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Kuroshio 50

樹は歩き、森は変わる。

 森の樹は勢いが衰えると、根元から若芽を出し生き返ろうとする。それでも枯れると側に新しい芽を出し、樹が枯れる毎に横に移動するように見える。南方熊楠が必死に守ろうとした神島の森を観察し続けた後藤伸、玉井済夫、中瀬喜陽の共著『熊楠の森──神島』が本年二月に出版された。その本に「樹は歩き、森は変わる」という表現がある。昭和九年に熊楠の指導の下、神島の樹木所在図が作られたが、それから僅かに五〇年で原始の森は大きく変わっているという。

 タブノキの巨木は朽ちて、海岸のクロマツも消滅した。クロマツは日本の海岸線の岩場に張り付くように生えて来たが、白砂青松が日本本来の景観ではないことは以前に書いた。防風林や防潮林にクロマツなどが優秀であることを経験的に知って植栽に励んだが、樹齢百年から百五十年で枯れてしまうのだから、江戸時代からの日本の景色である。現代の景色としても、美浜原発の近くの磯辺の岩山にマツの木がまばらに生えて、内部を津波から守るほどではない荒涼とした、二〇年前に撮影された写真を見たのは最近のことである。タブノキの枝葉には粘液が多く、乾かして粉にするとタブ粉が得られ、線香や蚊取線香の粘結材料の一つとなる。外国から輸入を止めて以来、国産の除虫菊の栽培と相まって線香工場が紀州に位置するのは、タブノキが繁茂していたからに違いない。開国の軍事強圧の談判の会場となった横浜開港資料館の中庭には、「玉楠」と呼ばれるタブノキの巨木がある。枯れたタブノキなどの後を埋めたのは、クスノキ、イヌマキ、ホルトノキ、ムクノキ、エノキ等だ。クスノキは神社の林に植えられており、巨木となっていることが多い。芳香を放つから、唐辛子のことを古語で「クス」と呼ぶように、寄生虫や病原菌などを追い払う成分があり、樟脳を得る。防虫効果があり、巨材が得られるから、仏像にも使われ、船の材料としても重宝された。丸木舟の材料として、大木を数本連結して舷側板を取り付けた古墳時代の舟も出土している。古事記の人代篇の其の六には、大木を伐って船を造ったところが、速く走る船が出来て、其の船に軽野がなまった枯野という名前をつけたという話が載っている。カタが結ぶ、マランが木材と言う意味であるタミール語の双胴船を意味するカタマランであるとの説もあるが、その船も年を経て朽ちてきたので、塩を焼くための燃料にして、燃え残りの木を琴にして、かき鳴らしてみたら、由良の渡りの水の中の岩に生い茂って揺れる海草のように、音はさやさやとした音色を響かせたとの記述がある。常陸国風土記には陸奥国の石城で造った船が流れ着き、現在の鹿島郡の神栖に含まれた軽野村が比定されているが、長さ四十五メートル、幅が三メートルという大型の船である。相模風土記には、「この山の杉の木をとりて船を造るに、船足の軽きこと他の木にて作れる船に異なる。よってこの山を足軽山と名付けたり」とある。今でも、伊豆熱海の神社にクスノキの巨木が残るが、伊豆や駿河で、造船が盛んに行なわれた験である。台湾では、樟脳の原料として、大いに栽培されたし、楠正成の勤皇の精神が埋め込まれたような話であるが、南の木と書いて元々の漢字は、タブの木を意味するが、クスノキと訓ませるところが興味深い。

 東京オリンピックの年に公園などに植えられたクスノキの植栽も大樹に成長している。ホルトノキは熊楠の調査には一本も記録されていない。平賀源内がオリーブの木と間違えたから、ポルトガルの木の名前になった新しい木だ。ムクノキは照葉樹林が破壊されると増えて、しかもタブノキとそっくりであるから、ムクノキが枯れると森が発達している証拠で喜べば良いとのことである。後藤伸氏は「神島だけには、害虫駆除の農薬を散布させなかった」が、農薬の大量使用で莫大な利潤を得る関係者がいて、「害虫によってマツ林が枯れてきた」のではなく、「マツ林が衰弱したので、害虫が発生したのだ」と筋を通している。森林は一部の伐採で全体の荒廃が進行するという。観光開発で僅かに二メートル巾の周遊道路を造って原生林が全部壊した。稲積島は、突堤で繋いだだけで、漁場が数年後に消滅して、原生林は普通の海岸林になってしまった。昭和四年の行幸の目的は、別名を彎珠という袴蔓の観察であった。種子が黒い球形で硬いから数珠の材料だ。沖縄から神島近辺を北限として分布しているツル性植物である。神島にはバクチノキ、センダンもある。琉球カラスウリは、南島の特産であるが、神島にある。

 さて、熊楠が西南日本の原形だと広言した神島の森も複合汚染で、生育している動植物は極めて危ない状況にある。紀州各地の魚つき林にも昔日の面影はない。和歌山市の友ヶ島の沖ノ島と地ノ島ではドブネズミのようなタイワンリスとシカを放って荒れ果て、湯浅の黒島も鷹島の森も消えた。南部の鹿島と、白浜の熊野三所神社と元島に森が残るが、捕鯨で有名な太地では、農地拡大のために紀州備長炭の原料となるウメバガシの森を殆ど伐採して破壊の惨状を呈している。(つづく)

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