Kuroshio 23
寒さと塩と黒潮の民の関係
寒さが身にしみる。日本の列島には、大陸から季節風が吹き付ける。脊梁山脈には所々に切れ目があり、たとえば、伊吹山の麓の関ヶ原は、今は交通の要衝となっているが、昔も、北からの雪雲が伊勢湾に抜けて、知多半島までを雪景色にする。帯状で、雷神が風の袋を携えて駆け足で抜けたような雪の降らせ方をする。名古屋と津がそれほど大雪でなくても、養老の山地から四日市にかけて、海を渡って、今の中部国際空港のあたりまで、刷毛で塗ったように雪が降り積むときがある。伊吹山麓では百草が生育して、薬草もふんだんにあり、季節が交代すれば、南からの湿気がおりて、温帯の樹林が繁茂するから、南からの人々が容易に入り込んでも、冬の寒さは厳しいから、古代の武人が、病に倒れてしまうのも想像できる。旅に病んで夢は枯れ野を駆け巡るが、芭蕉の辞世の句であるが、列島の季節の風の切れ目で、病に罹ったようである。伊勢の神宮を訪ねればすぐわかるように、太古から遷宮し続けた宮は高床式で、しかも海の端の海岸の小石原を模したもので、とても冬の寒さへの対処を真剣に考えた造りではない。朝鮮半島の慶州のあたりを一昔も前に旅行したときの記憶では、大衆が泊まるような、旅人宿(よいんすく)とよぶ安宿でもちゃんとオンドルがあり、床が油紙で拭かれて熱気が籠もって、部屋着を薄着にするくらいの暖房が整っていた。ところが、日本の列島には、そうした寒さを克服できる床暖房の仕組みはなく、大概が囲炉裏である。北京などでも、つい最近までは暖房のための練炭の煙で町全体が煤煙につつまれたが、ソ連の技術を入れて、町全体を集中暖房にしたというのが自慢の種で、その代表格の建物が人民大会堂であり、友誼賓館であった。集中暖房の栓を閉めさえすれば、反政府の動きも止めてしまうことができたから、日本の白金懐炉や石油コンロなどの局所暖房の器具を何とか入手できないかと所望する人士も珍しくはなかった。川崎の生田緑地にある、全国から古い民家を集めてある民家園を訪ねれば一目瞭然であるが、東北の曲り屋でも、囲炉裏が切ってあるばかりである。新潟の村上あたりの武士の質素な茅葺きの家でも、囲炉裏と火鉢だけで、あの冬の寒さをしのいでいるし、世界遺産の白川郷あたりの家屋も暖房はやはり囲炉裏一本で、大陸のオンドルのような煙を床下に通して、床全体を暖めるような気の利いたやり方はしていないから、やはり、日本人は寒さに対しては無防備のように見える。南方の黒潮に乗って列島の住人となっても、縄文の頃からそれほどの進歩と工夫がなく、冬はただただ、我慢強くしのいで、雪の下に咲くマンサクの花を愛でて春を待つけなげさがある。満蒙開拓団から、戦後引き揚げてきて、浅間山の中腹の開拓集落で、苦心惨憺の冬を越した人から聞いた話では、地面に穴を掘って、そこに薪を並べて火をつけて暖をとったという。囲炉裏という文字になっているが、地面に穴を掘った炉だ。南島では囲炉裏のことをジル、またはジールと今でも呼んでいるから、地面の炉、ジルを冬の暖房の唯一手段としたのである。囲炉裏の自在鉤などは、芸術品のように発達した。冬の寒さを本格的に凌ぐためには、皮衣が必要であるが、夏の暑さを凌ぐための麻衣などが珍重され、革靴も革手袋もどちらかといえば最近の西洋化の中で普及した製品である。外が吹雪の夜には、囲炉裏の端に家族が集まり、夜なべをする、わらを編むなどと、家族が談笑しながら、世代と知識とをつなげていったから、寒さに弱い逆境を教育と共同体の団結の足しにした節もある。
さて、北国では、秋に塩漬けにして貯えた野菜を毎日食べて冬を生き抜くのであるが、キムチのような唐辛子の赤色に染まるような、極寒に備え、乳酸菌発酵で体の中から暖めるような、香辛料を多用する食物は日本では稀で、妙高のカンズリくらいだ。南西諸島では今でもしょっぱい食物が敬遠されている。大根の沢庵漬けなども塩分が多いとして敬遠されるほどである。実際、塩分の摂取が少ないから、世界一の長命の地域となっている。黒潮の民の典型である沖縄人がハワイに行けば、豚肉もどんどん食べられるようになって体が大きくなり、南米に行ったら、豆腐の植物性タンパクの多食で塩分を控えるから、依然として長命を続ける。アマゾンのマナオスあたりに移住すると、野菜を少なくして牛肉に塩をふりかけるような食事をすることになるから、とたんに短命になるとのことだ。信州では生活改善運動で、冬の野沢菜を塩を落とすために洗って冷蔵して食べるようになってから、脳卒中などの疾患が目立って減り長寿県入りをした。逆に今の沖縄では、駐留外国軍の食生活の影響を受けて、塩入ハンバーガーを多食するようになって短命化している。海塩(マシュ)は潮(ウシュ)を精製し腐敗を避けるために用いられるが、黒潮の民は塩が人を短命にもすることを知っていたから、腐敗を防ぐに足るごく微量を冬を凌ぐ漬け物の素とした。そひて、自らを跡形なく溶かしてしまう塩に聖なるものを感じ、死の不条理を忌み避けるお清めとしたのである。(つづく)

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