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Kuroshio 31

黒潮文明の象徴「芋と裸足」と題する。

芋と裸足(はだし)とは、黒潮文明の貧困の象徴とされる。隆起珊瑚礁の水はけの良い台地には、田に水を張ることが難しいから、天水を頼りに、芋を植えるのだ。粟などの雑穀もあるが、主食にするほどの収穫はないから、芋を食べ続ける。砂糖黍が植えられて、現金収入が定まっても、年に一度のことであるから、米の飯に、芋を混ぜて増量することは珍しくなかった。芋の葉も食べる。古生代から黒潮文明圏に生き残った植物である蘇鉄は、赤い実を結んで、雨が少ない年にも、痩せた土地にも根粒細菌が根に共生していてちゃんと生えるから、芋もとれない大旱魃の年に救荒の作物となった。実に毒があり、干して晒して、粉にして食べる面倒さがある。勿論、微生物の力を借りて無毒化した蘇鉄の実(なり)を原料にした蘇鉄味噌は結構な味であるが、豊かな主菜、副菜を当てにする時代の考案で、凶作の米の代わりではなく、特産品か珍味である。間違って食べると、蘇鉄には毒があるから地獄を見る中毒症状が出る。日頃食べない蘇鉄の実を常食にする飢饉の時の「蘇鉄地獄」は、黒潮の島々の極貧の表現でもある。黒潮の洗う海岸に蘇鉄は自生するから、文明の境界を見分ける印にもなる。尖閣に蘇鉄があるかとのご下問は、なお重要である。グァム島近辺の島で、蘇鉄からとったデンプンを主食にしたら、サイカシンという毒成分が筋萎縮を引き起こすらしく、独特の病気を発生させた。沖縄では牛が蘇鉄の若芽を食べて、毒が回った例も報告されている。本土の三重の学校の実験で、蘇鉄の実を焼いて食べて中学生が中毒を起こしたとの話もある。毒蛇(ハブ)が蘇鉄の実を食べながら、幹にとぐろを巻いて絡まる姿があるが、「赤い蘇鉄の実の熟れる頃~♪」と田端義夫が歌ってヒットした歌謡曲「島育ち」の歌謡曲は蘇鉄の実が可憐どころか、猛毒の妖艶な気配になることを想像させる。蘇鉄は成長しても八メートルぐらい、高木にはならないからビロウの木のように神の降る依代(よりしろ)にはならないが、毒気を除けば急を凌ぐ食物になる。平常時は、毒蛇(ハブ)の餌にして放っておく知恵を伝える。

 芋の対である裸足(はだし)は、土足ではない。黒潮文明の健康と健全を示している。履物を履いたままで、家の中に入らない、家の中では履物を履かない。ビーチサンダルという履物があるが、横文字ながら日本で発明されて、世界に普及している。鼻緒があっても、下駄とは違って、右左の区別がある。西洋人も加わってゴム会社の技師が製品開発をした様で、元々は、黒潮文化の中の履物である、サバを現代化した製品である。サバは、珊瑚礁の砂浜の海岸に自生するアダンの葉を加工して編んだ草履(ぞうり)である。高温多湿の気候にふさわしく、足を全部くるむ必要がない気候の中での履物である。乙姫サンダルとかわいらしい名前をつけた新製品もある。これは女性用に飾りをつけた鼻緒のあるサバの一種である。下駄がよく日本の代表的な履物のように言われるが、古くからあった水田の沼地に入るための工夫が発展して一般的な履物になったにしても、下駄に古い歴史はない。瀬戸内海あたりの製塩のための薪の加工品として下駄が盛んにつくられたと言うが、普及したのは、せいぜい江戸時代あたりである。東海道の旅籠(はたご)では、旅人に足を洗う水の入った桶を差し出している版画が残るが、草鞋(わらじ)の方が遙かに古くからある。草履(ぞうり)と草鞋(わらじ)とは別物であるにしても、足を縛って成長しないようにして、女が遠くまで歩けないようにしてしまう「纏足」の様な畸形を愛でる大陸の文明からは、ほど遠い。黒潮文明には、足首に性的な興奮を感じるなどという感性はまったくない。大陸の文明では、女が裸足で歩くことなど、ゴーギャンのタヒチの女なら珍しくもない、上半身裸の姿よりもはしたない行動になるようだ。

 ところが、大陸の周辺を見回すと、ミャンマーではサンダルが国民の履物であるし、マレーの文化圏では、フィリピンでも、インドネシアでも、マレーシアでも鼻緒のついたサンダルが圧倒的であり、ヴェトナムでは、戦争の遺物のタイヤで作ったホーチミンサンダルを流行(はや)らせた。タイの東北部あたりの高床式の家屋に入るのには、入口で靴を脱いで揃えて入り、床に座布団を敷いて座る。寝台(ベッド)で寝ないで、床にゴザを敷く。足をできるだけ締め付けないで、履物を親指と人差指で挟むだけで、足全体を包んでしまうことをしないで、裸足の清潔な生活をするのが、海洋アジアの嗜みと習わしである。

 木沓を履いて、玉砂利の参道を恭しく歩く姿は、北方の馬に跨がる甲冑姿の武人の鐙(あぶみ)の形に見えるが、海辺の砂(いさご)を踏みしめて素足で歩く快感には到底叶わない。確かに、裸足は寄生虫による感染の問題があり、人糞肥料のせいで蛔虫が皮膚を食い破って入り込む可能性があったし、珊瑚礁では、魚の目が足の角質に入り込む怖さもあった。日本人は農作業への往来や日常生活では、草履を履いて、土足で他人の家に入り込む沓・靴・クツ文明を脱ぎ捨てることに成功したが、またもやグローバル化の西洋往来で、足をくるんで畸形にする弊風に染まってしまった!?       (つづく)

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コメント

初代安藤広重が書かれた名所江戸百景シリーズ、小生が最も好きな浮世絵の連画ですが、彼が活動していた時代の江戸・東京が自然との共生という点で、当時世界の他の國では類が無いほど見事に人間が自然との調和を計っていたという事を、この連画を見る限りよく分かります。日本人が育んできたこの國の古来からの文明も黒潮の潮流により育まれていたという御意見は卓見ですね。仰る通りサンダル一つとっても日本人が作った物の方が日本の四季に馴染む点で、西洋式のものより遥かにこの瑞穂の國では使いやすい事は云うまでも有りません。もう二十年も前になりますが泰國の首都・盤谷市に居をかまえ部屋に飾る為の絵として、やはり広重の描いた梅雨時、江戸の橋の上を慌ただしく通り抜ける人々の様を写した版画のコピー品の装丁をシンガポールの業者に頼んだ所、是非ともこの版画絵を譲ってくれと頼まれ、断るのに苦労した事が今でも鮮明に思い出せます。中国人二世のその社長に言わせると急に降り出した雨と人とのしっとりとした情感に安らぎを感じたとの事、さすがに絵の装丁業者はよく観ていると感心しました。

投稿: tatsuo | 2010年7月21日 04時00分

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