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Kuroshio 29

城(しろ)という言葉は、意外にも新しい。大和朝廷が東北に版図を広げた頃には、「柵」だった。磐舟の柵、出羽の柵といった具合である。唐と新羅の侵攻を恐れて百済の技術で作った山城は城(き)と読ませる。今も、筑紫野の水(みず)城(き)が残る。土塁である。そもそも城郭都市として、壁を巡らせ、その中に人が住むのが、大陸文明の城である。客家の円樓の様に一族郎党が丸い巨大な建築建物の中に居住して、外的からの攻撃があれば、直ちに通用門を閉めてしまえば防御できる囲みをつくる。沖縄には、首里城はもとより、中城城や、勝連城、今帰仁城などが残るが、冊封の時代に北京からの使者も、琉球王朝の城の石組みの美しさに驚いているから、築城技術は大陸伝来ではない。城のことを琉球では、グシクと呼んでいる。城は漢字を当てているに過ぎない。グシクの石垣の材料は、隆起珊瑚礁の石切場から切り出された石灰岩である。地殻変動があって、柔らかい石灰岩がすっかり大理石になってしまい、トラバーチンという硬い装飾用の石ともなる。奄美の沖永良部島の田皆崎に石切場がある。沖縄本島の港川原人が発見された石切場もトラバーチンを生産する。ピンク色がかった石は完璧に大理石になっていなくても、美しい壁面の材料として不足はない。沖縄の版画家が京都での温暖化対策国際会議の記念切手を製作したときに、縁取りの色に沖縄のトラバーチンの色を用いて、手の込んだ色遣いであった。イタリアの彫刻用石材ほどの生産量はないが、日本の国会議事堂の大理石に、水分を含むと風化の早い大谷石ばかりではなく、奄美の島から切り出されたトラバーチンも使われていることは特筆してよい。イタリアが世界最大の生産国であるから、トラバーチンは、ラテン語である。

黒潮の洗う済州島にも石垣がたくさんある。季節風を遮るための石垣で、しかも、火山の溶岩からの玄武岩の重たい石や砂礫があるので、石垣を粗く積んでも、多少風で揺れても倒れない。済州島は、黒潮の影響で、半島の文明とは異なり、養豚など南方の島々の習俗と共通するところが多いが、石垣もそのひとつである。草葺きの屋根で、強い風に飛ばないように編み上げた家屋などは、南島の家屋であって、寒冷の半島の建築ではない。波照間島や、久米島の隣の渡名喜島でも、台風の強風を避けるため、地面を掘り込んだ窪みの屋敷を作り家を建てるが、その窪みの壁も立派な石垣である。世界遺産である万里の長城は、石組みではなく巨大な土塁であるから、石垣の文化とは似て非なるものである。北京は城郭都市の典型であるが、旧城壁の残る海淀区の外壁は石組みではない。黒潮の洗う島々の石垣は、大陸の城のように大きな囲いを作ってその中に住民を住まわせる発想ではなく、拠点として集中して防御する、あるいは境界をはっきりさせるための石組みである。

そもそも天下太平であれば、石垣の備えは必要ではないが、博多湾に攻め込まんとする元の軍船と対峙するために、箱崎の宮で敵国降伏と楼門に献額して祈祷するばかりではなく、土塁を作って防戦することが行なわれ、外敵の脅威が高まる中で、石垣の城壁をくみ上げる技術が発達していく。城の石垣は、材料の豊かな、瀬戸内海の周辺に発達した。小豆島に行けば、大阪城や姫路城の石を切り出した後が今も残っている。大分の国東半島の熊野磨崖仏のある小山に登る神社の参道が丸石で敷き詰められている。鬼が一晩で敷き詰めたとの伝説があるが、それほどの緊張が高まっていた可能性がある。江戸城の石は相模湾沿いの小田原や、伊豆から切り出されて、海路運ばれた。城が権力の象徴となり、徳川幕府の栄光が東照宮や江戸城に注入され反映されていることも間違いがないが、京都から仮の皇居として江戸に移ったのも、維新後の東国の平定と安寧の為であり、百年以上が過ぎても、天守閣などの再建はないが、石組みは埋もれても残る。

普天間基地問題が喧しく、グァム島への移転が言われているが、グァムも元来は、黒潮の原住民チャモロ族のものだ。赤道直下洋上にあるポンペイ島(旧ポナペ)の南東部の浅瀬に、玄武岩と石灰岩で築かれた九二の石垣島による巨大な遺跡がある。世界でもっとも巨大な海洋都市遺跡のナンマドール遺跡である。ポリネシアの東端にあるイースター島はチリ領土になっているが、白人の植民地であることが本質ではなく、黒潮文明の広がりの東端と見るべきで、巨石文化のモアイの寂しく水平線を眺める人像が残る。モアイの黒い目は黒曜石である。琉球の島々では、石垣は毒蛇の格好の住処となっていたから、ブロック壁が普及して来ているが、卵生の蛇が卵を産み、変態を重ねて、その蛇の抜殻が石垣の穴からはみ出しているのを見かけるのも希ではない。集落の石垣の角には、蛇を見つけて打ち殺す棒が立てかけてある。拝所の周りが石垣で囲まれ、クバの木が神の依代で、〆縄を張った巨石を崇め、磐座(いわくら)に神々が宿る。権威は質素な宿りだ。「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」という名言を遺した信玄公は、みずから城(しろ)を築くことをしなかった。  (つづく)

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