構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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False Charge and brutal accusation

下記の、「「改革」を掲げた私はいかにして罪に陥れられたか」の記事は、産経新聞社が発行する雑誌正論の平成21年8月号に、被告となった中司氏本人が執筆した記事である。中司氏は、産経新聞社政治部の敏腕の記者であった経歴がある。本年11月25日に開催された、日本の司法を正す会に招かれて出席して、元枚方市副市長の小堀氏とともに、取り調べの不当などについて説明している。中司氏は、21年に執行猶予付の有罪判決を受けて、即日控訴したが、今年の11月18日の二審の大阪高裁も、控訴を棄却したので、最高裁に直ちに上告している。副市長は、調書を取られなかったために無罪となっている。下着を血で染めるような、取り調べをやって調書をとり、人間を罪人に貶めていくやり方は、破綻している。日本は全体主義の暴力国家ではない。法の支配があり、権力と権威とが分離した希有の国である。検察官僚の横暴と堕落が許されてはならない。裁判所の怠慢もまた見逃されてはならない。

当方ブログは、中司元市長を支援する。中司氏のブログは、中司宏の航海日誌と題している。http://d.hatena.ne.jp/nakatsuka1956/ 当方ブログの読者の皆様のご一読と中司氏への激励をお願いしたい。

http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0907/ronbun2-1.html

■「改革」を掲げた私はいかにして罪に陥れられたか--------------------------------------------------------------------------------
密室の取調室で受けたこの屈辱は忘れられない。検察の“自戒”なくして司法の正義なし

前枚方市長 中司 宏

「主文、被告人を懲役一年六月に処する。三年間その刑の執行を猶予する」--平成二十一年四月二十八日午後一時三十分、大阪地裁六〇三号法廷に、樋口裕晃裁判長の乾いた声が響いた。大阪・枚方市の第二清掃工場(現東部清掃工場)の建設工事をめぐる談合容疑で、大阪地検特捜部が同市役所を捜索してから二年近くが経っていた。

 裁判で一貫して無罪を主張し「いつか真実が分かってもらえる」と自分に言い聞かせて闘ってきたが、一審でその願いは叶わなかった。その悔しさと、厚い壁の向こうにある「司法」というシステムへの強い不審の念を抱きながら、私は裁判所を後にした。

■杜撰なシナリオ

 この手記を書くにあたり、逮捕、起訴、そして一審有罪判決という現実の前に、まず市民のみなさんに深くお詫びしたい。愛するまち枚方が“談合のまち”と揶揄されるのは耐えられないほど悲しい。なぜなら、その談合をなくそうと懸命に取り組んできたことが仇になったのが、この事件の真相だからだ。

 だが、自分の無実を証明するためにこの手記を書くのではない。我が国が法治国家である以上、たとえ困難な道であろうとも、自らの潔白は今後の上級審で勝ち取っていかなければならない。私がこの手記で明らかにしたいのは、検察捜査のあり方や取り調べの不当性、そしてそれを許している裁判のシステムについてである。

 事件と向き合うことは辛いが、敢えてそれらをひもとき、正義を標榜する検察とはどういう集団なのか、その組織が国家権力を背景に、一個の人間の運命をどのように玩ぶのかをぜひ知ってもらいたい。なぜなら、これはひとり私だけの問題ではなく、誰にでも起こりうる問題だからである。

 日本の刑事裁判の有罪率は九九・八%以上と非常に高い。この数字をどう見るのか。検察捜査が優秀なのか。裁判所が検察寄りなのか。それとも裁判のシステムそのものが、被告人に不利な状況を生んでいるのか。この手記を読まれる方々に考えてもらいたい。

 本題に入る前に、枚方の談合事件とはどんな事件だったのか、振り返ってみる。発端は、平成十九年五月二十九日、大手ゼネコン大林組の元常務や大阪府警捜査二課の警部補らが逮捕されたことだった。当時の新聞記事はこう伝えている。

 《大阪府枚方市発注の清掃工場の建設工事をめぐり、談合が行われた疑いが強まり、大阪地検特捜部は二十九日夜、競売入札妨害(談合)容疑で、共同企業体(JV)で工事を受注した大手ゼネコン「大林組」大阪本店の元常務執行役員で顧問、森井繁夫容疑者(六三)や大阪府警捜査二課所属の警部補、平原幸史郎容疑者(四七)ら六人を逮捕した。談合事件にからんで現職警察官が逮捕されるのは極めて異例。(中略)調べによると、森井容疑者らは平成十七年十一月十日に制限付き一般競争入札が行われた「(仮称)第二清掃工場建設工事」で、大林組と浅沼組のJVが落札できるように談合し、公正な入札を妨害した疑い》(平成十九年五月三十日付の産経新聞大阪版朝刊)

  逮捕された大阪府警の平原氏は、談合捜査のエキスパート。度々表彰された優秀な警察官で、私が市の入札制度を改革するにあたり相談に乗ってもらった人物だ。枚方市では、一般競争入札の導入、予定価格と最低制限価格の公表、郵便入札や電子入札の実施、入札監視委員会の設置など、談合できない仕組みづくりに取り組んできたが、その幾つかは平原氏のアドバイスによるものだった。

 談合捜査のプロで法律を熟知している平原氏から「清掃工場で談合されている」と指摘され、未然に防ぐためにアドバイスを受けたのがこの事件の本質である。まさか談合を捜査するベテラン刑事が陰で談合を仕切り、大林組から多額の金銭を受け取っていたとは想像すらできなかった。

 ところが検察は、この談合に市が深く関わっていたとみて、二日後の五月三十一日に副市長を逮捕する。

 《大阪地検特捜部は三十一日、競争入札妨害(談合)容疑で副市長の小堀隆恒容疑者(六〇)を逮捕した。現職警察官が立件された異例の談合事件は、市のナンバー2が関与した「官製談合」に発展した》(六月一日付の同紙朝刊)

  当時は分からなかったが、検察の最終ターゲットは市長である私だった。しかし、私と大林組とのつながりが出てこないので、私が小堀氏を“連絡役”にしていたとの構図を描き、私を追い詰めるための“駒”として小堀氏を逮捕、「次は市長か」「市役所ぐるみか」との世論作りに利用した。小堀氏には本当に苦労をかけたが、後述のように無罪判決で潔白が証明された。そんな杜撰なシナリオで強引に捜査が進められ、七月三十一日を迎えることになる。

 《大阪府枚方市発注の清掃工場建設をめぐる官製談合・汚職事件で、中司宏市長(五一)が談合に関与した疑いが強まり、大阪地検特捜部は三十一日、競売入札妨害(談合)容疑で中司容疑者を逮捕、保釈中だった元府警捜査二課警部補、平原幸史郎被告(四七)を大手ゼネコンから一千万円の賄賂を受け取ったとする収賄容疑で再逮捕した。一連の事件は市トップの刑事責任追及とともに、「談合・汚職捜査のプロ」が絡む新たな汚職事件に発展した。中司容疑者はこれまで開いた記者会見などで談合への関与を一貫して否定。逮捕後の調べに対してはあいまいな供述をしているという》(七月三十一日付の同紙夕刊)

■虚偽だらけのリーク

 以上が、私が逮捕されるまでの経緯と新聞が伝えた事件の概要である。産経新聞を引用したが、どの新聞もほぼ同じ内容だ。なぜなら記事は全て検察情報をもとに書かれているからである。そしてこの“大本営発表”を鵜呑みにした記事により、検察にとって都合の良い世論が形成されていく。例えば、右の記事のうち《(中司容疑者は)逮捕後の調べに対してはあいまいな供述をしている》との記述は全くの虚報である。この記事が書かれた時点で私ははっきりと容疑を否認し、あいまいな供述などしていなかった。後に無罪が確定する副市長の小堀氏も、一貫して否認していたにもかかわらず「容疑を認めた」と書かれた。検察側の情報操作で記事が作られ、世論が動かされていくのだ。

 別の新聞に「大林組から頻繁に接待」「ほぼ毎月の時期も」と大見出しで書かれたこともあった。大林組から接待を受けたことなど一度もなかっことは検察も認めており、裁判でも全く争われていない。過去二十余年にわたる政治活動で大林組から一円の政治献金を受けたことも、選挙の応援をしてもらったこともない。それを承知で偽情報がリークされ、私に対するダーティーなイメージだけが積み重ねられ、一人歩きしていった。

 金銭の授受も便宜供与もなく、談合容疑だけで現職市長が逮捕された例は過去にない。このため、最高検は私の逮捕に反対だったと聞く。しかし、現場の特捜部の巧みなリークにより「逮捕もやむなし」との世論が形成された。見事な情報操作というほかないが、正義を標榜し強大な権力を持つ検察に、このような手法が許されて良いのだろうか。

 問題は“大本営発表”を流すマスコミ側の事情にもある。私自身、かつて新聞記者だった経験から推測できるが、検察の意向に沿った記事を書かなければ検察庁詰めの記者は出入り禁止になり、以後一切取材ができなくなるのだ。現実にこの事件で、ある社が特捜幹部の流した情報と異なるニュースを独自取材でキャッチして報じたところ「言うとおりにしないと出入り禁止だぞ」と怒鳴られたという。

■人間性破壊の取調室

 平成二十年十月二十一日、大阪地裁で私を裁く公判が始まった。強制捜査から一年五カ月が経ち、大林組の元役員二人と元大阪府警の平原氏は、すでに有罪判決を受けていた。その判決を下した裁判長が私の審理も担当するという、いわば外堀が埋められた状況であった。

 主な争点は、私が価格を害する目的で受注調整を依頼し、談合を共謀したのかという点。そして、厳しい取り調べで署名させられた私の供述調書に任意性があるのか、という点だった。

 私の無罪を証明することが本稿の目的ではないので詳述は避けるが、検察が主張する私と大林組の接点といえるのは、市長在任の十二年間で二回だけである。

 一回目は、平成十一年十二月に大阪市内のホテル会議室で森井氏らと三十分ほど会った時。清掃工場の入札が行われる六年も前のことで、当時はまだ地元の反対運動が激しく、入札どころか清掃工場ができるかどうかさえ危ぶまれていた。しかし検察は、この時に私が談合を容認する「天の声」を出したと主張する。

 二回目は、その四年後の平成十六年一月、平原氏が私に無断で会食の席に森井氏を呼んで鉢合わせた時だが、このさい工事の話が一切出なかったことは検察も認めている。

 一方、私の供述調書の任意性についてであるが、残念ながら私は、連日の過酷な取り調べに耐えられず、検事がシナリオ通りに作成した調書に無理やりサインさせられてしまった。今さら悔やんでも悔やみきれないが、自分が弱かったとしか言いようがない。だがもし私のような状況に追い込まれたなら、ほとんどの人がサインしてしまうのではないだろうか。それほど検察の取り調べは理不尽かつ非道であり、法治国家の枠を逸脱していた。

 検事の常軌を逸した取り調べの中身について、私は当時、弁護士から差し入れてもらった日記形式の「被疑者ノート」に細かく記載していた。密室で何が行われたのか、以下、被疑者ノートの記述に沿って詳述する。

 ノートは逮捕三日後の八月三日に届いたため、七月三十一日から八月二日までのページは記憶をもとに記載し、三日以降は毎日、深夜に及ぶ取り調べの後に書きとめた。

 初日から検事は、容赦なく机を蹴り、怒声を張り上げた。容疑を否認する私の供述に対しては、「ありえない」「嘘をついている」と全く聴く耳を持たなかった。その時の検事の言葉を書きとめたノートの『取調官の態度・言葉』の欄には、「検察をナメるのか」「最低のハリボテ人間」などと激しい表現が並ぶ。

 罵倒はさらに続いた。

「もっと上の立場になって必ずもう一度捕まえてやる」「どんな悪い人間か世間に知らせるぞ」「逃げることは絶対に許さん」「軽く一年は保釈されないぞ」「手錠をつけたまま法廷に出る姿を見てもらえ」「口だけの卑怯者」「馬鹿か子どもだ」「ほとんど病気で気がおかしい」「認めないなら丸裸にして追求する」…  日を追ってエスカレートする言葉の暴力に、私は徹底的に打ちのめされ、ずたずたに引き裂かれ、恐怖に苛まれた。その時の気持ちも、私はノートに綴った。八日の欄にはこう書いている。

「昨日は再スタートの相談に乗ると言っていたのに、今日は洗いざらい悪を出してやると脅してくる検事の精神に狂気を見た。権力とは恐ろしい。自分だけが正義だと思い込んでいる」「怒り狂って顔の相が変わる。怖い形相になって怒鳴りまくる。机を叩いて荒れ狂う。自分たちが社会正義だと驕り、何でも許され、徹底的にやる、という誤った認識の集団だ」…  検事は、私自身を罵倒するだけでなく、弁護士についても激しく罵った。弁護士への信頼感を崩すため、不信感を植え付ける言葉を連日浴びせてきたのだ。私はそれをノートの『弁護人について聞かれたか』の欄に書きとめた。「弁護士は能力がない」「馬鹿か詐欺だ」「嘘をつかれ騙されている」「嘘をつく弁護士を信頼するのは宗教だ」「(反検察の)キャンペーンのモルモットにされているだけ」…

■仕掛けられた罠

 とうとう私は、何を言っても聞き入れられないので、黙秘することを告げた。すると検事の形相が変わり、立ち上がって机を叩いて怒鳴りつけ、怯える私を残して取調室から出て行った。すかさず事務官から「検事はSなので何をするか分からない」「謝った方がいい」と言われた。今から思えば検事と事務官の見え透いた連携プレーなのだが、そんなことも見抜けないほど心が消耗していた。

 こうして時が経つにつれ、次第に心が壊れ、そして、もう何を言っても無駄だ、という諦めの思いが募ってきた。

 気弱になった私に、検事は罠を仕掛けてきた。逮捕容疑とは何の関係もない市長選の収支報告書の記載について「書き方がおかしい」と“搦め手”から執拗に責めてきたのだ。収支報告書は、会計が選管に記載方法を確認して作成しており、何ら誤りがないのは明らかだった。にもかかわらず、関係者が家宅捜索までされ、連日長時間にわたる取り調べを受けた。そのことは私に重くのしかかっていた。

「今すぐにも動く準備ができている」「上はカンカンに怒っている。地検と対決するのか」と脅された私は、抵抗する気力をなくしてしまった。《何の罪もない小堀氏を逮捕した検察のことだから、このまま調書にサインしなければまた罪のない人間が次々と逮捕される》と、本気で恐れた。検事の権力乱用を前に私の精神は疲弊し、不安や恐怖に心が支配され、正常な判断ができなくなっていた。この地獄の苦しみは経験したものにしか分からない。私は保釈後もしばしばうなされ、夜中に飛び起きた。法廷で当時の状況を訴えたとき、思わず涙が溢れてきた。

 こうして私を追い込み、黙秘権も認めず、怒鳴り続けた検事だが、法廷では平然と「(取り調べで大きな声を出したことは)ございません」と言ってのけた。取調室で「偉くなってどこまでも追いかけてやる」と脅した若い検事が、法廷で堂々と嘘を並べる。その姿のどこに「正義」があるというのか。法の番人であるべき検事が偽りの証言をし、それが認められるのなら、果たしてこの国の「正義」は守れるのだろうか。

■下着を血に染めて

 人間性を破壊する過酷な取り調べは、後に無罪が確定する元副市長の小堀氏にも行われた。というより小堀氏の取り調べは拷問のようにさらに熾烈を極めた。腎臓ガンで右腎を摘出している上、前立腺肥大で手術を予定していた同氏は、逮捕三日目に尿が出なくなり三九度の高熱が続いた。太いカテーテルを手荒に挿入されたので出血が止まらず、下着が血で真っ赤に染まった。それを訴えると紙オムツが渡されたが、たった一枚だけだったので、血で汚さないよう間にチリ紙を挟んで使ったという。

 私は取り調べを受けた検事から、小堀氏のことについて「拘置所で死なれては困るから保釈した」とはっきり聞かされた。正義の名の下に無実の者が命まで脅かされたのである。

「二度と枚方に住めなくしてやる」「家族も外を歩けなくするぞ」と深夜になるまで脅す検事の怒鳴り声や、椅子、机を蹴り飛ばす音があまりにも大きく、拘置所の近隣住民から苦情が出るほどだったと、法廷で小堀氏は証言した。検察は、大林組側から小堀氏に金が流れていると邪推し、「叩けば埃が出る」式の強引な捜査を行ったのだった。

 人権を無視した取り調べは、談合と収賄の疑いで逮捕、起訴された前大阪府議会議員、初田豊三郎氏に対しても行われた。初田氏もガンで左の腎臓を摘出し、高血圧と不眠症を抱えながら勾留されたが、まともな薬も与えられず、連日の深夜に及ぶ過酷な取り調べに意識が朦朧とする中で、否認しているにもかかわらず、検事が作った調書に無理やりサインさせられた。同氏は裁判で無罪を主張したが、有罪判決を受けて控訴している。

 以上が取り調べの実態である。こうした取り調べが行われるのは、検察が上意下達の厳しい官僚組織だからといえる。一旦走り出した捜査の方向が間違っていると誰かが疑問を持ったとしても、面子を重んじる旧態依然の官僚組織ではマイナス意見は抹殺され、誤った方向を止めることはできない。そうした体制の中で担当検事は必死でシナリオ通りの自白調書を取ろうとする。その結果、足利事件のように、無実の者が非道な取り調べによって無理やり自白させられ、人生を踏みにじられ、心身に深い傷を負わされることが現実に起きるのである。

 無理やり自白を迫る過酷な取り調べの実態については、自白偏重といわれる日本の裁判システムの中で、これまで見て見ぬ振りの状態が続いてきた。この体質が冤罪を生んできたといえる。この現実を改めるため、取り調べの様子をビデオで撮影する「可視化」の導入について、真剣に検討する必要があろう。

■もう一つの使命

 捜査権と起訴権をあわせ持つ巨大な国家権力を背景に、裁判では検察が、根こそぎ押収した資料の中から被告人に不利な証拠だけを提出し、被告人に有利な証拠があっても表に出さない。弁護側は、提示された他にどんな証拠資料があるのか分からない中で公判に臨むしかなく、全ての資料が共有化されなければ公正な裁判にはならない。

 一方、裁判官と検事との間には「判検交流」という人事交流がある。裁判所と検察庁は互いに独立し、チェックする機能を持つ組織でなければならないが、このような人事システムが、双方のもたれ合いの温床となっているとの指摘も少なくない。

 冤罪は悲惨だ。足利事件では、DNAの再鑑定を怠ったため、被害者は十七年余も獄につながれ、その間に両親を亡くした。汚名が晴れても、失われた時は戻らない。

 私もまた、全てを失った。逮捕前の私は、全国に先駆けて市政にマニフェストを導入し、行政評価システムを実施して財政再建を果たし、収支のバランスシートを公表した。清掃工場とともに長年の懸案だった火葬場の整備や、第三次救命救急センターの誘致なども手がけた。福祉や環境施策に力を入れたほか、教育改革をはじめ数々の改革を成し遂げたという自負がある。

 しかし、その誇りや積み上げてきた信用は一瞬にして吹き飛んでしまった。捜査の着手から逮捕されるまでの二カ月間というもの、朝夕の通勤時はもちろん、深夜に至るまで報道陣に家の周りを包囲され、どこへ行くにも追いかけられた。激しいメディアスクラムで、私の神経はかなりすり減っていた。

 かつての新聞記者としての経験から、マスコミ対応には十分に気を配り、求められるまま何度も記者会見を開いて状況を説明し、その都度関与を否定した。できるだけオープンにしようと、元最高検検事を委員長に、市独自の調査委員会を設置した。

 結局、そうした行動が裏目に出て、特捜部の“虎の尾”を踏んだ。捜査中なのだから、おとなしく謹慎するか、事件の責任を取って辞職していれば検察のメンツが立ち、逮捕には至らなかったかも知れない。

 しかし私は、逃げることより闘うことを選んだ。

 最後に、私を支えていただき、応援していただいている方々に言いたい。

 私はこれまで、生まれ育った枚方市を笑顔があふれる住み良いまちにすることが、私に与えられた使命だと思っていた。事件の舞台となった清掃工場も、人口四十万人のゴミ処理に不可欠の施設だ。いわゆる“迷惑施設”としての性格から周辺住民の激しい反対運動にあい、歴代市長が整備を先送りしてきたが、古いプラントが老朽化し、着手しなければならない状況にあった。そこで私は、地元住民の理解を求め、反対の嵐の中を何度も説明会に出向いて頭を下げた。地域の整備や環境対策を約束し、施設の規模と事業費を大幅に縮小するため焼却ゴミ半減計画も打ち出した。そうまでして長年、職員と一緒に苦労を重ねて整備を進めてきた施設だったのだ。

 その建設工事で談合に加担するなど、自分自身を否定するに等しい行為ができるはずもない。もちろん、大林組にいかなる受注調整を頼んだことも、大林組から受注の依頼を受けたことも、いわゆる「天の声」を出したことも一切ない。少なくともそれだけは、改めて訴えておきたい。

 事件を通して多くのことに気付かされた私は、今、枚方市のまちづくりと同時に、もう一つの使命を自らに課そうと決意している。司法の「闇」の部分、とりわけ検察による誤った国家権力の行使をなくし、真に正義を標榜する検察に立ち戻れるよう、私のこの辛い経験を人に伝え、広く訴え、改革を促していきたい。これ以上冤罪を出さないために。

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