構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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Economy on the Rebound

「kikuchi2009may.pdf」をダウンロード

菊池英博先生が、文藝春秋の2009年5月号に執筆した文章を、当方ブログが、先生の了解を得てネットに転載していた。ところが、文字をひとつひとつ書き写したので、誤字脱字があったらしい。それを、ちゃんと直して頂いた方がいて、どこかでダウンロードできるようにした。印刷して呼んだりするときには便利だろうと思うので、当方ブログでも、その便利さを活用させて頂くこととした。

それにしても、昨年の論文が全く色あせていないどころか、いよいよ説得力がある。政権交代があっても、前進どころかいよいよ後退したからに他ならない。

菊池先生の提案は優れた経済政策論である。

「内需創出国債」100兆円を発行せよ
もはや平成恐慌。泥沼から脱出する唯一の方策は?

菊池英博 (日本金融財政研究所所長)

 日本は既に「経済恐慌」に陥っている。輸出の激減と円高によって、昨年10~12月の日本の実質GDP(国内総生産、われわれの給与と企業の税引き前利益の合計と見てよい)の伸び率は、欧米諸国の2倍以上の低下を見せた。輸出だけに依存してきた日本経済の脆弱性が、顕著に露呈している。

「平成恐慌」とも言える状態に陥ったのは、この10年の「構造改革」以来の経済政策が根本的に間違っていたからだ。構造改革による内需抑制策の結果、日本は「10年デフレ」「10年ゼロ成長」の状況にあり、OECD(経済協力開発機構)加盟国の「相対的貧困度ランキング」でワースト4位という惨めな国になってしまった。いまや、雇用者の3分の1、若者では40数%が非正規社員(2,800万人)である。生活保護者は160万人を突破し、年収200万円以下のワーキングプアは1千万人を超えた。

 ところが一方で、日本は世界一の金持ち国家でもある。個人預貯金は1,500兆円におよび、このうち、300兆円を超すおカネを対外純債権として海外に貸し出しているのだ。

 本稿では「10年デフレ」「10年ゼロ成長」を招くに至った経済政策の問題点をつまびらかにした上で、日本を成長軌道に戻すための処方箋を提案していく。さらには我々が経験してきた昭和恐慌とアメリカ大恐慌の教訓から、平成恐慌を乗り越える現実的な方針を探ってみようと思う。

経済を陥没させた「構造改革」

 日本は二つの誤った経済政策を取り入れたことで、「10年デフレ」「10年ゼロ成長」を招いた。それは「基礎的財政収支均衡目標(2011年度目標)」と「金融庁の三点セットによる金融機関の締め付け(ペイオフ、時価会計・減損会計、自己資本比率規制)」である。そのベースとなったのが、新自由主義・市場原理主義という「伝染病」だ。

 伝染病に罹患した政府与党は「小さい政府」「均衡財政」「消費税引き上げ」という三つのドグマに陥った。結果として現在の日本は、緊縮財政デフレ → 経済規模縮小でゼロ成長 → 雇用減少 → 税収減 → 増税(既に定率減税廃止)→ 消費税増税という「悪魔の縮小均衡」の状態にある。抜本的な政策の変更がなければ、「20年デフレ」「20年ゼロ成長」へ向かって一段と深刻になるであろう。

 そもそもデフレとは、物価が継続して下がることである。最も的確に総合的な物価動向を表す指標はGDPデフレーターというもので、年率2~3%のプラスの時、経済は健全だと言える。

 97年、当時の橋本内閣が財政改革を断行。所得税と消費税を引き上げ、公共投資を大幅削減した。この緊縮財政によって、一挙に需要は抑制され、結果として株価は暴落。多額の株式を保有していた大手銀行は自己資本が減り、大掛かりな信用収縮を引き起こした。
この「平成金融恐慌」が起きた翌年の98年からGDPデフレーターはマイナスとなり、デフレが始まった。

 橋本内閣の後を受けた小渕内閣は、98年から99年にかけて金融安定化政策(不良債権処理)と景気振興策を実施。これにより99年度にはGDP成長率がプラスに転じ、2000年度には税収が50兆円台に戻るなど、日本経済はいったん、息を吹き返そうとしていた。

 ところが01年4月に成立した小泉内閣は、「構造改革」という美名の下に、財政・金融両面で典型的なデフレ政策を強行。成長軌道に乗りつつあった経済を墜落させてしまったのだ。

 財政面では02年度に、基礎的財政収支(プライマリーバランス)を11年度までに均衡させる目標を導入し、デフレを強化してきた。基礎的財政収支の均衡策とは、構造改革による緊縮財政で税収が激減したために、財政支出をその激減した税収の範囲内で抑えようという政策である。

 具体的に見ると、01年度から地方交付税交付金・国庫支出金の削減、02年度から公共投資の削減が始まっている。現在まで、8年間にわたってこの方針は継続され、09年度予算でも見直されなかった。「構造改革」が始まる前の00年度の水準と比較すると、8年間の削減額の累計は、地方交付税交付金で、47兆円、公共投資で13兆円、合計で60兆円になる。つまり、地方から60兆円を召し上げて、小泉内閣の緊縮財政で悪化した基礎的財政収支を11年度までに均衡させようとしてきたのである。

 過去8年間で都道府県別名目GDPの成長率を見ると、一部の地域を除いてほとんどの県がゼロないしマイナスであり、都市部との格差は拡大する一方である。とくに交付税の削減は、地方の医療費、教育費を中心とする地域の公共サービスの削減につながり、医療崩壊を招いた主因となっている。

 金融面では、前述の「金融庁の三点セット」によって金融機関を締め付けることで、デフレを助長してきた。

 なかでも「時価会計」は、保有する有価証券や不動産(含む担保物件)を、その時に取引された時価で評価しようとする方法である。時価会計の下では、株式や債券の市場価格が上下するたびに、自己資本が変動する。株価が下がり続けている状況では、金融機関の貸し出し態度はどんどん厳しくなり、融資を受けられない企業が続出するのは当然の成り行きだ。こうしたメカニズムがはたらくことで、デフレは一段と悪化して行く。

 アメリカ大恐慌のときには、1933年に政府が「金融機関に対する時価会計の適用を停止する」と宣言し、実に93年まで60年間も継続していたのである。現在、欧米では既に事実上、金融機関に対する時価会計の適用を凍結している。

 また、「自己資本比率規制」は、92年度から日本の金融機関に適用されている。しかし私は、当初から「地域銀行等には適用すべきではない」と考えていた。デフレが深刻化している時期には自己資本が減額するので、貸し出しが減少する原因となるからである。

「構造改革によって国内がゼロ成長であるにもかかわらず、その事態の大きさを隠蔽してきたのは、「円安バブル」「輸出バブル」によるGDPの粉飾であった。政府は極端な低金利と金融緩和策で、円ドル相場を円安に誘導し、円安・輸出バブルを演出してきたのだ。

 こうした政策によって、輸出企業の多い都心部や一部の地域(愛知県、三重県など)ではGDPの名目成長率がプラスになり、辛うじて日本国内のマイナス成長を防止してきた。
次第にGDPに占める輸出比率は上昇し、08年では、15~17%にも達している。
GDPに占める「純輸出」(輸出から輸入を引いたネットの輸出)の割合は、90年代では1%程度だったのが、07年には5%、金額として25兆円を超える水準まで上昇していた。

 輸出への依存度が高まっていた状況下で、昨年後半からアメリカ発の世界同時不況が起こり、各国の株価が暴落。海外需要が激減し、日本の輸出産業は大ダメージを受けた。アメリカの消費ブームは既に崩壊しており、欧州やアジアでも今後は日本からの輸入は大幅に落ち込むであろう。

 国内のマイナス成長を輸出バブルで表面だけ糊塗してきた政策は崩壊した。GDPの5%に達していた純輸出はゼロないしマイナスに落ち込み、国内の有効需要は少なくとも25~35兆円の減少となっている。「輸出大国日本」は終焉を迎えた。そして日本の「10年デフレ」「10年ゼロ成長」を招いた「構造改革」の帰結は、国内経済の陥没であった。

「日本復活5ヵ年計画」

 現下の「平成恐慌」から脱却するためには、どのような処方箋が必要なのか。ここでは次のような政策を提案したい。

 第一に、制度面からデフレ要因を根絶していく必要がある。そのためにはまず、「基礎的財政収支均衡目標」を凍結廃止し、「金融行政三点セット」の適用を廃止すべきだ。いずれも日本の現状にそぐわない、市場原理主義の発想による制度だ。政府は緊縮財政、増税路線をやめ、重点投資と投資減税による積極財政へと方針を転換する必要がある。

「三点セット」の中のペイオフは、欧米では今回の金融危機を受け、首相や財務大臣が「銀行預金は全額保護する」「銀行間の資金取引は政府保証する」と宣言しており、事実上、凍結されている。また、アメリカは自国の金融機関が危機に直面した途端、時価会計の導入を凍結している。金融財政システムの根幹から市場原理主義を一掃するために、三点セットの凍結を法制化すべきである。

 第二に、「輸出大国」から「社会大国」への転換を図るべきである。輸出中心の経済モ
デルが崩壊した日本では、内需を拡大し、内需中心の成長産業を育成していく経済モデル
への転換が求められる。「社会大国」となるには、そのベースとして、医療や年金などの社会保障制度を充実させ、国民全体に行き渡るしっかりしたセーフティ・ネットを張り巡らせる必要があるだろう。経済成長が促進される中で、社会保障費の財源が生み出される形をとれればいい。

 具体的な打開策としては、「日本復活5ヵ年計画」を提言する。これは、政府投資の30兆円と減税枠の10兆円(投資減税、定率減税復活、消費税減税)を合わせた40兆円(GDPの8%)の景気対策を毎年実施し、5年間にわたって継続するというものだ。
40兆円はすべて新規の財政支出(真水)とし、5年間で予算総額は200兆円になる。
景気が回復して税収が増加すると、初年度の財政支出は4年目から税収の増加額で戻ってくるので、5ヵ年計画の財源はほぼ120~130兆円で十分である。

 新しい成長産業として育成すべき分野は、国民生活を豊かにする社会基盤・インフラストラクチャー(社会的共通資本)の構築、自然環境の整備、教育、医療、未来を見つめた資源問題など、われわれ国民の生活を充実させる産業である。デフレで消沈している民間では限度があるので、官民が一体となり、国が大きなビジョンを出すべきである。

 また、緊縮財政で極度に疲弊している地方に対して、交付税を大幅に増加し、08年度予算で25.4兆円に落ち込んでいる「地方交付税交付金」と「国庫支出金」の合計を、00年度の34.4兆円まで早急に戻すべきである。戻ったお金で、都市部では依然として残る通勤地獄や交通渋滞の解消や、都市環境を美化し保全するための電線の地下への埋設など、G7国で最も貧弱な社会資本を拡充していくのだ。

 この計画から、次の経済成長が期待できる(『週刊エコノミスト』09年3月31日号に掲載された筑波大学元副学長・宍戸駿太郎氏の経済モデルから筆者が推計)。
①名目GDP成長率 年平均4~5%(実質3~4%)。②名目GDP金額は初年度で、530~540兆円、5年目で650~680兆円。③税収は初年度、52~54兆円、5年目70~75兆円。④政府の「純債務」の国民負担率は初年度で55~58%、5年目で42~45%に改善し、超健全財政となる。「純債務」とは政府の粗債務から政府保有の金融資産を引いたネットの債務のことだ。この中から医療費や年金などの社会保障費は、消費税の増税なしでも十分支出できる。

財源はいくらでもある

 ここまで、「平成不況」から脱却するための処方箋を提示してきたが、こうした財政支出をするための財源はどこにあるのか。実は、政府にも民間にも財源はいくらでもあるのだ。

 財務省は「日本は838兆円もの債務を抱えており、これはGDPの160%にものぼる危機的な金額だ」と財政危機を煽っている。ところが日本は世界一の金融資産を持つ債権国である。財政はどの国でも「純債務」で見るべきであり、特に日本政府はGDPを上回る金融資産(特別会計にある)を保有しているから、純債務で見ないと実態がわからない。07年末現在で「粗債務」は838兆円、「金融資産」は549兆円で、「純債務」は289兆円に過ぎない。これは名目GDP比で52%程度であって、ユーロ地域並である。海外の経済学者や金融関係者で日本が財政危機だと思っている人はいない。

 日本経済を活性化させ、税収が増える経済にするには、名目GDP成長率を毎年4~5%に引き上げる必要がある。それには政府が緊縮財政をやめて、積極財政政策に転換し、財政支出の重点を投資項目に集中させることだ。過去の経験からみて、これ以外に税収を増加させて財政赤字を縮小する道は絶対にありえない。

 そのための財政支出の財源を次のように考えたい。
①「内需創出国債」を80~100兆円発行する。
 内需を創出するために、新規に建設国債を発行する。この新国債を「内需創出国債」と名づけたい。その財源は、アメリカの国債に投資されている国民の預貯金を使う。われわれ国民の預貯金を、われわれのために使うようにするのだ。

 現在、日本が保有している対外債権のうち、90兆円は外貨準備として保有し、大部分をアメリカの国債で運用している。外貨準備は一国が経済危機に陥ったときや、急に多額の外貨が必要になったときに使うために保有している資金で、国家のために外貨を買うのであるから、中央銀行の資金で賄うのが当然だ。

 99年9月までは、外貨準備は日本銀行の資金で調達されていた。円高対策として、財務省が為替市場でドル買い(円売り)をするときに必要な円資金は、財務省が政府短期証券を発行し、それを日銀が引き受けて(買い取って)調達していた。これはどこの国でも当然のことで、国の代理として中央銀行が自らの資金で外貨を調達し、保有していたのである。

 ところが、99年10月から、政府は、外貨買取りの円資金調達のための政府短期証券を市場に売りっ放しにし、主に一般の金融機関がそれを購入することになった。こうなると、われわれ国民の預貯金が政府短期証券の購入に充てられ、政府はこの資金を使ってドル買いをして円高を防いでいる。こうして、購入したドルを政府はほとんどアメリカの国債に投資している。つまり、われわれ国民の預貯金が海外に流出して国民のために使われていないのだ。これが一因で国内経済が不活発になっている。

 今回提案する方式は、政府が新たに建設国債(内需創出国債)を発行するとともに、日銀は外貨準備のために発行していた政府短期証券を新規の建設国債と同額だけ市場で買い取る。こうすることによって、「外貨準備は中央銀行の資金で賄う」という原則に戻ることができ、「内需創出国債」は新たな国民負担とはならず、われわれ国民の預貯金で調達されたことになる。

 外貨準備の調達資金を日銀の資産に戻せば、国民の預貯金のうち外貨準備の原資分であった102兆円(07年末)は、建設国債発行のためにすぐに利用可能である。さらに、社会保障基金も大部分がわれわれ国民が拠出した資金であり、新規国債発行のための担保になる積立金である。07年末で、残高は222兆円ある。

②個人向けに「デフレ脱却国債」を20兆円以上発行する。

 非譲渡性の預金と同じ形式の、5年ものの新国債を発行し、原則5年継続で保有してもらう。これを「デフレ脱却国債」と名づける。購入者には5年後に無税扱いの10%の褒賞金か、相続人が褒賞金と同額の相続税の税額控除が受けられる特典を与える。現在、大口の相続税は土地や農地で物納されることが多い。この新国債を購入したい人に対しては、政府系金融機関が土地や農地を担保に同額の融資を実行する。高齢者がこの融資制度を利用して生前に新国債を購入しておけば、相続に際して税額控除を受けることが可能になる。

③特別会計の「国家備蓄金(埋蔵金)」のうち、50兆円程度を一般会計の投資項目に振
り向ける。

 特別会計内の「積立金・剰余金・繰越金」(06年度決算で104兆円)と外貨準備の運用益(約3~4兆円)は、本来すべて一般会計に入れて税収と同様に扱うべき利益金であり、特別会計に備蓄する必要はまったくない。これらを政府投資支出の財源として活用する。また、現在財務省が考えている、「国債整理基金」(06年度決算で34.9兆円の繰越・剰余金)の資金による既発国債の期限前買い入れ償却は止める。

 以上のようにして得た資金を政府投資にまわし、経済が活性化すれば、名目GDPも増加して税収も増える。結果として政府債務の国民負担率(政府債務を名目GDPで割った比率)が低下し、国債残高も減ることになる。

昭和恐慌からの教訓

 我々は過去、1930年1月~31年12月の2年間にわたり、「昭和恐慌」を経験している。当時の状況を仔細に分析することで、恐慌を抜け出す光明は見えてこないだろうか。

 平成恐慌と昭和恐慌を比較すると、類似点が多いことに気付く。第一に、両方ともデフレが進んでいる最中に、大蔵省・財務省の主導で均衡財政(自らのデフレ政策で落ち込んだ税収に合わせて歳出を削減する)を強行した「財政デフレ」であることだ。そして金融政策はともに引き締める方針をとった。

 昭和恐慌の指導者は、大蔵省出身の浜口雄幸首相(民政党)と、日本銀行出身の井上準之助大蔵大臣だった。30年からの2年間で財政支出を15%削減したことにより、24年から継続していたデフレ(GDPデフレーターのマイナス)が一挙に加速した。

 平成恐慌では財務省が主導して「財政改革」「基礎的財政収支均衡策」が進められた。また、竹中平蔵経済財政政策担当大臣は「市場原理清算型の不良債権処理」を行った。竹中行政では減損会計を使って不良資産を増加させることで、信用不安も起こしていないUFJ銀行を意図的に合併に追いやり、金融システムを不安定にしてしまった。さらに01年度から公共投資と地方交付税交付金・国庫支出金(補助金)を毎年削減し続け、8年間で27%(累計60兆円)も削った。09年度予算もデフレ促進型であり、恐慌の終わりは見えない。

 第二に、ともに円の対ドル相場が切りあがっている。昭和恐慌では円の対ドル相場を22.9%切り上げて金本位制(通貨の供給量を保有している金の増減に合わせる通貨制度で円を金価格に結び付ける)に復帰した。平成恐慌でもすでに円の対ドル相場は20%前後上昇し、輸出が減少している。

 第三に、昭和恐慌では、新聞・ラジオがデフレを称賛しており、平成恐慌でもマスコミは構造改革と財政危機の宣伝に熱心であった。

 第四に、昭和恐慌では金本位制への復帰が、平成恐慌では新自由主義、市場原理主義がグローバル・スタンダードであると宣伝されていた。

 第五に、社会不安が深刻化していった。昭和恐慌では「(都会の芸者置屋へ)娘身売りの場合は当相談所へ御出下さい」(山形県伊佐澤村相談所)という張り紙が出されるほど(1930年2月5日付、山形新聞)、国民の生活は困窮していた。浜口雄幸首相、井上準之助大蔵大臣はともに襲撃され、デフレによる国民の犠牲とそれへの反発は尋常ではなく、31年9月の満州事変を国民は喝采した。平成恐慌でも生活困窮者の増加が顕著で、戦後初めての大きな社会不安が醸成されている。

 しかし、昭和恐慌は31年12月の政権交代によって終わりを迎えた。

 民政党の若槻内閣の後を受けた政友会の犬養毅首相は、大蔵大臣に高橋是清を任命。高橋はまず、金本位制から離脱し、通貨供給量を金の保有高に関係なく、政府と日本銀行の裁量によって決められるようにした。国民には政友会の新しい政策を発表し、「金融を大幅に緩和すること」「政府投資で雇用の機会を増やすこと」を公約する。この時点で昭和恐慌のデフレ心理は解消したのである。

 続いて早急に、公共投資を中心とした財政支出を大幅に増加させた。前年度との対比で見ると、32年に22%、33年に20%、34年に12%と継続して増加させることで、28年から4年続いたGDPのマイナス成長がプラスに転じた。物価は上昇し、国民所得も増加。経済規模の拡大により雇用機会も増え、地方経済にも好影響をもたらした。この結果、33年ごろからは税収も増加し始め、34年ごろから政府投資の原資を税収の増加で賄えるようになり、国債発行額が少なくなっていった。景気振興策として国債を発行すると、当初の1~2年は政府の債務負担は増加するものの、3~4年で名目GDPが増加
し、税収が増加するので、政府債務の国民負担率は低下してゆくのだ。

大恐慌を救った公共投資

 一方、大恐慌を経験したアメリカは、どのようにして立ち直ったのだろうか。
 昭和恐慌が始まる前年の29年10月、ニューヨーク株式市場の株価が大暴落し、一大金融恐慌に発展した。時のフーバー大統領(共和党)が銀行破綻を放置したので金融システムは崩壊し、経済活動は停滞した。税収の落ち込みをカバーしようと石油税を引き上げたために、経済活動は一段と冷え込み、32年には国民所得が29年のほぼ半分にまで低下してしまった。

 こうした最中、33年3月に大統領に就任した民主党のルーズベルトは、金融と財政面から大恐慌を救済する政策を実行する。金融面では緊急銀行法を制定して公的資金で銀行に資本注入する道を開き、新銀行法(グラス・スティーガル法)を制定して、銀行の株式保有を禁止し、預金保険機構を作った。

 緊急銀行法を制定する前に、政府は7日間のバンク・ホリデー(銀行休日)を設けて銀行の資産を洗い直し、再開する銀行と破綻させる銀行を仕分けした。銀行が再開される前夜の炉辺談話で、ルーズベルト大統領は国民に語りかけ、「明日再開される銀行は絶対に潰れないから、マットの下のおカネは銀行に預けたほうが安全だと私が保証しますよ」と伝えた。翌日は早朝から銀行の前に列ができ、国民はこぞって「タンス預金」を銀行に預けに行ったのである。この時点で「デフレ心理」は終わったのだ。

 一方、財政面では4年間も極端なマイナス成長が継続していたため、公共投資で需要を喚起する以外に経済を復活させる道はなかった。33年から36年にかけて財政支出を毎年のGDPと比較して平均約6%増加させ、それを公共投資に集中した。高速道路・ダム建設、大規模な感慨工事、森林保護育成、環境改善と保全、病院・学校新設など、民間投資では後手に回る分野を中心に政府投資を増加し、民間投資を誘引する政策を進めた。それでも、民間が銀行借り入れにより投資を実行し始めたのは36年ごろからであり、デフレ後の民間投資の慎重さがはっきりと現れている

 昭和恐慌とアメリカ大恐慌を振り返り、結論として言えるのは、「デフレから経済を脱却させるためには、公共投資しかない」ということだ。また、両方とも国債を発行して政府の債務が増えても、名目GDPは増加している。それに伴い、政府債務の国民負担率は当初の1~2年は増加するものの、3年目ぐらいからは低下している。つまり、景気回復→ 名目GDP増加 → 雇用増加 → 税収増加となって、名目GDPの増加の方が債務の増加よりも大きくなるため、政府債務の国民負担率は低下してゆくのである。公共投資・医療費など財政の投資項目を増加させると、経済規模(名目GDP)の増加、雇用、税収の
増加となって、財政改革につながるのだ

 1993年に就任したアメリカのクリントン大統領も、予算支出の中味を公共投資・地域開発・教育訓練などの投資項目に集中する政策を8年間継続し、5年目で財政収支が黒字になった。また、法人所得と個人所得に累進制を強化して、景気回復による税収の自然増加をもたらした。

政権交代でデフレを脱け出せ

 百年に一度ともいわれる大不況下でアメリカ大統領に就任したバラク・オバマは、先人たちの教訓に従っているようだ。
 本年1月にオバマ大統領は、総額7千億ドルを上回る規模の経済対策を発表した。これはアメリカのGDPの約6%に相当し、大恐慌のときにルーズベルト大統領が公共投資に支出した財政規模とほぼ一致する。また、公共投資によって5年間で財政赤字を解消したクリントン大統領の成功例を政策に取り入れており、思い切った財政支出と経済社会の地盤強化政策による経済浮揚効果を狙っている。さらに、政権を支えるブレーンには、ローレンス・サマーズ(国家経済会議 NEC委員長)、クリスチナ・ローマー(大統領経済諮問委員会 CEA議長)といった大恐慌の専門家をそろえている。

 反面日本では、依然として市場原理主義者が経済財政諮問会議や官邸・財務省・金融庁内審議会に巣くっており、建設的な意見はまったく出てこない。日本の政府与党はまさに脳死状態で、政権が変わらなければ思い切った経済政策は打てないのではないか。
 日本はいまだ、終わりの見えない不況の中にある。「10年デフレ」「10年ゼロ成長」の原因を分析してみると、新自由主義・市場原理主義という伝染病に冒され、金融・財政両面で罠に落ち込んでしまったことがよく分かる。

 とくに消費税増税は、市場原理型税制(レーガン型税制)の帰結であり、もし強行すれば、日本は必ず「20年デフレ」に陥るだろう。新自由主義の元祖、ミルトン・フリードマンは「税率は個人・法人を問わず、一律(フラット)が最も望ましい」という。すなわち、「個人所得が3億円でも300万円でも、税率は10%にする」という主張であり、税率が持つ所得分配の是正、社会保障制度のための累進課税を否定する。レーガン大統領時代の82年にかなりフラットな税制を採用したアメリカは、税収が激減し、大幅な財政赤字となり、85年には債務国に転落してしまった。

 いま日本が「10年デフレ」から脱するには、本稿で述べた「5ヵ年計画」を実行するとともに、税制を市場原理型税制から日本型税制に改め、所得税と法人税をさらなる累進型に戻すことが望ましい。そうすれば、景気拡大とともに自然に税収が増え、財政赤字の縮小と財政再建が可能になり、消費税の引き下げが可能になる。

 歴史が教えるデフレ脱却の基本は、政権交代である。デフレ政策を強行してきた政権が180度転換した政策を出すことは不可能だ。国民に対しても退任して責任を明確にすべきだろう

 同時に、デフレ政策を支持してきた政府の審議会などの御用学者、マスコミによく出るエコノミストなども総入れ替えが不可欠である。政権交代による政策と人のチェンジが、国を救うのだ。

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