることにする。ご参考まで。http://hiroseto.exblog.jp/10240107/

ブッシュ・小泉政権の新自由主義政策の構造改悪で破壊され尽くそうとした日本が、同様に破壊されたアメリカの政治経済を政道に復帰させようとする、新生のオバマ政権を支援しようとすることは、当然である。従属的な関係ではなく、日米関係に平等互恵の真のパートナーシップを樹立する好機である。民主党の影の内閣の財務大臣の発言が波紋を投げたが、それに対応してのワシントンにおける亀井発言は火消し薬としても絶妙であった。

「Kamei Shizuka, head of Kokumin Shintō, a prospective DPJ coalition partner, reassured Jeffrey Bader, senior director for Asia on the National Security Council, that a DPJ-led government would continue to purchase US bonds. Kamei probably does not have the authority to speak for a government that does not exist yet and may never exist, but it does diminish the authoritativeness of Nakagawa’s remarks.」

Secret Envoy

5月11日に発売になった、週刊朝日5月22日号は、「かんぽの宿」入札 特別背任で西川善文社長を刑事告発へという見出しを表紙に掲載している。当ブログも、その見出しに関心を寄せてはいるが、その号の重要な内容は、「谷内正太郎・政府代表が語るーー「核再持ち込みの密約はあった」との記事が掲載されており、5月15日は、沖縄が復帰から38年目を迎える直前の記事としたは、時宜を得た記事であるので、紹介したい。沖縄の対米返還交渉の過程で、密使役を果たした、元京都産業大学の故若泉敬氏についての詳述がある。谷内前外務次官と、故若泉教授が、40年以上前の「土曜会」という大学横断の政治思想研究会において先輩後輩の関係にあったとは知っていたが、谷内元次官が、当時野口記念館にあった故若泉教授の研究所でアルバイトをしていたことや、外務省入省後も若泉邸に居候していたことなどが、記されている。故若泉先生は、著書「他策ナカリシヲシンゼムト欲ス」において、94年に核再持ち込みの密約についてあかしたのであるが、英訳版の刊行が決まり、若泉教授が、青酸カリを飲んで自裁したことは知らなかった。 2005年になって、米国公文書館が機密指定を解いて、沖縄返還後の米国の核持ち込みと繊維問題に関する秘密交渉という公文書を公開したが、その文書は、当時の佐藤総理大臣によって処置されたことが書かれている。「仮に文書があったとしても、密約が今も有効かどうかは疑わしい‥4人しか知らない約束がその後の政権も拘束するかと言えば、こたえは、NOでしょう。いまや死に証文です」との谷内前次官の重い発言も、記述されている。ともあれ、週刊誌としては、トップクラスの良質の記事である。

5月15日は、沖縄返還後、38年を閲する日である。時代を画する証言の記事である。

その全文が、ネットでも紹介されているので、そのサイトにリンクを貼るので、ご関心の向きは、直接全文の一読を勧める。

http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/asahi-20090513-03/1.htm

以下は、将来万一ネット記事が消去された場合のことを考えて保存用に残しておきたい。

北方領土をめぐる発言が波紋を広げている谷内(やち)正太郎・政府代表が、今度は1972年の沖縄返還をめぐり重大な発言をした。「核の再持ち込み密約はあった」。5月15日に沖縄が復帰から38年目を迎える直前、本誌にそう語った。じつは、この返還交渉をまとめたのは、「密使」として動いた谷内氏の恩師だった。その知られざる秘話とは──。

 火種はまだ、くすぶっている。〈私は3・5島でもいいのではないかと考えている。(中略)択捉島の面積がすごく大きく、面積を折半すると3島プラス択捉の20~25%ぐらいになる。折半すると(3・5島は)実質は4島返還になるんです〉 毎日新聞4月17日付朝刊に載った政府代表の谷内正太郎(65)のインタビューである。前外務事務次官で、首相の麻生太郎が外相時代に「自由と繁栄の弧」構想を打ち出したときからのブレーンだ。内閣支持率が低迷する今年1月、首相の「特使」に起用された。 その谷内が、政府が原則とする「4島返還論」ではなく「3・5島返還論」を容認する発言をしたため、波紋が広がった。外相の中曽根弘文が「厳重注意」したものの収まらず、4月28日の衆院本会議では、麻生も火消しに追われた。5月11日に来日するロシアのプーチン首相とのトップ会談にも影を落とす。 北の島々を取り戻す途中でつまずいた谷内が師と仰ぐのは、南の島を取り戻す立役者となった男だ。沖縄返還交渉でアメリカ側から「ニンジャ」と呼ばれた、元京都産業大教授の故若泉敬(けい)。首相の佐藤栄作が難航する交渉を打開するために起用した「密使」だった。 67年夏、若泉は佐藤に会う。かねて知り合いだった自民党幹事長の福田赳夫に引き合わされた。前年、米国防長官マクナマラとの単独会見記を月刊誌「中央公論」に発表するなど、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究所(SAIS)の客員所員として培った米政権中枢との太い人脈を見込まれた。〈この一九六七年九月二十九日で、私の第一の人生は終り、第二の人生が始まったようなものであった〉(若泉著『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』) 若泉は家族にさえ察知されないよう隠密に行動する。孤独な闘いが始まったのは、37歳の秋だった。 2カ月後の11月、佐藤・ジョンソン会談で両首脳は「両3年以内の沖縄返還」に合意し、敗戦後アメリカが握ってきた沖縄の施政権が72年までに日本に返されることが決まった。 その後、返還交渉の焦点となったのが核の問題だった。被爆国である日本には核アレルギーが強く、日本側は沖縄返還時にそれまで貯蔵されていた「核の撤去」を求めた。一方、ベトナム戦争を戦っていたアメリカ側は、基地を自由に使用できることのほかに「緊急時の核の再持ち込みと通過の権利」を要求した。そこで、若泉と米側の交渉窓口となった米大統領補佐官キッシンジャーは、〈日本国政府は、大統領が述べた前記の重大な緊急事態が生じた際における米国政府の必要を理解して、かかる事前協議が行なわれた場合には、遅滞なくそれらの必要をみたすであろう〉 との一文を盛り込むことで合意にこぎつけた。 つまり、日本側は事前協議が行われなければ、日米安保条約の定める「重要な装備の変更」はないものととらえ、「核兵器の持ち込みはない」と言い逃れることができる。一方、アメリカ側も「遅滞なく必要をみたす」との言質を取ることで、有事には核を持ち込めるというわけだ。これが「核密約」のからくりである。 ニクソンとの首脳会談まで1カ月を切った69年10月23日、若泉は佐藤を前に、「私は佐藤栄作個人のためにやるのではありません。あなたが、日本国の総理大臣だから、やらせていただくのです」 と覚悟を伝え、決断を迫った。「一国の宰相にふさわしい聡明な決断をされ、歴史に責任を負っていただかないと困ります」 ただ、密約が外に漏れれば交渉が台無しになる。若泉とキッシンジャー、ふたりの「密使」が描いたシナリオは次のようなものだった。 会談の最後に、ニクソンが佐藤に大統領執務室の隣にある小部屋で美術品を鑑賞することを提案する。ふたりだけで小部屋に入り、核問題に関する秘密の合意議事録にサインする。署名はイニシャルのみで、それぞれ1通ずつ保持する──。 しかし、実際には、ニクソンがフルネームで署名したため、佐藤もそれに倣ったという。 若泉が、こうした核再持ち込みの密約について明かしたのは94年。『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋)と題した600ページを超える大著を発表し、交渉過程を詳細に綴った。69年に秘密合意議事録を交わしてから25年後。ちょうどアメリカが情報公開法により開示を定めた期限が訪れる年だった。谷内は昨年暮れ、月刊誌「文藝春秋」(08年12月号)の「死ぬまでに絶対読みたい本」という特集で、この一冊を挙げた。〈「守秘義務」を守るか、真実を明らかにして「天下の法廷の証人台」に立つか。「二つの良心」の間で揺れた結果がこの本なのである〉 単なる本の紹介とはいえ、谷内みずからが「核再持ち込みの密約」を認めているに等しい。 谷内にあらためてたずねると、こんな答えが返ってきた。「私は、若泉さんの人柄をよく知っています。武士道を尊び、誠実さを貫き通した。あれだけ詳細な記述を残して嘘をつく理由もないし、嘘をつく人でもない」 だから、と続ける。「核の再持ち込み密約はあった、と私は思います」 05年から3年間、外務事務次官を務め、政府代表でもある谷内が、政府・外務省が一貫して否定し続けてきた日米間の密約を初めて認めたことになる。「若泉さんが願ったのは、対米依存、対米追随の外交から脱するためにも、日本でも正面から安全保障をめぐる議論を始めることだった。それは現在の日本にもなお、当てはまるのではないでしょうか」 谷内が若泉に初めて出会ったのは、いまから40年以上前、東大生だったころにさかのぼる。当時、参加していた「土曜会」という大学横断の読書サークルにOBとして顔を出していたのが、防衛庁防衛研修所教官の若泉だった。その後、谷内は大学院に進み、京都産業大世界問題研究所(東京・千駄ケ谷)に移った若泉のもとで新聞切り抜きのアルバイトを続けた。 まもなく、学者ではなく外交官の道を選ぶことを決め、69年に外務省に入省。独身寮の抽選に漏れたあと、偶然、出会った若泉から下宿先を紹介される。それはほかでもない、東京・荻窪の若泉邸だった。1年ほど居候している間、若泉は内外を飛び回りながら、「国事に奔走している」 とだけ語っていたという。それが沖縄返還交渉だったと谷内が知るのは、四半世紀後に出た『他策ナカリシヲ~』によってだった。本の冒頭には「宣誓」と題して、こう書かれている。〈永い遅疑逡巡の末、/心重い筆を執り遅遅として綴った一篇の物語を、/いまここに公にせんとする。/歴史の一齣(ひとこま)への私の証言をなさんがためである。(略)何事も隠さず/付け加えず/偽りを述べない〉 若泉と親交のあった弁護士の田宮甫(はじめ)(75)はこう振り返る。「本が出版されれば国会に証人として呼ばれるだろうと、若泉先生は覚悟していました。だから、証人喚問のときは付添人になってくれと依頼されていたのです」 だが、長い葛藤を越えて国を思うがゆえに投じた一石は事実上、黙殺された。それどころか、首相の羽田孜は、「密約はありません」 と否定し、外務省も「存在しない」との立場を崩さなかった。 若泉は失望し、祖国を「愚者の楽園」と称するようになる。福井県鯖江市の自宅「無畏無為庵(むいむいあん)」に引きこもり、表舞台から姿を消した。 出版から1カ月ほどたった「沖縄慰霊の日」の6月23日、若泉は喪服姿で沖縄・摩文仁(まぶに)の丘を訪れた。約18万人の遺骨が納められた国立沖縄戦没者墓苑の碑の前で正座し、『他策ナカリシヲ~』を花とともに供え、手を合わせた。そのまま頭を垂れたまま動かない。 後ろで見守っていた田宮には、喪服の左内ポケットに短刀らしきものが忍ばせてあるように見えた。世話役として同行していた福井県商工会議所連合会専務理事の鰐渕信一(61)は、ただならぬ雰囲気にも、若泉が沖縄の土を血で汚すようなことはしないだろうと思っていた。 30分ほどして若泉の肩が下がると、張り詰めた空気が緩んだ。 じつは、若泉は事前に「歎願状」と題した文章をしたためていた。〈拙著の公刊によって沖縄県民の皆様に新たな御不安、御心痛、御憤怒を惹き起した事実を切々自覚しつつ、一九六九年日米首脳会談以来歴史に対して負っている私の重い「結果責任」を執り、武士道の精神に則って、国立沖縄戦没者墓苑において自裁します〉 宛名は「沖縄県の皆様」と「大田昌秀知事、関係各位殿」とあった。沖縄の「核抜き・本土並み」返還は、核の再持ち込みについて密約を結んででもアメリカ側に保証しなければ実現できなかった。しかし、その後の沖縄は基地の負担と計り知れない犠牲を強いられてきた。かつて、沖縄戦で約8千人を指揮した大田実・海軍少将が自決する直前、海軍次官へ宛てた電報で、《(沖縄)県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ》 と訴えた言葉を裏切るような現実が続いている。若泉には、そのことへの懺悔の思いがあった。 ところがなぜか、歎願状は自宅の金庫に置き忘れていた。理由は定かではないが、若泉はこう語っていたという。「墓前で、英霊と対話するなかで(自殺を)思いとどまった。英訳版を出すことで、世界に日米関係の現状と沖縄の基地問題を知ってもらいたいと考え直したのです」 みずからの命を絶つ代わり、英訳版の出版を決めたのだ。 そのために動いたのは、現役外務官僚の谷内だった。英ケンブリッジ大教授を翻訳者に選び、ハワイ大学からの出版をとりつけた。 2年後、若泉は与那国島に渡り、英訳版の序文を書き上げる。しかし、すい臓がんに侵され、すでに告げられた「余命」をすぎていた。それでも6月23日には、沖縄で祈りをささげた。あのとき以来、毎年続けていた。 その直前、若泉は谷内を伊勢神宮参りに誘っている。谷内はロサンゼルス総領事への転勤を目前に控えていた。「きょうの主役はあなただから」 境内に続く参道で、谷内に先を歩くよううながした。参拝をすませると、名古屋駅の新幹線ホームまで見送った。若泉はあらたまって居住まいを正すと、こう言った。「どうか、この国をよろしくお願いしますよ」 谷内が乗り込んだ新幹線がホームの先に消えるまで、若泉は合掌したまま頭を下げていた。 そして、96年7月27日。 若泉は鯖江市の自宅に5人を招いた。谷内のほかに、著作権継承者に指名された世話役の鰐渕、遺言執行者である弁護士の田宮、文藝春秋の担当編集者と翻訳者である英国人教授である。5人は2階の居間の大きなテーブルで若泉を囲むように座った。すると、A4判で7ぺージに及ぶ英文の出版に関する取り決め文書が差し出された。冒頭には「合意議事録(覚書)」と印字されている。〈若泉敬にとって英訳版著作の公刊が本日この“集まり”によって保証確認された以上、最早志半ばにして斃(たお)れるのはあり得ないと深い安堵を覚えている〉 死をほのめかすかのような文章の末尾に、全員が署名した。若泉はおだやかな笑みを見せた。まもなく、鰐渕と田宮をのぞき、谷内たちは帰っていった。 若泉はベッドに横になると、冷蔵庫から「屋久島の水」を取ってこさせた。乾杯のため、自分のコップにも少しだけ注ぐ。「これは長生きする水なんですよ」 3人がコップに口をつけた直後だった。若泉は突然、嘔吐し、全身を激しく痙攣させた。押さえても止まらない。秘かに用意していた青酸カリを水で流し込んだのだ。摩文仁の丘で思いとどまってから2年、若泉は言葉どおり「自裁」した。 しかし、66歳の最期はメディアには「がん性腹膜炎」と発表された。 谷内が訃報を知ったのは、東京の自宅に戻ってからだった。覚悟していたので驚かなかったという。その足で福井にとんぼ返りした。 9年後の05年1月、谷内は外務事務次官に就任する。さらに半年後、アメリカ国立公文書館が機密指定を解いた公文書が公開された。〈沖縄返還後の米国の核持ち込みと繊維問題に関する秘密交渉〉 69年11月12日付と13日付の大統領へのメモで、日米首脳会談に先立って、大統領補佐官のキッシンジャーが首脳会談の進め方を説明する資料としてニクソンに渡したものだった。〈返還後の沖縄への核兵器持ち込みと繊維問題に関する秘密の日米合意に基づき、佐藤首相とあなた(ニクソン大統領)は次のような戦略をとる〉 核の再持ち込みが明記されていた。日本大学の信夫(しのぶ)隆司教授(日米外交史)が07年夏に見つけ、メディアでも報じられた。このときも、外務省は「密約はない」との見解を繰り返した。そのトップは、ほかならぬ谷内だった。 谷内はいま、こう語る。「首相官邸や外務省内もすべて調べてみたのですが、該当する文書は見つかりませんでした。証拠となる文書が日本側にはない以上、公式に『あった』とは言えません」 ただ、「谷内個人としては、密約は100%あったと思っている」と重ねて語った。佐藤・ニクソンが署名した密約文書はどこに消えたのか。若泉は『他策ナカリシヲ~』の中に、こう記している。〈「ところで総理、“小部屋の紙”(日米秘密合意議事録)のことですが、あの取り扱いだけはくれぐれも注意して下さい」 と、総理の眼をぐっと見つめる私に、「うん。君、あれはちゃんと処置したよ」 と、総理は心なしか表情を弛めて言った〉 日米首脳会談の1週間後のやりとりだ。佐藤のいう「処置した」の意味は定かでない。ただ、首相秘書官だった楠田實は生前、「紙は残していない」と共同通信のインタビューに答えている。 いずれにせよ、日米同盟の根幹にかかわる文書を日本側は手元に保管していない。それどころか、密約の存在が歴代政権に引き継がれてさえいないことになる。「仮に文書があったとしても、密約がいまも有効かどうかは疑わしい。4人しか知らない約束がその後の政権も拘束するかといえば、答えはNOでしょう。いまや死証文です」 谷内はそう語り、密約の実効性には疑問を投げかけた。 返還から2年後の74年、佐藤は日本人初の「ノーベル平和賞」を受けている。「日中戦争になれば、米国が核による報復をすることを期待している」(65年)、「非核三原則はナンセンス」(69年)などと発言していたことが米公文書で明らかになるのは後のことだ。密約についても問われることはなかった。日本が第2次世界大戦で失った領土を、ベトナム戦争まっただなかのアメリカから外交というテーブル越しに取り戻すのは、確かに容易なことではなかっただろう。 しかし、その沖縄返還は有事の際の核の再持ち込みを含め、米軍基地の自由使用を保証することによって実現した。元沖縄県知事の大田昌秀(83)は、「核密約を結んだことは評価できないが、若泉さんは交渉過程を公表し、沖縄県民に謝罪し、『結果責任』を果たした。人間としては信頼できます」 と話す。 沖縄返還から37年。 これまでに明らかになったのは核の再持ち込みの密約だけではない。協定に書かれていない、土地の原状回復補償費400万ドル(当時約12億円)の肩代わりをはじめ、総額6億ドルを超える対米支出のカラクリも解き明かされている。 しかし、政府は説明責任も果たさず、いまだに「密約はない」と繰り返すばかりである。「これで民主主義国家といえるのだろうか。まして、政治家は責任をとっただろうか」 大田はそう問いかける。 若泉は生前、沖縄の土に埋もれたままの遺骨収集に加わった際、案内役に「ヨシダ」と名乗ったという。それは密使として動いていたときのコードネームだった。若泉の死後、遺灰は遺言に沿って摩文仁の丘の沖に撒かれた。」

ネット上の記事には、筆者名が記載されていいないが、週刊朝日の本文では「本誌・諸永裕司」と書き手の名前が入っているので、念の為、追記しておきたい。

Vatican in Middle East

 世界情勢が激しく動いている。中東歴訪中のローマ法王ベネディクト16世は13日、キリスト生誕の地とされるヨルダン川西岸のパレスチナ自治区ベツレヘムを訪問した。アッバス自治政府議長らが迎えた歓迎式典で、法王庁(バチカン)が「国際的に認められた境界内での主権あるパレスチナの国」を支持すると明言した。 イスラエル、パレスチナ2国家共存によるパレスチナ問題解決を強く促した発言である。 法王はまた「家族間の交流や、(エルサレムの)聖地への往来などの移動の自由を可能にするよう」要求。イスラエルが設置した西岸を囲む分離壁やフェンスなどを批判した。バチカンはこれまでも、今年初めのイスラエルによるガザ地区攻撃を激しく非難するなど、イスラエルの強硬策を批判。

要すれば、新自由主義の虚妄によって破壊された中東諸国であるが、平和をもたらすためにヨーロッパ世界の精神的な世界の指導者としてのローマ法王が、直接パレスチナ問題に言及したが、こうした踏み込んだ発言は予想されていなかった。世界的な大ニュースとなっている。拝金の新自由主義が、中東においても崩壊しつつある一局面と考えられる。

Naomi Klein in Rachel Maddow Show

ショックドクトリンの著者、ナオミ・クライン氏が、米NBC放送の報道特別番組に出演している。残念ながら、英語番組であるが、米国内で起きている金融をめぐる混乱について的確に分析している。

Naomi Klein spoke with Rachel Maddow last week about the bank stress tests, crony capitalism and the impunity of Wall Street. Naomi Klein explains that her prime concern "is that the crisis on Wall Street created by deregulated capitalism is not actually being solved; it's being moved. A private sector crisis is being turned into a public sector crisis."

Corrupt Postal Privatization 74

 5月13日夕方、時事通信は、国民新党と社民党が、民主党を加えた三党で、民営化された日本郵政の経営陣を特別背任罪で、東京地検に刑事告発する方針を固めたと報道した。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009051300948

 長谷川憲正参院議員(国民新)、保坂展人衆院議員(社民)の両氏が記者会見し明らかにした。天網恢々疎にして漏らさずである。
 

Corrupt Postal Privatization 73

読売新聞は、5月13日、日本郵政共済組合が売却した「物件」の八割が転売されたと報道した。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090513-OYT1T00005.htm

報道記事の要旨は、次の通り。

「旧日本郵政公社の売却した物件も多くが転売されていたが、「国家公務員共済組合連合会」が2007年に一括売却した計198物件についても、8割超がすでに転売されていた。

 特定の企業が、05~07年に取得した郵政物件は計400件を超える。

 KKRは07年12月、保養所跡地が5件、残る葉、社宅193件、計198件を一括売却した。

  入札には三つの企業グループが参加。「コスモスイニシア」(旧リクルートコスモス)のほか、リーテック、長谷工コーポレーション、東急リバブル、穴吹工務店、穴吹不動産センター(現・穴吹コミュニティ)の6社のグループが176億円で落札。6社は、この入札の前日本郵政公社が社宅など178件を売却した際、落札した7社のグループの一員。

 施設の約86・4%に当たる171件がすでに転売。2回の転売物件が54件、3回転売が5件。

 リーテックが購入した、大阪府摂津市の宿舎跡地は、1か月に3回の転売。」

読売新聞の調査は詳細に渡るものであり、大新聞社の組織を挙げて調査が行われていることがわかる。転売先までを詳細に調査することにより、最終的に裨益するところをたどれば、郵政民営化の私物化の本質が、徐々にではあるが、明らかにされていくことになろう。いずれにしても最近のマスコミの動きの中では希な、大規模な調査報道であり、今後の読売新聞の記事については、大いに注目して期待したい。市場原理主義によって傷つけられた表現の自由、出版の自由についても取り戻す好機である。

 

Restoration of Japan 2

経済を陥没させた「構造改革」

 日本は二つの誤った経済政策を取り入れたことで、「10年デフレ」「10年ゼロ成長」を招いた。それは「基礎的財政収支均衡目標(2011年度目標)と「金融庁の三点セットによる金融機関の締め付け(ペイオフ、時価会計・減損会計、自己資本比率規制)」である。そのベースとなったのが、新自由主義・市場原理主義という「伝染病」だ。

 伝染病に罹患した政府与党は「小さい政府」「均衡財政」「消費税引き上げ」という三つのドグマに陥った。結果として現在の日本は、緊縮財政デフレ->経済規模縮小でゼロ成長->雇用減少->税収減->増税(既に定率減税廃止)->消費税増税という「悪魔の縮小均衡」の状態にある。抜本的な政策の変更がなければ「20年デフレ」「20年ゼロ成長」へ向かって一段と深刻になるであろう。

 そもそもデフレとは、物価が継続して下がることである。最も的確に総合的な物価動向を表す指標はGDPデフレーターというもので、年率2~3%のプラスの時、経済は健全だと言える。

 97年、当時の橋本内閣が財政改革を断行。所得税と消費税を引き上げ、公共投資を大幅削減した。この緊縮財政によって、一挙に需要は抑制され、結果として株は暴落。多額の株式を保有していた大手銀行は自己資本が減り、大がかりな信用収縮を引き起こした。この「平成金融恐慌」が起きた翌年の98年からGDPデフレーターはマイナスとなり、デフレが始まった。

 橋本内閣の後を受けた小渕内閣は、98年から99年にかけて金融安定化政策(不良債権処理)と景気振興策を実施。これにより、99ねんどにはGDP成長率がプラスに転じ、2000年度には税収が50兆円に戻るなど、日本経済hじゃいったん、息を吹き返そうとしていた。

 ところが、01年四月に成立した小泉内閣は、「構造改革」という美名の元に、財政・金融両面で典型的なデフレ政策を強行。成長軌道に乗りつつあった経済を墜落させてしまったのだ。(つづく)

Restoration of Japan

民主党の小沢代表が辞任を発表した。政治の季節である。しかも、通常の政治ではない。市場原理主義に破壊された世界の中で、日本の経済ばかりではなく、政治、その他あらゆる社会構造を復活させる為の政治を回復する為の準備をする季節である。

平成恐慌と言われる、泥沼状況の中から脱出する方策について、日本金融財政研究所所長の菊池英博先生が、文藝春秋5月号に執筆した論文を、本人の了解を得て、当ブログに掲載することとした。

以下、長文であるので、数回にわたり、掲載する。

「日本は既に、「経済恐慌」に陥っている。輸出の激減と円高によって、昨年一〇~一二月の日本の実質GDP(国内総生産、我々の給与と企業の税引き前利益の合計と見てよい)の伸び率は、欧米色の2倍以上の低下を見せた‥輸出だけに依存してきた日本経済の脆弱性が、顕著に露呈している。

 「平成恐慌」とも言える状態に陥ったのは、この10年の「構造改革」以来の敬愛政策が根本的に間違っていたからだ。構造改革による内需抑制策の結果、日本は「10年デフレ」「10年ゼロ成長」の状況にあり、OECD(経済協力開発機構)加盟国の「相対的貧困度ランキング」でワースト4位という惨めな国になってしまった。今や、雇用者の三分の一、若者では40数%が非正規社員(2千800万人)である。生活保護者は160万人を突破し、年収200万円以下のワーキングプアは一千万人を超えた。

 ところが一方で、日本は世界一の金持ち国家でもある‥個人預貯金は1500兆円にもおよび、このうち、300兆円を超すお金を対外純債権として海外に貸し出しているのだ。

 本稿では「10年デフレ」「10年ゼロ成長」を招くに至った経済政策の問題点をつまびらかにした上で、日本を成長軌道に戻すための処方箋を提案していく。さらには我々が経験してきた昭和恐慌とアメリカ大恐慌の教訓から、平成恐慌を乗り越える現実的な方針を探ってみようと思う。(つづく)

Links

市場原理主義に反対するブログのリスト集を作成していただいた。当ブログがそのリストに含まれている。感謝。http://chalaza.net/blank015.html

Market Fundamentalism is Dead 8

 かんぽの宿の売却をめぐる日本郵政の資産売却疑惑に関連するオリックスが、政府・日本政策投資銀行に追加の危機対応融資を打診していることが明らかになったとの報道が相次いでいる。業績低迷による資金繰り悪化に備え、一千億円規模の借り入れを要望しているという。政策投資銀行は国民負担につながる可能性もある融資の正確を念頭に置いて、厳格に審査する方針で、経営責任のあり方などが焦点になりそうだとの報道である。

こうした動きについては、当ブログとしては、民営化、規制緩和、公共政策の削減という市場原理主義の三大虚妄を喧伝してきた経営者のいる企業が、今更、政府の助けを求めること自体が、「笑っちゃう話」ではないだろうか。

山崎行太郎氏のブログが、的確に評論しているので、リンクを貼る。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20090507/1241649066

その中で、「(前略)それにしても不思議なのは、自己責任や自立社会を煽っておきながら、しかも不良企業は倒産して市場から退場するのが当然と言っていたはずの人の会社が、自分たちの会社は経営危機に陥ると、さっさと政府に泣きつくわけだから、まことに見事な言行一致の見本というか、教育的にも素晴らしいお手本である。」と痛烈に批判している。

それから、ノンフィクションライターの森功氏のブログhttp://mori13.blog117.fc2.com/blog-entry-480.htmlにも「政投銀融資をめぐっては以前から噂はありましたけど、かなり切羽詰まっているということでしょうか。ただ、オリックスはまだ09年3月期黒字決算の予想のまま。それでいて政府系の金融機関に助けを求めるというのは筋が通らないのではないでしょうか。株価の維持に必死なのはわかりますけど、まずはみずからの経営実態を明らかにすべきだと思います。」という論評がある。

その記事のコメントととして、「オリックスは、このような小さいレベルの話ではない。
2009年第3四半期では、(平成20年12月31日)
連結総資産は、8兆5,780億円
連結総債務は、7兆3,830億円

債務は、100%そのままであるので、総資産のうちの減耗率が問題となろう。
もし、10%が毀損していれば、8,570億円の減耗となる。
20%の毀損なら、1兆7140億円の減耗となり、資本の1兆1,544億円を
上回り債務超過へ転落する。仮にも毀損が、50%なら、4兆2,850億円の減耗となろう。
この恐怖を誰も直視出来なのが、日本の現実だ。」というコメントがついている。

中谷巌氏のように、市場原理主義と構造改悪によるこの国の破壊について全く反省の色も見られない経営者であり、たちの悪い話である。一方では強欲の資本主義が崩壊している事実をも示していることは確実であり、日本再生の為の処方箋を政治的に提示する機会でもある。そのためには、できるダ出速やかに、民営化を見直し、規制緩和をやめ、公共政策の削減をやめるばかりではなく、日本の国柄に適合した政治と経済政策を復旧して、万民の幸福を追求しながら、世界に日本の寛容と多様性を主張する好機となった。市場原理主義には、正統性がないことが露呈しつつある。融資・救済などの「情けをかけてはならない」と言うのは、東洋の戦乱の対立の中での教訓でもある。

さらには、財投債などを通じて、郵便貯金など郵政の資金が間接的に日本政策投資銀行の財源となっているが、その資金で、郵政を民営化して私物化と外資への移転を奨励して破壊しようとした政商の企業を支援することになることが自己矛盾である。正道を歩んで恐怖を克服しなければならない。恐怖を克服しなければ、ショックドクトリンの思うつぼにはまる。

Inconvenient Truth

郵政民営化も、コンビニ問題と深くリンクしている。民営化された郵便局会社の社長は、大手コンビニから送り込まれた人物である。実際にも、コンビニモデルで、郵便局の事業の編成が行われようとした形跡があることは、当ブログも指摘したことがある。民主党の姫井議員が、コンビニ問題を取り上げて、掲示板を開設しているが、その掲示板には、コンビニの関係者からの意見が、書き込まれている。相当な書き込みの量である。http://himei.jp/bbs/

とある出版社が、コンビニ問題について単行本を出版したら、圧力がかかって、取次業者が拒否するという事態も数ヶ月前にあった. 構造改悪の一環として、コンビニ優遇の政策が行われた形跡がある。リンクを貼るので、ご参考まで。http://facta.co.jp/article/200902061.html

コンビニ問題を現代のタブーとしてはならないが、言論の自由に対して圧力をかけるやり方は、最近の町田徹氏の国会における参考人としての意見開陳にも恫喝をするほどであるから、常套手段であるが、それに屈してはならない。左も右もない話である。

Corrupt Postal Privatization 72

http://jpost.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post.html

簡易郵便局で、貯金業務を取り扱いを再開した郵便局が増えているという。結構な話になるが、しかし、も尋常な増え方ではない。やはり、裏があるのではないかと勘ぐる向きが出てくるのは当然であるが、そうしたことについて、上記のブログが書いている。岡山市の山中簡易局の業務委託を受けた、つまり、この局の銀行代理業者名をしらべてみると、なんと東京に本社のある「セコム(株)であるという。銀行の代理業者であるから、関東財務局のホームページに掲載されていいる。http://www.mof-kantou.go.jp/kinyuu/touroku/ginkodairi-yubin/6684yubin210508.pdf

郵政民営化が、地域性、共同体、その他の価値観を無視して、市場に組み込むことを優先する拝金の金融政策に堕していることを示す典型的な例である。民営化後は、地方財務局の管轄になっているという。ばかげたことではあるが、何とも事実である。もちろん、こんなことは、マスコミは報道もしないが、構造改悪によってもたらされた、日本の劣化現象のひとつである。簡易局が、郵政民営化で急減して、批判をかわすために、再開させたとして、実態は、他での利益供与との関係の中で、一部の会社に委託して利益を出すという、市場原理主義お得意の、災害資本主義のやり方を適用したまでだとの見方もあり得る。

Corrupt Postal Privatization 71

私的整理に踏み切るコスモスイニシア、リクルート事件後の有為転変という記事がネットにある。そのリンクを貼る。かんぽの宿の事件をめぐる中での構図についても言及している。

http://www.data-max.co.jp/2009/05/08_083400.html

以下、その一部の引用。ご関心の向きは、前掲のリンクで全文をお読みください。

「リクルートコスモス改めコスモスイニシアは、今年に入り事件に登場する。「かんぽの宿」売却問題である。日本郵政による「かんぽの宿」のオリックス不動産への売却は、鳩山邦夫総務相の「デキレース」批判で白紙還元に。だが、日本郵政公社時代にも、安値で叩き売られていた。3年間にバルクセール(一括売却)した物件は424件にのぼる。
 日本郵政公社は07年3月に「かんぽの宿」や社宅など178物件をバルクセール方式で売却。コスモスイニシアなど7社で構成するグループが115億円で落札し、物件を山分けした。
 レッドスロープなる会社は、鳥取県岩美町の「かんぽの宿」を1万円で取得し半年後に6,000万円で転売。濡れ手に粟の巨額な利益をあげていた実態が次々と明るみになった。
 レッドスロープは同じ落札グループのリーテック(東京・港区)の100%出資の子会社。リーテックの平松克敏社長(47)はリクルートコスモス出身。リーテックにはコスモス社が出資し、本社はコスモス社と同じビルに置いていた(現在は移転)。
 リーテックは日本郵政公社がバルクセールした物件424件のうち92件を落札。手に入れた土地を右から左に転売して荒稼ぎした。買収資金を融資していたのがオリックスだ。「かんぽの宿」問題では、リーテックを介してオリックスとコスモスイニシアのいかがわしい関係が浮かびあがったのである。」

民営化以前の郵政公社時代の郵政の土地資産の物件売却の背後関係についての追求も行われてしかるべきである。「日本郵政公社時代にも、安値で叩き売られていた。3年間にバルクセール(一括売却)した物件は424件にのぼる。日本郵政公社は07年3月に「かんぽの宿」や社宅など178物件をバルクセール方式で売却。コスモスイニシアなど7社で構成するグループが115億円で落札し、物件を山分けした。」とある。

From Russia

ロシアのプーチン首相が訪日する。マスコミの報道は低調である。しかし、外交は日本にとっては好機ではないのか。日本財団の笹川会長のブログが要点をついている。勿論ひとつの見方ではあるが。ご参考まで。

http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/1897

当ブログは、プーチン首相の訪日を見越して、一文を掲載しているので、ご関心の向きはご一読を賜りたい。

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/territorial-iss.html

「麻生内閣の支持率が下がり、解散風がいつ吹くかという情勢であるが、外交については、待ったなしである。世界経済が急落する中で、米国は政権を交代したが、日本にも市場原理主義の虚妄に抵抗する勢力が残存したおかげで、破滅はまぬかれている。天佑であり、自立自尊の日本を作り上げる好機である。
衆議院は、なお、市場原理主義、拝金主義の残党で混乱しているが、参議院で野党勢力が過半数を制する状況があり、ねじれ現象が、戦後の従属体制を一掃する議論を活発化させている。衰えたり、とはいえ、激動する世界情勢に打って出て、自立自尊の積極的な日本を主張する契機がもたらされたものと考える。
麻生総理のサハリン訪問はそうした観点からすれば、劇的なもので、ロシア側にしても、メドベージェフ大統領を極東に派遣したことは、重要な動きである。市場原理主義の旗手であった小泉元総理のモスクワ訪問には、プーチン首相との会談が設定された気配はない。郵政民営化委員会の座長の田中直樹氏などが同道しているが、この時期に日本版ネオコンの一行を厚遇するわけがないし、モスクワでの自動車会社の脱税事件の後始末の来訪ぐらいに受け止められたのが関の山である。ロシアが、日本の新自由主義を拒否した事例ともなった。
日ロの動きで、米国は国務長官を日本に急派して、オバマ新大統領が初めて接見する外国首脳となったが、呼びつけられた話であっても、威信低下の中で、黙して語らずとも、サハリン訪問の策をとっても、安部、福田政権と続いた虎の尾を踏む前の逃亡の事態は回避されている。
ヤルタ体制が弱体化すれば、日本は否応なく自立自尊のあり様を選択する以外になく、しかもその方が、衛星国となるより、日米の真の友好関係を造りあげるためにも得策である。
日本が、北方領土と呼ぶ島々は、ロシアでは南クリールと呼んでいる。北クリールを前提とする呼び名であるが、忘れてはならないのは、明治の初めの、千島樺太交換条約は、平和裏に成立した国境画定であり、スターリンのソ連と米英蘭が連合国となった結果ではないし、日本は一貫して大東亜戦争を戦っており、日ソの中立条約を破ったのはスターリンの側であり、連合国となった側であることは忘れてはならない。だから、日ロの国境の定は、逆に言えば、対日侵略国としての汚名をそぐ機会でもある。樺太には、石油や天然ガスが見つかったが、千島の方で漁業が賑わっているとの話を聞かなくても日本側がうらやむ話は一切ない。
プーチン首相の来日が、ロシアの対日関係を打開する契機とはならないと悲観する向きもあるが、広範な戦略的で、友好的な枠組みを創り上げるためにも、国境確定をしてヤルタ体制の終焉をはかる時期である。世界が流動化した現在が、千載一遇の機会となる。ロシアも旧来の共産党体制ではないし、世界革命の陰謀もないどころか、冷戦崩壊の後の大混乱を乗り切ってロシアの栄光を取り戻したからには、ヤルタ体制の残照を一刻も早く取り除くべきではないのか。日ロ両国の国益に合致する枠組みをつくり、他国の干渉を回避するためにも、急を要するのではないか。
また、外国の工場と化して、市場原理主義の枠組みに組み込まれ、天然資源に急迫する側の余計な野心を抑制するためにも、日ロの安定した協力は重要である。尖閣のように、資源ほしさをむき出しにした領有権の主張にも、口実を与えてはならないし、空洞化の現実を直視する必要がある。日ロ関係の改善は、朝鮮半島の分断の問題とも連動させなければならないが、旧宗主国としての矜恃があれば、放棄するばかりで、戦後処理が一方的になった悔しさを噛みしめれば、三カ国だけの協議ではなく、日本とロシア、できれば、モンゴルなどが具体的に関与する方が、実のある結果を生む。そのためにも、日ロ両国間の領土問題、抑留問題などのとげを迅速に抜く必要がある。
最近、地図帳を見ていて、南を北にすると、南西諸島がクリールに似て、台湾がサハリンの位置にあることに驚いた。大東亜戦争の後に、台湾を放棄した日本の空白に、蒋介石軍が軍をすすめ占拠して入り、与那国以北の諸島と、奄美大島までの旧琉球王国の版図は、米軍が占領したが、昭和28年に奄美群島を返還して、昭和47年に、北京を意識しメースB中距離弾道弾を抜いて、しかし、基地付で沖縄を日本に返した。冷戦を再現させないためにも、ロシアは南千島と北千島を一挙に日本に返還する英断をすべきである。ロシアの王朝の時代の平和な共存の時代に立ち戻ることが出来る。ロシアこそ、大構図を実行できる指導者を得ているが、日本側でも、尾を踏まない外交を展開しながら、トカゲの尻尾切りをも恐れない政治家の糾合、救国政権の登場が期待されるところである。
樺太は、台湾と異なり独立や隣国の干渉もない。その理由は、ひとつに、日本が覇権を求めない平和国家であることを熟知・理解しているものと思う。
プーチン首相の来日で、ニコライの平和の鐘を、南千島ばかりではなく、全千島に鳴り響かせて、スターリンが奪取した領土を、新生ロシアが日本に返還する決意を表明することを期待する。その鐘の音は、朝鮮半島やアジアの大陸の内奥にも、カフカスの山々にも深く共鳴していくことは、ほぼ間違いがない。 靖国の社に慰霊の花を手向けるだけで、積年の恨みは氷解し始めることも間違いない。」

Pandemic Doctrine

死人に口なし、パンデミックドクトリンという記事を米流時評と言うブログが書いている。

http://beiryu2.exblog.jp/9698750/

今回の豚インフルエンザの騒動は、4月26日に、メキシコや米国で発生した豚インフルエンザの人への大量感染を受けて、米国政府が緊急事態を宣言したことから端をはっしている。緊急事態宣言は感染が広がった場合に、連邦政府や州政府が検査や薬品の調達について特別顕現を付与するが、治療薬1200万人分を備蓄しているという。国土安全保障省の長官が公衆衛生にかこつけて緊急事態宣言を発したこと自体、異様な対応であるとする見方もある。メキシコと米国とは現在外交関係が険悪になっており、メキシコ国境を緊張させるために仕組まれたとする見方もある。オバマ政権は、中南米との関係正常化を目指しているが、結果的にはこれを阻害しようとする勢力が背後にあるのではないかとの観測も囁かれている。4月20日に米州機構の会合がトリニダード・トバゴで閉幕したばかりであり、オバマ新大統領は、中南米諸国kとの関係改善を打ち出した直後である。今回の米流時評の写真は、興味深いものがある。災害資本主義と呼ばれる、新自由主義の陰謀が感じられる事態である。日本は、水際での防疫作戦を展開することは必要であり、それと同時に、グローバルな政治力学がはたらく中で、冷静に国民を守り国益を確保する為の、原因の追及が行われるべきである。一時、異様なまでに喧伝された鳥インフルエンザと同様に、ゆめ、世界的な薬品会社の販売促進の対象となったり、人造生物兵器の脅威の可能性も視野に入れながら、冷静に対処していく必要がある。ただ、騒ぐだけでは、文字通り、拝金の市場原理主義者が、天災や戦争を利用して、また、大量政治宣伝を用いて行うショックドクトリンの思うつぼにはまることになるからである。

Paraguay

パラグアイで解放の神学の司教が大統領に就任したことは、よく知られている。その大統領の就任についてのコメントがネットにあった。ご参考まで。新自由主義に対する反乱である。http://ha2.seikyou.ne.jp/home/bamboolavo/catholic/catholic1.htm#paraguay

竹下節子氏のサイトの一部である。http://ha2.seikyou.ne.jp/home/bamboolavo/

True Picture of Alliance

孫崎享氏による日米同盟の正体が、ベストセラーとなっている。

的確な書評があったので、リンクを貼る。

http://president.jp.reuters.com/article/2009/05/06/67114D96-2F26-11DE-BD6E-7FD93E99CD51.php

以下、引用

「本書は、インテリジェンスのプロによる安全保障問題をテーマとした本である。安全保障問題に素人である評者のようなエコノミストが読むと、経済を理解するには政治や安全保障の知識が不可欠だと痛感する。政治や安全保障問題に無頓着で、経済にしか関心を持たずに分析しても、表層的な結論しか得られないのである。

評者は1980年から証券会社でマクロ分析に従事したが、日本経済の先行きの予測にはレーガノミクスの分析が不可欠だった。本書によれば、バブル生成の10年となった80年代がスタートするときに、米国は戦後の対日戦略を大きく方向転換させた。つまり、いわゆる「シーレーン構想」を契機に、それまで抑制していた日本の軍事力を、逆に増強させる方向に転じたのだ。「シーレーン構想の真の目的」は、「ソ連に対するアメリカのグローバルな軍事封じ込め戦略の中心的な構成部分」(38ページ)へ転換させることにあった。日本では評者をはじめ多くの人が、日本の生命線である東シナ海における石油の安全確保のためと思っていたが、真実は「欧州におけるソ連の攻勢に地球規模で対応するため、オホーツク海のソ連の潜水艦を攻撃すること」(37ページ)だった。

こう理解すれば、日本の80年代の土地バブル生成と崩壊は自然現象ではなく、今になって「ある意図」が存在していたのだとわかる。評者の理解では、対ソ連軍拡路線で膨れる米財政赤字を、しかもドル高是正プロセス下でファイナンスするには、日本のバブル生成は不可欠だったことになる。そうであれば、ソビエト連邦が崩壊すれば、「冷戦後の情報収集で重要なのは経済分野と第三世界だ」(94ページ)と考える米国だからこそ、「日本経済はCIAの標的になる。このことはCIAが日本経済に被害を与える工作を行う可能性を示唆している」(同ページ)ことになる。ベルリンの壁崩壊が日本のバブル崩壊の引き金を引いたのである。

著者が本書の執筆に当たって優先させた哲学は「事実は語る」(17ページ)だ。もう、「いかがわしい書籍が出て陰謀論を解き、知識階級はますます陰謀論を馬鹿にして遠ざける」(84ページ)悪循環を終わらせなければならない。日本人の知的レベルが問われているのだ。それは「日本はいまだに、戦略的な思考をしません。経済的な観点からものを考えます」という74年のキッシンジャー米国務長官(当時)の台詞(26ページ)からの脱却でもある。

この指摘が以後も生きていることは、2001年以降、郵政改革を日本の構造改革の中心に据えた小泉政策が証明している。

「支援の対象となる円借款の貴重な資金源は郵便貯金であった。しかし、日本は郵政を民営化した。地方、農村、中小企業システムを捨てなければならなかったのであろうか」(250ページ)との著者の問いに対する答えはNOということになる。

著者は日本外交の変質が「90年代初期に生じた」(120ページ)と指摘している。日本はグローバル化をアメリカ化と理解していたことになる。これが本当の「失われた10年」であり、いまだ進行中である。これまでのように「損か得か」で判断することはやめて、「社会が『記者』として生きる姿を評価」(134ページ)しなければならない。本書は日本人一人一人に「意識革命」を迫っているのである。

■『日米同盟の正体─迷走する安全保障』孫崎 享著 講談社現代新書 本体価格760円+税」

Corrupt Postal Privatization 70

おどろおどろしい内容の記事である。ご参考まで。

http://outlaws.air-nifty.com/news/2009/02/post-6413.html

http://outlaws.air-nifty.com/news/2009/02/post-76b1.html

Who is killing the local communities? 2

地方を殺すのは誰かという著書を出版した岩崎産業社長、岩崎芳太郎氏の主張について法ブログはコメントした経緯があるが、緒論について掲載した記事がネットで公開されているので、そのリンクを貼る。

http://www.data-max.co.jp/2009/05/post_5479.html

http://www.data-max.co.jp/2009/05/1_137.html

連載が続くようであるが、とりあえず。

当ブログにおいて、岩崎芳太郎氏の論説について紹介したり、コメントした記事がいくつかある。リンクを貼る。

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/who-is-killing-.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/who-is-kiling-t.html

http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/248635/209267/55382077

http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/248635/209267/5538243

http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/248635/209267/55382781
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/248635/209267/55383290

Corrupt Postal Privatization 69

衆議院テレビの8日予算委員会における亀井久興国民新党幹事長による質疑。総務大臣の日本郵政の西川社長の責任問題に対する応当がある。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=39791&media_type=wn&lang=j&spkid=220&time=03:57:10.7

Orwell Prize 2009

イギリスの政治ジャーナリズムの表彰に、オーウェル賞がある。今年は、インディペンダント紙のコックバーン氏が受賞している。http://www.independent.co.uk/news/media/press/cockburn-wins-top-journalism-award-1673482.html ずいぶんと厳つい顔の人物である。

去年の記事であるが、http://www.lrb.co.uk/v30/n16/cock01_.html

http://www.lrb.co.uk/v30/n16/cock01_.html をご参考まで。イラクの専門家である。サダム・フセインの伝記も書いたという。

Market Fundamentalism is Dead 7

竹中平蔵氏と外国勢力との関係についての評論記事がある。http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/f276d3bb65143d87ade95667d5a93ded

この中で、フレッドバーグステンとの関係について書かれている部分が、当ブログとしては関心を引いた。バーグステンは、郵便貯金の金利引き下げについても強行に主張していた人物であり、大来佐武郎元外務大臣が、倒れたのは、バーグステン氏と電話で激論を交わしていた最中だとの話がある。大阪で、APECが開催される前の話である。

ちなみに、IIEのホームページのアドレスは、http://www.iie.com/である。バーグステン氏が北京の通貨について提案しているあたりが最新の陰謀の興味深いところである。

Corrupt Postal Privatization 68

ジャーナリストの町田徹氏が、ダイヤモンドオンラインに、「謝罪状はでたものの、「かんぽの宿疑惑」追求の動きはとまらない」と題する記事を書いている。

http://diamond.jp/series/machida/

その記事についてコメントするブログも散見される。http://blog.livedoor.jp/dfv8/archives/679625.html

町田氏の記事の要点は次の通り。

「日本郵政の西川善文社長からの「陳謝」の書面を4月25日に受け取った。

 その内容は、町田氏が3月17日の国会での参考人意見陳述で提出した資料「かんぽの宿売却問題について」に関し、西川社長名で言論活動に圧力をかけようとしたことが適切でなかったと認めたもの。

  日本郵政と西川社長にとっては、「かんぽの宿」問題が「一件落着した」と考えているかも知らないが早計である。

 町田氏の意見陳述のポイントは、(1)「かんぽの宿」売却は、郵政民営化の際に5年以内の売却を法的に義務付けた経緯と、実際に売却先としてオリックス不動産を選定した過程の両面に不透明さが付きまとい出来レースの疑いが濃い、(2)「かんぽの宿」売却問題以外にも、構造のよく似た「出来レース」疑惑が少なくとも3つ存在する、(3)国会は、これらのすべての疑惑について、真相を究明すべきである、との三点である。

 日本郵政は、言論の自由が厳に守られるべき国会での参考人の言論に対し、国会に通告すらせずに、西川社長名で直接筆者に内容証明を送りつけた。その中で、訂正と謝罪を求めるという暴挙に出た。 意見陳述をした参考人が、第三者から訂正や謝罪を迫られるなどということは、前例がない異常事態だ。こうした行為は、参考人制度自体を揺るがしかねない側面がある。

 日本郵政は町田氏への内容証明に先立ち、連載コラムを寄稿しているメディアのひとつに対しても、原稿掲載に慎重を期すように迫る内容証明を送りつけていた。その根拠は、このメディアに書いた連載コラムの内容ではなく、同氏が国会で陳述したことだった。そのメディアに対しても法的措置を講ずると恫喝まがいの文言が連ねてあった。

 メディアの側に先行して行われたことも非常識極まりないことで、こうした事例は仄聞したことさえない異常な行為だ。

 日本郵政が根拠にしていたのは、いずれも公式記録が残ることから国会で重視される発言そのものではなく、委員限りと限定して配布した補足資料の方だった。

  西川社長は4月17日、自ら、衆議院の総務委員会に出席して、国会に陳謝したほか、「町田氏(筆者のこと)にも、近日中に文書でお詫びしたい」と謝罪の意を表さざるを得なかった。そして、その8日後になって、町田氏はようやく実際の謝罪文を受け取った。日本郵政関係者によると、この内容証明の送付決定にも、かんぽの宿問題などの一連の疑惑で責任が取り沙汰されている、「チーム西川」が大きく関与していたという。

「チーム西川」のメンバーは、西川社長が出身母体の三井住友フィナンシャルグループから連れてきたスタッフたちで構成されている。相変わらず三井住友グループの社宅に住んでいることが明らかになり、金銭感覚や倫理観を問われている横山邦男専務取締役が大番頭格である。 国会の審議の中で、筆者への内容証明送付を決裁したのが横山専務だった。広報やグループ戦略を担当する次長クラスがこの行為を横山専務に進言し、西川社長の了解を得て実施されたと証言する向きもあった。 メディアに恫喝まがいの内容証明を送りつけて無理を通す手法を、関係者の間では「三井住友方式」と呼んでいる。

 かんぽの宿」売却疑惑の発覚以来、日本郵政は、取材拒否と広告の出稿停止という行為を引き合いに、メディアに再三圧力をかけていた。

 町田氏は、自分の言論活動への圧力について、公式に謝罪を受けた以上、これ以上追及する気はないとする。私憤紛いのことに拘泥していると誤解されたくないからであるという。恫喝のチームを重用してきたことは、西川社長の経営者としての資質が問われる背景のひとつだ。

 記録を残すため、いずれ、町田氏の公式ホームページに謝罪文を公開して明らかにする。西川社長の謝罪文は、日本郵政の問題点を「(内容証明を出す際の)手続きの不備」に矮小化しようと試みているに過ぎない」

 詳細は、町田氏が執筆した記事を直接読まれたい。そしてまた、国会において、一連の民営化疑惑に対する追求が継続されることを期待したい。

同氏の記事の結語を引用する。

「 もちろん、政府・与党や国会では、こうした筆者が指摘した疑問点はもちろん、そもそもの発端となった「かんぽの宿」の売却問題も幕引きにするつもりはなく、一段の追及を続けるとの決意を語る向きが多い。

 このうち、国会では、「かんぽの宿」売却問題について、検察当局への告発を目指す動きがある。まだ多くを語るのは憚られるが、現在のところ、具体的には、固定資産税評価額が857億円もあるにもかかわらず、108億円と不当に低い価格でたたき売ろうとした点などを問題視して、未遂事件でも処罰対象になる「特別背任罪」に問うように求める案が有力だ。野党だけで告発するのか、挙党体制で告発するのか、連休明けの国会は正念場となる見通しだ。

 一方、政府・与党の間では、「経営陣の刷新を優先すべきだ」との意見が強まる一方だ。これだけの不祥事と疑惑を引き起こした西川体制には、これ以上、経営をゆだねられないというのである。こうした向きの多くは、5月22日の日本郵政の決算役員会へ向けて、西川社長に再任を諦めるよう働きかける動きがあるという。

「かんぽの宿」売却疑惑は終わらず、むしろ、水面下の攻防が激しさを増す方向となっている。」

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ほそかわ・かずひこ氏のブログである。郵政民営化も、旧長銀の売却も関係があり、旧長銀の売却が第一歩であったとすると、郵政民営化は最大の獲物と書いている。しかも、郵政民営化をどうするかは、いっそう重要度を増しており、単なる国内問題ではないとも述べている。

http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/4f3644dfde1e76fbd53308cba6f8bfd1

「●アメリカの日本侵攻としての郵政民営化

 旧長銀の売却は、巨大国際金融資本による日本市場への本格的進出第一歩に過ぎなかった。国際金融資本家にとって最大の獲物は、郵政資金だった。そこで進められたのが、郵政民営化である。
 郵政民営化は既定のことで、何をいまさらと思う人が多いだろう。実はそうではない。郵政民営化が重大な局面に入るのはこれからである。しかも、2008年(平成20年)9月より深刻化した世界経済危機の中で、郵政民営化を今後どうするかという課題は、わが国の浮沈に関わるほどの事柄として、いっそう重要度を増してきているのである。
 わが国の多くの人は、郵政民営化を単なる国内問題と理解している。しかし、その本質は大東亜経済戦争に続くアメリカの日本侵攻にあり、米欧と日本・アジアの国際関係という構図で捉えるべき問題である。これからそのことを述べたいと思う。その点から始めないと、どうして郵政民営化は見直しが必要なのか、そしてその見直しが世界経済危機に直面するわが国にとって、興亡を左右するほど重要なのかが明らかにならないからである。
 最初に郵政民営化の国内問題としての側面を述べ、次に国際問題としての側面を述べる。

 まず郵政民営化の国内問題としての側面から記す。
 2001年(平成13年)1月、行政改革の一環として中央省庁の再編が実施された。この時、郵政省の郵政行政及び郵政事業部門が再編された。同年4月、小泉純一郎が首相となった。小泉は1979年(昭和54年)の大蔵政務次官就任当時より郵政民営化を持論としており、小泉内閣は郵政民営化を重要施策の一つとして掲げた。
 小泉は首相となる前、郵政民営化を主張する根拠として、①全国に宅急便が行き渡っているから郵便は民間に任せても大丈夫、②郵便貯金が民間の金融機関を圧迫している、③郵貯の巨額の金が財政投融資に回って問題を起こしている、という三点を挙げていた。しかし、1993年(平成5年)に郵貯の金利は市場金利に連動し、民間の銀行に比べて有利でない水準に定められた。郵貯が民間銀行を圧迫していると単純には言えなくなったのである。また、2001年(平成13年)には、郵政が郵貯や簡保で得た資金を全額自主運営することになった。郵政資金が直接財務省に預託される構造は改められ、財務省は財投債を発行し、郵政は市場でこれを購入するという形に変わった。郵政資金は、この時点で財投から切り離されたのである。こういう改革が行われたうえで、03年(15年)4月1日、独立法人である日本郵政公社が発足した。この時点で、小泉が掲げていた論拠のうち、②と③は改善が進んでいたのである。
 ところが、小泉内閣は、国民にこうした実態を知らせることなく、郵政民営化を「聖域なき構造改革」の最大課題だというイメージを振りまき、法制化を強力に推し進めた。

 2005年(17年)7月、郵政民営化関連法案は、衆議院でわずか5票差で可決された。しかし、その翌月、参議院では否決された。すると、小泉首相は民営化の賛否を国民に問うとして、衆議院を解散した。憲法の規定に外れた解散だった。
 自民党には、様々な理由で郵政民営化に反対する衆議院議員がいた。その一部は、党を離脱し、新党を結成した。党に残った反対派は、選挙で公認を得られなかった。さらに民営化に反対した議員の選挙区には、「刺客候補」が立てられた。国民の多数は、連日のマスメディアの報道によって、民営化に賛成の者は改革派、反対の者は改革反対派という単純なイメージを植えつけられ、法案がはらむ重大な問題点を知ることがなかった。

●郵政民営化は根本的に見直すべき

 こうして実施された05年(17年)9月11日の衆議院議員総選挙で、与党は3分の2以上の議席を獲得した。歴史的な大勝だった。10月14日、特別国会で与党の圧倒的な多数により、郵政民営化関連法案が可決した。自民党は民営化に反対した議員に、除名や離党勧告等の厳しい処分を科した。
 そして、2007年(19)年10月1日、郵政民営化がスタートした。この日、郵政公社は解散し、「日本郵政グループ」が発足した。郵政事業は、持ち株会社の日本郵政と、郵便、郵貯、簡保、窓口の4事業に分社化された。当面、日本郵政の株式はすべて政府が持ち、3年ごとに民営化の進め方の点検と見直しが行われることになってはいる。しかし、郵政選挙以後の自民党は、民営化を根本的に見直す意見を封殺ないし排除する政党に変貌した。それゆえ、現状では大きな方向転換は期待できない。

 私は、05年(17年)、郵政民営化の是非が議論されていた当時から、小泉政権の民営化案に強く反対する意見を明らかにしている。当時の掲示文を私のサイトに掲載しているが、その見解は変わらない。反対の最大の理由は、巨大国際金融資本が、郵便貯金と簡易保険に預けられた約350兆円を狙っており、小泉政権が進めた郵政民営化は、その国民の資産を外資に差し出す危険性が高いことである。
 このような観点から郵政民営化法案に反対したのは、当時自民党の国会議員だった平沼赳夫、小林興起、小泉龍司、城内実等であった。また評論家の森田実も同様だった。東谷暁、関岡英之等も、これに近い見方だった。
 私は、民営化の進められた今からでも遅くはない。郵政民営化は根本的に見直すべきだと考えている。現在は政府が株式を保有しているが、今後その株式が市場で売却されることになれば、日本国民の資産は徹底的に外資に食い荒らされる。それが根本的見直しを求める理由である。」以上、ほそかわ・かずひこ氏のブログから。

Indecent Interval 3

フラワーズファンドが、新生銀行を使ってドイツの不動産会社に投資したが、それが大損をしたことは、会員制の月刊誌が既に昨年11月号で報道していた。その記事が残る。

「さらに深刻なのは、フラワーズ社が組成したファンドに、新生銀も投資していること。「投資額は非公表」(新生銀)というが、その持ち分にも損失が発生している。この先、どれだけ損失が膨らむかわからない。しかも、この投資行為は問題含みだ。「子会社銀行から親会社への融資や出資を禁じた、銀行法の規制(機関銀行化)に触れかねない」(メガバンク役員)。フラワーズ社は新生の32%強の株式を保有するだけでなく、同社会長のクリストファー・フラワーズ氏は社外取締役まで務めている。金融庁関係者は「契約内容などをチェックする必要がある」と慎重な言い回しながら、興味津々の表情を見せる。新生銀関係者は「ヒポへの投資案件は機関銀行化の恐れがあるため、ファンドとは別に投資することを考えたが、結局、ファンドに投資する形になった。フラワーズ社側が、その事実をあらかじめ公表しているので問題はない」と言う。つまり機関銀行化を巧みに回避する契約内容になっているというのだが、違反スレスレの行為ではないか。」

全体の記事のリンクは次の通りである。http://facta.co.jp/article/200811032.html

それよりも、まず新生銀行の成り立ちについてブログがある。明解に解説している。http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/251da7ef1238607100e504c9b7720197

竹中平蔵氏が、新生銀行のごたごたの時に柳沢大臣の後任として就任したのは、外資との関係ではないかと推測している。

http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/98edf19c014b75e2252b83472abfe44e

http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/27a6d3d9e2858458e257e1be908fe1d9

Indecent Interval 2

まず、今年の2月の記事である。JCフラワーズ氏が、新生銀行の外国投資が行き過ぎだったと認めたとの報道である。海外投資を通じて日本の銀行に大損をさせたとの批判がある。新生銀行は、そのフラワーズファンドを通じて、前述のドイツの不動産金融会社、ヒポ・レアルエスt^との東進などに絡んで、厄40億円の評価損を計上したとの報道である。新生銀行とあおぞら銀行との合併問題が報道されているが、ドイツ政府の強硬な態度とも実は連動しているのであって、そうした混乱を利用して、外資ファンドのの手によって日本の銀行が食い物にされている実態の一端に触れる可能性について注意を喚起しておきたい。http://www.business-i.jp/news/bb-page/news/200902200078a.nwc

「米富豪J・クリストファー・フラワーズ氏は、同氏率いる米投資ファンド、JCフラワーズ(JCF)が筆頭株主の新生銀行について、米国と欧州への投資が行き過ぎだったと語った。  フラワーズ氏は電話取材に応じ、「今にして思えば、海外投資の規模は大き過ぎた」と述べる一方、「その当時としてはさほど珍しいことではなかった」と語った。
 新生銀行は、破綻(はたん)した米リーマン・ブラザーズへの融資や、JCFを通じたドイツの商業用不動産金融大手ヒポ・レアルエステートへの投資などに絡み10億ドル(約940億円)余りの貸倒損失・評価損を計上した。 元マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社長の大前研一ビジネス・ブレークスルー社長は、昨年ブルームバーグテレビとのインタビューで、JCFなどから成る投資組合について、「こうした投資家は銀行の経営ではなく、利益を上げることに関心があった」と批判した。  一方、フラワーズ氏は、JCFが筆頭株主になった後の9年間、新生銀はJCFとの「多くの」取引に関与したと述べた上で、「全体として取引は新生銀とJCFの双方にとって非常にプラスだった。われわれが短期的な利益を狙っていると憶測される理由が私には分からない」と語った。  JCFや米投資会社サーベラス・キャピタル・マネジメントは、海外投資を通じて日本の銀行に損失を被らせたとして批判されている。 サーベラスが実質上経営権を握るあおぞら銀は先週、09年3月期連結決算の最終損益が1960億円の赤字となるとの見通しを明らかにした。 あおぞら銀は、サブプライムローンや米自動車最大手GM(ゼネラル・モーターズ)の金融関連会社GMAC、米ナスダック・ストック・マーケット(現ナスダックOMXグループ)のバーナード・マドフ元会長が関与したとされる巨額詐欺事件などに絡んだ海外投資で損失を被った。」

そのフラワーズ氏の新生銀行の取締役としての経歴がネットにある。http://www.shinseibank.com/investors/common/biography/biography_flowers.html

Indecent Interval

ロイター通信が、次のような報道をしている。

「ドイツ政府が、金融市場安定化基金(SoFFin)を使って、経営難の不動産金融会社のヒポ・レアル・エステートの株式47.31%を取得した上で、同社の国有化手続きを進める見通しであるとの報道が行われている。政府は1株当たり1.39ユーロでヒポ・レアル株を取得すると提案して、この買い付け期限の6日遅くまでに、38.65%の株主(株式数)が売却に応じたために、政府の持ち株比率は47.31%となり、増資を行う上で十分な水準となる。 増資から既存株主を排除することで、ドイツ政府が今年成立した法律で認められたスクイーズアウト(少数株主の保有株式の強制取得)を行う必要性がなくなる程度まで、米投資会社JCフラワーズなどの株主が保有する株式が希薄化する可能性がある。 政府がヒポ・レアル株をさらに買い付けるとのうわさを受けて、同社株は日本時間午後5時10分までに13%超上昇した。 JCフラワーズのスポークスマンは「引き続き株主でいることを望む」と述べ、株主として残る選択肢を検討していると明らかにした。」

日本経済新聞は、5月1日に、ベルリン発の記事として、次のような記事を報道している。

「経営難に陥っている独不動産金融大手のヒポ・レアルエステートを巡る争いが激化してきた。既存株主から株式を取得して同社を国有化する意向を表明した独政府に対し、大株主の米投資ファンドのJCフラワーズは4月30日、この提案に応じない考えを固めた。独メディアが一斉に報じた。報復措置として独政府はファンドが保有する株式を没収するという強硬手段に訴える可能性がある。 独政府は1株当たり1.39ユーロ(約180円)で株式を売却するよう、2割強を出資する米ファンドなどに要請していた。しかし、ファンド側は提示価格が低すぎることなどを理由に政府の要請を拒否する方向となった。 独メルケル政権は、こうした事態を想定し、金融安定化のためなら民間金融機関の資産を強制的に取得できることを盛り込んだ法律を作成済み。ドイツ通信によるとシュタインブリュック独財務相は同日、「(本当に売却を)拒否するなら(ファンドの保有株を)没収する」と語った。」

日本では、時事通信が次のような報道をしている。

「新生銀行とあおぞら銀行が検討していた経営統合が、当面は実現する可能性が極めて低くなっていることが28日明らかになった。両行の筆頭株主である米投資ファンドの同意が得られなかったためだ。2行は経営環境の変化を待って引き続き株主への説得を試みるとともに、統合以外の新たな提携・協力関係の構築も模索する。
 新生銀とあおぞら銀はそれぞれ、バブル期の過大融資が原因で経営破綻(はたん)した旧日本長期信用銀行、旧日本債券信用銀行が前身。現在の筆頭株主は新生銀がJCフラワーズ、あおぞら銀はサーベラスとなっている。ファンド側は顧客基盤が脆弱(ぜいじゃく)な両行が単純に統合しても収益力の飛躍的向上は見込めないなどと主張し、調整は不調に終わったもようだ。」

当ブログの関心事は、両記事を読んで、ドイツでは公権力の介入がなされているが、日本では、外資ファンドがごねているためにうまくいかないことがよくわかる対照的な記事であるほかに、ファンドのJCフラワーズが何者かをネット上の公開された記事などを見ながら研究してみることとしたい。

Market Fundamentalism is Dead 6

当ブログの読者でもある友人から、メールを頂戴した。その中に、メガバンクの外資参入の関係についての記述があった。まとまっているので、当ブログにもその部分を拝借して掲載して参考としたい。

「文藝春秋2009新年特別号156ページに
渡邉恒雄氏の気になる発言があります。
・・・・僕は竹中さんから直接聞いたことがあるんだが、彼は「日
本の四つのメガバンクを二つにしたい」と明言した。僕が「どこを
残すんですか?」と聞くと、「東京三菱と三井住友」だと言う。
あの頃はまだ東京三菱とUFJは統合していなかったんだが、
「みずほとUFJはいらない」というわけだ。どうして三井住友を残す
のかというと、当時の西川善文頭取がゴールドマン・サックスから
融資を受けて、外資導入の道を開いたからだと言う。「長銀をリップ
ルウッドが乗っ取ったみたいに、あんなものを片っ端からいれるのか」
と聞くと、「大丈夫です。今度はシティを連れてきます」と言った。今
つぶれかかっているシティを連れてきて、日本のメガバンクを支配され
たらどうなったか、ゾッとする。・・・・・・・・」

以上であるが、市場原理主義の策動は未だに続いている。世界的には崩壊したが、未だその残党の動きで、大きな地震の後の余震のようなものが続いている。しかも、火事場泥棒という日本語があるように、混乱を利用する動きも見られる。英語で言えば、ショックドクトリンで、社会の混乱や、自然災害を契機として、経済や政治を好都合なものに作り替えてしまう新自由主義の拝金のカルトの動きである。

Fiji Situation

フィジー情勢と展望

4月10日、フィジーのイロイロ大統領が憲法を廃止したニュースが流れた。南太平洋の諸国の事情に詳しい専門家のまとめた論評をしょうかいする。

―――
 この4月、イロイロ大統領から再度首相に指名されたバイニマラマ氏は2014年まで選
挙を実施しないことを宣言。早期の選挙実施を要請してきた地域政府機関太平洋諸島
フォーラム(PIF)は、5月1日フィジーのメンバーシップを保留する事を決定した。今後
フィジーはPIFの実施する会議に参加できず、また PIFが行う資金・技術支援も受けら
れない。
 2006年の4度目のクーデター後、 PIFはフィジーに対し選挙の実施を促してきた。し
かし、今まで豪・ニュージーランドの強い姿勢を牽制していたパプアニューギニアの
ソマレ首相も、4月末ラッド首相との共同記者会見では態度を一変させた。他方、キリ
バスのトン首相は豪・ニュージーランド抜きで対話を進めるべきだ、とのコメントを
出している。
 PIFがメンバーシップを保留するのは設立以来初めての事。PIFはフィジーの故カミ
セセマラ初代首相が’71年に創設した地域機関で本部もフィジーにある。
 
 1987年から繰り返し起るフィジーのクーデターが人口の半分を占めるインド人対フィ
ジー人の民族対立だけではないことは、もう理解されていると思う。米領サモアの議
員はクリントン長官に「フィジーの問題は複雑であり、豪ニュージーランドの意見ば
かり聞いてはいけない。」とアドバイスしたとの報道もあった。では、どのように複
雑なのか。それは、西の酋長と東の酋長の権力闘争であり、酋長達と平民との闘争、
酋長と軍人の共謀と反逆、自由市場と伝統的な土地制度の摩擦、等々である。さら
に1回目のクーデターは労働党政権の非核運動に対する米国政府からの圧力、という噂
もある。
 現在太平洋島嶼国で軍隊があるはフィジー、トンガ、パプアニューギニアの3カ国だ
けだ。これらの軍隊は豪・ニュージーランドで訓練を受け、兵器の支援も受けている
事は皮肉な結果である。

 今後の動きについて3点。
1点目、今月北海道で開催予定の第5回島サミットは日本政府と PIFの共同事業との位
置づけなので、 主催国日本が強く働きかけない限りフィジーの参加はないであろう。
先週豪州を訪問した中曽根外相はフィジーに関しては、制裁よりも対話、という姿勢
を示している。
2点目。フィジーは中国、インドとの関係をさらに強化することが予想される。他方中
国も PIFと足並みを揃える方針なので、今後の中国の動きは見逃せない。なお中国も
今年島サミットを開催する予定だ。
3点目。フィジーに集まる国際組織(南太平洋大学、 PIF事務局、国際NGO、国連機関
等)の機能がさらに低下することが予想される。それは太平洋の地域協力の動きを変え
ることになるであろう。

(後略)」

市場原理主義のひずみは、南太平洋の諸国でも顕現しつつある。米国の噂や、北京がこうした動向を捉えて国際会議を開催しようとしていることも指摘している。貴重な情報である。著者の了解を得て、一部割愛して当ブログに掲載した。

Corrupt Postal Privatization 67

連休で、当ブログも休業状態であったが、色々な新しい情報が出ている。

、(会員制の雑誌、選択が、2009年4月号が伝えるように、
①郵便局会社が取り扱う第三分野保険で、アフラックのがん保険とともに住友生命の医療保険が選ばれ、
②変額個人年金保険で、住友生命、三井住友海上メットライフ生命が選ばれ、
③ゆうちょのカード事業で、三井住友ビザカードが選ばれ、
④従業員持ち株会の幹事証券業務に大和証券SNBCが選ばれる、
など、日本郵政が三井住友ファイナンシャルグループを優遇してきたとの疑惑が浮上している。」

①と②の点は、当ブログは知らなかった。③については、ジャーナリストの町田徹氏が国会で、問題点として指摘したことについてコメントしたし、④については、民営郵政会社の持ち株会の問題点に着いては、持ち株会が発足した頃に、批判を加えた。http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/fake_privitizat_2.html

10月3日に日刊工業新聞が報道した、郵政福祉と、従業員持株会の関係記事。(ネットには、5月ごろに、持株会設立が決まったとする、日本経済新聞の報道も残っている。)

日本郵政グループ、従業員持株会を設置、上場に向け24万人対象という見出しで記事となっている。

グーグルのキャッシュに残っていた記事であるから、文字が一部色分けされるなど強調されている。

「1日発足した日本郵政グループ(西川善文社長)が同日付で「従業持ち株」を設置したことが2日分かった。引き受けは大和証券SMBC。会員は2010年をめどにに上場が予定されている株式の新規公開株を優先的に取得できる。上場前は会社からの奨励金(拠出金に対し3%)を得て短期金融資産投信(MMF)を購入する。11月下旬に職員向け説明を行い、年内に募集を締め切り08年4月から拠出を行う計画だ。
 従業持ち株従業(子会社を含む)が自社株の取得を目的に運営する民法上の組合で、給与や賞与から一定額を天引きで従業持ち株に拠出。会社側からの奨励金を上乗せして自社株を購入する仕組み。
 会員は上場直前に新規公開株を優先取得できるほか、持ち株を通じて経営への参加が可能になる。このため、企業防衛策の一環として上場企業が多く採用。民営化会社でもJR各社やNTTドコモが採用しているが、上場前の24万人を対象とした巨大従業持ち株設置は異例だ。拠出額は一口(1000円)以上で50口(5万円)以内。上場後の奨励金は5%に引き上げられる予定。
 日本郵政グループの従業持ち株は、同グループと大和証券SMBCが総額20億円をかけてシステムを構築。従業持ち株の優先取得比率は10%を予定している。
株式上場に向けて関連法人の見直しを進めている日本郵政グループは、特定局舎賃貸などで「郵政福祉」が行っている職員向け退職給付事業を従業持ち株に置き換える計画。
 大和証券グループの狙いは、上場が計画されている持ち株会社「日本郵政」、傘下の「ゆうちょ銀行」、「かんぽ生命保険」の株式公開の際の主幹事ポストのほか、役員向けストックオプション制度の導入支援とみられる。
 従業持ち株は(1)日本郵政、郵便事業、郵便局会社の3社が対象となる「日本郵政従業持ち株」(2)ゆうちょ銀行従業持ち株(3)かんぽ生命保険従業持ち株の三つ。非正社員でも、高齢者再雇用社員、「エキスパート契約社員」、月給制契約社員は対象となる。」

以上であるが、なるほど「上場前の24万人を対象にした、巨大持株会は異例だ」。その設置過程についても、情報公開をしてほしいものだ。特に、4500億円の巨額の資産を持つ財団法人との関係や、その取引銀行の成績など、また持ち株会の幹事会社の選定経過についても、情報公開が求められる。もちろん、まずもって、会員の至る日本郵政の職員等に説明されていたのか。」

郵政民営化の私物化の疑惑は深まるばかりである。

雑誌選択からの情報は、下記のリンクに掲載されているので、ご参考まで。

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-df76.html

Market Fundamentalism is Dead 5

日本は属国ではない。日米構造協議を中止すべきである。新政権も成立したのであるから、少なくとも中止を提起すべきである。万一、日本側がこの自虐的な構造協議を継続しているとしているのであれば、政権交代を目指す以外に選択肢はない。

Corrupt Postal Privatization 65

連休を利用して地方を歩いていると、マスコミの批判が聞こえることがあるが、今回は、テレビの討論番組のだらくについての指摘が多かった。典型的な番組が、郵政民家化の照って危険賞をうたいながら、いつもの市場原理主義の権化の竹中平蔵氏を出演させ、その取り巻きの評論家がご託宣をのたまう番組のことであった。色々なテレビ願組で同じような主張をしているとのことで、地方の視聴者は何か背後関係があるのではないかと、うすうす気がついているようであった。それについての解説がなされていたので、ご参考までにリンクを貼る。予定があるので、国会の参考人招致に応じないで、一方的にテレビを使って政治宣伝をするのであれば、証人喚問として、強制的に国会に出席させて、郵政民営化の疑惑について追及すべきである。

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-f4d7.html

Corrupt Postal Privatization 64

かんぽの宿の問題など、一連の郵政民営化をめぐる疑惑が、国会での追及を含め沈静化している状況になるが、嵐の前の静けさでしかない。関連記事のリンクである。ご参考まで。

http://www.data-max.co.jp/2009/05/01_090000.html

Manipulated History

結構な記事である。市場原理主義は、事実を歪曲することが大の得意であることは、当ブログの読者にはご理解いただけると思うが、市場原理主義の大国となった北京の見方を日本の公共放送が押しつけることは、小泉竹中政治で、ブッシュ政権の災害資本主義を押しつけたことと同様に納得がいかないことである。産経新聞は、最近ではすっかり新自由主義経済の信奉者となり、竹中教授の論説を掲載するだけに堕してしまったが、中には気骨のなる記者も残ってはいるようだ。ご参考まで。

「産経新聞(2009.4.30)より
【くにのあとさき】東京特派員・湯浅博 歴史を歪曲する方法

 右であれ左であれ「事実そのものを封ずる空気」というのは、いやなものである。とくに、歴史を扱うドキュメンタリー映像には何度もだまされてきたから、ハナから事実と思ってみないクセがついてしまった。哀(かな)しいことに。

 つい最近も、台湾情勢に関心がある人ならすぐに「変だな」とテレビの小細工に気づく番組がまたあった。日本が横浜開港から世界にデビューして150年間をたどるNHKの「シリーズ・JAPANデビュー」である。

 その第1回放送『アジアの一等国』を再放送で見た。テーマは50年に及ぶ日本の「台湾統治」だから、制作者は植民地政策の悪辣(あくらつ)さを暴き出すことに熱心だ。台湾人すべてを「漢民族」でくくるたぐいの荒っぽさが随所にあった。

 なにより『母国は日本、祖国は台湾』の著者、柯徳三さん(87)ら知日派台湾人が、筋金入りの反日家として登場したのには仰天した。日本人も驚いたが、本人はもっとビックリした。放映後、柯さんは担当ディレクターに「あんたの後ろには中共がついているんだろう」と文句をいったと後に語っている。

 異民族による台湾支配だったから、当時の柯さんらが差別を感じていたことは事実だ。番組でも、「私のいとこのお姉さんが、日本人の嫁になって日本へ行ったけれどね、戸籍が入らん。こういうのが差別でしょう」と憤懣(ふんまん)をぶつけた。柯さんはじめ、仲間の蒋松輝さん、藍昭光さんも差別されたときの悔しさを語っている。

 ただ、「母国は日本」とまで公言している人々が、日本統治時代に関して洗脳、差別、恨みばかりを強調するだろうか。

 同じ疑問を感じた視聴者は多い。だが、NHKは「日本とアジアとの真の絆(きずな)、未来へのヒントを見いだそうとしたものです」と無味乾燥な答えで押し切った。

 それならと、義憤に駆られた衛星放送の「日本文化チャンネル桜」はさっそく現地に飛んで、番組に出演した柯さんらを交えて座談会を開いた。

 藍さんは「終戦で台湾人による統治ができると考えた。だが、中国人がきて衛生、治安がでたらめになった。虐殺事件が起きて、戦前のよかった日本時代を思いだした」と語る。日本統治の良い面とは、教育、病院、鉄道などのインフラに集約でき
るという。

 柯さんは「日本統治の善しあしは半分半分なんです。NHKには両方をいった。日本人がいやがる部分はカットしていいよといったのに、逆に悪い面だけを放映した」という。そして冒頭の「後ろに中共がいるんだろう」との怒りにつながる。

 制作者がシロをクロと言いくるめる番組をつくろうと思えば、取材対象の見解からクロばかりを抽出すれば事足りる。そこには、善意ある台湾人の複雑微妙な心理は配慮されない。歴史事実を歪曲(わいきょく)してしまう古典的な手法である。

 昨年も、神社と戦争の結びつきを強調した映画に『靖国』があった。靖国神社のご神体は鏡と剣であり、どちらが欠けても成り立たない。だが、中国人監督は半分の剣だけを摘出して「武」のイメージを極大化した。90歳の刀匠が節目に登場するのはそれが理由だろう。刀匠から「事前説明とは違う」と抗議されると、監督は「政治の圧力か」とそらした。

 『アジアの一等国』であれ『靖国』であれ、「事実そのものを封ずる空気」はいやなものである]

Kuroshio 6

大日本の酒は醸し出す神酒である。麹の酒も清酒として日本酒となったが、口噛みの酒、つまり女が米を含み噛みしめて唾液で発酵させた酒が始まりだ。女を刀自と言うが、島々の言葉に残る、トゥジは妻のことである。トゥジが、すなわち杜氏に転じて酒造りの技能者の謂となった。妻を迎え入れることをトゥジをカメると言うが、酒を造る女を大事に大事に頭の上(かみ)に乗せていくような感覚が伝わる。今では唾液で発酵したような酒は最早ない。本当にアルコールになると酒税法違反となって、どぶろくですら騒動になるようなご時世であるから、口噛みで作るわけにはいかないが、アルコール発酵過程を抜かした段階のものを今なおミキと呼び、清涼飲料水の札を貼られ商品となっている。奄美の名瀬や宮古島で売られており、缶入りのものもある。御神酒がおみきと呼ばれるのは、ミキから来ていることは間違いない。どぶろくは米麹で発酵させるし、朝鮮のマッカリは麦麹であるから、ミキと見た目は似ているにしても、神酒の本当の中身は、南の島々に残る酒の種類であろう。
 天文三年(皇紀二一九四)の册封使の記録に収める明代の書に「造酒以水潰米、越宿令婦人口嚼、手槎取汁為之、名曰米奇、非甘藷所醸、亦非美姫含米所製」と古来のミキの製法が記されている。黒潮の始まるあたりの与那国島には本当の神の酒であるミキも何とか残っているらしい。与那国には四〇度を超えるような強い酒が特別に許可されて生産されており、花酒と呼ばれる七〇度にもなるような酒もあるから、祭祀となれば、逆に本物のミキがないと困るのかも知れない。奄美でも多良間の島の赤砂糖を原料にした黒糖酒が生産されているが、ここでもまた祭りの主役としてのミキが黒糖酒に取って代わられるには、それなりの年月が必要だったと思われる。構造改革とやらで、どぶろく特区などがつくられたが、これも口噛みの酒の思い出があって、噴火と伝統の破壊を復古で癒すいじらしい努力の現われのように思う。
 八岐大蛇に飲ませた酒はミキなのかどぶろくなのかは杳としてわからないが、出雲の奥の村々に限らず日本全国でお酒の原料米が営々と作られ続けている。仁多米などは地元の努力の甲斐もあってすっかり高級な酒米となっている。南の島ではつい最近まで、カマモイ、釜周りと称して、夜な夜な集落の台所を廻って飲み歩いた社交の風習も残っていたから、寒い気候の場所で飲まれるウオッカのような強い蒸留酒ではとても神がかりにはなれないし、祭祀の酒にはなりにくい。泡盛などの蒸留酒はサキと呼ばれ、お供えされるミキと区別されている。泡盛はシャムからラオ・ロン(焼酒の意味)の原酒が輸入されたというが、あくまでサキであったし、一五世紀のことだから、まだまだ新しい飲み物である。沖縄の泡盛はタイから輸入した長粒種のタイ米を砕いたものが原料だ。東南アジアで司政官をやった経験のある満鉄出身の政治家が、米の輸入禁止にこだわる日本政府を説得して砕米の輸入を例外扱いにすることに成功したのだ。復帰の頃に泡盛の麹の改良があって、すっかり臭みがなくなり、味が飲みやすくなったから、米軍のウイスキーやブランデーをありがたがっていた連中も、今では泡盛党になっているし、青年が泡盛を飲んで暴れる成人式などになったのは近年の贅沢である。ジャポニカの短粒米にこだわる日本本土の地域でも焼酎がどんどんと勢力を広げている。熊本と鹿児島との境に焼酎と清酒との境があり、大分に麦焼酎が出現したが、熊本の清酒の「美少年」が倒産したと言う話を聞いた。泡盛は那覇の壺屋で作られる甕に入れられ、黒潮に乗って運ばれている。八丈島や伊豆や小笠原にもその甕が残っている。高倉の様式が伝わっているほどであるから、当然のことであるが、大きなサキ甕が文化財とも呼ばれず、江戸の汐留あたりにも埋まっていたと言うからおもしろい。「薩摩へは献上品・貢納品などの名目で多量の焼酎が搬入されていたことが知られる。島津氏はその一部を江戸・大坂・伏見などの別邸に運び、献上品や贈答品に宛てていた。将軍に対しては御機嫌伺品として、太平布(宮古上布)、御肴とともに毎年献上していた」(『日本の食文化第八集』、宮城栄昌「琉球王府の外交用泡盛」)
 さて、サケでもミキでも、飲むのは月の夜がよい。しかも、白砂の浜辺がよい。月が上がるまでは漆黒の手元の暗さではあるが、一旦月が照らし始めれば、珊瑚礁の割目に咲く百合の芳香が漂う。磯に砕ける波しぶきが遠目にも光る。酒とは太陽の下で飲むものではない。サキもミキも歌と踊りを伴う。三味線はワシントン条約に守られたニシキヘビの皮で南方から輸入される。輸入してよい地域を琉球と書いてあったので、役人が復帰の時に沖縄と限定しようとしたのを、山中貞則議員が奄美もあると諫めた話を聞いたことがある。三線の音調や、棹や撥の造りは微妙に各地で異なっていても、黒潮の流れる海路を伝って伝幡してきたことは間違いがない。インド象牙製の撥を使うほどに、神の酒が民族の歌心舞心を高揚させ、音曲を広めたのである。

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