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Kuroshio 8

尖閣諸島の一つに、久(く)場(ば)島がある。「クバの木の生える島」の意味である。座間味の島の沖にも久場島があって、クバの木の林があり、姫ハブがすんでいるという。島の山の頂上にも沖縄の神社に当たる拝所の御獄(うたき)があるという。かつて先帝陛下は「尖閣諸島には蘇鉄があるか」とご下問になったと聞く。上空を飛行機で通り過ぎたときに気にかけたが、蘇鉄があるかどうかはわからなかったが、クバの叢林は見ている。遊牧由来の山羊は退治すべきだと痛感したが、クバを見ただけで、もう、尖閣は黒潮文明の流れの中に入り込んでいることが確信できて、安心した。
 与那国島の度数の高い焼酎の由来については先述したが、その瓶をクバの葉で巻いているのはゆかしい。久場という姓の家族も沖縄にはいっぱいある。クバの木は学名がビロウである。漢字で、蒲葵、枇榔、檳榔と書いているが、倭言葉では阿遅摩佐(あじまさ)と言う。台湾などでクチャクチャと嚼んで吐き出す軽い興奮・酩酊を感じさせるビンロウとはビロウは異なる植物であるがよく混同される。古事記や日本書紀で、枇榔とは書かずに、むしろ檳榔の字を用いているからややこしい。檳榔長穂宮は、あぢまさのながほのみや、狭井連檳榔は、さいのむらじあぢまさと訓む。
 ビロウの島は沖縄や奄美の島ばかりではなく、九州の沿岸にも点々と残る。枇榔島は日向の門川や大隅の志布志湾に浮かぶ島の名前としても残る。門川の枇榔島は日本近海にのみ住む海鳥で天然記念物の「かんむりウミスズメ」の最大の繁殖地である。高知の宿毛の沖には、蒲葵島がある。
 クバの葉は掌状に広がるから、今でも沖縄の漁民のかぶる日よけは、クバ笠が一番であるし、その昔は、蓑笠に至るまでクバの製品であったし、若芽を食用にしたり、餅をクバの葉で巻けば、クバ餅といった具合である。
 クバの北限は福岡県宗像の沖ノ島であるという。沖ノ島には、いうまでもなく「宗像大社」の沖津宮があり、海上の道の要路にある。仁徳天皇の御製、
おしてるや難波の崎よ出で立ちて 我が国みれば 淡島 自擬島(おのころしま) 檳榔(あぢまさ)の島もみゆ 放(さけ)つ島みゆ 
の歌は、淡路島近くではなく、博多湾から、沖ノ島、つまりビロウの生えるあじまさの島を読んでいるとの説もありうる。沖津宮は現在でも女人禁制であり、男性も上陸前には禊を行なう。古代の祭祀遺物が発見されており、「海の正倉院」とも言われている。
 ビロウの島で有名なのは宮崎の青島である。黒潮に洗われる、鬼の洗濯板と呼ばれる日南海岸への入口で、樹齢数百年を超えるようなビロウの自然木約四三〇〇本の群落がある。青島神社の祭神は、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)である。火のことをマチという言葉が南島に残ることは先に書いたが、豊饒の火を重ねて「ほほ」と訓ませるのも意味深である。ビロウの幹に性の息吹を感じる向きもある。
 中世の流行であるが、檳榔毛(びろうげ)は公卿らの牛車の屋根材に用いられている。どう考えても都にクバの木はなかっただろうから、遙々遠方から運んできた珍しい建材であったに違いない。阿蘇や天草から瀬戸内海を通りピンク色の珍しい石材をわざわざ近畿に運んで古墳の石棺とした例もあるほどだから、それほど困難ではなかったのかも知れない。また、北方の朝鮮半島や、それ以北の渤海の国などとの交易品となっていたかも知れず、大儀なことではなかったのかも知れない。
 即位大嘗祭でも、天皇が禊を行なう百子帳(ひゃくしちょう)の屋根を葺くのに用いられている。そもそも百子長とはビンロウの別名であるという。柳田國男は、青島を二度目に訪れた際に、「あぢまさの蔭うつくしき青島を波たちかえりまた見つるかも」と詠んでいる。その歌意は、単に渡り鳥がビロウの種を啄んで運んだという話などではなく、その昔の文化と伝承を大事にしてこれを守ろうとする人々の、クバの葉や種を携えての黒潮の海の往来を偲ぶものである。
 さて、日本の神社の御神木の大半は松や杉、楠の大木である。だが、南西諸島の島々の神社である御嶽(うたき)の御神木は、今もクバである。沖縄の斎場(さいは)御嶽は、琉球王朝では伊勢神宮に相当する聖所であり、かつては大きなクバの木が岩山の上にあったそうであるし、久高島はもとより伊平屋島やあちこちの御嶽の御神木も、クバの木である。
 ところが、そのクバの木が御神木となっているのは沖縄ばかりではない。熱田神宮の社頭にもビロウの木が二本屹立している(縁起絵巻に描かれている)。若狭の一宮である若狭彦神社の蔵する古い絵図には蒲葵が神木として描かれているという。吉野の吉水院の後醍醐天皇の玉座の後の壁画にも、二本のビロウと蘇鉄が描かれている。
 ビロウの木が男根の象徴で、坐女を媒介として御嶽の庭で交合があり、神が顕現する形が、日本の祭の根源であろうか。名著『扇』のテーマは、ビロウの葉が祭りの扇に変化して行く謎解きである。民族の水平線と視野を拓き、再生の祭儀を解説する快著であると感心していたが、『吉野裕子全集』第一巻(人文書院刊)に収められたので、本稿の参考とした。(つづく)

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