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2009年5月10日 - 2009年5月16日

Corrupt Postal Privatization 76

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Corrupt Postal Priatization 75

週刊経済雑誌のダイヤモンドが、今週発売の最新号(五月23日号)で、「かんぽの宿だけじゃない 日本郵政の暗部」という特集記事を掲載した。

その項目は、http://drc.diamond.co.jp/a8/mokuji.html?banner_id=a856でみることができるが、詳細は本誌を購入して一読することが必要である。

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Restoration of Japan 8

昭和恐慌からの教訓

我々は過去、1930年1月~31年12月の2年間にわたり、「昭和恐慌」を経験している‥当時の状況を仔細に分析することで、恐慌を抜け出す光明は見えてこないだろうか。

平成恐慌と昭和恐慌を比較すると、類似点が多きことに気付く。第一に、両方ともデフレが進んでいる最中に、大蔵省・財務省の主導で均衡財政(自らのデフレ政策で落ち込んだ税収にあわせて歳出を削減する)を強行した「財政デフレ」であることだ。そして、金融政策はともに引き締める方針をとった。昭和恐慌の指導者は、大蔵省出身の浜口雄幸首相(民政党)と、日本銀行出身の井上準之介大蔵大臣だった。30年からの2年間で財政支出を一五%削減したことにより、24年から継続していたデフレ(GDPデフレーターのマイナス)が一挙に加速した。平成恐慌では財務省が主導して「財政改革」「基礎的財政収支均衡策」が進められた。また、竹中平蔵経済財政政策担当大臣は「市場原理精算型の不良債権処理」を行った‥竹中行政では、減損会計を使って不良資産を増加させることで、信用不安も興していないUFJ銀行を意図的に合併に追いやり、金融システムを不安定にしてしまった。さらに01年度から公共投資と地方交付税交付金・国庫支出金(補助金)を毎年削減し続け、8年間で二七%(累計60兆円)も削った。09年度予算もデフレ促進型であり、恐慌の終わりは見えない。

第二に、共に円の対ドル相場が切りあがっている。昭和恐慌では円の対ドル相場を22.9%切り上げて均本院製(通貨の供給量を保有している金の増減にあわせる通貨制度で円を金価格に結び付ける)に復帰した。平成恐慌でも既に円と対ドル相場は20%前後上昇し、輸出が減少している。

第三に、昭和恐慌では、新聞・ラジオがデフレを称賛しており、平成恐慌でもマスコミは構造改革と在籍記の宣伝に熱心であった。

第四に、昭和恐慌では金本位制の復帰が、平成恐慌では新自由主義、市場原理主義がグローバル・スタンダードであると宣伝されていた。

第五に、社会不安が深刻化していった。昭和恐慌では「(都会の芸者置屋へ)娘身売りの場合は当相談所へ御出ください」(山形県伊佐沢村相談所)という張り紙が出されるほど(1930年二月5日付、山形新聞)、国民の生活は困窮していた。浜口雄幸首相、井上準之介大蔵大臣はともに襲撃され、デフレによる国民の犠牲とそれへの反発は尋常ではなく、31年9月の満州事変を国民は喝采した。平成恐慌でも生活困窮者の増加が顕著で、戦後初めての社会不安が醸成されている。

しかし、昭和恐慌は31年12月の政権交代によって終わりを迎えた。民政党の若槻内閣の後を受けた政友会の犬養毅首相は、大蔵大臣に高橋是清を任命。高橋はまず、金本位制から離脱し、通貨供給量を金の保有高に関係なく政府と日本銀行の最良によって決められるようにした。国民には政友会の新しい政策を発表し、「金融を大幅に緩和すること」「政府投資で雇用の機会を増やすこと」を公約する。この時点で昭和恐慌のデフレ心理は解消したのである。続いて早急に、公共投資を中止運とした財政支出を大幅に増加させた。前年度との対比で見ると、32年に22%、33年に20%、34年に12%とけいぞくしてぞうかあせることで、28年から4年続いたGDPのマイナス成長がプラスに転じた。物価は上昇し、国民所得も増加。経済規模の拡大により雇用機会も増え、地方経済にも好影響をもたらした。この結果、33年頃からは税収も増加し始め、34年頃から政府投資の原資を税収の増加で賄えるようになり、国債発行額が少なくなっていった。景気振興策として国債を発行すると、当初の1~2年は政府の債務負担は増加するものの、3~4年で名目GDPが増加し、税収が増加するので、政府債務の国民負担率は低下してゆくのだ。(つづく)

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Restoration of Japan 7

②個人向けに「デフレ脱却国債」を二〇兆円以上発行する。

被譲渡性の預金と同じ形式の、5年ものの新国際を発行し、原則五年継続で保有してもらう。これを「デフレ脱却国債」と名付ける。購入者には五年後に無税扱いの褒賞金か、相続人が褒賞金と同額の相続税の税額控除が受けられる特典を与える。現在、大口の相続背には栃屋のウチで物納されることが多い‥この新国際を購入したい人に対しては、政府系金融機関が土地や農地を担保に同額の融資を実行する‥高齢者がこの融資制度を利用して生前に新国債を購入しておけば、相続に際して税額控除を受けることが可能になる。

③特別会計の「国家備蓄金(埋蔵金)」のウチ、50兆円程度を一般;会計の投資項目に振り向ける。

特別会計内の「積立金・剰余金・繰越金」(06年度決算で一〇四兆円)と外貨準備の運用益(約三~四兆円)は、本来すべて一般;会計に入れて税収と同様に扱うべき利益金であり、特別会計にびち空する必要は全くない。これらを政府投資支出の財源として活用する。また、現在財務省が考えている、「国債整理基金」(06年度決算で34.9兆円の繰り越し・譲与分)の資金による既発国債の期限前買い入れ消却は止める。

以上のようにして言えた資金を政府投資に回し、経済が活性化すれば、名目GDP模造化して税収も増える。結果として政府債務の国民負担率(政府債務を名目GDPで割った比率)が低下し、国債残高も減ることになる。(つづく)

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Restoration of Japan 6

「内需創出国債」を八〇~一〇〇兆円発行する。

①内需を創出するために、新規に建設国債を発行する。

この新国債を「内需創出国債」と名付けたい。その財源は、アメリカの国債に投資されて意いる国民の預貯金を使う。我々国民の預貯金を、我々のために使うようにするのだ。現在、日本が保有している対外債権のうち、九〇兆円は外貨準備として保有し、大部分をアメリカの国債で運用している。外貨準備は一国が経済危機に陥ったときや、急に多額の外貨が必要になったときに使う耐えmに保有している資金で、国家のために外貨を買うのであるから、中央銀行の資金でまかなうのが当然だ。99年9月までは、外貨準備は日本銀行の資金で調達されていた。円高対策として、財務省が為替市場でドル買い(円売り)をするときに必要な円資金は、財務省が政府短期証券を発行し、それを日銀が引き受けて(買い取って)調達していた。これはどこの国でも当然のことで、国の代理として中央銀行が自らの資金で外貨を調達し、保有していたのである。ところが、99年10月から、「政府は、外貨買い取りの円資金調達のための政府短期証券を市場に売りっぱなしにし、主に一般の金融機関がそれを購入することになった。こうなると、我々国民の預貯金が政府短期証券の購入に充てられ、政府はこの資金を使ってドル買いをして円高を防いでいる。こうして、購入したドルを政府はほとんどアメリカの国債に投資している。つまり、我々国民の預貯金が海外に流出して国民のために使われていないのだ。これが一員で国内経済が不活発になっている。今回提案する方式は、政府が新たに建設国債(内需創出国債)を発酵すると共に、日銀は外貨準備のために発行していた政府短期証券を新規の建設国債と同額だけ市場で買い取る。こうすることによって、「外貨準備は中央銀行の資金でまかなう」という原則に戻ることができ、「内需創出国債」は新たな国民負担とはならず、我々国民の預貯金で調達されたことになる。外貨準備の調達資金を日銀の資産に戻せば、国民の預貯金のウチ外貨準備の減資分であった一〇二兆円(07年末)は、建設国債発行のためにすぐに利用可能である。更に、社会補償基金も大部分が我々国民が拠出した資金であり、新規国債発行のための担保のなる積立金である。07年末で、残高は二二二兆円ある。(つづく)

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Restoration of Japan 5

財源はいくらでもある

ここまで、「平成不況」から脱却するための処方箋を提示してきたが、こうした財政支出をするための財源はどこにあるのか。実は、政府にも民間にも財源はいくらでもあるのだ。財務省は「日本は八三八兆円もの債務を抱えており、これはGDP日一六〇%にも昇る危機的な金額だ」と財政危機を煽っている。ところが日本は世界一の金融資産を持つ債権国である。財政はどの国でも「純債務で見るべきであり、とくににほんせいふはGDPを上回る金融資産(特別会計にある)を保有しているから、純債務で見ないと実態がわからない。07年末現在で「粗債務」は八三八兆円、「金融資産」は五四九兆円で、「純債務」は二八九兆円に過ぎない。これは名目GDP比で五二%程度であって、ユーロ地域並である。海外の経済学者や金融関係者で日本が財政危機だと思っている人はいない。

日本経済を活性化させ、税収が増える経済にするには、名目GDP成長率を毎年四~五%に引き上げる必要がある‥それには政府が緊縮財政をやめて、積極財政政策に転換し、財政支出の重点を投資項目に集中させることだ。過去に経験から見て、これ以外に税収を増加させて財政赤字を縮小する路は絶対にあり得ない。そのための財政支出の財源を次のように考えたい。(つづく)

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Market Fundamentalism is Dead 11

長谷川憲正参議院議員のメールマガジンが配信された。下記の通り。

「国民新党、民主党、社民党の国会議員12名は、かんぽの宿の問題に関し、長い歴史的な経緯の中で形成された国民共有の貴重な財産をオリックスに対し不当に廉売し日本郵政に損害を与えようとしたとして、西川善文日本郵政社長を、本日(15日)10:00、東京地方検察庁に特別背任罪未遂等で刑事告発しました。告発人は国民新党から亀井久興、自見庄三郎、森田高、それに私長谷川憲正、民主党から原口一博、松野頼久、川内博史、武内則男、社民党から重野安正、又市征治、近藤正道、保坂展人の各先生方です。告発に先立ち9:10に亀井、自見、森田、原口、重野、保坂の各先生と私の7人が、鳩山総務大臣に面会し、西川社長を刑事告発することを伝えるとともに西川社長の解任要請文を手渡しました。鳩山大臣は「正義にもとる行為は許してはならない」と述べ、私たちの要請に理解を示されました。東京地方検察庁では前記の7人に森ゆうこ先生が加わって検事正にお会いしました。郵政事業は巨大企業であり、ましてや民営化されたばかりで、その経営の成否は、専ら経営責任者の手腕に係っていると言っても過言でないでしょう。しかし、今回のかんぽの宿事件をはじめ民営化になってからの経営の実態を見ていると、西川社長は公的企業の経営者としては失格と言わざるを得ません。郵政事業の経営者は、公共性と企業性を持ち合わせた大企業を国民全体のために公平、公正に経営する資質を持った経営者でないといけないと思います。早く適切公平な経営のできる経営者を迎え、郵政事業を正しく経営していただく必要があります。株が売り出される前に郵政民営化法を見直すのは極めて重要な課題ですが、喫緊の経営の問題も見過ごすわけにはいきません。今後も「かんぽの宿」を追及するほか、広く郵政グループ経営者の動向に注目してまいります。」

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Martket Fundamentalism is Dead 10

去年の5月15日であった。ホテルニューオータニで、元参議院議員の村上正邦先生を送る会があった。先生は、同日、東京高検に出頭し、収監された。現在、栃木県喜連川の社会復帰センターなる名前の刑務所におられる。

平成8年の1月25日参議院の本会議でした「ものづくり大学の推進」についての、村上先生の代表質問が、KSDの古関氏の要請に基づくものであり、その代表質問の見返りとして、KSDは平成8年6月以降の村上議員の個人事務所の賃料の負担をし、さらに同年10月に衆議院選挙の直前に5000万円を提供した、というのが収賄刑事事件の中身である。そもそも自民党を代表して行う代表質問の内容が一個人の個人的な要請に基づくものである、という認定自体がおかしい。代表質問の具体的内容についての依頼が明確でないのに、あたかも、ものづくり大学について代表質問で取り上げてほしいと具体的に依頼があった、という認定がおかしい。古閑氏は、取り調べ検察官が求めるとおりの供述をしたものであって、何らの「請諾」もしていない、捜査段階や一審での証言は間違いである、とそれまでの証言を覆すに至っている。古関氏は既に亡くなっている。

村上先生を送る会が開催されてあっという間の一年である。しかし、その間、世界を破壊した市場原理主義は崩壊して、その残党は今なお跋扈しているものの、遠吠えのような状況になってきている。村上先生を実刑におとしめた、日本を破壊しようとした拝金の闇の勢力に光が当たり、大和ごころがまもなく回復してきてくる気が感じられる。先生の逆境の中でのご精励と、ご健康を心から祈願するところである。先生の事務所に掲げられた、谷口雅春先生の達筆の流麗な書を見るにつけ、日本が権威と権力とが別れていることに幸いを感じる者であり、その腐敗した権力には、いつかは権威からの鉄槌が下ることをも信じて疑わない。万民を幸せにする権威に裏打ちされた政治に正統性があるのであって、選民思想で拝金の新自由主義は実は目くらましの異端に過ぎないことを主張することがいよいよ重要となっている時期である。当ブログも全く微力ではあるが、大海に投じる「一滴」の矜恃を持ち続けたい。

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Restoration of Japan 4

「日本復活五ヶ年計画」

現下の「平成恐慌」から脱却するためには、どのような処方箋が必要なのか、ここでは次のような政策を提案したい。

第一に、制度面からデフレ要因を根絶していく必要がある。そのためには、まず、「基礎的財政収支均衡目標」と凍結廃止し、「金融行政三点セット」の適用を廃止すべきだ‥何れも日本の現状にすぐわない、市場原理主義の発送による制度だ。政府は緊縮財政、増税路線をやめ、重点投資と投資減税による積極財政へお方針を転換する必要がある。「三点セット」の中野ペイオフは、欧米では今回の金融危機を受け、首相や財務大臣が「銀行預金は全額保護する」「銀行間の資金取引は政府保証する」と宣言しており、事実上、凍結されている。また、アメリカは自国の金融機関が危機に直面したとたん、時価会計の導入を凍結している。金融財政システムの根幹から市場原理主義を一掃するために、三点セットの凍結を法制化すべきである。

第二に、「輸出大国」から「社会大国」への転換を図るべきである。輸出中心の経済モデルが崩壊した日本では、内需を拡大し、内需中心の成長産業を育成していく経済モデルへの転換が求められる。「社会大国」となるには、そのベースとして、医療な年金などの社会保障制度を充実させ、国民全体に行き渡るしっかりしたセーフティ・ネットを張り巡らせる必要があるだろう。経済成長が促進される中で、社会保障費の財源が生み出される形をとれればいい。具体的な打開策としては、「日本復活五ヶ年計画」を提言する。これは、政府投資の三〇兆円と減税枠の一〇兆円(投資減税、定率減税復活、消費税減税)をあわせた四〇兆円(GDPの8%)の景気対策を毎年実施、五年間にわたって継続するというものだ。四〇兆円はすべて新規の財政支出(真水)とし、5年間で予算総額は二〇〇兆円になる。景気が回復して税収が増加すると、初年度の財政支出は4年目から税収の増加額で戻ってくるので、5ヶ年計画の財源は、簿簿一二〇~一三〇兆円で十分である。新しい成長産業として育成すべき分野は、国民生活を豊かにする社会基盤・インフラストラクチャー(社会共通資本)の構築、自然環境の整備、教育、医療、未来を見つめた資源問題など、我々国民の生活を充実させる産業である。デフレで消沈している民官では限度があるので、官民が一体となり、国が大きなビジョンを出すべきである。また、緊縮財政で極度に疲弊している地方に対して、交付税を大幅に増加し、08年度予算で、25.4兆円に落ち込んでいる「地方交付税交付金」と「国庫支出金」の合計を〇〇エンドの34.4兆円まで早急に戻すべきである。戻った悪寒でで、都市部では依然として残る通勤地獄や交通渋滞の解消や、都市環境を美化し保全するための電線の地下への埋設など、G7国で最も貧弱な社会資本を拡充していくのだ。この計画から、次の経済成長が期待できる(「週刊エコノミスト」09年3月31日号に掲載された、筑波大学もと副学長・宍戸駿太郎氏の経済モデルから筆者が推計)。

①名目GDP成長率 年平均4~5% ②名目GDP金額は、初年度で、五三〇-五四〇兆円、5年目で六五〇~六八〇兆円 ③税収は、初年度、52~五四兆円 5年目七〇~七五兆円 ④政府の「純債務」の国民負担率は初年度で55-58%、5年目で42~45%に改善し、超健全財政となる。「純債務」とは政府の粗債務から政府保有の金融資産を引いたネットの債務のことだ。この中から医療費や年金などの社会保障費は、消費税の増税なしでも十分支出できる。(つづく)

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Restoration of Japan 3

財政面では02年度に、基礎的財政収支(プライマリーバランス)を11年度までに均衡させる目標を導入し、デフレを強化してきた‥基礎的財政収支の均衡策とは、構造改革による緊縮財政で税収が激減したために、財政支出をその激減した税収の範囲内で抑えようという政策である。

具体的に見ると、01年度から地方交付税交付金・国庫支出金の削減、02年度から公共投資の削減が始まっている。現在まで、8年間にわたってこの方針は継続され、09年度予算でも見直されなかった。「構造改革」が始まる前の00年度の水準と比較すると、八年間の削減額の累計は、地方交付税交付金で、47兆円、公共投資で13兆円、合計で60兆円になる。つまり、地方から60兆円を召し上げて、小泉内閣の緊縮財政で悪化した基礎的財政収支を11年度までに均衡させようとしてきたのである。

過去八年間で、都道府県別名目GDPの成長率を見ると、一部の地域のぞいてほとんどの県がゼロないしマイナスであり、都市部との格差は拡大する一方である。特に交付税の削減は、地方の医療費、教育費を中心とする地域の公共サービスの削減に繋がり、医療崩壊を招いた主因となっている。

 金融面では、前述の「金融庁の三点セット」によって金融機関を締め付けることで、デフレを助長してきた。中でも、「時価会計」は、保有する有価証券や不動産(含む担保物件)を、その時に取引された時価で評価しようとする方法である。時価会計の下では、株式や債券の市場価格が上下するたびに、自己資本が変動する‥株価が下がり続けている上級王では、金融機関の貸し出し態度はどんどん厳しくなり、融資を受けられない企業が続出するのは当然の成り行きだ‥こうしたメカニズムがはたらくことで、デフレは一段と悪化して行く。

アメリカ大恐慌の時には、1933年に政府が「金融機関に対する時価会計の適用を停止する」と宣言し、実に93年まで60年間も継続していたのである。現在、欧米では既に事実上、金融機関に対する時価会計の適用を凍結している。

また、「自己資本比率規制」は、92年度から日本の金融機関に適用されている‥しかし私は、当初から「地域銀行などには適用すべきではない」と考えていた。デフレが深刻化している時季には自己資本が減額するので、貸し出しが減少する原因となるからである‥「構造改革によって国内がゼロ成長であるにもかかわらず、その事態の大きさを隠蔽してきたのは、「円安バブル」「輸出バブル」によるGDPの粉飾であった。政府は極端な低金利と金融緩和策で、円ドル相場を円安に誘導し、円安・輸出バブルを演出してきたのだ。

こうした政策によって、輸出企業の多い都心部や一部の地域(愛知県、三重県など)でgはGDPの名目成長率がプラスとなり、辛うじて日本国内のマイナス成長を防止してきた、次第GDPに占める輸出比率は上昇し、08年では、十五~十七%にも達している。GDPにしめる「純輸出」(湯酒から輸入を引いたネットの輸出)の割合は、90年代には一%程度だったのが、07年には五%、均後買うとして25兆円を超える水準まで状hそうしていた。輸出への依存度が高まっていた状況下で、昨年後半からアメリカ初の世界同時不況が起こり、各国の株価が暴落。海外需要が激減し、にほんんおゆすつさんぎょうは大ダメージを受けた。アメリカの消費ブームは既に崩壊しており、欧州やアジアでもコンガは日本からの輸入は大幅に落ち込むであろう。国内のマイナスし得庁を輸出バブルで表面だけ個としてきた政策は崩壊した。GDPの五%に達していた純輸出はゼロないしマイナスに落ち込み、国内の有効需要は少なくと二五~三五兆円の減少となっている。「輸出大国日本」は終焉を迎えた。そして日本の「十年デフレ」「十年ゼロ成長」を招いた「構造改革」の帰結は、国内経済の陥没であった。(つづく)

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Martket Fundamentalism is Dead 9

郵政民営化の中止あるいは、株式売却の凍結と再編と、政策金融の関係について東洋経済新報社のサイトに、興味深い記事が連載されている。http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/3b21008e1aba09db175f048b01127d60/

http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/3b21008e1aba09db175f048b01127d60/page/2/

http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/3b21008e1aba09db175f048b01127d60/page/3/

世界経済が混乱する中で、郵政民営化の凍結と、特に株式売却の停止は喫緊の課題であり、また、郵政資金の私物化を回避して公的な資金源として、最大限の活用が図られてしかるべきである。

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Corrupt Postal Privatization 75

民主、社民、国民新の野党3党の国会議員12人が、15日、「最高経営責任者として失格」などとして、日本郵政の西川善文社長の解任を,、総務大臣に求めたとの報道である。また。国民の財産である「かんぽの宿」を不当に安く売ろうとしたのは「特別背任未遂罪」にあたるとして、3党は東京地検に西川社長を刑事告発したとの報道である。

 

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New People's Party

亀井静香国民新党代表代行が、ワシントンを訪問している。日本における政権交代を控えて、政策調整の目的があるものと思われるが、米国においても新政権がようやく始動して、蜜月の100日が終わった段階であり、亀井議員が、オバマ大統領が来日する際に広島を訪問することを進言することが、米側では、検討可能性ありと受け止められているのは、朗報である。米国支援の為の国債購入の話でも市場原理主義支援の為ではなく、米国経済立て直しの為の支援として提案するなど、亀井静香議員の見識を披露するものとなっている。日本の国内マスコミの話題にはそれほどなっていないが、変化したアメリカとの調整役ととしては、最近にない議員外交である。

広島瀬戸内新聞のブログが、関連記事を掲載しているので、ほぼ同感の評価をしている当ブログとしては、リンクを貼ることにする。ご参考まで。http://hiroseto.exblog.jp/10240107/

ブッシュ・小泉政権の新自由主義政策の構造改悪で破壊され尽くそうとした日本が、同様に破壊されたアメリカの政治経済を政道に復帰させようとする、新生のオバマ政権を支援しようとすることは、当然である。従属的な関係ではなく、日米関係に平等互恵の真のパートナーシップを樹立する好機である。民主党の影の内閣の財務大臣の発言が波紋を投げたが、それに対応してのワシントンにおける亀井発言は火消し薬としても絶妙であった。

「Kamei Shizuka, head of Kokumin Shintō, a prospective DPJ coalition partner, reassured Jeffrey Bader, senior director for Asia on the National Security Council, that a DPJ-led government would continue to purchase US bonds. Kamei probably does not have the authority to speak for a government that does not exist yet and may never exist, but it does diminish the authoritativeness of Nakagawa’s remarks.」

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Secret Envoy

5月11日に発売になった、週刊朝日5月22日号は、「かんぽの宿」入札 特別背任で西川善文社長を刑事告発へという見出しを表紙に掲載している。当ブログも、その見出しに関心を寄せてはいるが、その号の重要な内容は、「谷内正太郎・政府代表が語るーー「核再持ち込みの密約はあった」との記事が掲載されており、5月15日は、沖縄が復帰から38年目を迎える直前の記事としたは、時宜を得た記事であるので、紹介したい。沖縄の対米返還交渉の過程で、密使役を果たした、元京都産業大学の故若泉敬氏についての詳述がある。谷内前外務次官と、故若泉教授が、40年以上前の「土曜会」という大学横断の政治思想研究会において先輩後輩の関係にあったとは知っていたが、谷内元次官が、当時野口記念館にあった故若泉教授の研究所でアルバイトをしていたことや、外務省入省後も若泉邸に居候していたことなどが、記されている。故若泉先生は、著書「他策ナカリシヲシンゼムト欲ス」において、94年に核再持ち込みの密約についてあかしたのであるが、英訳版の刊行が決まり、若泉教授が、青酸カリを飲んで自裁したことは知らなかった。 2005年になって、米国公文書館が機密指定を解いて、沖縄返還後の米国の核持ち込みと繊維問題に関する秘密交渉という公文書を公開したが、その文書は、当時の佐藤総理大臣によって処置されたことが書かれている。「仮に文書があったとしても、密約が今も有効かどうかは疑わしい‥4人しか知らない約束がその後の政権も拘束するかと言えば、こたえは、NOでしょう。いまや死に証文です」との谷内前次官の重い発言も、記述されている。ともあれ、週刊誌としては、トップクラスの良質の記事である。

5月15日は、沖縄返還後、38年を閲する日である。時代を画する証言の記事である。

その全文が、ネットでも紹介されているので、そのサイトにリンクを貼るので、ご関心の向きは、直接全文の一読を勧める。

http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/asahi-20090513-03/1.htm

以下は、将来万一ネット記事が消去された場合のことを考えて保存用に残しておきたい。

北方領土をめぐる発言が波紋を広げている谷内(やち)正太郎・政府代表が、今度は1972年の沖縄返還をめぐり重大な発言をした。「核の再持ち込み密約はあった」。5月15日に沖縄が復帰から38年目を迎える直前、本誌にそう語った。じつは、この返還交渉をまとめたのは、「密使」として動いた谷内氏の恩師だった。その知られざる秘話とは──。

 火種はまだ、くすぶっている。〈私は3・5島でもいいのではないかと考えている。(中略)択捉島の面積がすごく大きく、面積を折半すると3島プラス択捉の20~25%ぐらいになる。折半すると(3・5島は)実質は4島返還になるんです〉 毎日新聞4月17日付朝刊に載った政府代表の谷内正太郎(65)のインタビューである。前外務事務次官で、首相の麻生太郎が外相時代に「自由と繁栄の弧」構想を打ち出したときからのブレーンだ。内閣支持率が低迷する今年1月、首相の「特使」に起用された。 その谷内が、政府が原則とする「4島返還論」ではなく「3・5島返還論」を容認する発言をしたため、波紋が広がった。外相の中曽根弘文が「厳重注意」したものの収まらず、4月28日の衆院本会議では、麻生も火消しに追われた。5月11日に来日するロシアのプーチン首相とのトップ会談にも影を落とす。 北の島々を取り戻す途中でつまずいた谷内が師と仰ぐのは、南の島を取り戻す立役者となった男だ。沖縄返還交渉でアメリカ側から「ニンジャ」と呼ばれた、元京都産業大教授の故若泉敬(けい)。首相の佐藤栄作が難航する交渉を打開するために起用した「密使」だった。 67年夏、若泉は佐藤に会う。かねて知り合いだった自民党幹事長の福田赳夫に引き合わされた。前年、米国防長官マクナマラとの単独会見記を月刊誌「中央公論」に発表するなど、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究所(SAIS)の客員所員として培った米政権中枢との太い人脈を見込まれた。〈この一九六七年九月二十九日で、私の第一の人生は終り、第二の人生が始まったようなものであった〉(若泉著『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』) 若泉は家族にさえ察知されないよう隠密に行動する。孤独な闘いが始まったのは、37歳の秋だった。 2カ月後の11月、佐藤・ジョンソン会談で両首脳は「両3年以内の沖縄返還」に合意し、敗戦後アメリカが握ってきた沖縄の施政権が72年までに日本に返されることが決まった。 その後、返還交渉の焦点となったのが核の問題だった。被爆国である日本には核アレルギーが強く、日本側は沖縄返還時にそれまで貯蔵されていた「核の撤去」を求めた。一方、ベトナム戦争を戦っていたアメリカ側は、基地を自由に使用できることのほかに「緊急時の核の再持ち込みと通過の権利」を要求した。そこで、若泉と米側の交渉窓口となった米大統領補佐官キッシンジャーは、〈日本国政府は、大統領が述べた前記の重大な緊急事態が生じた際における米国政府の必要を理解して、かかる事前協議が行なわれた場合には、遅滞なくそれらの必要をみたすであろう〉 との一文を盛り込むことで合意にこぎつけた。 つまり、日本側は事前協議が行われなければ、日米安保条約の定める「重要な装備の変更」はないものととらえ、「核兵器の持ち込みはない」と言い逃れることができる。一方、アメリカ側も「遅滞なく必要をみたす」との言質を取ることで、有事には核を持ち込めるというわけだ。これが「核密約」のからくりである。 ニクソンとの首脳会談まで1カ月を切った69年10月23日、若泉は佐藤を前に、「私は佐藤栄作個人のためにやるのではありません。あなたが、日本国の総理大臣だから、やらせていただくのです」 と覚悟を伝え、決断を迫った。「一国の宰相にふさわしい聡明な決断をされ、歴史に責任を負っていただかないと困ります」 ただ、密約が外に漏れれば交渉が台無しになる。若泉とキッシンジャー、ふたりの「密使」が描いたシナリオは次のようなものだった。 会談の最後に、ニクソンが佐藤に大統領執務室の隣にある小部屋で美術品を鑑賞することを提案する。ふたりだけで小部屋に入り、核問題に関する秘密の合意議事録にサインする。署名はイニシャルのみで、それぞれ1通ずつ保持する──。 しかし、実際には、ニクソンがフルネームで署名したため、佐藤もそれに倣ったという。 若泉が、こうした核再持ち込みの密約について明かしたのは94年。『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋)と題した600ページを超える大著を発表し、交渉過程を詳細に綴った。69年に秘密合意議事録を交わしてから25年後。ちょうどアメリカが情報公開法により開示を定めた期限が訪れる年だった。谷内は昨年暮れ、月刊誌「文藝春秋」(08年12月号)の「死ぬまでに絶対読みたい本」という特集で、この一冊を挙げた。〈「守秘義務」を守るか、真実を明らかにして「天下の法廷の証人台」に立つか。「二つの良心」の間で揺れた結果がこの本なのである〉 単なる本の紹介とはいえ、谷内みずからが「核再持ち込みの密約」を認めているに等しい。 谷内にあらためてたずねると、こんな答えが返ってきた。「私は、若泉さんの人柄をよく知っています。武士道を尊び、誠実さを貫き通した。あれだけ詳細な記述を残して嘘をつく理由もないし、嘘をつく人でもない」 だから、と続ける。「核の再持ち込み密約はあった、と私は思います」 05年から3年間、外務事務次官を務め、政府代表でもある谷内が、政府・外務省が一貫して否定し続けてきた日米間の密約を初めて認めたことになる。「若泉さんが願ったのは、対米依存、対米追随の外交から脱するためにも、日本でも正面から安全保障をめぐる議論を始めることだった。それは現在の日本にもなお、当てはまるのではないでしょうか」 谷内が若泉に初めて出会ったのは、いまから40年以上前、東大生だったころにさかのぼる。当時、参加していた「土曜会」という大学横断の読書サークルにOBとして顔を出していたのが、防衛庁防衛研修所教官の若泉だった。その後、谷内は大学院に進み、京都産業大世界問題研究所(東京・千駄ケ谷)に移った若泉のもとで新聞切り抜きのアルバイトを続けた。 まもなく、学者ではなく外交官の道を選ぶことを決め、69年に外務省に入省。独身寮の抽選に漏れたあと、偶然、出会った若泉から下宿先を紹介される。それはほかでもない、東京・荻窪の若泉邸だった。1年ほど居候している間、若泉は内外を飛び回りながら、「国事に奔走している」 とだけ語っていたという。それが沖縄返還交渉だったと谷内が知るのは、四半世紀後に出た『他策ナカリシヲ~』によってだった。本の冒頭には「宣誓」と題して、こう書かれている。〈永い遅疑逡巡の末、/心重い筆を執り遅遅として綴った一篇の物語を、/いまここに公にせんとする。/歴史の一齣(ひとこま)への私の証言をなさんがためである。(略)何事も隠さず/付け加えず/偽りを述べない〉 若泉と親交のあった弁護士の田宮甫(はじめ)(75)はこう振り返る。「本が出版されれば国会に証人として呼ばれるだろうと、若泉先生は覚悟していました。だから、証人喚問のときは付添人になってくれと依頼されていたのです」 だが、長い葛藤を越えて国を思うがゆえに投じた一石は事実上、黙殺された。それどころか、首相の羽田孜は、「密約はありません」 と否定し、外務省も「存在しない」との立場を崩さなかった。 若泉は失望し、祖国を「愚者の楽園」と称するようになる。福井県鯖江市の自宅「無畏無為庵(むいむいあん)」に引きこもり、表舞台から姿を消した。 出版から1カ月ほどたった「沖縄慰霊の日」の6月23日、若泉は喪服姿で沖縄・摩文仁(まぶに)の丘を訪れた。約18万人の遺骨が納められた国立沖縄戦没者墓苑の碑の前で正座し、『他策ナカリシヲ~』を花とともに供え、手を合わせた。そのまま頭を垂れたまま動かない。 後ろで見守っていた田宮には、喪服の左内ポケットに短刀らしきものが忍ばせてあるように見えた。世話役として同行していた福井県商工会議所連合会専務理事の鰐渕信一(61)は、ただならぬ雰囲気にも、若泉が沖縄の土を血で汚すようなことはしないだろうと思っていた。 30分ほどして若泉の肩が下がると、張り詰めた空気が緩んだ。 じつは、若泉は事前に「歎願状」と題した文章をしたためていた。〈拙著の公刊によって沖縄県民の皆様に新たな御不安、御心痛、御憤怒を惹き起した事実を切々自覚しつつ、一九六九年日米首脳会談以来歴史に対して負っている私の重い「結果責任」を執り、武士道の精神に則って、国立沖縄戦没者墓苑において自裁します〉 宛名は「沖縄県の皆様」と「大田昌秀知事、関係各位殿」とあった。沖縄の「核抜き・本土並み」返還は、核の再持ち込みについて密約を結んででもアメリカ側に保証しなければ実現できなかった。しかし、その後の沖縄は基地の負担と計り知れない犠牲を強いられてきた。かつて、沖縄戦で約8千人を指揮した大田実・海軍少将が自決する直前、海軍次官へ宛てた電報で、《(沖縄)県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ》 と訴えた言葉を裏切るような現実が続いている。若泉には、そのことへの懺悔の思いがあった。 ところがなぜか、歎願状は自宅の金庫に置き忘れていた。理由は定かではないが、若泉はこう語っていたという。「墓前で、英霊と対話するなかで(自殺を)思いとどまった。英訳版を出すことで、世界に日米関係の現状と沖縄の基地問題を知ってもらいたいと考え直したのです」 みずからの命を絶つ代わり、英訳版の出版を決めたのだ。 そのために動いたのは、現役外務官僚の谷内だった。英ケンブリッジ大教授を翻訳者に選び、ハワイ大学からの出版をとりつけた。 2年後、若泉は与那国島に渡り、英訳版の序文を書き上げる。しかし、すい臓がんに侵され、すでに告げられた「余命」をすぎていた。それでも6月23日には、沖縄で祈りをささげた。あのとき以来、毎年続けていた。 その直前、若泉は谷内を伊勢神宮参りに誘っている。谷内はロサンゼルス総領事への転勤を目前に控えていた。「きょうの主役はあなただから」 境内に続く参道で、谷内に先を歩くよううながした。参拝をすませると、名古屋駅の新幹線ホームまで見送った。若泉はあらたまって居住まいを正すと、こう言った。「どうか、この国をよろしくお願いしますよ」 谷内が乗り込んだ新幹線がホームの先に消えるまで、若泉は合掌したまま頭を下げていた。 そして、96年7月27日。 若泉は鯖江市の自宅に5人を招いた。谷内のほかに、著作権継承者に指名された世話役の鰐渕、遺言執行者である弁護士の田宮、文藝春秋の担当編集者と翻訳者である英国人教授である。5人は2階の居間の大きなテーブルで若泉を囲むように座った。すると、A4判で7ぺージに及ぶ英文の出版に関する取り決め文書が差し出された。冒頭には「合意議事録(覚書)」と印字されている。〈若泉敬にとって英訳版著作の公刊が本日この“集まり”によって保証確認された以上、最早志半ばにして斃(たお)れるのはあり得ないと深い安堵を覚えている〉 死をほのめかすかのような文章の末尾に、全員が署名した。若泉はおだやかな笑みを見せた。まもなく、鰐渕と田宮をのぞき、谷内たちは帰っていった。 若泉はベッドに横になると、冷蔵庫から「屋久島の水」を取ってこさせた。乾杯のため、自分のコップにも少しだけ注ぐ。「これは長生きする水なんですよ」 3人がコップに口をつけた直後だった。若泉は突然、嘔吐し、全身を激しく痙攣させた。押さえても止まらない。秘かに用意していた青酸カリを水で流し込んだのだ。摩文仁の丘で思いとどまってから2年、若泉は言葉どおり「自裁」した。 しかし、66歳の最期はメディアには「がん性腹膜炎」と発表された。 谷内が訃報を知ったのは、東京の自宅に戻ってからだった。覚悟していたので驚かなかったという。その足で福井にとんぼ返りした。 9年後の05年1月、谷内は外務事務次官に就任する。さらに半年後、アメリカ国立公文書館が機密指定を解いた公文書が公開された。〈沖縄返還後の米国の核持ち込みと繊維問題に関する秘密交渉〉 69年11月12日付と13日付の大統領へのメモで、日米首脳会談に先立って、大統領補佐官のキッシンジャーが首脳会談の進め方を説明する資料としてニクソンに渡したものだった。〈返還後の沖縄への核兵器持ち込みと繊維問題に関する秘密の日米合意に基づき、佐藤首相とあなた(ニクソン大統領)は次のような戦略をとる〉 核の再持ち込みが明記されていた。日本大学の信夫(しのぶ)隆司教授(日米外交史)が07年夏に見つけ、メディアでも報じられた。このときも、外務省は「密約はない」との見解を繰り返した。そのトップは、ほかならぬ谷内だった。 谷内はいま、こう語る。「首相官邸や外務省内もすべて調べてみたのですが、該当する文書は見つかりませんでした。証拠となる文書が日本側にはない以上、公式に『あった』とは言えません」 ただ、「谷内個人としては、密約は100%あったと思っている」と重ねて語った。佐藤・ニクソンが署名した密約文書はどこに消えたのか。若泉は『他策ナカリシヲ~』の中に、こう記している。〈「ところで総理、“小部屋の紙”(日米秘密合意議事録)のことですが、あの取り扱いだけはくれぐれも注意して下さい」 と、総理の眼をぐっと見つめる私に、「うん。君、あれはちゃんと処置したよ」 と、総理は心なしか表情を弛めて言った〉 日米首脳会談の1週間後のやりとりだ。佐藤のいう「処置した」の意味は定かでない。ただ、首相秘書官だった楠田實は生前、「紙は残していない」と共同通信のインタビューに答えている。 いずれにせよ、日米同盟の根幹にかかわる文書を日本側は手元に保管していない。それどころか、密約の存在が歴代政権に引き継がれてさえいないことになる。「仮に文書があったとしても、密約がいまも有効かどうかは疑わしい。4人しか知らない約束がその後の政権も拘束するかといえば、答えはNOでしょう。いまや死証文です」 谷内はそう語り、密約の実効性には疑問を投げかけた。 返還から2年後の74年、佐藤は日本人初の「ノーベル平和賞」を受けている。「日中戦争になれば、米国が核による報復をすることを期待している」(65年)、「非核三原則はナンセンス」(69年)などと発言していたことが米公文書で明らかになるのは後のことだ。密約についても問われることはなかった。日本が第2次世界大戦で失った領土を、ベトナム戦争まっただなかのアメリカから外交というテーブル越しに取り戻すのは、確かに容易なことではなかっただろう。 しかし、その沖縄返還は有事の際の核の再持ち込みを含め、米軍基地の自由使用を保証することによって実現した。元沖縄県知事の大田昌秀(83)は、「核密約を結んだことは評価できないが、若泉さんは交渉過程を公表し、沖縄県民に謝罪し、『結果責任』を果たした。人間としては信頼できます」 と話す。 沖縄返還から37年。 これまでに明らかになったのは核の再持ち込みの密約だけではない。協定に書かれていない、土地の原状回復補償費400万ドル(当時約12億円)の肩代わりをはじめ、総額6億ドルを超える対米支出のカラクリも解き明かされている。 しかし、政府は説明責任も果たさず、いまだに「密約はない」と繰り返すばかりである。「これで民主主義国家といえるのだろうか。まして、政治家は責任をとっただろうか」 大田はそう問いかける。 若泉は生前、沖縄の土に埋もれたままの遺骨収集に加わった際、案内役に「ヨシダ」と名乗ったという。それは密使として動いていたときのコードネームだった。若泉の死後、遺灰は遺言に沿って摩文仁の丘の沖に撒かれた。」

ネット上の記事には、筆者名が記載されていいないが、週刊朝日の本文では「本誌・諸永裕司」と書き手の名前が入っているので、念の為、追記しておきたい。

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Vatican in Middle East

 世界情勢が激しく動いている。中東歴訪中のローマ法王ベネディクト16世は13日、キリスト生誕の地とされるヨルダン川西岸のパレスチナ自治区ベツレヘムを訪問した。アッバス自治政府議長らが迎えた歓迎式典で、法王庁(バチカン)が「国際的に認められた境界内での主権あるパレスチナの国」を支持すると明言した。 イスラエル、パレスチナ2国家共存によるパレスチナ問題解決を強く促した発言である。 法王はまた「家族間の交流や、(エルサレムの)聖地への往来などの移動の自由を可能にするよう」要求。イスラエルが設置した西岸を囲む分離壁やフェンスなどを批判した。バチカンはこれまでも、今年初めのイスラエルによるガザ地区攻撃を激しく非難するなど、イスラエルの強硬策を批判。

要すれば、新自由主義の虚妄によって破壊された中東諸国であるが、平和をもたらすためにヨーロッパ世界の精神的な世界の指導者としてのローマ法王が、直接パレスチナ問題に言及したが、こうした踏み込んだ発言は予想されていなかった。世界的な大ニュースとなっている。拝金の新自由主義が、中東においても崩壊しつつある一局面と考えられる。

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Naomi Klein in Rachel Maddow Show

ショックドクトリンの著者、ナオミ・クライン氏が、米NBC放送の報道特別番組に出演している。残念ながら、英語番組であるが、米国内で起きている金融をめぐる混乱について的確に分析している。

Naomi Klein spoke with Rachel Maddow last week about the bank stress tests, crony capitalism and the impunity of Wall Street. Naomi Klein explains that her prime concern "is that the crisis on Wall Street created by deregulated capitalism is not actually being solved; it's being moved. A private sector crisis is being turned into a public sector crisis."

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Corrupt Postal Privatization 74

 5月13日夕方、時事通信は、国民新党と社民党が、民主党を加えた三党で、民営化された日本郵政の経営陣を特別背任罪で、東京地検に刑事告発する方針を固めたと報道した。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009051300948

 長谷川憲正参院議員(国民新)、保坂展人衆院議員(社民)の両氏が記者会見し明らかにした。天網恢々疎にして漏らさずである。
 

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Corrupt Postal Privatization 73

読売新聞は、5月13日、日本郵政共済組合が売却した「物件」の八割が転売されたと報道した。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090513-OYT1T00005.htm

報道記事の要旨は、次の通り。

「旧日本郵政公社の売却した物件も多くが転売されていたが、「国家公務員共済組合連合会」が2007年に一括売却した計198物件についても、8割超がすでに転売されていた。

 特定の企業が、05~07年に取得した郵政物件は計400件を超える。

 KKRは07年12月、保養所跡地が5件、残る葉、社宅193件、計198件を一括売却した。

  入札には三つの企業グループが参加。「コスモスイニシア」(旧リクルートコスモス)のほか、リーテック、長谷工コーポレーション、東急リバブル、穴吹工務店、穴吹不動産センター(現・穴吹コミュニティ)の6社のグループが176億円で落札。6社は、この入札の前日本郵政公社が社宅など178件を売却した際、落札した7社のグループの一員。

 施設の約86・4%に当たる171件がすでに転売。2回の転売物件が54件、3回転売が5件。

 リーテックが購入した、大阪府摂津市の宿舎跡地は、1か月に3回の転売。」

読売新聞の調査は詳細に渡るものであり、大新聞社の組織を挙げて調査が行われていることがわかる。転売先までを詳細に調査することにより、最終的に裨益するところをたどれば、郵政民営化の私物化の本質が、徐々にではあるが、明らかにされていくことになろう。いずれにしても最近のマスコミの動きの中では希な、大規模な調査報道であり、今後の読売新聞の記事については、大いに注目して期待したい。市場原理主義によって傷つけられた表現の自由、出版の自由についても取り戻す好機である。

 

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Restoration of Japan 2

経済を陥没させた「構造改革」

 日本は二つの誤った経済政策を取り入れたことで、「10年デフレ」「10年ゼロ成長」を招いた。それは「基礎的財政収支均衡目標(2011年度目標)と「金融庁の三点セットによる金融機関の締め付け(ペイオフ、時価会計・減損会計、自己資本比率規制)」である。そのベースとなったのが、新自由主義・市場原理主義という「伝染病」だ。

 伝染病に罹患した政府与党は「小さい政府」「均衡財政」「消費税引き上げ」という三つのドグマに陥った。結果として現在の日本は、緊縮財政デフレ->経済規模縮小でゼロ成長->雇用減少->税収減->増税(既に定率減税廃止)->消費税増税という「悪魔の縮小均衡」の状態にある。抜本的な政策の変更がなければ「20年デフレ」「20年ゼロ成長」へ向かって一段と深刻になるであろう。

 そもそもデフレとは、物価が継続して下がることである。最も的確に総合的な物価動向を表す指標はGDPデフレーターというもので、年率2~3%のプラスの時、経済は健全だと言える。

 97年、当時の橋本内閣が財政改革を断行。所得税と消費税を引き上げ、公共投資を大幅削減した。この緊縮財政によって、一挙に需要は抑制され、結果として株は暴落。多額の株式を保有していた大手銀行は自己資本が減り、大がかりな信用収縮を引き起こした。この「平成金融恐慌」が起きた翌年の98年からGDPデフレーターはマイナスとなり、デフレが始まった。

 橋本内閣の後を受けた小渕内閣は、98年から99年にかけて金融安定化政策(不良債権処理)と景気振興策を実施。これにより、99ねんどにはGDP成長率がプラスに転じ、2000年度には税収が50兆円に戻るなど、日本経済hじゃいったん、息を吹き返そうとしていた。

 ところが、01年四月に成立した小泉内閣は、「構造改革」という美名の元に、財政・金融両面で典型的なデフレ政策を強行。成長軌道に乗りつつあった経済を墜落させてしまったのだ。(つづく)

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Restoration of Japan

民主党の小沢代表が辞任を発表した。政治の季節である。しかも、通常の政治ではない。市場原理主義に破壊された世界の中で、日本の経済ばかりではなく、政治、その他あらゆる社会構造を復活させる為の政治を回復する為の準備をする季節である。

平成恐慌と言われる、泥沼状況の中から脱出する方策について、日本金融財政研究所所長の菊池英博先生が、文藝春秋5月号に執筆した論文を、本人の了解を得て、当ブログに掲載することとした。

以下、長文であるので、数回にわたり、掲載する。

「日本は既に、「経済恐慌」に陥っている。輸出の激減と円高によって、昨年一〇~一二月の日本の実質GDP(国内総生産、我々の給与と企業の税引き前利益の合計と見てよい)の伸び率は、欧米色の2倍以上の低下を見せた‥輸出だけに依存してきた日本経済の脆弱性が、顕著に露呈している。

 「平成恐慌」とも言える状態に陥ったのは、この10年の「構造改革」以来の敬愛政策が根本的に間違っていたからだ。構造改革による内需抑制策の結果、日本は「10年デフレ」「10年ゼロ成長」の状況にあり、OECD(経済協力開発機構)加盟国の「相対的貧困度ランキング」でワースト4位という惨めな国になってしまった。今や、雇用者の三分の一、若者では40数%が非正規社員(2千800万人)である。生活保護者は160万人を突破し、年収200万円以下のワーキングプアは一千万人を超えた。

 ところが一方で、日本は世界一の金持ち国家でもある‥個人預貯金は1500兆円にもおよび、このうち、300兆円を超すお金を対外純債権として海外に貸し出しているのだ。

 本稿では「10年デフレ」「10年ゼロ成長」を招くに至った経済政策の問題点をつまびらかにした上で、日本を成長軌道に戻すための処方箋を提案していく。さらには我々が経験してきた昭和恐慌とアメリカ大恐慌の教訓から、平成恐慌を乗り越える現実的な方針を探ってみようと思う。(つづく)

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Links

市場原理主義に反対するブログのリスト集を作成していただいた。当ブログがそのリストに含まれている。感謝。http://chalaza.net/blank015.html

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Market Fundamentalism is Dead 8

 かんぽの宿の売却をめぐる日本郵政の資産売却疑惑に関連するオリックスが、政府・日本政策投資銀行に追加の危機対応融資を打診していることが明らかになったとの報道が相次いでいる。業績低迷による資金繰り悪化に備え、一千億円規模の借り入れを要望しているという。政策投資銀行は国民負担につながる可能性もある融資の正確を念頭に置いて、厳格に審査する方針で、経営責任のあり方などが焦点になりそうだとの報道である。

こうした動きについては、当ブログとしては、民営化、規制緩和、公共政策の削減という市場原理主義の三大虚妄を喧伝してきた経営者のいる企業が、今更、政府の助けを求めること自体が、「笑っちゃう話」ではないだろうか。

山崎行太郎氏のブログが、的確に評論しているので、リンクを貼る。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20090507/1241649066

その中で、「(前略)それにしても不思議なのは、自己責任や自立社会を煽っておきながら、しかも不良企業は倒産して市場から退場するのが当然と言っていたはずの人の会社が、自分たちの会社は経営危機に陥ると、さっさと政府に泣きつくわけだから、まことに見事な言行一致の見本というか、教育的にも素晴らしいお手本である。」と痛烈に批判している。

それから、ノンフィクションライターの森功氏のブログhttp://mori13.blog117.fc2.com/blog-entry-480.htmlにも「政投銀融資をめぐっては以前から噂はありましたけど、かなり切羽詰まっているということでしょうか。ただ、オリックスはまだ09年3月期黒字決算の予想のまま。それでいて政府系の金融機関に助けを求めるというのは筋が通らないのではないでしょうか。株価の維持に必死なのはわかりますけど、まずはみずからの経営実態を明らかにすべきだと思います。」という論評がある。

その記事のコメントととして、「オリックスは、このような小さいレベルの話ではない。
2009年第3四半期では、(平成20年12月31日)
連結総資産は、8兆5,780億円
連結総債務は、7兆3,830億円

債務は、100%そのままであるので、総資産のうちの減耗率が問題となろう。
もし、10%が毀損していれば、8,570億円の減耗となる。
20%の毀損なら、1兆7140億円の減耗となり、資本の1兆1,544億円を
上回り債務超過へ転落する。仮にも毀損が、50%なら、4兆2,850億円の減耗となろう。
この恐怖を誰も直視出来なのが、日本の現実だ。」というコメントがついている。

中谷巌氏のように、市場原理主義と構造改悪によるこの国の破壊について全く反省の色も見られない経営者であり、たちの悪い話である。一方では強欲の資本主義が崩壊している事実をも示していることは確実であり、日本再生の為の処方箋を政治的に提示する機会でもある。そのためには、できるダ出速やかに、民営化を見直し、規制緩和をやめ、公共政策の削減をやめるばかりではなく、日本の国柄に適合した政治と経済政策を復旧して、万民の幸福を追求しながら、世界に日本の寛容と多様性を主張する好機となった。市場原理主義には、正統性がないことが露呈しつつある。融資・救済などの「情けをかけてはならない」と言うのは、東洋の戦乱の対立の中での教訓でもある。

さらには、財投債などを通じて、郵便貯金など郵政の資金が間接的に日本政策投資銀行の財源となっているが、その資金で、郵政を民営化して私物化と外資への移転を奨励して破壊しようとした政商の企業を支援することになることが自己矛盾である。正道を歩んで恐怖を克服しなければならない。恐怖を克服しなければ、ショックドクトリンの思うつぼにはまる。

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Inconvenient Truth

郵政民営化も、コンビニ問題と深くリンクしている。民営化された郵便局会社の社長は、大手コンビニから送り込まれた人物である。実際にも、コンビニモデルで、郵便局の事業の編成が行われようとした形跡があることは、当ブログも指摘したことがある。民主党の姫井議員が、コンビニ問題を取り上げて、掲示板を開設しているが、その掲示板には、コンビニの関係者からの意見が、書き込まれている。相当な書き込みの量である。http://himei.jp/bbs/

とある出版社が、コンビニ問題について単行本を出版したら、圧力がかかって、取次業者が拒否するという事態も数ヶ月前にあった. 構造改悪の一環として、コンビニ優遇の政策が行われた形跡がある。リンクを貼るので、ご参考まで。http://facta.co.jp/article/200902061.html

コンビニ問題を現代のタブーとしてはならないが、言論の自由に対して圧力をかけるやり方は、最近の町田徹氏の国会における参考人としての意見開陳にも恫喝をするほどであるから、常套手段であるが、それに屈してはならない。左も右もない話である。

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Corrupt Postal Privatization 72

http://jpost.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post.html

簡易郵便局で、貯金業務を取り扱いを再開した郵便局が増えているという。結構な話になるが、しかし、も尋常な増え方ではない。やはり、裏があるのではないかと勘ぐる向きが出てくるのは当然であるが、そうしたことについて、上記のブログが書いている。岡山市の山中簡易局の業務委託を受けた、つまり、この局の銀行代理業者名をしらべてみると、なんと東京に本社のある「セコム(株)であるという。銀行の代理業者であるから、関東財務局のホームページに掲載されていいる。http://www.mof-kantou.go.jp/kinyuu/touroku/ginkodairi-yubin/6684yubin210508.pdf

郵政民営化が、地域性、共同体、その他の価値観を無視して、市場に組み込むことを優先する拝金の金融政策に堕していることを示す典型的な例である。民営化後は、地方財務局の管轄になっているという。ばかげたことではあるが、何とも事実である。もちろん、こんなことは、マスコミは報道もしないが、構造改悪によってもたらされた、日本の劣化現象のひとつである。簡易局が、郵政民営化で急減して、批判をかわすために、再開させたとして、実態は、他での利益供与との関係の中で、一部の会社に委託して利益を出すという、市場原理主義お得意の、災害資本主義のやり方を適用したまでだとの見方もあり得る。

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Corrupt Postal Privatization 71

私的整理に踏み切るコスモスイニシア、リクルート事件後の有為転変という記事がネットにある。そのリンクを貼る。かんぽの宿の事件をめぐる中での構図についても言及している。

http://www.data-max.co.jp/2009/05/08_083400.html

以下、その一部の引用。ご関心の向きは、前掲のリンクで全文をお読みください。

「リクルートコスモス改めコスモスイニシアは、今年に入り事件に登場する。「かんぽの宿」売却問題である。日本郵政による「かんぽの宿」のオリックス不動産への売却は、鳩山邦夫総務相の「デキレース」批判で白紙還元に。だが、日本郵政公社時代にも、安値で叩き売られていた。3年間にバルクセール(一括売却)した物件は424件にのぼる。
 日本郵政公社は07年3月に「かんぽの宿」や社宅など178物件をバルクセール方式で売却。コスモスイニシアなど7社で構成するグループが115億円で落札し、物件を山分けした。
 レッドスロープなる会社は、鳥取県岩美町の「かんぽの宿」を1万円で取得し半年後に6,000万円で転売。濡れ手に粟の巨額な利益をあげていた実態が次々と明るみになった。
 レッドスロープは同じ落札グループのリーテック(東京・港区)の100%出資の子会社。リーテックの平松克敏社長(47)はリクルートコスモス出身。リーテックにはコスモス社が出資し、本社はコスモス社と同じビルに置いていた(現在は移転)。
 リーテックは日本郵政公社がバルクセールした物件424件のうち92件を落札。手に入れた土地を右から左に転売して荒稼ぎした。買収資金を融資していたのがオリックスだ。「かんぽの宿」問題では、リーテックを介してオリックスとコスモスイニシアのいかがわしい関係が浮かびあがったのである。」

民営化以前の郵政公社時代の郵政の土地資産の物件売却の背後関係についての追求も行われてしかるべきである。「日本郵政公社時代にも、安値で叩き売られていた。3年間にバルクセール(一括売却)した物件は424件にのぼる。日本郵政公社は07年3月に「かんぽの宿」や社宅など178物件をバルクセール方式で売却。コスモスイニシアなど7社で構成するグループが115億円で落札し、物件を山分けした。」とある。

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