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Kuroshio 12

地質ニュース』五六三号(二〇〇一年七月)の三六~四五頁に東京杉並区在住の隅田実氏が「日本列島における地形擁護としての谷と沢の分布」という題の論文を掲載、副題を「古代民族の文化圏との接点を探る」としている。谷、沢という基本語に着目し、地形図、各種の道路マップ、登山ガイドブックなどを駆使して分類したものである。
 谷と沢の地名の分布を本州、四国、九州の山岳地帯にプロットしていくと、飛騨山脈を境として、西側は谷、東側は沢にほぼ統一され、地名のくっきりとした分水嶺がある。詳しく見ると、飛騨山脈の中央部と北部、東京・埼玉・山梨の境界付近と新潟県全域で谷と沢とが混じり合っている。北海道では、アイヌ語から来る河川を意味する内と、別が多く、沢も多く見られるが、谷はない。奥秩父や奥武蔵の東京西部では、地形的には谷と沢と変わらないのに、入(ニュー)という地名がついている由である。八世紀の初めに高麗郡がおかれたことから、先住民を征服しても、文化全体の制服まではできずに言葉は被征服社会の言語に征服されたのではないかと隅田氏は指摘する。「さわ」はアイヌ語の滝あるいは断崖を意味するサーとの繋がりもあるという。筑波の語源もアイヌ語で二つのッ、弓のク、頭のパで、筑波山の特徴を表しているそうだ。谷は、朝鮮半島では、旦、頓、呑の地名になっているが、富山でも谷をタン、ダンと発音するという。中央地溝帶の東側の境界に沿って、谷と沢の地名が分かれることを野外調査を通じて発見している。さて、議論を黒潮の流れを見る立場からすれば、南島では、木を削って窪みをつくった、例えば、家畜の餌箱の丸太のことをトー二(豚の餌を入れるくり抜きの丸太は、ワントー二)と言うから、意外に朝鮮半島沿岸から、フォッサマグナの南半分がタニあるいはタンになっていて、黒潮文化圏の影響であるのかも知れない。谷の宛字をしてあっても、千葉の谷津ではないが、谷内のようにやちあるいは渋谷、雑司ヶ谷、阿佐ヶ谷、熊谷のように、やで発音するところは、北方の言語の系統であろう。川は、与那国では、井戸のことをカと言い、奄美では井戸と小川を含めてコーと言う。屋久島あたりも最近では登山の沢登りから、沢の地名をつけているところもあるが、もともとは、川の意味のコーが、水の流れを表す地名である。横河と書いてよっごと読ませる渓谷の地名もある。沖エラブ島あたりの鍾乳洞の水源をくらゴー(暗河)と呼んでいることと共通している。
 先号で白砂青松のことを書いたが、白い砂は別にして、青い松は江戸時代の新田開拓に伴って植えられた新しい時代の景色ではないかとの指摘があった。最近、麗澤大学の松本健一氏が「海岸線の歴史」という単行本を書かれて、その中で、白砂青松は昔からあったのかと小節を設けて議論をしており、江戸時代につくられた日本の風景であると断じているので、筆者も言訳がましいがことさらに議論を進めると、水田を潮風から守るために松の木を一生懸命植えたから、確かに新しい時代の風景である。琉球では、福建あたりから移植した福木や、木魔王あたりの木が防風林となっているところもあるが、海辺と人の住む里との仕切りで松並木にしたことも考えられるので、必ずしも列島の黒潮の流れに必然的な植生ではないことも指摘しておきたい。長良川の治水工事で、薩摩藩が植生した千本松原なども特に古代の松の延長線上でもないから、常磐の松と言えば、言い過ぎになることもあるかも知れない。唐津の虹の松原などもその類であるし、ともあれ、稲作が入ってきて、漁労や貝の採集だけに頼らないことになってからの新たな景色であり、大陸の風水を元にしてできた内陸の都から、江戸城という、海辺の都に移転したということで、もともとの黒潮の匂いがすることで、現在の皇居前広場が古に戻った面もあることを書いたわけであるから、誤解を避けるためにも、浜辺の松林の歴史が比較的に新しいことは認める。与那国島あたりには胃薬にもなる浜松という岩場でも生える植物があるが、潮風にも強い松が黒潮の嶋山に強く生えて生き抜いてきたことは事実である。文明開化の鉄道の枕木にもなったし、長い間、闇を照らす篝火の松明でもあった。戦争中は松から油を取ったほどであったし、高層建築でも基礎に打ち込むのは、やはり松の木が自然の防腐剤を含んでいるためか未だに使われている。「羽衣伝説」で天女が衣を掛けるのもやはり松の木である。
 黒潮洗う列島の川は澄んだ水の川である。大陸の黄河や揚子江や黒竜江は、その名前が示すように色がついている。つまり、濁流である。チャオプラヤー河などの南東アジアの大河を見ても分かるとおり、植物やその他の有機物を多く含んでいるせいか、川の色は暗く濁っているが、日本の川は山から急流となって一気に駆け下り、海に出るまで途中の距離が短いせいか、瀬で水を叩くかのように清流がもともとである。だから、海岸の白砂に泥や赤土が溜まる風景は、最近の治水政策の怠慢が齎したものである。   (つづく)

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