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Kuroshio 51

琉球と熊野を結ぶ黒潮の道

 熊野で日本再生を祈る、熊楠が残した神社の森、木は歩き森は変わる、と黒潮の洗う紀州の山海のことを書いたら、田辺に住む読者から五月二〇日に葉書を頂いた。「南方熊楠先生のことにつきお書き頂き感謝申し上げます」「折しも明日天皇陛下、皇后陛下が全国植樹祭のため主会場の田辺市にお入りになられたところです。たぶん陛下にはこの南紀州熊野の地は先帝が南方先生と共に田辺湾神島に於いて意気投合された故知を知っておられ明日の会場も眼下に神島をご覧になるだろう、と存じます」と書かれている。

 全国植樹祭が田辺で開催されることなど知らなかったが、ささやかな文章を書いたことはやはり偶然(たまたま)ではなく、熊野灘の沿岸に原子力発電所の立地はいよいよ困難になったものと思うと欣快である。そうこうしているうちに、沖縄の旧友からも、熊野詣での一文を読んだとして、須藤義人著『マレビト芸能の発生、琉球と熊野を結ぶ神々』(芙蓉書房出版、五月一三日刊)なる新刊書が送られてきた。足かけ六年に亘る調査の集大成とあるだけに、琉球弧と呼ぶ島々の古層の発掘を目指す本で、修験道や熊野権現などとの関連を論じて、日本の基層文化の一部に琉球弧を起源とするものがあり、琉球弧の基層文化に目を向けることは日本文化における伊勢・熊野神話圏を照射することにもなろうと述べて、黒潮文明論を鼓舞する内容となっている。八重山諸島の小浜島に残る仮面芸能に圧倒されたことが研究開始の端緒であるらしく、小浜民俗資料館に大正時代に島の祭で披露された来訪神「ダトゥーダ」の仮面が残り、烏の顔を変形させ、山伏が着た聖なる色である柿色の服装で長身の仮装神がかぶる面の写真を掲載している。細かい話になるが、小さな島でも南と北の集落の住民では言葉が違い、最近まで通婚がなされないほどの隔絶があったが、「ダトゥーダ」は島の南側の集落の出し物であったが、間が抜けているとして昭和二年に姿を消していたことは興味深い。ちなみに北側の集落の出し物は「弥勒(ミルク)」で、南は代わりに福禄寿という演目を奉納していたという。琉球の弥勒の仮面はお多福の顔をしている布袋様で、仏像の弥勒仏とは異なる。布袋和尚が弥勒菩薩の生まれ変わりであるという支那南部の弥勒信仰に淵源を持つから、弥勒神は白い大きな仮面をつけて衆生を救済する神であり、古い歴史のものではなく、一二世紀の禅宗が布袋を弥勒の化身とした頃の経路で伝わったものであり、南側の烏天狗の仮面の方が古い可能性が高い。消滅したかに見えた烏天狗の面の演目が、平成一三年一〇月四日の結願祭で七五年ぶりに再演されていることも興味深い。神話は容易には消滅しないどころか、時を得て再生する。危機に臨んで復活して共同体の精神的な絆となることを改めて証明している。天孫降臨のさい先導者となり、国津神の代表とされ、あるいは芸能の神天宇受売命(あめのうずめのみこと)と夫婦になって伊勢に鎮座した猿田彦に着目すべきであるとする。猿田彦の起源は、沖縄の先導・先駆けを意味する語であるサダルと結びついている説を紹介して、熊野の八咫烏(やたがらす)が神武東征の先導者であることの関連を示唆している。

 沖縄の属島である伊平屋島には、「神遊び」の聖空間である広大な洞窟が今でも存在し、祭祀の日には神々が祝女に乗り移って降臨するシャーマンの儀式が行なわれるが、その場所を神アサギと呼ぶ。明和八年三月一〇日(新暦四月二〇日)に発生した地震が明和の大津波となって襲った記録についても触れ、小浜島から石垣島に強制移住が行なわれ、小浜島の御嶽(うたき)の聖所が人間の移動と共に移る。今では石垣島の方が主島になっているが、琉球王朝の番所は竹富島にあったから、当時は石垣島にマラリアの風土病があり、却って周辺の小島の方が媒介する蚊が少なく安全で人口があったことはよく知られた話である。大津波の二次災害の「津波による耕地の流出、塩害による農業生産の激減、天然痘などの疫病の蔓延に加えて、人頭税の負担、マラリア地帯への寄人(強制移住)などの人災」の一つでしかなかったし、想像力を逞しくすると南側の集落は弥勒信仰よりも長い歴史を持つが、圧倒されて力を弱くした人々の子孫が営々とと住んでいたことを想像させる。うずめが渦女と海蛇女と関連することを指摘して、巻踊りとして捉え、生と死そして再生の循環する輪の象徴と解釈しているのは卓見である。蟹を穴からおびき出すことをウギジャシというが、俳優と書いて「わざおぎ」と訓ませている。フェーヌシマとは南の島という意味だが、来訪者によってもたらされた南の島(フェーヌシマ)の名前の棒踊りが南西諸島の各地に残ることを紹介して、南九州の棒踊りとも同じであることを指摘する。琉球の熊野権現信仰は、英祖王が浦添に極楽寺を最初に建てたことに始まり、補陀洛渡海(ふだらくとかい)で奇跡的に流れ着いた禅鑑なる僧を手厚く保護して普天間宮など熊野権現を勧請して「万国津梁」を豪語する。修行に本土に渡った鶴翁との僧の名も残る。鎮守の森と琉球の御嶽(うたき)とが同じだから、黒潮の流れを跨ぐ旅は実は容易であったか。(つづく)

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