Kuroshio 20
天から美しい女が舞い降りて来て、羽衣を松の枝に懸ける伝説は、黒潮の洗う沿岸の松原に残る。松は、天から神々が降りてくるのを待つ木だから、「まつ」とする説もある。実際に門松を立てて新しい年の訪れを祝う風習もあり、依代の木であることは確かだ。沖縄の伊平屋島にある念頭平松(にんとうひらまつ)は琉球松の大木であるが、松の精気を補充してもらうために、幹を抱くようにするとの話を聞いたことがある。
松の種類は、日本列島には七種類の松が自生する。赤松、黒松、琉球松、五葉松、朝鮮五葉、屋久種子(やくたね)五葉、そして這松(はいまつ)である。屋久種子五葉は、奄美五葉とも言う。唐松も蝦夷松も椴松(とどまつ)も、松は松でも常磐の緑の木ではないから、松には分類されていない。朝鮮五葉は朝鮮半島から北の方に向かって満州を経て黒竜江からシベリアに至るまで広大な広がりがある。パルチザンの森である。松の実は大粒だから食用とされ、松の実を素材にした、料理や菓子が朝鮮半島では広く普及している。チャッで、朝鮮五葉の松チャンナムの種である。松はソルとも言い、たばこの銘柄になっているが、赤松との区別であろう。朝鮮五葉はもう少し寒冷だった時代には、日本列島にも繁茂していたらしく、福島から岐阜に至る日本の分水嶺の高山帯や、四国の山岳部にわずかながら自生して残っているが、日本列島の植生が気候の変化と共に、大陸から段々と遠ざかっていったことを示している。縄文後期に海が後退した頃には広葉樹が繁茂して、松はどんどん土地の痩せた所に移動した可能性がある。食用の松の実が縄文遺跡から大量に出土する。赤松は樹肌が赤茶色になり木の芽が赤くなるから赤松で、黒松と見分けがつくが、さらに、黒松と比べると形が優しいので黒松を雄松、赤松を雌松とも言う。京都太秦の広隆寺にある国宝の弥勒菩薩半跏思惟像はその優美さが赤松の一本造りで表現されていることは興味深いし、新羅との繋がりも想像できる。ちなみに、日本の仏像は防虫に優れた楠の造りが多い。黒松の葉も、赤松の葉も、葉が細く尖って二本一組になっている。琉球松も同様の二本葉である。絡ませて両方から引っ張って勝ち負けを決める子供の遊びがある。五本の葉が一緒になっているのが五葉の松である。葉が五本の束になったのは、おそらく寒冷の地での常緑樹としての進化の結果であり、葉が立派に見えるので、盆栽の立派な鉢植えになった松はほとんどが、五葉の松である。
日本三景は、安芸の厳島、宮津の天橋立、奥州の宮城の松島であるが、瀬戸内海の厳島の松は赤松で、天の橋立の松が黒松である。松島の場合には、内陸の島には赤松、外海に近い奥松島には黒松が生えている。琉球松は幹が黒い松であるから、赤松が朝鮮半島の沿岸部との繋がりを想像させ、黒松はさらに温暖な黒潮の流れとの関連を想わせる。三保の松原、唐津の虹の松原、気比の松原が、日本の三大松原と呼ばれるが、いずれも赤松が混じっていても、黒松が主体の松林である。しかも、唐津の虹の松原などは江戸時代の新田開発の為の砂防林として植えたから、新しい時代の景色である。痩せた土地を豊かにする日本人の営みと直結している。白砂青松の観念は、広葉樹林がすっかり破壊された後に、痩せた土地となった場所に松の木を植えて、植生を復活させる為の方策であったから、むしろ余計に大切にされて、日本人が美しいと感じる理由から生まれたのである。播磨の高砂の神社には相生の松があるが、赤松と黒松とが幹が一緒にならんばかりに共に生えているので、この名前がついている。住吉の松と高砂の松の精とが、実は夫婦であるというのが、謡曲「高砂」である。住吉の社は、もともと海上交通の神様であるし、神功皇后も祭られているから、赤松と黒松との平和な融合も象徴しているように想像する。
松茸は普通は赤松林に生える。赤松の林が瀬戸内海では主力であるから、広島県が今でも日本一の松茸生産高を誇っている。ブータンにも松茸があり、北朝鮮からの土産が松茸だったことは記憶に新しく、北アフリカのアトラス山脈あたりからの輸入品も有名だが、やはり日本産と比べると香りが少ないとされるのは、赤松と黒松がない土地からの輸入品に日本の土の香りがないのは当然だ。未だに人工栽培できないほどの微妙さである。松茸は稀に蝦夷松や椴松、黒松の林にも生えるから、南島で琉球黒松の林に生えた松茸は、大人が食べる強壮剤として珍重され、鼻血が出るからと、子供には食べさせなかった。きのこを総称して古語では、「なば」と言う。松材は空気に触れなければ腐ることもないので、基礎杭として使われた。南西諸島の琉球松は、大量に伐採され、鉄道の枕木や基礎杭や構造材として戦後日本の復興を支えた。松は製鉄、製塩、製陶の強力燃料でもある。松明を「たいまつ」と訓むが、マツは火の古語である「まーち」にも通じる。最近、赤松黒松は酸性雨により、北方の朝鮮五葉は乱伐により打撃を受けて、大陸文明の破壊作用がわが列島にも及んでいるのは遺憾至極である。 (つづく)
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