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Kuroshio 16

アマと言えば、海女、尼、海士、海部、奄などの字が思い浮かぶ。奄の字は覆い被せるという意味で、庵にも繋通じ、南島の癒しの森を想起させる。そしてアマとは何より天のことである。天を照らすのは太陽であり、太陽の光が欠けるときには月に変わる。月の光は弱々しいが、潮が満ち干になれば、すべてを支配するかのようであるし、漁撈の場合には、日を見る暦よりも、月を読むことがなければ成立しない。色々なアマがあるが、基本は女であり、母親である。現に、母親のことをアマと呼ぶ地域がある。父親はなんと呼ぶかと言えば、アジャである。アジャは阿闍梨にも通じる。サンスクリットで「軌範」を意味し、弟子たちの規範となり、法を教授する師匠をいう。因みにアーカが姉であり、ムィが兄である。舟の溜まり水をアカと言うが、これはマレーの島嶼にも繋がる表現で、仏供の水を閼伽と言うのに通じ、赤の他人は水のように薄い関係を言う。

 糸満のサバニの舟のアカ汲み道具はもう立派な民芸品であるから、つい最近まで、航海をすることに携わる人々は、印度から日本に到る海の広がりの中で生活していたことが想像できる。黒潮の流れに沿って、アマの仕事ぶりを見ると、南西諸島では、潮の干満に応じて、珊瑚礁が海面上に姿を現わすから、女が磯で貝や海草を収穫して、男は水も温かいから、海に潜り魚を追いかけることを担当したのではないか。魏志倭人伝にも、倭人の特徴として、海に潜る漁撈の人々があり「倭水人好沈没捕魚蛤」と書いているほどであるから、魚を釣ることしか知らない大陸の王朝の史官にとって、よほど珍しいことのように思われたのであろう。今でも潜りの漁法をする海女がいるのは、世界中で日本沿岸と済州島だけである。沖縄の糸満の漁民は日本国中を旅して、潜って魚を追い込む独特の漁法で魚を捕っていたし、フィリピンや南洋群島さらにその先の南海に出かけた場合もあったのである。魚を捕るのは男で、それを女が売りさばく。糸満では女は男と別の財布を持っていて経済が別で、女が男に支払いをするから、逞しいのも当然であった。

 水に潜ることを南の島々では今でもカジンキという。御潜(かづき)神事が志摩では今も行なわれ、潜ることをカズキとしている。同じ言葉である。潜水漁法は黒潮の流れに沿って、沖縄、奄美、九州、瀬戸内海から青森までにある。遺跡からは鮑、栄螺などが出土するから、海女の文化を抜きに日本を語ることはできない。海女の仕事は日本の沿岸すべてに残る。男主体の追い込み漁も、黒潮が列島に沿って流れて水温の下がるあたりでは珊瑚礁がもう完全に水面下になって、水の中で長い耐久時間が必要になるので、いつしか皮下脂肪の発達した女の仕事になっていったのではないだろうか。実際に、岩手久慈の海女が、志摩の海は暖かいと言っている位で、寒中の川で禊ぎをすることすら男には心臓麻痺の恐れがなきにしもあらず。だから、冬の海に潜ることは男の仕事ではなく、黒潮が北を流れるほどに海女の役割になっている。青森の下北、岩手の久慈、福島のいわき、茨城の平磯、千葉の千倉・白浜、神奈川の三崎、伊豆の下田、御食つ国の鳥羽志摩、紀州の新宮・富浜、徳島の阿南・由岐、愛媛の三崎、大分の佐賀関、日向の都農・日南、大隅半島を回って、甑島、天草、西彼杵半島から、五島、平戸、壱岐、対馬、志賀島から鐘崎、長門に来て大浦、丹後、越前の三国海岸、能登の輪島、新潟の山北、男鹿半島まで海女がいる。隠岐の島には海士町の地名まである。

 竹島の領有権など海女の仕事がどんな具合になっていたのかを調べれば、日本に領有権の分があることがすぐ分かる話である。済州島には日本からも海女が頻繁に往来していた。最近まで国境はなきがごとしで、志摩からも難儀をしながら小舟で済州島に出かけた海女も多かったという。海女と磯の権利を持つ者との契約があって初めて漁が成り立つわけであるから、竹島の、今韓国が領有権を主張し実効支配している岩礁で魚貝を捕っていた海女が、どんな契約関係で働いていたのか、磯の権利を持つのは隠岐の側だったのか、半島の側だったのか、はっきりさせればよいだけの話である。海女の漁場の縄張りは、海中の地図をつくるような厳格さだから、それぞれの領分を侵すような潜水はどこの漁場でもしない。竹島の磯の権利を、どこの誰が持っていたのか、古い時代の写真か証文でも残っていれば、すぐケリのつく話だ。海と縁のない陸封の半島の政治権力が磯の権利を持つはずがない。海女は、そうした厳格な掟を守って生産をして、生活と文化を支えた。磯笛は海女の潜水の呼吸法で悲しく響くとされるが、本当は逞しい黒潮の女の呼吸法である。だからこそ、今も南の島々では、舟が沈むときには、妹や女が、兄弟や夫を頭で担ぎ上げるという言い伝えがあるほどである。というのも、海女は頭上運搬が基本であって、重い水瓶も販売する魚も頭に乗せて運んだのだ。背筋をぴんと伸ばし、真っ正面を見据えて歩くのは、自立した黒潮の女の美しい姿勢なのである。   (つづく)

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