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Kuroshio 41

暦に見るアジアの多様性

新暦の元旦はまだ霜月の二七日だし、一月二〇日は旧暦の師走の望の日で、大寒だ。旧正月、つまり睦月の朔は、今年は二月三日に当たる。如月の朔は三月五日であるから、まだまだ衣更着の季節で、暖かい春の到来が待ち遠しい。如月の望の日は新暦の三月二〇日に当たるから、花の満開には間に合わず、「その如月の」としゃれ込むと悪質な風邪をひくだけになりかねない。夏至は新暦六月二二日で、伊勢の二見興玉神社の夫婦岩の間から太陽が昇る。今年は、皐月の朔の新暦の六月二日に日食があり、望の日の六月一六日に月食が見られる。旧暦の端午の節句は新暦六月六日に当たる。入梅は六月一一日である。旧暦の七夕が八月六日、廣島原爆の記念日になる。中秋の名月、つまり葉月の望の日は、九月一二日である。旧暦の重陽の節句の九月九日は新暦一〇月五日である。十月二七日から、出雲と諏訪では神在月が始まり、大方の神様は出雲の稲佐の浜に集まるので、全国的には神無月となる。その行事のある旧暦一〇月一〇日は新暦の一一月五日に当たる。暮れの大掃除から逃げることを煤逃げ(すすにげ)と俳句の季語はおもしろく表現しているが、師走一三日を事始めといい、正月を迎える準備をする。今年の旧正月を迎える準備をするのであれば、この一六日が旧暦の師走の一三日で事始めの日だ。

支那では旧正月を春節と言い、新暦の一月一日を元旦と決めている。旧暦を農暦ともいう。朝鮮では、ソルラル、ソル、クジョン(旧正)、モンゴルではツァガーンサル (白い月の意味)と呼んで、朝鮮半島に連なる。ベトナムでは節の漢字をテトと訓む。ベトナム戦争中の軍事作戦で、旧正月には停戦したり攻勢に出たりで有名になった。チベットの暦はインドから見ると支那の影響を受けているし、支那から見るとインド暦のように見える。日本とベトナムとモンゴル、チベットの暦が微妙に支那の暦と異なる。日本では新暦の二〇三三年秋から三四年春にかけて、旧暦の月名を決定していない問題が天保暦の廃止で残された。支那・台湾・韓国・北朝鮮・ベトナム・シンガポール・マレーシア・インドネシア・ブルネイとモンゴルでは旧正月を国の休日にしている。故郷に帰省する人口の大移動が起こる点ではいずこも同じだ。日本は、明治五年にグレゴリオ暦に肩入れして、旧正月を祝っている人々の数を激減させてしてしまった。なぜ旧正月を無視するのか、それでは、糸満の魚市場の賑わいもなくなってしまうと、潮の干満に影響を受ける漁労に生計を預けてきた媼の嘆きも残っていたが、その声はかき消された。尖閣や黄海の近辺で、漁民が巡視船や漁業監視船に体当たりする事件が起きたが、これも、中国共産党と雖も完全に支配できずに起きた不満を背景とする事件で、海が汚され、漁獲が少なくなり、やるせない憤懣を外国の公船に体当たりして、模範的な英雄にされてしまったことは予想外の滑稽だったが、一連の反日デモ同様、漁労民の不満の捌け口として領土問題が利用された。春節は、支配の貫徹しない暦の始まりの日であり、今なお新暦を認めない人々が多い国では、「事始め」の節句日として目が離せない。日本、ベトナム、モンゴル、チベットの暦が微妙に支那の暦と異なることがアジアの多様性である。日本では、天照大神の国にふさわしく、時間を計る中心は月ではなく太陽が中心となるのは不思議ではないが、支那の農暦と呼ばれる旧暦が、イスラム暦のように純粋に月の運行に従う暦ではなく太陽暦に近いことには驚かされる。海の干満の知識に疎い大陸の気風が漁労民の媼の嘆きや不満に対する無関心をもたらし、グレゴリオ暦を全面採用する西欧と邂逅して、いよいよ居丈高になったようである。

ウィリアム・ブラムセン(撫蘭仙)が一八八〇年に著した『和洋対暦表』と一九一〇年の英文版の写本は国会図書館で容易に入手できる。東京日本橋通り三丁目丸家善七、横濱弁天通二丁目丸家善八、大坂心斎橋筋北久寶寺町丸善支店とあるが、なんとこの対照表が出版されるまで、年号が西暦の何年に当たるかが簡単にわからなかった。『和洋対暦表』の前書きに「和洋対比の暦書子未だ之を見ず適ま類似の書ありと雖も誤謬の多きを如何せん乃ち近時日本内務省の刊行せる太陽太陰両暦対照表は西暦五百一年より始まり一千八百七十二年に至る然れども西暦一千五百八十二年以前に用ふる所の暦は方今用ふる所のグレゴーリュン暦と異なるを知らずして妄意憶測を以て之を算するが故に其記する所の一千四百年間に於て其の凡そ一千百年間の対比は盡く差誤ならさるはなくして二日より十日に至る者あり(後略)」等と指摘し、年号制度の定かな大化元年から太陽暦のグレゴリオ暦を導入した一八七三年までの比較表を作成している。日本が支那からの暦法を導入する以前に「一年を」どう数えていたか仮説を立て、神武天皇即位を紀元前一三〇年の新月の日と主張している。昼と夜との長さが同じの春分と秋分とを起点として、それぞれを一年とする倍年暦ではないかとの仮説である。興味深い論点を、次号から紹介する。  (つづく)

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