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Imperial Cruise A Book Review for Japan's True Independence

今こそ、自立・自尊の日本を

米軍再編問題に翻弄される沖縄

第二次世界大戦を圧倒的な軍事力で勝利したアメリカ合衆国は、続く冷戦時代、ソ連を抑え込み「封じ込」むため、世界中に常備軍を配置した。常備軍Standing Armyとは、平時から編成されている専門的な軍隊であり、近代国家においては、戦時に大量動員する大衆軍の基幹としての役割を果たしていた。第二次世界大戦後の米国は常備軍を世界的に展開することで、その圧倒的な軍事的プレゼンスを背景に派遣国家への道を突き進むことになる。その一方で、そうした在外米軍を受け入れた国々にとっては、冷戦終結後の今日においても、米軍の存在が政治的、社会的、及び経済的問題として残ることになる。

 折しも日本では、発足から半年余が経つ民主党政権が、米軍再編というグローバルな問題と在沖米軍問題という地域の特殊な問題が複雑に絡まる、普天間基地移設問題で揺れに揺れている。既に決定済みと見られていたキャンプ・シュワブ沖(辺野古)への移設案は、座り込みだけでなく海上に櫓まで組んで抵抗する反対運動に遭って環境アセス調査すら満足にできない状況である。14年余に亘る辺野古を巡る係争は容易に決着が付きそうにない。2009年秋の衆院選以降、沖縄県外移転を主張し続けてきた鳩山政権は、「公約」と辻褄を合せるためか、ここにきて同じ琉球文化圏の奄美の徳之島への一部移転を持ち出して来た。

 少し古いが興味深い記事なのでここに挙げたいのだが、沖縄県外の移設先として注目を浴びている場所として、『サンデー毎日』3月28日号の記事で鹿児島県の馬毛島が紹介されている。種子島の近くにあるこの島の人口は1950年代のピーク時には500人以上であったが、現在は無人島である。記事によると、島の現在のオーナーの立石氏は、島には3万人規模の街を作ることも可能であり、この島を「第二のディエゴ・ガルシアにしたい」と述べているという。

ディエゴ・ガルシアはインド洋上の島であり、日本ではそれほどなじみがないかもしれない。一連の普天間基地移設問題を世界中に展開する米軍基地問題自体とつなげる報道はほとんど見られず、ディエゴ・ガルシアの名前をマスメディアが取り上げることもほとんどない。この島はもともとイギリス領インド洋地域に属するイギリスの海外領であったが、1966年にアメリカ合衆国が50年期限で借り受けて以来、徐々に島民を追い出し、現在では島全体が米軍の基地になっている。移住させられた元島民は、イギリス政府を相手に同島への帰還と補償等を求めて訴訟を起こしている。上述の立石氏は島全体を米軍の専用に供するという意味で、「第二のディエゴ・ガルシア」と言っているようである。

 だが実際は、本当に移転先として検討されているかはともかく、馬毛島は「第二のディエゴ・ガルシア」にはなりえない。なぜなら、もともと無人島であるため、島民を立ち退かせて米軍を受け入れるという問題は起こりようがないのだ。ディエゴ・ガルシアでは島民が生活している場所に米軍基地という新たな要素を持ち込んできたことにより、米軍と島民との摩擦、島民の立ち退き、そして訴訟という、60年以上も続く在沖米軍問題と同じような問題が生じた。ディエゴ・ガルシアの問題とは、まさに在沖米軍の問題そのものでもあると言えるのかもしれない。

そういう意味では、候補地として挙げられた徳之島の方が、同様の問題を孕んでいると言えよう。以前から、この島の名は普天間基地移設先の候補地として挙げられてはいたものの、これまで鳩山政権が公式に徳之島について言及することはなかった。それが4月20日になって一転、平野官房長官が徳之島の3町長に会いたいと打診する。これに対して、当事者である島民は猛反発。事前に何の議論もなく、徳之島案を否定までしていながら、突然、移設の話が公にされたことから、徳之島の、伊仙、天城、徳之島の3町長は、一連の政府の対応は誠実でないとして、平野官房長官に門前払いを食らわせた。実際のところ、徳之島移設案では普天間基地移設問題の、ひいては在沖米軍問題の解決にはならず、交渉が暗礁に乗り上げているのも当然だと言えよう。

 そもそも普天間基地移設問題の根本には、アメリカ合衆国という国の存在理由そのものが密接に関わっている。米国が第二次世界大戦後、世界各国に常備軍を配備していくのは先に述べた通りだが、特に1960年頃からは、米国防省が肥大化していくに従い世界中に際限なく軍事力を展開し、まさに覇権国家としての道を歩んでいくことになる。ところが、1990年代に入ると、ソ連という仮想敵国自体が消滅してしまい、冷戦構造が崩れ去る。爾後、テロリストという見えない敵を相手にした戦略を余儀なくされた米国は、世界に展開する米軍の再編を進めることになる。2009年にはオバマ政権が成立、ヒラリー・クリントンは国務長官就任早々沖縄を訪れ、グアム移転協定を結ぶことになったが、これは沖縄に関する特別行動委員会(SACO)設置に代表される島民との摩擦を解消する政策の延長線上に位置付けられるというよりもむしろ、世界的な米軍再編の動きの一つであった。普天間基地移設問題には、土地と工事をめぐる問題等、現地沖縄の利権が関わり、米軍再編には主にネオコンが支配するアメリカの軍需産業の利権が関わっている。米軍再編とは何かというと、世界中に散らばっている米軍をより効率よく機動的に活動できるように再編するということであり、実際は、冷戦終結とともに世界中にある米軍基地の数は減少するどころか、むしろ増加の一途を辿り、米国の国防費も年々増加している。ソ連の崩壊はアメリカの敵が消滅したことを意味するものではなく、アフガニスタン、イラク、イランと新たな敵国は次々と生まれてくる。米軍が存在するためには仮想敵国は不可欠であり、それこそがまさにアメリカ合衆国という国の存在理由の一つであると言っても過言でない。さらに、米軍の重要性は相対的に低下しているとはいえ、その軍事的プレゼンスは日本やNATO加盟国では圧倒的な重要性を保っており、太平洋はアメリカの海と化している現状では、米軍最大の第七艦隊がある日本及び太平洋から米軍自体が立ち退くことはほとんど考えられない。そうした米軍再編の問題に、地元の利権が複雑に絡み合っているのが、普天間基地移設問題なのであろう。

「インペリアル・クルーズ」が暴いたもの

 

 それでは、アメリカ軍がいかに太平洋に進出していくようになったのであろうか?また、常に新たな敵を探し求めざるを得ない米国の内在的論理とは一体何だったのか?グアム移転協定が結ばれたのと同じ2009年に、そうした問いに対する答えの一つを、簡潔な文体ながら詳細且つ興味深く描き出した本が出版された。Little, Brown and Company社から上梓された『The Imperial Cruise』である。

著者のジェームズ・ブラッドリーは、2006年に公開された映画『父親たちの星条旗』の原作者でもある。この作品は硫黄島二部作のうちの一つであり、米国兵の視点から硫黄島の戦いが描かれている(ちなみに日本側の視点で描かれたのが『硫黄島からの手紙』である)。硫黄島の戦いと言えば、壮絶な戦いの後、硫黄島の摺鉢山に星条旗を掲げようとしている6人の兵士の写真が、ピューリッツァー賞を受賞したこともあって有名だが、このうちの一人ジョン・ブラッドリーが、ジェームズの父親であった。ジェームズは上智大学に1年間留学していたこともあり、また、米国の高校生を日本及び中国に派遣することによりアメリカとアジアの相互理解を深めることを目的としたジェームズ・ブラッドリー平和財団を設立、そこの理事長も務めている。一貫してアメリカの太平洋への関わりをテーマにした作品を発表してきたブラッドリーは、太平洋戦争の歴史について研究しているうちに、そもそも何でアメリカが太平洋地域に積極的に進出していくようになったのかについて興味を持ち始め、新作『インペリアル・クルーズ』Imperial Cruise を執筆したという。

アメリカ合衆国は、建国以来、西へ西へとフロンティアを拡大していき、太平洋に到達しフロンティアの消滅を宣言した1890年代以降は、海軍力を強化して、さらに西へと積極的に海外へと進出していく。まさにそうしたアメリカの帝国主義時代を最も象徴する大統領が、1901年にマッキンリー大統領暗殺に従って副大統領から大統領へと昇格したセオドア・ルーズベルトであろう。セオドア(テディ)・ルーズベルトは、テディ・ベアの生みの親として、また日露戦争の講和条約、ポーツマス条約の立役者としても有名である。そして、そのセオドア・ルーズベルトが1905年に派遣したアジア視察団の航海が、本作のタイトルである「インペリアル・クルーズ」Imperial Cruiseと呼ばれていたのである。尚、「インペリアル・クルーズ」の船はマンチュリア(満州)号という名前である。後の満州国建国への布石となるポーツマス条約締結のわずか2カ月前に東洋へと旅たった船の名が満州というのは、偶然とはいえ、どこか象徴的でもある。

さて、ルーズベルトは陸軍長官タフト以下、上院議員7名、下院議員23名、その他大勢の文官、武官をインペリアル・クルーズで派遣した。後にアメリカ大統領となりドル外交を展開するタフトは、ルーズベルトの特命使節として、また、後のジャクリーン・ケネディのようにマスメディアに愛された、ルーズベルトの愛娘アリスのお目付け役として、マンチュリア号に乗り込んでいた。19057月5日にサンフランシスコを出港したマンチュリア号は、ハワイを皮切りに、日本、フィリピン、香港、中国へ寄港する。この航海の最大の目的は、わずか6年前に植民地となったフィリピンを始めとする。太平洋地域での米国の地位を確固たるものとするために、日本と交渉することであった。ルーズベルトは合衆国憲法に違反していることを承知の上で、必要ならば秘密協定を結ぶことも容認していた。かくして、タフトは日本の桂太郎首相との間で、桂タフト協定を結ぶこととなる。

米国は極端な白人至上主義の国であった。彼らにとっては、世界中で最も優秀な民族であるアーリア人の中でも、混血という間違いを犯さずに純潔を保ち続けているのがアメリカ人であり、そのように選ばれた人種であるアメリカ人には、太陽が昇るところに文明があるという考えのもと、西へ西へと文明を伝えていく使命が与えられていると考えていた。こうして、自分たちが築き上げた民主主義を広めることが、アメリカ合衆国という国の存在理由になっていった。その考えは西部開拓時代からイラク戦争に至るまで、歴代のアメリカ政府の考え方に綿々と受け継がれている。そのような米国にとって、アジアはキリスト教も知らない未開の地域であり、アジアの国々は交渉相手ではなく、優秀なアメリカ人が慈悲深く教える対象であった。さらに、当時の新聞の挿絵を見ればよくわかるが、アメリカ人の大半はフィリピン人とアフリカ人の区別がついていなかったようである。アメリカ人にとっては、アジア人が白人でないということが重要なのであり、白人でなければ、黄色人種でも黒人でもどちらも同じ様なものだったのだ。

しかし、明治維新以降、急速に西欧文化を取り入れて日清戦争に勝利した日本に対して、米国は他のアジア諸国と少しばかり違う接し方をしていた。米西戦争以後、ハワイ、グアム、フィリピンと、太平洋を西へと進出していったアメリカであったが、中国やアジアへの進出に関しては、他の西洋列強に大きく立ち遅れていた。そこで目を付けたのが、旭日の勢いのように見えた日本である。アジア地域においては、日本と手を打つことで、西洋列強諸国を牽制しようとした。米国のこうした政策には、ルーズベルト大統領個人の趣向も影響していたのであろう。ルーズベルトは、後に日露戦争講和条約でルーズベルトを引き出すことに成功した金子堅太郎とハーバード大学の同窓会で知り合って以来親交を交わしていたし、金子から贈られた新渡戸稲造の『武士道』を読んで深い感銘を受けていた。ルーズベルトは日本贔屓であった。

もちろん、アジアにおいて米国が日本と手を結んだ理由はルーズベルト個人の嗜好に集約されるだけではない。独立以来、米国は孤立主義を取っていた。それを端的に表しているのが、1823年に米大統領モンローが提唱した、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸の相互不干渉政策、いわゆるモンロー主義である。これはもともと、南北アメリカの各国家は、主権国家としてヨーロッパ諸国の干渉を受けるべきではないという考え方であり、常にイギリスを始めとする大西洋の彼方のヨーロッパからの介入に悩まされていた米国にとっては、必要不可欠な政策であった。ところが、フロンティアが消滅した1890年頃になると、米西戦争でスペインを破ったことを皮切りに、力をつけた米国はモンロー主義を捨てて太平洋に進出して行くことになる。しかし、既にアジアの分割競争においては、完全に他の西洋列強の後塵を拝し、新たに入る余地がほとんどなかった。そこで、門戸開放政策なるものを掲げ、中国を列強諸国間で分割するのではなく経済的な機会均等を図るべきだと主張し、アジアの勢力均衡を望むべく日本と手を結ぶようになったのだ。

この時点で、米国はかつての仇敵イギリスと、ある点では利害が一致するようになる。実際、三国干渉により満州を抑えたロシアを防ぐために英国は日本と日英同盟を結び、米国は門戸開放政策に反するとロシアを非難する。そしてルーズベルトは、日本が積極的にアジアに進出して植民地を持つように唆す。日露戦争に辛くも勝利した日本は、「インペリアル・クルーズ」の10年後、第一次世界大戦がはじまると南洋諸島に進出、駐在していたドイツ軍を追い払い、植民地化しようと企てる。そして戦後、ウィルソンが提唱した国際連合の規定に従い、南洋諸島は日本の委任統治領となるのである。朝鮮、満州、南洋諸島と続く日本の帝国主義政策は、米国と歩調を合わせ、米国の同意のもと行われたものであった。これはルーズベルトが個人的に日本を信頼していたこととも関係があったが、ルーズベルトの死後、アメリカは日本を特別視しなくなっていった。それはパリ講和会議で日本は五大国の一つに数えられながら、牧野伸顕が人種差別撤廃案を主張した際に、米国の横やりで採択されなかったことからも伺える。進歩的自由主義を主張していたウィルソンも、その主張は白人のみを対象としたものであったのかもしれない。

もっともルーズベルトは、他のどの大統領よりも典型的な白人至上主義者であり、日本はかつての南アフリカのアパルトヘイトのように、「名誉白人」と見做されていたに過ぎないとも見て取れる。彼の外交政策は、まさにアメリカの伝統を汲んだ白人優越主義の延長でもあった。米西戦争以後、ハワイ、グアム、フィリピンとスペインを追い出していったアメリカは、帝国主義への道をまっしぐらに進んで行く。この米西戦争の指揮により、ルーズベルトの名が一躍有名になったのは、象徴的とも言えよう。そのようなルーズベルトにとって白人は常にナンバーワンであり、アジアにおける日本はアングロサクソンに忠実な追従者として、白人を助ける役割を期待されていた。

 それでは、大韓帝国ではどうであったかというと、アングロサクソンの追従者としての役割さえ期待されていなかったようである。韓国の皇帝高宗は米国の口約束を信じ切っていたが、いざ韓国に日本軍が干渉して来た際に米国に泣きつくと、「東京を通して話を持ってきて欲しい」と言われてしまう。このエピソードにはアメリカのアジア政策の基本スタンスが端的に示されている。インペリアル・クルーズの最大の目的であった日本との密約、いわゆる桂・タフト協定では、米国は韓国が日本の影響下に置かれることに合意しており、米国にとって韓国はしょせん取引の材料でしかなかったことがよくわかる。

日本の力を恐れたルーズベルト

ルーズベルトは、白人ではなく、故に民主化されていない民族でありながら、急速に西洋文明を取り入れ、日本海海戦では白人のロシアを打ち破った日本を恐れていた。正確には、日本が南へ矛先を向け、手に入れたばかりの植民地フィリピンが脅かされるのを恐れていた。そこで彼は、フィリピン視察のための「インペリアル・クルーズ」という名の下、タフトを日本に派遣し首相兼外相の桂太郎との間で密かに協定を結ばせることとなる。

この桂・タフト協定の要点は、以下の3点に収斂される。

1.日本は、既にアメリカの植民地となっていたフィリピンに対するアメリカの支配を認め、それを歓迎する。

2.アメリカは、日本が韓国に対して指導的地位にあり、独占的な権限をもつことを承認する。

3.極東の平和は、日本、アメリカ、イギリス3国による事実上の同盟によって守られるべきである。

折しも日本海海戦には勝利したものの日露戦争は膠着状態となり、日本側の働きかけでルーズベルトによる日露講和条約の斡旋工作が佳境に入っていた時期であったため、日本に立ち寄った「インペリアル・クルーズ」のタフト一行は、天皇陛下を始めとする日本の人々に熱烈な歓迎を受ける。タフトと交渉に入った桂は、日露戦争の直接の原因は韓国であり、韓国政府を日本の統治下に置くことがアジアの勢力均衡へとつながると主張。ポーツマス条約に先立ってアメリカに日本の韓国支配を承認させ、代わりにアメリカのフィリピン領有を日本は積極的に支持することを約束する。時を前後してイギリスは日本と第二次日英同盟を締結し、インドと韓国というお互いの勢力範囲を保障しあう。こうして、韓国もフィリピンも、そしてインドも蚊帳の外におかれた状態で、東洋の平和は日米英で維持するという3極構造が取り入れられ、日本はアジアにおける新たな役割を果たすこととなる。

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 ルーズベルトは金子堅太郎の頼みに応じて、この桂・タフト条約の約1カ月後に日露戦争を終結させるポーツマス条約を仲介することになるが、日本を贔屓し、アジアにおけるアメリカの番犬代わりにしようと考えていたルーズベルトも、この時期から日本に対して警戒を抱き始める。さらにこの後、中国にも変化が生じる。当時の清帝国は「眠れる獅子」言われていたが、大陸横断鉄道建設に来た中国人を見なれていたアメリカ人は、黄色人種である中国人を、白人である自分立ちよりも劣る文明化されていない人種と見做していた。彼らはそんな清の国内で、ナショナリズム運動が現れるとは夢にも思っていなかったのだが、孫文が登場し中華民国が誕生すると、米国は衝撃を受ける。

こうした、自分たちとは違う黄色人種であり力もなく中性的と見做されていた日本人や中国人の興隆は、彼らとアメリカ人との間に摩擦を生み出していく。特に、日本が日清戦争日露戦争で勝利し、欧米列強に匹敵するほどの国力を持つようになると、アメリカ人の間では、黄色人種に対する警戒感・恐怖感が高まり、災禍をもたらす黄色人種といういわゆる「黄禍論」が語られるようになる。その矛先は移民の多かった日本人と中国人に向けられ、米国内における中国人排斥法や排日移民法など露骨な立法として具現化された。一連の排日移民法が最初に施行されたのはルーズベルトの時代であったが、ルーズベルト個人は排日移民法的な法律を撤回させるなど、まだ日本を擁護していた。しかしルーズベルトの後を継いだタフト以後は、黄色人種をあからさまに差別し始める。先にも述べたが、第一次世界大戦後のパリ講和会議で、日本が提唱した人種差別撤退法案が、米英の反対で否決されたのは象徴的であった。お互いに協定を結び、3国でアジアの平和を維持すると言っていた日米英の3国だが、日本はしょせん「アングロサクソンに忠実な追従者」に過ぎなかったのであろう。

米国の本質は白人優越主義にあり

この白人優越主義こそが、アメリカ合衆国の根源となっている思想の一つであり、これが太平洋戦争の遠因になったことは各所で指摘されている。また、太平洋戦争末期、アメリカは日本に原爆を落としたが、これはどう言い訳しようと、これは日本が白人の国家でなかったからであろう。さらに、ビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行った際には、日本の第五福竜丸が「偶然」通りかかって船員が被ばくした。ちなみに、ビキニ環礁は日本の元委任統治領であったマーシャル諸島に属し、高齢者の島民には日本語を解すものもいる。また現在でも、こうした白人優越主義は欧米中に色濃く残っている。例えば、ビルダバーグ会議には白人以外は入ることはできないし、ユダヤ人であるロックフェラーは財団への日本人の参加を認めるようにオランダ女王に進言したが、白人ではなかったため受け入れられなかったという。

ところで『インペリアル・クルーズ』では、米国によるフィリピン人の虐殺についても言及されている。フィリピンは米国がスペインから奪った植民地であり、フィリピン統治は血塗られた歴史でもあった。ブラッドリーは、アメリカのフィリピン植民はインディアン虐殺と同じ構図であることを浮き上がらせている。フィリピンでのアメリカ人行動原理を端的に示すキーワードはbenivolentという言葉である。日本語では「慈悲」とも訳されるが、本来の意味は「言うことを聞く者には慈悲が与えられる」という意味でもあり、それは、言うことは聞けばキリスト教を伝えて文明を教えるが、ダメなら殺しても問題ないという考え方につながる。実際、フィリピンのアメリカ支配以来10年余にもおよぶ米比戦争では、少なくとも30万人以上のフィリピン人が虐殺されたという。フィリピン独立政府を作ったアギナルドは、韓国の高宗と同様、アメリカの口約束を信じて文書を交わさなかったがゆえに、結局はアメリカとの戦争へと突入し、逮捕される。タフトはフィリピン総督でもあったのだが、フィリピン人が独自に政府を作るにはあと100年はかかると見做していた。また、「I shall return」と言い残してフィリピンを去った後、日本に復讐を果たし厚木に降り立ったGHQ司令官ダグラス・マッカーサーの父、アーサー・マッカーサー・ジュニアもフィリピン初代総督を務めたことがあったが、フィリピン人に対してタフトと同様な見解を抱いていた。それはハワイ支配でも同じで、米国に賛同する連中を集めて王朝を倒して共和制を樹立したのち、ハワイ人だけでは自治をする能力がないと判断して米国が結局合衆国に併合してしまう。ハワイを皮切りに、グアム、フィリピンへという米国の植民地政策は、フロンティアを西へ西へと広げていった西部開拓史の流れに位置付けることができる。そして、米国の歴史そのものでもある西部開拓史自体が、ネイティブアメリカン虐殺の血塗られた歴史でもあったのだ。

これからの日米関係を考えるには、アメリカという国家の内在的論理を詳細に研究し分析する必要があるだろう。それは政治問題だけにとどまらず、経済、社会など対象とすべき分野は多岐に亘る。言わずとしれたことだが、今年の初めから突如噴出したトヨタのリコール問題にしても、対応のまずさ云々よりも、米国内における内在的論理を熟知していれば、防げはせずともそれが広がるのを最小限に抑えることができたかもしれない。ただしそれは、アメリカの大学院に留学しMBAを取得し、「アメリカンスタンダード」なるものを日本に適応し市場原理主義を推し進めるという意味ではない。日本を否定しアメリカの常識を取り入れるのではなく、真摯に且つありのままにアメリカという国家を観察すること、そしてアメリカ人の考え方を日本に適用するのではなく、その内在的論理を分析することが、これからの日本には必要となるのではないか。ちょうどセオドア及びフランクリンの2人のルーズベルトの時代に、アメリカ人が日本を研究しつくしたように。そしてそれは、グローバル化の波にさらされている日本企業にとっても、最優先で取り組むべき課題であると言えよう。

ジェームズ・ブラッドリー氏にメールで連絡したところ、その返信には、「私は、米軍が日本を離れることを推奨する。沖縄を日本に返す時期だと思う」とあった。同感だ。奄美大島弥徳之島は、昭和28年に返還したが、沖縄は基地付きで、全面返還していないのだ。

大東亜共栄圏、名誉白人の役割などに、思いを致して、明治以来の日米関係を再考して、自立・自尊の日本を実現する好機である。片務条約を同盟と呼ぶ主従関係はいらないのだ。

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