Standing Army 2
下記の評論は、当方ブログの知人である、イタリア政治史の専門家が執筆した原稿である。映画の予告編へのリンクは、以前に掲載している。
Standing Army=常備軍。戦時・平時を問わず編成される軍隊であり、近代国家においては、戦時に大量動員する大衆軍の基幹としての役割を果たしてきた。第二次世界大戦を圧倒的な軍事力で勝利したアメリカ合衆国は、続く冷戦時代、ソ連を「封じ込」むため世界中に常備軍を配置し、その圧倒的な軍事的プレゼンスを背景に覇権国家への道を突き進む。一方、在外米軍を受け入れた国々では、米軍の存在が政治的・社会的・経済的なさまざまな問題を引き起こしている。そうした国の一つに、イタリアがある。ここでも例えばヴェネト州ヴィチェンツァにある米軍基地の拡張計画などは、地元の自治体や市民との摩擦を引き起こし、政治的・社会的な問題となっている。そのイタリアで、2010年、その名も『Standing Army』というタイトルのドキュメンタリーフィルムが発売された。制作はイタリア・ローマのEffendemfilmという無名のインディーズ系映像プロダクションであるが、在外米軍の典型例として、沖縄、ディエゴ・ガルシア、コソボなどを取材し、説得力のある映像で世界中に散らばる在外米軍の本質に迫る作品になっている。
折しも日本では、発足から半年余が経つ民主党政権が、普天間飛行場移設問題で揺れに揺れている。普天間は自民党政権時代から日米関係における懸案事項の一つであった。既に決定済みと見られていた辺野古(キャンプ・シュワブ沖)への移設案は、座り込み運動のみならず海上に櫓まで組んで抵抗する反対運動に遭い、環境アセス調査すら満足にできていない状況である。この辺野古移設案に伴うリーフの埋め立て工事は環境にも影響を与え、東アジアでは珍しいジュゴンを始めとした、付近の生態系を脅かす恐れがあることは、本作でも描かれている通りである。
とはいえ普天間飛行場は住宅密集地帯の真っただ中にあり、60年以上に亘って様々な問題を引き起こしてきた。2004年には沖縄国際大学へ米軍ヘリが墜落したが、それも氷山の一角でしかない。米軍に土地を奪われた元地主や辺野古沖及び高江ヘリパットで米軍反対運動を行っている人々へのインタビューからは、現地の人々を無視して米軍がいかに理不尽なことを行っているかがよくわかる。その一方で、米軍が使用する土地の地代を当てにしている地主[i]や新たな基地工事の受注を期待する地元沖縄の土建業者などもおり、沖縄全体が必ずしも米軍基地反対で統一されているわけではない。普天間飛行場移設問題は、地元の民意と利権に、後述する米軍再編問題が関わった複雑な問題であり、容易に解決がつきそうにない。
そうした現状を打破するため、民主党は2009年秋の衆院選以降、辺野古沖への移設案に反対し沖縄県外移設を主張し続けてきた。しかし現実に政権を獲得した鳩山政権は、自分たちが主張してきた「公約」と辻褄を合せるのに四苦八苦。土壇場で隣の鹿児島県への移設計画を持ちだしてきた。この鹿児島県への移設計画に関して、『サンデー毎日』3月28日号[ii]に興味深い記事が掲載されている。そこでは鹿児島県の種子島近くにある馬毛島という島が、移転先候補地として紹介されている。馬毛島は1950年代には500人以上の人口があったが現在は無人島となっており、島の現在のオーナーは馬毛島を「“第二のディエゴ・ガルシア”にしたい」と述べているという。
本作でも取り上げられているディエゴ・ガルシアは、インド洋に浮かぶ環礁島であり、もともと英国領インド洋地域に属する英国の海外領土であった。冷戦最中の1966年、インド洋の抑えを重視した米国は50年期限の貸与契約を英国政府との間で締結。以来、島民は島から徐々に追い出され、冷戦終結後の現在では民間人は一人も住んでおらず、島全体が米軍専有の基地となっている。今ではディエゴ・ガルシアは、リゾート設備も完備した基地として米軍募集の宣伝にも使われる一方、元島民は英国やモーリシャスに強制移住させられ、帰還と補償を求めて英国政府に対して訴訟を起こしている。上述の馬毛島のオーナーは、島全体を米軍の専用に供するという意味で馬毛島を「“第二のディエゴ・ガルシア”にしたい」と言っているのだが、実際には馬毛島は「第二のディエゴ・ガルシア」にはなりえない。なぜなら、もともと無人島であるため、島民を立ち退かせて米軍を受け入れるという問題は起こりようがないからだ。対してディエゴ・ガルシアでは、島民が生活している場所に米軍基地という新たな要素を持ち込んできたことにより、米軍と島民との摩擦が生じた。そして島民の強制立ち退き、政府を相手取った訴訟、敗訴という、在沖米軍問題と似たような道筋を辿ることとなったのだ。
ところで、ディエゴ・ガルシアの例からもわかるように、ソ連との軍拡競争にさらされた米国は、1960年代以降、かつてないペースで軍事力を増強していった。1991年には仮想敵国ソ連が消滅し冷戦が終結するが、これによって米国の敵が消滅し、際限なく軍事力を増やす必要がなくなったわけではなかった。実際、同年の湾岸戦争を契機に、米軍は中東にこれまで以上の常備軍を展開していったのである。そして2001年、米国本土を同時多発テロが襲う。米ブッシュ政権はテロリストという新たな敵に対処するため、翌2002年頃から「米軍再編」を打ち出すこととなる。米軍再編とは、世界中に散らばっている米軍をより効率よく、より機動的に活動できるように、コンパクトに編成し直すということであったが、本作でも指摘されているように、実際には米軍再編とともに在外米軍基地の数は増加の一途を辿り、米国の国防費自体も年々増加している状況である。2009年にオバマ政権が成立すると、ヒラリー・クリントン国務長官は就任早々沖縄を訪れ、日本政府との間でグアム移転協定を結んだが、これも「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)設置以来の沖縄県民の負担削減政策の一環というよりはむしろ、世界的な米軍再編の動きの一つに位置付けられているといえよう[iii]。
それでは何が米国政府をそのような米軍再編へと突き動かしているのであろうか?その答えは本作『Standing Army』で明瞭に述べられている。即ち、new wars(新たな戦争)=military buildup(軍事力の強化)=standing army(常備軍)=military industrial complex(軍産複合体)=hidden power(闇の権力)=unbalanced interests(不均衡な利害関係)=popular disagreement(住民との不一致)=democratic deficit(民主主義の欠陥)=military power(軍事力)という構図が成り立ち、military powerは当然new warsへとつながっていく。1961年、アイゼンハワー大統領の退任演説で明らかにされた軍産複合体による米国支配の構造は、本作で指摘されている通り、冷戦後の今日においてはより強固になっているのだ。
それが最も顕著だったのは、前ブッシュ政権時代であろう。同政権では、チェイニーやラムズフェルトといった軍産複合体を体現するような人物が、常に中枢を占めていた。「最強の副大統領」と言われたチェイニーの前職は、石油関連業の多国籍企業ハリバートン社の取締役であり、コソボのボンドスティール基地関係の建設を一手に引き受けていたKBRは、このハリバートン社の子会社であったことは、本作でも描かれている通りである。同基地は、実質的に1999年から始まる米軍のセルビア空爆の拠点とするために作られたものだが、当時から、その目的に比べて、基地の規模が大きすぎる上、設備が豪華すぎると非難されていた。さらに、本作でもインタビューを受けているチョムスキーなどが指摘しているように[iv]、セルビア空爆は民族浄化の危機にあるコソボ系アルバニア人を救うために行われたとされているが、実際、それは空爆後に後付けで付けられた理由であり、空爆の目的ではなかったとも言われている。つまり、空爆のため必要だったから基地を建設したのではなく、軍産複合体の需要を生み出すためにボンドスティール基地を建設すること自体が目的となっていた、という可能性も否定できないというのだ。
それは2003年のイラク戦争についても当てはまる。イラクの大量破壊兵器は、イラク戦争の原因ではなく結果であり(もっともこの場合は大量破壊兵器が発見されず、結果にすらならなかったのだが)、ハリバートン社を始めとする軍産複合体の重要を満たすために戦争が行われたことは、マイケル・ムーアのドキュメンタリーフィルム『華氏911』(2004)などで指摘されている通りである。なぜ経済危機の時期に軍事費が増え続けているのか?という本作冒頭の問いかけには、軍産複合体の存在抜きには答えられないであろう
。
さて、イタリアで制作された本作『Standing Army』は、当然のことながら、イタリアでの米軍基地問題も取り上げている。街中に米軍基地のあるヴィチェンツァでは、2008年3月、米軍基地へ石油を供給するパイプラインから石油が漏れたことにより、付近の農業などが多大な被害を被った。それに加えて、民間のヴィチェンツァ空港を米軍の使用に供する契約を、現地の自治体の頭ごなしにイタリア政府と米国政府が結んだことに対して、ヴィチェンツァ市民が反発。大規模なデモも行われた。街中にあるヴィチェンツァ空港に米軍を受け入れるということは、既にエダール基地という米軍兵舎があるヴィチェンツァ市内にもう一つ米軍基地を作ることと同じことであり、人口わずか11万人の都市の街中に、欧州最大の米軍駐屯地が誕生することとなる。米軍基地反対派の票を得て2008年4月に市長に当選したアキッレ・ヴァリアーティは、公約通りに、ヴィチェンツァ空港の米軍使用の是非を問う住民投票を行おうとするが、イタリア最高裁によって住民投票が差し止められてしまう。このように米軍に虐げられているヴィチェンツァ市民はインタビューに答える。「我々はファシズムとナチズムとの戦いに勝利したのだろう。とはいえ、たとえ勝利したとはいえ、その代償がこれ(米軍基地の反永久的な存在)なら、まったく馬鹿げたことだ」。ここではpopular disagreement(住民との不一致)=democratic deficit(民主主義の欠陥)=military power(軍事力)という構図に、イタリア政府まで加わり、住民との間で政治的・社会的問題を引き起こしているという。
2009年、戦争と単独外交に象徴されるブッシュ政権が終わり、オバマ大統領が誕生した。オバマとともに平和と協調外交の時代が到来することを期待されているが、米国以外の世界中の国すべての軍事費を合わせても、米国一国に及ばないという現状は相変わらず続き、オバマ政権下の2010年度軍事費はブッシュ政権であった前年度よりも増えている。これは、いかに意志と能力を持つ人物であろうと、一人の人間に全てを託すには限界があり、個人一人ひとりが問題意識を持たなければ何も変わらない、ということの証しではないかと、本作『Standing Army』は主張する。そしてそれは、アジアで最大規模の米軍を受け入れている沖縄の米軍基地問題に関しても言えることなのかもしれない。
[i] 『Standing Army』では米軍に土地を接収されて虐げられた元地主にインタビューをしているが、実際は、米軍に賛成し米軍の普天間飛行場使用による地代を当てにしていると見られる地主は、地主総数の約7割の2328人に達するという。詳しくは『月刊日本』2010年3月号「振り出しに戻った普天間基地移設問題」参照。
[ii] 『サンデー毎日』2010年3月28日号、「小鳩政権土壇場の「普天間移設」-有力候補 鹿児島・馬毛島オーナー76歳 独占告白「この島を“米軍3万人の街”にしたい」」
[iii] 1995年に発生した沖縄米兵少女暴行事件に端を発して米軍駐在に対する反対運動が起きたことを受けて、同年11月に駐沖米軍施設に関する協議の場として日米間でSACOが設置される。翌1996年には橋本首相がモンデール駐日大使との間で、普天間飛行場の条件付き返還で合意した。一方、2009年のグアム移転協定では、米海兵隊のグアム移転のための資金及びグアム基地の設備費の一部を日本が肩代わりすることと、日本国内に普天間飛行場に代わる基地を作ることがセットになっており、沖縄の負担削減には直結していない。例えば「琉球新報」2009年1月29日付けの記事を参照(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-140324-storytopic-11.html)。
[iv] 例えば、ノーム・チョムスキー『お節介なアメリカ』、大塚まい訳、ちくま新書、2007年、228頁(Noam Chomsky, Interventions, 2007)参照。
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