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Annexation Japan and Korea

今年の八月22日は、日韓併合100周年の記念の日である。月刊日本に、日韓合邦についての、優れた記事が掲載されているので、転載する。また、当方ブログに掲載することについてのご理解を頂戴したことに感謝する。

     年─封印された合邦の理想 

 本年八月二十二日、日韓併合(「韓国併合ニ関スル条約」調印)から百年を迎える。

 四月号「日韓併合百年と金玉均」で若干ふれた通り、日韓併合の現実は、興亜陣営の日韓合邦の理想を裏切るものであった。ところが、戦後の歴史観では、両者が峻別されることなく、ともに侵略的な植民地主義として断罪され、日韓合邦の理想を描いた黒龍会の志士たちは、日本帝国主義の先兵的役割を果たしたとさえ曲解されている。本誌では八月二十二日を控え、この問題を継続的に取り上げていく。

 樽井藤吉の『大東合邦論』の理想に基づいて、対等の日韓合邦運動を主導したのは、内田良平の黒龍会と李容九の一進会である。彼らの目的は、日韓合邦で完結するものではなく、当時から次の展開を考慮して満州を視野に入れていた。だからこそ、彼らは、一進会のメンバーを満州に移住させ、漸次満蒙における強固な地歩を固め、日支提携の媒介者とさせるという構想を持っていた。

 そこで、彼らが日本政府に対して満州移住資金として百五十万円の下賜を希望したところ、桂太郎首相は「その位の金は愚か、一千万円を投ずるもさしつかえない」と返答していた。ところが、日韓併合後、一進会には解散費として、わずか十五万円が下賜されただけだった。

 しかも、実際の朝鮮統治は、黒龍会や一進会の期待を裏切るものであった。黒龍会の『日韓合邦秘史』は、日韓併合の現実について、「その統治において全然韓人の民情風俗を無視し、圧迫睥睨ただその主権を頑守するの外、何等の能事を示さなかった」と批判している。黒龍会のメンバーには他国のナショナリズムを尊重しようという姿勢があった。

 今回は、この点を明確に指摘した松本健一氏(麗澤大学教授・思想史家)の講演「日本のナショナリズムについて」(三月十八日に開催された第百三回 

一水会

フォーラムでの講演)の関係箇所(抜粋)を収録する。

朝鮮民族主義を称えた黒龍会

麗澤大学教授・思想史家 松本健一

 内田良平の黒龍会は、国内的には国民の権利を守る事を主張する一方、対外的には日本の国力や誇りを主張する「革新的ナショナリズム」の組織でした。この黒龍会の前身が明治二十七(一八九四)年に作られた「天佑侠」でした。

 天佑侠は朝鮮半島で活動し、アジアを明治維新的な体制変革で目覚めさせ、李朝を変革し、欧米列強からの侵略に対抗させる為に団結する。このアジア主義も日本ナショナリズムから生まれたものでしたが、第二次大戦後の反日的な歴史観によって侵略主義として断定されてしまいます。

 天佑侠に関して、韓国では「侵略主義者の右翼が朝鮮半島に日本が勢力を伸ばす為に進出した」と紹介されていますが、歴史的経緯を辿れば、明治二十七年に「東学党の乱」が、そもそも朝鮮半島で勃発しています。

 当時の李氏朝鮮は中国清朝、ロシアの力に従属しており、福沢諭吉は「朝鮮は開化党を作りナショナリズムを起こして独立し、近代的政府を持つべきだ」と、開化派政治家だった金玉均らを応援していました。

 その様な状況下で生まれたのが「東学」であり、「西学」つまりはキリスト教=西洋文明に対する恐怖心、抵抗の念から生まれた思想でした。彼らは農民を搾取する李朝政府に対し反乱を起こします。

 反西洋、そして反李朝でもある東学党は、一方で日本にも警戒し「斥倭洋」をスローガンとしていましたが、この東学党に接近したのが天佑侠でした。東学党の乱を「朝鮮の維新」だと見なし、この反乱を応援する。そうすれば、彼らに続いて日本の軍隊が出動し、最終的には李朝の宗主国・中国清朝との決戦になる。結果としてはその通りになり、日清戦争の導火線ともなったのですが、天佑侠は「日本軍を朝鮮半島に引き入れる役割だった」とのみ見なされてきました。

 東学党の指導者・全琫準も「彼ほどの斥倭洋の人物が日本の侵略者と出会うはずがない」と決めつけられ、全く研究されていませんでした。しかし、韓国の歴史観も前述の様に変化し、「何故日本人が朝鮮半島に来て東学党に接触しようとしたのか」と客観的に捉えられる様になります。

 天佑侠にはまず内田良平ら玄洋社の系統が三分の一程、釜山に集まった大陸浪人、そして大井憲太郎ら朝鮮改革運動の人々が加わっていました。その内田良平ら十四名が中心人物となって後に黒龍会を創設します。そして東学党の乱後、彼らが提携したのが、日本と結んで朝鮮国内に開化を成し遂げ、清国と西洋列強からの独立を目指そうとする「一進会」でした。彼らは黒龍会と「日韓合邦運動」を始めます。

 これは日本が朝鮮(一八九七年に韓国と国号を変更)を植民地化する「韓国併合」ではなく、日韓が対等に一つの新しい国を作る事を目指したアジア主義的な運動で、樽井藤吉以来の「大東国」構想が根本にありました。

 しかし日本国内では直接的な韓国植民地化を望む声が強く、初代韓国統監・伊藤博文に対し、当時東京帝大教授だった新渡戸稲造らが「韓国の文明開化には我々学者、技師、知識人を派遣して、日本人の手によって進めるべきだ」と迫りますが、伊藤は「韓国には長い歴史と独自の文化があり、その誇りを持った民族を日本人が文明開化してやる発想はおかしい」と断ります。伊藤は「韓国併合は考えていない」と自治を認めようとしていましたが、満州ハルビンで安重根によって暗殺されます。彼の最期の言葉が「馬鹿な奴だな」でした。彼は日本人の中で一番、韓国の自治はおろか独立運動まで認め、彼らに近代化を任せようとしていたのに、独立運動家が彼を殺してしまった。

 そして「韓国併合」は明治四十三(一九一〇)年に現実になります。一進会の中心人物李容九は内田良平に手紙を送り、「あなた方が言っていた事はこういう事か。我々は騙されたのか。それともあなた方も騙されたのか」と悲痛な思いを述べました。この李容九の息子は日本に住み、日本で活動をしていました。名を「大東国男」といい、「大東国の男」という意味でした。大東さんは昔、私の『思想としての右翼』を読み、感心したと言う事で頭山満の孫である頭山立国さんの事務所で会い、その時に先の李容九からの手紙の一文を読んでくれました。

 さて、黒龍会の創立メンバーの一人に吉倉汪聖という人物がいます。彼は大井憲太郎の朝鮮改革運動の一派で、黒龍会『会報』等に寄稿し、「釜山貿易新聞」等の新聞社の社主を歴任しました。大陸に在住していたので、日本のナショナリストとしては名を知られていません。

 彼の友人には北村透谷が居り、透谷から「私の最も高尚にして、純粋な友人」と紹介されています。吉倉汪聖、北村透谷は明治元年生まれ、内田良平の七歳上です。

 吉倉汪聖が、黒龍会の機関紙『会報』に寄稿していました。これは『黒龍』以前に存在していた機関紙で、学者が調査を怠っていたせいで三十年前その存在が知られていませんでしたが、私は吉倉汪聖の遺族から貰い受ける事ができました。会報を貰った三十年前は気が付きませんでしたが、後で読み返した所、重大な事が書いてありました。

 『会報』に彼が書いていたのは「徐楽斎(ソラクチェ)」に関する文章でした。徐楽斎は豊臣秀吉の朝鮮出兵に対し、パルチザン的な戦法で日本軍と戦った朝鮮側の知られざる武将です。彼が残した『陣中日記』を、吉倉汪聖が明治三十四年に読み、『会報』で取り上げています。

 秀吉の朝鮮出兵に対抗した朝鮮側の海の将軍に李舜臣という英雄が居りますが、「徐楽斎は李舜臣と並び賞される将軍だ」と書いています。しかし、徐楽斎は日本では全く無名であるばかりか、韓国でもここ百年あまり「地方の儒学者」として紹介されるだけの存在でした。近年「徐楽斎全集」が刊行され、注目を浴びておりますが、この百年間は吉倉一人が徐楽斎の存在を知っていた事になります。

 彼は「豊臣秀吉の朝鮮出兵は日本民族にとっては誇りである。しかし秀吉の出兵に対してついに冦を斥け朝鮮の家国を全うするに至るもの、実に徐楽斎をもって首功に推す」と書き、秀吉の侵略を退けた功績は彼にあると評価しています。

 「太閤の偉業は必ずしも破れた訳ではないが、徐楽斎の功績は日本軍の侵攻を妨げ、祖国を救うものだった」とし、東学党の首領、全琫準に匹敵する「朝鮮民族の誇りを表した英雄」としています。吉倉はナショナリストであり、ナショナリストであるからこそ、日本のナショナリズムを認めるだけではなく、それに対抗した朝鮮のナショナリズムも評価しなくてはならない─と考えていました。

  タイトルは演題とは別に編集部でつけました。

豊公征韓朝鮮義軍大将陣中日記の序

王星

 吉倉汪聖(ペンネームは「王星」)は、黒龍会『会報』第一集、明治三十四年三月十日に「豊公征韓朝鮮義軍大将陣中日記の序」を寄せ、『会報』第二集、明治三十四年四月十日に陣中日記を四頁にわたって掲載した。以下は「豊公征韓朝鮮義軍大将陣中日記の序」である。

 全琫準、脚を湖南の一僻陬に挙げて、全羅一道の東学党、蜂の如く憤起し、連城連邑、師を迎えて降を容れ、五十六州又た王令を奉せず、八路の天下、物議騒然として人心恟々たり、是の時に方り、閔泳駿、権を廟上に握り、妖妃、宮中より之を援け、百司百官其一族ならざる莫く、威福、栄禄、前古又た比すべき稀なり、然るに阿房宮の土工未だ成らずして陳呉の大兵既に江南より逼り、鎮討人なく、反正材を得ず、閣臣色を失い、軍議区々処する所を知らず、姑息の策乃ち此間より生じ、終に大清の救兵を乞い、之に依り以て一時の安を愉まんと欲す、何ぞ図らん、倭奴の国一団の侠骨児あり、星夜艇を飛して突然馬山浦に上陸し、昌原の山中、数塊の爆薬爆裂薬を奪い、健馬快駆、意気揚然として全琫準の営を敲く、淳昌郡下、乃ち之に説くに興国安民の大義を以てし、三日三夜の大宴、肝胆を披瀝して済衆の急務を論ず、世に伝えて天佑侠と称するもの即ち是れなり、然るに惜い哉、侠徒の義軍を去って後ち未だ数句ならず、全琫準俄然順逆の道を誤り、其向背の法を失し、覇業一跌、羞を包んで復た起つに至らず、竜山江頭終に梟首の人となる、英雄の末路も亦太だ憐むべからずや

 全琫準は誠に近世の英雄なり、既に英雄たり、其末路の順逆は何ぞ問うを用いん、況んや彼の威名、遠く海外に響き、其洪業、一時世人の伝称する所となれるに於てをや、琫準たるもの、当に微笑を含んで泉下に眠るべし、然るに茲に人あり、其功業必らずしも彼に譲らず、其忠義の精神却て之に優り而して其威名甚だ後世に、伝わらざるものあり、之を琫準に比し、更に一段の不幸を加うるものとせざるべけんや、白頭山南、対馬峡北、古来極めて人なきを称す、尚お幸にして近時琫準の以て国人の気力を代表するあり、往昔に在りては即ち当に徐楽斎を推すべし、而して共に是れ今古義軍の大将として世に立ち其志を行いたる者なり

 徐楽斎は今を去ること三百年前に生、嶺南達城の人なり、彼れ始め儒を以て立ち、人物を以て名あり、郷党之を崇拝すること猶お神の如し、然れとも時勢其人に適わず、優然草野の間に遊んで官の徴命に応せず、僅かに子弟薫陶の労を取り、隠君子を以て一世を終らんと欲するものに似たり、唯夫れ何如せん、倭人の襲来は俄かに七十二州の騒擾を惹起し、鳥嶺関鎖さず忠州城守を失い、君主蒙塵、松都に走り、而して一人の義を唱えて国命に赴くもの莫し、由来嶺南は義人烈士の叢渕と称する処、新羅朝の武威実にここに在り、而して今や秋風落莫、先人の名を辱むるとも亦甚し、温厚彼の如しと云えとも豈に夫れ黙して止むを得んや、況んや郷党の推戴して免るるを許さざるあり、彼乃ち起って衆を慶尚道公山城畔の桐華寺に集め、血を雪いて義の為めに誓をなし、檄を飛ばして与人を招く、太閤の偉業は必ずしも彼の為めに破れずと云えとも、其倭軍の粮路を扼し、進退の便を妨げ、終に冠を斥け家国を全うするに至りたるもの、実に徐楽斎を以て首功に推さざるべからず

 所謂る公山城は慶尚道の中央、大邱、漆谷両府の間に在り、一脈の山勢、小白より延蜿して此処に至り、京釜来往の大路を中断す、洛東大江之が西に流れ、達城の平原、其麓を繞る、誠に天下要害の形勢を占めたり、徐楽斎乃ち此好地形に拠りて軽進の倭軍に当り、其地理不案内を利とし、逸を以て労を撃ち、寡を以て衆を悩ます、作戦能く其法を得たるものと云はずんばあらざるなり、世に李舜臣当時の海戦を称するもの多し、然れとも之を徐楽斎に比すれは、他は兵船共に始めより優勢を占めて以て其敵に向いたるもの、是は志気阻喪の世百敗の残卒を率いて精鋭の敵と相対せるもの其の難易豈に尋常の差ならんや、嗚呼徐楽斎微りせば李氏今日の天下なきも亦知るべからざるなり

 我れ嘗て古人の功業を慕い孤剣飄然、秋草を踏んで、公山の城に上る、城畔鷓鴣飛んで断碑僅に残り、壁塁、楼門又た見るべき莫し、唯桐華寺の瓦棟依然として旧様を伝うるあり、院僧迎えて当年の事を説き、且つ近時の変遷を序す、言詞明晰記すべきもの多し曰く、徐楽斎は忙中閑日月を有する人、陣中未だ嘗て手に史書を放せるとなし風采又颯爽として威厳を存し今日の全琫準を見るが如し其人心を率いるとも両者相同じからん、唯徐は順を以て終え全は遂に逆の名を蒙る、資性相同じと雖其境遇相異なればなり、僧又曰く、弊寺に古宝あり、本と徐楽斎の手記に係ると云う、院南石庫の地、今之を厳せり、敢て遠来の客の為めに其秘を発き以て待接の礼を尽さんと欲す、可ならん耶、余乃ち乞うて其秘書を見るに、当時百戦忽悾の中、徐楽斎自ら筆を執って行陣の様を序したるもの、取って我征韓史の欠漏を補うべきもの多し、顧うに徐楽斎一世の志は斥倭の二字に尽き、全琫準終生の憾は安民の事に帰す、古今時既に異にして人固より同じからず、と雖も機運順環の際往々偉傑を生ずるは東西皆然り、徐楽斎豈に独り伝なかるべけんや、是れ即ち之を転訳して世上に公にする所以なり(つづく)

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