構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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Rise and Fall of Japan

関岡英之氏の著書の最新刊、国家の存亡ーー「平成の開国」が日本を亡ぼす、がPHP新書から、5月6日付けで出版された。

新書の帯には、TPPは国論を二分する大問題!と書いており、「改革」の名の下に地方が破壊され、日本は米国と中国に呑み込まれると、書いている。

あとがきが切々と書かれているので、当方ブログは、多少長いが引用して、読者の皆様の注意を喚起すると共に、小泉・竹中政治以上に劣化した政治の中で、いわゆる平成の開国が、平成の敗戦であることを確認して何とかこれを阻止するよすがとしたい。更に研究を深めるなど、ご関心の向きには、入手しやすい新書版であるので、購入して一読を勧めたい。定価は税別で720円である。

以下が、「あとがき」である。

「子供のころ、学校の帰りに近所の駄菓子屋さんや文房具屋さんに立ち寄るのが楽しみだった。顔馴染みのおじいさんやおばあさんは、ときどきビー玉や消しゴムを「おまけ」にくれた。戦前の満州での暮らしぶりや、引揚げの時の大変さを話してくれたこともあった。

そうしたお店はいつしか姿を消し、いまや跡形もない。私の娘は、「駄菓子屋」と言ってもどんなものか想像がつかないという。生まれたときからコンビニしか知らないのだ。歴史の糸は、どこかで途絶えてしまったのか。

平成改元以来、日本は「改革」の名の下に「米国主導の日本改造」を粛々と受け入れてきた。

平成元年に始まった日米構造協議で、日本は米国から要求された大規模店舗規制法の緩和を受入れた。その結果、町なかの零細小売店はあらかた淘汰され、全国各地の駅前商店街はシャッター通りと化し、我が国の地域社会は取り返しのつかないまでに破壊し尽くされてしまった。

その後、「年次改革要望書」や「日米投資イニシャティブ報告書」で米国が要求してきた金融ビッグバンや時価会計の導入は、金融機関を直撃し、その貸し渋りによって多くの中小企業が経営破綻に追い込まれ、多くの国民が職場や家庭を失った。

M&Aの規制緩和は「ホリエモン」や「村上ファンド」といった拝金主義の徒花を生み、会社を物品のごとく売り買いする風潮は、企業の長期的な安定経営や、真面目な勤労者の堅実な人生設計を不可能事にした。

雇用の流動化や人材派遣業の規制緩和は、若者が企業社会の一員となる門戸を閉ざし、膨大な非正規雇用者やワーキングプアを生みだし、我が国の中流層を崩壊させて貧困層へと没落させた。そして年間三万人を超える国民が自ら命を絶つ状況が既に十三年継続している。

いまだに「改革」を支持する人は、これらのうちのどれか一つでもよい、これが日本の国益にかなった、国民を幸福にしたという具体例があるなら是非とも論証して頂きたい。

「改革しなければ日本はオシマイだ」という強迫観念は、「日本の社会には構造的欠陥がある」「日本の制度は後れている」「日本は劣ったダメな国である」といった自虐思想から派生している。

「改革」という言葉に身悶えするように恋い焦がれるという不可解なめんたりてぃーは、一見進歩的に見えながら、実は常に他者と引き比べて自己を卑下する劣等感の裏返しなのではないか。

この強迫観念は、日本人の長所や美質をいたずらに自己否定し、本来持っていた強みをひたすら武装解除することを強いてきた。

私たちがひところ金融自由化だ、マネーゲームだと米国流の空疎な虚業をもてはやし、地道なものづくりや技術力の錬磨をないがしろにしてきたのは、はたして正解だったのか。

米国系コンサルタントの甘言に乗せられて「成果主義人事評価」を導入し、日本人が得意とするチームプレーや長期的な継続性を重視するよりも、個々の社員を競争させ、短期的な目先のノルマ達成ばかりに駆りたてたのは、本当に得策だったのか。「日本的雇用慣行を維持している」というふざけた理由で日本企業の格付けを引き下げる米国の民間格付け会社に迎合し、年功序列や終身雇用といった日本的経営を打ち捨てて、会社という組織、経営陣と勤労者が一丸となった運命共同体(ゲマインシャフト)を解体してしまったのは、賢い選択だったのだろうか。それは自ら武装解除するという、愚かな自己否定だったのではないか。「平成の開国」は、「改革」の名の下に犯してきた数々の愚行を、今度は「開国」の名の下に推し進めようということに尽きる。「開国しなければ日本は取り残される」という思慮の足りないワン・フレーズは、あの小泉政権時代にヒステリックに連呼された「改革しなければ日本は取り残される」という使い古しのプロパガンダの焼き直しそのものではないか。

だが、時代の潮目は明らかに変わった。東日本大震災は、私たち日本人が長らく忘れていたことを思い出させてくれた。あの日を境に、世界が違って見えるようになった。

被災地では、想像を絶する苦難に見舞われながら、人々は取り乱すこともなく冷静で、忍耐強く秩序を守りながら、互いに手を差しのべ合っている。

首都圏では、「計画停電」に伴う度重なる混乱に遭遇しながら、人々は駅の改札やバス乗り場で整然と列に並び、礼節を守りつつ辛抱強く順番を待ち続けている。

海外では当たり前の、治安の乱れや社会的混乱も起きない。世界の人々は私たちを驚きの目で見つめ、感嘆の声をあげている。

また、寸断された物流と生活物資の不足は、大都市の繁栄が、いかに地方の人々によってささえられているかということに気づかせてくれた。

電力不足による日常生活の混乱は、首都圏の快適な生活が、原子力発電所のリスクを引き受けてくれている人々のおかげで、かろうじて成り立っていることを思い知らせてくれた。

被災地へ救援物資を送る人々や、ボランティアや募金活動に奔走する人々の姿は、「情けは人のためならず」という、日本古来の助け合い精神がまだ健在であることを知らしめたくれた。

その一方で、福島原発からの放射能漏れの情報が伝えられるや否や、在日外国人たちが慌ただしくこの国を脱出していった。外資系企業はジャパン・リスクを忌避して一斉に引き揚げていった。

日本が未曾有の国難に襲われたとき、多くの外国人は日本から去って言ってしまうということがよくわかった。

それをとがめだてするのは間違っている。裏切られたとか見捨てられたとかなどと思うのは甘えである。彼らには彼等の生き方があるのだ。心静かに見送ろう。

ただ、一つだけはっきりしたことがある。いざというとき、彼等には帰っていく祖国があるが、私たち日本人には逃げていけるところは、この日本以外にはどこにも無いという厳粛な事実だ。私たちはここに踏みとどまり、祖国の復興に一所懸命、奮励努力するしか生き残る道はない。

いまは、外にふらふら出ていくときではない。隣の芝生をうらやましがっている余裕はない。いま私たちがなすべきは、外資や移民の力に頼ったり、海外市場で外貨を稼いだりすることではない。

ここに残り、足下を固め、国としての一体感を取り戻し、自らが依って立つ社会の基盤を復興することが先決である。疲弊した国内経済、地域社会、農業、医療を立て直すのだ。

いったい、「内向き」のどこがいけないと言うのか? いまこそ、自己に向き合い、自分の祖国をもっと慈しむべき秋(とき)ではないか?

私たちはお互いをもっと尊重しあい、中央と地方、都市と農村、供給者と消費者、経営者と勤労者、医療従事者と患者、高齢者と現役世代が立場の違いを乗り越え、叡智を結集し、一致団結して祖国の復興を成し遂げよう。日本の国難は、日本人が自らの力で乗り切っていくしかないのだから。

2011年3月30日 関岡英之」と書いている。

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コメント

最初の開国は明治維新である。二番目の開国は戦後である。三番目の開国はこれからである。


考え方にはいろいろある。自分たちの考え方が理に合わないものであることを証明するのは難しいことである。だが、それが証明できなければ、おかしな考え方を改めることも難しい。

心を入れ替えることは難しいことです。
難しい内容を分かりやすく説明することも、また難しいことです。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

投稿: noga | 2011年5月12日 19時49分

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