Kuroshio 28
黒潮の流れの反流をたどり南洋群島の話をしたが、さらに南方への想像を逞しくする前に、フィリピンに触れておきたい。一六世紀にポルトガル人のマゼランがやってきて、スペインの植民地になってから西洋の影響が強く、黒潮の民の仲間に入れるのが憚られる雰囲気で、訛りの強い英語を話したりもして、アジアの独立心旺盛な雰囲気からすると異色だ。皇太子フェリペの名前に因むだけあって、スペイン時代の雰囲気が漂っているし、一方では、イスラムの教えも守られ、南部のミンダナオやスールー、パラワンなどは、支配するのに二〇〇年もかかっているから一筋縄ではいかない。
独立の英雄、ホセ・リサールは一八八八年に来日して、日比谷公園に記念像がある。明治三二年一月二一日、フィリピン共和国がアギナルドを首班として独立したが、パリ条約により統治権が米国に渡り、米比戦争の四一ヶ月間で、三〇万人が殺害された。二万人のフィリピン兵士が殺害され、民間人のフィリピン人も三〇万が殺されたというが、実際には百万人から二百万人が虐殺されたとの説もある。第二次世界大戦の五六ヶ月間での米国人死者は同じ比率の四〇万人である。米国は水責めの拷問をして、フィリピン人を太平洋の二グロと呼んだ。西部開拓史のインディアン虐殺の延長線上である。犠牲を払ったから、モロ人民解放戦線など今もなお残り、怨念は深い。アギナルドは米軍に逮捕され、旧スペイン植民地のグアム、プエルトリコと共に米国の植民地となった。
戦前多くの日本人がフィリピンに移民して、日系フィリピン人が残る。一九四一年にラウレルを大統領として独立させたのは、日本である。日本が戦争に負け、フィリピン総督の息子のマッカーサー将軍がマニラから厚木に乗り込み、その後もスービック軍港やクラーク空軍基地を放棄・撤退して、沖縄に基地を集約したのも浅からぬ因縁がある。黒潮の民のフィリピン人を虐殺した海兵隊が専用に建設した沖縄基地は、冷戦も終わり、そろそろ閉鎖するのが筋である。
フィリピンの基層の言語は南島語族と呼ばれるオーストロネシア語族の一大言語圏に属する。南島語族は、西はインド洋の反対側のマダガスカル(一七〇〇万人)から、東はイースター島(五〇〇〇人)までの広大な範囲にまたがる。この壮大な言語の伝搬は航海技術を持っていたからだ。今でも、マーシャルからパラオまで、隣の島にでも行くような気分で、一週間以上も航海をして渡る。南島の海域は台風時を除けば、波風も穏やかで、双胴船や浮きのついた帆船が星を頼りに航海する術をもっていたに違いない。フィリピンあたりでは、浮きが両脇についたトリマランの舟も珍しくなく、多島海を縦横に往来している。
ハワイは完璧な白人支配になり、たった千人しか島の言葉を話せなくなったが、昔の大型カヌーを再現したりして、日本まで航行したり、島々を巡航して見せているが、体つきで隠しようもなく太平洋の親戚である。ニュージーランドのマオリ族(一〇万人)も南島語族であり、親類である。その他、フィジーでは三五万人、サモアでは三七万人、タヒチが一二万人、トンガが一〇万八〇〇〇人、キリバスの一〇万、日本に近いグアムと北マリアナのチャモロ語が六万人、マーシャル語が四万四〇〇〇、ツバルが一万三〇〇〇、ニゥエが八〇〇〇人、ナウルが六〇〇〇人、キャロリン語は五七〇〇人が話している。
オーストラリア原住民とパプアニューギニアの高地民族とは明らかに違うから、メラネシア人とポリネシア人とは区別ができる。メラネシア民族は今もマレー半島の山岳に住んでいるから先住民族で、南島語族は海からの民である。様々な研究から、台湾の高砂族が南島語族の源流だとされている。台湾の言語は、タイヤル語、ツオウ語、パイワン語に大別されるが、アミ族の話すパイワン語は一〇万人の言語人口がある。戦争が終わり旧日本軍人が戦地に置き去りになった中に台湾からの日本兵がいたが、実はアミ族の出身で、東チモールで言葉が通じたと証言しているのは興味が深い。
インドネシアではジャワ語(七六〇〇万)、スンダ語(二七〇〇万)、マドゥラ語(一四〇〇万)、ミナンカバウ語(七〇〇万)、バリ語(四〇〇万)、ブギス語(四〇〇万)、マカッサル語(一六〇万)、アチェ語(三〇〇万)などが分布するし、旧ポルトガル領で分離独立した東チモールではテトゥン語に八〇万人の人口がある。ゲリラの間では地元の言葉を使えば外に話が漏れないから、ポルトガル語を使わずにいた。インドネシアの国語とマレーシア語とは九割方共通している。
フィリピンの共通語はルソン島南部のマレー系言語であるタガログ語(二二〇〇万)だが、セブ語(二〇〇〇万)、イロカノ語(八〇〇万)などもマレー系言語である。チャンパ王国を創ったチャム族も南島語族である。ベトナム中部(一二万)、カンボジア(二〇万から一〇〇万)、タイ、そして海南島にも、チャム語の人々がいる。
その南島語族が日本列島に渡ってきた。日本で、ツランの山幸と南島語族の海幸が出会ったのだ。(つづく)
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