構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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Independence of Japan

5月の末に書いたメモである。ご参考まで。

危機の管理のためには時間の認識が重要である。時間を表すギリシア語に、クロノスとカイロスがある。クロノスは流れる時間であるが、運命や神の意志によって決められる時間をカイロスという。国家によってカイロスは異なるが、東日本大震災の3月11日は、日本人にとって共有できるカイロスとなった。14時46分は、日本にとって歴史の転換点となった。

その意味合いについて後で論攷を進めるとして、まず提案したいのは、3月11日の体験を共有して、迅速に記録にとどめておくことである。時間が空いて後から記録するのでは、言い訳や恣意がはいり込んでしまうだけではなく、記憶はどんどん薄れてしまうので、資料としての価値が薄れる。歴史の資料としては、乃ち過去の事実が正確に記されていればいるほど、現在の状態と将来の判断材料としての価値が高まるからである。3月11日当日に、どのような動きが見られたかを記録しておくことは、危機の時代におけるあらゆる団体の運営や経営のあり方について重要な示唆を得ることが出来るし、改善の基本事項を容易にとりまとめることが出来る。何故なら、平時においては見えないような問題点が、液状化した大地のように噴出して出現したからである。会社であれば、経営トップから末端の社員に至るまで、3月11日14時46分から、その日の深夜に至る行動を記録してまとめることを組織的に行うことを勧める。

筆者は、当日の動きを次の様にとりまとめた、ご参考まで。

「東北関東大震災が発生した。地震が起きた時、赤坂の溜池を歩いていた。アークヒルズの高層ビルを通りすぎ、交差点を右に曲がれば、虎の門方向というあたりだ。阪神大震災で、高速道路が横倒しになった写真を思い出し、官邸前に行く道路の上を高速道路が走っているから、看板やガラスが落ちてくる可能性ありで、近くのビルの玄関に入り込んだ。上階から米国人とおぼしき三人が走り降りて道路に飛び出そうとするから、ビルの中が安全なのではないかと制した。時計を眺めて五分も震動は続かないはずだと諭した。終わって呆然としているので、直ぐ本国の家族に電話をかけた方がいい、まだ電話はつながるからとお節介な話をして名刺を一枚渡した。サンキューと一言言ったが、その後の連絡はない。日本財団の前を通り過ぎて、米国大使館への通りを横切り、昔の満鉄ビルを過ぎて、虎ノ門まで出た。原子力の平和利用を被爆国日本に於いて宣伝するための心理作戦に従事した外国の組織のあったビルの窓ガラスが散り散りに破れていたのを見た。虎の門では旧知の○○の建築の専門家に出会ったが、庇が特徴で、ビルの中央が中空になって法隆寺の五重塔の心棒の役割を果たしているから大丈夫とのふれこみであったが、老朽化して民営化で、修理費用をけちったか知らんと聞いてみたら、補強工事を現役の時代にちゃんとしたから、大丈夫な筈だと自信ありげに答えた。警察のアンテナがのっている総務省や外務省を過ぎて、博物館のような赤煉瓦の法務省の庁舎を右に、警視庁を左に見て桜田門についた。早々に通行止めになっており、祝田橋から皇居前広場に抜けたが、お堀の水が揺れ動いた気配もなく石垣の乱れはなかった。皇居前広場には、大手町あたりの高層ビルからサラリーマンがヘルメットを被って白ワイシャツ姿で、一団をつくって逃げて来た。外資企業も多いから、不安げな顔の外国人社員も結構な数であった。東御苑あたりでは、近くの第一ホテルが建築中で歩道が狭苦しくなっているせいもあって、歩道の離合が袖がふれあうほどに人も増えた。沖縄の知人が、前島密の賞を受賞をして、竹橋のホテルで祝賀会が予定されていたが中止になった。ホテルのエレベータは止まり、一階のコーヒーショップは、家に帰れない客の居候のようなたまり場になっていた。日生劇場で、演歌歌手の北島三郎のショーがあって、わざわざ関西から見に来たという老夫婦が、地震で大揺れで劇場の屋根が落ちるのではないかと怖かったので、帝国ホテルの隣の劇場から宿泊しているホテルのある竹橋まで徒歩で帰って来たとの話だった。一階のレストランは水を給仕してくれたが、居座るわけにも行かないので、竹橋の裏の神田鍛冶橋に知り合いの会社があったので訪ね、油を売ることにした。エレベータが止まって五階まで歩くのはこたえたが、事務所の本箱が飛んだくらいで、電気も動いていたし、トイレの水も出ていたので、東京の被害は阪神大震災のようにはならないことははっきりしていた。夜の八時半頃までで見切りをつけて、目黒の先を目指した。白金高輪から白金台を過ぎて目黒に着いて、東急の電車が少し動き出したので、そこから○○○経由で○○○線に乗り換え、家に帰り着いたのは一一時半を回っていた。途中タクシーも見たが何時間も渋滞に巻き込まれていたし、麻布十番のあたりではサウジアラビアから来たという学生が日本の整然とした秩序に驚いたと言うので、伊勢神宮を参拝しておくことも日本を理解する為に必要だと忠言をしておいた。深夜になって目黒通りの渋滞も解消されたので、○○○の会社の寮に避難していた娘の救出に車を運転して行った。家のガスは自動的に止める安全装置が作動したが、ボタンを押せば復旧した。千葉の精油所が燃えて築地移転予定の豊洲や浦安の埋立地が液状化したが、地震で一番怖い火事が東京二三区で発生しなかったのは僥倖であった。

●さて、陸上自衛隊の飛行機が撮影した津波の映像は、海鳴りの底から叫び声を上げて名取川の海岸に押し寄せる水塊を撮影している。震源地は、金華山の先の太平洋沖で、親潮が盛り上がった津波である。海上保安庁は、巡視船が津波の大波を横切る映像を公開したが、「総員、つかまれ」と船長の冷静な伝声が印象に残る。陸に近づくと突然波高を高めるが、海上では横倒しにならないようにして直角につっきる操船をする。○○の観光船の船長は新西蘭(ニュージーランド)から小型ヨットで太平洋を縦断して故郷日本に帰った勇者だが、津波でモノは全部失ったが、発生と同時に船を沖出しして生還したと電話の先で話していた。福島第一原発を襲った津波は四〇メートルの高さの建屋を超えた。波頭は、プロメテウスの火に怒りをぶちまけている潮の塊のようにも見えた。見えない恐怖は、人の判断力を停止させるが屈服してはならない。拝金の市場原理主義は、自然災害を脅しの手段にして流言飛語で人を金縛りにするが、姿の見えない敵を的確に測定して分析して、敢然と絆を強くして克服できる。黒潮の民は波濤を跨いで雄雄しく立ち向かう。」

人命が多く失われた東北地方と、電車や電気が停止した関東地方や、揺れは大きかったが、影響が少なかった関西地方と、企業の事業所によっても、大震災に対する受け止め方の違いはあるが、今回は天災に、原子力発電所の暴走という人災が加わったことによって、一挙に全国民が共有できる災害となった。企業経営においては、日本全国の企業活動を一体するためにも、そうした状況認識の共有化が必要である。海外に事業所を持つ場合には、なおさら重要であり、どちらかと言うと、日本の親会社に対して無関心な社員が多く見受けられる場合においても、今回は原子力の問題で、世界的に関心が広がっていることも有り、外国人社員の行動についても分析を進める良い機会である。外国社員の企業貢献の本当の水準について知ることの出来る良い機会である。企業の一体感を強化する事が必要であり、そのためにも、3月11日以降の行動の記録をとりまとめることがまず危機管理の要諦である。社史はどちらかと言うとクロノスの記録となりがちであるが、会社の分水嶺を示すクロノスで企業の動きをまとめることは、会社経営の改善のためにも重要である。戦争の遂行において戦史をまとめることが極めて重要であるとされるが、例えば、ヴィエトナム戦争の開始直後に、当時のマクナマラ国務長官は、戦史の記録とりの開始を命令しているのは著名である。単にクロノスの観点からではなく、カイロスの観点から、企業はもとより社会国家の原理の変遷について記録することが重要である。

さて、冒頭で歴史の転換点となったと述べたが、地震で壊滅的な打撃を受けたことで、実は、自力でその災害からの復旧を果たさなければならないという単純に自明のことが明らかになったと言うことである。太平洋戦争の敗北後、日本は外国軍隊の占領下におかれ、東西冷戦の中では日米安全保障条約に守られているとしたから、戦争においても、自らを決するという原則はなくなり、危機の状況の克服を外国に期待する心理が通常となっていたが、今回の大震災に於いて戦後初めて、自力で克服しなければならないとの厳然たる事実に直面することとなった。特に、福島の原子力発電所の津波による電源の喪失とその暴走は、たとえ外国企業が建設したとしても、その外国企業が責任を取ることはないどころか、市場原理主義の中で、当時原子力発電所を建設した外国企業はむしろ国際金融の企業に変身しているのではないかとの指摘もある。結局は、電力会社や日本の関係企業が生命を賭して、原子炉の暴走に歯止めを加えるという行動をせざるを得ない、外国からの助けの期待は外周の期待のみであって、事態の本質的な収拾には、外国からの安全保障措置が期待できないことが明らかになった。それどころか、原発を重要な輸出商品と考えている国家は、原発は制御可能ではあるが、今回の事態は日本側の杜撰な管理体制によって生じた人災であると言う物語を造って自国の国益の維持のために使おうとする動きすら感じられるところである。ロシアは、日本の情報収集のために派遣した専門家の意見を公表して日本の対応を批判しており、フランスは迅速に自国の原子力技術の売り込みのために大統領をすら派遣している。事実、福島原発からの放射能の放出と共に、外国軍隊の原子力空母は、影響を受ける海域から迅速に撤退している。つまり、そうした過酷な状況の中で、電力会社や関係企業は、文字通り命がけで事態を収拾するために働く事態となった。もちろん、中には、事故現場で働くことを拒否したものも出たには違いないが、多くの人が志願して危険な仕事に従事しているし、また、中高年の技術者の中からは、決死隊結成の動きも見られ、戦後の外国依存の政治経済体制の中で横行していた、他人任せの安全保障観が覆されることとなった。原発の暴発は退役者が食い止めるという論文を、住友金属工業OBで、「福島原発暴発阻止行動プロジェクト」代表の山田恭暉(やすてる)氏が、書いているが、約95名の志願者があったという。明治天皇の御製に、敷島の大和心の雄々しさはことあるときぞあらはれにける、の歌があるが、「大和心の雄々しさ」という表現が初めて使われて違和感がない状態となったことは、戦後日本の思想が克服された可能性が高い。想定外という表現が多発したが、実は、合理性の枠組みを超える事態が発生したことを示しており、人間の理性でとらえることが出来ることのできない事態が発生したことを示しているが、戦後一貫して、合理性が過多に尊重されていたことは重要であり、合理性では問題の本質的な解決にならないことを露呈するに十分であった。合理的な計算に基づいてリスクを最小化していたが、個人主義や生命市場主義では危機に対応できずに、これまで無視されてきた、人間の力では及ばない人智を超えるものに対する畏敬を感じる人々の手によって、対処が行われている。3月16日に発出された天皇陛下のビデオ・メッセージは、日本のカイロスに対する応答であるが、その中でも、命を差し出すことが要求される仕事として、自衛官、警察官、消防士、海上保安官などを列挙して、労をねぎらっているが、今回は、職業選択の自由を持っている民間会社にしかすぎない東京電力の原子力専門家が、無限責任を持って任務の遂行を行ったことは賞賛に値する。退避命令を検討したとされる東京電力幹部の報道があったが、事実とすれば、戦後の制約された思想の中での出世はあったが、国家全体の生き残りをかけた判断の中では完全な誤りを犯したのである。つまり、合理主義の想定外の前で萎縮しない「雄雄しい」人が現実には作業を行っている。東電幹部や日本の政治家を含めて、合理主義の強い支配下にあったから、想定外の事態に直面して、思考停止状態をおこしてしまった者が多数出たが、それは文字通りの思想の問題が露呈したのであって、そうした合理主義から責任追及を行えば、単純に頭を下げて回る社長が出現するだけになる。今、重要なのは、責任追及よりも真相究明であり、3月11日の当日に何が起きたかのクロノスの正確な記録であり、それ以外に対処の策を確立する正確な資料の収集方法はありえない。

三浦綾子の小説、塩狩峠は、規模的には小さな危機ではあるが、福島原発と類比できる事例である。塩狩峠は天塩を石狩の境にある険しく大きな峠であり、明治四十二年2月28日の夜、急さかを上り詰めた列車の最後の連結器が外れ、客車が後退を始め、乗り合わせていた鉄道員、長野正雄がとっさの判断で、暴走を止めるために身を投げ出すという実話を元にした長編小説である。思想即行動、行動即思想を、瞬間的に思い、行動するという、一大事の時に発揮される行動が雄々しさである。想定外の自然の脅威を克服する思想が、日本と民族の生き残りのために重要であるかがはっきりしたように思う。会社の広報誌等で、この塩狩峠の小説を読むことを進めることも一策である。北海道の塩狩峠の現場には作家の三浦綾子の記念館も残っているようであるから、夏の旅行の目的地として若手社員に勧めるのも一策である。福島原発の暴発阻止の作業に加わっている社員、OB、関連企業などに対しては、最大限の支援を行うことが必要である。企業のトップによる現場の慰問を行うことが必要である。

今回の大震災で、冷戦後の時代を謳歌した新自由主義の政治経済思想が、完全に終わりを告げたと言うことも冷厳な現実である。新自由主義とは、制約のない資本主義のことで、市場の競争で勝利したものが富を得ることが当然だとする考え方で、国家の規制は悪で市場が全て決定することが正しいとする考え方である。日本では、構造改革と称して、新自由主義の政治が強行されていた。個人主義が謳歌して、会社の経営においても、共同体の経営感覚は時代遅れとされ、個々の社員を分断して競争させる成果主義の経営がもてはやされ、見かけの報酬が最大限尊重されて、一流大学の卒業生が先を争って外国資本の証券や銀行に就職先を求めるという奇態が生じていた。2008年の9月には、リーマンブラザーズという、日本では日露戦争以来の関連があった国際金融資本が破綻して、新自由主義の限界が明らかになっていたが、どういうわけか日本ではその残党勢力が残り、政治的にはみんなの党などと、衣替えをして生き残っていただけではなく、構造改革路線を打倒するために登場したはずの民主党政権の政権交代を無にするかのように、鳩山内閣をサボタージュと官僚の抵抗で倒してしまった。その後に登場したのが菅政権であって、小泉政権と本質的には同じであるポピュリスト政権として大量の政治宣伝を行って仮想敵を作り、それに対抗する政治エネルギーを結集することで、権力を把握しようとする政治手法を取り入れた。しかし、3月11日の大地震により、原発のメルトダウンが起きていたことが発覚したことと同様に、国家権力の中枢にもメルトダウンが起きてしまった可能性が高い。メルトダウンが幸いにして原子炉の底にたまり、核燃料が再臨界する可能性は低いとされるのは朗報であるが、国内の政治権力の指導力の弱さは情けないほどで、政権与党ばかりではなく、野党においても未だに市場原理主義を直す気配はなく、郵政改革法案なども、会期末までに採択されるかどうか厳しい情勢にある。危機に直面して、菅内閣を支援するのではないが、日本国家が崩壊してしまう可能性があるので、直ぐに更なる政権交代や総選挙を実施して政治の空白時間を作り、政権を追い出すわけには行かないという奇妙な認識が日本をおおってしまったのが現実である。逆に、固有名詞の菅内閣ではなく、日本国民が民主的な手続きで選出した最高政治指導者としての内閣総理大臣に権力集中が必要であると言う矛盾を抱えた状態に陥っている。住友金属工業のOBによる決死隊の構想について書いたが、新自由主義の経営においては、そうしたOB団体の管理などは不必要なコストとして切り詰められたことが現実であったが、これからはそうした経営手法は改めなければならない。むしろ合理性を欠いた自然への畏敬を含めた活動を行うOB団体や企業の共同体としての機能の結束を促す活動の支援を行う方が経営の円滑な進展に役に立つことが期待される。新自由主義的な、企業の構成員のアトム化を促進する経営手法を推し進める団体などが、雨後の竹の子のように林立したが、そうした団体や、その音頭を取った学者や、オピニオンリーダーとの縁切りを急がなければならない。経済団体もすっかり、新自由主義を主導する経済人によって主導権を奪われるだけではなく、外国資本と結託して外国企業に都合の良い経済政策を代弁者となった、いわば隠れ蓑団体も散見されるので、こうした団体に対する寄付行為なども厳に慎む必要がある。

地震の発生後、外国のマスコミには、集団ヒステリーとも思われる現象が発生したが、その背景には、人種主義の臭いが感じられることを、警戒警報として指摘して起きたい。特に人種主義の問題については、西欧ではタブーに近くなっており、もはや正面では存在しないとして取り上げられないが、まだまだ西欧社会の底流にある近代の思想が、日本で頭を持ち上げた気配がある。外国の大使館が、東京を引き払って、大阪に移転するという珍事が発生した。当初は、原子力発電所の暴発が原因で、放射能汚染の拡大の恐れを危惧する向きもあったが、実は、大地震後の暴動や略奪を恐れが背景にあったことも、表面化しつつある。日本では、暴動や略奪は起きないことは、阪神大震災の時にも証明されているが、こうした大災害の時に西欧社会では、暴動略奪はつきもののように発生するので、今回も首都東京でそうした事態が発生するという恐怖に囚われてしまった可能性が高い。イタリアの国営放送は、大阪から、実況中継をしたし、渋谷に原発があると報道した米国のテレビ会社もあった。マルコポーロの当方見聞録は、ジパングを黄金の国であると記述しているが、更には、人肉を喰う野蛮の国でもあると指摘している。カネはほしいが喰われたくはないような心境が働いたようである。付け焼き刃のビジネスで、マルコポーロの当方見聞録はビジネスマンの必読書になっているようで、そうした妄想が働いたようである。日本側からすれば馬鹿げた話であるが、まだまだ相互理解には程遠く、マルコポーロで日本を知る時代ではないと思うが、その偏見がしみ渡っているのが現実である。日本をよく知るコロンビア大学のドナルド・キーン教授が、日本への帰化を発表したのは、こうした西欧の迷妄に対する、西欧知識人のささやかな抵抗と矜恃と受け止められる。日本の研究に人生を捧げた外国人に対して冷たく、日本をくいものにしたような人物に名誉ある勲章を贈るなどの事態が続いていたことも是正されなければならない。小泉構造改革で荒稼ぎをした外国ビジネスマンが続出したが、そうした連中の大半が東京から撤退した。例のブランドの企業であるルイヴィトンですら、東京に踏みとどまることが出来なかったという。日本人はもうルイヴィトンを買わなくなるであろうことは目に見えている。ブランドでも、ローレックスの時計は、六月十日に時の記念日のコンサートを敢行するが、そこでは南西諸島のコンサートを取り上げ、一種の土着の音楽を強調する企業もあるから、日本理解の程度にも差があるようだ。フランスやドイツの大使館機能の東京からの移転は、異常ともいえる状態であった。日本のドイツ理解に比べて、いかにドイツにおける対日理解がお粗末なものなのかがよくわかる事例となった。戦争中に政府高官が軽井沢か箱根に家族の住所を移して顰蹙をかったことがあったが、それは、軽井沢や箱根が外国公館の避難場所となっており、連合国の空襲がなかった安全な場所だったからである。今回の大地震後、フランスに至っては、自国民の東京脱出をさんざん煽った後に、原子力企業の女性社長を来日させ、なんと大統領まで追加して訪日させて、原子力技術の売り込みを推進している。原子力の運用手順は渡すが、技術は渡さないという、過酷な植民地政策の悪臭を紛々とさせる事態となった。日産自動車が、仏企業のルノーに買収されて、名前は日本の会社であるが内実の支配はフランス資本であることももっと知られて良いが、東北地方からの部品供給が先細りとなり、慌てて社長が来日して福島原発に近接したいわきの工場を訪れているが、どういうわけか今回は沈黙を守っている。福島原発の近隣の工場の再開を、警戒区域をはずして創業しろと迫るわけには行かないから、グローバリゼーションの中での自動車産業における対外関係が何とも軽薄なものにすぎないことを露呈した。中国は緊急援助隊を送りながら、片方では、尖閣諸島の領有権を巡って威嚇を継続した。日本国内では、一部中国人による略奪があったがマスコミが伝えるところとならず、自警団が組成されて抑圧している。中国政府は都内で土地の買い占めを画策するなど、帝国主義の傾向を強めているのは要警戒であり、森や水の買い占めも話題となっている。ロシアに対しては、領空侵犯で続けざまに戦闘機を緊急発進をする事態があった。米国は、自国民のために勝手に制限区域を日本政府と異なって設定するという横柄さを誇示したばかりではなく、海兵隊の駐留を正当化する政治宣伝のひとつとして利用しようとしいたが、失敗して、侮辱発言を行ったメア国務省部長を再度更迭することに踏み切らざるを得ない事態を招来している。無人の偵察機を飛行させて、そのデータを独り占めする事態も伝えられている。ちなみに、南太平洋で、原爆・水爆の大気圏での実験を行ったが、マーシャル諸島の住民に対しては人体実験ともみられるような悲惨な取り扱いが行われているが、それは、人種主義が背景にあることは容易に想像出来る。廣島・長崎への原爆投下は、勿論人種主義の優越の臭いを無視するわけには行かないが、今回の大地震の直後の欧米の動きは、今まで底流に潜んでいた人種主義の悪魔が蠢く事態となったことが発覚した。大企業の場合には、海外の支社などを通じて徹底して、日本国家・民族の緊急事態において、略奪や破壊の行動に走らないことを説明を行う必要があった。 一旦日本を離れて又戻って来た外国人の処遇であるが、情報要員である可能性もあるので、慎重に扱う必要があり、単に年休処理で、職場離脱を休暇として処理してはならない。お人好しの日本企業として内心ではベロを出していることが確実である。当該国は、特別機を数機派遣して引き揚げ大作戦を行った背景がある以上、日本国内での人口拡大による工作?を行っていた要員を引き揚げさせたとの見方が有力である。なお、チェコなどそれほど日本国内に自国民が以内国までもが、特別機を二機派遣して自国民の撤収作戦を敢行したと言うから、首都東京における外国人のパニックは想像を絶するものがあったのは、人種主義や自国の行動の裏返しの恐怖がが底流にあって増幅された可能性が高い。

筆者の40年以上にわたる交際のある米国人が、日本理解を誇示するかのように、連休明けにわざわざ来日したが、その友人の述べるところでは、「日本は、日本を理解しようとする外国人に対しては冷たくしていたのではないのか。日本で単に金儲けをして本国に送金する外国人をチヤホヤしたのではないのか。日本を半分脅すような連中に資金援助をして、本格的な日本研究を支援することもせず、米国の大学ではもう日本を研究する人などあまりいなくなった。国務省でも、中国関係者ばかりだ。米国研究なども本当は日本は何も出来ていないのではないか。ワシントンの二枚舌のロビーイストに大枚を支払っているだけではないのか。日本を理解して対等な友人になろうとした者をないがしろにしたのではないのか。前から続いていた日米のパイプは実は細くなっているのではないか、ビジネスばかりの浅い関係になっているのではないのか、日本の政府の官僚の能力も、経営者も政治家も同様であるが、著しく低下しているのではないか。面と向かって日本の立場を主張する日本人が少なくなったから、アメリカ側でも、日本は御しやすいと誤解してメア発言などが横行しているのではないのか、メア発言は日本の官僚が吹き込んでいるのではないか。」などと指摘したことが心に残る。

企業としては、大地震後の混乱を海外向けの広報を行うチャンスと考えて差し支えない。支援のメッセージを寄せた外国の顧客や関係者に対しては、心の底から感謝を伝えなければならないし、それは、市場原理主義の経営とは、縁もゆかりもないはずの創業の精神に戻った、自立自尊を求める気迫のこもった感謝の文言でなければならない。日本に対して寄せられた最大の義援金は台湾で集められことも特筆できる。タイからは、観光団が組成されて訪日したことも特筆して良い。要すれば、誰が真の友人であるか、誰が職場を放棄して逃げたのか、外国との関係を判定する最大の機会として活用すべきである。

更に、追加する点としては、こうした大災害の後では自粛を行うことが常であったが、今回はそうした自粛が実は日本を収縮させる勢力に加担するので、企業は決して自粛に加担してはならない。自粛して、その儲けを利益とすることができる誘惑が働くことは当然であるが、それだけに、自粛をして見せかけの利益が増えてもそれは経営の成果ではないことを厳格に認識すべきである。

最後に、東日本大震災と沖縄の関係についても言及しておきたい。東京の大マスコミには殆ど言及されていないが、沖縄の琉球新報は社説を3月18日に、「大震災で、人道的な支援の効果についてはわかるが、軍の貢献を政治宣伝するのはどういう神経なのか、日本の和の文化を揺すると同一視する発言をしながらこれも撤回せず、災害支援で復権を目指すつもりか。発言の撤回も反省もない人種差別主義者の復活など、願い下げだ。はっきりさせよう。米軍がレトリックを使おうとも県民を危険にさらす普天間飛行場やその代替施設は沖縄にいらない」と書いた。危機的な状況を辺野古移設の口実に使おうとすれば、沖縄の不信感と反発は一層強まることになることを指摘しておきたい。ともだち作戦を殊更に強調するのは、日米同盟が弱体化している証拠にしかならない。日本全体のために海兵隊が必要なのだから沖縄はそれを受け入れよという強圧的な主張は、それなら沖縄は日本にとどまる必要はないという主張を持つ可能性があるし、又、そうした状態を作り出すための高等戦術の可能性もある。そうしたうがった見方は、19世紀末以来の西部開拓から、太平洋を西へと向かう米国の勢力拡大を考えると現実性があるシナリオである。

追加

以下は、熊野の本宮大社に日本復活祈願の小旅行の記録を留めようと書いた雑文である。ちなみに、今年の全国植樹祭は5月22日に、和歌山県田辺市で開催され、天皇皇后両陛下がお出ましになっているので、南方熊楠の故事を書くことは、あながち無駄ではなく報われたと考えている。

「熊野の地で日本を思う

夜寒で避難所に炊き出しの応援に行く体力に欠けるが、何か出来ないかと、熊野の本宮大社に詣でて、日本復活祈願をした。飛行機で羽田と発つと僅かに一時間で紀伊白浜に着き、熊野古道を辿るバスで更に一時間で着く。

四月一五日の早朝から本殿祭が始まり、九家隆宮司は「大震災があり、祭の時間を知らせる花火やアドバルーンをあげることを自粛したが、その他の行事は淡々と進めることが大事である。人と自然との共生、東北で多くの人々の命が奪われた、その御魂の鎮魂を祈ります。明治二十二年の大水害で本宮大社は壊滅的な打撃を受けたが、僅かに二年の間に今の山間の丘陵地に移築することに成功している。しかも重機がない時代に大がかりな復興事業を成功させている。来年は大水害から一二〇年の節目の年として、社殿修復等の工事を進める」と決意を述べられた。

先人の迅速な修復に習うためにも、決断して迅速な行動に移して行くことが大事だとの趣旨の挨拶であったが、聴衆の中からは、現下の日本の政治指導力の欠如を想像したせいか、嘆きの声か、溜息か、はたまた失笑とおぼしきさざめきが聞こえた。本殿祭は、春の恵み、自然に生かされていることに感謝を捧げる神事である。

午後には御輿が、本宮大社の旧地である大斎原まで練り歩いた。満開の桜の中で、斎庭神事が大斎原で挙行され、餅投げがあり、熊野修験が大護摩の火を焚いた。神事の終わる頃雨が降り出して、遷御祭で御神輿は本殿に戻った。復興祈願をするにふさわしい大日本の聖地たる風格であった。

政治犯として収監された鈴木宗男氏も去年の九月一九日に、本宮大社に参っているし、宮司から「新しいスタートの場所ですから。人生山あり谷あり、苦難もあります。お身体に気をつけて、しっかり頑張って下さい」と激励を受けて何となくホッとした気持ちになったと書いている。今年の一月八日には小沢一郎民主党元代表も、白い巡礼の装束をまとって本宮大社に詣でている。

本宮大社の旧地は熊野川の中州にある。ダムが出来るまでは滔々として、河口の新宮からの船の往来が今より遙かに頻繁で古代の船着き場があったことを想像する。明治二十二年の大水害は人災であり、明治政府が神社の合祀を画策して紀伊の神社林の巨木を伐採したから、その結果山が荒れて、大水害が起きたに違いない。

南方熊楠の旧宅は田辺に残るが、隣地に顕彰館が建てられ、約二万五千点に及ぶ資料を整理しているので、帰りに立ち寄った。温泉場となった白浜の町の郊外の魚つき林であった岬の高台に、南方熊楠記念館がある。
昭和天皇の御製 
雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ の歌碑が敷地に屹立している。昭和四年六月一日、御召艦長門に六隻の艦船を従えて南紀を行幸した昭和天皇は、熊楠の推奨する神島に上陸して粘菌を観察され、後刻艦上で神島の植物に関する御進講を受けている。昭和三十七年南紀に再度
行幸の天皇陛下が、熊楠の思い出を話され帰京後発表された歌である。

神島には 一枝も心して吹け沖つ風 わが天皇のめてましし森そ との熊楠の赤誠の歌碑が昭和五年に建てられて今に残っている。神島とは田辺湾
にある面積三ヘクタールの島である。

神島と書いて、訓は「かしま」であり、神は建御雷命であるというから、常陸の鹿嶋神宮との関係も容易に想像され、かしまが神島であることを田辺の記念館を訪れるまで知らなかった不明を恥じた。神島は、古くから不伐の森であったが、明治四十二年に神島の社が、近くの神社に合祀され、森の伐採が計画された。南方熊楠はこれに反対した。

明治政府は、明治四年の太政官布告で全国の神社の格付けをして、明治九年には、神社合祀の法律基盤を固めた。紀州では、特に急進的な合祀が行われたとされるが、きっと巨木の利権があったからに違いにない。

南方熊楠が、神社の合祀合併とそれに伴う神社林の伐採を憂えて、長文の論攷を初めて発表したのは、明治四十二年九月であるが、神社の森がか
けがえのない生命の貯蔵庫であることを知り、日本という国の文明の根本がそうした、小島の森や、鎮守の森に宿っていることを、むしろ七つの海を制覇した大英帝国の博物館での勉学の成果として知り尽くしたと思われる。

大正七年に至ってようやく、「神社合併は国家を破壊するもの也。神社合併
の精神は悪からざるもその結果社会主義的思想を醸成するの虞あるを持って今後神社合併は絶対に行うべからず」との意見が通った。熊楠の反対で、神島の森、熊野古道の野中の継桜王子社の森、那智の滝の原生林などが残ったが、大方の神社林は切り倒されてしまった。明治の神社合祀は、小泉構造改革の破壊とも似た神殺しであった。近代の宗教秩序を導入して合併で効率化する発想であった。

神社合祀の場合には、巨木が利権となり、木を伐ってそれを売ることで、一部の勢力が利益を上げるという構造であった。列島に繁茂していた巨木が、外国勢力の手に渡って加工されていったとすれば、現代の構造改革協議や郵政民営化という外国金融勢力の支持によってなされた虚妄に限りなく近い。事実、北海道の樫林は外国で酒樽になった。

神島は天皇陛下が愛でて、南方熊楠とその継承者が厳重に守って保護したにもかかわらず、マツやタブノキの巨木が弱って枯れ、少しずつ荒廃しているという。南紀でも魚つき林は殆ど破壊されたし、神島のある田辺湾や海岸線は、コンクリートによって津波の力を消す浦々を埋め立ててしまった。昭和二十一年に南海道地震による大津波がおきたことがあるが、これからの覚悟はあるのだろうか。

さて、東京に帰り、原発の写真集をみると、全部が海岸にあるが、テトラポット
を積み上げた形で自然の力をなめきっているように見えた。心して沖津風が吹いたせいか、熊野灘の原発建設の話は立ち消え・中止になっている。」

 

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