Kuroshio 32
黒潮の民のごとき「サンニン」
サンニン」は梅雨のころ花が咲き、満開となる。那覇の壺屋の登窯の遺構の脇で、サンニンの群落が満開に花を咲かせたのを見たことがある。特徴のある花で、蕾の先端がピンク色をした花序をスズランのように垂らす。漢字で「月桃」と書くのはその色合いからだろう。沖縄では、臼でひいた餅米をサンニンの葉で包んで蒸したものを「葉鬼餅(カーサームーチー)」という。今では市場(まちぐぁー)に行けばいつでも売っているが、元々は旧暦一二月八日に、冬至の鬼を追い払うため、サンニンの葉を刈り取って、各家庭で作った。茹で汁に芳香が抽出され、その汁を撒けば鬼を退散させると信じられたが、それは一家の女の役目であった。人喰い鬼になった兄を妹が鉄餅を作り退散させるという凄惨な民話が基にある。その餅が鬼餅である。北国の遠野物語にも貧しさで狂った兄と妹の話があるが、同じ類の話だ。
大和(ヤマトゥ)の餅は餅米を蒸して杵で搗いて粘りけを出すが、鬼餅の方は米の粉に水分を加えて蒸すから、粢(シトギ)と呼ばれる、ビーフンなどと共通する粉食文化の食品だ。シトギは、晒して毒を抜いて加工していくから、葛や、栃(とち)や橡(くぬぎ)の実、蘇鉄の実など、アクを抜いて乾燥させた粉食の文化で、杵でつかない餅の特徴となる。温暖で湿気のある島で、腐敗しやすいシトギの食品を、黒潮の島に原生するサンニンで包んで、日持ちを工夫した。女たちが一家総出で大量のサンニン葉を冷水で洗うのは、肉食に溺れて餓鬼になった兄を救うことを想像したから、冬の水仕事には辛さがあっても、報われた。葉の芳香には抗菌作用があり、握飯を包んでもよし、蓬葉(ふーちば)の団子を包んでもよし、毒性や副作用などは聞いたことがない。月桃の成分を利用した製品が開発されている。月桃紙と呼ぶ防虫効果のある紙で、タンスの引出しなどに入れると良い効果があると通信販売されている。百キロの月桃から僅かに抽出される精油は、肌をみずみずしくするコラーゲンの生成を促進する作用があるとの謳い文句で、月の滴ならぬ化粧品に加工される。葉を四角に切って額に貼付けると頭痛薬になるが、漢方では、胃腸薬、咳止めとして使われる。
サンニンの呼び名は奄美ではサネンとなり、八丈島では繊維を使って物をくくることからソウカと言い、小笠原では、ハナソウカとなる。ショウガ科の植物である。学名はAlpinia zerumbetというが、同種類の原種がフィジーにあり、六メートルの大木になり、キャロリン群島には八メートルの高さになるアルピナ科のサンニンがある。アルピナ・ジャポニカという学名の亜種もあり、インドネシアのマルク諸島には、アルピナ・プルプラという学名の亜種がある。沖縄からの移住者の多いハワイには、サンニンが花木園芸用として栽培されているが、ティ・リーフという植物の葉が、魚や肉の包み紙の代わりをしているから、サンニンはハワイでは影が薄い。ちなみに、ティ・リーフは千年木(せんねんぼく)と日本名があり、屋敷の境界線などの木として植えられている。サンニンはサモアやトンガにもあり、南太平洋の島々にも広がっているが、外部から持ち込まれた植物とされ、原産ではない。マオリの言葉ではカオピと言い、サモアやトンガではテゥイラと呼んでいるが、おそらくパプアニューギニアの沿岸が原産であり、メラネシアから黒潮にのって、そこから、ベトナムやシナの南部や、マレーの半島の東部から、タイやインドに抜けたことが考えられる。カリマンタンの深い熱帯雨林の中には、森の人間(オランウータン)と言う大型の類人猿が生息しているが、パプアニューギニアの高地の文化ともつながる民族の生活が、マレー半島の山岳地帯に繋がっていることは周知の事実であり、髪がちりちりで黒い肌が特徴で、メラは黒の意味であるから、オーストラリアの原住民はもとより、波濤を越えて文化が移植されていく構図が想像される。
実際、サンニンはインド洋を横断し、遙か南アフリカのクルーガー国立公園の中で自生していることが二十世紀末に記録されている。栽培用として持ち込まれたが、どこから誰が持ち込んだのか、薬草としてなのか、食物保存用の葉としてなのか、未だ不明である。サンニンは南米のブラジルやペルーのアマゾンの流域に、あるいはフロリダ、プエルトリコに、そしてハワイに広がっている。英語では、花が貝の形に見えるのか、シェル・ジンジャー(貝殻ショウガ)と命名されている。海からのショウガの感覚か。
月桃の北限は、霜が降りるか否かを目安にすれば、日本列島では奄美大島となるが、実際は伊勢湾の鳥羽の観光施設の庭に群落があり、北限ではないかとの報告がある。九州や四国の人気(ひとけ)のない黒潮の洗う浜辺に、ひっそりと根を下ろしたサンニンがあるかも知れないが、例外である。マングローブの北限は九州の錦江湾の入口であるが、「島育ち」のサンニンは観賞用の植物となり、鮮やかな花の姿にその微妙な芳香と薬効が加わって北限をどんどん克服・開拓し、黒潮の民のごとくに、目立たなくとも有用な貢献をする植物として世界中に知られ、栽培されて、広がっているのである。(つづく)
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