構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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To say 'No' definitely

ワシントン発の22日付日本経済新聞のネット記事によると、郵政民営化見直しをめぐって、米国政府通商代表部(USTR)のマランティス次席代表が、「日本郵政グループをどうすべきかは日本政府が決めるべき問題」としつつも「郵政事業が海外企業との競争で優位に立つことがないよう、日本と協議することを望む」と語ったとの報道である。

郵政民営化株式売却凍結法については、当ブログの見解を書いてきたが、上記の発言が事実とすれば、郵政民営化の見直しは、日本の内政問題であるが、海外企業との競争で優位に立たないようにとのことで協議を望むとの発言のようであるが、依然として強圧的な姿勢を見せるかのような官僚的な発言である。日米構造協議に基づいて、市場原理主義の政策を散々押しつけてきた失われた20年であったし、「愚者の黄金」の如くに、米国型のビジネスモデルと称揚して日本がガタガタになったことに対する反省は見られない独善である。自らも破綻した状況を考えれば、日米双方とも、内政干渉に渡る可能性のある協議は慎重に対処すべきである。そもそも、市場原理主義の横行に裨益するばかりであった日米構造協議を中止すべきである。小泉・竹中政権の時代の日米間の協議の内容などが公表されない、(例えば、竹中大臣(当時)とゼーリック代表との間での郵政民営化に関する協議内容などが全く公表されていない)時点で、郵政民営化の抜本的な見直しの件について協議を行うことは、見直しの原因をつくった郵政民営化の虚妄の根幹について事実に基づく改善が行われるわけがない。両国政府間の対立を煽るだけであり、真の日米関係のためにも、有益ではない。内政問題を年次的な協議の対象にしてきたこと自体が誤りであり、両国政府の市場原理主義に追従する官僚機構にも問題があったと考えられる。

両国で登場した新政権としては、これまでの一国主義パックスアメリカーナからの離脱を目指す方が、真の日米友好に貢献するのではないだろうか。日米協力は、徹底して市場原理主義との訣別を図る方向に転換すべきである、と言うのが、当ブログの基本的な主張である。

「日本郵政の株式売却を凍結する法案が、法律となった。55年体制を瓦解させた政権交代の成果だ。89年7月の日米首脳会談で始まった「構造協議」の本丸であった郵政民営化を抜本的に見直す端緒であり、日本を破壊して市場原理主義の属国化を企てた小泉・竹中政治の陰謀に歯止めをかけるものであり、経済的に日本を防衛する法律である。

大恐慌時に、米国は1933年銀行法、別名グラス・スティーガル法を立法して、銀行の反社会的な投機を禁止し、金融は社会的な共通の資本組織であると規定した。同様に、郵政株式売却凍結法も、外国勢力の跋扈を念頭におきながら、資本の横暴を抑制し、金融の公的な役割を再認識させる日本版グラス・スティーガル法となった。学校で児童に金儲けが大切と教えるために、文部省や財務省が音頭をとった会合で、自らは当局の規制対象外のファンドで濡れ手に泡の利益を手中にしながら、「大切なものはお金に替えなさい。お金に替えておけば、価値を保存して将来必要ならば何でも買えます」と説教した日銀総裁がいたが、郵政株式売却凍結法はそんな拝金主義を否定する破壊力を持つ。

89年以来の日米構造協議をてこに、あらゆる市場原理主義の政策が押しつけられ、そのお先棒を担ぐ御用学者や官僚と経済人が跋扈したが、彼らの時代はこれで終焉する。
郵政の郵の字は、国家ではなく、社稷(邦)を意味するこざと偏の字である。郵政とは地方・共同体のまつりごとの意味であるから、国家の構成要素としての邦を大切にして、支配権を株の売却で移転してはならない。また、財政均衡論で国家を意図的に縮小させることを目指す財務省ではなく、大蔵省は国家なりと喧伝していた時代の事務次官OBが日本郵政の社長に登板したと批判されているが、国家と社稷の共同作業が肝要であると主張すれば、単なる天下りの批判をこえる天佑となりうる。 

 地方は惨状を呈しているが、郵政民営化見直し同様、原因究明を行わなければならない。地方財政健全化法と称する市場原理を導入した自治体作りの虚妄についても検証・見直しが必要である。医療制度については、後期高齢者医療制度を早急に廃止するなど、世界に先駆けて達成した国民皆保険制度を拡充復活させなければならない。全国各地の公立病院の改廃に着手しているが、中止してよい。教育の劣化についても、初等教育から高等教育に至るまで、予算が削減され、儲け話が経済学として語られるようになったが、済民経世の学として再構成が必要である。御用学者のパートタイムでの政府委員会、審議会などへの参加など禁止したらどうだろうか。不公正委員会と影で揶揄されている委員会の再販制度の見直しや、24時間営業で電灯を煌々とつけて、賞味期限の弁当を値引きせずに捨ててしまうコンビニ業界や、シャッター通りの遠因となった、郊外型の大型店舗などの規制にも、打って出る必要がある。

また、フォードの発明した自動車は高速道路と結びついたが、21世紀もこれまでと同様に自動車社会が存続するかどうか疑わしいのだから、日本ではむしろ新技術の高速の鉄道線路の敷設を図ること喫緊の課題ではないのか。大量輸送のための海路と港湾の整備も、重要だ。道路行政が、自動車優先型社会の為に行われているのであれば、高速道路無料化論にも、安易に賛成するわけにはいかない。航空機と鉄道と自動車道路との均衡を求めるべきである。町や村の中心部から自動車を閉め出して、歩ける町作りを始めるべきだ。

会社法、商法の改正も奇怪だ。三角合併など国境を越えての支配を大ぴらに認めるだけの話で、ましてや、100%外資の企業の社長が、経営者の団体の座長を務めていること自体が奇妙な話であった。今年は、自立自尊の日本の方向が具体的に動き出す年として、失われた20年のあらゆる市場原理主義的政策、あるいは法体系の具体的な見直しが、残党勢力と対決する混乱の中で始まる。

 さて、市場原理主義で最も国力を消耗した国は何処だろうか。米国であろう。そして次が、米国追従した日本ではなかろうか。筆者は、プエブロ号が拿捕された頃の69年にはコロラド州にいた。まら、76年から78年まで、朝鮮半島から米軍撤退が議論された頃、ボストンのフレッチャースクールに留学した。そこでは、東西対立のさなかで、人権、自由等の価値が活発に議論したが、冷戦終結後、拝金のウォール街に就職する同窓生が急速に増えていった。公園のベンチには人種の別があり、ジョージア州知事が、黒人ウェイトレスを殴って問題となった。それから40年、黒人の大統領が就任する米国となった。
米国における政権交代は、シロアリのように市場原理主義が巣くって、その救済のために起こったと考えられる。米国の社会・政治変動はいかにも激しい。日本の比ではない。冷戦の勃発で、日本を保護国として味方に組み入れたが、冷戦の崩壊と共に、日本の伸張・復活に危機感を持ちはじめ、冷戦後は、日本改造をめざす構造改革により衛星国化と弱体化を目指したのだ。その一方で、米中経済同盟を尊重したのではないか。
シカゴ・ボーイズが、70年代に中南米で実行した破壊活動を日本に持ち込もうとした気配である。しかし、オバマ政権の登場で、その動きにも変化が見られることになろう。その表れとして、かつてチリでピノチェットを支援し、アルゼンチンでアジェンデを暗殺(73年9月11日)した中南米諸国との関係改善の動きがある。

これまでの一国主義パックスアメリカーナからの離脱を目指す方が、真の日米友好に貢献するのではないだろうか。日米協力は、徹底して市場原理主義との訣別を図る方向に転換すべきである。

日本は、大東亜戦争の戦矛を交えた唯一のアジアの独立国である。国体の本義を拳々服膺して、朝鮮半島の戦後処理を含め、品格ある対処を行わなければならない。

新しい日本が確実に始まる年を迎える。」

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