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100th Anniversary- Legend of Tono

柳田國男の遠野物語が350部,50銭で初刷されたのは明治43年(1910)である。まもなく100年になる。同年末には、「時代ト農政」を出版するが、柳田にとって図らずも、(戦後農地解放があり、小作の金納が実現して再版)農政学との別れを告げる蹉跌の書となった。農政官僚として全国の旅を続けるうちに、権力化する明治政府のお達し従うよりも、「常民」の精神と文化に耳を傾けるほうが、経世済民になるとの思いだったのかもしれない。民俗学の確立に奔走するようになる。南方熊楠との往復書簡が頻繁に交わされたのもこの頃で、明治政府の神社合祀政策に反対する行動を繰り広げている。柳田は、土着の学問に執着し、「農政学者・官僚として活躍した時期においても欧米の経済理論の直訳的受容を極力排除した。(中略)経済の自由放任を否認し,生産よりも分配の適正を重視し、そのための国家の役割を強調していた」(岩本由輝「論争する柳田國男」御茶ノ水書房、1985年)。遠野物語は,民話集であることは事実であるが、日本版の農村残酷物語でもある。貧困のあまり、兄が母親を殺し、親が子供を殺し、野猿が村の女を盗み、狼が人間を襲う話などは、明治の末のこの国の地方や農村が惨状にあり、国の病と成っている現実を想起させるに十分な出版である。柳田は初版本の序に、「要するにこの書は現在の事実なり」と豪語している。日露戦争があり、柳田は利根川沿いのお社に英文でIn Memory of the Conquest over the Russians と銘する碑を旅順陥落の日に建立する。折角の東洋の覚醒を捨て坂を転がり落ちるように神社合祀などの精神世界の西洋かぶれの統制強化を嘲るかのようである。柳田は、農政学の先輩の河上肇などのマルクス主義からは程遠い地平から、民族の伝承の集大成でこの国の安寧を目指した。「全体の組織総合の学問というのが欠けている。「政治」という漠然たる語で,暗示せられて居る一つの学問が正しくそれに該当する。」とも述べており、民俗学は、文字通りのポリティカル・スタディであった。明治43年は大逆事件の起きた年である。韓国併合もあった。明治から対象に至り、日本は欧州の動乱で、地中海に軍艦を派遣しただけで、国際連盟の理事国となり,ドイツからの南洋群島の委任統治を譲り受ける。後の驕りは推して知るべしだ。
 今年の4月にワシントンで開催された国際通貨金融委員会の文書が公表されているが、日本の政策実施状況についての報告は国内情勢と乖離していないか。若年労働力等の能力向上策、人材派遣業自由化、公正取引委員会の強化、国債発行の削減など新自由主義の政策が端的に報告されている。構造改革を財政諮問会議を通じて強化するとも述べるが、もっとも興味深いのは、日本政府が、直接投資を2010年までに、25倍増のGDPの5%に拡大すると約束するとのくだりである。代表演説は抽象的な文言にとどまっているが、国際通貨基金の発表した文書には数字込みで記録されている。奇異である。ちなみに、世界競争力センターの研究によれば、日本の外国直接投資は、GDPの0.2%にしか過ぎないと指摘で、この5%の数字は、この国の有り様にも関わることになる。国会で議論された数値目標だろうか。労働力の流動化などについて安易に約束するが、米国は中間選挙後に修正をしたから、日本は先進国の中では最低の最低賃金になるが、そんなことで政策の誤りにならないのだろうか。4月14日の代表演説の、国内経済政策の部分を、引用する。
「我が国は、経済活性化と財政再建の二つの目標は両立可能であるばかりでなく相互に強化し合うものであるとの考え方・・構造改革努力とともに、安易な財政出動に頼らない・・国債発行について過去最大の減額幅を見込み・・2010年代半ばに向け、債務残高対GDP比率を安定的に引き下げるため、・・2011年度までに国・地方合計のプライマリー・バランスを確実に黒字化・・税の自然増収を安易な歳出等へ振り向けることなく歳出削減を実施・・高齢化による社会保障支出の増大や、基礎年金国庫負担割合の引上げ、少子化対応の支出等により・・財政再建の道のりは平坦ではない。徹底した歳出削減に加えて、安定的な財源を確保する必要・・このため、本年秋以降、抜本的一体的な税制改革について議論し、2007年度を目途に消費税を含む税体系の抜本的改革を実現させるべく取り組んでいきます」と発言している。
 長々と、柳田國男のことを書いたのは、他でもない、新しい遠野物語の出版が必要で、地方や農政が国の病となり、医療が打ち捨てられて、限界集落が拡大し、老人が面倒を見る人もなく、廃屋に閉じ込められている残酷物語が現出しているからである。民営化と称する官僚支配と一部資本家の、外国資本と連携する、まことしやかな会社合祀劇も盛んだからである。郵政民営化などは、むしろ金融混乱の原因ともなりかねない。敗戦国が戦勝国クラブの常任理事になるのは無理があるが、通貨基金の理事国と言って、国内の悲惨を見過ごしながら、人気取りの大盤振る舞いをするのは,中東の戦争のときの二の舞になり、尊敬もされない。金融機関が金余りの現象にあり、一方で、公共事業を中止して、デフレの縮小経済の死にいたる病の政策を継続し、政府資金の供給こそ必要なときに民営化を推進する。過剰な外国直接投資を招聘するのは、のっとりを助長することにしかならない。「税の自然増収を安易な歳出等へ振り向けることなく」等とは、冷血の作文のように聞こえる。柳田や南方熊楠が嘆いた、合祀の際の、神木の乱伐のようでもある。
 参議院選挙があって、幸いにして、新自由主義の無思想を修正してこの国の新たな進路を見つけ出すために、政治という総合の学問を再構築する余裕が生まれたようにも思う。
 
本稿は、前の参議院選挙直後に書いたものである。ご参考まで。柳田國男の遠野物語が書かれて100年になる。

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