構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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An American who saved Post Office Network

郵政民営化の過程で、郵便局ネットワークに対する激しい攻撃が行われた。小泉政権によって登用された船会社出身の郵政公社の総裁などは、郵便局マスタープランと称する、前島密の考案した郵便局ネットを根本から破壊して地域社会を弱体化させて流動化させようとする計画を立案して、構造改革という破壊工作を過激に唱導した小泉総理(当時)から、「君はそこまでやってくれるのか」と評されるほどに、特定郵便局つぶしが強圧的に実行された。

下記に転載する記事は、戦後、日本の郵便局制度に理解を示し、日本の土となったアメリカ人の物語である。大阪府八尾市の郵便局長のOBである守山嘉門氏が執筆したノンフィクション記事であり、通信文化新報に掲載された。

 郵政民営化は外国勢力の金融支配と、その走狗となった勢力によって組織的に行われた私物化の虚妄であることがはっきりした現在、占領当局の中に、自由・責務・奉仕を信条に生き抜き、日本の郵便局を守る側にまわり、日本という異国の土となった優れた米国人がいたことを知ることは、郵政民営化の闇の追求と改善、見直しこそが、そうした国境を跨いだ智者の人生に報いる道であることをあらためて確信させる。市場原理主義の郵政民営化がいかに一毛の軽さでしかない外国追従の愚挙であったかを思い知らされる。

http://www.tsushin-bunka.co.jp/?p=1069

「占領下に郵政事業を護り通した米国人(クリントン・ファイスナー)の良識

大阪府八尾市  守山嘉門(元八尾相生町局長)

特定局制度に自由・責務・奉仕の精神を見出す
 昨年(二〇一〇年)七月七日の某新聞訃報欄に、「クリントン・ファイスナー氏(元連合国軍総司令部民間通信局調査課長) 五日、高年齢多臓器疾患で死去。九九歳(中略)自宅は宮城県川崎町今宿北沢山一の一九、喪主は友人の佐藤某氏」と。

 ファイスナー(C.A.Feissner)氏を知る人は、現在では郵政に関係した人の中でも殆どないのではないかと思うが、一九四五年八月十五日、ポツダム宣言の受諾による敗戦国日本は、「天皇および日本国政府の国家統治の権限は、本降伏条項を実施するため適当と認むる措置をとる最高司令官の制限の下におかれること」という同宣言の条項に従って、最高司令官となったダグラス・マッカーサー元帥の管理下に置かれた。
 そのマ元帥は十月二日に駐留地横浜から東京に移り、皇居前にある第一生命相互会社のビルを接収して、『連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)』を設置し、幕僚部の中に民政局、民間情報教育局など九局の職務執行機関を置いた。

 この連合国軍による日本国の占領統治は、正式には一九四五年十月二日の最高司令官マ元帥命令第一号による総司令部の設置に始まり、一九五二年四月二十八日の平和条約の発効をもって終了するのであるが、その占領政策は、日本が再び米国および世界の平和と安全の脅威にならぬために、軍事力の破壊をはじめとして、民主的代議制の確立、憲法改正、教育の民主化、自由な労働運動や婦人参政権の確立、警察権の乱用禁止や報道の自由、小作農からの解放その他多岐にわたってのいわゆる「民主化あるいは民主主義の確立」であった。

 その中で郵便業務並びに電気通信システムの運用、および製造にかかわる通信産業や、これらに関連する研究所や教育機関等を所掌していたのが民間通信局(CCS)である。当初のCCSは局長(S.B.Akin少将)のもとに、行政課、分析課、無線電信課、電信電話課、通信産業課の五課からなっていたが、一九四八年逓信省が郵政省と電気通信省に分離、局長補佐(大佐)を代理官としてこれに当たらせ、また行政事務の計画運営のため企画課長(兼CCS審議官)を置いていた。

 ファイスナー氏は、ジョージ・ワシントン大学で神学および法学を修め、ワシントンDCで弁護士をしていた一九四五年、三十五歳の時に民間通信局に軍属(佐官待遇)として来日、当初は分析課専門であったが、後に分析課長、専門企画官を務め、郵政事業部では主として事業の制度組織、特に特定郵便局制度や特定郵便局長会の問題に取り組んだ

 郵政事業においては、郵政関係の労働組合が、郵便局の主流をなす特定郵便局制度が封建的であり、この制度を撤廃することをスローガンに掲げて激しい運動を展開しており、二・一ゼネスト禁止後にも経済科学局(ESS)にコーエン労働課長を訪ねて陳情を行っており、コーエンからは、当時フーバー委員会が公務員制度改革問題に取り組んでいるから相談に行くようにと体よく断られると、政治問題を扱う民政局(GS)にまで陳情や働きかけを行っていた。

 占領政策の主たる目的が日本国の「民主化」であったから、民間通信局(CCS)も当然のこととして、制度や組織を改革することには精力的に取り組み、とくに労働組合のESSやGSへの陳情行為もあったので、かなり慎重かつ執拗に省(逓信省、後に郵政省)の当事者である郵務局や官房秘書課と折衝を繰り返している。

 民間通信局の初期の行動には、『日本占領正史』(History of the Nonmilitary Activities of the Occupation of Japan)によると、降伏時には郵便・貯金・簡易保険の三事業の郵便局等の施設や、貯金・保険原簿の焼失被災等の復旧と再構築、および運用の効率化の推進であったが、一定の進捗で復旧してくると、職員や人事制度の問題になり、そして一九四八年に入ると、郵政事業の根幹である郵便局制度、なかんずく全国津々浦々に散在する特定郵便局(当時約一万四千局)と、特定郵便局長および特定郵便局長会の解散を含む大改革が待っていた

 民間通信局は、アメリカの郵便制度が、新聞王と言われたハースト(1863~1951)が二十数社もの新聞や雑誌を経営していて、その配送を駅馬車で行い、そこに郵便物も併せて運送するという起源を持っているので、「普通郵便局の大局から数か所の分室または出張所があれば十分ではないか、取りあえず十大都市内の郵便局で試行してみては」という提案もあったのである。

 しかし、わが国の郵便制度は、一八七一年に前島密の構想による、従前の商人による飛脚制度では信書の安全の確保とか、道中奉行の管理等、運用や経費面でかなりの出費を要し、全国的に普及するには莫大な資本を必要とすることから、幕藩時代から地域にあって相応の資産を有し、衆望もあり、世話役であった庄屋や名主を取締役として郵便事業の掌に当たらせ、短期間に全国的なネットワークを構築し、更に郵便貯金、簡易保険との三事業一体による運営で発展してきたという歴史を持っている。

 したがって省の当事者である郵務局や、全国の特定郵便局長で組織する全国特定郵便局長会(以下全特と略称)は、民間通信局の提案は事業の崩壊を意味するようなもので、事業の存続運営上到底受け入れることはできないと反対の折衝や陳情を繰り返していた。

 当初、民間通信局では、征服者である最高司令官マ元帥の意をうけて占領業務を執行しているCCSの担当官に、「…特定局制度を縮少させよとの総司令部の改革の勧告に対して、様々な抵抗をする郵政省の強情なまでの総司令部に対するレジスタンス…」(日本占領正史)をする日本側の当事者に、相当不快感を持ったようである。

 執拗に前島密構想の理念を主張して譲らない省や全特の当事者に、民間通信局の内国郵便課長のドナルド・ダガン(D.D.Duggan)や専門企画官のファイスナー、特にファイスナー氏は、実地に全特会長の横山八次山形県長井局長の地元である東北地方の特定局の視察に出向いたりして、特定局制度の柱でもある局長の「自由任用制」「不転勤制」に、彼は自分自身の信条であったFreedom(自由)、Responsibility(責務)、Service(奉仕の精神)を見出し、日本の郵便局制度が前島密の理念である地域社会の中に息づいて、住民に奉仕する事業人の姿勢に理解と認識を持つようになった。

 権威をもって徒にマ元帥命令を出して特定郵便局の制度を崩壊させるようなこともなく、「総司令部も日本の皆さんが嫌だというものを、敢えて強要するものではない」というところまで軟化し、一九五〇年頃からは、司令部内での民政局や労働課を持つ経済科学局からの圧力も、参謀二部(諜報)のチャールズ・A・ウイロビー少将らによって抑止させられ、指定局制度とか公達廃止という措置によって、特定局長会の活動を終了させるなどの改革で、一時は郵政省の屋台骨を揺がせた組織問題も、大事に至らず占領の終了を迎えたのであった。

 考えてみるに、ファイスナーのような人がいなければ、日本国の郵政事業というものは崩壊していたに違いない。私は退職後に、伝え聞かされていた特定郵便局制度の難事であった占領期のことを調べてみようと、国会図書館憲政資料室に入って『日本占領正史』の通信編の中から、「内国郵便業務」と「国際郵便業務」の二章を翻訳し、併せて関連する総司令部発出の書簡や覚書などの資料をもとに、一九九五年に『GHQと占領下の郵政』という書を上梓した。

 クリントン・A・ファイスナーの名は、折衝や協議等の議事録(メモランダム)上に署名されているのを知るだけで、会ったこともなかった。また、占領軍の撤退で当然米国に帰国したものと思っていた。それが冒頭にあるように、日本国内の宮城県に居住していたというのは驚きである。私は喪主を務められたという友人の方を東北の地に訪ねて、ファイスナー氏が一九七五年以来、ここ蔵王山麓の地にあって狩猟を趣味としていたことを聞かされ、同居された友人との生活状況をつぶさに伺った。

 また後日、彼のもとで一緒に仕事をしていたという、大阪在住の帝塚山学院大学文学部名誉教授のジェームズ・D・ホワイト(James D. White)氏からも、米国での出自やジョージ・ワシントン大学で苦学して神学や法学を学び、弁護士の仕事中に真珠湾戦争のため軍に召されて、結婚する暇もなく占領軍として来日、講和条約後も米極東軍に在って日本を離れることなく、沖縄返還の日まで任務に尽力していたということを聞かされた。

 三木武夫内閣では昭和五十年六月六日、アメリカ合衆国クリントン・アルバート・ファイスナーを勲三等に叙して瑞宝章を贈ってその功労を讃えている。

 彼は親日・知日という域を超え、六十五年の長きにわたって米国人としての誇りを持って彼の信じる道を歩み、この愛する日本の国土で生活し、その日本で死去し、その日本の土になった。

 しかも、神学を学びながらも、自らの葬儀を同居していた友人佐藤家と同じ真言宗の仏式に依ることを遺言し、彼を知り参会してくれた人に贈るためとして、冠雪の蔵王山を背に猟銃を持つ自身の像を写したB5大の額に、氏の信条である自由・責務・奉仕の三文字を自署して生存中に準備していたというのである。

 私はこの事実を知り、彼は征服者占領軍人として来日したのではあるが、この日本国の気候風土や、占領業務で知り得た日本の文化や伝統、また接した多くの日本国の人々の人情から、愛し愛されるべき多くのものを学び、そして日本の文化や伝統を尊重していたに違いない。

 私たち日本人は、この国の優れた郵便局ネットワークである郵政事業制度を、崩壊させることなく存続させてきた功労者を悲しませてはならない。民営化・四分割というネットワークを活かせない改革、「九仭の功を一簣に虧く」ような愚挙は速かに改め、「温故知新」という先人の「為政」の教えに従って、この時代のために再生させることこそ、真にアメリカの智者であり良識者であったファイスナー氏に報いる道であると思うとともに、ここに深甚なる感謝と併せて彼のご冥福を祈るものである。」

「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)くhttp://www.proverb.jp/proverb1522.html」ような、郵政民営化という愚挙を推進して、郵便局制度の破壊に執着して、市場原理主義の走狗となった亜流の経営者や官僚・組織の責任追及が行われて然るべきである。郵政民営化の見直しと検証と、責任追及を早急に進展させる必要がある。

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コメント

通信文化新報からの転載感謝。多くの人々に知っていただき、全国ネットワークの日本国の郵便局制度を崩壊させた暴挙、また、本来加入者への還元施設として設置された簡易保険の保養所、愛称で「かんぽの宿」と称した故に、利益のない宿は無益と、安値で売却する暴挙。多くの民間会社が、利益目的ならぬのに運動選手を抱え込み、社名を周知宣伝にするのと、どうちがうのか。簡保は、宣伝費を計上できぬのか。全国ネットワークは、無形固定資産(営業権・のれん)であるのに、民営化されて、無価値同様にして、簡保の宿同様に、たたき売る所存なのか。プロローグにあった船会社から来た総裁は、叙勲だけのために、公的仕事にやってきたのかと、あらぬことを考えてしまう。

投稿: 守山嘉門 | 2011年2月22日 12時13分

日本占領正史は、国立公文書館に、所蔵されてはいるが、戦後日本の諸改革については、占領期間中の占領政策である「民主化」を原点とするものが多い。日本国の未来についても、原点に立ち返り、正しい政策が実行されることが大切であることを痛感するものである。

投稿: 守山嘉門 | 2011年2月23日 15時18分

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