構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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Okinawa will prevail

今日投開票される沖縄県知事選挙は、極めて重要な意味を持つことになる。沖縄の県知事選挙は、沖縄に取ってだけではなく、日本全体の命運にとって及ぼす影響があることは、少女暴行事件の後の県知事選挙からとみにはっきりすることになったが、冷戦が終わり、中国が世界経済の大国として台頭するに至り、米国や日本自体の政治・経済構造が拝金の市場原理主義の中で変質して、従来とは様相が異なってきて、いよいよ重要な意味をもつことになった。

その重要性は、東京から距離があるために、なかなか報道もされず、他の一県の知事選挙のように取り扱う向きもあるが、それは意図的な話で、選挙戦自体は、東京の広告会社が深く関与してきたように、日本全体の安全保障体制、あるいは、大袈裟に言うとグローバルな東アジアを巻き込むような動きのなかで、沖縄の軍事力から裨益する韓国や、オーストラリア、フィリピン、反面沖縄に軍事力が維持されることで国内の闘争を抑止するとの見方を持つ北京の勢力や、北朝鮮のシンパや、隣の台湾の力もそれぞれに入ってきて、複雑な様相を呈することになる。勿論、民主主義であるから、意思決定は沖縄県民が行うことである。その点は国是の民主主義に関わることであるから、米軍当局も表だって反対することは出来ない。

さて、今回の選挙の争点は、普天間飛行場の辺野古移転の是非も、一つであるが、それ以上に、65年も経って、ありとあらゆる米軍の軍事施設があって、戦争後の占領時代が続いていることを解消するかどうかが、選挙の争点である。日本の独立をどうするか、対米従属をどう克服するかの問題が選挙の争点である。イタリアにおける米軍基地問題とも共通している可能性があることを、当方ブログはどこかで指摘しておいた記憶があるが、東西対決のような反米の問題ではない。北京は、琉球の領有権を主張しているが、世界で全く通用しない中華思想の発露であり、事大主義と拡張主義を露呈しているが、沖縄が受け入れるような偏狭な素地は見当たらない。

鳩山政権は、そうした過剰負担を軽減しようと試みたが、腰砕けとなり、政権を放棄した。その後継政権は、努力することもなく、押しつけを前提として沖縄の問題に対処しようとしたから、反発をかって、沖縄では民主党の候補者はいなくなってしまった。県知事選挙には、現職の仲井真氏と、前宜野湾市長の伊波氏が候補者に名前を連ねている。

もはや、保守対革新などと言う陳腐な争点ではない。日米安保条約を維持したままで、基地をどう維持するかという考え方と、米国の戦略上グァムに移転してその代替えの基地を沖縄に置く必要がないとする考え方の対立である。いずれも反米と言うわけではない。実際にも、普天間飛行場の県内移設は事実上困難となったことが、本土に成立した民主党政権は、候補者すら出せない状況であるから明らかになっている。そもそも、県知事選挙が民意の発露ではなく、圧力をかけさせすればどうにでもなるなどとの安易な考え方はもはや通用しないのである。ほとんど気づかれてこないことであるが、テニアンから代替の意見が出されたが、テニアンの名前を聞くだけで、そこから、原子爆弾を搭載した米国の爆撃機が出撃したことを思い出すべきである。太平洋の島々の地位の支配の推移についても問題を掘り起こしてしまった。

元防衛次官の守屋氏は、その回想録において、経済振興と見返りにして沖縄の基地問題を動かしてきた勢力があることを明らかにしたが、今回の選挙では、そうした勢力の動きも影響力が極小化している。尖閣諸島の近辺で、中国が領有権の問題やレアアースの資源に直結するような示威活動を行ったが、却って、沖縄では、独自の安全保障観を強めることになったようである。米国は、実効支配の現状維持を図るだけで、竹島と北方領土については、日本の主張に加わることはなかった。

「沖縄の民意は県外移設を求める声である。しかも強固である。現行案を掲げる候補者は立候補すら出来ない。海兵隊は山梨と山口県から沖縄に56年に来ている。普天間の管理が空軍から移管されたのが60年。抑止力の問題ではなく、米軍の中の統治の問題である。中国の尖閣における横暴を何ら抑止していない、日本全体の安保の視点が欠落して、「沖縄は大変ですね」と矮小化している、保守が経済の豊かさを実感できなくなっている、民主党政権の沖縄に対する同胞意識の欠落がある」と、沖縄の保守の若手政治家である國場幸之助氏は指摘している。

仲井真氏の主張が、日本にはない易姓革命思想の沖縄独立論に近づき、伊波氏の主張が日本ナショナリズムに近づいているような感があるのは、不思議な今までにない沖縄の政治感覚であるが、沖縄の降り積むような政治権力の構造を考えると、これまた不思議な話ではないのかも知れない。

沖縄は、日本の故郷である。日本国家の精髄が沖縄に残っている。その故郷に政治的な変革・脱皮があり、自らを決することになれば、必ずや、その影響は直ちに黒潮の海を渡り日本の列島の沿岸に及ぶ。

米国は、20世紀から、帝国としての拡張をつづけている。フィリピンを領有して、なお西漸を続けているかのようである。韓米の共同軍事演習が今日から展開するという。朝鮮半島を不安定化させるのは、日本の国益ではない。旧宗主国としての日本の覚醒が迫られているような事態である。手をこまねいてはならない。軍事的な緊張に立ちすくんではならない。

しかし、今日は日本の自立・自尊が始まる日になるように思えてならないが、読者の皆様は如何だろうか。数日前に、憂国忌があったが、三島由紀夫の檄文が耳の奥に鳴り響くような感がする日である。「沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。」沖縄返還の年からも38年の月日が流れている。

「明治の日本が琉球王国を強引に併合しようと企てた理由は、近代国家としての「国防」のためであり、企てた人は、内務卿大久保利通、併合の実務に当たったのは、内務大丞(大臣から三番目)・松田道之である。松田が東京から琉球へ出張したときの肩書きは琉球処分官・琉球王国との交渉の基本は「琉球は日本民族である」だから「清国との交流を断て」であった。読んでもらえば判るが、松田の現地での努力は涙ぐましいものである」「今日の日本国総理は、(鳩山さんをふくめて)松田道之ほどの悩みすらもっていないように見える。そこまで交渉の難儀をすることを避けて、背後にアメリカという守護霊を負って、時間の効用を信じ、果報を待っている気配だ」「しかし理解するべきだ。沖縄県民の今の嘆きは、琉球処分の頃のそれとは比べものにならないくらいに深刻である。あの頃の嘆きは帰属問題だけであったが、今日のそれは生命の危機、保全を懸けた選択である。琉球処分に発する差別の伝統に、沖縄県民が露骨に反発しているのは、それこそ前代未聞で、沖縄のの民衆は確実に成長している」「「小説琉球処分」の末尾で、主人公の青年がつぶやく。「しょせん歴史を変えることは出来ない、といま言ってはいけないのだ」一遍の小見出しの一つに死なない覚悟」ともある。どれも、今日の沖縄で発しられてもおかしくない言葉である」と、「小説琉球処分」の著者の大城立裕氏が「いまさらの琉球処分」という皮肉な題をつけて、コラム(週刊金曜日11月12日号)を書いておられる。(今では大城立裕氏が、上海の東亜同文書院の出身で沖縄におられることが貴重で大切なことであると思う。)

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コメント

中国は、中原に鹿を追う伝統的な覇者の国。
だから、中国人に覇権主義は避けられない。
力を示したものが覇者となる。
漢民族が、東夷 (とうい)・西戎 (せいじゅう)・南蛮 (なんばん)・北狄 (ほくてき)に対して種々の要求をする。
議論を好まない。覇者はただその力を示す。
口実は、その後からついてくる。

中国語には、時制がない。
中国人は、現実しか語らない。
聖人と呼ばれる孔子でさえそうであった。
宗教の内容など、彼らにとってどうでもよいことである。
自分の都合が悪くなれば、覇者は書を燃やし儒者を坑する(儒者を生き埋めにする)。
このやりかたは、今日に至るまで変わることがない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

投稿: noga | 2010年11月28日 21時27分

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