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Kuroshio 6

大日本の酒は醸し出す神酒である。麹の酒も清酒として日本酒となったが、口噛みの酒、つまり女が米を含み噛みしめて唾液で発酵させた酒が始まりだ。女を刀自と言うが、島々の言葉に残る、トゥジは妻のことである。トゥジが、すなわち杜氏に転じて酒造りの技能者の謂となった。妻を迎え入れることをトゥジをカメると言うが、酒を造る女を大事に大事に頭の上(かみ)に乗せていくような感覚が伝わる。今では唾液で発酵したような酒は最早ない。本当にアルコールになると酒税法違反となって、どぶろくですら騒動になるようなご時世であるから、口噛みで作るわけにはいかないが、アルコール発酵過程を抜かした段階のものを今なおミキと呼び、清涼飲料水の札を貼られ商品となっている。奄美の名瀬や宮古島で売られており、缶入りのものもある。御神酒がおみきと呼ばれるのは、ミキから来ていることは間違いない。どぶろくは米麹で発酵させるし、朝鮮のマッカリは麦麹であるから、ミキと見た目は似ているにしても、神酒の本当の中身は、南の島々に残る酒の種類であろう。
 天文三年(皇紀二一九四)の册封使の記録に収める明代の書に「造酒以水潰米、越宿令婦人口嚼、手槎取汁為之、名曰米奇、非甘藷所醸、亦非美姫含米所製」と古来のミキの製法が記されている。黒潮の始まるあたりの与那国島には本当の神の酒であるミキも何とか残っているらしい。与那国には四〇度を超えるような強い酒が特別に許可されて生産されており、花酒と呼ばれる七〇度にもなるような酒もあるから、祭祀となれば、逆に本物のミキがないと困るのかも知れない。奄美でも多良間の島の赤砂糖を原料にした黒糖酒が生産されているが、ここでもまた祭りの主役としてのミキが黒糖酒に取って代わられるには、それなりの年月が必要だったと思われる。構造改革とやらで、どぶろく特区などがつくられたが、これも口噛みの酒の思い出があって、噴火と伝統の破壊を復古で癒すいじらしい努力の現われのように思う。
 八岐大蛇に飲ませた酒はミキなのかどぶろくなのかは杳としてわからないが、出雲の奥の村々に限らず日本全国でお酒の原料米が営々と作られ続けている。仁多米などは地元の努力の甲斐もあってすっかり高級な酒米となっている。南の島ではつい最近まで、カマモイ、釜周りと称して、夜な夜な集落の台所を廻って飲み歩いた社交の風習も残っていたから、寒い気候の場所で飲まれるウオッカのような強い蒸留酒ではとても神がかりにはなれないし、祭祀の酒にはなりにくい。泡盛などの蒸留酒はサキと呼ばれ、お供えされるミキと区別されている。泡盛はシャムからラオ・ロン(焼酒の意味)の原酒が輸入されたというが、あくまでサキであったし、一五世紀のことだから、まだまだ新しい飲み物である。沖縄の泡盛はタイから輸入した長粒種のタイ米を砕いたものが原料だ。東南アジアで司政官をやった経験のある満鉄出身の政治家が、米の輸入禁止にこだわる日本政府を説得して砕米の輸入を例外扱いにすることに成功したのだ。復帰の頃に泡盛の麹の改良があって、すっかり臭みがなくなり、味が飲みやすくなったから、米軍のウイスキーやブランデーをありがたがっていた連中も、今では泡盛党になっているし、青年が泡盛を飲んで暴れる成人式などになったのは近年の贅沢である。ジャポニカの短粒米にこだわる日本本土の地域でも焼酎がどんどんと勢力を広げている。熊本と鹿児島との境に焼酎と清酒との境があり、大分に麦焼酎が出現したが、熊本の清酒の「美少年」が倒産したと言う話を聞いた。泡盛は那覇の壺屋で作られる甕に入れられ、黒潮に乗って運ばれている。八丈島や伊豆や小笠原にもその甕が残っている。高倉の様式が伝わっているほどであるから、当然のことであるが、大きなサキ甕が文化財とも呼ばれず、江戸の汐留あたりにも埋まっていたと言うからおもしろい。「薩摩へは献上品・貢納品などの名目で多量の焼酎が搬入されていたことが知られる。島津氏はその一部を江戸・大坂・伏見などの別邸に運び、献上品や贈答品に宛てていた。将軍に対しては御機嫌伺品として、太平布(宮古上布)、御肴とともに毎年献上していた」(『日本の食文化第八集』、宮城栄昌「琉球王府の外交用泡盛」)
 さて、サケでもミキでも、飲むのは月の夜がよい。しかも、白砂の浜辺がよい。月が上がるまでは漆黒の手元の暗さではあるが、一旦月が照らし始めれば、珊瑚礁の割目に咲く百合の芳香が漂う。磯に砕ける波しぶきが遠目にも光る。酒とは太陽の下で飲むものではない。サキもミキも歌と踊りを伴う。三味線はワシントン条約に守られたニシキヘビの皮で南方から輸入される。輸入してよい地域を琉球と書いてあったので、役人が復帰の時に沖縄と限定しようとしたのを、山中貞則議員が奄美もあると諫めた話を聞いたことがある。三線の音調や、棹や撥の造りは微妙に各地で異なっていても、黒潮の流れる海路を伝って伝幡してきたことは間違いがない。インド象牙製の撥を使うほどに、神の酒が民族の歌心舞心を高揚させ、音曲を広めたのである。

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