Kuroshio 57
黒潮の禊場=必志、干瀬、備瀬、尾嶼
愛知県刈谷郵便局長を最後に、昭和六一年に旧郵政省を退官した、故長田喜八郎氏は『残っている古代の風土記』を平成七年に自費出版している。昔懐かしい地名が失われ行く中で、郵便局に勤務して社稷の盛衰を見てきただけに、新しい住居表示をして物流の近代化を図る試みは攪乱でしかないと判断され、さて地名の由緒は何だろうと考えて風土記に興味を持ったと、まえがきに書いている。風土記は、和銅六年(西暦七一三年)に編纂を開始したが、残ったのは、常陸、出雲、播磨、豊後、肥前、の五ヶ国の風土記で、「逸文」と呼ばれる地方で語り継がれた事柄を記録したものが、江戸時代の初期にまとめられた。風土記は、呉音で「ふどき」と読むのが正しい。延喜式の五畿七道の順序に従って、逸文の最後が、大隅国、薩摩国、壱岐国となっており、そのうち、大隅国の中にある必志郷の説明が気になったという。「大隅の国の風土記に、必志の郷(ひし さと)は、むかし、この村の中に海の洲(ひし)がありました。(鹿児島県曽於(そお)郡大崎町菱田の志布志湾に臨む菱田川の河口を言いました。)その為に必志の里といいます。海の中の洲(す)は、隼人の土地の言葉で必志(ひし)というとあります。(干洲(ひす)の音が訛ったものです)【万葉集註釋巻第七】」
直ぐ思い当たったのは、沖縄の那覇港を出て、渡嘉敷島に行く途中にある、珊瑚の環礁がチービシとの名前で、大隅の必志と同じ言葉であることだった。渡嘉敷村に属する環礁の総称で、神山島、ナガンヌ島、クエフ島という隆起サンゴ礁で出来た三つの島が環礁の水面上に現れ、慶伊干瀬(ちいびし)と呼ばれている。更には、宮古島の北方、池間島の北約五~二二キロに位置し、南北約一七キロ、東西約六、五キロにわたって広がる広大なサンゴ礁群である八重干瀬(やびじ、やえびし)も直ぐに思い至った。この黒潮文明論でも、清朝の皇太后が、おそらく八重干瀬で採集された宝貝のネックレスをしている油絵が、ハーバード大学の燕京研究所の壁に掛かっていたと書いたが、八重干瀬は西太平洋の大珊瑚礁地帯の名称である。旧暦の三月三日には、潮の干満が最大になり、八重干瀬ではサニッと呼ばれる祭が行なわれてきた。日本列島の全土で今も広く行なわれている浜下り(はまおり)と共通する祭である。干上がった珊瑚礁に上陸して、ふんだんに貝を掘り潮だまりの小魚を掬う、豊饒の海の祭であった。川の中洲が、聖なる場所になっている典型が、熊野の本宮大社の故地である大斎原(おおゆのはら)の中州であって,そこに入るためには、禊ぎをして入ることが必要で、八重干瀬の祭も本来は、女だけが入域を許された祭であったと言う。修験道では女人禁制の山が多々残るが、男の出入りが制限されるのが、黒潮の海の祭の特徴である。朝鮮半島の海岸沿いの森では、すっかり儒教の影響を受けて、男が、原初的な神主である女が神憑るユタやノロの代役をすることも指摘しておいた。鹿児島の姶良郡隼人町に鹿児島神宮があり、隼人の社であるが、浜下りの祭が、二一世紀になって、六五年ぶりに復活されている。神奈川県の湘南海岸でも浜降りの祭が、寒さが残る旧暦三月ではなく夏祭りとして、御輿を担いで海に入る行事があるが、同根であろう。福島県の楢葉町の大滝神社の浜下り祭は、毎年四月に、木戸(きど)川の上流にある大滝神社の御輿が、海岸まで下り潮水をあびる行事で、子どもみこしや出羽神社の浜下りと合流して賑やかな祭となっていたが、原子力発電所が暴走して、余計にこうした禊ぎの習慣が見直されるのは間違いない。ちなみに熊野神社の末社は、日本列島の沿岸に広く伝わっているが、福島県に、熊野神社の末社が一番数が多いのは不思議である。春に福島の発電所
で原子力災害があり、夏には熊野の山奥で台風による大水害が発生していることは、神木を切り倒したことが、禊ぎの場所である干洲(ひす)としての大斎原(おおゆのはら)を流出させた明治二二年の人災の大水害の原因であったことと同様、祭祀をおろそかにして、しめ縄を張って結界をつくらず、津波や洪水を恐れず山を切り崩したことが原因になっていることは間違いない。大阪の住吉大社では、大和川の中にわざわざ中洲をこしらえて禊ぎを行なう浜下りの祭を平成一七年に四五年ぶりに復活させている。新しく、禊ぎの場所である隼人の洲(ひし)を再現したのだ。
さて、尖閣列島に赤尾嶼(せきびしよ)と黄尾嶼(こうびしよ)があるが、尾嶼(びしよ)の表現は黒潮の海に突き出た洲(ひし)の訛りで支那の用語ではない。蘇鉄があれば、古生代の地層で出来た島だから、ハブや奄美の黒ウサギの生育する自然と、溶岩がむき出しになった伊江島の塔頭(たつちゆう)の世界に繋がる。島の名からして、尖閣は黒潮の世界に属する。沖縄の本部(もとぶ)には、塔頭が拝める海岸に備瀬(びせ)という美しい海岸の集落すらある。尖閣は、宗像(むなかた)大社の奥宮のある沖ノ島が大陸との交通の要所で禊ぎの島であることと、同じ配置である。珊瑚礁のことをシーと言う。珊瑚礁の海岸の先に、板状石灰岩(ビーチロツク)が板干瀬(いたびし)の名で水面下に広がる。海中に屹立する尖閣の洲(ひし)である尾嶼(びしよ)は、黒潮の民が潔斎する礁(シー)の色が赤黄と変化するだけで、支那との所縁(ゆかり)はない。(つづく)
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