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Kuroshio 19

黒潮の民は本来文字を持たない。与那国島に、縄算があり、独特の文字があったのではないかとの説があり、神代文字の研究も成されているようであるが、漢字が百済から入ってきて、外来の表意文字を借りて黒潮の民の伝統の発音を当てはめて併用したことで、日本の文字文化が始まった。大陸の文字の発音をそのまま受け入れることをしなかったことは幸いした。訓読みという仕方で、返り点などをつけて、大陸の王朝の発音をそのまま真似ることをせずに、文章を読み取ったから、多少の変遷はあっても、古い黒潮の民の言葉がしっかり残り、しかも、音は耳で聞きながら、文字を目で追うという芸当をして、的確に言葉の意味を厳密化するという、大言語となった。

一時期は、タイプライターがない、だから印刷物が少なくなる、手書きの文書だけでは情報の伝達に遅れるなどとの指摘で、アルファベット文字化を推進するような輩も出たが、電子計算機が発達してあっという間に問題解決が行なわれた。簡体字などを導入して、李白杜甫の詩も読めなくなり、文化大革命とやらで、伝統文化を意図的に廃棄して愚民化に狂奔した外国もあったが、日本でも当用漢字とやらでそのうち漢字をやめようと占領軍に媚びを売り画策した行政も行なわれたから他を非難することもできないが、電子計算機による文字の表現が簡単になって、表現を正確にするために音訓の併用が有用であることがいよいよハッキリした。

表音文字化して、しかも北京の王朝の発音を忠実に採用した国では却って同音の表現が重なって、漢字は読めないから、象形文字の容易さが失われ、表音文字を作ったところで、もともとない発音まで追加せねばならず、愈々煩瑣な事態になっている。それだけでなく、少し前の漢字を使っていた時代の文献が新しい世代には全く読めなくなるから、歴史を遮断して、温故知新の文明力が低下したことは言うまでもない。最近わが国でも訳が分からないアルファベットの横文字が横行して、コンプライアンスとかガバナンスとか外国語をそのまま使用する向きがあるが、そんな手法で経営が向上するわけもなく、あっという間に廃れてしまった。文字を全く持たない時代には記憶に頼る以外にはないから口伝を重んじ、アイヌのユーカラと同様に叙事詩として記憶して伝えたが、漢字が導入されて早速古事記や日本書紀が編纂された。万葉仮名が片仮名から平仮名となり、いよいよ伝統の言語が平易に表現されて、和歌の世界が確立した。歌詠みの世界は日本独特である。

もともとは文字を持たなかったから、聴力が研ぎ澄まされる。虫の鳴声や風の音にも驚かされ、川端康成の小説の題名ではないが、聞こえることのない筈の山の音が聞こえることもあるし、海辺にたたずめば、海鳴りの底をも想像できる感性である。感情は音で表現するから、言葉を発する能力の制御が失われると、泣き喚き、地団駄を踏む。赤ん坊が手足を伸ばして泣き喚くのと一緒になる。

アモックの現象の見られる言語世界があるが、人間関係で感情を抑えに抑えて、その限度を越せば爆発するように、暴力的に感情が発露する現象であるが、音に頼る言語の世界で頻発する。日本人の場合には、表意文字と表音文字とを併用して、音と目の両方で意思疎通をするようになってから単純に音だけで喜怒哀楽を表現しなくなり、体の動かし方や仕草にも意味を読み取って、感情表現を理解する融通無碍の世界を知ってしまった。目に一文字もない人々がまだ周囲に多くいた時代には、例えば、葬礼では泣女が日本の各地で見られた。生と死を音だけで表現しなければならないから、髪を振り乱して、狂乱の状態を示して悲しさを表現したが、仮名が定着し、それに漢字を交えれば、もっと深い悲しみが表現できるから、芭蕉の「塚も動け我が哭く声は……」のような抑えの効いた感情表現をする日本独特の感性が生まれた。

射撃場の災害の現場の慟哭と哀号は日本人にはできない。夫婦喧嘩もそうで、その昔は家の外に出て喚き合い近隣住民の判定を求めたわけであるが、今はすっかり冷静になってしまって、逆に裁判所とかの仲裁の世話になる面倒な手続きをしたり、陰湿な手練手管の応酬になったりする場合もある。

 本来文字を持たない民族であるから、外地に出た場合に、他所の音声言語に圧倒され日本語の世界を失ってしまう可能性もままある。ハワイやブラジルやその他の国に移住した日本人の場合、文化の引き継ぎがうまく果たせず、二世、三世になれば完全に日本語を失うことが多かった。その点、和歌や俳句のたしなみなど文字文化を維持して、音と文字で言語を伝承する場合には、家族がまとまれば少なくとも、日本語の表現能力の伝承は可能なのである。

バルカン動乱の後に母国に駆けつけたかなりのアメリカ人がいたが、ユダヤ人の如く、父祖の文字と言葉をちゃんと身につけるべく教育していたからである。国会議員や要職にある日系人もあるが、顔と人種だけの場合があるのは、黒潮の民が漢字を入れても訓読みを忘れなかった自立・自尊の知恵を放棄したからである。(つづく)

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