構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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2011年5月

Postal Destruction

週刊ダイヤモンドの記事。ご参考まで。

http://news.finance.yahoo.co.jp/detail/20110531-00000002-diamond-column

Revolutionary?

外国新聞社のインタビュー記事である。動画もある。劣化した日本のマスコミの間隙を突いた記事である。http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_242081

Underground Construction

http://ameblo.jp/eboshi-hime/entry-10905777204.html

何か不思議なことが起きている。

Human Relations

村上正邦先生は、日本の代表的な保守政治家であるが、政治冤罪の中で一時期失脚した。しかし、政界再編と検察不祥事が浮力を与えて、再び一定の政治的な影響力を回復しつつある状況について、週刊誌アエラが評論記事を載せた。大地震の特集号であったために入手することが困難になっていたが、そのコピーがネットに掲載されていた。熟読して、難破した船のように漂流を続ける日本の政治の進路をどう立て直すべきか、考えるヒントを得ることとしたい。

http://www.shunpunokai.com/pdf/110321aera.pdf

Crisis Management

佐藤優氏による評論。日本国家の未曾有の危機に、政府は、企業は、個人はいかに立ち向かうべきかと書いている。当方ブログの読者の皆様にご一読を勧めたい。大震災と原発の暴走で、日本の価値観が変わったことが稀代の論客によってわかりやすく説明されている。当方ブログの左側の参考図書館にリンクを貼ったので、本屋が近くにない読者は、Amazonにアクセスできる。

Spirit and music of Amami

元 千歳(はじめ ちとせ)さんの歌です。

奄美の歌姫で、すばらしい表現者です。

色々な歌を発表しています。

YouTubeにも掲載されていますので、

その他の曲も楽しめます。

辺境にすぎなかった奄美が、日本の国家の危機に際して、

源流を主張して、その正統性を歌声に托しているようです。

哀調をおびたフラットの月光の音楽は、

直射日光の権力に偏りがちな沖縄や日本を、

月読みの世界が結び束ねていくかのようです。

 星を仰いで航海を続ける黒潮の民には、

元々易姓革命の考えなどないのですから。

かたちあるモノは朽ち果てるけどと、

母なる海神国から日本復活を祈る、

澪標の音楽として体現したかのようです。

Typhoon Information

http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/help/tyinfo.html.ja

台風情報について解説するサイトです。

Postal Restoration

郵政民営化でハゲタカ外資にさらされる国民金融資産は300兆円近くに上る。
 復興予算50兆円を仮に確保できても、この実現のために300兆円を守る郵政改革法案を葬るのはばかげている。落とした500円玉を探す間に、1万円札がすられるのを許すようなものだ。この軽重をわきまえていない人が多すぎるように感じる。
 ついでに言えば、政府は4月末時点で1兆1355億ドルの外貨準備を保有するが、4年あまりの間、円高の進行によって52兆円もの評価損を出した。マスコミはこれを問題にせず、高速道路の無料化や子ども手当の削減など、たかだか数千億単位の使途変更を大げさに報じている。

以上は、http://www.tsushin-bunka.co.jp/?p=1367 からの一部引用である。

復興予算の裏打ちはある。原資もある。増税は要らない。郵政民営化の虚妄を是正するための郵政改革法案を成立させる方が国難を克服するための王道である。

全文は次の通りである。

郵政改革法案の成立は国会の責務

 人間はさまざまな問題を抱えながら生きている。賢明な人なら、重要な問題の解決を優先する。優秀な政治家も同じはずである。
 1月に始まった通常国会は東日本大震災の質疑に注目が集まる。議員の目下の関心は、本格的な復興対策が盛り込まれる第2次補正予算の財源のようだ。「震災復興国債」の発行で与野党とも異存はない向きだが、償還方法が問題となる。
 消費税や所得税などの増税によって捻出(ねんしゅつ)するのか、無利子非課税国債の形で富裕層から調達するのか。あるいは日銀引き受けか、日銀による買い取りか。政府が新規国債を発行すると同時に、外貨準備のドルを購入するために発行した政府短期証券を日銀に市場から買い戻させるといった手もある。
 復興対策の財源は必要だが、亀井静香国民新党代表の言うように「お金は後からいくらでも付いてくる」話で、日銀を活用するなど消費活動に負担のかからない形が望まれる。20年続く不況下で増税したら、わが国の没落は決定的となる。
 復興のために必要な予算は50兆円とされる。宍戸駿太郎筑波大学名誉教授の試算では、直接被害は52兆円と報告されている。もちろん、デフレ脱却のための景気対策の要素も加味して100兆円くらいで組んでほしいが、自民党の大島理森副総裁らから第2次補正を2兆円規模で組もうという話が出ている。
 一方、郵政民営化でハゲタカ外資にさらされる国民金融資産は300兆円近くに上る。
 復興予算50兆円を仮に確保できても、この実現のために300兆円を守る郵政改革法案を葬るのはばかげている。落とした500円玉を探す間に、1万円札がすられるのを許すようなものだ。この軽重をわきまえていない人が多すぎるように感じる。
 ついでに言えば、政府は4月末時点で1兆1355億ドルの外貨準備を保有するが、4年あまりの間、円高の進行によって52兆円もの評価損を出した。マスコミはこれを問題にせず、高速道路の無料化や子ども手当の削減など、たかだか数千億単位の使途変更を大げさに報じている。
 先日、ある国会議員と復興予算で意見を交わす機会があった。増税によらない財源確保に熱心な議員で、日銀の活用を模索していた。経済政策家としては敬服する。しかし、その実現のためには菅首相の退陣が避けられないとの主張だ。
 そこで、問題提起した。「倒閣となると、郵政改革法案が通らなくなりませんか」「いやあ、懸案の法案は各党がお持ちで、そういう小さなことをいちいち考えてたら、大きなことが実現できないよ」
 意に介さぬといった態度に、あ然とした。私は郵政関係者でもなんでもない。国民の利益の軽重で判断しているのだ。接触した議員に限らず、国会議員の多くはマスコミの反応を気にしているようだ。「日銀引き受けなんて言ったら、国民が拒否反応を示さないか」「震災のときに『郵政』では理解が得られないのでは」といったふうに。
 だから、自民党が「震災対応を優先すべき」と言えば、郵政改革法案を審議するための衆院特別委員会に名簿を提出しない暴挙も正当化されるのだろう。
 マスコミは郵政民営化をわが国に持ち込んだ国際金融資本に籠絡されたのだろうか。通信社の歴史をたどれば見えてくるものがある。世界初の通信社、仏国のアヴァス社はロスチャイルド家の資金で設立され、政府の通信を盗み読みして売った。世界最大のロイターはそこから暖簾分けされ、顧客のために一般投機家を欺くニュースを流すことで拡大した。
 委員名簿の提出拒否が一般紙で問題にされないのは当然のことか。6月中の今国会閉幕までに“しょぼい”2次補正を滑り込ませたいのも、郵政法案を葬るための策略かと思えてくる。
 議員たちが気にする世論とは結局、マスコミが言う内容を指す。政治家は迎合することなく、何が重要か本質を見抜いた行動をしなければ、国民に報いることは永遠にない。
(南下軍の喜)

Plant trees and restore forests

  熊野の地で日本を思う

夜寒で避難所に炊き出しの応援に行く体力に欠けるが、何か出来ないかと、熊野の本宮大社に詣でて、日本復活祈願をした。飛行機で羽田と発つと僅かに一時間で紀伊白浜に着き、熊野古道を辿るバスで更に一時間で着く。

四月一五日の早朝から本殿祭が始まり、九家隆宮司は「大震災があり、祭の時間を知らせる花火やアドバルーンをあげることを自粛したが、その他の行事は淡々と進めることが大事である。人と自然との共生、東北で多くの人々の命が奪われた、その御魂の鎮魂を祈ります。明治二十二年の大水害で本宮大社は壊滅的な打撃を受けたが、僅かに二年の間に今の山間の丘陵地に移築することに成功している。しかも重機がない時代に大がかりな復興事業を成功させている。来年は大水害から一二〇年の節目の年として、社殿修復等の工事を進める」と決意を述べられた。

先人の迅速な修復に習うためにも、決断して迅速な行動に移して行くことが大事だとの趣旨の挨拶であったが、聴衆の中からは、現下の日本の政治指導力の欠如を想像したせいか、嘆きの声か、溜息か、はたまた失笑とおぼしきさざめきが聞こえた。本殿祭は、春の恵み、自然に生かされていることに感謝を捧げる神事である。

午後には御輿が、本宮大社の旧地である大斎原まで練り歩いた。満開の桜の中で、斎庭神事が大斎原で挙行され、餅投げがあり、熊野修験が大護摩の火を焚いた。神事の終わる頃雨が降り出して、遷御祭で御神輿は本殿に戻った。復興祈願をするにふさわしい大日本の聖地たる風格であった。

政治犯として収監された鈴木宗男氏も去年の九月一九日に、本宮大社に参っているし、宮司から「新しいスタートの場所ですから。人生山あり谷あり、苦難もあります。お身体に気をつけて、しっかり頑張って下さい」と激励を受けて何となくホッとした気持ちになったと書いている。今年の一月八日には小沢一郎民主党元代表も、白い巡礼の装束をまとって本宮大社に詣でている。

本宮大社の旧地は熊野川の中州にある。ダムが出来るまでは滔々として、河口の新宮からの船の往来が今より遙かに頻繁で古代の船着き場があったことを想像する。明治二十二年の大水害は人災であり、明治政府が神社の合祀を画策して紀伊の神社林の巨木を伐採したから、その結果山が荒れて、大水害が起きたに違いない。

南方熊楠の旧宅は田辺に残るが、隣地に顕彰館が建てられ、約二万五千点に及ぶ資料を整理しているので、帰りに立ち寄った。温泉場となった白浜の町の郊外の魚つき林であった岬の高台に、南方熊楠記念館がある。
昭和天皇の御製 
雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ の歌碑が敷地に屹立している。昭和四年六月一日、御召艦長門に六隻の艦船を従えて南紀を行幸した昭和天皇は、熊楠の推奨する神島に上陸して粘菌を観察され、後刻艦上で神島の植物に関する御進講を受けている。昭和三十七年南紀に再度
行幸の天皇陛下が、熊楠の思い出を話され帰京後発表された歌である。

神島には 一枝も心して吹け沖つ風 わが天皇のめてましし森そ との熊楠の赤誠の歌碑が昭和五年に建てられて今に残っている。神島とは田辺湾
にある面積三ヘクタールの島である。

神島と書いて、訓は「かしま」であり、神は建御雷命であるというから、常陸の鹿嶋神宮との関係も容易に想像され、かしまが神島であることを田辺の記念館を訪れるまで知らなかった不明を恥じた。神島は、古くから不伐の森であったが、明治四十二年に神島の社が、近くの神社に合祀され、森の伐採が計画された。南方熊楠はこれに反対した。

明治政府は、明治四年の太政官布告で全国の神社の格付けをして、明治九年には、神社合祀の法律基盤を固めた。紀州では、特に急進的な合祀が行われたとされるが、きっと巨木の利権があったからに違いにない。

南方熊楠が、神社の合祀合併とそれに伴う神社林の伐採を憂えて、長文の論攷を初めて発表したのは、明治四十二年九月であるが、神社の森がか
けがえのない生命の貯蔵庫であることを知り、日本という国の文明の根本がそうした、小島の森や、鎮守の森に宿っていることを、むしろ七つの海を制覇した大英帝国の博物館での勉学の成果として知り尽くしたと思われる。

大正七年に至ってようやく、「神社合併は国家を破壊するもの也。神社合併
の精神は悪からざるもその結果社会主義的思想を醸成するの虞あるを持って今後神社合併は絶対に行うべからず」との意見が通った。熊楠の反対で、神島の森、熊野古道の野中の継桜王子社の森、那智の滝の原生林などが残ったが、大方の神社林は切り倒されてしまった。明治の神社合祀は、小泉構造改革の破壊とも似た神殺しであった。近代の宗教秩序を導入して合併で効率化する発想であった。

神社合祀の場合には、巨木が利権となり、木を伐ってそれを売ることで、一部の勢力が利益を上げるという構造であった。列島に繁茂していた巨木が、外国勢力の手に渡って加工されていったとすれば、現代の構造改革協議や郵政民営化という外国金融勢力の支持によってなされた虚妄に限りなく近い。事実、北海道の樫林は外国で酒樽になった。

神島は天皇陛下が愛でて、南方熊楠とその継承者が厳重に守って保護したにもかかわらず、マツやタブノキの巨木が弱って枯れ、少しずつ荒廃しているという。南紀でも魚つき林は殆ど破壊されたし、神島のある田辺湾や海岸線は、コンクリートによって津波の力を消す浦々を埋め立ててしまった。昭和二十一年に南海道地震による大津波がおきたことがあるが、これからの覚悟はあるのだろうか。

さて、東京に帰り、原発の写真集をみると、全部が海岸にあるが、テトラポット
を積み上げた形で自然の力をなめきっているように見えた。心して沖津風が吹いたせいか、熊野灘の原発建設の話は立ち消え・中止になっている。


蔵王堂

蔵王堂
吉野の国軸山金峯山寺蔵王堂

山号が国軸であることを初めて知った。国の軸である。蔵王堂では、東日本大震災のための勤行が行われている。当方ブログは、20日夕方、21日の朝夕、22日の朝の勤行に参加した。

The Age of Deception

今日やっと、エルバラダイ国際原子力機関前事務局長の回想録を入手した。書評が世界的に色々と出ている

まずは、マクミラン出版社。http://us.macmillan.com/theageofdeception

http://www.nobelforpeace-summits.org/mohamed-elbaradei%E2%80%99s-%E2%80%98the-age-of-deception%E2%80%99-on-nuclear-diplomacy/

http://frogenyozurt.com/2011/05/the-age-of-deception-nuclear-diplomacy-in-treacherous-times-by-mohamed-elbaradei/

May Flowers

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Market Assault

外国製の老朽化した原子炉を延命した原発の暴走が第二の大津波である、とすれば、国際金融資本による日本の土地、財産の書い叩きは、第三の大津波となろう。その第三の津波が到来する気配が外国通信社のニュースで配信されている。

外国の拝金勢力は、自然災害の後に、土地や財産等の買い占めを図ることが、インド洋の大地震のあとや、カトリーナのハリケーンの災害の後でも見られたが、いよいよ日本でも一攫千金を狙おうとして上陸してくる気配である。報道によれば、地震発生以降、ずっと日本の資産を買い越しているとも指摘している。中国が、日本の土地を買っていることが喧伝されているが、それだけではない。もっと大がかりな陰謀が進められている気配である。

世界最大の国民資産の活用策と運命が懸かっている郵政民営化の見直しがなかなか国会でまとまらないのも、そうした外国の拝金勢力が暗躍して日本の政治家が操られているからで有り、日本では大地震があって、却って烏天狗の力が増した感すらある。

それぞれの持ち場で、外国勢力の支配を排除するために力を尽くして徹底して抵抗しなければならない。大日本は神の国なりと、神皇正統記を書いて鼓舞した北畠親房の声が聞こえるようである。日本の土地や財産を安値で買いたたこうとする、外国勢力の強迫と圧力に屈してはならない。構造改革と称する虚妄の音頭を取って、日本の津々浦々の破壊に加担した政治勢力が今度もその手引き役を果たそうとする趣であるが、政権交代したわけであるから、国会は今こそ外国勢力の跋扈と投機を禁止する法律を立法して迎え撃つべきである。

拝金の外国からの火事場泥棒を何とか排除しなければならない。外国金融勢力とその手先による国民資産の略奪を排除しなければならない。東北の日本国民を流民にしてはならない。東北の国土を、外国勢力の見せ金の支配に、草木ひとつたりとも譲って、強奪されてはならない。日本は復興資金をそうした勢力から借りる必要など、もともと、なにもない。これまで蓄えて来た、郵便貯金などの資金や、外国に貸してある外貨資金をちゃんと原資として使えば良いだけの話である。日本のカネを元手に日本が買われると言った過去の愚策を繰り返してはならない。

電力会社も、原発暴走を契機にして、混乱に乗じた外国勢力に買いたたかれて支配される虞がある。一刻も早く、国有化などの企業統治の改善を行って、外国勢力の占領を防止する策がとられて然るべきである。先年、電源開発が外国勢力の乗っ取りの可能性があって強行策がとられたことは記憶に新しいが、そうした事態は絶対に避けるべきである。

「5月18日(ブルームバーグ):

米ゴールドマン・サックスは6月に国内外の投資家向け会議を開催する。小泉元首相や銀行首脳ら政治・経済界からリーダーを招へいし、東日本大震災後の日本経済や国内企業について議論する。モルガン・スタンレーも今月下旬に開くなど外資勢によるイベントが相次ぐ見通しだ。    

ゴールドマンは来月2日と3日、都内で「ジャパン・ライジング」を開き、海外と日本から約300の機関投資家を招く。2006年まで5年間にわたる在任中に郵政民営化や不良債権処理を進めた小泉元首相は、2日午後「日本の歩むべき道」について講演する。ブルームバーグ・ニュースが18日までに入手した招待状で明らかになった。    

米ウォール街を中心にグローバル投資銀行は日本にビジネスの機会を見いだしている。戦後最大の国家的危機に直面する日本で今後、復旧・復興需要で経済、企業業績が回復するとみた外資系証券のイベントが目立っている。地震、津波、原発事故を引き起こした3月11日の震災以降、外国投資家は1週間を除き、毎週日本株を買い越している。    

  シティグループ証券のブライアン・マッカピン社長は18日、都内でのイベントで大震災後の日本について、「企業のブランド力は高く、グローバルプレーヤーとして優位にある」とした上で、「日本株投資に投資しなければならないし、今後もその動きを追うべきで、日本のマーケットから離れることはできない」と述べた。    

東電、三井住友FG    

  ゴールドマンの松本弘子広報担当は、イベント開催について確認したが、スケジュールなどの詳細についてはコメントを避けた。ゴールドマンの会議では、三井住友フィナンシャルグループの久保哲也副社長や東京電力の大槻陸夫株式グループマネジャーも講演する予定だ。    

  一方、モルガン・スタンレーが今月30日、31日に開催する「ジャパン・リバイバル・コンファレンス」では、前原誠司前外相のほか、日産自動車の志賀俊之最高執行責任者(COO)が講演する。モルガンSの渡辺美嘉広報担当は同会議の開催については認めたが、詳細についてはコメントしていない。    

  バンク・オブ・アメリカも9月に世界の投資家が東京に集う会議を開催する計画だ。メリルリンチ日本証券の井上敬之広報担当によると「日本再生-震災を超えて」は、約一週間の予定で開催され、国内外約1300の機関投資家が参加するという。    

  JPモルガン証券の株式本部・コーポレートアクセス部の責任者、アンナ・ディングリー氏は、「われわれのアナリストやエコノミストは現在の日本の状況について説明するため世界を飛び回っている」と語った。日本企業幹部が業績や経営戦略を海外で説明するロードショーを5月に15回以上企画し、震災以降、積極的に働きかけているという。」

Lost but Restore the Justice

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東日本大震災のために延期されていた「日本の司法を正す会」の院内集会「冤罪を許さない!」が、5月18日(水)午後二時から東京永田町の中議員第一議員会館の大会議室で開催された。

1967年、茨城県利根町布川で一人暮らしの老人が自宅で殺害された事件で、別件で逮捕され自白を強要され、無期懲役の判決を受けたが、29年後の1996年にようやく仮釈放になり、今月の再審判決で無罪となると見られている桜井昌司氏と杉山卓男氏が出席した。狭山事件元被告の石川一雄氏、枚方談合事件の中司宏前枚方市長、それから、袴田事件の犯人とされ、未だに獄中に繋がれたままの袴田厳氏の姉が出席した。司会を青木理が担当して、ジャーナリストの魚住昭氏が、壇上に並んだ。

元参議院議長で、ものつくり大学で無実の罪に問われて投獄された村上正邦先生が、舌鋒鋭く、日本の司法を正す最低限の是正策として、袴田事件の袴田氏を即時釈放すること、現在の検事総長が関わった事件の検証を行うことなどを提案した上で、いわゆる取り調べ過程の可視化、証拠の被告側への全面開示、特捜検察のあり方に着いての、廃止を含めた見直しを、決議した。出所者の就職支援、最高裁裁判官の国民審査のあり方の検討の必要性を指摘する決議を採択した。

http://www.fureai.or.jp/~takuo/fukawajiken/index.htm

http://www.h3.dion.ne.jp/~hakamada/

http://d.hatena.ne.jp/nakatsuka1956/

http://youtu.be/tjEk832EGiY

五月の薔薇

五月の薔薇

これはテッセン。

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Kuroshio Culture and Tradition

48回目は熊野詣での話であったが、49回目は、田辺の南方熊楠の神島の話である。黒潮が岸辺に寄せる。一月2回書くが、正月は休んだりするので、もう四年以上書き続けていることになる。段々と黒潮の洗う列島の輪郭が明らかになってきたような感じがする。

 これまで、書いた黒潮文明論が、リンクも飛び飛びになり、書いた本人もどこに文章が残っているのか判らない位になり、散佚する恐れがあるので、いちいち検索するのも面倒であるから、整理して下記にまとめて掲示するようにした。

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/kuroshio-1.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/kuroshio-2.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/kuroshio-3.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/kuroshio-4.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/kuroshio-5.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/kuroshio-6.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/kuroshio-7.html

⑧ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/kuroshio-8.html

⑨ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/kuroshio-9.html

⑩ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/kuroshio-10.html

⑪ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/kuroshio-11.html

⑫ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/kuroshio-12.html

⑬ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/kuroshio-13.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/kuroshio-14.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/kuroshio-15.html

⑯ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/kuroshio-16.html

⑰ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/kuroshio-17.html

⑱ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/kuroshio-18.html

⑲ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/kuroshio-19.html

⑳ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/kuroshio-20.html

㉑ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/kuroshio-21.html

㉒ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/kuroshio-22.html

㉓ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/kuroshio-23.html

㉔ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/kuroshio-24.html

㉕ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/kuroshio-25.html

㉖ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/kuroshio-26.html

㉗ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/kuroshio-27.html 

㉘ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/kuroshio-28.html

㉙ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/kuroshio-29.html

㉚ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/kuroshio-30.html

㉛ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/kuroshio-31.html

㉜ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/kuroshio-32.html

㉝ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/kuroshio-33.html

㉞ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/kuroshio-34.html

㉟ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/kuroshio-35.html

㊱ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/kuroshio-36.html

㊲ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/kuroshio-37.html

㊳ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/kuroshio-38.html

㊴ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/kuroshio-39.html

㊵ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/kuroshio-40.html

㊶ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/kuroshio-41.html

㊷ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/kuroshio-42.html

㊸ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/kuroshio-43.html

㊹ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/kuroshio-44.html

㊺ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/kuroshio-45.html

㊻ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/kuroshio-46.html

㊼ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/kuroshio-47.html

㊽ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/kuroshio-48.html

㊾ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/kuroshio-49.html

 黒潮の流れに着想を得た、民族文化論を目指している。学者の検証ではない。黒潮が洗う島々の岸辺の人々の生活について、過去、現在、未来と想像しながら、自由奔放にと心得ている。ささやかではあるが、 しかし確固として揺るぎのない共同幻想の一端を担いたい、神がかりになっても、害を与えない話として、どこからも指図をうけることはしないが、科学的な分析と探求心を基本に据えておきたい。センチメンタルな回顧談であるとか、事大主義的な、文化優越論ではない。むしろ、黒潮文明の広がりは想像以上に大きく、その中での民族文化論であるから、必然的に謙遜になり、自らを客観的な観察の対象とする皮肉も併せ持っている。

それにしても、49回目の今回は力がこもる。わがすめらぎがめでまししもりそ、との南方熊楠の森を守ろうとする気迫を込めたいと思うからである。

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Kuroshio 49

熊楠が残した神社の森

熊野本宮大社の例大祭への参加を終え、二倍時間のかかる各駅停車の竜神バスで、白浜空港に戻ることにした。午後遅くの飛行機の出発まで、田辺駅で下車して南方熊楠の故地を訪ねた。旧宅は駅から歩いて行ける距離に残る。大正五年から昭和十六年に享年七十五歳で亡くなるまで四半世紀を過ごした終の住処である。

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隣地に顕彰館が近年建てられ、約二万五千点に及ぶ資料を整理している。採集道具、寄稿論文を掲載する内外の雑誌文献、日記を展示する。柳田國男宛の書簡までも収集されている。それから、駅前からバスに乗り、温泉場となった白浜の町を抜けて、典型的な魚つき林の様相の岬の高台に、南方熊楠記念館がある。岬の森は植物園のようになっており、麓には京都大学の海の家のような施設があり、隣接の砂浜にはハマユウの群落がある。

昭和天皇の御製
 雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ
の歌碑が敷地に屹立している。昭和四年六月一日、御召艦長門に六隻の艦船を従えて南紀を行幸した昭和天皇は、熊楠の推奨する神島に上陸して粘菌を観察され、後刻艦上で神島の植物に関するご進講を受けている。

神島には
一枝も心して吹け沖つ風 わが天皇(すめらぎ)のめてましし森そ
との熊楠の赤誠の歌碑が一年後に建てられて今に残る。記念館の歌碑は、昭和天皇が昭和三十七年に再び行幸されたに詠まれた歌を碑として、記念館と相まって昭和四十年に完成している。臣下の姓名を挙げて思ふとする類稀な君臣の関係を詠っており、神島を指呼の間に望む地に常陸宮殿下の鍬入れで不朽の記念としている。御進講の後の松枝夫人との記念写真が残っているが、熊楠は蝶ネクタイにシルクハットの燕尾服と畏まって緊張している雰囲気が伝わって来る。

 神島は、田辺湾にある面積三ヘクタールの島である。神島と書いて、「かしま」と訓(よ)む。しまであり、神島の神は建御雷命(たけみかづちのみこと)であるというから、常陸の鹿嶋神宮との関係も容易に想像される。かしまが神島であることを田辺の記念館を訪れるまで知らなかった無知を恥じている。神島は、古くから人の手の入らない不伐の森であったが、明治四十二年に神島の弁天社が、近くの村の大潟神社に合祀され、神の森の伐採が計画されるに至り、南方熊楠が、自然の森の破壊の反対して神島を日本初の保安林編入に成功している。そもそも明治政府は、明治四年の太政官布告で、全国の神社の格付けを図り、明治九年には、神社合祀の法律基盤を固めるが、三重県と和歌山県では、特に急進的な合祀が行われたとされ、郡長が神職取締を兼ね、強引に合祀を迫っている。

 南方熊楠が、神社の合祀合併とそれに伴う神社林の伐採を憂えて、長文の論攷を初めて発表したのは、明治四十二年九月二十七日である。

「昨今ヨーロッパでは街中に小公園をつくって市民の憩いの場としているというのに、我が国では手近にある小公園ともいうべき神社を潰し、その木を伐ることは時代錯誤だ」と主張している。熊楠は神社の森がかけがえのない生命の貯蔵庫であることを知り、日本という国の文明の根本がそうした、ささやかな島の森や、鎮守の森に宿っていることを、むしろ七つの海を制覇した大英帝国の博物館での勉学の成果として知り尽くしたと思われる。大正七年に至ってようやく、「神社合併は国家を破壊するもの也。神社合併の精神は悪からざるもその結果社会主義的思想を醸成するの虞あるを持って今後神社合併は絶対に行うべからず」との意見が通った。
 南方熊楠の反対で、神島の森、前号で紹介した熊野古道の中辺路の中途にある、野中の継桜王子社の社叢、那智の滝の原生林などが残っているが、紀州の大方の神社林は切り倒されてしまった。

明治政府が、神社合祀を進めたのは、最近の構造改革の破壊とも似ているように思うが、それは西欧的な宗教秩序を導入して合併で効率化しようとする発想であったから近代化の典型であった。平成に入っての市町村合併などもそうした効率化の典型であるが、神社合祀の場合には、巨木が利権となり、木を伐ってそれを売ることで、一部の勢力が利益を上げた事が根本にあったと想像する。列島に繁茂していた巨木が、外国勢力の手に渡って加工されていった可能性があるとすれば、現代の構造改革論という外国金融勢力の強迫に屈した迷走に限りなく近い。北海道の樫(オーク)林は外国で酒樽になったと聞く。

 南方熊楠の英文の書簡などを見ると、もう、西洋人も一目置くに違いない流麗さで、小村寿太郎等の英傑と共通する西洋理解の深さであるが、西洋を深く理解すればこそ逆に日本の根本について拘った。

明治と言う時代の中で、地方の知識人としてついぞ中央に出なくても、世界で活躍出来たのは、今日ほど地方が破壊がされていなかった証拠なのかも知れない。熊楠が没してからわずかに七十年であるが、神島の森は植生をどんどん変えている。マツもタブノキも枯れた。(つづく)



薔薇と鉄扇

薔薇と鉄扇

記事が、上記の写真を入れて、3000件となった。ブログを書くのは面倒なことであるが、ゆっくりゆっくり、或いは、とぼとぼと道をあるいているようなものだ。だが、コツコツと書いて、又励みが出る。当方ブログの読者の皆様、東京義塾のブログをご関心の向きにもお薦めしていただければ幸いである。市場原理主義との激しい戦いが、実は未だに続いているのですから。

Market Fundamentalism is now dead

Authenticity and Restoration

月刊日本が主催する第4回の勉強会が、今年も奈良県の吉野で開かれる。佐藤優氏が講師である。当方ブログとしても、お薦めするので、ご関心の向きは直接月刊日本の事務局に申し込んで頂きたい。

概要を転載する。

「もはや戦後は終わりました。我々が知っていた世界はなくなった。我々は3・11後という新しい世界に生きているのです」 東日本大震災と福島原発、そして休むことなく動き続ける世界情勢。 この新しい世界の中で、我々日本人ははどうすべきなのか、どのようにして生き延びるべきなのか。

 元外務省主任分析官・作家である佐藤優氏が、全知力を尽くしてこの難問に立ち向かう二泊三日の白熱講義。死とは、近代とは、そして日本とは何か。知的興奮の三日間が始まる。」 場所は、日本の霊地、奈良県吉野。

日本の将来を憂える人々、日本の将来を支えんと欲するサムライのみなさんに、ぜひご参加頂きたく存じます。

とくに関西方面からのご参加をお待ちしております。

日時:2011年5月20日(金)~22日(日)

 

費用は、:三万円(学生は2万円)・宿泊費、朝食夕食込み

場所:奈良県吉野 旅館「宝の家」

使用するテキストは、佐藤優著「3・11クライシス」(マガジンハウス)と、佐藤優著「日本国家の神髄 『国体の本義』を読み解く」(産経新聞社)を、以上二冊各自前もってご用意ください。(以上二冊は各自ご用意ください)

お申し込み、詳しい情報、部分出席などは月刊日本までご連絡ください。電話 03-5211-0096 ファックス 03-5211-0097です。

Coup d'etat

2007年2月に書いた拙文が他のサイトにあった。転載する。ご参考まで。それにしても、日本は菅政権になって、いよいよ新自由主義の政策の色が強くなった。外国勢力の影響が強くなっている。困ったことです。タクシンが失脚したことを書いている。今年は、夏にようやく総選挙が予定されている。

[タイのチェンマイに行ってきました。その昔よく訪れたのは、在チェンマイの邦人がわずかに20~30人の頃で、タマモト事件が話題になった時代でした。それが、現在は領事館に登録しているだけでも2000人を超えたとかで、反日の雰囲気はもう見当たりませんでした。日タイ友好の機運が4半世紀の努力でつくられてきたことがよくわかりました。市場原理主義に与しないで、着実に日本なりの信頼を勝ち得ていくことの意味を実感する旅でした]

 その昔、タイの大蔵大臣に慶応大学の卒業生が就任したことがある。ソンマイさんである。タイはなぜ、成長率をもっと上げないのかと質問したら、そんなことぐらいわからないのかと、若い日本人を諭すようにお話をいただいたことがある。ソンマイさんは、こう話された。東北タイはじめ地方部の生活水準を上げるほうが大事で、貧富の格差をいかに縮小していくかが大切だ。経済を活性化させて成長路線をとることはいとも簡単だが、それでは国のためにならないと。プレム首相の時代で、貧困撲滅運動をスローガンに掲げ、実際にまだタイ共産党が残っていたり、半島向けの大陸からの謀略放送があったりした頃のことだ。
 ASEAN成立後間もない時期で、フィリピンのシーシップ氏や、インドネシアのアリ・ムルポト将軍、そしてタイのタナット・コーマン氏などの優れた政治家がバンコクを往来し、日本からも大来佐武郎氏などがやってきて経済開発のために尽力していた。
 あれから、4半世紀。タイのチェンマイへ行く機会があった。チェンマイは、去年のクーデタで追放されたタクシン前首相の出身地である。シナワトラという絹織物の出店が、バンコクのペブリ通りから入り組んだところに店を構えていた。もともと北部の華僑としては、有名な絹商人であったが、最大の富豪になったのは、タクシン首相本人の商才である。警察官僚出身ではあるが、通信技術の変遷に対応して、携帯電話事業を起こしたことがその富の源泉であったことは疑えない。人工衛星を打ち上げてもいる。
 失脚の原因は、税金を払わなかったとか、いろいろ伝えられているが、チェンマイで聞いたのは、やはり、携帯電話会社を格安で、外国政府の息のかかった、投資会社に売却したことではなかったかとの意見が多かった。
 携帯電話の技術革新は、まず失敗した事例は見当たらないほどであったし、制度としては、電波のオークション制度が世界的に失敗したぐらいで、開発途上国でも大いに発展している。日本でも、携帯電話の創業の時期に、サッチャー氏の英国政府は、市場開放の圧力をかけて、電波利権を確保したが最近に至って経営難から日本市場から撤退している。莫大な額で売却して、資金を還流させている。もうアジアの国で、携帯電話が普及していない国は数えるほどであるが、資本の往来する市場としては金城湯池の世界であったことは容易にうかがえるところである。それが汚職の原因ともなった。
 タイでは、先人の努力にもかかわらず、急成長する中で、社会経済格差が、拡大したわけである。ソンマイさんなどが主張した格差是正の理想はなおざりにされ、国が分断されかねない危機意識が、クーデタの引き金を引いたものと思われる。
 4半世紀前でも外国資本に対する警戒心は相当なものである。51%のルール、すなわち外国人には決して支配権を渡さない、株式の過半数を渡さないことに対するこだわりは相当のものだが、最近は名義貸しの抜け穴が横行して問題化していた。アジアで列強の植民地にならずにすんだのはタイと日本だけだが、そうした厳格さ(決して表面には出さないが、微笑の内内に秘めて)にも国益を守ろうとする姿勢に反映されている。 タクシン氏はアメリカの広告会社などを顧問に雇って復権を狙っている趣で、先月の来日を含め各国を往来して宣伝にこれ努めているようだ。これに対抗して、最近、暫定政府側が読売新聞の独占インタビューに応じて意見を表明していたことは特筆すべきである。読売新聞はタイのネイション誌と長い提携関係にあり、実態を反映していた記事であった。タイの国軍司令官としては初のイスラムの名家の末裔の出身であり、政治的な野心はないと言い切っている。本音だと思う。
 自国民のためではなく、巨万の富で私腹を肥やし、外国にたやすく国民資産を売り渡してしまうことは、独立の気風の強いタイでは我慢のできないスキャンダルであったと思う。この国でも、携帯電話事業会社が、ヨーロッパの会社に投資をして、莫大な損失を喫したことが近年あった。どこか共通するような事例である。外国資本の携帯電話会社が経営不良と見るやさっさと売却して撤退したのは、先述の事例であるが、もともと無料(?)で獲得した公共の電波権益を利権化して咲いたあだ花であったのかもしれない。

 郵政民営化の問題も上述のような国益の観点から再考する必要がある。3年以内に金融部門の株式を公開するというが、誰の利益のためなのか。国内に貧富の格差、地域間の格差を拡大させることにはならないのか。株式の売買で、支配権が外国に移ることはないのか。営々として蓄えられた莫大な国民資産が一部の資本家の手に移ってしまうことにはならないのか。それを防止するどんな手立てが考えられているのか。 きわめて非民主的な、憲政の常道に反する政治手法で採択された郵政民営化法は、むしろそうした危惧を内包する体系となっている。
 タイでもタクシン氏は、強権的な手法をとった。言論にも容赦のない弾圧を加えたし、無実の人物を投獄するようなこともまま見られた。タイ南部でのイスラム教徒のマレー人の弾圧は、強硬なものであった。老婆心ながら、日本の投資家や企業家の中にも多少与した者があったのではないかと心配する。報道によれば、中国はさっさと内政問題として中立を声明している。さて、わがほうはといえば、欧米の一部と組んで、一部日本人が投資法令のことを問題しているというが、海外でも欧米の市場原理主義者たちとは一線と画す方が、アジア各国との良好な関係を維持するためのたしなみと思う。
 この国では、タイの混乱を他山の石として、春の統一地方選、そして夏の国政選挙で勝利して市場原理主義の改廃を求めて政策転換をさせ、例えば、郵政民営化や道路公団の民営化、医療制度など一連の私物化路線の改悪を見直すことが必要である。そして、市場原理主義の放埓に呻吟するアジアの各国に希望を繋げる仲介の役割を、日本が果たしていかなければならない。

 

China's Hegemony and Expansionism

 当方ブログは、市場原理主義の典型が中国でも実現している可能性があると考えている。市場原理主義の教組であった、シカゴ大学教授のミルトン・フリードマンは、北京を訪問して指南した可能性を指摘しておきたい。また、当方は、中国問題の専門家ではないが、日中関係が大きく転機を迎えつつあるなかで、日中関係に対処すべきかを真剣に考究してまとめたので、参考になれば望外の喜びである。ひとつの外交の危機を乗り越えるために日本の国の本質、国体の本義は何かを考え抜く好機としたい。決して日本側で偏狭な事大主義に陥ってはならないことは言うまでもないが、日本側で中華帝国の本質をきっちりと認識することが必要である。

 具体的な方向性は判然としないが、日中両国の関係は、地政学的な思惑によって規定されることが多くなってきた。反面、両国の社会相互の理解は、時が経つにつれて弱体化しているように見える。中国側に、経済的なカネの切れ目が縁の切れ目とばかりに、軍事的あるいは政治的な優位性を確保しようとする中華思想の覇権主義、あるいは拡張主義的な動きが顕著に見られる。

 中米関係は、国交正常化したのが、1978年であったが、その後、三十年を経て、中米の経済同盟と言われるほどに、関係が緊密化しており、その分、米国における中国の影響力は極大化しており、事実、米国国務省の幹部には、日本を知る専門家がいなくなってしまった。日中関係は、中米関係との天秤の関係にある可能性がある。米国は、東アジアを見る場合に、中国と日本とが、別の文明にあることを峻別せず、中国と日本とを競争関係にあるものと見立てて、競争をもちこみ、あるいは分業の形態をとらせて、その中で米国の主導権を確保しようとする。太平洋戦争で見られたように、米国は蒋介石の中華民国政権を徹底的に支持したが、その後は、中国共産党政権との現実的な国交回復を見るまで、中国との関係を失っていた。実は、その間は、最も日米関係が緊密化した時代でもあった。朝鮮戦争があり、冷戦があって、日米関係が充実したのは当然であるが、その後、冷戦の崩壊とともに、米中の国交回復が行われ、共産党の政治体制であるにもかかわらず、中米関係は急速に拡大した。要するに、米国は、人権外交と、自由と民主主義のイデオロギーを強調はするが、現実には、主義主張には関係しない現実主義をとる国家である。プラグマティズムと言い換えた方がいいのかも知れないが、ヤルタ会談のように、スターリンの共産主義とも連携できるのが、米国の外交の歴史の事実である。勿論、その反動が起こり、第二次世界大戦終結と同時に米ソは激しく対立することになる。第二次世界大戦後、米国内では共産主義を弾劾する、マッカーシズムが猛威を振るったことも又よく知られているが、米国内には、ソ連や中国共産党を支持した勢力がかなりの程度浸透していたことも事実である。

日米関係も、中米関係の進展で、むしろ反日的な米国の当局者が力を持つようになるに連れて、日本異質論がはびこり、例えば、ライシャワー・ハーバード大学教授が、親日的であるとしていわゆるリヴィジョニストから激しく批判された。米国からは、日本の国民資産に狙いをつけた金融関係者が続々と来日して、日本のカネを海外の市場に持ち出して投資して利益を上げる話が喧伝された。日本から中国に向かった投資は相当な額であり、上海で林立する高層ビルの大半の原資が日本から、外国の金融機関を経てなだれ込んでいるのではないのか想像したことであった。天安門事件があったことなど、すっかり忘れられた様でもあり、米国は、対中関係において、チベット問題やウィグル弾圧の問題など、もはや中国内における人権問題を問題視しないかのような政策をとっている。

 中国の政治状況は、経済的な急速な発展とは裏腹に、絶えず流動的であり、安定しているとは言えない。マルクス主義風に言うと、矛盾は増大しており、社会格差・社会対立が激しく進行している。報道は制約されているから実態が判らないにせよ、暴動が頻発しているとも言われ、実際にも社会経済格差が拡大しており、共産党中枢は、内部の不満を外に振り向けるために、例えば反日の動きのエネルギーに転嫁する操作を意図的に行ってきている。日本をたたいても、それほどの反発も見られないので、中国当局は日本のカードを振りかざし反日的な行動がエスカレートする傾向が見られる。西欧には卑屈でも日本には高飛車である。

 こうした転換期において、中国の本質とは何かを日本側からきっちりと考えることが必要だ。中国の文化伝統には、複数の様相が絡まっているが、中国の中華思想という壮大な神話体系に加えて、元々は外来の思想である、マルクス・レーニン主義が色濃い。矛盾した動機と感情も内在的にある。日中関係の中で、強調された誤解に、一衣帯水、同文同種などの表現が、政治宣伝として時代を謳歌した。

 遣唐使の時代以来、日中関係は相互理解があるという誤解がある。ところが、事実は、現代中国には、唐の時代の教養はほとんど残されおらず、鑑真和尚などは、全く歴史に載ることもなく、現代中国人が知ることもない。むしろ、日本に、唐の時代の文明文化が残っているという現実が判って来た。中国の王朝は前の時代の文物を徹底的に破壊して、後代には残さないことが通例である。

 中国からの亡命者の話によると、東京の書店に入ってまず驚くことは、書棚に中国の古典の本がずらりと並んでいることであるという。孔子・孟子にとどまらず、ありとあらゆる中国の古典を入手することは東京では困難ではない。しかも、日本人の教養の中には李白・杜甫などの唐詩の世界が入り込んでいるが、現代中国人は、李白・杜甫を知るよしもない。現代中国でも、中国の古い時代を破壊することに血道を上げてきた。孔子の論語の解説本が、東京の書店のいずこにも見られたことは驚きであると言う。文化大革命では、中国版のマルクス・レーニン主義は、伝統文化を破壊することが奨励された。文化大革命で、紅衛兵は孔子廟を破壊して回った。要するに、古い中国の文明様式が保全されているのが日本である。現代中国のマルクス・レーニン主義に立脚した政治思想は、西洋に端を発する思想である。毛沢東の時代よりも一層、中国の伝統的な思想が変形し、西洋化が統治形態の中に入り込んでいる。

 現代中国には精神生活を支えるような文化文明の思想は皆無である。慌てて、孔子学院などと主張しているが、儒教の素養はほぼ破壊されたと見ていいのではないか。市場原理主義の拝金の徒が主導する、感情の希薄な世界に変化した。円仁・慈覚大師が持ち帰った、唐代中国の文化文明の精髄はむしろ日本に残っている。

日中関係悪化で損をするのは中国側だと認識できる状況を作り出すべし

 日中関係は、貿易や人的な交流が毎年拡大して、相互信頼が表面的には進んでいたように見えるが、立ち止まって考えると、中国側は、日本に対する友好関係をむしろ冷静に高見の見物をしている。日中両国の文化的な違いがあることに対する日本人の幻滅は、むしろ深まっており、中国側でも、経済的な国力の増大とともに、伝統的な中華思想が表面化する傾向にある。日中間で何がトラブルになるのか、文化的な伝統的な違いを明らかにしておくことは、日中関係の悪化を避けるために必要である。誤解に基づいた二国関係が進むほど、将来における破綻の被害が大きく拡大する可能性が高い。

 中国に数多くの日本企業が進出した。日本国内の産業が空洞化するほどの巨大な流れになったが、今こそ、日本側でも冷静な利害得失の分析を行い、、将来の日中衝突が万一あっても、被害が最小化するように備える時期である。
 日中関係が悪化すれば、損するのは中国側であると認識できる状況を今から作り出しておかなければならない。将来に亘って安定的な日中関係が中国市場・外交関係を保持するために、多角的な日中関係が構築され、不必要な緊張が生じないようにしなければならない。過剰な期待は、幻想を生み、その幻想は幻滅に行き着くことは必然である。互いにあら探しが始まり、対立が激化して、場合によっては、政府間の衝突に行き着く可能性すらある。

 中国は、実は、世界的には、敵対的な交渉を行う国として悪名が高い、しかも、巧みな交渉術を兼ね備えており、誠実さがない国家の代表例となっていることは明らかである。公明正大、開放的などとの表現は当たらず、無愛想で威嚇的で、尊大であるというのが、実像である。ウィグルやチベットの弾圧については、海外に映像が流出して知られるようになったが、少数民族をあたかも犬でもなぐるように、人間を人間ともしないで、殴る蹴るの暴行をする、文明度の低い国家である。ジョージ・オーウェルの描いた動物農場化が進み、ノーベル平和賞の受賞者は獄中にある。

 契約を守らず、事実を追求されると猛然と抵抗する、メンツにこだわるということを示したのが、毒入り餃子事件であった。中国国内の矛盾が拡大すればするほど、むしろ中国の側から、国民の不満を外部のはけ口に振り向けるために敵対関係を増幅していく可能性がある。

中国文化は法治主義ではなく政治の影響力が絶対である

 中国との関係は、現在の市場と言うよりは、将来に対する期待感が想像されて、活性化されるという側面があった。人口の巨大さが語られ、その巨大な人口が購買者になる時代を期待して商談が行われる。中国側の政治宣伝の能力の高さもあり、中国市場に期待を持たせた。対中関係は、今は駄目だが将来は良くなると考えて時間がすぎ、いつの間にか、身ぐるみはがされていたということも現実化した。ヤオハンという、静岡県のスーパーマーケットがシンガポールに進出して大成功を収めた。シンガポールという、アングロサクソンの統治化にあった、旧植民地の合理的社会で成功した日本人経営者が、華僑の祖国に進出したが、その将来と現実との齟齬の中で、敗退した。上海で開店したヤオハンの店舗は、品揃えも良かったが、実は、それを買う消費者はおらず、ほとんどが、万引きの被害が続発するのが実態で、倒産してしまった。

 1974年まで、日中貿易は、中国の政治信条を支持して、台湾との交易のない、いわゆる友好商社を限定して行われていたのが原則であった。1976年に毛沢東が死去して、78年には米中の国交回復が行われる。それから、中国市場に対する期待が過熱していく。78年の八月には、日中平和条約が締結され、中米関係の進展とともに、日中間の貿易も急速に拡大することになる。中国側の主張した、四つの近代化は、威勢の良い政治宣伝で、日米双方の経済界に、甘い幻想を振りまくものであった。中国の政府当局者は、四つの近代化の政策が実現不可能であると結論を出して、10カ年計画を破棄して、その後の三年間を調整期とするという決定を下している。79年末には、USスティール社との契約を署名した直後に、中国側は契約の中止を申し入れている。中国側が、自由貿易地域を香港や澳門の近辺に設けることを提案したのがこの頃である。政府間の借款、米国の主導する世界銀行の借款が、中国市場の調達の資金源であったから、絵に描いた餅のような大型のプロジェクトの打ち切りが相次いだのも、このころである。中国国内では、政治政策をめぐる主導権争いが行われたが、83年になって、価格改革の必要性に関する論議として、表面化した。84年一月に鄧小平が深浅を訪問した。14の沿海都市が外国投資の対象として開放された。上海の外国系銀行が、預金と外貨による融資業務を開始した。
 1986年の12月には、初の民主化要求の学生デモが行われ、胡耀邦総書記が失脚した。89年春に天安門事件が起きる。

 中国は、相手が巨大な企業であるか、中小企業であるかによって、交渉のやり方や態度を変える。大企業の場合には、大規模な外国企業については、実際に購入するときには至って慎重で、むしろ、その外国企業の持っている技術の習得に血道を上げることになる。ほとんど利益が上がらず、中国市場では、ハイテクを低価格で供与するだけの役割になっている外国企業もまま見られる。中国で原材料を仕入れている企業は、数も少ないのであるが、中国に対してほとんど不満がない。漢方薬の輸入などがこの分野であって、政治とも関係が無く、細々とした関係である。消費財を中国で生産して輸入する企業が最も活発である。中国側が、最も関心をよせるのが、生産拠点を中国に作ろうとする外国企業である。外貨を稼ぎ、雇用を確保して、適当な技術移転が行われるからである。

 中国側が、誇大宣伝をして、市場に過剰な期待を抱かせながら、同時に「じらし」のテクニックを使う。ビザの発給、事務所の開設、要人との面会、通訳の手配など、ありとあらゆることが、中国側の配慮なしには、動けないシステムを作る。外国企業の関係者を不安に陥れる。中国側は、決して急がない振りをして、外国側の足下を見つめる。夜遅い宴会の席上では酒に飲まれては失敗である。マオタイ酒をたっぷり飲ませた後に、核心の問題を切り出すかも知れない。

 日本人は、中国が社会主義の国であることを忘れがちである。硬直的な官僚制は、融通無碍の腐敗と裏表の関係になる。特に、地方政府の場合などは、中央との軋轢を回避するために、地方独自のやり方が強調され、これが後に中央との軋轢の原因となる場合も見られる。中国の官僚制度は、完全な縦割りで、自分の持ち場のことしか判らないので、全体の判断はつかない。全体の判断は、共産党の役割であるから、最終的には、全てが共産党の掌の中にある。

 中国の制度は、責任を逃れ、決定を曖昧にして、後になって批判を招きかねないことは全て隠してしまうという高等な技術を発達させている。だから「権力と権限とが一体で、あらゆる物事の判断に責任が伴い、責任者がいるはずだ」と考えるのは幻想である。実際には、責任者はいないし、判断する者もいないこともまま見られる。中国共産党の幹部は、自分の権力を誇示するが、責任は部下がとることが常套であり、部下が上司を守ることが当然であるとする。中国では、権力があればあるほど、その範囲が曖昧であり、責任を負わない。企業のトップが判断能力を持つわけではなく、その下僚が判断しているのか、外部からはわからない場合が多い。中国の官僚は、社会主義の下では、あらゆる批判から身をかわさなければならないから、絶えず慎重で疑り深い態度を崩そうとはしない。一つの例であるが、実は、中国の官僚は、100年前から中国を出入りしているイギリスの植民地時代からの会社と、歴史の浅い、日米の会社とどちらに信頼を置くかと調べると、歴史の長いイギリスの貿易会社の方に重きを置いて信頼する傾向になる。

 中国共産党の鉄の支配の下に、あらゆる組織制度が従属していると言うのが中国の厳然たる事実である。国益を守っていないとの批判されることに戦々恐々として、交渉ごとを決して自ら判断せず、全てを上部に報告して、自らの責任をなくして、交渉過程を長引かせるのが通例である。

 中国との関係で、日本人的な遠慮や、謙遜は禁物である。1991年の春、ジミーカーター元米国大統領が北京を訪問して、アメリカにもホームレスの地域があり、エイズなどの問題で人権が保障されていないところがあるが、中国も人権政策を進めるように」と暗に示唆したが、ところが、中国側の報道は、中国批判の部分を削除して、アメリカの中の人権問題を大きく取り上げた。それによって、アメリカは中国を批判する立場にないと結論づけたのである。

 中国文化は、元々人治に重きがあり法治主義ではない。共産主義が加わって、政治の影響力が絶対である。政経分離などというのは方便である。ところが、自らが有利とみるや、手のひらを返すように、法治主義の権化のように、微に入り細に入り、合意契約書の文面の点検を求めてくる場合もあるので、要注意である。慎重に文面化された契約を取り付けようとしていることは間違いない。文書化されたものが、中国官僚の昇進にとって重要な証拠物件である。

対中国交渉の基本的な原則

 中国側の基準に合わせれば、当然相手から信用されると思いきやそうはならない。不自然な行動は当然何らかの報酬を期待しているものと中国側は考えるのが落ちである。
 日本のある組織と北京のある組織との間で、定期的に相互訪問をして情報交換、あるいは協議を行おうとの合意が成立した。その合意は、日本側が北京を訪問しているときは全ての経費を中国側でもつので、中国側が日本を訪問するときには、日本側で負担するという合意であった。その利害得失は、その交渉の場では表面化しなかったが、すぐ現実には問題化することになった。北京を訪問しても、飲食の為の経費は、中国の伝統的な行政の経費として処理され、比較的に値段が安いものであるが、中国側が東京に派遣する視察は、文字通りの視察であって、一流ホテルでの接待などで、経費は、中国側の支出を実質価格では大幅に上回るものとなった。中国は、伝統的に外国に派遣する視察団などには、交渉権限など滅多なことでは渡さないから、組織幹部の視察旅行に日本側が経費を負担した結果に終わってしまった。建前上平等に見えるが、いつも日本側が損をするという、定期協議の往来がいつしか廃れるのは当然である。
 もう一つの例であるが、日本側の要人が北京を訪問すると、国営の宿泊施設に泊めて、歓迎の宴会を開く。山海珍味を集めての宴会となるが、元々は格安の幹部の為の施設である。さて、答礼の日本側による晩餐会が開かれる。その経費はまるまる支払われる。高額で、東京並みの価格での請求書が来る。そうするとそのからくりはすぐ判ることになるが、最初の歓迎会の経費のコストも、答礼の宴会の支払いで払われることになることである。宴会が終わり、その会場には、同僚や、知己が集まって、二次会が行われるのであれば、その経費の負担も日本側が実質的に負担することになることもまま見られた。
 現在、中国から、数万人の未熟練労働者が来日して、日本で研修を受けて帰国するという制度が、低賃金労働を助長する者として問題になっているが、これも上記の建前だけの平等で、実は、中国側の送り出し機関が利益を受けているという一方的な不正な問題が含まれている。未熟練労働者は、日本で、例えば、日本料理の調理師になって高給がもらえるとの話で、日本渡航を志す。ところが、多額の保証金を訪日に当たって、中国側の送り出し機関に支払う。その額は、日本で病気になったり、強制送還にあったりして、日本で稼いだ額で、返せないようになってしまったら大変になるような、中国では何年か分の賃金に相当する高額な保証金である。日本側では、財団法人の協会が組成されていて、斡旋するが、実際には、形式上の斡旋で、要すれば低賃金労働が行われることになる。日本の労働法制上は認められないような低賃金労働がおきる。パスポートを取り上げて、逃げ出せないようにする場合もあったと言う。ところが、苦情を申し立てると、その保証金を払えないような期間で帰国しなければならないから、過労死に至るまで、文句を言わずに働きつづけるような過酷な状況にもなる。在日の中国大使館がそうした中国人の状況に関心を示すかというと、逆に、日本側が低賃金労働で働かせるからだとの問題に転嫁するが、実際には、中国側のブローカーが巨額の利益を占めているのであり、日本は、れっきとした公的機関である財団法人が、中国のピンハネ団体の手先となるという滑稽な状況が現出しているのと同じような問題である。
 組織の下部で根回しをしてから、責任と権力のある上司が会議を開催して判断して合意するという外交の原則を破る様にすることが得意である。中国側は頻りに責任者の訪中を勧める。キッシンジャーの秘密外交がその典型であるが、実際には、中米関係の中では、こうした外交の原則を踏み外したやり方で、失った国益が相当あったことが想像できる。キッシンジャー氏は、毛沢東や周恩来との最初の会見には興奮したとするが、それは、標準的な外国高官との中国のやり方に叶っていたからである。つまり、世界的に著名な政治家として中国側が受け入れ、それが逆に中国側の名声を高めることに繋がり、政治的な協力の重要性を訴えることがあっても、決して、根本的な立場の違いなどどうでもいいとする、中国的な大人の風格を示すやり方がとられた。違いが明らかで、無視できなかった時には、両者が違う見解であることを認めれば、良いとした。
 中国との交渉では、最初から大物を投入することを避けなければならない。最初から大物を投入すると、二度目には、表敬訪問にしかならないし、中国側は、大物をめがけてありとあらゆる後略をする。ブッシュ大統領は、アメリカの北京事務所長を務めた経験があったために、中国通の大統領と行動をともにする担当官は、却って不安要素を抱えることになったという。
 万一、大物が北京を訪問しても、時間、数量、金額など、引き続き部下が主催して行う交渉を拘束してしまうような具体的な条件を持ち出してはならない。中国の大人の様に、細目にこだわらずに、大まかな一般的な合意原則の話をしておればいいのである。中国人が外遊するときに、特定の事項に対して、決して外国と合意をまとめることをしないことを知っているのであれば、中国側と同様の行動をとればいいのである。
 その背景には、外国人が、客人として、北京を訪問して、貿易や通商を行う権利を得ようとする歴史的に行われてきた朝貢貿易の伝統に従う雰囲気がまだ残るからである。「朋あり、遠方より来たる」として、親切にすることは良いことであるが、実は、会議のやり方や、全ての運営方法を決めるのは中国側であることを主張して、主導権を握ろうとする。要人との面会などは、決して日程などを明らかにしない。中国側は受け入れ社である役割を徹底的に演じている。宿泊するホテルの等級によって、「あなたは中国ではどの程度に見られているか」を示していて、それで、中国側の接待の水準が変わるという時代も合った。(海外出張においては、宿泊するホテルのランクによって品定めをすることがまま見られる) (安全をカネで買うことを鉄則にするビジネスに長けた民族の教訓もある。)貿易関係者にホテルが割り当てられる時代ではなくなっているが、一方では事務所の代金や、そこに働く従業員の割り当てで、処遇が定まる傾向も見られる。(北京事務所の受付の社員の程度を見れば、中国政府が厚遇しているか否かの判断が可能である。)セミナー開催などはその典型で、朝貢の時代のように、知識という花束を、華の国で、寵愛を受けようと差し出すような行事にも見える。地元の利益をふんだんに活用するのが中国の常套手段であり、日本側はその手に乗ってはならない。逆手を使うのであれば、帰国や出発の時間を決めて、会談を打ち切り、もっと差し迫った仕事をほのめかして、北京での仕事を二の次であることをほのめかすと、大きなリスクはあるが、中国側に有利な日程などを逆転できる可能性がある。
 さらに注意しなければならないのは、お目付役が必ず中国側にはいると言うことである。その役割は、より友好的な中国側の人物に依存するように仕向けることである。実例で言うと、北京を訪れて、呉さんと、李さんに世話になるが、呉さんは、日本語が上手で、日本のことをよく知っており、いろんなことを教えてくれる。李さんは、日本語を話さず、監視しているようなそぶりを見せる、日本に対して友好的な話はしない、というぼけと突っ込みみたいな対応をするが、それも、呉さんという人物に依存的にさせるという、中国側の狡猾な手法である。中国の社会は決して快適な社会ではないし、食事も、外国人用のホテルの飲食ばかりが全てではないどころか例外であり、全く違った社会を訪れる外国人が、中国人側に依存してくる状況を作り出すことを心得ている。そのうちに、呉さんは、日本に勉強に行きたいから、紹介状を書いてくれないか、ビザの取得に必要であるから保証人になってくれないかと頼むようになる場合もあるかも知れない。
 中国のブランド志向は相当なものである。勢い西欧崇拝の傾向すらある。万年筆であれば、パーカーの時代もあった。タバコなら、マルボロではなく、ラッキーストライク、車はフォードから、BMWに変わった。ブランドによって相手をくるくる変える。中国が国際社会に登場した頃には、古い中国の友人を大事にするという論理が通用したし、井戸を掘った人という表現が好まれたが、今では、多国籍の大企業が好みであり、中小企業などどうでも良くなった。台湾を切り捨てることを中国市場に入るための条件とした時代も合ったが、歴史の判定は、台湾を切り捨てて北京を大事にした企業の方を中国が大切にしたかと言えばそうでもなく、単なる言いがかりの選別手段としたのが実態である。
自分の関心を相手に知らせず、相手の関心事項をあきらかにするように求める、都合の良い交渉方法が中国のやり方である。相手に関心を伝えないことは、中東のアラブのバザールで交渉をやるときに見られるいつものやり方である。余り関心を示せば、どうせ買うのだからと売り手は値段をつり上げてしまうやり方である。日本人であれば、そこまで関心があるのであれば、値段を負けようと思うのが常であるが中国人はその点アラブの商人と同様に値段がつり上げられてしまうと考えるらしい。
 日本の会社が大規模で成功していればいるほど、中国に対して見返りなしで、技術知識を提供すべきだと考える向きもある。中国では基本的に、知識は高く評価されていないが、これは社会主義の建前論で今に始まったことではない。大学教授は、ホテルの前にたむろするタクシーの運転手の給料に劣る時代が長くつづいていた。日本人は、効果的な技術や知識を得るためにどれだけのコストがかかっているかをよく知っているが、ライセンス料を払わず、特許権を無視して、どんどんコピーをすることをするのが、中国の現状である。外国の技術を模倣して恥じず、感謝する必要もないとする文化的な伝統が根強くある。

 対中国の交渉の基本的な原則がいくつかあるが、第一は忍耐強くと言うことである。中国は、情報を入手してからその解析に時間をかける。時間がかかる。中国の組織は、決断は共産党が下すわけであるから、対応が遅い。担当者は、頻りに上司に報告しなければならないから、努力もしないし、長時間働くこともしない。よく言えば、中国では長い視点で物事を考えるのが建前であるから、焦らない。あらゆる事柄を検討して失敗しないようにするので、誤りを避けるために時間がかかる。急いで取引をしたり、結論づけたりする人を信用しないとでも、言い換えることができる。

 特定の関係を作るためには、用意されたシナリオに乗せられてはならない。保証人にさせられたあげくに、秘密に渡るような情報・知識の提供を要求してくるかも知れない。相手は、縦割り社会の統制が貫徹した、鉄の規律の社会主義国家であることを片時も忘れてはならない。

 次に、節度あるつきあいをせよ、である。
日本人は、行く川の水は絶えずしてと「方丈記」を考えるが、中国人はそうではない。中国では作られた人間関係を、永続的な関係にしようと思っている。中国人は、北京で生活して、中国語が流暢に話せて、思い入れが強い人物に信頼を置いている。人間関係は、中国では、即生活であるから、それを頼りにするが、公私の分別もし難くなるから、日本側としては、「親しき仲にも礼儀あり」「君子の交わりは淡き水のごとし」と心得ていた方がいい。

 恩義を感じてはならない。日本側に中国に対する贖罪の観念を植え付けて、相互依存の関係を帳消しにしようとするやり方がまま見られる。個人的な関係を強調することも見られるが、公私の区別がなくなり、一方的な歴史の解釈論をふっかけてきて、自分たちの立場を強化しようとする性癖がある。自分たちの誤りは決して認めようとしない。

 中国の夫婦げんかであるが、大声を出して、どちらが正しいか、家の外に出て、泣き叫んで、夫と妻のそれぞれの正統性を主張するのが、中国風の夫婦げんかである。中国に長く住んで深い専門家によれば、大声で相手をののしる場合ほど、自分の過ちを意識している場合が多いという。日本人は、相手がいきり立っていると反論しないが、そのときには、夫婦げんかではないが、ちゃんと冷静に反論すべく、罵詈雑言に対して受けて経つことが、夫婦げんかを丸く収めることになる。つまり、中国では、沈黙は金ではなく、銅以下であり、その点では西洋の社会との価値観が近似している。

 中国側は、過剰な期待を抱く可能性がある。大企業であれば、当然無償で知識や情報を提供するという期待が見られる。安易な約束などしてはいけない。お返しを期待することも無理である。日本人であれば、割り勘のように、たえず、50対50で考えるが、そうではなく、東京と北京での相互の接待のように、地元での力関係が重要であるから、北京で、飲食がいたれりつくせりであればあるほど、相手は東京で、至れり尽くせりの応対をしてもらえることが当然だと考えていることを知るべきである。

 恥は必要がない。相手を遠慮なく批判したり、非難するのが、自分にとって気にいらない場合に中国人は相手に恥をかかせようとする。一般的な、大まかな原則論に合意があったとして、その解釈について、中国側の解釈に合致していない場合には、相手側が、原則を遵守しないなどと、批判するのは日常茶飯事のことである。日本人は相手に恥をかかせないように配慮するが、中国の場合には、恥をかかせようとするのである。しかも、中国側は、相手の間違いを親切に指摘しているのだというお節介な考えすら持っている場合が多い。相手が怒る訳がないとでも思っているかも知れない。唯我独尊という言葉は、日本では悪いことの表現であるが、中国では、そうでもない。
 中国人を満足させるためには、今までのやり方は間違っていたかも知れないと少しでも反省の色を見せれば、満足してしまうかも知れないが、攻撃がもっとレベルをあげてくるかも知れないので、一概には言えない。復讐と恨みについては、日本人の想像を超える時間の長さを、記憶することができるようである。犯した誤りを認めることにして、反省するという文言を乱発して、中国との関係を深めるというやり方があるが、それは決して対等な関係を作る物ではなく、朝貢関係としての、古い中華思想に依る主従の関係を黙認するだけになるから、日本側としては、必ず避けなければならない。

 細目を定めずに、一般的な原則に合意すると言っても、その一般原則を盾にしていろいろな不平不満と文句を言って来ることが見られる。関係の進展に応じて、その都度契約を見直すとでも言うような、状況の変化に対応でいる条項を入れておくのも一つの知恵である。日本人は、書面にそれほど拘束されずに、状況の変化を考えることができるが、中国人は、西洋人同様に書いた文面に拘束される傾向が強い。

 中国人は、記録マニアであり、会合の記録を熱心にとる。中国側の記録が正確であるわけではない点にも注意が必要である。議事録を合意することなど至難の業であるから、日本側でも、メモすることが必要である。記録を歪曲しても罪悪感はないし、政治の駆け引きとしていつでもあり得ることと割り切って考えているようである。中国側から、あの時こんな合意があったと指摘されて、やんわりとそんな記憶もメモもないと反論する交渉相手の方が、尊敬される。

尖閣周辺における漁船の衝突事件でも、日本側が撮影したビデオ映像の記録を迅速に公開する方が中国側の虚言を封じて沈静化させることにつながった可能性がある。

 自分たちの過ちを指摘されると、過剰に反応する場合がある。夫婦げんかに見られる行動と同じであるが、中ソ対立や、中国とベトナムの国境紛争の時にも見られたが、過剰な、売り言葉に買い言葉の非難の応酬となる可能性がある。日本人には最も不得意なことであるから、相手がいきり立つことを回避するためには、被害を最小限にするような努力が必要である。ただ、反論をしないでおれば、中国側は自分たちの主張が認められたと誤解をしてしまうので、その点はきっちりと書面で反論するなどの対応が必要である。何もしないのが最善の場合もままあるが、それは、中国側が冷静で自分の過ちを認める可能性がある場合である。

 中国人は、本能的に、相手を辱めることによって、あらゆる過ちが相手にあることを認めさせ、思わせるようにするのが、国民性である。善意があれば、世の中がうまくいくなどとの発想は持ち合わせていない。中国の文化では、相手をおとしめるためには、自殺さえ許さない文化があるのだ。政敵の墓を暴いて、原野にしてしまうような過酷さがある。自分たちの利益や互恵の範囲については甘いが、他人の介入については、それは厳格な文化である。万里の長城を築き、拝外の策を長期にわたって構築してきた民族のやり方が一朝一夕に失われるわけがない。中国の立場をわきまえた上で、日本の立場にこだわるべきである。本音と建て前をうまく使い分けるのが中国人であるから、そんな使い分けが日本人にできるわけもないので、中国と日本とは文明圏が違うと心得ることを前提条件とすることが大切で、一衣帯水などとの政治的な甘言に惑わされてはならない。

 政治的な価値観で言えば、もう、日本人にとっては、欧米人の方が、ビジネス感覚を含めて中国人よりも遙かに近いところにいるのだ。ヨーロッパ人であれば、遙かにビジネス感覚を含めて日本に近いかも知れない。北京のビル街のエレベータの中で、シンガポールからのビジネスマンが、同じ華人と呼ばれる華僑の子孫でありながら、これほどまでに商習慣と価値観が異なることになるとは知らなかった」との述懐を聞いたことがある。その点からすれば、日中友好、同文同種などとの標語は、誤った標語であることが明らかになりつつある。漢字が同文ではあるが、日本語に取り込まれた漢字の表記方法は、現代の漢民族の表現方法ではない。人種的にも同種とは言い難い。そうした、政治宣伝から、距離を置いて考えることが必要である。日本人が、中国を、違う文化・文明と価値観の国として捉える方が、大きな対立と紛争を回避していく為には適当である。

 タクシーに乗ってぼられても文句を言わない日本人、「安い」と言って買いあさる日本人、お人好しの馬鹿者が日本人という見方が、一般的な中国人の間で定着しつつある。特に日本の大企業は、技術をできるだけ低価格で中国に提供するとの見方が一般的で、お人好しの馬鹿者のように捉えられている。関係が進展するにつれて、相手の弱点や誤り、失言をも逆手にとろうとするのが、常套手段である。自己批判を迫られても柳に風と受け流さなければならない。国交回復後に日本が実行した莫大な対中経済援助やODAの事実と実績は一切国民に知らされていない。井戸を掘る人を大切にするというのは中国ではあり得ない願望である。日本企業の進出が相次いだが情勢の転換が起きた。市場原理主義が中国でもはびこって、そして破綻した。バブルもまもなくはじける。国内の矛盾は外国に向けられる可能性がある。オリンピックと万国博覧会も、狭量なナショナリズムを刺激したことにとどまっている。中国における子会社などの総点検を行い、欧米の企業に伍し、中国市場で尊敬される日本企業に変身するか、あるいは東南アジアの友好国などに全面移転をするかどうか判断することが、中国市場担当者の経営者の喫緊の課題である。

 

中国の人口侵略を警戒せよ

 鄧小平が、対日攻略の方法として、難民を大量に出して、日本を困らせると発言したことがあったが、中国共産党は、いわゆる人口侵略を実際の戦略としてとっている。中国の西部の領土となった新疆省などは、モンゴル、ウィグル人などが住む、自治区であったが、大量の漢族の移住が行われて、元々の住民が少数民族化してしまった。チベットにおいても同様のやり方で、漢族を移住させて、元々のチベット人を追い出してしまう侵略方法を実行に移している。日本に対する政略としても、人口侵略の方法がとられている。その実態を報告する新聞記事が、在日華人と題して、朝日新聞が、昨年の2月から6月にかけて掲載した。朝日新聞は、在日華人という概念を持ちだしているが、昨年の2月10日の記事では、「華人 広く中国文化を引き継ぐ中国系、台湾系の人々を指す。現地国籍を取得した人を華人、中国籍のままの人を華僑と区別する。在日台湾社会では、自分は台湾人であり、華人ではないという人も多い」などと書いている。旧満州の吉林省延辺朝鮮族自治州を中心に、「朝鮮族」が居住しているが、朝日の定義では、自治州に80万、全国では192万人がいるが、韓国には、40万人以上が移住した。日本にも5万人の朝鮮族が、居住するようになっているが、この人々を、在日華人としている。

 中国の民族観にはからくりがあり、「~族」は、下位の概念であり、上位の概念を「中華民族」としている。チベット人もウィグル人も、中華民族である。公然たる秘密は、シナ人以外の非シナ民族は、同化吸収されて消滅すべき存在だと考えられ、56の民族は平等だとするが、本音は中国人とは、シナ人だけを意味する。

 日本の国籍を取っても、在日華人であるという点が、極めて重要であり、この華人概念を侵略の道具として、アジア・太平洋諸国に進出を謀って来ている。しかし、一方では、中国民主化運動で日本に亡命した石平氏のように、日本に帰化したのは日本の国柄に魅力を感じた(日本の特徴は、権威と権力とが分離していることである。)とする人もおり、朝鮮族の金京子氏のように、日本国籍を取りながら、在日華人として中国政府の代弁者となる例とは異なる例が多数胡出て来ており、中国の論法と工作は必ずしも成功していない。朝日新聞という大マスコミが中国共産党の見解を採用していることには注意を要する。

 企業においても、中国人社員による先端技術の漏洩事件が相次いでおり、先年の日本電装における、技術情報の中国人社員による持ち出し事件などが表面化した事例があるが、改めて注意を喚起したい。在日華人を含めて、中国共産党の官僚組織に組み込まれた者が日本企業に入り込んで来ている。研究機関にも相当数の研究者がいるが、その中にも、政府機関の職員が偽装している可能性がある。

 日本企業においても、そろそろ、組織的な人口侵略の手法と具体的な浸透の度合いについて、日本国内の工場、研究所、各種組織において点検する時期である。卑近な例としては、朝の清掃を利用して清掃会社の要員として入り込んで、机の上の情報を見て、情報漏洩を謀ろうとした事例や、職場の食堂における会話の傍受の例もあるので、多角的な点検が必要である。とある軍事基地のある街の場合に、要人が訪れる高級なナイトクラブのホステスとして、公安機関に所属する留学生が働いている事例が見られた。精神侵略の次が、人口侵略であり、軍事侵略はその次の段階であるというのが、中国の歴史を踏まえた一般的な見立てであり、軍事侵略を防止するためにも、人口侵略と浸透を防ぐことが必要である。

[本稿は、ルシアン・パイ教授によって行われた調査を基にマサチューセッツ工科大学から出版された、「中国人の交渉スタイル」1992年、(大修館書店、1993年邦訳)を一部で参考にした。)

 追記、最近の太平洋沖大地震で、マスヒステリアとも言うべき情報の混乱があり、一部の外国政府は特別機を手配して、一部の自国民を日本から脱出させた。日本では略奪が発生したわけでもなく冷静に残留した外国人も多数に上ったが、公館から選別されて特別機の切符が手配された比較的には少数数の人々がどういう外国人であったかは、当方ブログとしては看過できない関心事項である。政府機関の要員が、工場や会社、或いは留学生として入り込んでいた者が退去したというのであれば、官民の区別がないとしても、許容する訳にはいかない。単なるブロガーとしての関心事項として、マスコミが報じないだけに後刻の解明を求めて、書き留めておきたい。

Rinken Band

五月八日の日曜日に、りんけんバンドhttp://www.rinken.gr.jp/のコンサートが、東京江東区で、開催された。照屋林賢のりんけんであるが、琉球の音階と、インドネシアのガムランの音階が共通しているとの指摘は興味深かった。

http://youtu.be/W2zMKk-rDAM

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May Flowers

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Rise and Fall of Japan

関岡英之氏の著書の最新刊、国家の存亡ーー「平成の開国」が日本を亡ぼす、がPHP新書から、5月6日付けで出版された。

新書の帯には、TPPは国論を二分する大問題!と書いており、「改革」の名の下に地方が破壊され、日本は米国と中国に呑み込まれると、書いている。

あとがきが切々と書かれているので、当方ブログは、多少長いが引用して、読者の皆様の注意を喚起すると共に、小泉・竹中政治以上に劣化した政治の中で、いわゆる平成の開国が、平成の敗戦であることを確認して何とかこれを阻止するよすがとしたい。更に研究を深めるなど、ご関心の向きには、入手しやすい新書版であるので、購入して一読を勧めたい。定価は税別で720円である。

以下が、「あとがき」である。

「子供のころ、学校の帰りに近所の駄菓子屋さんや文房具屋さんに立ち寄るのが楽しみだった。顔馴染みのおじいさんやおばあさんは、ときどきビー玉や消しゴムを「おまけ」にくれた。戦前の満州での暮らしぶりや、引揚げの時の大変さを話してくれたこともあった。

そうしたお店はいつしか姿を消し、いまや跡形もない。私の娘は、「駄菓子屋」と言ってもどんなものか想像がつかないという。生まれたときからコンビニしか知らないのだ。歴史の糸は、どこかで途絶えてしまったのか。

平成改元以来、日本は「改革」の名の下に「米国主導の日本改造」を粛々と受け入れてきた。

平成元年に始まった日米構造協議で、日本は米国から要求された大規模店舗規制法の緩和を受入れた。その結果、町なかの零細小売店はあらかた淘汰され、全国各地の駅前商店街はシャッター通りと化し、我が国の地域社会は取り返しのつかないまでに破壊し尽くされてしまった。

その後、「年次改革要望書」や「日米投資イニシャティブ報告書」で米国が要求してきた金融ビッグバンや時価会計の導入は、金融機関を直撃し、その貸し渋りによって多くの中小企業が経営破綻に追い込まれ、多くの国民が職場や家庭を失った。

M&Aの規制緩和は「ホリエモン」や「村上ファンド」といった拝金主義の徒花を生み、会社を物品のごとく売り買いする風潮は、企業の長期的な安定経営や、真面目な勤労者の堅実な人生設計を不可能事にした。

雇用の流動化や人材派遣業の規制緩和は、若者が企業社会の一員となる門戸を閉ざし、膨大な非正規雇用者やワーキングプアを生みだし、我が国の中流層を崩壊させて貧困層へと没落させた。そして年間三万人を超える国民が自ら命を絶つ状況が既に十三年継続している。

いまだに「改革」を支持する人は、これらのうちのどれか一つでもよい、これが日本の国益にかなった、国民を幸福にしたという具体例があるなら是非とも論証して頂きたい。

「改革しなければ日本はオシマイだ」という強迫観念は、「日本の社会には構造的欠陥がある」「日本の制度は後れている」「日本は劣ったダメな国である」といった自虐思想から派生している。

「改革」という言葉に身悶えするように恋い焦がれるという不可解なめんたりてぃーは、一見進歩的に見えながら、実は常に他者と引き比べて自己を卑下する劣等感の裏返しなのではないか。

この強迫観念は、日本人の長所や美質をいたずらに自己否定し、本来持っていた強みをひたすら武装解除することを強いてきた。

私たちがひところ金融自由化だ、マネーゲームだと米国流の空疎な虚業をもてはやし、地道なものづくりや技術力の錬磨をないがしろにしてきたのは、はたして正解だったのか。

米国系コンサルタントの甘言に乗せられて「成果主義人事評価」を導入し、日本人が得意とするチームプレーや長期的な継続性を重視するよりも、個々の社員を競争させ、短期的な目先のノルマ達成ばかりに駆りたてたのは、本当に得策だったのか。「日本的雇用慣行を維持している」というふざけた理由で日本企業の格付けを引き下げる米国の民間格付け会社に迎合し、年功序列や終身雇用といった日本的経営を打ち捨てて、会社という組織、経営陣と勤労者が一丸となった運命共同体(ゲマインシャフト)を解体してしまったのは、賢い選択だったのだろうか。それは自ら武装解除するという、愚かな自己否定だったのではないか。「平成の開国」は、「改革」の名の下に犯してきた数々の愚行を、今度は「開国」の名の下に推し進めようということに尽きる。「開国しなければ日本は取り残される」という思慮の足りないワン・フレーズは、あの小泉政権時代にヒステリックに連呼された「改革しなければ日本は取り残される」という使い古しのプロパガンダの焼き直しそのものではないか。

だが、時代の潮目は明らかに変わった。東日本大震災は、私たち日本人が長らく忘れていたことを思い出させてくれた。あの日を境に、世界が違って見えるようになった。

被災地では、想像を絶する苦難に見舞われながら、人々は取り乱すこともなく冷静で、忍耐強く秩序を守りながら、互いに手を差しのべ合っている。

首都圏では、「計画停電」に伴う度重なる混乱に遭遇しながら、人々は駅の改札やバス乗り場で整然と列に並び、礼節を守りつつ辛抱強く順番を待ち続けている。

海外では当たり前の、治安の乱れや社会的混乱も起きない。世界の人々は私たちを驚きの目で見つめ、感嘆の声をあげている。

また、寸断された物流と生活物資の不足は、大都市の繁栄が、いかに地方の人々によってささえられているかということに気づかせてくれた。

電力不足による日常生活の混乱は、首都圏の快適な生活が、原子力発電所のリスクを引き受けてくれている人々のおかげで、かろうじて成り立っていることを思い知らせてくれた。

被災地へ救援物資を送る人々や、ボランティアや募金活動に奔走する人々の姿は、「情けは人のためならず」という、日本古来の助け合い精神がまだ健在であることを知らしめたくれた。

その一方で、福島原発からの放射能漏れの情報が伝えられるや否や、在日外国人たちが慌ただしくこの国を脱出していった。外資系企業はジャパン・リスクを忌避して一斉に引き揚げていった。

日本が未曾有の国難に襲われたとき、多くの外国人は日本から去って言ってしまうということがよくわかった。

それをとがめだてするのは間違っている。裏切られたとか見捨てられたとかなどと思うのは甘えである。彼らには彼等の生き方があるのだ。心静かに見送ろう。

ただ、一つだけはっきりしたことがある。いざというとき、彼等には帰っていく祖国があるが、私たち日本人には逃げていけるところは、この日本以外にはどこにも無いという厳粛な事実だ。私たちはここに踏みとどまり、祖国の復興に一所懸命、奮励努力するしか生き残る道はない。

いまは、外にふらふら出ていくときではない。隣の芝生をうらやましがっている余裕はない。いま私たちがなすべきは、外資や移民の力に頼ったり、海外市場で外貨を稼いだりすることではない。

ここに残り、足下を固め、国としての一体感を取り戻し、自らが依って立つ社会の基盤を復興することが先決である。疲弊した国内経済、地域社会、農業、医療を立て直すのだ。

いったい、「内向き」のどこがいけないと言うのか? いまこそ、自己に向き合い、自分の祖国をもっと慈しむべき秋(とき)ではないか?

私たちはお互いをもっと尊重しあい、中央と地方、都市と農村、供給者と消費者、経営者と勤労者、医療従事者と患者、高齢者と現役世代が立場の違いを乗り越え、叡智を結集し、一致団結して祖国の復興を成し遂げよう。日本の国難は、日本人が自らの力で乗り切っていくしかないのだから。

2011年3月30日 関岡英之」と書いている。

A Flower for your Birthday today

今日の誕生日の花が牡丹(ぼたん)である。

グーグルの画像検索の対象は440万件の画像になっている。鮮やかな花だ。起てば芍薬(しゃくやく)、座れば牡丹、という。

http://www.google.co.jp/search?tbm=isch&hl=ja&source=hp&biw=1093&bih=538&q=%E7%89%A1%E4%B8%B9&btnG=%E7%94%BB%E5%83%8F%E6%A4%9C%E7%B4%A2&gbv=2&aq=f&aqi=&aql=&oq=

Foreign Technology

A Lie

題を、Fibとしようと思ったが、英語の辞書を引くと、さほど重要ではない嘘と説明している。重要な嘘で「虚妄」という強い意味の言葉の翻訳としてはふさわしくないと考えたので、やはり、Lieとしておく。2008年に出版された、東谷暁著、民営化という虚妄という文庫本を紹介しようとして、その虚妄をどう翻訳するか考えあぐねている。郵政民営化の見直しも、市場原理主義の虚妄の政策は残骸を積み重ねるばかりで、なにも改善は行われていない。劇場型の衆愚政治の破壊が、例えば、政権交代などなにもなかったかのように、継続している。状況は悪化するばかりである。

天変地異の中で、日本の破壊を狙う外国勢力の勝ちどきの声が遠くに聞こえるかのようだ。暴力で威嚇して、恐怖を与え強迫するが、それに屈してはならない。相手の方が、幻影であり、化け物であり、拝金の烏天狗である。世界的には、相手の方が退潮に向かっていることは確実で有り、追われる立場だ。民営化も人災にすぎないから、未曾有の人災が発生しても人智によって克服することが可能である。いよいよ世直しの契機である。禍を転じて福と為す覚悟が必要である。

Photo

Free flow of information

日本のマスコミは黙りを決め込んでいるが、いよいよウィキリークスに日本関連の記事が出始めた。

http://www.wikileaks.ch/reldate/2011-05-04_2.html

日本は属国ではない。自立・自尊の日本を取り戻す天佑である。最後のコメントが、事実とすれば、頂けない。菅内閣は、外国の手先になってしまったのか。

「米軍グアム移転費水増し”示す公電

 日米両政府が2006年に合意した沖縄海兵隊のグアム移転に関するロードマップで、移転費用の総額などを水増しして日本側の負担を少なく見せる操作がされていたことを示す外交公電を、内部告発サイト「ウィキリークス」が明らかにしました。

 ウィキリークスが公表した外交公電によると、2006年のグアム移転交渉の際、軍用道路の建設費10億ドルがロードマップに盛り込まれましたが、アメリカ側はこの道路について、「絶対的に必要なものと考えていない」としながらも、「費用全体を膨らませることで日本の負担比率を減らすことができる」と報告しています。また、移転対象となる沖縄海兵隊員の数についても、「日本での政治的効果を上げるため、最大化した」としており、日本国内で日米合意への理解を得やすくするための操作が行われたことを示す内容となっています。

 一方、別の公電によると、当時の鳩山総理が「アメリカに依存しすぎていた」と発言したことを受け、国務省のキャンベル次官補が日本政府高官に対し、「日米関係に危機をもたらす」と警告しました。さらに、キャンベル氏は鳩山氏の「東アジア共同体構想」について、「アメリカ政府首脳部を驚かせた」と述べ、「アメリカ政府が日本より中国に関心を向けたいと公言すれば、日本はどう反応するか想像してほしい」と苦言を呈しています。

 このほか、日本の外務省や防衛省の幹部が鳩山外交を痛烈に非難したとする内容も含まれており、当時の日本政府内部の混乱ぶりがあらわになっています。

 こうしたウィキリークスを通じて公開された情報について、菅総理は記者団に対して、「合法的ではない形での情報を発表していると理解しており、政府としてはコメントすべきでないという姿勢だ」と述べました。」

その他、色々な情報がある。日本語に翻訳するサイトも登場している。国際政治学の教科書よりも生々しくおもしろい。

http://wikileaks-japan.blogspot.com/

以上。ご参考まで。天網回回疎にして漏らさず、とは、このことであろう。

Kashima Shrine


Keystone at the Kashima Shrine

大地震と書いて、おおなゑと仮名をふっている。

Keystone at the Kashima Shrine

鹿島神宮の要石

Reconstruction and Japan will prevail

地震から相当の時間があった。津波という天災に東電原発災害が加わり、今なお深刻な状態にある。政治は相当混乱しており、災害資本主義とでも言うべき拝金の烏天狗が右往左往している状態である。日本では火事場泥棒という。

今日、宮城県女川の知人と電話で話す機会があったが、大型のマグロ船は三隻の内二隻がやられたとのことであった。自分の船もどこかの浜に打ち上げられていたが、それも漂流して、今頃はアメリカに流れていると冗談めかして話していた。海上保安庁に届け出たとも言っていた。ようやく復興の気運が出て来たようで、今日は町で会合をしたそうだ。何が出来るだろうかと聞いたら、観光客としてでもいいから、女川に来てほしいとのことだった。

市場原理主義の破壊活動が、震災後の安定を送らせている可能性がある。しかし、拝金の連中で外国勢力と気脈を通じた、いわゆる構造改革路線の連中がいよいよ追われる立場になった。どこかの県知事で、さんざん原発を推進して来た奴が、役人を捕まえて謝罪要求など、いかにも無実を繕っている。その県の前の知事は政治犯罪で失脚しているが、そこにも外国勢力、原発勢力の陰謀の臭いが充ち満ちていることがなってきた。財政赤字論も化けの皮がはがれた。その外国勢力が日本は復興のための自己資金があルカ来意などと、ご託宣をする始末だ。今まで、そうした連中からカネを借りた国は、言うがママにされて、間違った政策である民営化や構造改革を押しつけられた。

地震は、世直しの契機だ。キッとそうなる。

Cultural Exploitation

Patriotism

http://youtu.be/94F_t6_PadA

Kuroshio Culture and Tradition

大地震の余波の混乱の中で書いている。大地が咆哮し、海鳴りが轟いた。潮が沿岸を襲った。海鳴りの底には何があるのだろうか。その潮の洗う列島の沿岸に住み着いて、営々と歴史を重ねてきた民族の根源をささやかに求める旅が続いている。黒潮文明論と銘打っているが大した記事ではない、それでも、民族と国家とその成り立ちを追求することは無駄な作業ではない。未曽有の国難の中では、むしろ、そうした作業が大切である。48回目は熊野詣でである。黒潮の民が集積する川の畔に建つお社である。再生の聖地である。

 これまで、書いた黒潮文明論が、リンクも飛び飛びになり、書いた本人もどこに文章が残っているのか判らない位になり、散佚する恐れがあるので、いちいち検索するのも面倒であるから、整理して下記にまとめて掲示するようにした。

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/kuroshio-1.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/kuroshio-2.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/kuroshio-3.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/kuroshio-4.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/kuroshio-5.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/kuroshio-6.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/kuroshio-7.html

⑧ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/kuroshio-8.html

⑨ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/kuroshio-9.html

⑩ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/kuroshio-10.html

⑪ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/kuroshio-11.html

⑫ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/kuroshio-12.html

⑬ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/kuroshio-13.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/kuroshio-14.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/kuroshio-15.html

⑯ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/kuroshio-16.html

⑰ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/kuroshio-17.html

⑱ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/kuroshio-18.html

⑲ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/kuroshio-19.html

⑳ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/kuroshio-20.html

㉑ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/kuroshio-21.html

㉒ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/kuroshio-22.html

㉓ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/kuroshio-23.html

㉔ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/kuroshio-24.html

㉕ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/kuroshio-25.html

㉖ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/kuroshio-26.html

㉗ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/kuroshio-27.html 

㉘ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/kuroshio-28.html

㉙ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/kuroshio-29.html

㉚ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/kuroshio-30.html

㉛ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/kuroshio-31.html

㉜ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/kuroshio-32.html

㉝ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/kuroshio-33.html

㉞ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/kuroshio-34.html

㉟ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/kuroshio-35.html

㊱ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/kuroshio-36.html

㊲ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/kuroshio-37.html

㊳ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/kuroshio-38.html

㊴ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/kuroshio-39.html

㊵ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/kuroshio-40.html

㊶ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/kuroshio-41.html

㊷ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/kuroshio-42.html

㊸ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/kuroshio-43.html

㊹ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/kuroshio-44.html

㊺ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/kuroshio-45.html

㊻ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com\blog/2011/04/kuroshio-46.html

㊼ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com\blog/2011/04/kuroshio-47.html

㊽ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com\blog/2011/05/kuroshio-48.html

 黒潮の流れに着想を得た、民族文化論を目指している。学者の検証ではない。黒潮が洗う島々の岸辺の人々の生活について、過去、現在、未来と想像しながら、自由奔放にと心得ている。ささやかではあるが、 しかし確固として揺るぎのない共同幻想の一端を担いたい、神がかりになっても、害を与えない話として、どこからも指図をうけることはしないが、科学的な分析と探求心を基本に据えておきたい。センチメンタルな回顧談であるとか、事大主義的な、文化優越論ではない。むしろ、黒潮文明の広がりは想像以上に大きく、その中での民族文化論であるから、必然的に謙遜になり、自らを客観的な観察の対象とする皮肉も併せ持っている。

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Kuroshio 48

熊野で日本再生を祈る。

東京の羽田空港を九時五〇分に出ると、南紀白浜空港には一一時に着いた。空港は海岸段丘の上にあり津波の影響がない立地であるが、滑走路が短いせいか小型ジェットを機材として使用していた。空港の前から、一日一便の新宮行きの特急バスに乗って、熊野本宮大社に向かった。バスは、空港の丘を下って白浜の駅に寄り、田辺の駅前から、熊野参詣道の中辺路(なかへち)を辿るように走る。参詣道の休憩所となる地域に、信仰の道を繋ぐために設けられた神社を王子と呼ぶらしく、初めて熊野権現の御山の内となる滝尻王子から本宮大社までの約三八キロの中辺路には九王子が点在している。バスは、熊野古道なかへち美術館で小休止するが、そこは近露王子と呼ばれたところで、本宮大社まで一気に歩ける最後の宿場で、今も民宿が点在している。田辺から普通のバスであれば本宮大社まで二時間かかるが、特急バスでは一時間で着く。やはり、往来は、熊野川河口の新宮との往来の方が便利であるから、時間があれば、名古屋で乗り換えて、新宮の熊野速玉大社、那智の熊野那智大社を詣でてから、本宮大社に至るのが、熊野三山の参詣を全うすることになるが、日程を要する。しかも、今回の熊野詣では、去年の春の例大祭への参加を予定しておきながら、直前に倒れて大病を患ったから、蘇ったことを感謝する旅とするために、伊勢の近くの知人や、紀伊長島の錦の友人を訪ねることもせず、直行したのには、理由があった。勿論、東北地方の大地震があったから、ささやかに復興祈願をするにふさわしい大日本(おおやまと)の聖地たることは心得ていた。 

 収監された鈴木宗男氏も去年の九月一九日に、人生再出発のスタートをしようと本宮大社に参っている。参拝者が多く列をなしており、「鈴木さん、頑張って下さい」、「権力と闘って下さい」と声が懸かったという。宮司から「新しいスタートの場所ですから。人生山あり谷あり、苦難もあります。お身体に気をつけて、しっかり頑張って下さい」と激励を受け、何となくホッとした気持ちになったという。
 今年の一月八日には小沢一郎民主党元代表も本宮大社に詣でている。民宿は夕食こそ出さないが立派な旅館並みの設備で、町営の温泉もある。車があれば近くの川湯温泉まで足を伸ばせる。

四月一三日には、例祭の始まりを告げる、神の依り代である稚児が湯峯温泉で身を清め大日越という本宮大社への最後の峠道を歩く湯登(ゆのぼり)神事があり、宮渡(みやわたり)神事では神職・稚児・総代などが行列を組み、神歌を唄い太鼓を叩きながら巡って、例祭の平穏無事を祈念する祭りが行なれている。四月一五日の朝八時から国家安泰、国民平安を祈念する本殿祭が始まった。宮司は「大震災があり、祭の時間を知らせる花火やアドバルーン
をあげることを自粛したが、その他の行事は淡々と進めることが大事である。
人と自然との共生、そういった想い、東北で多くの人々の命が奪われた、その
御魂の鎮魂を祈り、明治二二年の大水害で本宮大社は壊滅的な打撃を受けたが、僅かに二年の間に今の山間の丘陵地に移築することに成功している。しかも重機がない時代に大がかりな復興事業を成功させている。来年は明治の大水害から一二〇年の節目の年として、社殿修復等の工事を進める」と決意を述べられた。先人の迅速な修復に習うためにも、決断して迅速な行動に移して行くことが大事だとの趣旨の挨拶であったが、聴衆の中からは、現下の日本の政治指導力の欠如を想像したせいか、嘆きの声か、溜息か、はたまた失笑とおぼしきさざめきが聞こえた。重要な祭典である本殿祭は、春の恵み、自然に生かされていることに感謝を捧げる神事である。

午後一時には本殿の神様を担いだ御輿に乗せ、本宮大社の旧地である大斎原(おおゆのはら)までを練り歩いた。行列の中に桃花(ちようばな)と呼ばれる、太い竹竿を柱として木箱に無数に造花を挿し飾ったものがあり、餅投げの赤餅と引き替えにされる。祭の主祭神である家津御子大神(けつみこのおおかみ)が鎮座されたとき、我を祀るに母神も同じく祀れと仰せられたとの伝承で、熊野の花の窟(はなのいわや)から伊弉冉(いざなみ)尊をお迎えして花を奉じ鼓・笛・旗を以て祭を行なうようになったとのことである。春の例大祭にふさわしく桜が満開だった。午後二時からは斎庭神事が大斎原で挙行された。総代会による餅投げが行なわれ、熊野修験が採灯大護摩の大きな火を焚いた。神事の終わるころ雨が降り出したが、遷御祭にて御神輿は本殿に戻り例大祭が終わった。夕刻の直会(なおらい)は大賑わいであった。宮司は馬に乗って戻った。

 本宮大社の旧地は熊野川の中州にある。熊野川もダムが出来るまでは水量滔々として、河口の新宮あたりからの船の往来が今より遙かに頻繁であったという。大社旧地の大斎原には、日向の西都原古墳で出土した舳先と艫(とも)の両方が跳ね上がったような、バシー海峡で今も使われている格好の船の、古代の船着き場があったことを想像する。神武天皇は熊野を大和征伐の船玉の根拠地となし、八咫烏(やたがらす)が先達を務めたのだった。吉野の金峯山に黒潮の海の幸の印として、修験者がいとも容易に夏の飛魚を運んでいく交易があったことはすでに書いている。 (つづく)

Distaster Capitalism

ラジオ日本の番組関連のネット記事である。出でよ真のリーダー、政府は国民のために動くもの~と題する番組で、4月22日午後にに放送された。ご参考まで。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5958

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5958?page=2

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5958?page=3

Our contry Japan and Kyushu

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