Kuroshio 22
岡谷公二著『原始の神社を求めて、日本・琉球・済州島』(平凡社新書)に啓発されて本稿を書いている。帯には、「森そのものが神なのだ」と大書され、「沖縄の御嶽(うたき)から済州島の堂(タン)へ。人工のさかしらとは一切無縁のこの上なく清浄な聖なる森の系譜」と付言する。
済州島には、「堂(たん)」という、大木が茂る石垣に囲まれた森があり、女性が祭を司る。沖縄の「御嶽(うたき)」も珊瑚礁の白砂を撒き、神の依り代であるクバの木などが生い茂る森の中の空き地で、ユタやノロが祭主となり、女人禁制ならぬ男子禁制の儀礼が執り行なわれる。沖縄と済州島の森は相似形だ。済州島は一二世紀まで耽羅国と言われ、琉球国も中央からの距離があって、相似形の原始の信仰が残った。
済州島は、中央に標高一九五〇㍍の漢拏(はんら)山がそびえる楕円形の島である。緯度は紀州の和歌山あたりと同じで、島の南部は温暖な気候となり、蜜柑を韓国内で唯一生産する。済州島の海女は、伊勢志摩は言うに及ばず、伊豆、房総から日本列島の各地に出漁する。黒潮の分流が岸辺を洗い、流れによっては五島列島から雲仙、天草を経て、鹿児島、種子・屋久、奄美、沖縄との夏場の往来は、それほど難しくない。済州島では八月一五夜の綱引き大会が行なわれており、朝鮮半島の旧正月の冬の火祭りとは異なる習慣が多い。奄美や沖縄に見られる大ウナギも済州島の川には生息しているから、南の島々との共通項が色濃く見られる。「堂」に植えられている木は榎が多い。榎は水気を呼ぶ木として知られ、漢拏山の伏流水が豊富にあるから植生に合い、しかも枝振りがよく生気を漂わせている点で、亜熱帯の広葉樹の風情である。朝鮮五葉松のような針葉樹ではない。
済州島から離れた朝鮮半島沿岸部にも、「堂」はあるが、済州島のように女が守るのではなく、男性の中から選ばれた祭官が儀式を執り行うようになった。済州島の堂と沖縄の御嶽が限りなく似ているのであれば、半島沿岸では儒教文化の激しい弾圧で、女を男の祭り主に変えて生き残りを図ったのだ。朴大統領は、セマウル運動と言う農漁村の近代化運動を強力に推し進めたが、「堂」を邪宗邪教のように取り扱った。それ以前にも李王朝の治世下で、仏教と共に淫祠邪教として迫害されている。日本の場合には、維新と銘打って、軍事技術を含めた科学技術の外国からの習得を合理的に行う場合でも、根本に復古の思想を秘めている。天武天皇は、天文秘法を習得するために、陰陽寮を創設したが、一方で大陸からの牧畜文化は断乎として拒否している。ちなみに、元の王朝は済州島に牧場を造り、馬が名産である。日本と朝鮮との差違は、肉食文化の濃淡にも見られるが、天武天皇は、牛馬、猿、鳥、犬を、食することを期間を定めて禁止している。済州島の神話には、豚肉の禁忌があることが特徴である。女の神が妊娠中に豚肉を食べたところ、男神が怒って女を追い出したとある。豚肉を嫌う男神が肉食の騎馬民族の気風で、豚肉を食べる姫君は南方の島々から日本列島に至る食文化を象徴しているように想像できる。豚は記紀にも万葉集にも記述があり、日本では禁忌の対象ではない。奄美や沖縄の南島では豚は生活と密着している。
犬を食べる文化も、朝鮮半島、フィリピンから、南太平洋の島々まで広く展開する。日本本土でも南の島々でも赤犬を食べていた。ハワイでは、西洋の独善からの批判を躱すために、豚肉の丸焼きを伝統食に変えている。
高麗の神話は、海神は例外なく豚を好むとして、太祖は、竜王の娘と結婚して竜王のもとを去る時に、海の統治権の象徴である豚を与えられたという。思い当たる節がある。沖縄の糸満の海ん人(うみんちゆ)は、浜辺で豚の血を塗った漁網を取り繕う。豚の血が漁獲を増やす秘訣で、今村昌平の映画「神々の深き欲望」にも、子豚を海に放り込んで鱶に犠牲を捧げる場面があった。男が追い込み漁をしていたのが、黒潮に乗って列島を北に辿るうちに、女の仕事に転化していったのではないかと推測する。神武天皇の母君が海神国からの姫君であることにも繋がる。女の司祭が排除されて男に変わる過程は、朝鮮半島沿岸の堂で、儒教と妥協して祭司を男にしたのと同じだ。
日本の神社は小さな森と拝所が原型だが、いつしか、新羅や百済の亡命の貴族も祭られ荘厳な社殿を造り、崇敬されている。しかし、済州島の堂は、黒潮文明と共通する広がりをもちながら、肩をすぼめて目立たないように、大陸文明に押されて片隅に潜んでいる。御嶽も堂も神社も、もともとは黒潮の滔々たる流れに往来を続けた、海神国の神々から生まれた兄弟と姉妹の子孫を祭る社である。縄文以来、黒潮の道を往来した祖先崇拝の、堂や御嶽と鎮守の森こそが神社の原始の形態である。黒潮の流れに沿って、済州島や多島海の堂の森があり、沖縄の御嶽や、奄美の拝山(おがみやま)がある。日本の神社は、鎮守の森に権力を克服する権威が加わって壮大な社殿を備えるものが出たが、堂と御嶽に鳴り響く簡素で直截な祈りは黒潮の同胞の心の根本に残っている。(つづく)
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