Kuroshio 61
徳之島方言の研究 続
●前掲の『奄美徳之島の言葉──分布から歴史へ』の報告書には五つの特徴があった。言語地理学の調査の手法が定まらない中で、島の中での方言伝搬の道を探ろうとしたことが第一で、空間を表す言葉の分布を調べてみたのが第二の特徴である。第三は、音韻法則を分布図に投影したことであり、第四が古老などの情報提供者をサンプリングで決定したことだ。だから、いわゆる有識者ばかりでなく、柳田國男風に言えば眼に一統文字がない人も含んでいる。島には文字がなかったから、文字に支配されていない黒潮の民の方が伝承の力が強い可能性が高い。第五は、コンピュータで地図を描いている。旧ソ連の情報機関が作成したインドネシアのモザイク模様の言語地図などは、国を挙げての膨大な力作業だったと推測するが、昭和五十年代の初めに作成された奄美徳之島の方言の地図が、コンピュータで作図されたことは、世界で最初か少なくとも初期の試みであったことは特筆してよい。柴田武教授は、「島にかつての教え子岡村隆博氏とその舎弟耕吉氏」がいて、「岡村氏がいたからこそ、徳之島を対象にしたいという学生の提案に同意したほどである」と調査に着手したきっかけとなった重要な協力者を述懐している。
●岡村隆博氏は、徳之島の天城町浅間に居住して、無形文化財となりつつある島の言葉の記録保存に着手して、『奄美方言:カナ文字での書き方八つの島の五つの言葉七つの呼名』を、二〇〇七年に、南方新社(電話〇九九ー二四八ー五四五五)から出版した。徳之島の言葉の琉球方言における位置づけ、更には日本語全体の関連で島口の重要性を論じた名著である。グローバル化の対局にある考え方で、のっぺりとしたワンワールドの勢力と闘う時に勇気を与える文章が散見されるので、その一部を引用し紹介する(括弧内)。
「日本語は、まず、約一億人の本土方言とわずか百万人の琉球方言とに大きく二分される」「琉球方言と本土方言とは、同じ祖語から発展してきたものであ
る。このことはすでに証明がされていて、これに疑義を挟む余地は全くない。それは、琉球方言と本土方言の間には、きれいな音韻対応が見られるからである」「島口には、島の方言という意味が勿論あるが、それだけではなく各集落の言葉という意味あいが、またはニュアンスがより強いとも言える」「徳之島では、お互いに集落間の方言の小さな違いは認め合いながらも、他の集落の言葉には、あまり影響されずに、各集落毎の言葉が保たれてきたようである」
「奄美では、各島間や集落間における言語の優劣とか上下関係というものは全くなく、言葉は、みな平等である」「だが、生まれたときから使っていた島口、つまり方言を大事にしてきた者が自分の言葉に自信をなくす時が来た。それは、教育の普及で有り、居住空間の広がりであった。ことに学校教育で標準語は上位の言葉であり方言は下位の言葉であると見なされてきたからである」
名古屋の電力会社の社長に出世した徳之島出身者があったが、自分の出自を卑下したのか島口を一切使わないどころか、島の出身の人とは一切付き合おうとしなかった不届者であったと先輩から聞いたことがある。山手線の電車の中で、島の言葉で話すことがためらわれるような雰囲気があったことも事実で、徳之島の中でも、集落全部で共通語を話す運動が行なわれたこともあった。その運動の指導者が教職員で、後に校長になったと話を聞いたことがある。この卑屈は、インターネットで通信販売をして成功した会社が市場原理主義に踊らされ英語で重役会を開くことをもてはやした風潮と同じである。
「日本語は世界でも十指に入る大きな言語集団である。その代表である共通語は世界でも洗練された秀逸な言葉である。大学教育や学術研究は共通語を使い、またお互いの心の伝達や園芸や芸能や文芸などは、それぞれの訛り懐かしい故郷の言葉で話す、と使い分けができたら素晴らしいことである。それが理想であるがそのためにはお互いが言葉の感性を豊かにすることである。島口を大事にすることにつながるし、出発点でもある。言葉の多様性の縮小は文化の細りであり、弱体化である」「言葉は人と人、地域をまとめる大きな絆であった。昔は言葉の持つ力が大きかった。そして誰もが自分たちの言葉を良い言葉だと思って暮らしてきた。島崎藤村ではないが、言葉につながる故郷である。そして心につながる言葉だった」
徳之島方言では文末にダレンかダニを加え、尊敬語にしているが、これは共通語にあるダネと同じで、九州の薩摩半島の頴娃(えい)町にもダネィという尊敬語が残り、これが「俗称頴娃(エイ)語」で「相手を受容し包み込む。この和を保つ心の広さの根底にあるものが優しさであり、争いを回避する平和主義、とみる。人様の意見に逆らわないので、何時しか敬意、つまり相手を立てることで尊敬の意を表すようになったようである。それが島口の丁寧語であり尊敬語である」
沖縄からの米軍移転話ではダレンもダニもエイ語もなかった。(つづく)
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